6.開幕(前編)

[The birds fly away from the flock...]
 他人を信じるなとしたり顔で言われたことがある。
 信じる信じないと嘯いたところで、それは選択肢がある状況での優雅な楽しみだと思ったこともある。
 でもきっと今の僕は、時と場合と状況が選択肢を奪っていなくとも、信じる方を選んだことだろう。
「早く早く! 何やってんの、急がないと死んじゃう!」
 追い立てられていた。
 泣きそうだ。
 何でこんな目にあうのか。
 ……火は既に屋敷の二階にまでまわっていた。ごうごうと木材の燃え尽きる音を聞きながら、僕らは敷き詰められた絨毯の上を駆け抜けるより他にない。
「くそっ、ここの階段もダメか……っ!」
 悪態は先頭を走る央輝のもの。帽子の奥の瞳で憎らしそうにその火を睨みながら、コートを翻し廊下を更に進んでいく。それに続くのは二つのお下げを慌ただしく振り乱して必死に走っているこより、浜江さんを支えながらの花鶏と伊代、佐知子さんを抱えながらのるいときて、最後が僕と茜子だ。
「茜子、大丈夫?」
「はい、なんとか……!」
 遮るものなく繋いだ手をやや強引に引き寄せて、できるだけ茜子の負担を軽減しようと試みる。
 現状最もハンデがあるのは浜江さんで、その次が茜子だ。惠との別れを惜しんでいたために最後尾となってしまったが、いざとなれば僕は茜子を抱き上げて走るしかなくなる。いつ何が起きるか分からないこの状況で――例えば床が抜けたり、柱が倒れたり――できればそれは避けたかった。一瞬の判断の遅れが命取りになりかねない。
「うひいっ! いぇんふぇーセンパイ、どこまで行く気なんですか!」
「央輝だ! 死にたくなかったらついてこい!」
「足がもげそうですよう!?」
「気合いでなんとかしろ!」
「物事は精神論より現実主義でお願いシマス!」
「ちっ、足手まといが……!」
 言いつつ、央輝は僕が茜子にしているのと同じようにこよりの腕を掴んでなおも走り続ける。
 もちろん僕らもそれに続くが、二人のやりとりに対して花鶏や伊代、るいは無言だった。というのも、時折僕らの姿を確認するために振り向いてくれる三人の顔を見る限り、そうとう疲れがキてるに違いない。
 みんなもう普通の女の子なのだ。男である僕やパルクールレースで見せた体力が元からある央輝とは異なり、三人、特にるいの体力低下は著しい。すぐに浜江さんや佐知子さんを任せた配置のミスを悔やむが、しかし、それをどうにかしている暇はなかった。
「はあ、はあっ……!」
 ちりちりと屋敷が焼け落ちる音が段々と大きく聞こえてくるように感じる。身体が熱いのは走っているせいか、火が回っているせいか。視界が霞むのは煙のせいか疲れのせいか。確かなのは、鼻につく焦げついた臭いが一向に止む気配がないということだ。心なしか肺へ送られる酸素も減ってきた気がして、喉が焼け付く気分も錯覚だけとは思えない。
 マラソンじゃない。全速力の長距離走。足はすでに現実主義より精神論の域に入ってきていた。
「おい! この先の階段を降りたとして、正面玄関以外の出口は!?」
「……、……!」
「……くそっ!」
 央輝と浜江さんのやりとり。
 あいにく火事の音で浜江さんの声はかき消されてしまったが、央輝の様子を見るに芳しい返答ではなかったのだろう。当然動揺は花鶏たちにも広がり、足がもつれそうになっていることもそれぞれ一度や二度ではない。
 限界が近い。最奥の階段が遠い。
 それでも僕はまだ余裕がある方なのだろうか。揺れる視界、走りざま窓の外から飛び込んでくる夜景はやけに明るくて、ああ、屋敷の燃え方はかなりひどいんだなと、どこか冷静にその様子を捉えていた。
「姉さん……」
 離れがあったはずの方を向き、思わず呟く。
 去来する感情をうまく理解することができない。疑問もあり、悲哀もあり、後悔もある。剣で貫かれた惠とベッドの上での今際の惠が重なって、それに憤怒を感じないといえば嘘にもなる。
 でも、今はそれらすべてを一瞬のうちに押し込めて。
 僕たちはただただ愚直に走り続けるより他にない。
「――っ! いぇんふぇー、上! 上!」
 もう少しで階段、というところでるいが声を張り上げる。言葉に従い視線を上へと送ると、廊下の曲がり角、火の手が既に二階の天井にまで到達していた。当然のように黒煙が廊下へ滑り込んでくる。
 思わずみんなの足が止まった。
「ちょっと! あれマズいんじゃないの!?」
「ぜったいぜつめーのピンチッス!」
「少し考えれば、端の階段は火のまわりが早いだなんてすぐ分かったはずなのに……迂闊だったわね」
 伊代が相変わらず空気読めない発言。
 けどまあ言っていることはやっぱり正しい。火の手が上に向かって行くことは周知の事実だが、もう一つ、可燃性のカーテンや塗装が火を伝達するために壁沿いに燃え上がっていくという事実がある。ましてやそもそも木造であるこの屋敷、階段自体も手すりから何から燃えるものに困ることは何一つない。
「どうする、トモ? 二つ手前の階段はなんとかまだ形を保ってたはずだけど?」
「無理よ。戻る時間もないし、あそこは降りた先が火の海だから放棄したんじゃない」
「でもでも、階段自体が燃えてるよりはマシな気が……」
「いや、ちょっと待って。……うん、僕と央輝で様子を見てくる。もしかしたら大丈夫かもしれない」
「ちょ、ちょっと!?」
 央輝に目で問いかける。
「あたしは自分一人が切り抜けられそうなら、勝手に行くぞ?」
「もちろん。一人でも助からないとね」
「ちっ……」
 了承の舌打ち。すぐさま身をかがめ、僕らは炎の渦へと突入していく。
 ちりちりと焼けるような熱が晒した顔を焦がしていった。少しでも楽をしようと背中を伸ばせばたやすく煙の餌食となり、視界も呼吸も奪われる。帽子のつばを下げ、コートで身を覆う央輝が少しだけ羨ましくもあった。
 おそらく絨毯にまで火が回ったらおしまいだろう。天井がぎりぎりまで耐えてくれることを祈りつつ、僕らは突き当たりの角まで一気に駆け抜けた。
「げほっ、えほっ……!」
 昇りあがる黒煙。思わず顔をしかめて、身体を地面に張り付くくらいに低くする。火の周りが早くなってきたからか、央輝は既に帽子を脱ぎ、コートも丸めて手に持っていた。
「どうかな、央輝?」
「壁は燃えているが、階段自体はまだなんとかって所だ。だが、降りても正面玄関まで行くことは叶わないようだぞ」
 ぱちぱちと破裂音まで聞こえてくる赤い視界の中、僕らは階下に向かって目を凝らす。
 実は一番怖いのは、火のついた道を駆け抜けることでも燃える天井の下を走っていくことでもなく、燃え尽きかけている階段が僕らの重みで崩れ落ちることだ。一つ手前の階段をスルーしたのはそういうことで、燃えている階段と共に落下すれば最後、そこに待つのは灼熱の業火と降り注ぐ瓦礫の山だ。たとえ頑丈がとりえだった昔のるいでも助かるまい。
 だから逆に言えば、壁が燃えようが天井が焼けようが階段の床面自体の耐久性が残っていれば降りることはおそらくできる。それは遠くから見ただけでは分からないため、だからこうして僕はここまで走ってきたのだ。央輝もまた同じ事を考えていたであろうことは容易に推測できた。
「それとも燃えてる手近な壁をブチ破るよう努力してみるか? 思いっきり蹴りくれてやればできなくはないかもな。ま、運が悪ければ屋敷ごと崩れ落ちてアウトだろうが」
「ううん、僕が考えてるのはそれじゃあなくて……」
「?」
 焼け焦げる熱と乾燥に耐えながら、僕は思いきり目を凝らす。
 記憶が確かならこの階段の下には――
「ごめん央輝、ちょっと帽子貸して」
「お、おい……?」
「んしょ、んしょ」
 帽子を目深に被り、火の熱を避けつついつもの即席望遠鏡。霞んだ像は次第に焦点を結んでいって、濃淡のリズムを刻む煙の向こう、なんとか空気の乱れを確認することに成功する。
 ……あれがきっとそうだ。
「どうですか、智さん」
「え? あれ、茜子? どうして?」
「もう後ろから火がまわってきたのよ。だからみんなもここまで来るしかなくて。で、どうなの?」
「ダメだったら二階から飛び降りるしかないですよう!? 『力』があれば華麗に着地を決められたでしょうけど……」
 異能の力。
 おそらく、るいか、僕か、こよりの力が残っていればわりとどうとでもなった状況だ。問題ですらなかったかもしれない。まるで二本足で歩くかのように、きっとあっさり切り抜けてしまえたろう。
 でも、今の僕らはそうじゃないから。だから僕らは苦労して、協力しなければ生きてはいけない。
 僕は央輝に帽子を返しながら、言う。
「大丈夫。惠が助けてくれるみたいだ」
「ちょっと! いくら冗談だって、言っていいものと悪いものが――」
「いや、冗談じゃないんだ。この中で目が良さそうなのは……央輝とるいかな。あの辺り、ちょっと煙の流れがおかしいの、分かるかな?」
 指で示すと、ぐぐぐ、と央輝とるい、つられて花鶏とこよりが、階段の下から一段目あたりの壁へ視線を飛ばす。メガネをかけている伊代は浜江さんと佐知子さんを元気づけるので手一杯。茜子はやっぱり僕にひっついてきた。
「本当なんですか、智さん。惠さんが助けてくれるって」
「うん、きっと。ねえ央輝、るい、見えた?」
「まあ、分からなくはないっつーか。でもトモ、あれがどうかしたの?」
 るいは疑問顔。でも、央輝ははっと顔を上げて。
「――っ! そうか、だから『才野原が』なのか」
「そういうこと」
 伏せていた身体を持ち上げ、歩けるように足を立てる。煙はもう少し上体を起こしただけで顔を覆ってくる勢いで、天井ももはや限界だ。ときおり落ちてくる火の粉を振り払うので精一杯。
 けど、分かる。
 僕にはもうあの力はないけれど。僕らは助かる。惠が助けてくれる。
「結局、どういうことなんですか?」
「ああ。あそこに窓があったのを覚えててね。で、あそこの窓、たぶん割れてるんだ」
「割れてる? なんで――――……あっ」
「うん。惠が呪いを踏んだときに割れたうちの一枚なんだと思う。結構大きかったはずだから、あそこから脱出できると思うよ。空気が外から入ってくるにもかかわらず、幸い、まだ火の手はあそこまで迫ってないし」
 言って、茜子の身体を引き寄せる。
 それと同時に央輝に目配せすると、いつものように溜息を見せてから彼女は煙に覆われた階段へと軽やかに飛び込んでいってくれた。火の粉が舞い落ちる中、文句も言わず先陣を切ってくれる後ろ姿がどこか頼もしい。
 そしておそらく央輝のことだ、窓の開閉だけでなく、階段の調子も確かめてくれることだろう。
「でもあるのね、こういう偶然って」
「ほんとに偶然だと思う?」
「難しいことは分かんないけど、メグムが助けてくれてる気が、私はするよ」
「こよりもるいセンパイに同じくッス」
「そうね。わたしは自らの手で切り開くことの方が好きだけど、でも、こういうのも悪くないわ」
「……惠さん」
 今はもう炎に包まれてしまったであろう、惠に思いを馳せる。
 感謝だなんて言葉では言い表せない、胸を締め付ける強い情操。彼女は自らの命をなげうって呪いを解くことにしてくれただけでなく、こうして僕らに最後の脱出口を恵んでくれた。
「……! ……、……!」
 階下から、央輝。大丈夫だから早く来い、という旨の叫び声だった。
 事態は刻一刻と変化している。崩壊が近い。既に僕らの足元の絨毯も、天井からの火の粉であちらこちらが燃え始めていた。全身の発汗と、それとは逆の焦げ付ような乾燥を同時に感じる。
「大丈夫みたいだから、みんな、行こう。僕らは生きるんだ」
 言って、浜江さんとそれを支える伊代から階段へ。
 続いて佐知子さんとるい、こより、花鶏、茜子、僕と順に降り終えて。
「智さん!」
 みんなはもう窓の外。茜子が早く早くと手を差し伸べてくれている中。
「……」
 僕はこの火を放った人に対してほんの少しだけ思考と時間を割いてから、その火の海に背を向けて茜子の手を取り、濃紺の遥かな夜景が広がる屋外へようやく飛び出したのだった。





「……和久津さま?」
「うん?」
 お昼休み。
 ご飯も食べ終わって、机に肘付き休み時間にひとり憂い顔で外を見やるという、乙女にしか為せない技を繰り出していると、妙に心配げな宮からそう声をかけられた。
「どうかした、宮?」
「はい、どうもさっきからおかしいのです」
「おかしい? 何が?」
「愛しの和久津さまのお顔の色が、です」
「……」
 なんでもないことのように言う宮に対し、言葉に詰まる。
 驚きを顔に出すことはなかった。宮の洞察力には驚き慣れていて(というのも変な表現だけど)、驚きを外に出すことも、だから取り繕った能面を貼り付けることも、僕はする必要がない。
 ただ今回は、普段よりコンマ何秒か遅れた思考のせいで返す軽口を僕が紡ぎ出せなかっただけだ。そしてそれはきっと宮が真意を悟るのに充分すぎるほどの齟齬。だからすぐさま諦めて、僕はさっさと顔にかけていた仮面を取り外す。
「……僕の顔、ブルーな感じする?」
「それはもう。普段は愛らしい感じのお顔が、弱って一層儚げに見えます。不順ですか? それとも、お赤飯が必要な感じでしょうか」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
 まあ来てるか来てないかで言えば、そりゃあ来てない。たぶん一生来ない。
「ちょっと考え事してて。良くないこと……でもないんだけど、ヘビーなことを思い返してたら、ちょっとね」
「それほど重かったのですか? 先週の火曜日」
「いや、そのヘビーじゃなくて! っていうかなんで知ってるの!?」
「和久津さまのことであれば、学園の誰よりも知っています。学園一の和久津さまストーカーという自負がありますから」
「窓から投げ捨てて、そんな自負!」
「……? 情報を広めよという遠回しなご要望でしょうか?」
「してないよ! そんな深い意味込めてないから!」
 日本人の美徳って難しい。
 いつだって人は分かり合えないものだ。異文化コミュニケーションはだからこそいつも最大公約数的。しかも相手は素数ばっかりだったりするわけで。
「宮は素数?」
「好きな数字か何かですか? ……そうですね、円周率などいかがでしょう?」
「割り切れない……」
「少し前までは3で良かったそうですが」
 ビバゆとり。申し子としてはなかなか肩身が狭く。大雑把すぎて涙が出てくる。
 草葉の陰でπも泣いていることだろう。
「……まあ、それはそれとして」
 話題変更。
「ところで宮、今日は暇?」
 話の曲がり方は、さながらコースアウトギリギリのヘアピンカーブ。
 宮はあっさりついてきた。
「暇かどうかというのは、入る用事との比較における優先順位の問題だと考えておりますが」
「一緒に街に行かないかなと」
「暇で死にそうでございます」
「即答……」
「今日は学園も半ドンですから」
「いやいや!」
 つまり優先順位は学園より僕、と。
 やはり哀か、哀なのか。
「ですが、どういった御用向きですか? お約束していただいたデートは延期したはずですけれど」
「うん、まあ、そうなんだけど。実は今日、知り合いと待ち合わせをしててね」
「以前和久津さまを迎えにいらしていた方たちですか?」
「そうそう。で、宮を紹介できればと思って」
 言って、視線を窓の外、広がる空へと明け渡す。
 ……僕らは高架下に住んでいた。呪われて、弾かれて、身を寄せ合って。社会の異端として、ずっと息を潜めて暮らしていた。
 そんな中、僕だけは宮と出会って。嘘で塗り固めた優等生の金看板を、彼女は容易く見抜いて見せた。
 そこにある種の喜びを感じなかったと言えば嘘になる。花鶏の家のお風呂で痣を見つけ合ったときと似ていて、それでいてそれとは少し違う、何とも言えない心地よさ。宮とのおしゃべりが楽しくなかったわけがない。仕方がないと言い訳して、それだけのために付き合っていただけなはずがない。けど、宮に性別がばれる危険がなかったわけでもない。
 だから結局、僕は最初から甘かったのだ。
 一線は引いていた。それは宮も感じていただろう。あるいはまた、そんな線引きこそが面白さのうちに含まれていたことも本音としては多分ある。
 そして、あるいはしかし、だからこそ思うのだ。高架下から抜け出すみんなに、そんな宮を紹介したいと。
 僕らには圧倒的に経験が足りない。誰かを理解し、誰かに理解されるという経験が。敵もいる。味方もいる。どちらでもない人もいる。そんな呪われた世界に、僕らはこれから繰り出さなくちゃいけない。群れではなく、ただの一個人として。そこには多くの困難が伴うであろう事は、もはや考えるまでもなく明らかなことだ。
 だからその最初の一歩。僕らが群れでなくなった証としての「外部」に、宮は適任じゃないかと思ったのだ。
「どうかな?」
「……」
 これまた即答だろうとの予測はしかし見事に外れ、なぜだか視線を持ち上げ考え込む仕草の宮。端からみればぽけーっと和んでいるようにしか見えないその態度だが、その実、色々と考えを巡らせていることを僕はよく知っている。疑問に思いつつも僕は演算処理終了を待った。不思議空間には暗黙の了解がいっぱいだ。
 そうして待つうち、やがてまるで飛ばしていた霊魂が戻ってきたかのような仕草で宮は現実へと復帰して。
「実は、今日は午後から習い事がありまして」
「……すごい断り方だよね」
「遠回しに表現したつもりだったのですが」
 迂遠すぎて、どちらかというと急がば回れな感じ。直球よりも地味に効く。
 でも、断り方の問題じゃない。僕は何より、断られたことに強い疑問を感じてしまった。
 自惚れているわけではないけれど、少なくとも今の流れで宮がこの誘いを断る理由が見当たらない。僕と二人きりだと思ったのに、るいたちが一緒だと話したから? まさか。宮はそういうタイプじゃない。自分がいることで相手に負担がかかる状態について、「気にするのをやめる」と言い切ってしまう性格なのだ。もしみんなと一緒に居たとて、宮はきっといつもと同じように振る舞うことだろう。そしてそれを僕も期待していた。
 ではなぜ? そんな疑問が顔に出ていたか――もちろん宮にだけ分かる程度に、ではあろうが――、宮はいつものようにすました表情で言葉を継いだ。
「和久津さまがこうしてお誘いしてくださったのは初めてです。それは喜ばしいことですし、これ以上ないくらいストーカー冥利につきます」
 最後の方は聞こえなかったことにする。
「ですが、和久津さまは以前お約束したデートについて、なんと仰ったか覚えておいでですか?」
「あ、うん。僕が約束したのに、先延ばししてほしいって言ったのも僕だしね」
 あのときは気持ちが高揚していたせいもあってああ言ったし、確かに宮と二人で街を練り歩くというのも面白そうではあったのだけれど、でも僕はこう言ってデートを先送りしてもらったのだ。「宮とはちゃんとした形でデートしたいから」、と。
 僕を慕ってくれている女生徒は数多い。最近は僕も付き合い方を変えようとしているせいか、なんとなく「和久津さまが身近になった」という評判が出始めているのも知っている。努力をしている身とすれば嬉しいことではあるだろう。
 でも。僕はそこで、立ち止まった。確かに彼女らはそれでいいかもしれない。でも宮は? 宮まで、僕が呪いを持っていたときから不思議な関係を築けていた宮まで、それで済ませていいものなのだろうか?
 僕は宮に感謝している。花鶏たちとは別の意味で特別な存在だ。だから僕は宮に嘘をつきたくなかった。たとえどんな些細な嘘だって、もうつきたくはなかったのだ。
 では、だからといって男であると告白するか? ――そうはいかないだろう。少なくとも学園にいる間は、そういう行動に出るのはリスクが大きすぎる。宮を共犯者にもしたくない。もし宮がそれを許せたとて、今の社会はそれを許容できはしないのだから。
 だから、先延ばしにした。卒業後に。僕が僕であると真に告白できる立場になったその状態で、スカートという嘘を振り払ったその関係で、僕は宮に応えたかったから。そうしたいだけの感謝の念が、僕にはあったから。
「――あ、だから、つまり」
 そうしてそこに思い至り、僕は自らの浅慮を悟る。
 それに気付いた宮は相変わらず表情を崩さないまま、頷きつつ口を開き。
「はい。ですから、和久津さまが本当によろしいというのであれば、この宮、喜んでご一緒させていただきますが」
 ……本当に宮は、僕のことをよく見ている。
 脱帽、あるいは感服。思わず感謝の言葉を口走りそうになった僕は、慌てて口の形を謝罪のそれへと変更して。
「ごめん。やっぱり今日は、習い事に励んでくれると」
 僕が申し訳なさいっぱいにそう述べると、宮は嬉しそうに承諾の意を込めた首肯を返してくれたのだった。

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