あのKYをぶっとばせ! (1)

[Fortune Arterial Another Story]
「あったとしても、今の支倉には教えられないな」
 そう言って、東儀先輩は席を立った。その仕草に感情は欠片も見えず、言葉に込められた真意は分からずじまい。パソコンのある、いつもの席へと戻ったその態度は、既に話は終わったと告げていた。
「支倉くん。
 ……仕事に戻りましょう」
 東儀先輩とは逆に、こちらは感情を抑えようにも抑え切れていない副会長。
 それはそうだ。彼女のこの学院に対する想いは並々ならぬものがある。その原因が何であるにせよ、彼女は粉骨砕身して学院の生徒たちを盛り立ててきた。それを、短いながらも隣で見てきた俺はよく分かっている。傲慢かも知れないが、少なからずその感情を共有できているのではないかとすら思っているくらいだ。
 そして、だからこそ悔しい。
 彼女にとって自らを縛り付けている相手、忌むべき母親が、この学院の創設者であるということが。確かに無関係かもしれない。創設者が誰であれ生徒たちには関係ないし、今という時代にも関係がないことだ。
 しかし、しかしだ、それを冷静に無関係だと断じることができるはずもない。彼女は自分を縛る屋敷から必死で離れようとして、ついにこの学院という安住の地を、束の間の楽園を見出したつもりだったはずなのだ。そしてだからこそ彼女は人一倍この学院に尽くし、自らの労苦すら厭わずみんなを楽しませようとしてきた。その結果がどうだ? 実はこの学院は憎き相手のものでした?
 ……そんなこと。絶対に認められるわけがない。
「支倉くん?」
「ああ、悪い」
 副会長の努力は、転入したての俺ですら圧倒されるほどのものだった。それがまるで、どこぞの猿のように手のひらの上で躍らされていただけだとでも? それは間違ってる。釈迦たるべきは彼女の方だ。絶対に。
「……」
「……」
 視線を回す。
 東儀先輩は何も話すつもりはないようで、相変わらず無表情のままパソコンへ向かっていた。そのクールな態度が今は少しだけ腹立たしい。
 おそらくこの感情を、会長は常に抱いていたに違いない。
「副会長、すまん。司に買い物頼むから、ちょっと席外すわ」
「ん? ええ、分かったわ」
 携帯を見せつつ、監督生室から出る。扉から離れ、中までは聞こえないであろう場所まで歩いた後、俺は携帯のアドレス帳から番号を2つ呼び出した。



       ○  ○  ○



 翌日。当然のごとく授業に集中することはできず、頭を占めるのはこの事態をどうすべきかという難問だけだ。
 いや、正確に言えばどうすべきなのかはおおかた決まっている。だから考えているのはどうやってそれを為すか。方針が決まった後に物事を進めるというのは、大きなことをやろうとする場合の定石だ。生徒会で思い知らされ、身に染み入った習性でもある。
「えー、ではここ、八幡平!
 ……って、また寝てるのか。じゃあその隣!」
「はい。二項定理を用いて――」
 授業が右から左へと流れていく。無音よりはずっと居心地の良い、俺の居場所。俺が自ら決めた初めての、そして今までとは変わってやろうという意気込みを持って転入した、あの吸血鬼が建てた学院の教室。
 ……吐き気が出る。
 偶然と言えばそうだろうが、それでも納得できないものはできない。悔やむ気持ちこそありはしないものの、それでも言いようのない憤りは感じてしまう。どうしてよりにもよってこの学院なんだ、と。きっと副会長も同じ気持ちだろう。
 どちらにせよ、事態は今すぐは動かない。俺は考え得る限りの状況を想定し終えて思考を休憩へと回し、手持ち無沙汰にペンでも回すかと筆箱を漁った。それとほぼ同時、傍らに置いてあった携帯がメールを受信していたことに気が付いて。
「時間、変更か……?」
 教師が黒板へ向いている隙、机の下でメールを見る。ダブルブッキングはまずいなと、色々巡らせていた思考はしかし、その送り主の名前を見た時点で杞憂に終わった。それに加え、疑問も加わって。
「東儀先輩? なんでまた」
 メールを開けばそこには、「昼休みに監督生室で待つ」との文面。特に約束はない。「分かりました」と返事を打って、携帯を再び机の上に放り出す。
 一体何を話すというのか。東儀先輩が伽耶さんに随分と肩入れしていることは分かっている。しかし身辺の世話をしているうちに情が移ったとか、そういう感じは見られないし、またそういうことで真実を見誤る人ではないとも思う。ようやく真実を告げるつもりになったのか? しかしそれでは、昨日言っていた「『今の』支倉」という言葉の意味が霧散する。
「えー、それじゃ次、その隣の――」
 無味乾燥な教師の言葉を聞き流しながら、俺はペンを回し始めた。



       ○  ○  ○



「来たか」
 監督生室に入ると、東儀先輩が椅子に座ったままそう言ってきた。昼休みになってすぐ来たつもりだったのだが、それでも一度もその背を見ることはなく。東儀先輩のクラスの授業が早く終わったか、あるいは他の理由だろう。とりあえず今はどうでもいい。
「昨日はあれだけ口が堅かったのに、どうしたんですか、今日になって」
 皮肉をぶつけつつ、向かい側の椅子に座る。
「伽耶様のことだ。考えは変わったか?」
「……昨日の今日ですけど」
「時間が何ごとも解決してくれるとは限らん。
 むしろ、時間が経てば経つほどに解決が難しくなる事柄もある」
「まるで伽耶さんと会長の関係みたいですね」
「……」
 東儀先輩が押し黙る。その顔には失望の色がありありと浮かんでいて、どこかで俺を見下してもいた。
 だから俺は続けて口を開く。
「俺は考えを変えるつもりはありません。
 俺にとっての解決は、副会長の解放ですから。それは会長が自分を吸血鬼だと認められず、白ちゃんがしきたりに殉じ、紅瀬さんが伽耶さんの側に居たいと思うこと、それらと全く同等の意志です。
 個々人の意志に優劣はつけられないでしょう?」
「支倉。分かっていて、白の名をそこに並べるのか」
「ええ。何なら、東儀先輩の背負っているものも並べましょうか?」
「……決裂だな」
 珍しく――いや、実際にはわざとでもあろう、感情を露わにして東儀先輩は椅子から立ち上がった。どちらが気に障ったのかは定かではない。あるいはまた、聡明な先輩のことだ、会長との共通項を俺にも見出したがゆえか。
「呼び出しておいて、もう終わりですか」
「ああ。
 それと訂正しよう。昨日俺は『今の支倉には教えられない』と言ったが、これからいくら時間が経とうとお前にそれを教えることはないだろう。俺の無駄な期待が言わせた言葉だ、許せ」
「ええ、俺も教えてもらおうとは思いません。
 けど、東儀先輩、好きですよね」
「……何がだ?」
 監督生室から歩み去ろうとしていた背中が止まり、上体だけが振り返る。眼鏡の奥の双眸は、座っている俺よりずっと高い位置にあるせいか、まるで上から射抜くような角度で視線を叩き付けてきて。
 相手にせず、視線を外へと流して、俺は別れの言葉を口にした。
「無駄な期待が、ですよ」
「……」
 返事はない。昼休みの喧噪に紛れて聞こえてきたのは、数歩の足音と、扉の開閉する動きだけ。
 五分と経たず、最後の調停の機会はこうして終了したのだった。



       ○  ○  ○



 放課後。
 ただでさえ人の減った生徒会、俺が「用事があるから今日は監督生室に寄らずに帰る」と言うと、副会長は多少渋い表情を作ったものの、思っていたよりは割合あっさりと俺の申し出を承諾してくれた。同時に「何かあったらすぐ伝えなさいよ」とも。どうやら俺が何か企んでいることは、すでに感づかれているらしい。
 心配しないよう伝えつつ、さっさと旧図書館へと向かう。昨日、携帯に連絡し約束を取り付けた場所。
 そこそこ急いだものの、やっぱり俺が先に到着できるはずもなくて。
「待ってたよ、支倉君。
 しかし俺が言うのも何だけど、生徒会はいいのかい? いま、瑛里華と征だけだろ?」
「こればっかりは仕方ないですよ。
 少しでも引け目があるなら、副会長の機嫌くらいは直しておいてくれると助かります」
「いやいや、それは俺じゃなくて君の役割だろう。
 だいたい今ノコノコと瑛里華に『生徒会大丈夫か?』なんて言ってみなよ、小言の二時間は堅いね」
 他に誰もいない旧図書館、奥まった端の方の席。呼び出しに応じてくれた会長は既にそこに座って、俺のことを待っていた。
「さて、それで話っていうのは?
 俺から話せるものは、全て話したつもりだが。ああっと、疑わないでくれ? 今度はウソじゃないからね?」
「分かってますよ」
 おどける会長の向かいに座る。監督生室の椅子に比べ、クッションがあるせいかぐっと身が沈んだ。まるで身体がここに長く座っていることを要求するかのようなそれは、会長のことを味方だと考えている俺の意識の現われでもあるだろう。眼前に座っているのが東儀先輩であったなら、この椅子であってさえこうなったかどうか。
 階段を昇ってきために乱れていた呼吸を少し整えたあと、俺はゆっくり話を切り出した。
「まず聞きたいのは知識や情報そのものではなくて、会長の気持ちです。
 会長にとって、副会長はどういう存在ですか?」
「うーん……それはつまり、家族とか親愛の情とか、そういう話かい?」
「ええ。どんな心境で副会長を利用していたのか、その感情が知りたいんです」
「こりゃ手厳しい。
 しかし、どういう存在、存在ねえ……」
 腕を組み、身体をどかっと背もたれに預ける会長。しばらくの間何もない机の上を見つめていたが、ようやく解が出たか、ぽつりと呟いて。
「同情、が近いのかな」
 腕組みしたまま、会長は少し笑った。
「それは吸血鬼同士、という意味でいいんですか?」
「いや、それも確かにあるが、どちらかと言えばあの人に対しての被害者同士という意味でだね。
 もちろん妹として十年近くの付き合いだし、向こうはそれなりに兄として慕ってくれていたから、兄妹としての情もある。……が、所詮十年ちょっとだ。あっちは十七年のうちのそれだが、こっちは残りだけで百年ある。その違いは大きい。
 だからそうだな、白ちゃんや支倉君たちに対する親近感にも近い。分かるだろう、君くらい人間関係に敏感な人間なら、俺や征が心の内を見せていない付き合い方をしていることくらいはさ。君たちより若干付き合いが長いとはいえ、瑛里華もその付き合い上での兄妹関係ということだよ。軽んじているわけではないが、根本を揺るがすほどに重いものでもない。
 しかし被害者意識はうわべだけのものじゃないだろう? そういう意味で俺にとって瑛里華は妹である前に、同じ被害者なんだ」
「では、嫌っているとか、どうなろうと無関心だとか、そういうわけでもないんですね?」
「そりゃそうさ。可愛い妹であることは間違いがないし、そもそも今まで利用して、これからも利用しようとしていることに引け目を感じているからこそ、こうして君の呼び出しに応じたんだ。
 俺が結論だけを欲しがるマッドサイエンティストなら、そして瑛里華をどうでもいいと思っているのなら、君を好きになった時点で瑛里華をどこかに監禁すれば済む話じゃないか。あの人だったらやりかねないが、それをしないだけ俺はまだ人間だってことだよ、支倉君」
 そして自嘲気味に「だからこそ辛くもあるんだが」とも呟く。
 そうだ。会長の「自分がそんな生き物だなどと、断じて認められない」という言葉は、彼が人間という価値観の枠に収まっていたいという欲求の現われでもある。副会長にしたってそう。彼らは吸血鬼という別の生き物でありながら、人間らしく生きたいと思っているから苦しいのだ。そしてそれでも、人間であることをやめようとはしない。
 彼らを別の生き物であると断じることは簡単だ。身体能力ひとつ取っても、それは俺たち一般人とは遙かに異なるポテンシャルを秘めている。姿形は同じであれ、性質に差異があるという事実を覆すことはできない。要はそれを認められるか、認められないか。ただそれだけの問題に帰結する。
 きっと、だからこそ会長は東儀先輩と袂を分かったのだろう。東儀先輩は会長や副会長に対して冷たくあたっているわけではない。伽耶さんに対しても人間同様に接しているだろう。だが、そこには厳然として、彼らが吸血鬼であるという絶対の認識が横たわっている。東儀征一郎は彼らを人間だとみなして接しているわけではない。「吸血鬼に対して」「あたかも人間であるかのように」接しているに過ぎないのだ。それはおそらく、その聡明さと背負うしきたりによって導かれた生き方。
 それゆえ俺は断言する。
 その考えが愚かであるとは言わないが、しかし確実に間違っていると。
「じゃあ、その引け目と人間らしさついでに、二つほどお願いしたいことがあるんですが」
「君も随分エグいものを交渉に持ち出すね。生徒会の影響かい?」
「どうですかね。そこまでして何かをしようと思ったことなんて、今まで一度もなかったですから」
 少しだけ身を起こし、会長に対峙する。俺の堅さとは対照的に、会長は机に肘付き崩した体勢。しかしその目は、間違いなく相手を射抜くそれであり。
「一つ目は、人間としてではなく、吸血鬼として俺のお願いを聞いて欲しいこと」
「……いいだろう。聞こう」
 おおかた予想はついたか、その表情は一層険しくなる。だから俺は、
「二つ目は――」
 逆に安堵感さえ抱いて、言った。

「――千堂伽耶を、消してください」


next

++++++++++


Short Story -Fortune Arterial
index