03-月に穿たれたクレー

[da capo U eXceptional eXistence]
 クラスが変わる前にいっぱい交友を広げておこう、という趣旨で今頃行われた席替えの結果は、わたしにとってはさほど目新しいものではなかった。
 元々内気なのは自分でも分かっていることだし、わたしとしては折角クラス替え直前なのだから、それまではいつものメンバーと過ごしたかった。結果としてそれが叶ったのだから、まあ、月島的にはいいんだけれど。

「それにしても小恋ちゃんは、よほどこの席と縁があるんだねぇ。
 きっと自殺した生徒の霊に気に入られちゃったんじゃない?」

「やめてよね、そういうこと言うのー」

 茜がわたしの隣の空席を叩きながら笑う。

 この空席は、なぜか三年三組に昔からあるものだ。ただの席替えではつまらないからだとか、自殺した生徒の名残だとか、試験監督を困惑させるためだとか、いろいろな噂があるけれど、結局はっきりしたことは分かってない。先生たちも理由を知らないみたいだし、そもそもいつからあるのかも分からない。わたしは二年生のころからずっとある気がするんだけど、昔はこんな風に話題になってた覚えはないし、クラスメイトたちも「一年のときからあった」「先月いきなり増えてた」なんて様々な意見があって、さっぱり訳が分からない。その不思議さが、一層噂に拍車をかけている。
 そういえば、魔法使いの仕業だとかいう話が一時期信憑性を帯びていたこともある。でも、魔法使いだってこんな無意味そうなことに魔法を使うだろうか。混乱させることが目的なのだとしたら、その魔法使いは杉並くん以外にありえないと思う。

「ま、月島は人気あるしな。俺は相手が幽霊だって、こここ怖くなんかないんだぜ!」

「渉くんまでー。しかも言ってること意味不明だし」

 なんで二人がここまで言うのかというと、なぜかわたしはずっとこの空席と隣接する位置に居るからなのだ。
 いくら席替えをしても、ある時は隣、ある時は前、ある時は真後ろと、この空席から二マス以上離れたためしがない。なんだかぐるぐる回っているんじゃないかと思えるその配置っぷりから、席替えのたびにわたしはこのネタでからかわれることになる。
 それでも嫌な気がしないのは、自分の事ながらどことなく不思議。幽霊とかそういうの、嫌いなはずなんだけどなあ。

「そういえば杏は?」

「んもう、渉くん、分からないの?」

「杏ならまた水越先生のところじゃないかな。心配だよ……」

「ああ、そうか。スマン」

 わたしの席のまわりに居るのは、茜と渉くんの二人。ちょっと前まではここにあと二人――杏と……あれ? 杉並くんだっけ?――居たんだけど、最近は杏が欠けていることが多い。
 大抵は水越先生のところに行っているみたいで、何やらカウンセリングを受けているらしい。

 あの杏がカウンセリングなんて、と以前の杏を知っている人なら言うだろうけれど、最近の杏はわたしから見てもちょっとおかしかった。
 なんだか言葉にもキレがないし、授業も上の空だったり。聞かれたことに即座に返答したことなんて、わたしが覚えている限りここ最近で一度もなかったし、またわたしが覚えている限りなかったということは、今の杏が覚えている限りでもなかったのだろう。そのことが、わたしに妙な感情を抱かせる。
 それほどまでに、杏は何かを覚えることを放棄していた。まるで、この世から一歩間をとったみたいに。

「あ、ちょっとごめん」

「?」

 わたしは一声かけて席を外し、そのまま教室の出口付近まで歩いていって、ぴょこぴょこと見え隠れする白黒帽子に声をかけた。

「杏なら水越先生のところだと思うよ?」

「うひゃぁ!?
 つ、月島か。おどかすな……」

「驚かせるつもりはなかったんだけど……」

 あれほど仲が良かった美夏ちゃんと杏は、ここのところギクシャクしていた。わたしも茜も何とかしてあげたいとは思ってはいるものの、杏があの調子では芳しい結果は得られないのが目に見えている。
 せめて、こうして教室を訪ねてくる美夏ちゃんのフォローだけはしてあげているけれど、その頻度も減ってきた。悲しいことだが、段々疎遠になっているということだろう。

「杏先輩は居ないのか……。分かった、わざわざすまなかったな」

 杏が居ないと知って、美夏ちゃんがほっとしたように見えたのは錯覚だろうか。事実だとすれば、それほどに悲しいことはない。
 わたしがそんなことを思っていると、美夏ちゃんはくるりと反転して、そそくさと自らの教室に戻っていってしまった。

「うーん、なんかここのところみんな変だよぅ。杏ちゃんにしたって、小恋ちゃんにしたって」

「白河にしたって、な」

 茜と渉くんが後ろから声をかけてきた。
 二人の言ってることにわたしは頷く。杏はあの通り。わたしはともかくとしても、ななかに至っては学園レベルでその不調が知れ渡っている。

 ――やっぱり、みんなも感じているんだろうか。
 この、どことなく、それでありながらあまりに大きな喪失感を。


       ○  ○  ○


 明くる日。登校早々、渉くんの妙に嬉しそうな顔が目に入った。理由を聞いて欲しそうだったので――ちょっとあからさまだった――尋ねると、

「転校生が来るんだってよ!」

 とのこと。聞くまでもなく女の子なのだろう。そんなことが分かってしまう自分がちょっと悲しいし、それ以上にそれを悟られてしまう渉くんの表情はどうなのだろうと思ってしまったりもする。
 詳細を知っているという杉並くんの話は聞かなかった。わたしだって少しは楽しみたい。それからホームルームが始まるまで、同じく話を聞かなかった茜とあーでもないこーでもないと話してた。

 だって普通、三月になってから転校生なんて来ないじゃない。何か特別な事情があるんじゃないかとか、そういうのを期待したり勘ぐったりするのは仕方がないと思う。
 ……自分でも言い訳じみてるって分かるけどさ。

 そして待ちに待ったホームルーム。
 先生がいつものように諸事情を話している間も、クラスは浮き足立っていた。それに気付いて先生も早めに話を打ち切り、皆が期待する方向へ話題を転換した。

「えー、見た限り既に聞き及んでいるやつも多そうだが、転校生がいる。
 入っていいぞ」

 先生がそう言った後、教室の前のドアから入ってきたのは、同性のわたしが感嘆を漏らすほどの綺麗な女の子。
 男の子たちは叫ぶことすら忘れて、ほう、と息を吐いた。

「芳乃と言います。芳しいという字に乃ちで、芳乃です。
 今年度の残り短い期間ではありますが、どうかよろしくお願いします」

 そして一礼。
 挨拶の仕方はあまりに完璧で、どこぞの良家のお嬢様なんじゃないかと思ってしまった。
 けど芳乃、という名前のお金持ちに心当たりはない。学園長の苗字と一緒なのは偶然だろう。遠戚とかなら一言あるだろうし。

「それじゃ、そこの空いている席に座ってくれ」

 芳乃さんの席は当然のようにわたしの隣の空席に決まった。
 まるで用意されていたかのように、かちっとパズルのピースがはまる感じ。違和感なんてどこにもなくて、強いて言えば違和感がないことに多少の違和感を覚えたくらい。
 それほどに、芳乃さんとその机の組み合わせははまっていた。何の変哲もない、ただの机のはずなのに。

「よろしくね、芳乃さん」

「はい、よろしくお願いします、小恋様」

「あはは、様なんてやめてよー」

「あ、失礼しました。小恋”さん”、ですね」

 やっぱり丁寧な人みたい。そうでなければ自然と『様』なんて言葉を使ったりしない。
 そこにも嫌味な感じは全くなくて、つい聞き逃しそうになったくらいだから。

 ……でも、ちょっと疑問に思う。
 わたし、この人に会ったことあるっけ?


       ○  ○  ○


 昼休み。やもすると質問大会になりそうだった教室から抜け出して、わたしたちは案内がてら芳乃さんと学食にやってきた。
 さすがに転校生をいきなり走らせるわけにはいかないからゆっくり歩いてきたのだが、それが裏目となってしまったらしい。学食は既に戦場と化していた。

「よし、んじゃあ俺と杉並がカウンター行って取ってくるわ。
 何が良い? あ、食券は立て替えておくから後払いな」

「はいは〜い、私はきつねうどーん」

「わたしはAランチでいいかな」

「じゃあ俺はオムライスで」

「はい、了解――って、杉並! お前は俺と一緒に取りに来い!」

「む、バレたか」

 ちなみに杏は昼休みになるや否やふらっと教室から姿を消してしまい、一緒には来ていない。
 最近はそんなことも少なくなく、詮索されたくないこともあるだろう、というのが茜と話した結論だ。水越先生のところで昼食を摂っていることもあるようだし、いざとなれば悩みごとを話してくれるだろうという信頼感もある。

「芳乃さんは? 大抵のものならあるけど、無難にAランチとかにしておく?」

「あ、芳乃さん、シェフの気まぐれとか、大人のオムライスとかどう? 食べてみない?」

「ちょ、ちょっと茜ぇ!」

 思わず声をあげてしまった。

 あのときは杏も一緒だったけれど、美夏ちゃんが初めて学食に来たときもこんな風なやりとりをした気がする。
 あれ? 美夏ちゃんじゃなかったっけ? まあともかく、誰かに杏たちがロクでもないものを薦めるのは、もはや恒例行事みたいなものだった。

「良いのではないか? ちょっと値が張るのが難点だが、なに、獲得する栄誉に比べれば安い物よ」

「おおおおお! 俺の目の前で大人のオムライスを食べる女生徒が出るのか!? 食うのか!?」

「ちょっとちょっと、杉並くんに渉くんまで……」

 うう、月島一人では到底止められる気がしません。ごめんね、芳乃さん。

 そんな風に心の中で謝っておく。パワーバランスが違いすぎる。ブレーキが壊れた自動車を止める術はなく、わたしには起こる被害から自分の身を守ることしかできない。
 もう一人くらいストッパーが居れば良かったんだけど。昔はどうしていたっけ。

 心の中で懺悔していると、芳乃さんははっきりと言った。

「冷たいたぬきうどん……が良いです」

「ほぇ? でもでも、シェフの気まぐれとか美味しいよ? ……たぶん」

「ゼリー定食は嫌ですから。もちろん色魔になるのも。
 たぬきうどんに冷やしめんのスープを使えば、冷たいたぬきうどんは作れますし」

「……転向初日にしてはやけに詳しいな、芳乃。もしかして知り合いが居るのか?」

 杉並くんと同じ感想を、誰もが思った。
 シェフの気まぐれのハズレの一つにゼリー定食があることも、大人のオムライスを食べると色々と厄介なのも、この学園に長くいないと分からない。
 ましてやメニューを見ていないのに、冷やしめんのスープをたぬきうどんに使って冷やしにするなんて……相当の通しかやらない。わたしも友達がやっているのを見ただけだ。誰がやっていたかは、ちょっと思い出せないくらい。

「えっと……はい。正確には”居た”、ですが」

「はー、道理で詳しいわけだ」

 渉くんが頷いたので納得しかけたけど、でもやっぱりなんとなく違和感。
 知り合いが居たとか、内容を知ってたっていうのとは、またちょっと違う態度じゃないかなあ。むしろ何回も通ってる玄人みたいな感じを受けた。

「んじゃ、取ってくるから席頼んだぞ」

 茜もわたしと同様に首を傾げていたけれど、渉くんのその言葉ではっとし、きょろきょろと周りを見渡した。既に食堂はいっぱいで、更に後から後から生徒たちが入ってくる。
 いつまでも突っ立っているわけにはいかないし、早くしないとわずかに残っている空席すら逃すハメになる。急がなければ。

「それじゃ、またあとで」

「うん。席は任せておいて」

 わたしたちはそのまま食堂の人並みに揉まれていって、結局大したことのない違和感のことなどすぐに忘れてしまった。


       ○  ○  ○


 放課後になり、更に軽音部の練習も終わって、真っ赤な夕日が街を染め上げる頃。
 この時間帯に、わたしはいつも音楽室に残って来客の相手をしていた。

「あの日の空に舞う そよ風のように――」

 観客はわたしひとりだけの、たった二人の独演会。
 それが、わたしとななかの、ここ最近の日課だった。

「――消えないで君の光 この胸に……」

 綺麗なアカペラが終わる。たった一人の観客が拍手。小鳥のような美声を誇る彼女は、いつものように照れつつ微かに笑った。

「良い声出てるじゃない。スランプだとは思えないよ」

「うーん、そうかなあ……」

 先月初旬あたりだったか。その頃から、ななかの振る舞いが一変した。
 あれほど社交的だった明るさは鳴りを潜め、それなりに仲の良かった軽音部の人たちとも疎遠になっている。
 監視しているわけでもないので断言はできないけれど、いまのななかには友人と呼べるような付き合いをしている人が見あたらなかった。自意識過剰でも何でもなく、ただわたしだけを除いて。

「でも、いくら歌っても『歌ってる』って感じがしないの。
 人前で歌うのは元から好きじゃなかったけど、独りのときはこんなこと感じたことないのに」

「うーん、じゃあやっぱりこの間のオンコロ、出た方が良かったんじゃないかなあ。
 何かのきっかけになったかもしれないし」

「……ううん、そういう感じじゃないから」

 否定はするものの、覇気の無さは深刻だ。歌っている感じがしない、という割に歌っている間はそれなりの表情をしているけれど、歌い終わると表情は深く沈んでしまう。
 ほんと、何があったのか話してくれればいいのにと思う。幾度となく話は振っているにも関わらず、このことに関しては頑なに「何でもない」と言って、話すのを拒まれてしまっている。

「ななか、何か思い詰めてるなら――」

「あ、わたしはこれから水越先生のところに行くんだけど、小恋は?」

 わたしの言葉を遮って、ななかが声を被せてきた。
 こういうときに強気に出れないのが、わたしの悪いところ。自覚していてもなかなか治らない。

「ううん。わたしは先に帰るよ」

「そう? それじゃもう時間だから、ごめんね。
 また明日!」

「あ……うん」

 わたしに二の句を告げる隙を与えぬまま、忙しそうにななかは音楽室を出て行った。

 せめてどんなことに悩んでいるのかくらい、聞きたかったのに。わたしの抱える何か漠然とした喪失感。それを具体的に分かっているかもしれない、なんてことを思っていた。
 でもこれは言い訳。自分の悩みを他人に投影しちゃ、ダメだよね。それはななかにとって負担が増すだけだから。
 ななかが相談してくれないのも同じ理由かもしれないけど、わたしが悩みを持っていることはななかには分からないのだから、もっと気軽に言ってくれればいいのに、とも思う。

 あーあ。
 ななかの心が読めたなら、ちゃんとアドバイスをしてあげられるのに。

 そんなファンタジックな諦念を抱きつつ、わたしは音楽室を後にした。

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Short Story -D.C.U
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