[An episode after true story]
7.祭、終わって


 かすかに残る夕陽も沈み、吹き抜ける風は秋の色を帯び始めていた。
 そんな中、遥か遠くから聞こえてくるのは、まるでファイヤーストームの勢いが乗り移ったかのような、情熱的なフォークダンスの音楽。音を聞いているだけで、あたかも後夜祭に参加しているかのような気分になってくる。
「あーあ、兄さん、これ絶対音量上げてるわね」
 そして俺と同じようなことを感じつつも、隣でそんな情緒もへったくれもない感想を漏らしたのは、既に制服に着替えている副会長だ。しかしその表情はどこか晴れやかで、兄に対するその声音も、いつも以上に優しげに聞こえる。いつも通りの呆れ半分、いつもと違う楽しさ半分といったところ。
 ……演劇が終わり、俺たちは後夜祭に参加することなく学院を後にした。理由は何のことはない。紅瀬さんがこの場所を俺たちに貸してくれたから。「せっかくだから伽耶を連れてってあげて」という言葉とともに。
 つまりここは、もはや言うまでもない、紅瀬さん御用達の丘である。
「でも良かった。なんだかんだでうまくいったし」
「そうね。でも支倉くん。予想してなかったわけじゃないけど、一つ言っていいかしら?」
「うん?」
「人の母親を、二度も泣かせないで欲しいわ」
 明らかに作り物の表情で、言う。だから俺が笑って返すと、彼女もふっと微笑んだ。そうして、立ったままの俺たち、彼女が一歩近づいてきて。俺の肩口へ手を伸ばす。そこには。
「ふふ、こうしていると子どもにしか見えないわよね」
「良いのか? そんなこと言って」
「寝てるんだもの、構わないわよ。面と向かって言うと、怒るならともかく、拗ねるんだもの」
 楽しげに笑って、副会長は俺の肩、おんぶされている伽耶さんの頭をそっと撫でた。
 そう。劇が終わった後、舞台袖で伽耶さんは突然ふっと寝入ってしまったのだ。片付けに来ていた会長なんかはそれを見て「泣き疲れるなんて、子どもだねえ」などと面白おかしく言っていたが、きっとこの二日間の疲れが溜まっていたのだろう。それに加えてこの劇だ、精神的な変化も大きかったであろうことは疑いようがない。
 そしてまあ、起こすのも忍びないと言うことで、俺がこうして背負ってここまで来たということである。
「ん……父様……」
 ぎゅう、と首に回された腕に力が込められた。落とさないように背負い直すと、一層ぎゅっと密着してくる。見れば、伽耶さんは副会長に頭を撫でられ、気持ちよさそうに頭を俺の肩へとうずめていた。漏れる吐息から、なんとなく目覚めが近いようにも感じられる。
 その様子に、再び副会長は微笑んで。
「きっと、稀仁さんの役は支倉くんにやってもらいたかったんじゃないかと思うわ」
「そうかもしれないな、とは思ってたんだけどね。俺じゃ力不足だよ。それに稀仁さんの気持ちを知っている俺が役者をやったところで、得るものなんてないだろうし」
 それに俺は、いくら紅珠を飲んだとはいえ、現代に生まれ現代に育った人間だ。当時ですら百年を超えて生きていた稀仁さんの役など、務まろうはずがない。
「……それなら兄さんの気持ちも、聞いてみたいところだったけど」
「あの人なら大丈夫だろ。それに自立した息子と母親なんて、仲が悪いくらいが丁度いいんじゃないかな」
「あら、経験談?」
「まさか」
 あの夜、会長は伽耶さんに直接告げられている。家族のままで居て欲しい、と。
 だから大丈夫。二人は反発し合いながらも、きっと独自の関係を構築していくに違いない。会長は伽耶さんの真意を知っているし、伽耶さんもまた同様だ。そこに副会長という強力なかすがい――最も、会長と伽耶さんは夫婦でないけれど――が居れば、絶対うまくいく。俺はそう確信している。
「ぅん……」
「あ、母様。起きた?」
「んあ? ……ああ、瑛里華か。今日は随分と暖かいから、朝餉の支度は――――」
 ふわふわとした調子で目蓋をこするその仕草のあと、寝ぼけ眼と目があった。のんびりしていて、急に人間に気付いたときの猫のような反応。大きな瞳が、更に大きく見開かれて。
 ぐっ、と身体が強ばって。直後、神速。
「き、貴様――ッ!」
「ちょ、伽耶さ、痛っ、俺何も、いやだから、痛いっ、あのっ」
「う、うるさい! ええい、人が折角良い気分で眠っておるところを!」
 ぱこんぱこんと、容赦ない扇の雨あられ。高低差が無いため、その攻撃力はお互い立っているときの比ではない。感覚的に言うと、すっげー痛い。
「ま、まあまあ、母様。支倉くんも悪気があったわけじゃないんだから」
「ぬむ、ううむ……」
 副会長のなだめで、ようやく連撃が止まった。
 しかし悪気って。むしろ好意ですらあるのだけれど、まあ、扇が止まったのだから一応よしとしよう。
 そうして扇が仕舞われ空いた手、ぽんぽんと今度は軽く俺の頭を叩いて。
「おい、さっさと下ろさんか」
「下ります? 疲れてるなら、遠慮しなくてもいいですけど」
「構わん。下ろせ」
 なぜか偉そうに言う。
 丘の斜面、俺がゆっくりと屈むと、手が土につきそうなくらいにまでしゃがんだところでぴょこんと伽耶さんは飛び降りた。密着していた背中、暖かさが風に流されていくようでちょっと寒い。
「いいの、母様? どうせ誰もいないんだし、恥ずかしがることはないけれど」
「よい。それに何も、恥ずかしいからというわけでもない」
「……?」
 副会長とともに首を傾げる。
 伽耶さんの様子を見る限り、どうやら照れ隠しというわけではないようだった。伽耶さんは俺から下りた後、下駄でうまくバランスを取りながら丘を数歩くだり、真剣な表情で遥か遠くを見つめ始めたのだ。
 知っているわけではなかろうが、その方角は奇しくも紅瀬さんが見ていたのと同じ向き。
「いつまでも子どもの世話になるわけにもいくまいよ。世界は広かれど、あたしには時間もある。自分のことくらい、自分で判断できるようにならねばな」
「……さっきの劇のことですか?」
 聞くと、伽耶さんは振り返って。
「何を判断するのにも、拙速と固定観念は良くないということだ。お前らの意見を軽んじるわけではないが、それをうまく判断するだけの経験があたしにはない。……なんせ、二百五十年、ずっとこの島におったのだからな」
「稀仁さんを待っていた……?」
「そうだ。まあ、そのことに後悔はしておらん。どちらにせよ、お前らにおんぶに抱っこの状態で居るわけにもいかないということだ。お前らが許すと言ってくれたこと、それ自体には確かに感謝できる。しかしそれでよいのかとなると、あたしには判断がつかんし、また、すぐさまつけるべき問題でもないと思うてな」
 そうして伽耶さんはまたも空へと視線を投げた。
 島から出たことのない伽耶さん。この広大な世界は、その目にどう映っているのか。
「いずれ見聞を広めるために、島を出ることもあるやもしれん。そればっかりは、自分の足でないと全く意味がなかろう?」
「母様……」
「罪は単純な二元論には還元できん。許された罪を探し続けるのも愚か、自らに罪がないと開き直るのも愚か、償いを求めそれが生き甲斐になるのも愚か。いずれも愚か、愚かなりよ」
 呟くように言う伽耶さん。それは自分に対してなのか、あるいは有り得た未来に対してか。今の俺にはよく分からない。
 しかし、分かることが一つだけある。
 伽耶さんはそこまで分かっていて、だからこそいつかは救われるだろうってこと。
 何年先かなんて、そんなものは分からない。どんな救われ方なのか、それだって想像できやしない。
 でも、それでも、伽耶さんはきっと救われる。自分が救われるべきかどうか、事ここに至って未だに疑っている人が、それでも救われないなんてことは、絶対にない。あるはずがない。
「母様」
「うん?」
 だから、言う。
 副会長は俺に目配せ。頷きを返すと、彼女は伽耶さんへと向き直って。
「家族はね、いつだって互いの幸せを祈っているものなのよ」
「……ああ。あたしだってお前たちが幸せであるよう願っているし、自分が不幸になろうだなんて思ってはおらんよ」
 日が沈み、遠くからは陽気な音楽が流れてきているこの丘で。
 伽耶さんは穏やかに笑いながら、しかし誇らしげにそう言ったのだった。

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