あのKYをぶっとばせ! (2)

[Fortune Arterial Another Story]
 いかな過去を抱えていようと、千堂伽耶は消されるべき生き物である。
 理由を挙げようとすれば、それこそ枚挙に暇がない。自分の都合で家族という建前の同族を産み出し、それに対する贖罪もせず、何の罪もない東儀家の人間を眷属にし続け、そしてその全てを殺し続け、人間を餌として自らの庭で飼い、時には殺し、二百五十年もの時間幼馴染に悪趣味な鬼ごっこを続けさせ、形だけとはいえ自分の息子や娘を縛り続け、貶め、期待に沿わねば殺して子どもすら取り替える。
 そこにはもはや、救うべき理由の一つすら存在しない。
 腐敗は不可逆。二百五十年間続いたその過程は決して逆行できず、停止することもままならない。だから、消す。消した方が良い、のではない。となれば、消されるべき、でも弱い。
 それゆえ訂正しよう。
 千堂伽耶は、消さねばならない生き物なのだ。



       ○  ○  ○



 会長と別れた後、まだ日の暮れぬうち、俺は礼拝堂へと急いだ。なんとなく檻に入っている雪丸の様子を一目見た後、礼拝堂の中へ。重い扉は多少軋みつつも俺という客を受け入れて、中には、
「お待ちしていました、支倉先輩」
 ローレル・リングの制服を纏った白ちゃんだけが、椅子に座って佇んでいた。
 板の間をぎしりぎしりと踏みしめ、白ちゃんのすぐ近くへ腰を降ろす。
「ごめんね、わざわざ。
 えーっと、早速本題なんだけど……いいかな?」
「はい。門限はありませんが、わたしも遅いと兄さまが心配するので」
「分かった。言ったように、できれば東儀先輩に気付かれたくはない。
 ……それで、持って来れた?」
 言うと、白ちゃんはこくんと頷き、制服の内ポケットからティッシュにくるまれたそれを取り出した。
 そう。会長を殴り飛ばし、東儀先輩に「今の支倉には教えられない」と言われた後、俺は携帯で二人に連絡を取った。
 一人は会長。
 そしてもう一人が、この白ちゃんだ。
 そのとき既に、東儀先輩と意見が合わないことは分かっていた。とはいえ、それでも東儀家の情報――もっと言えば、会長がそのときに言った「人を吸血鬼にする、石のようなもの」についての情報――が欲しかったのだ。吸血鬼になれる方法があるのならば、というか、吸血鬼が後天的に「なる」ものならば、戻すことも可能ではないかという考えからである。伽耶さんという足枷がなくなったところで、副会長の内的な苦しみは解決しはしない。それを解決しようと思うのなら、戻すことの可能性を探るのは当然といえた。ちなみにもう一つの使い道もあるが、それは後に置いておこう。
 ともかく、そうして俺は白ちゃんに連絡を取った。「石を飲ませれば吸血鬼になる」という情報は東儀先輩は知らないであろう情報だ。それを、伽耶さんの情報の提供すら拒んだ東儀先輩に話したところでどうなるものではない。だから白ちゃんに白羽の矢が立ったまでのこと。言い方は悪いが、彼女は東儀先輩と違って、今の俺に対してすら信頼を置いてくれている。それを利用しない手はなかった。
 そして携帯の電話越しに、彼女は言った。俺の主要部分をぼかした問いかけに対して、「東儀家には紅珠という小石が伝わっている」と。
「……で、これが、その?」
「はい。紅珠と呼ばれていて、兄さまは千年泉で引き揚げられたものだとおっしゃっていました。
 元は三つあったそうなんですが……」
 白ちゃんは長椅子の空き場所、つまりは俺との間にティッシュの包みを置き、広げた。出てきたのは二つの赤片。石と言えば、石に違いない。
「残る一つは?」
「それが、わたしが生まれる前に何かに使われてしまったそうなんです。
 何に使われたかまでは……すみません」
「いや、責めてるわけじゃない。気にしないで。
 むしろ感謝してもしたりないくらいだ。大変だったでしょ?」
「えっと、はい。
 でも、支倉先輩と瑛里華先輩のためですから」
 そう言ってにこっと微笑む白ちゃん。
 きっと分かっているのだ、俺たちと東儀先輩の間にある微妙な溝が。彼女はそれを分かった上で、自らの兄を慕いつつ、それでも兄に対して秘密にしながら俺たちにも協力をしてくれている。それが兄だけでは解決できない問題だと思っているからなのか、それとも兄の目指す道に疑問を感じているからかまでは、俺には判別はつかないが。
 でもだからこそ、胸を刺すのは罪悪感。俺は信頼という対価でこの石を手に入れた。けど、俺がやろうとしていることを知れば、きっと白ちゃんは反対する。だから、痛い。まるで騙しているかのようで。
「あの、支倉先輩。
 一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
 無垢な瞳がのぞき込んでくる。
「答えられるものなら、答えるよ」
「はい。あの……瑛里華先輩のためになることなのに、どうして兄さまには秘密なんでしょうか?」
 本人なりに意を決したであろう質問。しかし、答えることは容易い。
「結局さ、誰もが他人のことを考えすぎているんだよ」
「……?
 それはいいことなのではないでしょうか?」
「少なくとも、俺と会長はそれを単純にいいことだと思っていない、ということさ」
 首を傾げる白ちゃん。よくわからない、という表情。だが、それ以上を話してあげるわけにはいかない。俺は会話の終了を告げるように立ち上がりつつ、二つの赤片――紅珠を包み直して。
「それじゃ、ありがとう、白ちゃん。
 それと安心していい。これはきっと副会長のためだし、東儀先輩もみんなのことを考えていない訳じゃない。
 ……もちろん、全ての末尾に『と、俺は思ってる』がつくけれど」
「いえ、もちろん兄さまや支倉先輩のことを疑っているわけではないので」
 俺につられて、白ちゃんも席を立つ。
「支倉先輩。瑛里華先輩のこと、よろしくお願いしますね」
「ああ。副会長はきっと助けてみせる。
 また一緒に、生徒会の仕事をしような」
「はいっ」
 白ちゃんの頭を撫で、紅珠を懐に持ち、礼拝堂を後にする。
 ……俺は俺のやるべきことをしよう。



       ○  ○  ○



「間違いない。支倉君の血と同じ味がするね」
 夜。真っ赤な液体を舐めた会長は、あっさりとそう結論を下した。
 ……石を部屋へと持ち帰った後、俺は会長にそれを見せることにした。もちろんその石が推測に出てきた石かどうかは見ただけで分かるはずもなかったが、会長にはある考えがあったらしい。そして部屋に来た会長を出迎えてみれば、その手にはいつもの輸血用血液のパック。聞けば、紅珠の味を試す気なのだという。
 なぜそんなことをするのか、当然理由を尋ねれば、「やってみればわかるさ」とのこと。結局強引に押し切られ、俺は破片の端っこを粉末にし、少量の輸血用血液にそれを混ぜた。そして舐めた結果がこれだ。俺の味がする? なんでまた? 疑問は重なる。
 会長は無駄に増えたクッションのうちの一つを手で弄びつつ、ベッドに座る俺の方へと向き直って。
「いや、実はさ、以前支倉君の血を調べたことがあってね」
「は?」
 思わず声が漏れる。
「え、あ、いや、調べたって……伽耶さんからもらったやつですか?」
「いや、違う。君が生徒会に入る前だ。
 瑛里華が君に一目惚れしたみたいだったからね、ちょっと調べてもらったんだ」
「そんなことしてたんですか……」
「おおっと、恨まないでくれ? 血を持ってきたのは征だしね、俺はそれにこれ幸いと乗っただけさ」
「いやまあ、こうまで首を突っ込んでるので、いまさら恨みはしませんけど」
 呆れつつ言うと、会長はわざとほっとしたかのような安堵の息を吐いてみせた。もちろん最初から緊張なんてしていようはずもないのだが。
 会長はクッションをそこいらへ放り出し、テーブルの上に置いてある紅珠をじっと見つめて。
「おそらく支倉君、どっかでこれ……えっと、紅珠だっけ、の破片を飲んだことがあるのかもしれないな。
 少なくとも俺は、こんな味のする血を飲んだことは一度もない」
「ってことは、それを飲んでも吸血鬼にならないってことですか?」
「そこで瑛里華だよ、瑛里華」
「はい?」
 何がここでなのか、サッパリ意味が分からない。
 俺が首を傾げると、会長は「だからね」と前置きして、続けた。
「この紅珠、珠という名のわりにはどう見ても破片だろう?
 もしこれが本当に人間を吸血鬼化するものであるなら、おそらく充分な量が必要なんじゃないかな」
「これが破片ではなく、完全な球の状態であったらその必要量を満たせる、と?」
「なおかつ赤ん坊に対しては、という点も重要だけどね。
 そして瑛里華がもしこの紅珠とやらの完全球によって吸血鬼になったとするなら、君の血の性質を一目で見抜いたことの理由付けにもなる」
「まあ、そうですけど……」
 しかし根拠がなさすぎる。
 確かにあの東儀家で大事に伝えられている石だ、ただの石と断じることはできない。しかしながら会長の話は仮定の上に仮定が重なっていて、理屈としてはあまりに脆弱。そもそも「この石には何の効力もない」という仮定の上であってすら成立する話である、という旨を告げたところ。
「いや、実はね。
 瑛里華、生まれてすぐにこの破片を飲んでいると思うんだ」
「はい……?
 え、あの、だって、この前は『何を飲ませたかは分からない』って」
「ああ。俺が何を飲んだかは分からないし、瑛里華だってそうだ。
 つまりね、吸血鬼化する『何か』以外に、瑛里華はその破片をも飲んでいるってことなんだよ。あ、ちなみに瑛里華の産みの親からの話と、今までの支倉君の話から総合した結果だから、おそらく間違いないね」
「今までの俺の話、ですか?」
「有り得ない話じゃないと思うけど」
 ……頭が痛くなってきた。
 とりあえずその解釈は脇に置いておくことして、今は吸血鬼化の方へ思考を集中させる。
「でもそれが分かったところで、まあ俺の血を見抜けた理由にはなるかもしれないにせよ、吸血鬼化については全然分かってないですよね?」
「ああ、そうだね。
 だから支倉君が飲むんだろう?」
「……絶対、心読んでますよね」
「お褒めにあずかり恐悦至極」
 褒めてねえ。
「吸血鬼なんて、なっても面白いものだとは思えないけどね」
 会長はそう言って、視線を窓へと外した。
 こうなってしまっては隠す必要もない。俺がこの石を求めた二つ目の理由。それは俺自身が吸血鬼になれるかもしれないという期待からだった。
 だってそうだろう。例え伽耶さんをどうにかすることができたとしても、俺を眷属にする気が副会長にない限り、俺たちは別々の時間を歩まざるを得ない。俺が人間として何不自由なく生きている傍らで、副会長は永遠の時間と吸血欲求に苦しめられ続けているのだ。そんな不公平を許せるはずがない。
 であれば手段は二つしかない。彼女を人間に戻すか、俺が吸血鬼となり苦しみを分かち合うか。そのどちらの可能性をも秘めたこの紅珠を、だから俺は欲したのだ。
「でも、副会長が飲んでいたなら安心しました。
 少なくとも飲んで即死とか、そういうことにはならないみたいですし」
「だからって責任を俺に押しつけないでくれよ?
 これで支倉君がどうにかなって、その責任が俺にあるなんて瑛里華に知られれば、俺は瑛里華に殺される自信がある」
「分かってます。
 けど、何かあったときには」
「ああ」
 会長の返事を聞き、俺は立ち上がってコップに水を注ぐ。テーブルに置かれた二つの赤片、それを左手に取って。
「それと会長、できれば今日はここに泊まっていってほしいんですが」
「元よりそのつもりだ。
 ……優しくしてね?」
「紅珠に聞いてください」
 吸血鬼になろうとしていることを知れば、きっと副会長は反対するだろう。俺がやろうとしていることは、他人から見れば白ちゃんのそれとほとんど変わらないかもしれない。その点においてのみ、東儀先輩から感謝されるかもしれないほどに。
 だがしかし、違うのだ。白ちゃんが眷属になるのは、東儀先輩が伽耶さんに仕えているのと同様、他人のための自己犠牲。それを欺瞞と自身が捉えていようがいまいが、本人達が純粋にそれを望んでいるわけでは断じてない。ところが俺の場合は違う。吸血鬼になるのは副会長のためじゃない。俺は誰かが何かを欲する結果として自己を犠牲にするのではなく、自分が副会長と同じでありたいがゆえにその選択をするまでのことだ。その点において、俺の選択は白ちゃんや東儀先輩のそれと決定的に異なっている。
 数多の転校を繰り返し、自己実現と言う名の思いやりで攻撃され続けた俺は知っているのだ。それが結局、何も生み出しはしないことを。
「……」
 一つ息を吐いて、左手に載せた二つの紅珠を口の中へと放り込む。右手のコップで、水も同様に流し込み。
「さて、どうなるかな」
 他者を心配するというよりはむしろ、実験生物を観察する研究者めいた会長の声を聞きながら。
 ためらいなく、俺は紅珠を飲み込んだのだった。


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Short Story -Fortune Arterial
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