08-Anchor

[da capo U eXceptional eXistence]
「……あれ?」

 見えているのは、見慣れた自室の天井。
 聞こえてきたのが間の抜けた自分の声だと気付くまで数秒。
 起きたのだと気付いたのは、更に数秒後だった。

「あ……わたし、そっか」

 ふらつく頭を抑えつつ鳴らなかった目覚まし時計を見ると、時刻は午前六時四十五分。
 低血圧なわたしにとっては、驚異的な早起きと言えた。それが少しだけ恨めしい。

 なぜかと言えば、今の今まで、わたしは久しぶりに夢を見ていた。
 体育会か、文化祭か。ともかく、大人数で何かを成し遂げた夢。みんなで協力して、何かを掴んだ夢。

「……はれ?」

 枕元にいつも置いてあるメモ帳を手に取り、その内容を書き留めようと思ったときに気がついた。
 夢を見ていたことは覚えているのに、その内容が一瞬のうちに綺麗サッパリと消失していたのだ。思い出そうにも、まるでざるで水を掬うよう。
 珍しい。体質上、わたしは夢をわりと覚えている方なのに。

 ……でもまあ、良い夢なのだから良しとしよう。
 悪い夢を忘れてしまったら、普通の人にとってはそれは幸福なことかもしれないけれど、わたしにとってはそれこそ不幸だ。今回はその逆なのだから、まあ構わないといえば構わない。

 それがここ最近の、強烈とまで言える喪失感を埋めてくれているのなら尚更だ。


       ○  ○  ○


 早起きしたせいか、それともここ最近の悩みが一時的に解消しているせいかは知らないけれど、なんだか今日はとても眠かった。
 午後の授業などはお坊さんもかくやという精神修行がごとしで、英語も古文も子守歌に見えてしまったくらい。それでも結局眠らなかったのだから、これについては自分で自分を褒めたかった。
 前の方の席に座っている天枷さんなどは、世界一周をする勢いで舟を漕いでいたけれど。

 その天枷さんに水越先生からの伝言――”話がある”とのこと――を伝えられたのは、わたしが掃除当番を終えたときだった。
 また委員会の仕事かと少しだけかったるく思っていると、天枷さんはそうではないと言う。けど、では何の用件かと尋ねても明快な答えは返ってはこなかった。
 何事も断言する天枷さんにしては珍しい。しかも知っているのに言わないような雰囲気だった。気にはなったものの、別段特別知りたいわけでもなかったので、困っている同級生への追及はそこまでにした。

 そして、わたしは適当に荷物をまとめ、保健室へと赴いた。
 こんこん、とドアを二回ノック。保健室はわりと肌を晒す機会が多い部屋なので、おいそれと開けるわけにはいかないのだ。

「水越先生。朝倉由夢です。天枷さんに言われて来たんですけど」

「ああ、開いてるわよ」

「失礼します」

 了承の返事を受け取り、中へ。
 水越先生はわたしを迎えるようにこちらを向いていて、他には誰も居なかった。天枷さんも居ない。

 先生の顔はいつもの澄ました表情を象ってはいたものの、それにわたしはどこか違和を感じた。
 断言はできない。が、この用事がただごとではなさそうだとの予想はついた。

「今日はこれから時間ある?」

「へ? ええ、まあ、特に用事はありませんので」

「そう。良かったわ」

 長い話になる、とでも言うのだろうか。
 わたしがいつも通りベッドに腰を降ろそうとすると、先生の手が待ったをかけた。
 思わず腰を浮かせて、中腰の体勢で止まってしまう。

「あの……水越先生?」

「いい? これから先の話はオフレコ、特にあなたのお姉さんには絶対に言わないで。
 いいわね?」

「お姉ちゃんに、ですか?
 はあ、構いませんけど」

 お姉ちゃんに言ってはいけない話って、何の話だろう。
 そんなことを思っていると。

「――魔法使いの協力が必要なの。
 朝倉由夢さん。魔法使いの家系に生まれ、桜を枯らせることのできた魔法使いを姉に持ち、みんなと同じように喪失感を抱いている、あなたの力が」

 もはや冗談かと疑う余地すらないほどに真剣な表情で、水越先生はそう言った。


       ○  ○  ○


 話を聞くことを承諾したわたしは、水越先生に連れられて天枷研究所へ。
 その道中、水越先生の専属だというμの運転する車の中で、わたしは先生に事情を説明された。

 内容はやはり途方もなく非現実的で。
 だからこそ、先生はわたしが魔法使いであると確信していると悟った。
 だってそうだろう。わたしが魔法使いでなければ、そんなことを真面目な表情で語る先生に、ある種の軽蔑の眼差しを向けるに違いない。そしてそれが分からない水越先生ではないのだから。

「でも、どうしてわたしが魔法使いだって? しかもどうしてお姉ちゃんではなく?」

 先生の研究室についてから、わたしは疑問を口にした。
 先生は自分の椅子に座り、その横では先ほどのμ――イベールさん、と紹介された――がまっすぐに立っている。わたしはわたしで、おそらく助手用であろうキャスター付の椅子に座らされていた。

「桜に聞いたのよ。あの桜、意志があるみたいだから」

「桜に……?」

「ええ。受信専用とはいえ、テレパシーを使える子が居てね。彼女に頼んだわけ。
 桜は応えたわ。桜へのアクセスには、桜を植えた魔法使いと血縁関係にある魔法使いが必要だとね。更に誰が植えたかや、誰が枯らしたのかまではっきりと」

「桜に意識が?
 あ、いえ、その前に、テレパシーを使える? お姉ちゃん以外にも魔法使いが居るんですか?」

「いいえ、彼女は魔法使いじゃないわ。そうね、魔法使いにお零れをもらったって感じかな。
 『人の心が読めたなら』。その少女の願いが桜によって叶えられた結果よ。桜がバグる前だったらしいから、よほど純粋で強い願いだったんでしょうね」

 驚いた。桜はむやみやたらに人々の願いを叶えるまで、そうしたこともしていたとは。
 願いを叶える、という噂は事実だったということだ。その少女ら自身がそれを自覚していたかどうかは分からないが。

 水越先生によると、彼女たちの能力とわたしの能力の違いは、桜への依存度だという。
 彼女たちは桜によって叶えられた願いの結果であり、この二、三ヶ月の間能力が使えなくなっていたらしい。
 もちろんわたしの未来視はその間も何度かあったし、そしてそれこそがわたしが魔法使いである証左なのだと先生は言った。

「じゃあ、お姉ちゃんに言わない理由は何ですか? わたしよりお姉ちゃんの方が、その、適性というかそんなようなのが高い気がするんですけど。
 しかも魔法使いだとお母さんに言われたのはお姉ちゃんで、わたしはそれをたまたま耳にしていただけですよ」

「彼女は桜を枯らした張本人でしょう? だからこの事態の真相と原因を知っている可能性が高い。
 でもさっき言ったように、私たちはそれを知ってはいけないの。あくまで自分が何を為すべきか知らないまま、何かを為さねばならない。
 それをこなすのに朝倉音姫という駒は、不必要どころか障害でしかないのよ。私たちの狙いが彼女を経由して桜に漏れる可能性が高すぎる」

 言って、先生は窓の外に視線を逸らす。

 駒、という表現にわたしは先生の本気さを感じ取った。
 目的達成のために、人を人と思わぬ軍師。それが結果的に各々の利になることを知るからこそ、彼らは冷徹になれるのだ。

「私たちは常に桜による記憶改鋳を受けていると思いなさい。
 この会話だって、イベールが居なければ聞いたそばから忘れていたはずだから」

「どういうことですか?」

「彼女にはちょっとした仕掛けを施していてね。私がこの事態の解決法を誰かと会話するとき、必ず彼女を同伴してるの。
 イベールに記録された情報は、記憶改鋳の影響を絶対に受けない」

「それは、その……」

「いえ、関係ないわ。天枷だって忘れていたのだから、ロボットであることは大きな要素ではない」

 言い淀んだわたしの意図を即座に察知して、先生は言葉をかぶせた。
 薄々分かってはいたものの、やはり天枷さんもロボットだったらしい。それを明言せずにわたしに告げたのは、言うまでも無いことなのか、それとも意図した表現方法なのか。
 わざわざ聞くのは野暮だろう。先生は続けた。

「仕掛けっていうのはね、イベールの記憶領域でエラーが起こった場合、あるシステムを作動させるようにしたことよ。
 ――それは桜公園の”あの”桜の周りに配置された、物理的な発火装置。イベールが記憶改鋳を受けた瞬間、桜もろともボンッよ」

 掌をぱっと開かせてジェスチャーする先生。
 その表情はマッドな笑みでも沈痛な面持ちでもなく、淡々と事実を述べる研究者の顔だった。

 ――自己矛盾。それが水越先生の考えた、桜の記憶改鋳を回避する手段。
 先生が言うには、”改鋳”という行為が残す唯一にして絶対に不変の結果は、”改鋳した”という事実のみ。改鋳することは改鋳するという行動を示しており、それを消すには更にそれ事態を改鋳せねばならない。
 ゆえに、どこまでいっても確実にその”改鋳した”という事実だけは頑として存在する。その不変にして確実な結果をトリガーとして、桜を自己矛盾に追いやればいい、とのこと。

 最後の懸念は桜に自己保存の欲求があるかどうかだったらしいのだが、それについてはゲノム解析で答えを得たという。
 あの桜は、他の桜と交配できないような仕組みを持っているらしい。それは種の保存と自己保存が同じであるということで、桜が咲く以上、そこにはそれが存在するとの結論に至ったと。その理由は自家不和合性の克服だとか、だからいくら咲き乱れても雑種にならないだとか、作った人が神のような配列を組んだとか、そんなことを水越先生は言っていた。
 わたしにはもちろんよく分からない。遺伝子工学の専門家の話を、理科のテストで多少良い点数を取るくらいのわたしが理解できるはずもないのだし。

「原理を知る必要はないわ。
 メールの仕組みを知らなくてもメールのやりとりはできるように、結果だけを押さえればいいの」

「えっと……はい。言いたいことは何となく」

「よし、じゃあついてきて」

 先生は立ち上がると、促すようにして研究室から出た。わたしとイベールさんもその後に続く。

「……」

 成り行き上並んで歩くことになった、イベールさんの姿を横目に見る。
 いわゆるスタンダード調整のプレーンなμ。街で見かけるのもこのタイプがほとんどで、そういった意味では見慣れているとも言える。
 濃紺の瞳は何を考えているか分からないが、それでも街中のμよりも人間らしいと見えるのは錯覚だろうか。水越先生の専属というくらいだから、特殊なチューンを受けたかあるいは独特の機構を持っているのかもしれない。

「……何か?」

「あ、いえ……」

 水越先生は階段を降り、廊下を中央口側へ。わたしたちがついていっていることを確認することもなく、すたすたと歩いていく。
 一度角を曲がり、場所的には中庭の端っこあたりだろうか、ドアの開いていた部屋へと吸い込まれていった。
 イベールさんが先行して入っていき、引き込まれるようにわたしもその中へ。

 長方形の狭い部屋。そこには。
 久しく見なかった、花をめいっぱいに咲かせる大きな桜の木と。

「こんにちは、由夢ちゃん」

 白河さんと。

「へえ、あなたが……」

 雪村先輩と。

「よろしくお願いします」

 つい先日三年生のクラスに転入してきたという、芳乃さんが居た。


       ○  ○  ○


「さて、今から行うことについて説明するわよ。
 まず――」

 そうして、水越先生はわたしたちがすべきことについて話し出した。

 今日は各々の能力を確認することと、理論の実効性の検討、そして”喪失感”の正体確認をするという。
 いわば前哨戦であり、本番は今日の結果を見て、明日再度集合とのこと。

 その場で公表された能力は、白河さんが”他人の心を読む”、雪村先輩が”覚えたことは忘れない”、そしてわたしは”桜にアクセスできる”。未来視について言わなかったのは、その必要がなかったからだろう。
 白河さんは「人の心を読めるくらいに気遣い上手」と言われていたし、雪村先輩も「雪村流暗記術」なんて言われていたけれど、どっちも魔法レベルでの芸当だとは流石に思いもよらなかった。
 最後に芳乃さんは”喪失感の原因とのアクセス”とのこと。やはりこの時期の転校は訳ありだったらしい。

 やることは至極単純。
 わたしが桜にアクセス、芳乃さんがその原因とやらにアクセスし、それぞれの精神状況を白河さんが読み取る。
 その白河さんの無意識で起こる身体変化――驚きで汗をかく、というようなこと――をイベールさんが精密に読み取る。それがわたしと芳乃さんの能力と、原因存在の証拠となる。
 雪村先輩はこの実験そのものが忘却の渦に飲まれないようにその全てを刻むことになっている。先輩の能力は桜から与えられたものであり、その記憶改鋳は桜にとって自己否定に等しい。ゆえに現実に存在するものの範囲では、件の発火装置と類似の要求を満たすことができるという。

 四つの超論理的な駒と、それらを組み合わせるあまりに科学的で論理的なプロセス。
 これが確実に噛み合わせられるのであれば、本番にも一筋の光明が見えてくると水越先生は言った。なればこその前哨戦だ。

「じゃあまず、白河さん。イベールと右手を繋いだ後、左手でHM……じゃなかった、芳乃さんと手を繋いで。
 あなたの能力が天枷にも通じたという話が本当なら、おそらくあなたはその喪失感の原因と直接対峙することになる。
 正気を保つこと。思い出しても名前を叫ばないこと。深く考えないこと。イベールが確認次第すぐ手を離すこと。いいわね?」

「……はい。大丈夫です。
 えっと、イベールさん」

「はい」

 二人の手がしっかりと結ばれた。
 心なしか、白河先輩の表情は既に緊張しているように見える。

「白河さん、落ち着いて。脈拍が安定しないと、心情変化を把握できないわ。
 深呼吸でもしなさい。ここは土と草があるから、それをするにはもってこいの場所よ」

「あ、すみません。
 すぅ……はぁ……、すぅ……はぁ……」

「――把握データ、全て正常範囲内に収まりました。
 センサー良好、異常なし。白河さん、いつでもどうぞ」

「あ……うん。了解。
 じゃ、いくよ。いいかな、芳乃さん?」

「どうぞ」

 白河さんが言うと、芳乃さんは左手を差し出した。
 応じるようにして白河さんも腕を上げ、その手を握る。

「……」

 白河さんは目を閉じて、まるで深い思考の海に没入する思想家のように停止した。
 わたしも雪村先輩も、その光景をぼうと眺める。

「……イベール、変化は?」

「波はありますが想定圏内です。特に反応は……――痛っ!」

「イベールッ?」

 イベールさんが苦悶の表情を浮かべる。
 痛い、とはどういうことなのか。人工知能に強烈な負荷がかかったのだろうか。

 しかし、違った。それは物理的な痛み。
 ぎちぎちと奇怪な音の鳴るその原因。白河さんが思いっきり手を握りしめ、爪を立てていたからゆえの痛みだった。

「嘘、嘘嘘嘘嘘嘘、なんで? 何コレ? どうして?
 だって、だってだって、そんな、わたしが忘れるはずない。そうだよ、わたし、忘れた、イヤ、当たり前じゃない、空虚になるに決まってる!
 なんで、なんでなんでなんで、」

 白河さんは芳乃さんの肩口を狂ったように凝視し、そしてその長い髪を振り乱しながら頭を左右に振った。
 まるで何かを受け入れることを拒絶しているみたいに。

「まずいわ、HM−X!」

「はい!」

「どうしてなの、よし――」

 どすん、と強い音が響いたと同時に、白河さんの言葉が止まった。
 見ると、芳乃さんが全身から力の抜けている白河さんを受け止めている。彼女が何かしたのだろうか?

「延髄を叩いたのよ。見事な打ち方だったわ。衝撃は限定的かつ、揺らすことを主眼とした」

 良いながら、雪村先輩は自らの首筋をとんとんと叩く。
 まあ、つまりはそういうことらしい。

「……けど、彼女があれだけ取り乱すとはね。分からなくもないけど」

「雪村先輩は知っているんですか?」

「いいえ。でも、この喪失感から考えて尋常でないショックを受けるであろうことは間違いないわ。
 その予想がつく、というだけよ」

「……」

 水越先生の指示で、イベールさんが白河さんを受け取り、持ち上げるようにしてこの桜の部屋から退室していった。
 実験の核となる白河さんが退場したことで、前哨戦はこれで終わり。わたしの方の能力は確実性が高いとのことで、ぶっつけ本番となる運びとなった。

 その後。水越先生は焦りを隠しきれないという表情のまま、再びわたしたちに説明を開始していた。
 つまり、これからのことを。

「……問題は白河さんが”彼”を認識したことよ。
 おそらく桜は速やかに証拠隠滅を図りにくる。それがどのような手段であれ、想定外の事態になるのは間違いない。
 その前に実験の本番を実行するわ。本来なら明日の朝一からやる予定だったけれど、それでは間に合わない。
 そうね……今日夜十時に再びこの部屋に集合。異論は認めないわ。いいわね?」

「ま、当然そうなるでしょうね」

 水越先生の言葉に対し、雪村先輩がそう呟いた。

 現在時刻は午後六時半。一度帰宅しても構わない時間ではあるものの、わたしはこのままこの研究所で時間を潰すことにした。
 だってそうだろう。これだけのことをやって、喋るなと言われた人相手に全く喋らずに済むとは思えない。事情を話さずに再び家を出るのも難題だ。
 家には電話だけして、ここの食堂で夕飯をとれば済む。

「雪村先輩はどうするんですか?」

「私もここに残るわ。今日本番となると、今から電話して呼び出さなくちゃいけない相手も多いの」

「電話? わたしたち以外にも人が必要なんですか?」

「ええ。私たちは確かに理論の根幹をなすキーではあるけれど、それ以外にも必要な人は居る。
 由夢さんも知っている人よ。どうせすぐ来るでしょ。
 ……そうね、時間もあることだし、一緒に夕食どうかしら? これから呼ぶ人たちも一緒に」

「あ、はい、喜んで」

 丁度良かった。
 あまりに事態が急に進みすぎて、頭を一度落ち着かせたいと思っていたのだ。みんなと一緒に夕飯を食べながら、少し冷静になるとしよう。

 携帯でイベールさんと連絡を取り合っている水越先生を残して、わたしと雪村先輩は食堂へと向かった。

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Short Story -D.C.U
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