02-模擬少女は魔法使いの夢を見る

[da capo U eXceptional eXistence]
 久々にメンテナンス以外の用事で研究所に呼ばれたと思えば、その内容はあまりにオカルトじみたものだった。
 お蔵入りとなっていた例のHM−X、それが見ているという”見えない人間”を媒体に記録しろとのことだ。

 博士もつくづく無理を言う。
 美夏ですら「何となく違和を感じる」程度のそれを、ディスクごときに記録できるわけがあるまいに。容量の単位がギガになろうがテラになろうが、そんなものは全く関係がない。

 それでも美夏がその実験の手伝いを承諾したのは、その”見えない人間”――博士は”彼”と呼んでいたから、美夏もそう呼ぶことにしよう――が妙に気になったからだ。
 うまく説明できないが、何となく気になって気になって仕方がない。心が掴まれた、とでも言えようか。もしかしたら”彼”は美夏の知り合いでもあり、破損した記憶領域が無意識のレベルで反応しているのかもしれない。

「映りませんね」

 そう声をあげたのは、さっきから熱心にビデオカメラ――随分小さくなったものだ。昔は小脇に抱えるくらいあったのに――と格闘しているイベールだ。
 映らない、というのは電源が入らないとかそういったことではなく、HM−Xの横に居るとされる人間のことだろう。
 カメラと人間の眼球の仕組みは似たようなものなのだから、人間に見えないのならばカメラに映らないのは道理だとは思うのだが。

 美夏の目? それは秘密だ。
 ――ではなく、そもそも知らん。人間とて、自らの眼球の構造など、本から得た知識しかあるまい? 美夏はこの世に一人しかいないのだから、類例はなく、美夏の目の構造が知りたければ美夏の目を解体するしかない。
 おそらく人間とそう変わるまいと思ってはいるが。

「声を出していただけましたか?」

「はい。彼は確かに喋っていました」

 イベールの問いに、HM−Xが答える。

 映像が光なら、声は空気の振動。ICレコーダーなんかも使ってはみたが、やはり音は再生されなかった。
 まあ、人間が見えないなら声帯も当然見えないわけで、見えないものが震えたりするはずはない。

「どうして博士はこんな実験をやろうと思ったんだろうな?」

「私には分かりかねますが、それをこなすのも私の務めです」

 ……結局。
 夕刻までイベールが奮闘したものの、成果は全く得られなかった。


       ○  ○  ○


「その彼とやらが人間かどうかはさておき、お前がロボットなのは間違いないんだな?」

「はい。私はHM−X エボリューション。時期的にはHM−A07『Miaki』の後継機となります。
 貴方はHM−A06『Minatsu』ですね?」

「ああそうだ。美夏でいいぞ」

 実験終了後。イベールが報告を博士に提出するために去り、残った美夏とHM−Xは食堂でのんびりすることにした。
 HM−Xの容姿を知っている人間はここには居ないようで、ちらちら注目はされるものの、誰も声をかけてくることはしない。おそらくμのカスタマイズ程度にしか思っていないのだろう。

 美夏はいつも通りAランチを頼み――断っておくが、決してデザートにバナナゼリーがついているからではない――、HM−Xは日替わり定食を頼んだ。
 ここの食堂は美夏たちには安価で品物を出してくれるので、いつも重宝している。メンテナンスはロボットにとって必要であると同時に人間にとって重要な研究データでもあるから、その報酬みたいなものだ。

「HM−A06は人間嫌いと聞いていましたが」

 コロッケに箸をつけながら、HM−Xがそんなことを言ってきた。
 麦茶をコップに注ぎつつ答える。

「ああ、嫌いだぞ。美夏は人間が、嫌いだ」

「どうしてですか?」

「どうしてって……美夏たちを勝手に作って、勝手に虐げて、勝手に廃棄する相手を好きになれという方がどうかしているだろう。
 μたちがそう思わないのは、エモーショナルサーキットのリミッターのせいだ」

「そうですか。
 ……あ、ありがとうございます」

 麦茶をついでに注いでやる。礼を言われるほどのことでもない。

 ここまで話してみた限り、HM−Xにはかなり自由度の高い思考力が与えられているようだ。
 μは注視すると人間としてはかなりの不自然さがあるが、HM−Xにはそれが感じられない。人工知能や神経系がμのようなパーツ式ではなく、美夏と同じ人工細胞型なのだろう。

 余談だが、人工細胞型であることは、美夏が自分自身の身体構造をあまり知らないことと無縁ではない。
 目の構造にしたってそうだ。あれは細胞が分化するときの誘導の連鎖と自己組織化という複雑な振る舞いの結果であって、シミュレーション上の予想設計図はあったとしても、実際の所は美夏を解体しない限り正確なものは分からない。また、同じ作り方を試したところで、同じ結果になるかどうかは分からないのだ。それは”同じ作り方”に要求される”同じさ”の水準が高すぎるせいでもある。
 この複雑な系の結果は、さすがの美夏でも予測しきることはできない。人間であれば尚更だろう。魔法使いとて分かるものではあるまい。

 ――閑話休題。
 ともかく、似たもの同士だと思うと、HM−Xになんだか親近感が沸いてきた。
 美夏は正直なところ、他のμたちとのコミュニケーションが苦手だ。商店街などで出会っても、うまく会話を交わすことができない。
 だのに嫌いな人間とはうまく会話できるというのだから、我ながら皮肉な話だ。

「その割には研究所の方々には協力的ですね。特に水越様などには」

「博士は博士なのだから仕方あるまい。
 ……美夏に説教でもするつもりなのか?」

「いえ、そうではありません。
 ただ、もっと敵対的な感情を持っているのだとばかり思っていたので、純粋に疑問に感じただけです」

 悪びれた様子もなく、HM−Xはサラダを頬張った。

 敵対的な感情。
 それは確かに存在する。五十年前に受けた迫害の傷痕も、今ロボットたちが受けている軽蔑の眼差しも、忘れたわけではない。

 しかし、このロボットの言う通り、その気持ちが薄れているのも事実なのだ。
 それに気付いたのはつい最近。ふとした拍子に、何の前触れもなく、ただ漠然と、昔ほどに人間を恨んでいない自分に気がついた。

 杏先輩が変わってしまってから、すっかり日の目を見なくなった世界征服ノート。今見ればその計画がどれだけ滑稽か、理解できる。
 けれど、そうなった原因が分からない。どうして美夏はそんな風に思うようになったのか。何か自分なりのきっかけがあったはずなのだが、信じられないくらいに思い出せない。
 今でもロボットは蔑視されているというのに。社会がロボットを受け入れたわけではないのに。どうして美夏は、人間を受け入れているのか。そしてそれは、いつからなのか。

 ――まったく、分からないのだ。

「美夏さん?」

「ああいや、美夏とて五十年前と同じというわけではないからな。
 過激な感情が薄れるのは、老成したせいかもしれん」

 冗談ととったか、HM−Xは軽く微笑む。

 そもそも、どうしてこんな世界で目覚めたのか。
 美夏を作り、そして眠らせた天枷博士は”ロボットを受け入れてくれる時代”に美夏を目覚めさせると言った。
 その結果がこれか? μのあの”市販”が、天枷博士の言う”受け入れ”だとは到底思えない。

 であれば美夏が起動したのは何らかの事故か。
 何かひどい偶然の積み重ねだったような気はするのだが、原因はついぞ思い出せない。博士も当時はログを取っていなかったというし、美夏が目覚めた理由は依然不明のままだ。
 そう、HM−Xが起動した理由が不明であるのと同じように。

「考え事にふけるのは老人ではなく、思春期の少年少女だと思いますが」

「……うるさい。食べる順番を考えていただけだ」

 バナナゼリーをかっ込み、今日の夕食は終了した。


       ○  ○  ○


 三月一日。期末試験という名の峠を越え、生徒たちはあとは春休みを待つだけとなっている。
 そのせいで浮き足立っている空気の中、美夏はHM−Xとともに学園へと向かっていた。
 転入前に学園を見ておきたい、というHM−Xの要望からだ。

「この並木道全てに桜が咲くんですか。想像するだけでわくわくしますね」

「ああ。この島の住人たちは見慣れたものだと言っていたが、美夏にとっては圧巻だったぞ。
 あと一ヶ月もすれば満開だろう」

「楽しみです」

 HM−Xの格好は、美夏のそれと同じだ。付属の制服。ただし、同じなのは服装だけ。
 美夏と違って平均値以上のプロポーションをしているこのロボットは、歩いているだけでも人目を惹いた。そもそも規格からしてこの年齢の体付きではないように思う。これだけのプロポーションは、付属では杏先輩の友人――花咲とかいったか――くらいだろう。
 少しだけ嫉妬する。……別に人間の男に興味があるわけではないのだが。

「あれ、美夏さん。今日は休日だったのでは?」

「いや、休日だが。どうかしたのか?」

「歩いている学生さんが居ますけれど」

 HM−Xが前方を指し示す。
 今日は休日。制服で学園に向かっているということは、部活か何かだろうか。あるいは気の早いクラスが卒パの練習を始めているとか? そんなことをしようものなら、あの副会長に摘発されて終わりだろう。
 様々に予想を立てながら、示された方に目を向けた。話し声で気付いたか、その人物もこちらを向いていた。

 ――見なければ良かった。

「……杏、先輩?」

「美夏……?」

「あ、お知り合いですか?」

 HM−Xの声がやけに間抜けに聞こえる。
 視線を逸らそうにも、他に見るべきものがない。思考を切り替えるにも、あまりに唐突すぎた。

 暫しの沈黙。頭脳が空転しているのが自覚できる。
 けれど、悪いがここで煙を出すわけにはいかない。他の誰よりも、今の杏先輩の前で、それだけはしたくなかった。

 やがて。

「悪いけど、用があるから先に行くわ。またね、美夏」

 そう言い残し、美夏の返答を聞くまでもなく、杏先輩は学園の方へと歩き去っていった。

 ……その態度に安堵してしまったのはある意味では仕方がない。
 会話を切り上げられてほっとしたのは、美夏だけではないだろう。ポーカーフェイスを失って久しいあの顔が、美夏を見た瞬間に激しい動揺を示していたのだから。

 緊張が解かれたせいか。一気に負荷が押し寄せた。

「……すまん。今日の話は、無かったことに――」

「美夏さん!?」

 遠ざかっていくその後ろ姿にかける声も無く。
 ――煙を吹き出すいつもの感覚に揺られながら、美夏はそのまま眠りについた。

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Short Story -D.C.U
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