あのKYをぶっとばせ! (3)

[Fortune Arterial Another Story]
 目が覚めたのは昼過ぎのことだった。起きてみれば部屋には会長のほかに副会長も居て、目を開けた途端に飛んできたのはその鉄拳。マジ殴りはないだろと思いつつ、その後に見せた涙でそんなものは全てチャラになった。
 そうして副会長をなだめすかした後、会長に話を聞けばどうやら俺の狙いを副会長に話したとのこと。副会長が苦渋の表情で「ここまできたなら、もう仕方ないのかしらね」と呟いていたところを見えると、俺たちの意見――つまりは伽耶さんを消すこと――に賛成と見ていい。というかまあ、副会長が賛成するであろうことは、当然のように織り込み済だったわけではあるのだが。
 そうこうするうち会長は部屋を出て行って、残ったのは副会長と俺だけに。俺はベッドに入って上半身を起こした格好のまま。副会長は泣いた恥ずかしさがあるのか、少し躊躇った後、俺の傍らにすとんと腰を落とした。そうして、ぽつりと呟く。
「もう一度聞くけど、本気なの?
 私のことならまだ大丈夫なんだから、急ぐ必要はないのよ? まだ一年あるもの、それだけあれば……」
 その声の向きは、きっと俺へ向けてではなく。
 だから俺は、声を被せて。
「言わせてもらうけど、それこそ本気なのか?
 自分で言ったろう、副会長。伽耶さんはこっちの意見なんて聞いちゃくれないって。たった一年でどうにかなるものなら、どうして副会長は十年以上も屋敷で暮らさなきゃいけなかったんだよ?
 以前がどうであれ、あの人はもう戻れないくらいにまで狂ってしまった。そしてまた、戻ってはいけないくらいにまで多くの罪を犯してしまった。それでなお、今ですら副会長を縛り続けている。だったら――」
「ううん、そのことについては私もよく分かってる。
 兄さんほどじゃないにしろ、うん、私にとってだって、母様は憎しみの対象になっているもの。そしてまた、理性的に考えても、母様は『人として』許してはいけないということも分かっている。
 でも、違うの。私が躊躇っているのは、母様を消すからじゃない。問題は支倉くんのこと」
「俺の?」
 問い返す。どうやら副会長は、俺が思っている以上に伽耶さんを消すことに躊躇いはないらしい。問題は俺のことだと言っている。紅珠のことだろうか?
 副会長は――最近わかったが、これは彼女の癖らしい――監督生室に居るとき同様に足を組み換えて、
「母様は未だに支倉くんを眷属にしたがっているの。以前は征一郎さんが居たから手出しはしなかったけど、あの人なら私の目の前で支倉くんに瀕死の重傷を負わせるくらいは訳ないわ。私の血を飲ませるためにね。
 これはあくまで私たち家族の問題。私はそのせいで、支倉くんに命まで賭して欲しくは――」
「瑛里華」
「――!?」
 妙なことを言い始めた口を、自分のそれで塞いでやる。途端に大人しくなるのは、副会長の――瑛里華の可愛いところと言って差し支えないだろう。
 唇を離し、ある意味で呆気にとられている瑛里華が変に騒ぎ出す前に言葉を挟む。
「家族の問題であろうとなんであろうと、恋人が苦しんでいるのを見過ごせる奴が居たとするなら、その時点でそいつらは恋人でもなんでもないだろうね。
 それに加えて、伽耶さんが俺の血、あるいは命でも人生でもいいが、それを狙っているというのならこの問題は俺にとっての問題でもある。事態を解決しない限り命の危機に怯えるなんて、まるで犯罪者みたいな暮らしを俺がする道理はないじゃないか。
 つまり伽耶さんは瑛里華の家族であると同時に、俺にとっての敵でだってあるってこと。伽耶さんが俺を巻き込もうとする限り、俺がこの問題の当事者であることは不可避なんだよ」
 加えて、伽耶さんはいずれ俺の記憶を消すか、眷属にするか、殺すかの選択を瑛里華に迫ることになるだろう。そしてまた、そのどれをもしたくなくて瑛里華が苦しむことも容易に想像できる。
 だったら俺は、その根源である伽耶さんを消すことが最も最適な方法であると考えているまでのこと。伽耶さんは俺を殺したがっているし、それゆえ俺は彼女を消し去りたい。至極単純な対立構造だ。
「支倉くん……」
「そんな顔するなって。謝ってもらっても、こっちが困るだけだ」
 眉が垂れ下がった瑛里華の頭を、右手でくしゃりと撫でてやる。適度な湿り気と、布のような肌触りを持つ綺麗な長髪。触れているだけで、愛しさがこみ上げてくる。瑛里華もそうなのか、どことなく表情は緩やかになった。
「だから、瑛里華は俺の心配じゃなくて自分の心配をしてくれ。
 瑛里華が自由になることは、俺にとっての幸せでだってあるんだから」
 瑛里華にとっては、腐った親とはいえ親殺しに違いない。精神的な負担は当然あるだろう。その辛さは、会長とは違って相手に微かに希望を持ちたがっている、瑛里華の淡い期待感。それ自体はとても大切なものだ、瑛里華にとっては。
 そう、それは確かに瑛里華にとっては大事だが、しかし肝心の伽耶さんにとっては見るべき価値なきものでしかない。だから俺は捨てさせる。そんなものがあるために、会長と違って彼女は幽閉される運命にあり続け、無駄に苦しめられ続けたのだから。
「さ、準備をして監督生室に行こう、瑛里華。
 授業はもう出れないが、生徒会の仕事くらいはできるはずだ」
「……ええ、分かったわ」
 名残惜しみつつも手を彼女の頭から離して、俺はゆっくりと起き上がる。倣うように瑛里華も立ち上がって、一通り準備を済ませた後、生徒たちが六限目の授業を受ける中、俺たちは一緒に監督生棟へと歩いていったのだった。



       ○  ○  ○



 生徒会の仕事も終わり、一端寮の自室へ戻った後。午後九時に再度寮の裏口付近集合という申し合わせをしていた俺は、筆記用具を確かめてからやや早めに部屋を出た。少しばかり肌寒く感じるのは、おそらくは俺の無意識のせいか。
 そしてまた、見れば廊下には既に人はほとんどなく、これなら知り合いとすれ違うこともないだろう、と思った矢先。階段。踊り場を駆け上がってきた、見覚えのあるその姿格好は。
「司。今帰りか?」
「おおっ!? ……って、なんだ孝平か。寮監かと思ったぜ、驚かすなよ」
 そう言ってニッと笑う、おそらくはバイト帰りであろう司。手に持つ袋には、この寮へ不法に密輸した物資が詰め込まれているに違いない。
「そっちは生徒会か? 大変だね、こんな時間に」
「確かにそうだけど。よく分かるな?」
「さっきお仲間とすれ違ったよ。連日ご苦労様としか言えないぜ、ホント」
 呆れたように言う。瑛里華か、あるいは会長か。いかにあの二人と言えど、またはあの二人だからこそか、誰にも見つからずに移動は出来なかったらしい。有名すぎるというのも困りものだ。
「孝平? どうかしたのか?」
「いや、特には。
 ……ああそうだ、司、お前人の目を盗むのって得意だよな? 何かコツとかあるのか?」
「コツ? ないわけじゃないが……まあ、寮長に言わないならエビチリカレー次第で教えてもいいぞ」
「頼む」
「マジか!?」
「マジもマジ、大マジだ」
 自分で言っておきながら、司は俺が承諾するとは思っていなかったらしい。眉を顰めたのは、きっと俺の態度がいつもの違うことに気が付いたせい。
 しかしそれでも、決してその事情を聞いてこないのがこの八幡平司という男の凄いところだ。しかもかつての俺のように一切相手に踏み込まないわけではなく、境界ラインをきっちり嗅ぎ分けている。だから俺はこいつを信頼できるし、俺がそれをそこまで理解していることをこいつも分かっているからこそ、こいつは俺を信頼してくれているのだろう。
 司は「大したことは言えないぞ」前置きしつつ、
「人の目を盗むときっていうのは、人の目が届かない場所で行動することに神経を集中しがちだが、そんな場所・ルート・時間なんていうのは意外とないもんだ。
 だから人の目が届く範囲に居ながら、その死角を縫うことが特に重要になる」
「密輸物資を持ちながら、堂々と正門から入ってくるってことか?」
「そこまで極端じゃないが、まあ似たようなもんだ。
 人ってのは誰であれ、全方位を全時間、機械のように観察できるわけじゃない。だからその隙を突くんだよ。
 例えばシスターなんかは猪突猛進型だし、呼吸リズムも一定だから、俺から見れば見回りには向いてないぜ。あれは自分の見たいものしか見ていない。
 逆に寮長みたいのは、何を監視したいのか予測もつかないし、急に活発になったりするから呼吸のリズムも把握できない。あの人が見回り中は、俺は寮へ帰還しないようにしてる」
「だからかなでさんは、司を現行犯で捕まえられないのか」
「まあな」
 なんとなく言いたいことは理解できる。つまり相手がどう動くかを予測し、その予測における死角を通ればいいという、ただそれだけのことだ。だからこそおそらくはきっちり巡回ルートを回るだけのシスターよりも、気まぐれにあっちこっち行ったり、あまつさえ何も無いのに急に背後を振り返ったりしそうなかなでさんの目を盗むことは難しいのだと、司は言っている。
「呼吸っていうのは、武道、例えば弓道とかの呼吸と同じ意味でいいのか?」
「どうだろうな。俺は何もやってないから、それはそっちで判断してくれ。
 まあでも、そういうのの有段者とかなら自然と身につけているかもな。相手の呼吸を読んだりなんだりっていうのを。
 ……っと、こんなもんでいいか?」
「あ、悪いな。参考になった」
「なに、エビチリ食えるなら安いもんだ。
 どこへ侵入する気かは知らないが、後で成否くらいは聞かせてくれ」
 俺が頷いて返すと、成功を祈る、と言って司は袋を持ったまま二階のフロアへと消えていった。それを見届けてから、俺はゆっくりと階段を降り始めて。
「踏み倒すわけには、いかないよな」
 高低差を歩いたせいか、肌寒さはいくぶん緩和された気がした。



       ○  ○  ○



 どこで追い抜いたか裏口についたのは俺が一番早く、近くの自販機で買ったコーヒーが空になる頃、会長と副会長がほぼ同時にやってきた。危なかった。コーヒーを飲み干してしまったら、裏口近くでこうも突っ立っていること、その怪しさを隠しきれなかったろう。
 見回りや他の生徒に見られる前に、俺たち三人はとりあえず裏口から外へ。この二人の身体能力があれば、塀を乗り越えることも、あるいは部屋へベランダから帰ることも可能だ。外にさえ出てしまえば特に心配することはない。
「さて、それじゃあ行こうか」
 会長のその声に頷き合い、行動を開始する。会長が先頭で、続いて俺、瑛里華の順。学院の塀は海岸通りに面した部分にしかないため、瑛里華の屋敷へは特に壁を乗り越えることなく歩いていくことができる。もちろん塀がないということは、そこは自然の障害、つまりは山林であるという意味でもあるのだが。
 そうして、学院の敷地はとうに抜け、珠津山の麓の森に入ったあたり。月の光すら茂る葉で隠れ、気を付けないと地面の凹凸すら見えない暗さの中、今まで黙っていた瑛里華が口を開いて。
「ねえ、孝平」
 足は止めない。湿気でぬめった土を、うまく踏みしめながら歩いていく。
「一年後とは言わないまでも、明日でも良かったのよ?
 今日は体調が悪いんでしょう? 昼過ぎまで寝てるなんて」
「ん……?
 ああいや、今回の件は早いほうがいいからね。相手に悟られるとマズい」
「そりゃそうだけど。母様は学院には来ないんだし、バレようが無いんじゃない?」
 瑛里華はそう言って首を傾げる。
 どうやら、会長は俺が紅珠を飲んだことを瑛里華に話していないらしい。であればこそ、彼女は白ちゃんの挙動から東儀先輩にそれが知られる危機感が分からないし、あるいはまた俺が吸血鬼として理性を失う可能性があることを知らないし、そしてまた彼女自身の吸血欲求が抑えられなくなる事態を想定していない。
 まあ、知らないのなら教える必要はないだろう。結果がどうであれ、ここで変に論争になるのは避けたいところだ。会長はそれを理解していたからこそ、話さなかったに違いない。
「そう心配するな、瑛里華。一瞬でケリがつくことなんだ、だったら支倉君のためにも早く解決した方がいいだろう?
 なんせ彼は狙われているんだからね。あの女なら、学院だろうがどこだろうが、支倉君の腹を貫くことくらいは容易い。それを防ぐには先手必勝しかないということさ」
「……確かにね。あれだけの血を抜き取れたくらいだし」
「俺だって、寝ているうちに襲われてて、目が覚めたらあの世逝きと眷属化の二択なんてのは流石に御免被りたい。
 あとはまあ、ちっぽけな正義感もなくはないけど」
「瑛里華、支倉君、静かに。道に出るぞ」
 話の途中で、会長はそう言って林の影から山道へと飛び降りた。俺と瑛里華も後に続く。ここから先は馬鹿でも分かる一本道。この山道の先に、瑛里華の屋敷が待っている。――千堂伽耶が、待っている。
「さて、ここから先は予定通りで頼むよ」
「ええ、分かってるわ。兄さんも気を付けて」
「あーあ、目立つことは率先してやってきたけど、目立たないように動くのは何年ぶりのことだろうね」
 自嘲するように言って、会長は俺たちが出てきた場所とは別の場所から、林の奥へと消えていった。代わりに、これから俺を先導するのは瑛里華になる。
 これはあらかじめ決めていた作戦だ。会長を先頭にしたまま屋敷に着いて、万が一伽耶さんが屋外に居た場合、その場で空気が一気に緊迫化してしまう。今回の目的は相手の油断に付け入るのが最も効率的なわけで、相手に警戒されることは出来れば避けたい。だからそのために俺と瑛里華の二人で屋敷へと赴き、会長は闇に紛れつつ俺たちについてくる手筈になっている。きっと今も、会長は俺たちの姿が見える位置に居るはずだ。
「孝平。絶対私の側から離れないで。
 もし狙いがバレたら、母様はどんな手を使うか分からない。そうなった場合、生身の人間である孝平を守るには、私の近くに居てもらうより他にないから」
「ああ、分かった。
 ……けど、なんか、情けないな。ただ守ってもらうなんて」
「そんなネガティブな考えで、勝手したりはしないでよ?
 それに、その、居てくれるだけで私は嬉しいんだから」
「瑛里華……」
 あはは、と照れ笑いを浮かべる瑛里華。それを見て、自分の考えがなんだかあまりにアホ過ぎて泣けてくる。
 だから反省。決めたじゃないか、と自分に言い聞かせる。俺は俺にできることをしよう、と。それが側に居ることであるならば、それですら俺以外にはできないことなのだ。
「ほら、なんか兄さんに冷やかされてる気がするわ。さっさと行きましょ」
 言って、一本道を歩き始める。背中で揺れる長髪に、俺も続いて。見えはしないが、おそらくは会長も俺たちと一緒に進んでいき。
「……」
 当然のように誰もが無言。それはそうだ、喋りながら敵地に潜入を試みる奴はいない。そうして十数分、ようやく屋敷が見えたその時。
「嘘……!
 孝平、あれは」
 一本道の出口、開けた屋敷の広場へと繋がる唯一の場所。闇に紛れるように、それでいて俺たちの侵入を阻むように、見覚えのある人物が立っていた。
 流れる漆黒の髪は、逆光でその暗さを更に増していて。いつものように無関心を装っているその態度は、しかし普段と違う敵対心を帯びており。
「気付かれてた、ってこと?」
「そう考えるのが妥当だな」
 どうやって気付かれたのかは分からない。だが道を阻むあの相手――紅瀬さんの、たとえ命令されようともどこかに躊躇いを見せる彼女の、あそこまで強い敵意を見せつけられては。
 想像するに、紅瀬さんもまた伽耶さんが助かるという無駄な期待を抱えているに違いない。だからその道を閉ざそうとする俺たちに対し、伽耶さんから命令されたわけでもなく、自ら赴いて俺たちに対峙した。そうでなければ説明がつかない、彼女がここまで感情を剥き出しにしている理由が。
「……悪いが強行突破させてもらう。紅瀬さん一人ならどうにかなるだろ、瑛里華?」
「ええ、日頃の恨み、たっぷり晴らさせてもらうわ」
 冗談っぽく言って、瑛里華が俺を守るように更に一歩足を進める。
 ……おそらく紅瀬さんも、そしてまた瑛里華も気付いている。この二人の、どちらがより自分の身体を上手く扱えるのかを。
 事実、肉弾戦でないとはいえ、瑛里華は一度紅瀬さんに大きな遅れを取っている。学院での吸血鬼騒ぎのとき。瑛里華はあのときはまだ正体不明だった黒マントの紅瀬さん相手に、追い付くことができなかった。遠目に見ていた俺でも分かるくらい、その差は歴然。紅瀬さんはまだ余裕がある跳躍だったのに対し、瑛里華は必死になってもそれに敵わなかった。後々聞けば、人間生活に慣れすぎていたからだという。それゆえ力をセーブしすぎていたのだと。
 だから瑛里華にとってはその雪辱戦だ。実の母親に対するという躊躇いをなくす意味でも、紅瀬さんをねじ伏せることくらいはしてもらいたい。
「……」
「――来るわよっ! 孝平、下がって!」
 交渉する気がないことくらいは分かっていたか、紅瀬さんはいつかのようにその爆発的な跳躍で俺めがけて突っ込んできて。
 俺が再び一歩下がると同時、瑛里華がその迎撃へと飛び出した。

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Short Story -Fortune Arterial
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