6.開幕(後編)

[The birds fly away from the flock...]
「トモー! これ見て、これこれ!」
 ファミレス。
 学校帰りに集まろう、という話をつけてあったそこでは、既にるいたちがテーブルを一つ確保していた。窓際の最奥。きっと茜子が選んだであろう、見事なまでの隅っこっぷり。そうして僕もその席に着くと、同時、るいがやけに嬉しそうにそう言いながら一枚の紙を見せてきたのだった。
 ちなみにこのはしゃぎっぷりを諫めそうな伊代はまだ来ていない様子。花鶏もまだだし、だから下校順では僕は四番目だったということになろうか。こよりと茜子が早いのはともかく、るいはまさか学園をサボったのか――ちょっとだけもたげた疑心はしかし、眼前に差し出されたその紙一枚が吹き飛ばしてくれた。
「そこの野生児、さっきからその話ばっかりです。さすがの茜子さんもミニにタコができました」
 テーブルに顎を乗せ、茜子が呆れ気味にそう評する。隣では困ったようにこよりが眉をハの字にしていて、それだけでなんとなく全てを察してしまった。伊代なら空気を読まず、花鶏は空気を読みつつもるいに文句を言う場面だろうに、それがないのがらしいと言えばらしい。
「どうけ? どうけ?」
 で、るい。得意満面の表情でそう問いかけてくるるいが差し出したその紙は、つまるところ中間考査の結果というやつである。各科目の点数がどーたら、平均点がどーたら、偏差値がどーのこーの。僕にしてみれば大いに見慣れている書類だ。
 けど、そこに書かれているのは「皆元るい」という名前。その名前がこんな堅苦しい書類の片隅に印字されているのが、なんだかとっても不可思議に見える。思わず頬が緩んでしまった。
「……」
 そのまま数字目を通していく。点数、順位、偏差値、正答率……。それらは、確かに僕や宮のそれと大きく異なってはいたけれど。
「うん、上出来。るい、頑張ったもんね」
 素直な感想を口にする。
「へへへ、るいねーさんやればできる子ですから!」
「今の評価は不正確です。『野生児にしては』という言葉が抜けてます。それはまさに画竜点睛を欠く行為、ラーメンになるとを入れ忘れるくらいの愚行です」
「愚行って……。こよりはメンマが入っていればそれでいいですけど」
「あー、ラーメン食べようかな。なんか褒められたらお腹すいちゃった」
「どんな理屈……」
 力はなくなったのに食いしん坊キャラは健在だ。もちろん量は減ったんだけど、やっぱりるいはるいのまま。考えてみれば花鶏はあの反動があっても寝ぼすけキャラな感じはあまりしなかったし、結局は性格が出ていたということだろう。
 そう考えると、やっぱり僕らは僕らであったなんて思えてきて、なんとなく感慨深くもある。
「茜子とこよちんの結果はないの?」
 るいに成績表を返しつつ、一応聞いてみる。
 ちなみにるいはもうメニュー表に目を通し始めていた。
「あ、こよりの所はテストはありましたよ。でも、るいセンパイのみたいに綺麗にまとまった結果は夏休みにならないと」
「手応え的には?」
「えへへ、期待しててくださいッス! 先生にもちょーっとばかし褒められましたから!」
「うん、ならよかった。期待して待ってるよ」
 えっへん、と胸を張るこよりの様子を見る限り、特に問題はなかったらしい。もっともこよりはいわゆる――優等生でない、という意味で――普通の学生らしい勉強の嫌いっぷりがあるだけで、特に勉強ができないというわけじゃない。学校生活も呪いがあったころからぼちぼちうまくできているようだったし、その依存性の解消はまだ多少かかるにせよ、そう大きな心配はしていなかった。
 問題があるとすれば、その隣だ。
「で、茜子は?」
「ほほう、ブルマリアンはこのRED―CATのCPU性能を疑っているんですか。結果は出ていませんが、試験中に担当教師に対する罵詈雑言を1万のオーダーで思いつけるくらいには楽勝でした」
「……そっか。よかった」
「は? いいですか、耳の穴かっぽじってもう一度――」
「だって、それってちゃんと学校に行ってるってことでしょ?」
「――」
 茜子の問題はテストの成績なんかじゃない。頭の良さは(普段それが向けられている方向が斜め上なのはともかくとして)はっきり言って折り紙付きだ。年齢を考えればその切れっぷりは花鶏のような天才に勝るとも劣らない。ちょっと本気を出せば、学校の勉強くらいは目をつぶっていたってできるようになるだろう。
 でも、茜子は問題児として扱われていた。理由は彼女が学校に行くことを――もっと言えば、人と付き合うことを嫌っていたからに他ならない。一応は学園に通っていながら成績が最大のネックだったるいとはその点で大きく異なっている。
 だから僕は、珍しく言葉を止めた茜子の様子を一瞥した後、るいにこう声をかけた。
「ねえ、るい。勉強は嫌なものだけど、できたらできたで結構違うよね? 先生とか、クラスメイトとかさ」
「へ? あれ? 私、その話したっけ?」
「その話って、何のことッスか? っていうか、ともセンパイ、来たばっかりだからるいセンパイの話を聞いてるはずないと思いますけど……」
「そうだよね? いやさ、テストで点数良くて、最初はカンニングだあーだこーだってうるさく言われたんだ。でも陰口っていうか、そういうのって今までもあったし、だから無視してたんだけど、ほら、図書館で使ってたノート。あれをたまたま見られちゃったんだけど、そしたらなんか謝ってくる人とかも居て」
「そういう人たちと結構仲が良くなった。るいのことだから、そういうことでしょ?」
「そうそう! 今まではぜんっぜん話聞いてくれなかった先生とかさ、隣の席の子とか、みんな何か知らないけど急に優しくなったの! バイト紹介してくれたり、お弁当分けてくれる人も居てさ。……でもトモ、よく分かったね?」
 そりゃあ分かるとも。僕はそれを極端にしたような生活を送ってきたんだから。
 勉強や試験という尺度だけが、人間の価値を決めるだなんてふざけたことを思っているわけじゃ断じてない。でも、学園という縮図の中で、そのちっぽけな尺度が大きな役割を果たしてしまうのもまた事実なのだ。特に受験を控えた学年なんかでは、その規則に――その仕組みにのっとらないマイノリティは徹底的に排斥されてしまうことだろう。たとえそれ以外の面でどんなに大きな魅力を持っていたとしても、だ。
 るいは人一倍鼻がいい。犬だから。眼前の誰かを白と黒とで判別し、だから彼女には居場所がなかった。大して真面目に見えず、頭のデキが悪い――ただそれだけの理由でるいはその居場所を失っていたのだ。
「嘘をつけ、とはもう言えない。でも、曲がったこととも折り合いをつけていくのがこの一分の隙無く呪われた世界を生き抜くための術なんだ。それは僕が一番よく知っているし、その方法もまた多分僕が一番知っているんだろうと思う。そうだったよね、茜子?」
「……たった一度の言質をここでかますとは、叩くネタを探していた記者に狙われる政治家のような気分です」
「解散した同盟員の再就職先を探すのも、設立者の義務だから」
 茜子はかつて僕に言った。僕は嘘で世界と折り合いをつけようとしていたと。嘘で世界を突き放して、自分自身も嘘だらけなのに頑張っていたと。
 そして僕はそれにこう答えたんだ。楽しかったから、って。嘘で塗り固めた世界だったけど、宮を始め、僕には居場所があったから。
「茜子のことだから、本当に嫌なことしかないなら、たとえ僕が強く言ったって学校には行かなくなると思うんだ。でもきちんと行っているってことは、この醜さと嘘で構築された世界の中に、折り合いをつけるだけの価値があることを――いや、少なくともその可能性があるような期待を持てているんじゃないかなって。そう思うんだけど、どうかな?」
「……」
 醜い世界を見通せた機械。
 だから茜子の呪いは、つまるところ外部ではなく内部にあって。
「――そうですね。また言質を取られたらたまりません。ですから茜子さんとしては、参考人招致で口を噤む企業幹部なみにノーコメントの方向で」
「そう? ……って、表情まで悪人っぽくしないでいいから」
「どんな顔をしてたって、他人の考えていることは分かりません。悪人ヅラなのに心はそこそことか、善人ヅラして腹黒とか、ラブリーエンジェルヅラしてチュパカブラとか居ますからね。ふひひひ」
「最後は誰のことだか分からないけど。でも茜子もひねくれてそうに見えて、実はとっても可愛いもんね」
「……そういう反撃をするから、びっちだ姑息だと言われるんです」
 茜子は肌が白いから紅潮するとすぐ分かる。本人も多少は自覚しているのか視線は鋭くなるけれど、それでもやっぱり僕としては穏やかな感情しか沸いてこない。思わず頬も緩んでしまった。
 そうして僕と茜子は、やれ卑怯だやれ可愛いだの言い合っていて。
「……ねえこより、私ラーメン食べる前にお腹いっぱいになりそうなんだけど」
「今日ばっかりは、こよりも伊代センパイと花鶏センパイが待ち遠しいです……」
 そんな情けない声を聞きながら、僕らは残る二人が到着するまでファミレスでのんびりと過ごしていたのだった。
 ……ちなみに、るいが結局ラーメンを2杯も食べたことは、一応付け加えておきたいと思う。



 闊歩する。
 六人。田松市制服ファッションショーみたいになってる美少女5人+1は、今日も今日とてお天道様の下をぞろぞろだらだらと歩き回っていた。
 市街のメインストリート、茜子でなくともごみのようだと表現したくなるほどの人混み。雑多な町並みは胡乱な僕らをあっさりと覆い隠している。道を聞いてきた相手が芸能人だったとしても気付かないほどの混沌は、僕らなんかでは小さな波紋すら引き起こせないほどのもの。
「でさー、智の言ったところを復習したら、もうほんっと、ピッタリその問題ばっかり出て!」
「ハッ、じゃあ凄いのはあんたじゃなくて智じゃない。ヤマが当たればそりゃ筋肉質の脳みそでも及第点くらい取れるでしょうよ」
 僕らは隊列を組んで歩いている。といっても、もちろん全員が縦に並んで蛇のようにうろちょろしているわけではなく。
 先頭は言い合いしているるいと花鶏。色んな意味でツートップ。ケンカを始めると僕らの進軍が止まるのが玉にキズ。でもどっちも戦士タイプだから、ナンパなんかを一蹴してくれるのは心強い。共通の敵が現れたときの呼吸の一致具合は見事なものだ。
 ちなみに今日は行き先を指定してあるので、道選びに対するるいの気分屋っぷりとそれに反発する花鶏、という対立はあまり見られないと思う。まあそれでも「あまり」止まりなのは、そりゃもう涙無しには語れぬ事件が今まで多々あったわけで……。
「ともセンパイ、どうかしたんですか?」
「ん? ……んー、なんか緊張するなあって」
 鉄壁の二人に続くのは、後ろでこそこそと補助魔法とかかけたりする役回りの僕(作戦名「みんながんばれ」)と、マスコット的存在のこよりだ。僕はまあともかくとしても、ローラースケートを履いていた頃はちょこまかと動き回りつつ僕のやや後ろあたりが定位置だったこよりは、今は少しだけ誇らしげに僕と花鶏、そしてるいの間にあるラグランジュポイントらへんをくるくると回っている。ぴょこぴょこと揺れるうさぎの耳は可愛らしくて、ローラースケートのときはなかったその縦揺れっぷりがどことなくこよりの気分を表しているようにも見える。
 なぜって? だって今のこよりは、目に入ったお店が面白そうなら自ら突入することができるのだから。
「あっ、ねえあれ、新商品じゃない? 先週はなかったはずだけど」
「別に食べたいなら食べればいいと思いますが。しかし商店の新商品を全部食べ尽くしていたら、某ネコ型ロボットのようにBWHの値が全部同じになりますよ。もちろん全てその巨乳水準で」
 しんがりはすぐディスプレイに惹かれる伊代とそれに逐一ツッコミ入れている茜子。以前は茜子の方が若干後方だったのだけれど、今はその立ち位置を入れ替えている二人だ。ちょっと油断すると茜子はすぐ僕にひっついてくるから、きっとその為の位置取りに違いない。
 そんな2―2―2フォーメーションで、僕らは道を進んでいく。途中、投げ捨てられていたアイスの残り紙を拾ってゴミ箱に持って行ってみたりもしたり。マッチポンプ・ボランティア。なんて欺瞞的。そんな僕の様子を見ていた伊代が褒めてくれて、茜子がはてな顔をしていたのが、なんだかとっても面白かった。
「そういえば伊代も、ちゃんと学校行くようになったんだ?」
 手についた砂を払いつつ進軍に戻り、今日一番最後に来た伊代にそう話を振る。伊代は再びディスプレイに向けようとしていた視線を戻し、ちょっとだけ気まずそうな顔に。
「ええ、まあ。この子たちが頑張ってるのに、わたしだけサボリ続けるわけにもいかないでしょう?」
「別に頑張ってるわけじゃありませんが」
 茜子が平然と否定。
 それになんとなく微笑みつつ。
「それが理由?」
「んー……本音を言うとね、あなたたちと一緒に居て感じたのよ。勉強ができて、成績が優秀で……そういうのって大事だけど、でも大事なことってそれだけじゃないでしょう?」
「まんま勉強しない子の言い分だ」
「こよりもそう思うッス! べんきょーだけが人生じゃありません!」
「眼鏡おっぱいにしては良いこと言いました。詰め込み教育をかえりみ、今こそゆとり教育復権すべし」
「でも勉強もしないとダメだからね?」
「ともセンパイ厳しいッス……」
「これだから頭かたいチュパカブラは」
 ×目とジト目が沈む。それに伊代はなんとも言えない溜息を吐いて。
 普段からその特殊な抜けっぷりを見ていると忘れがちだけれど、伊代はそもそもわりと聡い。学園には奨学金で通っていると言っていたし、だいたい進んで勉強するようなキャラをしていて頭が悪いわけもなく。だのにきちんと登校していない不良さんだったのは、図書館やファミレスなんかの方が効率がいいという理由によるものだった。
 たしかに勉強に励むのに学校なんて必要ない。書籍からでは学べない、あるいは理解できない事柄なんて学園程度じゃやらないし、口では勉強しろといいながら、いつだって教師たちは非効率な授業を座して拝聴するよう押しつけてくる。
 理屈で考えれば、だから伊代は正しくて、だから優等生たり得なかった。それだけだ。
「伊代は勉強できるんだから、ちょっとコツを掴めば優等生として振る舞えると思うんだけどなあ」
「それはアレか、あなたやそのレズみたいになれってことですか」
「一緒にされるのも伊代がすんごく嫌そうにしてるのも、どっちも不本意だ」
 僕がそう言うと、対して伊代はふっとその頬を緩ませた。思わず僕も笑い返し、視線は二人して前方を歩く帽子をかぶったプラティナ・ブロンドへ。相変わらずるいとなんだかんだと言い合っている。またお互いの味覚の話をしているようだった。
「いつものことだけど、よく続くねー」
「胡乱すぎてついていけないわ……最終的にはどうせ揉み合いになるのに」
「欠点だらけ人同士が欠点を言い合っているんですから、終わるはずがありません。しかも微妙にループもしてますから」
「ループしてますよねえ……こより、このケンカの内容は先週も聞いた気がします」
 名人もびっくりのループ・ザ・ループ。でもやっぱりセロリご飯の擁護はできないよなあと思ってしまう今日この頃の僕だったり。
 そうこうするうち、言い争いの最中の先頭が声をかけてくる。
「ねえトモー、こっちでいいんだっけ?」
 問いかけに、出発前にネットで調べてきた地図を脳内でさっと引き出して。
「ん? ああ、うん。で、その先の曲がり角を左だったかな」
「だから言ったじゃないの。現代社会に野生の勘は役に立たないわよ、野生児。それともあれかしら、大脳皮質がまだ進化してないのかしら」
「うっさいなあ。どっちにしたってプラナリアよりはマシだっつーの。だいたい理性丸出しなのはそっちの方だろ扁形エロ魔神」
「はん、そうよ、私のはエロースよ。美のイデアを志向する最高次の愛ってやつね。どっかの胃袋の欲望と一緒にしないで欲しいわ。ま、相変わらずの教養低所得者には分からないでしょうけれど?」
「なんだとーっ! 辞書がなくちゃ外国語読めなかったエセ外人のくせに!」
「なによっ! エンゲル係数100オーバーの分際で!」
「――――っ!」
「――――っ!」
 衝突。揉み合い。
 犬と猿だってもうちょっと仲が良いんじゃなかろうかという相変わらずのぶつかりっぷりには、茜子さんでなくともほろりと泣きたくなってしまう。行く道を間違ったわけでもないのに、よくもまあここまで張り合えるものだ――いやもちろん本人たちには相手と張り合ってるつもりは微塵もないんだろうし、話題が道の話から全然関係ない方向へ飛んでいるのもいつものことではあるんだけれど。
「ほら、二人ともいい加減にしないと。余所見してるとぶつかって危ないよ。怪我するかも知れないし」
 主にぶつかって来た人が。
「そしたら智に介抱してもらうからいいわよ、別に。あ、でも逆に怪我した智の世話につきっきりっていうのも美味しいシチュエーションよね? 車椅子に座って身動き取れない智に触り放題……! 美味しい、美味しすぎるわ!」
「ばーか。トモが怪我してもあんたには触らせないし、あんたが怪我したら私がトドメ刺すから心配すんなって」
「は? 皆元、あんたよっぽどわたしのバイクで轢き殺されたいらしいわね……!」
「ほらほらほら! 言ってるそばからお互い胸ぐら掴まないで!」
 慌てて仲裁に入る。二人は僕を避けようとし、掴み合ったままと、と、と、とバランスを崩して。
 転ぶほど二人は鈍くない。でも、鈍くないからと言っても急停止することはニュートンさんが許してくれず。
「とと……っ!」
「――っ」
 よりにもよって曲がり角。
 勢いそのままに、るいは背中から出会い頭の通行人にぶつかってしまった。
「あちゃ〜」
「いつぞやを思い出しますね。まあ、パンはくわえてないでしょうが」
「それはいいから! すみません、大丈夫で――――」
 しょうか、と続くはずだった言葉が止まる。
 るいより頭一つぶんくらいは高い、そのぶつかった相手。
 顔に「私うさんくさいです」と書いてあるその人物は、要するに。
「おやまあ、誰かと思えば君たちか。変わらず賑やかでよろしいことだね」
 胡乱な街でも異常に目立つ、こちらも変わらずうさんくさい騙り屋がそこに居た。



「袖すり合うも多生の縁。では、曲がり角でぶつかるのはどの程度の縁だと思うね、面倒屋くん?」
「今生の縁は切れたと思ってたんだけどなあ」
 縁があったらまた会おう、なんて言われたっきりずっと会わないものだから、もう会うこともないだろうと思って(願って)いたんだけども。そうは問屋がなんとやららしい。
「いやいや、縁というのはえてして悪いもののが切れないものさ。自分を助けてくれる縁は気を付けないとすぐ切れるのに、災い呼び込む縁は向こうの方からやってくる。なんともままならないものさね」
「悪い縁だって自覚はあるんだ?」
「今のは一般論だよ、一般論。私と君たちの縁がそうだと言ったわけじゃない。それに何もRPGのようにお使いイベントを頼むフラグだとか、そういうんじゃないからそう身構えなくてもいい」
「また卑近な……」
 相変わらず話しているだけで疲れる。なんかMPが吸い取られる状態異常でもかけられているんじゃないかという感じ。
「しかし君がこうして大勢で出歩いているとき、私と会うというのも珍しいね。いつもは一人か、せいぜい二人だったろうに」
「いつもって何さ。あの廃墟で一回、茜子と一緒に居るときに一回の、計二回しか会ってないよ!」
「おや、そうだったかい?」
 僕より高いところにあるその目が、答えを求めて僕の背後へと向けられる。
 なんとなく敗北感。
「少なくともわたしは、皆元が連れてきたあの時以来ね。っていうか、あんたみたいなのと会ったら忘れるはずないし」
「こよりもですねー。いくらこよりでも、街中ですれ違ったりしてれば気付くと思います」
「ふむ……そうだったかね。君たちとは何度も会ってる気がしたんだが」
「気のせいだよ。さらっと恐ろしいこと言わないで」
 そんな頻繁に会っていたら、多分僕のMPがもたない。
「じゃあこういうのはどうだい? 実は会っているんだが、記憶をリセットされて時間が巻き戻っている――――結構流行ってるだろう、こういうの。群青色とか、復讐者とか、三日間とか」
「現実と虚構の区別がつかなくなったゲーム脳ですね、茜子さん分かります」
 言いながら、いずるさんと対していた僕の隣に茜子は一歩歩み出てきて、いつものように僕の腕にひっついた。立ち止まるとすぐこれだ。
「ま、私はそういうのよりは強くてニューゲームの方が好きだけどね。1つしかないはずの武器防具を味方全員に装備させてみたりとか、敗北イベントのボスを倒してみたりとか」
「……今日は天気の会話じゃなくて、ゲームの話をしに来たの?」
「それもいいねえ。本格的な夏の到来を予感させる青空の下、インドア嗜好について健康的に語り合おうじゃないか。ええと、さっきまでの議題はループ系のゲームについてだったかな?」
「してない! 議論してないよ!」
「相変わらずぞんざいだなあ、君は」
 よく言う。
 僕がぞんざいというより、相変わらずいずるさんがうさんくさいだけだと思うのだけど。
 まあうさいくさいことが職業みたいな人だし仕方ない。
「あ、そういえばいずるさん」
 本当は話を長引かせたくなかったのだが、残念ながらとある用事にふと気付く。言っておくべきことが1つだけあった。
「なにかな? ループを抜け出す方法なら他をあたってくれよ。大抵はそれを俯瞰できるキャラが一人くらいは居るものだからね」
「いや、そんなんじゃなくて。頼まれてたやつ。ちゃんとるいが受け取ったから」
「ああ、あれか。どうだい、役に立ったろう?」
「……知ってたの?」
「へえ? その様子だとどうやら本当に役に立ったみたいだね。じゃあ、いずれ役に立つことが分かっていた、とでも言っておこうか」
「じゃあって何だよ、じゃあって」
 めちゃくちゃ後付け設定じゃないか。
 後出しで結果を言う占い師とか、それこそ何の役にも立ちゃしない。
「ま、そういうことならぶつかり合うも今生の縁、ってことでアフターサービスくらいはやってやらんこともないが」
「アフター? 何の?」
「手を繋げるようになったんだろう? それでも君の面倒屋気質は現役のようだけどねえ」
 くつくつと笑ういずるさん。視線は、僕にひっついている茜子に向けられていた。
 人を騙るだけあって、そういう変化から情報を汲み取るのはやっぱり随分と上手いらしい。
「君は知らないかもしれないが、村人Aってのはね、クリア後に話しかけたりするとそりゃもうべた褒めしてくれるものなんだよ。おお勇者さま、世界をお救いくださりありがとうございます、ってなもんさ」
「別に世界を救ったわけでもないんだし、いずるさんに褒められても嬉しくないよ。っていうか、なんか隠しダンジョンの場所とかいらんこと言ってくれちゃいそう」
「おや、嫌いかい? 私は好きだけどな。ゲーム難易度という足枷から解き放たれた開発者の暴走は、そういった部分でこそ昇華される」
「だーかーらー!」
 ゲームの話をするつもりはないというに!
「まあまあ。せっかく専門家がタダでかたってあげようとしているんだ、聞くだけ聞いてみてもいいんじゃないかい?」
「茜子さん分かります。最初はタダで渡していって、依存症になったら金額吊り上げて巻き上げるんですね」
「そこの彼女、よく分かってるじゃないか」
「感心するところじゃないでしょ!」
 その場限りの詐欺師よりよっぽどタチが悪い。いけない人のすることだ、そういうのは。
 僕のつっこみにも結局にやにや笑いに終始するいずるさんと、これまた無表情チックに「それほどでもありません」なんて無駄な謙遜をしている茜子。それに僕が溜息をついても、しかし誰も同調せず。というのも、花鶏たちはもう完全にいずるさんの対応を僕に任せっきりにしているからだった。面倒屋の閉店セールはまだ先っぽい。
「――さあ、語ろうか」
 そうしてわざわざ吐かれる決めぜりふ。
 全然格好いいわけじゃないんだけど、それでもはっきりとした声でそう言われるとうさんくささが数割増しに感じられるから不思議なものだ。
「これから僕たち用事があるから、できれば手短にお願い」
「これこれ、私だって暇つぶしや道楽でやってるわけじゃないんだ。無駄なことは話さないよ」
「……」
 もうつっこまない。
 いずるさんは僕のスルーに気付かなかったか、あるいは気付いたけど意に介さないのか、腕を組んでやっぱりうさんくさい笑みを浮かべながらかたり始める。
「さて。まずはクリアおめでとう。私のヒントも役に立ってくれたようで嬉しいことだね。……でも、これは君たちの成功譚じゃあない。例えばRPGは悪の魔王を倒したところで物語が終了するが、その後世界はどうなると思うね? 思うに、そこから始まるのは持て余した兵力による国同士の醜い争いさ。それには勇者さまといえど、巻き込まれずにはいられない」
「勇者じゃないけどね、僕たちは」
「だったら尚更だね。君たちは命がけで冒険して、ようやくスタート地点に立てる可能性を手に入れたに過ぎない。手を繋げるようになるだとか、約束ができるようになるだなんて、物語の最初で棍棒や旅人の服を手に入れたなんて程度のことにすぎないじゃないか。それも君らは特殊技を全部使えなくなるというおまけつきだ」
 それは……まあ、否定はしない。
 僕らは確かに、正確に言えばスタート地点にすら戻れていない。当たり前のことが当たり前にできるようになった。それに嬉しさを感じないわけではないけれど、かといってその足枷によってできた傷痕まで回復させることができたわけじゃない。例えば伊代やるいたちには、その呪いゆえにできてしまった歪な人間関係が未だ大きな爪痕を残している。あるいはまた、この点については僕こそ一番大きな負債を抱えていると言っても過言じゃないだろう。
「……それで?」
 そうして、真剣に続きを問えば。
「おや、あまり動じていないね? 不安を煽って顧客を繋ぎ止めようと思ったんだが、見込み違いだったかな」
「そういう意図かよっ!」
 反射的に文句が口から漏れ出ていった。
 真面目な話をするかと思えばすぐこれだ。まんま詐欺師か悪徳商法。血液サラサラネックレスとかシロアリ駆除装置とかを和服の下に隠してるんじゃなかろうか。
「いやあ、こっちも商売だからねえ。その不安から君たちがまたヒントを求めてくるようなら、私の語り屋稼業も安泰というわけさ」
「たとえそういう不安に苛まれたとしても、あんたにだけは聞かないと思うけど。平凡な人生のヒントをうさんくさい和服ブーツに聞いてどうするのさ?」
「えてして人は自分のことは分からないものだろう。七三分けで黒縁眼鏡、首からカメラを下げた短足胴長なサラリーマンに平凡とは何かを聞いてもきっと答えられはしないさね」
「三十年くらい前の平凡でしょそれ」
 経済が泡ふいてた頃の観念だ。そこはかとなく昭和のかほりがする。
「ま、君が聞く気がないならしょうがない。今日のところはこのくらいということかな。ぶつかっただけの縁のぶんくらいは語ったろうしね」
「今日のところじゃなくて、もう一生ぶんでいいんだけど」
「言ったろう、悪い縁というのはそう切れるものじゃないと。それに同じ街で暮らしているだけでも縁というのはあるものさ」
 うさんくさい人は笑いながらやっぱりうさんくさくそう言って。
「それじゃ、また縁があればってことで」
 あっさりと、というよりはまるでその話術がごとく自身をも煙に巻くように、異常に目立つ出で立ちのその人は信じられないほど早く雑踏に紛れ姿を眩ませたのだった。

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