3.花鶏ん家
[The birds fly away from the flock...]
「茅場。ちょっとガムテープ持ってきてくれる?」
「どこですか? ガムテープとは本来、水と一緒に使用されるものです。茜子さんの視界には、それが発展してできた梱包用クラフト粘着テープしか見当たりませんが」
「はいはい。んで、伊代とこよりちゃんは食器まとめたら倉庫の方をお願い」
「うわ、倉庫なんて難敵がまだ残ってたの? こういうのは本来、日常的に使用せずかつ重くて大きいものから整理しないとだめでしょう。例えば最終日なら、洋服とかそういう――」
「伊代センパイ、喋ってないで手伝ってくださいよう!」
「皆元はー……あー……大広間のテーブルをそのまま持ち上げて運べばいいんじゃない?」
「できるか! っていうかなんで私だけ投げやりか!」
「智はさっさと服脱いで。パンツは『Artifact』って書かれたダンボールがあるから、そこに畳んで入れておきなさい。洗っちゃダメよ」
「さも当然のように言う花鶏の態度に全僕が脱帽です」
「帽子はいいから服とパンツを脱げってーの」
脱ぎません。
……とまあ、いつも通りアクセル全開フルスロットルなアトリンが皆に指示を送っているのは、実は僕らが花鶏の引越作業のお手伝いをしている最中だからだったりする。
今日。僕らはあの図書館の帰りのファミレス以来久しぶりに、みんなで夕食をとることにした。場所はここ、花鶏のでっかいお屋敷。既にここから引っ越すことを花鶏は決めていたため、その前にせっかくだからとちょっとしたパーティーを開くことにしたのだ。
アルコールが入ると何が起きるか分からなかったので酒類の買い出しはせず、大広間のテーブルに並べられたのは僕らがそれぞれ作った料理の数々。もちろんメインで作ったのは僕と伊代。だって残る四人の作ったものと言えば、こよりは「青いファンタジー」と命名された謎料理、花鶏は自分用のセロリごはんと野菜スティック、るいはちくマヨ(黒胡椒入り)、茜子はウニの軍艦巻き偽装事件なんかだったのだから。見た目は微妙に華やかっぽく見えなくもないラインナップとなったけれど、当然常人の舌に耐えられるものではなく、各員それぞれ責任をもって処理してもらった。何ごとも自己責任の世の中です。
そんなこんなで僕と伊代が作った料理(とあえて限定しよう)を食べ終えた僕らは、なぜかその晩餐会のお礼という形で花鶏の引越を手伝うことになったわけである。不等価交換ってレベルじゃないその作業もしかし僕と伊代が一番頑張っているあたり、できる人に仕事が集まる旧来の労働事情が垣間見えてきてなんともはや。
いやまあるいの筋力が落ちた現状、男である僕と、割と力のある伊代が頑張ることになる理由も分からなくはないんだけれど。
「でも花鶏が椅子に座って指示してるだけっていうのは、なんか納得いかない」
「は? 智、わたしが困ったときは助けてくれるって言ったじゃない。だから助けてもらってるのよ」
「この没落貴族、家の復興を諦めると同時に人間性まで没落しましたね」
「他人の協力なしに生きていけないカラダになったのはあんたたちのせいなんだから、ちゃんと責任取ってもらうだけよ。特に智! わたしをこれだけ調教しておいて放置プレイとか許さないからね!」
「してないよ! 調教も放置もしてないから!」
「そうです。この女装ボクっ子に調教される不幸な被害者は茜子さんだけで充分です」
「それも違うよ!」
人を勝手に変態に祭り上げないでいただきたく。
でもまあ、花鶏も自分があまり動いていないことにようやく引け目を感じたか、椅子から立ち上がってめんどくさそうに近くのタンスの整理を始めた。……あなたのお引っ越しでしょうに。
と、ちょうどその時。
「にょおおおおおおおおおお!」
「こより……っ!?」
廊下から響いてくる独特の甲高い声。倉庫で何かあったか。驚き方にどこか感嘆の色が含まれていたことから棚の下敷きになったとかではなさそうだったが――というかそれなら伊代の悲鳴がするはずだ――やけに大きな声だったので、るい、花鶏、茜子とともに首を傾げつつ廊下へと出る。
「ちょっと、何があったのよ!」
「こよりんー! 伊代ー! 大丈夫ー?」
倉庫に続く廊下の奥に声を投げる。
「ああもう、あなたが大声出すからみんな心配してるじゃないのよ! ええと、とりあえず怪我とかはしてないから大丈夫なんだけど――――ちょ、ちょっと!?」
伊代の言葉に安堵しかけたその時、廊下の奥からその伊代の戸惑いの声と、ガラガラガラガラと車輪付きの何かが疾駆する音が聞こえてきて。
廊下、直角の曲がり角。ぐん、と曲がって出てきたソレは、
「センパイセンパーイ! こんなん見つけました! 折角ですし、やりましょーやりましょー!」
「あれって……」
一面深緑色に染められた、よくある移動式の卓球台だった。
止まるはずがなかった。
誘ってきたこよりは言うに及ばず、面白ければ何でもアリな茜子とるいに加え、止めるべき立場の花鶏までもが乗り気になってしまったものを、一体誰が止められるというのか。伊代は一応「引越の準備がまだ終わってないでしょ!」と抵抗したものの、当事者の花鶏が卓球やる気満々では全く持って意味がなかったと言っていい。結局はパラダイスフィンガーを喰らってしまい、そのまま即席卓球大会の開催と相成ってしまったわけである。
……あ、僕? いやそんな、伊代に止められなかったものを僕が止められるはずがない。悲しいけどこれ、ヒエラルキーなのよね。
「はっ、こよりちゃん! 悪いけどこのポイント、もらった!」
「うひい!?」
「ちょっとこより! 避けてどーすんのさ!」
すぱこーん、と花鶏のスマッシュがこよりの傍らを抜けていく。
「ナイス花鶏!」
「ま、こんなものね。相手がこよりちゃんだからっていうのが大きいけど」
淡々とした口調ながら、ちょっとだけ得意そうに言う花鶏。
そう、僕らはシングルスではなくダブルスで試合を行っていた。チーム分けはもやしっ子とどんくさい子を除いた四人でのジャンケンで。結果的に僕と花鶏、るいとこよりの分け方になったのだが、「こよりちゃんと組むつもりだったんだけど……」と花鶏が呟いていたのが印象に残っている。たぶん僕らでは圧勝してしまう懸念があったせいだろう(と思いたい)。
「るいセンパイ! このままじゃまずいですよう!」
「う〜……でも順番変えると、こよりがトモのアタック受けることになるし」
「それは勘弁してほしいです……」
そしてその懸念通り、僕らは優位に試合を進めていた。
理由は簡単。こよりがあまり上手じゃない上、男である僕のスマッシュを向こうの二人はなかなか返すことができなかったからだ。るいは昔の名残だかあるいは性格ゆえか、わりと健闘したけれど、残る花鶏とこよりの実力差は歴然だった。運動神経はともかく、体格差はこちらもいかんともしがたい。
「これは決まりですね。オッズで言えば100対1.1くらいに決定的です。メークレジェンドでも起きない限りあの胃袋と生えてないが勝つのは無理でしょう」
「まだ『力』あれば互角だったんでしょうけどね」
「チート対チートですか。ろりりんの放つ絶対に点の取れる魔球、対するはレズ女が放つどんな球でも拾える返し。……どこかのエロゲでありそうな展開ですね」
「なによそれ……?」
「ああ、間違えました。あれは文学でした」
「そこ! ちゃんと点数数えてて!」
言うと同時、ぱこん、と再び花鶏のスマッシュが決まる。長いプラティナブロンドの髪がそれにあわせてふわりと舞って、後ろにいる僕からすれば格好よく見えることこの上ない。
「花鶏、いい調子だね」
「よく言うわ。わたしに打ちやすい球がくるよう、あの牛チチに厳しい打球を放ってくれてる智のおかげでしょ」
「あ、バレてた?」
「わからいでか。でも助かるわ。たとえ今の皆元でも、チャンスボールを簡単にくれるほど本当は甘くはないんだから」
さらっと花鶏が感謝の言葉を口にする。
それはあまりにも自然で、あるいは自然すぎて、だからもう、僕がその事に気付いてほんわかした気持ちになるころには、とっくに次のサーブが始まろうとしていた。
「ほら、智! ぼさってしないでわたしを助けてよね!」
「ん、ごめんごめん」
僕がラケットを握り直すと、ようやく次のサーブが放たれたのだった――。
「ふー……」
思わず気持ちよさから息が漏れる。
戦い終わって、僕が浸かるは屋敷と同じくとっても広い銭湯まがいの大浴槽。
それを独り占めしているとなれば、僕でなくたって気分が良くなるに違いない。
「あふ」
足を伸ばしてのんびりぐったり。相変わらず髪は纏め上げているけれど、今はもう誰に気兼ねするでもない。
だって、入っているのは僕一人なのだから。
でもそれも当然。普通、異性とはお風呂に入ったりしないだろう。いや確かに、実際僕なら一緒でもいいと嬉しいやら悲しいやらのお誘いを受けはしたのだけれど、茜子さんからの強烈なプレッシャーもあり僕は丁重にお断りしたのだ。
だから時間をずらして入ることにした。僕を除く五人はもうさっさとお風呂に入り終えていて、入れ替わりに入ろうとした僕が聞くところによると、やっぱり花鶏が相当好き放題やったらしい。こよりんは言うに及ばず、茜子もその呪いの制約から解かれたおかげでちょっかいを出されたと言っていた。まあ本人たちの被害がどうあれ、楽しそうだったのでそれ以上の追及はしなかったのだけれど。
そうしてその後空いた浴場で、僕は一人、異性としてゆったりくつろいでいるわけです。
「んむー……」
なお卓球については、やっぱりあのまま僕らの勝利に終わった。当たり前といえば当たり前の結果。なぜなら、僕らは何かを覆す一発逆転の特殊能力なんて持っていないのだから。優位な方がそのまま押し切る。あまりに普通のことだ。
そしてこちらは当たり前かどうかは分からないが、なし崩し的に罰ゲームを行うことにもなった。花鶏はるいに、僕はこよりに一つだけ命令できるっていうもの。命令対象が逆ではないのは、僕のこの試合最大の功績だと思う。
ちなみに花鶏が何をするかは知らないが僕はもう一応命令しておいた。内容は「今度遊びに行く場所を決めておいて」。溜まり場ばっかりじゃつまらないし、一度はみんなで娯楽施設とかに行ってみるのもいいかなと思ったからだ。こよりはアテがあるようだったので近いうちにお誘いがあることだろう。
「んっ」
垂れた汗で火照りを感じる。
暖まりつつある身体、思考を止めてぐぐっと伸び。思わず欠伸も漏れて、気を抜くと眠ってしまいそうなくらい。
「ふあっ……」
そうして力を入れた体勢から一気に弛緩。背中を浴槽の端に預けつつ、へりの部分に頭を乗せてのんびりまったり。チョー気持ちいい、と思わず流行語を吐いてしまいたくなる気分。
そのままくたーっとだらけきって、視線はどこに向けるでもなく。
「……」
改めてお風呂をぼけっと眺めていると、思い出すのはやっぱりあのアザを見せ合ったときのこと。
あのときも始めはこうして一人でお風呂に浸かっていた。丁度考え事をしているときで、思い返せば花鶏が乱入してくるのは明白だったろうにと、自らを笑いたくもなってしまう。
「でも、何の考え事をしていたんだっけ――?」
顎に指当て「んー」と唸ってみる。
確か茜子と伊代を説得という名目で買い物に――いや逆だ、買い物という名目で連れ出して説得しようとした後のことだったはず。
「あー」
それでようやく思い出す。
僕はあのとき、自らの選択に困惑していたのだ。
『――ここになら、あるんだろうか……』
なぜあんなことを思ってしまったのかは未だにさっぱり分からない。
でもあれが堅い決断であれ甘さであれ、その結果が今の僕に繋がっていることは疑いようのない事実だろう。あそこで表面だけでなく、内面まであんな考えを抱いてしまっていたからこそ――つまり単なるなし崩し的でなかったからこそ――僕はこうしてここに居ることができている。それはきっと間違いない。
「うん、だからまあ」
言葉にすれば「結果オーライ」なんて陳腐なものになってしまうとしても、それでもあれはあれで良かったのだとむしろ感謝してしまえるくらい。
この動的な世界で、僕を、僕らをここまで導いてくれてありがとう、って。
もっとも、自分の弱さに「ありがとう」だなんて変な話だと自分でも思うけど。
「はー……」
溜息の如く肺から漏れ出る熱い息。
考えに耽っているうち、身体はもう随分と熱くなってしまったみたいだった。
「そろそろ出ようかな」
ざぶざぶと浴槽から上がる。
待っていましたとばかりに、襲ってくるのはちょっとした立ちくらみ。思っていたより長い間入っていたのだと身をもって実感。
そのまま湯気まみれの中、脱衣所へとぺたぺたと歩いていき。
「……」
引越し前、すなわち僕たちが入れる最後のこのお風呂。
もう一度この広い、男である僕以外は誰もいない浴槽を見渡して、僕は誰に隠れるでもなく浴室を後にしたのだった。
back / next
++++++++++