09-eXceptional eXistence

[da capo U eXceptional eXistence]
 三月三十一日、午後九時五十五分。
 人工培養によって作られた桜があるこの狭い長方形の部屋に、彼らは集まっていた。

 水越舞佳、朝倉由夢、雪村杏、白河ななか、天枷美夏、月島小恋、HM−X、の七人。
 天枷と小恋はつい先ほど研究所に来たばかりだ。既に帰宅していたためこの二人は私服であり、他の四人はそれぞれの制服を着ている。

「さて、じゃあ始めるわ。
 さっきイベールと試したんだけれど、白河さんが”彼”を見たことで、桜からの介入はかなりのレベルに達してきている。
 雪村さん以外は、この部屋から出た途端、自分が何をしていたか忘れてしまうと思ってくれて構わない。だから、決着は桜の影響範囲内で行うわ」

 それは、桜による自己矛盾が確実に起こる範囲で、という意味だ。
 つまりこの部屋か、あるいはあの桜の木の真下でしか、本番は行えないということ。

 時計の長針が真上を指す。二十二時ジャスト。軽い地震のようなものが起きたものの、それを気遣う者は居なかった。
 もちろん話し手もそんな些細なことに気を払う余裕はなく、一度六人を見回し、更に話を続ける。

「作戦を体系立てて知っているのは雪村さんだけよ。私は”各自雪村さんに指示を仰げ”という指示のみを受け持ってるの。
 同様に、各人順番と単純なSVCからなる指示を個別に出されるはずよ。その指示が意図することを知ることなく、ただその行為を実行してちょうだい。
 もちろん、他人に漏らすことも厳禁。それが”非意図的に事態を解決させる”ことに繋がるわ」

 それが彼女の切ったカード。
 生物の目が形成される過程と同じ、誘導の連鎖と自己組織化をモチーフにした仕掛け。誰も意図せず結果的に某かの秩序が形成される、個々人の記憶改鋳という反則技を持つ桜に対する唯一の対抗手段。
 更に各々が魔法クラスの超常現象を扱うとなれば、もはやいかなる悪魔にも予測はつくまい。

 彼女の最初の指示の後、六人が順々に杏の元へ歩み出で、ぼそぼそと耳打ちされていった。
 言われたのは、”誰の後に何をするか”。そのときどんな状況になっているのかだとか、全体から見て何番目なのかだとか、その行動の狙いだとか、そんなものは一切指示されない。

 各自に指示が行き渡ると、杏が一度HM−Xを見た後、告げた。

「では、最初の人が行動を起こすまで待機していて。条件は私とその本人だけが知っているわ。
 ……賽は投げられた。その賽が、神が決して投げないとされた賽なのかは分からない。
 それでも、現実世界に”もう一度”はない。この世にダ・カーポは存在しない。量子力学も未来視も過去は変えられない。あるのは唯一、前進だけ。
 カオスの中からただ一つの過程を選び出す。造り出す。失敗は許されないの。――行くわよ」

 杏が言い終えると同時、”この部屋が”揺れ、止まった。


       ○  ○  ○


 そう。二度目のそれは、それが地震でないことを示していた。
 狭い長方形。日光の入らぬ、照明のみが照らす強い逆光。中庭の端という所在の不自然さ。集合時間が設定されていたこと。そして、イベールというカギが欠けていたこと。

 ”運転手”だったイベールが、外界との唯一の連絡口となっている扉を開けて、入ってきた。

「到着しました、博士。時間変更の件以外は全て予定通りです」

 その扉の向こう。開かれた外界、本物のあの桜の木が見えていた。

 間違いなく、ここは桜公園。彼らはここに運ばれたのだ。
 狭く、照明の強い、長方形の荷台を持つ、大型のトラックによって。

「やるわね……流石は過去の私」

 博士と呼ばれた女性がボヤく。
 おそらく本人も忘れていたのだろう。意図しないとはそういうことだ。現時点でそういった意図を持てるのは、雪村杏とイベールのみなのだから。
 ……いや、彼女たちも各々の行動の意味を理解していないとすれば、意図できている人間はいないということになる。

「到着後、というのはこういうことか……。
 ではみんな、美夏に続いて桜のところまで来てくれ。所定の立ち位置へ誘導するよう指示されている」

 天枷がそう言い、トラックの荷台から降りた。
 杏が頷き、それを確認してみんなぞろぞろと降りていく。桜の木は目の前にあった。

「来たか? では言うぞ。
 まず由夢はここ。白河がここで月島がここ、博士があっちで……」

 おおよそ桜を囲むように半円形に配置されていく。
 由夢が桜のすぐ近くで、ななかがその隣に居るのは分かる。が、天枷と小恋までそのすぐ近くに居るのは何を意図しているのか。
 HM−Xは桜の逆側、誰からも見えない死角に位置取り、あとの三人は場を広く見通せる場所に立っている。

「美夏への指示は終わったぞ」

 暗い中、天枷の甲高い声が響く。
 その宣言の後、由夢は桜に手を置き、ななかは目を閉じた。どちらも天枷の後との指示だったのだろう。

 由夢の桜へのアクセスが始まる。その姿は随分と落ち着いているようにも見えた。

「えっと……月島、行きます」

 どちらの後かは知らないが、小恋がそう言ってななかの手と由夢の手を取った。
 その二つをぐいっと引き寄せ、繋げる。

 これについてはやや難しいが、非意図的という観点から見れば解釈は可能だ。
 ななかは"彼”と呼ばれる者の姿を見たため、桜に強烈なまでの監視を受けている。ゆえに、他の人間よりもさらに何かを意図することができない。
 だから誰と手を繋ぐかも知ってはならない。ゆえに由夢と、そしてカモフラージュの天枷が近くに居る状態で、目を閉じ、何も知らない――おそらく読心術のことも知るまい――小恋が二人の手を繋げたのだ。

 そしてイベールがななかの隣まで歩んでいき、空いている方の手を握る。
 イベールの後はHM−X。由夢と反対側で桜に手をつき、同じように桜へとアクセスした――。


       ○  ○  ○


 桜の中は地獄だった。
 先行した由夢、その心に接続したななか、別ルートで入ってきたHM−X。誰もがその光景を嫌悪し、由夢とななかに至っては抑えきれずに吐いていた。

 果てのない空間、見える色は漆黒と血色。斑を打つ黒点はバグによって空いた穴のようでもあり、飛び散る鮮血のようですらある。
 左右の果てもなければ、上下の果てもない。戻した吐瀉物は延々と落下していく。見える地の底は暗黒。ぎぃぎぃと鳴る、魑魅魍魎の山。

「……ひどいですね、これは」

 浮いているような状態の中、HM−Xが見たままを告げる。残る二人は頷くだけで精一杯だった。

 願いを叶える桜。初音島に住む住人たちの願いという願いに繋がるこの空間が集めてきたのは、あらゆる欲の具象物。
 あまりに醜くあまりに汚い低俗で暴力的な願望が、魑魅魍魎となって桜を腐らせていた。

「雪村さんからの指示は?」

「わたしにはありません」

「わたしもです」

「そうですか……。ここから先は私の判断次第、ということですね」

 HM−Xが地の底を見つめて告げる。
 それはそうだ。HM−Xの正体も、桜の中がどうなっているのかも、HM−X以外は誰も知らない。あの軍師はHM−Xを桜の中にアクセスさせるところまでは思いついたようだが、そこから先は最初から任せるつもりだったのだろう。

「桜を枯らせればいいんですか?」

「いえ、魔法の力で咲いていた三ヶ月前ならともかく、今は生理学的な理由で咲いています。枯らすのは無理でしょう。
 ”彼”――いえ、もう隠す必要もないですね。桜内義之さんが言うには、彼の身体がここに残されているとのこと。それを探し出せば、あるいは」

「桜内――義之? 兄さん? うそ、兄さんっ!?
 そんな、どうしてわたし、今まで――」

「由夢ちゃん、落ち着いて!」

 同じショックを数時間前に体験したななかが、由夢の身体を押さえる。
 魔法使いの力ゆえか、記憶が戻るのが速かった由夢はなんとか立ち直った。
 おそらく僅かながら覚えていたのだろう。桜といえど、魔法使いの記憶を完全改鋳はできなかったように見える。

「もう少し中央部へ行ってみましょう。
 ここは最外周ですから。桜の根幹まで行けば、何か分かるかも知れません」

 判断材料を持たないななかと由夢は、HM−Xの言葉に頷いた。


       ○  ○  ○


 中央部。漆黒に包まれている地の底に、HM−Xは不自然に空いた空間を見つけた。
 淡く縁取られたその場所。他の愚者に気取られないようにしながらゆっくりと近づく。

「これ……なんだろうね? バリアー?」

「……似てます。兄さんが和菓子を出したときに感じる、なんとなく幸せになるような感覚に」

「私たちは通れるようです。行きましょう」

 難なくそこを通過し、その縁取りの中心部へ。
 そこにはやはり、HM−Xが予想した通りのものがあった。

「焦げた……桜の木?」

「由夢ちゃん、こっち!」

「はい? ――兄さんっ!?」

 まるで火災にでもあったかのように焼けこげた桜の木の根元に、桜内義之は死んだようにして横たわっていた。
 由夢にとってもななかにとっても見慣れていたであろうその人物。服装もいつものままで、体格も何もかも全てが変わっていなかった。

 驚きと喜びと困惑であたふたする二人を尻目に、HM−Xが墨のように焦げ付いた桜を見上げる。
 桜内義之の身体と、残り二人からは死角になる、僅かに残る花びらの影。

 短く刈られた金髪をした、小さな魔法使いがそこに居た。

『キミがここに来たと言うことは、義之くんは助かる……。
 そう解釈していいんだね?』

『はい。水越博士が尽力して下さいました』

『あー、やっぱり舞佳ちゃんか。
 キミたちもそうだけど、ボクはほんと、良い生徒たちに恵まれたよ。申し訳ないほどにね』

 一度懐かしむように遠くを見て、その魔法使いは立ち上がった。

『ボクはもう、行かないと。とうにこの世に居ていい身分じゃないんだから』

『あなたも外に来れば、あるいは――』

『ううん、いいんだ。ボクはこの島に住む資格がもうないんだって、ボク自身が一番よく分かってるから。
 ……義之くんが助かるなら、もう思い残すことはない。この桜にかけられた魔法を”殺す”ことが、ボクの最後の務めであり、お兄ちゃんたちへの償いだから』

 魔法使いが目を閉じる。
 直後、地面が放射状に割れ始めた。激しく揺れ、地鳴りもひどい。火山の噴火口近くに居るかのような感覚。

「わ、わ、わ、何!? どうしたの!?」

「芳乃さん! これは……!?」

 ひび割れていく世界。崩落していく夢のシステム。
 ある魔法使いが掲げた、叶うはずのない理想。それが、あらゆる醜い願望たちと共に瓦解していく。
 それはあたかも、理想と願望と欲望に区別はないと言っているかのようで。

「さくらさん、あなたは――」

 金髪の少女は悲しげに、しかしどこか誇らしげにふっと笑い、その姿を闇の奥へと眩ませていった。


       ○  ○  ○


「由夢ちゃん! 早く!」

「ちょ、ちょっと待っ……あーもうっ!」

「下がって!」

 由夢の足に絡みついたそれを、HM−Xが回し蹴りで振り払った。
 その隙に由夢が一気に距離を取る。

「芳乃さん、何なんですかコレぇー!?」

「叶わぬと知った願い自身が、実在を求めて彷徨っているんでしょう。
 他力本願もここまで来ると醜聞を通り越して、呆然としますが……」

 崩壊の始まった桜の中は、狂ったような騒ぎだった。
 比喩そのままに、ソレらにとっては世界崩壊の前日と同じこと。自己の生に執着する生き物が如く、その欲望の具象物たちは縦横無尽に暴れ回っていた。

 作り手によって破壊宣告を受けた桜の死は、思った以上に速い。
 血管のようにひび割れている世界は、指先一つで粉微塵に吹き飛んでいく。

「由夢さん、絶対に”彼”は落とさないようにしてください。
 カレらの狙いは魔法使いであるあなたと桜内義之さんです。喰われれば最後、解体され尽くした挙句に桜と同化させられ、この桜は復活してしまう可能性が高い」

 言いつつ、HM−Xが追走してくる魑魅魍魎を次々にはたき落としていく。

「キリがない……!」

「あうう……」

 数のケタが四つか五つ違う。
 それでもななかが手伝えないのは、彼女が人間だからだ。ロボットであるHM−Xであればこそ人の妄念を概念上とはいえ素手で叩けるが、人間である――まして人の心を覗ける――ななかでは、触れた瞬間精神崩壊するのがオチだ。

「――芳乃さん、前にまで!」

「……っ」

 振り向くと、出口の方向までも黒々とした幽霊のようなソレらに埋め尽くされていた。
 ぎぃぎぃと嘶く、人間の負の感情。それが人の嫌悪すべきカタチを為しているのは、やはり自らも人であるせいか。

 足を止めた隙に、爆発的に集まってくるソレ。
 千八十度を埋め尽くす包囲。虎視眈々と隙を狙う、百八では到底足りない欲望の渦。

「……」

 後退していった背中が、他二人のそれに当たった。
 視界は暗黒。もはや退路はない。

 ぎぃぎぃ。ぎぃぎぃ。黒が嗤う。

「願いを叶えるというシステムの功罪は、大きかったようですね」

「……わたしたちは魔法使いだから、多分この罪を受ける責務があると思うんです。
 だからせめて、芳乃さんと白河さんだけでも!」

「ううん、わたしだって今まで安穏と来れたのは、わたしがコイツらと同じだったからだよ。
 わたしにとってこれは、自業自得なんだと思う」

 もはや是非もない。
 HM−Xの知る限り、桜の再生という最悪の結果を招かぬ為にはその方法しか有り得ない。

 ――自決。

 その選択は、いつか初音島を救うために、自らの消滅を願った誰かの決意。
 自らが障害となるくらいなら、おのが肉体もろとも消し飛ばせという非情な決断。

「……っ!」

 ななかの身体が震える。触れている背中からHM−Xの思考を読み取ったのだろう。
 もはやふるえの止まらぬ手で自らの髪留めを触った。

 由夢は既に分かっていた。助けられぬのなら死ぬしかない。
 それは自らの祖父が通った道だ。それを無駄死ににするくらいなら、おのが両手で死を選ぶ。

 二人の決意を受け取り、HM−Xが手袋をはめ直した。

 ――その瞬間。
 降り注いだのは、稲妻が如き五月雨。

「……え?」

 純白の粒が弾丸のように駆け抜ける。
 その数幾億。視界は白に埋め尽くされ、漆黒はその身を悉く散らせていった。

 機関銃。吹雪。そうとしか形容できない膨大な数の白が、崩れた世界へ降り注いでいた。

「これは……?」

「――暖かい」

「暖かい?」

 HM−Xの疑問に、ななかが応える。

「とっても純粋で、とっても暖かい、光り輝く希望の願い。
 桜が真に叶えたいと思っていた、人を幸せにする願望たち。
 わたしには、それが分かるから」

 身体を貫くそれは、あの黒いのしか散らさない。
 まるでななかや由夢たちを味方だと認識し、それを助けるのが使命のように。

「純粋な願い、ですか。
 願いの貴賤を決めるのは、神の所業だと思ってましたが」

「ここは桜の中だから、決めてるのは多分桜です。
 それでもわたしたちには白く見えて、事実わたしたちを害するアレを消し去ってくれている。
 ……それだけではダメ、かな?」

「博士なら言うでしょう、独善的だと。
 それでも今は――頼もしい。今のうちに出ましょう!」

 HM−Xの声に、由夢とななかが頷く。すぐさま出口へと向かった。
 白光は黒い闇を粉砕すると同時、道をも示してくれている。最短コースを通り外界との接続口へ。

「では由夢さん、ななかさん。私はあっちから出ますので」

「うん! 外で会おうね!」

「既に桜は限界です。急いでください!」

 HM−Xが手を振ると、桜内義之の身体を連れて、由夢とななかは外界へと消えていった。


       ○  ○  ○


 ――そうして。
 誰からも死角となるその場所で。
 ”俺”は、再びこの初音島に戻ってきた。

 足の裏から自らの重みを感じる。
 膝は己の上半身を支え。
 腰は椅子からいきなり立ち上がったかのように固く。
 肺に入る空気は新鮮で。
 ……眼前には、見慣れた”普通の”桜たちが見えた。

 身体を撫でる風も、湿り気を帯びた冷たい空気も、その全てが俺がここに居ることを感じさせた。

「あー、あーあー……」

 声を発生させる。
 胸と喉に振動が伝わり、自らの鼓膜も空気で揺れた。

「……」

 ぐいぐい、と身体を捻る。
 ぼきぼきと背骨が鳴った。

 ついでに上半身を前へと倒す。前屈。
 背中が伸びる感覚が気持ちいい。

 と。
 反転した世界。足の間から望むその光景に、目を真っ赤にした見慣れた人物が映った。

「よお」

 頭を下ろしたまま声をかける。
 ハの字に開かれていた眉はそのままなだらかに弧を描き。

「……ぷっ。折角の再会なのに、なんて格好してるんですか、兄さんは」

 笑った。
 そうとも。折角の再会だからこそ、涙なんてふさわしくない。

 身体を持ち上げ、反転させる。見慣れた連中が、ぞろぞろと桜の裏から姿を現してきた。
 ななか、小恋、天枷、水越先生、イベールさん、杏。どいつもこいつも辛気くさい顔をしている。

「悪い。カッコつけたくせに、帰ってきちまった」

 頭を掻く。
 水越先生が笑い、他のみんなも笑った。そう、それでいい。

 由夢の横を通って、水越先生が近づいてくる。

「まずはお帰り、桜内くん」

「はい。お世話になりました」

 本当に。感謝してもしたりない。

「その様子だと、HM−Xは……」

「ええ。あいつは自分の正体を理解してましたよ。
 いわば似たもの同士ですから、あいつと俺は」

「そうね。あなたがこうして戻って来れたように、いつの日かあの子も戻ってくるかもしれないし、ね。
 とりあえず、今日はもう遅いわ。会いたい人が居るでしょうけど、今日のところはウチの研究所に泊まって行きなさい。
 今なら無料身体検査キャンペーン中よ」

「ええ、すみません。厄介になります」

「散々厄介になっておいて、急にしおらしくなられてもねえ」

「勘弁してくださいよ……」

「あはは、冗談よ。
 それじゃ、行きましょうか」

 水越先生が意味深に笑って、トラックへと戻っていく。
 それにみんなも続いた。……ただ一人を除いて。

「……ほら、いつまでもそんな顔してるんじゃない。
 ついさっきまで笑ってたじゃないか」

 水越先生と話している間に、急にぐずり始めた可愛い妹君に、俺は声をかけた。
 ぽんぽんと頭を軽く撫でてやる。

「ぐすっ……だって……えぐっ……」

「ほら、来いよ。今だけだからな?」

「――兄さんの、ばかあっ!」

 猛烈な罵倒と共に胸に飛び込んできたその小さな身体を、正面から受け止めた。
 その身体はとても冷えていて、髪の毛はしっとりと濡れている。
 懐かしさを感じるお団子頭をゆっくりと梳いてやった。

 本当に、苦労をかけてしまったと思う。由夢にも、他のみんなにも。
 多少のお願いは聞いてやらないといけないだろう。財布大丈夫かなあ、なんてくだらないことを思ってみたりして、そしてそれすら楽しくて。

 魔法を失ってもなお魔的な魅力を放つ、大きな大きな桜の下で。
 俺は由夢が泣きやむまで、ずっとそうしていた。











       ○  ○  ○











 日が暮れなずむ時刻。まだまだ消えまいと頑張る太陽を見守りながら、俺は桜公園へ向かっていた。
 彼女がここに居ると、なんとなく分かってしまったから。きっと、まだまだ振り切れていないと容易に想像がついてしまったから。

 おおよそ予想通り、彼女は寂しげな――そう、昔のように固い表情をしたまま、公園のベンチに座り込んでいた。
 端から見ればクールな生徒会長。でも俺は、その内面が悲しみで満たされていることを知っている。その心が泣きわめいているのを知っている。

 もう少し早くくれば良かったかな、なんて思いながら、その横顔に声をかけた。
 俺が消えた日。他人のように話しかけてきた彼女に対する、ちょっとした意趣返しの意味も込めて、こんな風に。

「……ねえ、こんな所で何してるの?」

<了>

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Short Story -D.C.U
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