07-too dazzling to look, but...

[da capo U eXceptional eXistence]
 元気になったねと言われて、わたしはちょっとだけ口を噤んだ。
 最近よく言われる言葉だ。以前のように笑いかけながらその人に触れると、誰もかれも同じ感想を抱いている。

『白河さん、悩みでもあったのかな』

 ちょっと流行病にかかってて、とデタラメの言い訳をすると、すぐにその話はおしまいになる。
 それはそうだ。みんなは人の心なんて、読めないんだから。

 ……数日前から、わたしは急にかつての力が戻ってきたことに気がついた。
 人に触れただけでその人の心が読める力。わたしにとってはとってもとっても大事な力。

 きっと、桜が咲く季節になったからだと思う。理科の先生が聞いたら笑うかもしれないけれど、きっとそうなのだという確信がどこかにあった。
 桜に願ったからこの力があって、桜が散ったからこの力が無くなった。そう考えるのが一番ふつうだから。

 でもまだまだ万全じゃない。前みたいに完全に読み取れるわけじゃなくて、どことなくノイズが入ってしまう。
 それはきっと桜が完全に開花していないから。満開になれば、きっと以前のように戻れるだろう。

 でも、どうしてだろう?
 前と同じ力を取り戻せたはずなのに。何か大きな穴が、わたしの心にぽっかりと空いたままなのは。


       ○  ○  ○


「失礼します」

「はい、どうぞ?」

 返事を確認して、わたしは保健室へと足を踏み入れた。
 週二、三回は通っているこの保健室。心が読めるようになってからはお世話になるまいと思ってたのに、こうしてまた来てしまった。
 でも仕方がない。心に残る寂しさを、この力は埋めてくれなかったのだから。

「どうぞ、座って。散らかってるけど」

「あ、あはは……どうしたんですか、これ?」

「うーん、ちょっと最近忙しくてね。
 でっかい実験が大詰め迎えてるのよ」

 水越先生は書類の束をまとめながら、そんなことを言った。
 確か趣味で研究を続けているといっていたから、そのことだろう。熱心な先生だと思う。

「それで……ん? ちょっと顔つき変わったわね?」

「そう見えます? みんなにもそう言われたんですけど……」

「ええ、変わったには変わったわ。
 ただし”どうしよう”から”なんでだろう”に、だけれど。解決編には至ってないようね」

 やっぱり水越先生は凄い。みんなはこの変化を解決と捉えたけれど、先生はそうじゃなかった。
 なんでだろう、という表現はある意味正しい。わたしは心を読む力を失ったことがこの喪失感の原因だと思っていたから。だから”どうしよう”と悩んでた。
 でも、その力が戻った今も空虚な穴は埋まらない。だから”なんでだろう”。わたしはこの力以外にも、何かを失っているというのだろうか?

「コーヒー飲む? 砂糖は?」

「あ、ありがとうございます。そのままでいいです」

「へえ、意外ね」

「寝不足気味なので……」

 わたしは保健室のベッドに腰掛けて、水越先生の手からコーヒーカップを受け取った。
 その瞬間。指先が触れて。

『解明駆逐解決魔法願望組織成就観測解読遺伝子複』

 だだ漏れになる思考。

『雑系論理矛盾心理環境桜哲学実在生徒初音島物』

 ノイズが混じってなおのこと訳が分からない中。

『語接続逸話実験総合偽装発火機械録画』

『――心が読める人間』

 その言葉だけが、明確に感じ取れた。

「ちょっ、白河さん!」

「へっ?」

 声にハッとしたときには既に遅い。
 ガシャン、という大きな音。見ると、陶器の破片とその中身が床に斑を描いていた。

「ご、ごめんなさいっ!」

「あーまあ、ヤケドしなかったなら良いんだけどサ……。
 大丈夫? 寝不足というより、呆けていた感じだけど」

「あ……その……」

 どうしよう。あまりに衝撃的で、どう解釈すべきかまったく分からない。
 どうして先生がそんなことを思っているのか。そんなファンシーで、非現実的で――現実に存在する力を。

 コーヒーをカップの破片ごと雑巾で拭き取る先生の背中を見ながら、わたしは考える。
 読み取れたのは、あの”願いを叶える桜”に対して、先生が何かをしようとしているということ。そして、それに”心を読める人間”が関係しているということ。

 わたしにだって分かる。あの桜が願いを叶えるというのは、きっと本当のことだったのだと。でなければ、わたしのこの力の説明がつかない。
 わたしは桜に願って、この力を得た。桜が散って、この力を失った。至極簡単な理屈だ。

「どうする? 少し寝ていく?」

 水越先生が頭脳明晰なのは明らかだ。でも、情報量での優位はこちらにある。先生の考えがある程度とはいえ分かったのだから。
 あとは聞いてみるしかない。

「いえ、いいです。
 それより、その”でっかい実験”って何なんですか?」

 わたしがそう言うと、先生は微かに眉を動かした。
 それは自分の専門分野の話であるがゆえの優越感からか、また別の感情からかは、手を握っていない現状では分からない。

 先生は雑巾をバケツに放り込み、椅子に座りなおしてこちらを見つめた。
 どことなく、笑みを浮かべた表情で。

「面白いことに興味持つのね?
 私はあれが何かを隠してると思うのよ。人間の記憶をいじってね。だからその”何か”にかつて接していた人ほど、大きな喪失感を抱く、と。
 それを無理矢理呈示させようと思ってる。それが実験よ」

「人間の記憶をいじる……?
 桜にそんなことが可能なんですか?」

「可能かどうか、って議論はナンセンスね。それ以外の考え方が不可能ならそれが可能であると捉えるしかない。無矛盾であれば真理なんてなんだっていいんだもの。
 それより――」

 水越先生は我が意を得たり、という表情になって。

「――私、桜なんて一言も言ってないんだけど?」

 わたしの能力を、見破った。


       ○  ○  ○


「……本当に存在するとはね。驚きだわ」

 朝ご飯を当ててみせると、先生は目を瞑り深く息を吐いた。
 今まで誰にも明かさなかったこの力。それを告白することに躊躇いがなかったと言えば嘘になる。
 でも先生は、わたしが言うより先にそのことに気付いて。だからわたしは言えたのだ。

 わたしは知っている限りを話した。
 桜に願って手に入れたこと。
 桜が散って、その力も失ったこと。
 最近能力が戻ってきたこと。
 それでも喪失感は埋まらないこと。
 触れないと相手の心が読めないこと。
 そして――

「昔ほど鮮明に分からない。そうね?」

「どうして……?」

「あなたと同じような例を知っていてね。
 彼女はちょっと特殊だったけど、桜の開花に連動しているのは間違いないの。白河さんの能力はそれが顕著に表れるんでしょう」

 先生は、そこまで分かっていたらしい。

 ほんと、完敗だ。そもそも会話でこの人から何かを探ろうとしたこと自体、無理だったのだろう。
 探られていたのはわたしの方だったくらい。

「それで、わたしの力が何かの役に立つんですか?
 それとも、どうしてこんなものがあるのか知っている、とか?」

 わたしが聞くと、先生は言いづらそうにして椅子から立ち上がった。
 もう既に雪の無くなった、夕陽の差し込む窓際から外を眺める。そこには小さなつぼみを無数につけた桜たち。

「……私が何をしたいのか、今の私には分からないのよ」

「……はい?」

 思わず首を折る。
 いきなり何を言い出すのだろう。話の繋がりもないし、内容自体も意味不明。
 わたしが黙っていると、先生は話を続けた。

「あの桜には、私たちの記憶を探って、対象情報を消去する能力がある可能性が高い。
 ゆえにそれについて探ろうとすると、その人間はそれを忘れてしまう。私も何度かそういった目にあったの。
 ではどうするか。日記に忘れないように書き続ける? 忘れないように作った書類を何度も読み返す?
 ハッ、そんなものでどうにかできるなら、”魔法”なんて言葉に頼る必要はないわ。やるのは”非意図的に事態を解決する”。これしかない」

「先生、すみません、何を言っているのか……」

「ああ。つまりね、今の私にもどれがどうなるかは分からないの。
 ただ、結果は分かってる。あなたに関することで言えば、あなたは再びその能力を失うことになるわ」

「え……」

 窓の外からは視線を外し、先生はわたしの顔をのぞき込んでいた。

 眼鏡の奥に宿るその視線。
 耐えられるかと、聞いていた。


       ○  ○  ○


 暖かくなってきた風に揺られながら、わたしは冷たいあんみつに舌鼓を打っていた。
 いつ食べても花より団子のあんみつは美味しい。たとえ心に悩みを抱えていたとしても、だ。

「あなたがそうだったとはね。割と身近にあるものなのかしら、不思議なんて」

「ふふ、案外小恋あたりも何かできたりして」

「さて、どうだか。小恋は何も頭抜けた特徴がないのが、特徴なくらいだから。
 杉並の方がよっぽどよ」

 わたしの前の席に座って同じくあんみつを食べているのは、雪村さん。わたしたちは水越先生の薦めと仲介で、この花より団子で落ち合うことにしたのだ。
 話によると彼女もわたしと同じような能力を持っているという。事情も同じ。桜に願って、散っている間は使えず、最近になって復活したと。

 聞くまでもなく雪村さんのそれは、雪村流暗記術のことだろう。
 雪村さんと深い付き合いをしたのはスキー旅行が初めてだったけれど、あの時にずいぶんと体感した。スキーの上達ぶり然り、トランプの神経衰弱然り。

「雪村さんは、その能力を失うこと、怖くないの?」

 言うと、雪村さんはわたしとちらりと見た後、公園の方へ視線を外した。
 きっとこの言葉だけで、どうして水越先生が仲介したのか分かったのだろう。頭が良い人との会話は、兎角簡単で、兎角もどかしく、兎角恥ずかしい。

「怖いか怖くないかで言えば、それは間違いなく怖いわ。
 けれど、この異常な――イカレた力に依存し続けるのは、正しいことだとは到底思えない。私は世界を救ったわけでも神を降臨させたわけでもないのだから、これだけの恩恵を受ける理由がない。
 そして理由がないということは、この原理が悪い方向に進むこともあるということ。一月に立て続けに起こった事件事故がその結果であるとの見方は、私と水越先生の間での共通見解よ」

「でも……だからって、わたしたちはそれを返さなくちゃいけないの?
 わたしはみんなの心が読めたから今までこうして暮らして来れて、その力を前提として当然のように生きて成長してきたんだよ。
 それを今更……」

「誰も返上しろとは言っていないわ。事態の解決を図った結果として、必然的に失われるだけ。
 それが嫌なら解決しなければいい。春になるたびμにエラーが起きて、私たちは喪失感に苛まれて、事件や事故が多発するこの事態を見過ごせば、あなたの能力はそのままよ」

「そんな……」

「この力が私たちの弱さを補ってくれる魔法だったのは間違いない。今の私は偉そうな事を言っているけれど、桜が散ればこうして達者に喋ることもできなくなるでしょう。
 それはきっと恐ろしいこと。でも、異常なまでの情報量を持つ今の私だからこそ分かる。私たちは、この力を捨てなければならない。
 それはこの島のためにも、そして何より自分自身のためにも」

 雪村さんはそう言って、席を立った。

 彼女は救いの手など差し伸べてはくれない。二者択一の現実を突きつけて、わたしに選べと言っている。
 それはわたしにとっては究極の選択で、きっと雪村さんにとってもそうで。それでも雪村さんは正義の道を選んでいた。

 自己犠牲は美徳だなんて、そんなの嘘だ。
 だってわたしは、それでも力を捨てたくなかった。わたしは聖人君子であることよりも、他人に迷惑を与えながらも人の心を読める人間でありたいのだから。


       ○  ○  ○


 三月二十八日。わたしは一本の電話を受けた。
 発信番号不明。普段なら無視するはずのそれに、どうして応答したのか。気付けばいつの間にか電話を耳に当てていた。

「……もしもし、ななかです」

『杏に聞いたよ。迷ってるって』

「え――?」

 絶句した。

 男の人。
 誰だか分からないのに、わたしは絶対誰であるかを知っている。聞いたこと無いのに、懐かしくて安心できる声音。
 板橋くんでも杉並くんでも慎さんでもない。でも、わたしの身近でいつも会話をしていた。

「あの、ごめんなさい、番号がなくて……誰ですか?」

『――流石に面と向かってだとキツいな。分かっていたつもりなんだけど。
 ああいや、俺のことはどうでもいいんだ。ただ、聞いて欲しい話がある。いいかな?』

「え、あ――うん」

 「はい」ではなく「うん」と咄嗟に口から漏れたのは、その声がわたしに途方もない安心感を抱かせてくれたから。
 よくよく考えれば変な質問にオーケーしたとも思えるけれど、論理以上に何か曖昧な確信でわたしはこの電話の相手を信頼していた。

『この島の桜を枯らせた、ある二人の魔法使いの物語だ――』

 ……そうして彼は、おそらく実話であろうその物語を語った。
 願いを叶える桜。制御しきれなかったバグ。自分で撒いた種を自ら刈ろうとしたものの、制御に失敗し行方知れずとなった一人の魔法使いと。
 その後任として、桜によって自らが得た幸福を全て投げ捨て、桜を枯らせたもう一人の魔法使いの話。

 ”正義の魔法使い”という言葉が重くのしかかる。
 一人は自らの命を賭し、もう一人は桜によって受けた幸福を捨て――それは愛する者の死という形で――、この島の平和と秩序を守った。
 それは間違いなく、正義と呼ばれるべき行為。

 でも、ひどい。どうして今のわたしに、こんな話をするというのか。
 これではわたしが辛くなるだけじゃない。この二人の高潔を、わたしが踏みにじるという結果によって。

『いや』

 それでも彼は言う。

『ななかなら、きっと正しい道を選んでくれるって信じてる』

「……どうして、そんなこと」

『俺はななかのこと、よく知ってるから。ななかは自分で思ってるより、ずっと素直で純粋で良い奴だって知ってるから。
 俺はななかが人の心を読めるって分かっても、だからどうしたって思った。きっと小恋だって渉だってそうだ。だからもっと、自信を持ってくれ』

「わたしはそんなに強くないよ。あなたはわたしのことを遠目にしか知らないから――」

『いや、違うね。俺は他の男の誰よりもななかと仲が良かった自信がある。渉以上に、だ。
 だからななかが弱虫なのも知ってるし、それを知っているからこうして電話をかけたんだ。そこまで深い付き合いがあって尚――いや、あったからこそ、ななかが心を読めようと読めまいとどうだっていいって思ってる』

 それは軽口で口説くホストのような台詞でありながら、全く違う部類の、わたしを心配し信頼するという感情に満ちていて。
 わたしは思わず天を仰いだ。

「……名前は聞いちゃ、いけないのかな」

『悪い。出しゃばりをしちゃいけない身分なんだ。
 こうして電話してるのだって、バレたらどうなることやら』

「うん。でも、嬉しかった。
 わたしを知ってる人が、わたしの身近に居る人が、どう思うのかっていうのが一番怖かったから。
 ……でもダメだね、こんな反則的な電話を受けないと、小恋たちすら信頼できないなんて」

『それもどうだったかな。俺の知ってるななかなら、結局最後の最後で、この電話がなくたって正義の魔法使いと同じことをしたと思うよ、きっと』

 これは買いかぶりすぎか、あるいは単なる事実か。
 わたしには分からないけれど、それを信じてしまえる何かを彼は持っていた。
 忘れてしまったことに、強い罪悪を感じるほどに。

「ありがとう。魔法使いの恋人さん」

『あーっと……なんだ、バレバレだな。
 人には言わないでくれよ、厄介なことになるからさ』

「うん。分かってる。
 ……また、会えるよね?」

『さて、それは俺が知ることじゃない。審判に委ねるよ』

 ああそうかと、ここで思い至る。
 彼もまた、桜に付与された能力を持っているのか。”存在する”という能力を。
 だとすれば、彼はわたし以上にひどい立場に置かれていることになる。桜を枯らせば消滅してしまうのだから。

 そしてそれを知っていた恋人の魔法使いは、全てを知りながらも彼もろとも桜を散らせた。
 なんて悲恋。そして、なんて強い。
 わたしの悩みなんか、存在そのものを懸けた彼らの決意の足下にも及びはしない。悩みなんて呼ぶのすら恥ずかしい。

『悪い、そろそろ切るよ。
 ――また会えることを期待してる』

「――うん、きっと」

 電話がぶつりと切れる。
 それでお話はおしまい。ほう、と身体の底から息を吐いた。

 濡れる視界でディスプレイを見る。
 履歴には、芳乃さんの携帯番号が映っていた。

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Short Story -D.C.U
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