[An episode after true story]
6.文伽祭


「珠津島に残る伝承の一つに、鬼に関するものがあります。知っている方もいるでしょう。姫を攫った鬼が、殿様の祈りを聞き届けた島の神様によって退治されるお話です」
 幕が上がらぬまま、ナレーションが始まる。静謐な、そして暗闇の会場に響くその声は、打ち合わせで決まっていたのとは違う人の声。本来は白ちゃんの録音テープだったはずだ。けど、この声は違う。おそらく昨日の夜にでもなって、白ちゃんが直接頼んだに違いない。芝居と違い声だけだ、原稿さえあれば確かに土壇場でもどうにかなるだろう。
 透き通るような綺麗な声は、シスター天池のものだった。
「しかし、伝承が常に真実とは限りません。心優しい鬼。人恋しさから里に下りた彼が、本当に姫様を攫ったりしたのでしょうか? これから始まる物語は、鬼である彼――マレヒトと、その家族のお話です。現代に続くその長い軌跡の発端となるのは、二百五十年ほど前の珠津島。……伝承に覆い隠された真実を、どうぞご覧になっていってください」
 シスター天池の声が終わると同時、ぱっと舞台がライトアップされる。それを受けて徐々に上がりゆく舞台幕。割れんばかりの拍手がその開幕を歓迎して。
「……」
 何か喋ったのかどうかは、拍手の音に紛れていて分からない。しかし膝上に収まるその小さな身体が少しばかり強ばったことを、俺はしっかり感じ取った。ということはつまり、これから始まる劇が、自分をモチーフにしたものであることが分かったということだ。それでもあえて声はかけず、無言のまま視線は眼前の壇上へ。
 幕が上がりきる。そこに置いてあったのは、室内を表す背景大道具。いくつかの畳が敷かれ、その真ん中には囲炉裏がある。左奥には壁があり、その手前にはいくつかの木製の棚。角には木目が丸出しの家の柱が立っており、向かって右側は薄汚れた障子によって仕切られていた。江戸時代をイメージした木造家屋。薄ぼんやりとした印象が全体からにじみ出てきているのは、おそらくは照明か。その家が決して裕福でないことを物語っているかのよう。
 そして。
「おおおお……!」
 会場の歓声は、その室内、右へ左へとまるで何かを待っているかのように歩き回っている一人の役者に対するものだ。決して綺麗とは言えない紺色の和服。その背に流れる長い髪。畳の上、当然のように素足の彼女は、言うまでもなく副会長その人である。
『あーあ、父様はまだかなあ。早く帰ってこないかなあ』
 可憐な声は、役作りのためか地声よりもやや高め。それでもそこに緊張のようなものは見出せず、そのことに俺はちょっとだけ安堵した。さすがは副会長、こういうときはきっちりと決めてくれる。
「おい、あれはまさか」
「ええ。とっても似てるわよ、伽耶」
「……ふん」
 会話は俺の膝上と隣で。実際に当時を知っている紅瀬さんに言われては反論もしにくいのか、伽耶さんは鼻を鳴らしただけでその顔を舞台の方へと戻した。それがどのような感情に起因するのか、表情を見ることもできないこの体勢では分からない。
 でももしかしたら、伽耶さん、副会長が自分と似ていると言われて嬉しかったんじゃないだろうかなんて、そんなことを思ってみる。誰だって嬉しいものだ、子が自分と似ていると言われるのは。
『おーい、伽耶、いま帰ったよ』
『あ、父様!』
 声に遅れて、障子が開かれその『父様』が姿を現す。同時。
「んなっ!? おい貴様、どうして父様の役が――」
「おおおお、会長ー!」
「伊織先輩ー!」
 副会長のときよりも、いくぶんか黄色さが増した大歓声。相変わらずの凄まじい人気ぶりを、兄妹揃って見せつけてくれる。
 そもそもこの劇自体、あの二人が主演だからということで見に来た生徒も多いのだろう。白ちゃんのクラスがこの島の昔話を元にした劇をするという話を聞いて以来、数多の生徒と交渉を重ねてこうして生徒会主催になったわけだが、その過程、二人が主演であるというアピールポイントが最大の武器になったことは、交渉に当たっていた俺が一番良く知っている。
 そしてその人気ぶり、その歓声によって、会長の登場と共に即座に放たれた膝上の叫びも一瞬にしてかき消えた。予想していたことでもあり、俺は冷静に左手でその口を押さえつけて対処。口元に人差し指をあて、「静かにしてください」と注意すると、気付いたか、その手をどかしつつむっと唇をとがらせて。
「なぜ、よりによってあの男なのだ。あたしに対する嫌がらせじゃないだろうな?」
 膝上に座りながら、半分振り向きつつ睨み付けてくる伽耶さん。舞台装置による逆光、つり上がるような紅の視線、怒気を孕んだ声。ちょっと迫力がある。
 さてどう説明したものか、思案していると手助けは俺の隣から差し伸べられた。
「伽耶。貴女と同様、あの人も貴方のことを嫌っているはずでしょう?」
「ああ。だから嫌がらせだと言ったのだ。伊織ならやりかねまい」
 ですよねー、と思わず頷きかけた俺に対し、紅瀬さんは首を振りつつ応える。
「たとえ嫌がらせだとしても、なにも自らすすんでマレヒトの役になる必要はないでしょう? 伽耶の大切な人を演じるということ、それはあの人にとってだって好ましいことではないはず。そもそも彼自身、散々楽しみにしていた閉会式を潰してまで、この劇に出ることを承諾しているの。そうよね、支倉君?」
「ああ、うん、そう聞いてるよ」
 あっけないくらいあっさり承諾したわ、とは説得しにかかった副会長の弁。まあその代償として、開会式と昨日の寸劇は会長の好きなようにやらせてしまったわけなのだが。それが成功だったのか失敗だったのかは、この劇が終わるまでは分からない。
「だから伽耶、彼がマレヒトの役をしようとした理由、考えてみる価値くらいはあると思うわ。……もっとも、あの人のこと、当然伽耶に対する嫌がらせかもしれないし、また想像すらし得ない下らない理由であるかもしれないことも、否定はできないけれど」
「……」
 伽耶さんは視線を切って、舞台上、おそらくは会長へとその目を戻した。その登場で思わず前傾姿勢になった身体もゆっくりと俺という背もたれに預け戻し、強ばりもふっと消える。小さな手は、抱えるようにしている俺の腕の上にちょこんと置かれ、感じた動きはわずかな溜息。収まりゆく歓声の隙間、耳に届いた声。
「ふん、あいつがそんなに深く考えているわけがあるまい」
 辛辣な、しかし、その内容とは裏腹に優しい口調で吐かれた言葉。自らの子の欠点を指摘する、しかしそれにすら可愛さを覚えている母のような。あるいはまた、子の思わぬ成長に驚いた照れ隠しのような。その言葉に隣からは漏れるような笑い声も聞こえて、きっと今の俺も紅瀬さんと同様の表情をしているに違いない。
 だからなんとはなしに、その小柄な身体を抱く腕、ちょっとだけ力を込めてみる。
「……?」
「いえ、その。なんか、暖かくて」
「……まあよい」
 返事をするだけして、しかし特に関心なさげに劇を見守る伽耶さん。隣で紅瀬さんが再び笑った。
『稀仁さん! うちの家内も倒れちまって……!』
『分かりました、すぐ行きましょう。……しかし、これでいったい何人目だ?』
 そうして、壇上。
 島唯一の水源から水を引くための用水路の建設工事――千年泉とその下流域のことだ――から帰ってきた稀仁さんが一息つく暇もなく、顔面蒼白になりながら稀仁さんの家へ男が駆け込んできた。妻が倒れたというその助けを求める言葉に、稀仁さん――まあ、会長だが――はすぐさま木箱を持って立ち上がる。鬼の怪力、それはすなわち島外からの技術と知恵。土木から医療まで、その貢献は幅広い。
 舞台は一度暗転し、今度は屋外。何やら話し合っている村人たちのところに、診察帰りであることを表しているのだろう、救急用の木箱を抱えた会長がゆっくり登場して。
『おーい、稀仁さん。どうだったね?』
『あ、これはこれは。それがやはり、どうにも……お役に立てず、申し訳ない』
『そんな、稀仁さんのせいじゃないさ。……今話してたんだがな、これはやっぱり、東儀様がお祈りを欠かしたせいにちげえねえよ』
『彼女が?』
 会長は首を振って、
『言い訳するようで心苦しいのですが、あれは流行り病です。誰のせいというわけでもありません。ましてや彼女が祈りを欠かしたせいだなんてことは……』
『稀仁さん。あなたが東儀様を庇う気持ちはよく分かります。何せあなたにとって、東儀様は伽耶ちゃんの保護者であると同時、自身の命の恩人でもある。しかし、しかしですよ、東儀様が祈りを欠かしたのでなければ、ではなぜこんな病が流行るんですか! なぜ、私の息子は死なねばならなかったのか、理由は東儀様以外に考えられんでしょう!?』
『そんな……』
 稀仁さんは言い淀むが、しかしそれに対して他の村人たちもそうだそうだと同調する。
 ……近代以前、流行り病や天災はいわゆる神の怒りのようなものとして考えられていた。豊作を神に祈願するのも、神がその結果を左右すると信じられていたためである。現代であれば洪水や地震が短い間に連続して起こったとてその関連を考える人間はいないが、昔はそれをこれ以上ない凶事であると考えたのだ。そしてまた、それが原因で元号の改めや天皇の交代、あるいは首都の移転などといったことも現実に行われている。
 だから当時の村人たちは、ただ純粋に、ただ愚かに、責任をなすりつけたい「理由」を求めたわけではない。凶事が起こったからその責任を祭司へと求めること、それは当時は至極当然のことだったのだ。ほとんどの現代人が細菌やウィルスに病の原因を求めているのとまったく同じことである。
『ともかく、稀仁さんには悪いが、東儀様のせいであるっていうのは村中の総意だ。俺たちの息子や家内は、東儀様のせいで死んだんだ!』
『……』
 村人達の怒りに対し、稀仁さんが沈黙するところで再び照明が落とされる。それとともに、思うところがあるのだろう、俺の腕を掴む小さな手にぐっと力が込められて。
「父様はいつもみなに慕われていた。頼られていた。そしてまた、父様はそれに充分なほど応えていた。なのに……なぜだろうな」
「伽耶……」
 流行り病で混乱する村を、伽耶さんも紅瀬さんもその目で直に見ているはずだ。そしてまた、それに奮闘する稀仁さんの姿をも。
 村人は稀仁さんを頼り、稀仁さんはそれに応えようと努力した。当時の衛生状態、医療技術では、その流行り病に対する絶望感は相当だったはず。それでも稀仁さんはそれに耐え、精神的に不安定な村人の対処もし、なおかつ東儀家すら守ろうとした。それを見ていた伽耶さんだ、だから尚更信じられなかったのだろう、これから起こったこと――つまり村人たちの稀仁さんに対する敵視が。
 子どもから見て、その怒りはどれほどのものか。今まで父を頼っていた村人たちが、今度は一転して彼を執拗に責め始める様子。天地が逆転したってまだ足りない。鬼でなくとも、狂いもする。まして当時、紅瀬さんたち子どもには稀仁さんは当の流行り病で死んだと思われていたのだ。どこに責められる謂れがあろう?
 伽耶さんに鬼としての力があって、そのせいで忌み嫌われたことなど、所詮偶然による結果論にすぎない。擁護されるべきは伽耶さんの方だ、絶対に。
『病の原因として、私を処刑していただきたい』
『そんな……!』
 壇上では物語が続く。
 稀仁さんが、東儀家当主に自らの処刑を申し出る場面。荘厳な社の背景は東儀先輩全面協力だけあって威圧感すら秘めている。手前に跪くのは、稀仁さん役である会長。そしてその先、一段高い場所で正座をしている巫女服姿の女性は、当時の当主役であるかなでさんだ。いつもの明るい表情は鳴りを潜め、深刻な面持ちのまま、頭を下げる会長を見つめている。
 ここで交わされた会話を伽耶さんと紅瀬さんが知るのは、これから二百五十年も後のことになる。あるいは、たとえもし聞いていたとしても、子どもでは理解できまい。幼い娘を置いて先に逝く辛さが分かっていて、それでもなお東儀の当主と村を救いたい稀仁さんと、無実の異邦人を犠牲にしなければならない立場に置かれたその当主。二人の心中を察することなど、今の俺にすらできはしないのだから。
『……分かりました。では、あなたの言う通りに』
 悲痛な声で明かりは落ち、そうして場面は変わっていく。
 再度照明がついたとき、そこは再び稀仁さんの家。日付は東儀家当主が承諾した翌日、七月十一日。村の中で伽耶さんだけが祝われる「誕生日」、その前日のこと。
「……」
 運命の日に対して、伽耶さんは何を思うのか。俺の顔よりやや下に位置するその表情、横から盗み見たところで胸中を推し量ることはできなかった。
 後悔、憤怒、諦念……どれも違う気がして、だからこそ思う。二百五十年も昔の出来事、それに対する感情を表す言語を、人間が持ち得ようはずもないのだと。
『伽耶。今日は私と東儀様のところへ行かないか?』
『え? もうお外へ出てもいいの?』
『ああ。もっとも、私と一緒なら、だが』
『うん、行く!』
 落ち着き払った会長の振るまいに対し、幼子のように感情を身体で表す副会長。通常であれば違和感しかありえないその芝居も、しかし、これ以上ないくらいに見事にハマっているように見える。おそらくそれは、自身の役に対する思い入れの強さゆえ。どちらの役者も、その人がその時どう思ったのかを理解しようと努めている。だからこそ、違和がない。理解しようと努めているから違和がないのだ。理解したつもりの演技だったなら、そこにはやはり違和感だけしか残るまい。
『いいかい、伽耶。これから教えることは、とっても大事なことなんだ。絶対に守ってくれると、約束してくれるかい?』
『うん!』
 そうして、東儀家。稀仁さんは、後に悲劇的な誤解を招く教えを残す。
「友を作り、血をもらいなさい」
 それは血を飲むことで「獣」を抑えるため。友人を眷属にするという悲劇を、娘に繰り返して欲しくないから。
「家族が欲しくなったら、東儀家が用意した人間に珠を使いなさい」
 それは永遠を生きる孤独から逃れるため。人外には人外の家族が必要だから。
 ……会長の言葉、重ねるように口にした伽耶さんの考えはやはり分からない。
『そして――』
 稀仁さんが、伽耶さんに「獣」が居ないことに気付いていれば。
 あるいは伽耶さんが、稀仁さんの教えの意図に気付いていれば。
 そしてまた、東儀家や紅瀬さんがもう少し非情であってさえくれたなら。
 そのどれもが、結果から見た都合のいい仮定。しかし、有り得たであろう仮定。だからこそ現実の二百五十年は悪い運が積み重なってしまったもので、その責任を伽耶さんだけに求めることは、たとえ伽耶さん自身が殺すことになってしまった誰かにだってできやしない。
『明日の誕生日は盛大に祝おう、伽耶』
 会長の声に、副会長の表情がぱあっと明るくなる。優しい嘘。その縛りが破られるのは、二百五十年もの先のこと。
 ……無論、だからといってここで事実を言っていれば良かったのかというと、その是非は伽耶さんにだって分かるまい。
「のう、桐葉」
 舞台の場面が変わっていく中、腕に収まる伽耶さんは視線を前にしたまま声をあげて。
「どうして父様は、あんなことを言ったのであろうな。その日のうちに自らが犠牲になることが分かっていながら、翌日に誕生日を祝おうなどと」
 誕生日を祝う習慣のない国。だからこそ誕生日を祝ってもらえるのは自分だけで、幼い時分の伽耶さんがそれをどれだけ嬉しく思っていたかは想像するだにあまりある。まして稀仁さん以外の人も祝ってくれはじめていた時期だ、期待も大きかったろう。盛大に祝おうなどと言われては、その日は楽しみで寝付けなかったかもしれない。わくわくして、どきどきして、嬉しくて、そうして、待ちに待った翌朝を迎えてみれば、父は殺され自分は鬼として扱われていた。年端もいかない子どもの精神、それに耐えられようはずもない。
 なのに、どうして稀仁さんは期待させるようなことを言ったのか、と伽耶さんは問うている。もちろん批難するつもりは毛頭あるまい。その一言がなかったからとて、父が死んだことを受け入れられていたとも思えない。それでも、疑問は疑問。今となっては、自らの決意を語っていて欲しかったという思いがあるのだろう。
「私にはよく分からないわ。支倉君の方が、より的確な推測をできると思うけど」
「……どうしてそう思う?」
 紅瀬さんは応えず、俺ににやりとした笑みを返しただけ。アイコンタクトが俺の思いこみではなくてきちんと成立しているとすれば、それはある種のからかいだ。俺に対しての。
 意図が伝わったことが分かったか、紅瀬さんは視線を外しつつ立ち上がり。
「ちょっと出てくるわ」
 さらっと言って、ふらっとどこぞへと歩き去ってしまった。あまりに違和感がなさすぎて、止めるタイミングすら図れない。こうまでうまくできるとは、と心の中でわずかに賞賛。
「伽耶さん、隣座ります?」
「あたしはこのままでよい。桐葉に迷惑をかけるわけにはいかんからな」
 俺にならいいのか、なんて思いつつぐいっと伽耶さんを抱え直して、
「稀仁さんは伽耶さんに心配をかけたくなかったんでしょう」
「お前な、あたしだってそれくらい――」
「副会長もそうでしたから」
 遮って言う。
 伽耶さんはくっと首を回してこっちを向いた。
「瑛里華が?」
「ええ。もっとも、途中で会長がわざと漏らしてくれましたけど。
 副会長、学院を卒業するまでに眷属を作れなければ、屋敷に戻る約束だったでしょう?」
「あ……ああ、そうだ。……瑛里華には悪いことをしたと思っている」
「いえ、俺も副会長も、それが娘を思ってのことだったってことくらい、今は分かってるつもりです。ともかく、副会長、自分がそういう運命にあることを自分からは決して言い出さなかったんです。これは後になって聞いたんですが、あいつ、俺に悟られないようにある日突然屋敷に戻ることも考えていたみたいなんですよ」
「……」
 伽耶さんが複雑な表情を見せる。それが俺には、どこか嬉しい。
 副会長がしようとしたことは、稀仁さんのそれと同じだ。当然のように明日の話をしておきながら、その日のうちに居なくなる。そんな危うさを当時の副会長は秘めていたし、こうして付き合ってみて分かったが、そういう決意をしてしまうやつなのだ、彼女は。
「残された方は堪らないですよね。ましてや、自分ではどうしようもない問題が相手では」
「……慰めてるつもりか?」
「同意を求めてるつもりですけど」
「ふん。二百年早いわ」
 口ぶりとは裏腹に、どことなく笑いながら伽耶さんは首を戻した。
 それと同時に、俺の胸元にかかるその重み、わずかながらぐっと増した気がしたのは、きっと気のせいではないのだろうと思う。応えるように腕に少しだけ力を込めて、俺も再び舞台へと視線をやった。



 稀仁さんが自刃するシーンは圧巻だった。
 伽耶さんを東儀家へと預けたその日の夕方。村人が異臭に気付き、稀仁さんが病の原因であると断じられる。そうして稀仁さんは千年泉の方まで逃げていくわけだが、それは稀仁さんの演技なわけだ。となれば二重の演技をすることになった会長、稀仁さんのその行いを、どういった気分で演じているのか。客席からでは分かろうはずもないが、しかし、思うところはきっとあるに違いない。
 そうして泉の崖まで追い詰められた稀仁さんと村人との間で、無数の罵詈雑言が飛び交う。手のひらを返した村人たち。このときの稀仁さんの悲しみを、俺は実際に当人の日記から感じ取っている。それは、村人たちを罵倒せねばならないことへの悲しみ。彼は最後の最後まで、村人たちのその変化を責めることはなかったのだ。
 伽耶さんもまた、そのことを知っている。知っていながら、それでもやはり悔しいのだろう。その場面、終始伽耶さんの身体は緊張しっぱなしだった。仕方ないことだと思う。
『……』
 崖の端、じりじりと下がっていく会長。対して数多の人間の先頭に立つのは、巫女服を纏ったかなでさん。頬に流れる涙は、練習ではついぞ出なかったものだ。分かる。あの人は、そういう人なのだ。
 そうして稀仁、つまり会長は短刀を胸へと突き刺し、泉を模した背景の奥へと落ちていく。演技とは思えぬほどの切迫感は、受け身を考慮する必要がないその身体ゆえ。あるいはその感情ゆえ。
 彼は知っている。稀仁さんと同様に、友人を眷属とすることに伴う孤独感を。この演劇では示されない稀仁さんの過去。会長もまた、東儀家の先祖たちの亡骸を実際に目の当たりにしている。そのうえ、東儀征一郎という親友の眷属を持ってもいる。
 だから、共有しているのだ。稀仁さんと、その虚しさを。
『さらばだ、伽耶』
 会長の台詞とともに泉の波しぶきの音が聞こえ、そうして昔話は幕を閉じる。二百五十年前の、権力者によって覆い隠された真実の歴史。この島にたどり着いたある鬼の、優しく悲しい物語。
 幕が完全に閉じられ、それとともに会場からは開催時を上回るほどの拍手がわき上がった。しかし普段は起こる指笛に代わり、今日交じって聞こえてきたのはひっそりとした嗚咽の声。見れば、紅瀬さんが居た席の隣に座っている女子生徒もハンカチで涙を拭っていて、おそらくはこの客席、同じような生徒が幾人もいるに違いない。
 それはつまり、劇のここまでの内容が成功だったことを意味している。
 そう。「ここまでの」内容が。
 ――舞台を照らすライトは未だ、消えていない。
「よくもまあ、本人に許可も得ずにこんな話を作れたものだ。しかし、うむ、不満は多々あるが、事後承諾ということにしておいてやる。伊織はともかく、瑛里華の演技はなかなか似ていると桐葉も言っておったしな」
 拍手をし終え、伽耶さんがぶっきらぼうにそう言ってくる。態度にも口ぶりにも不満の色が見えないのは、たぶんかなり納得のいくデキだったからに相違ない。自分では決して言わないだろうが。
 だから。
「良かったです。それじゃこれ以降は、本人同意の上での劇ってことになりますね」
「なに?」
 怪訝な顔。しかしその表情は、俺から見れば逆光に照らされていて。気付いて、伽耶さんは振り返る。それと同時、拍手後の静寂が一転、今度は客席が一気にざわめき立つ。
 幕が再び、上がっていた。
「お前、まさか――」
「最初にナレーターが言ってたでしょう? 現代に続く話、だと」
 壇上。どことなく東儀の社を思い出させる、そしてまた俺や伽耶さんは確実に知っている場所を表現した背景がそこにあった。床に敷かれているのは綺麗な浅黄色の畳。それに合わせた色の襖が両サイドに揃えられていて、そして舞台の奥には、人一人を容易に覆えるほどの大きさの御簾が垂れ下がっていた。背後からのライトアップか、人物像が浮き上がっている。
『入れ』
 御簾の奥から声。サイドにある襖のうちの一枚が丁寧に開けられて、巫女服姿の陽菜がその畳の部屋へと入ってきた。ゆっくりと部屋の中央までしっかりとした足取りで歩き、礼をしたあと客席に背を向け、御簾と向かい合う形で正座する。
 ……そう。これは、現代に通じている物語。
『東儀の当主も暇なものだな。懲りもせず、よくもまあこうも頻繁に』
『申し訳ありません。ご迷惑とは存じますが』
『分かっているなら来なければよかろうに』
 手前の陽菜が深々と礼。対して、御簾の奥では不機嫌そうな扇の音がぱちりぱちりと響いている。
 当然のごとく、いつかどこかで見た光景だ。
『用件はまたいつものことであろう? いくらあたしに時間があるとはいえ、つまらんことをいつまでも言うようであれば、お前とて容赦はせんぞ。それとも己が父母のようになってみるか?』
『……私の意見は変わりません。もう、ご自分の娘を縛り付けることはおやめください』
『縛り付ける? 不出来なあやつを更生させようとしているだけだ。あんなものは娘ですらないし、そも、不出来であるというのに更生の機会を与えているだけマシだろう? あたしは二十年も我慢したんだ、あやつはそれに報いねばなるまい』
 声音は冷徹。御簾の向こう、その傲慢さに含まれる威圧感は演劇と言えど迫力があって。
「おい。本当に、ああ、だったのか……?」
「できる限り再現したつもりです」
「……なれば、目を逸らすことは許されまいな」
 俺の胸元、寄りかかっていた身体がふっと離れ、ぴっとその背を伸ばす。
 御簾の「こちら側」から見る光景、今の伽耶さんの目にはどのように映っているのか。対立構造は逆しまに。
 劇は続く。
『伽耶。もういいかげん、終わりにしましょう?』
『桐葉か』
 陽菜が入ってきたのとは反対側の襖から、制服姿のまま登場したのは本人役の紅瀬さんだ。その膝を畳につくことなく、いつもの調子で御簾の方へと向き直る。
『恨み続けるだけでは、何も手には入りはしない。この二百五十年間でそれが分かったでしょう? これ以上、犠牲を増やす必要はないはずよ』
『眷属の分際でよくもまあ大それたことを言えたものだ。そも、本人らがその縛りを解くことを望んでおるまい。特にうちのが懸想している支倉とやらは、眷属となることも辞しておらぬようだが?』
『それは……』
 紅瀬さんが言い淀む。
 それと同時、俺は膝上の伽耶さんをひょいっと持ち上げ、座席の前へと下ろし自らの足で立たせた。突然のことで伽耶さんの身体はよろめいて。からん、と一つ二つ下駄の音。
「ど、どうした? 足が痺れでもしたか? しかし、何もこの場面で突然下ろさんでも――」
「来ますよ」
「来る? 何がだ?」
 応えず、俺も椅子から降りて腰をかがめる。むろん、後ろの席の人の迷惑にならないためだ。伽耶さんは立ちっぱなしだが、まあいい。
『どっちの手引きかしらんが、本人らも来ているようだしな。あたしが気付かぬとでも思うたか?』
『伽耶様、彼らは――』
『聞こえているのだろう? 入ってくるがよい、瑛里華、それに支倉とやら』
 御簾の奥からの声が終わると同時、久々の強光に一瞬目が眩む。暫し後、視界を取り戻しつつゆっくりと立ち上がって。
「お、おい? なんだ、これは?」
「行きますよ、伽耶さん」
「い、行く? どこへだ……おいっ?」
 驚きのせいか、俺の足にしがみつくようにしている伽耶さんの手を取って、そのまま壇上へと歩き出す。金髪碧眼のあの人が操る講堂後方の照明は、俺と伽耶さんにきっちりと追随していた。

 そう。これこそ、この劇最大の仕掛。
 ――言ったはずだ。これは、現代に続く物語であると。

「まさか、お前」
「後戻りできませんよ、『瑛里華』」
 会場も、照らされたのが生徒会所属の俺であることから意図が見えたのだろう、おおっと静かに沸き立つ。そのざわめきに背中を押されるようにして、俺は伽耶さんの手を引きゆっくりと壇上へ。それでまた、再び会場が沸く。副会長をそのまま小さくしたかのような伽耶さんの容姿によるものだろう。
 壇上、紅瀬さんと、そして正座したままの陽菜と目配せ。小声で「あーあー」と声の調子も確かめてみたりして。
『聞いていたろう、支倉とやら。お前からもこの二人に言ってやってはどうだ。余計な面倒を増やすなとな。あたしと瑛里華の関係がこじれるのは、お前とて本意ではあるまい?』
 御簾の向こうからの呼びかけ。俺は伽耶さんとの手を離し、練習通り大きく手を振りながら応える。滑舌はわざとらしいほどに、声はよく通るようかなりの大きさで。
『紅瀬さん、そして東儀先輩は、まったく事態の本質が見えていません。二人の意見は、ただこの問題の解決を伽耶さん一人に押しつけるものです。伽耶さんは、その親心から瑛里華を律しているだけでしょう? それを破棄して好きにやらせろというのは、二百五十年間の孤独を生き抜いた末に娘を育てることに決めた伽耶さんに対する冒涜です。瑛里華とは話し合いの最中ですし、俺が眷属になるだけで双方が円満に解決できるのなら、それ以上のことはありません』
『……だ、そうだが?』
 そうして御簾の影は動き、紅瀬さんと陽菜に目を向けた仕草。俺への反論は陽菜から。
『しかしこれは、私たちの問題です。無関係の人間を巻き込むわけには――』
『俺は自分を無関係な人間であるとは思っていません。それを無関係であるというなら、あなたは俺と瑛里華の関係を軽視しすぎている。若輩ながら、俺は既に瑛里華を守り生きていくと決めた。それをあなたに軽んじられる謂れはありません』
『じゃあ、眷属化についてはどう思っているの?』
 今度は紅瀬さんだ。
『少なくとも、隣の千堂さんは貴方が眷属となることに賛成していないようだけれど? 不可逆なのよ。赤い約束を結んだ恋人二人が迎える結末くらい、想像できないかしら?』
『俺はどうなっても構わないし、瑛里華には説得中と言ったはずだけど。瑛里華だって、伽耶さんの気持ちが分からないはずがない。結果に罪があるとしても、原因は伽耶さんにありはしない。その責を、ただその状況に置かれたというだけの伽耶さんに求めるのは絶対に間違っている。それが理解できれば、俺が眷属になることも受け入れてくれるに違いないと思ってるよ』
『……そう』
 短い呟きとともに、視線はそのまま『瑛里華』へと向けられる。当の『瑛里華』はまだ事態を把握しきれてはいなさそうだったものの、しかし、話を振られたことは分かったらしい。俺の背後から、一歩、御簾へと歩み寄って。
 ――お膳立ては済んだ。
 ここから先に、脚本なんてありはしない。当然だ。これは既に劇ではない。断固として存在する、遙か昔から続く現実。そして現実だからこそ、俺たちに脚本なんて必要なくて。
「あたしは……」
 小柄な身体が広い壇上を支配する。御簾を向いて呆然と立ち尽くす伽耶さんは、おそらく自らにスポットライトが当たっていることにすら気付いてはいまい。
「もう、誤解のために苦しむのは嫌でしょう? 思ったことを正直に言いなさい。支倉君は、それにきっと応えてくれるわ」
「桐葉……」
 いつかどこかで聞いた言葉。
 伽耶さんは目を閉じくっと俺の方へと振り返る。決意を秘めた表情。再び開かれた双眸は、かつてとは質の異なる威圧感が込められていた。

「いまお前は、『伽耶』に責はないと言ったが。あたしはそうは思わんよ」

 そうして、言い切る。
 射抜くように見上げてくる視線。俺はそれを正面から受け止めて。
 視界の端、ライトに隠れた陰の部分、紅瀬さんが少し笑った気がした。
『どうしてそう思う?』
「罪を犯してしまう境遇、そこに身が置かれてしまっていたという点に、当人の意志は確かに介在していまい。しかし、その責を問えるかどうかというのとは話が違う。お前の理屈は、世界が本人だけで閉じている場合においてのみ正しい。そしてまたその感情を、孤独で閉じていた時代、欠片も思わなかったと言えば嘘になろう。だからこそ、それを知りながら重ねた罪は無知のそれより遙かに重い。二百五十年だ、知らぬ存ぜぬでは済まされん」
 どこか他人事のように、落ち着いた口調で語る伽耶さん。事情を知っている者から見れば、その態度に怒りすら覚えることが可能だろう。
 だがこの数ヶ月、伽耶さんを見てきた俺には分かる。声に含まれるわずかな震えは、あの夜、家族を求める告白をしたときに瓜二つで。扇子を持つ小さな手とその指先は、心細さか、かすかに揺れて。言い切り閉じたその目蓋、それは冷静に振る舞うためのものなんかじゃなく、目の潤みを人に見せないための態度だと、きっと俺だけが知っている。
 なぜ泣くのか。答えは簡単だ。それはその罪を重さを本気で自覚しているからに他ならない。
 看過できぬ重罪。常人では背負いきれないその責任。伽耶さんがそれでも耐えていられるのを、罪から目を背けていると断じるのはあまりに大きな間違いだ。二十回という常人ならざる回数、あらゆるしがらみから逃げ続けたことのある俺にはその違いがよく分かる。彼女は押し潰すような自責の念、受け入れることをあの夜決めた。できる償いから、ひとつひとつ。副会長の珠を消したのもその贖罪のうちの一つ。それを繰り返すことでしか、彼女は自分を救ってはいけないことを、自分自身で分かっている。
 だから、言ったのだ。『伽耶』を許すべきではない、と。
 その重い決意を浅慮と己の未熟が故に批難するのは、たかだか百年しか生きられない人間がしていいことでは断じてない。彼女が生涯抱え続ける罪、それは文字通り永遠のもの。人には想像することすら許されまい。
 そして、だからこそ。
「伽耶さん。もう、いいでしょう?」
「――っ!」
 俺の肩にも届かないその小柄な吸血鬼を、片膝ついて抱き寄せる。同じ目線の高さ。顎を肩にのせて、頭をそっと撫で付ける。
「お、おいっ、お前、何を……」
「その考え、立派です。俺が他人なら、あるいは賞賛すらしたいくらいに。……けど、それじゃあなたが辛すぎる。恨むことすら出来ない孤独、己を貶めた理不尽にたった一人で耐え続けた二百五十年間、そこから更に贖罪だなんて、そんなのあまりにむごすぎる。そしてだからこそ――あなたも救われなきゃいけない」
 そう、己の罪を自覚し、その重さを耐えようと本当に思っているからこそ、伽耶さんは真に救われねばならない。
 罪を自覚していない人間を助ける必要は、俺もないと思う。しかし罪を、それも押し潰されるような大罪を自覚し、しかもそれでも償い続けようとする「家族」を、どうして容易に見捨てられよう? 自身の罪だからと、どうして放置することができようか?
「し、しかし、あ、あたしは……桐葉にも、東儀の連中にも……」
 腕の中、呻くような声。しかしそれも、背後からの声に分断されて。
「他の誰かは知らないけれど、少なくとも私は何とも思ってないわ。かつての鬼ごっこも、今では感謝してしまえるくらいよ。被害者が被害がないって言うんだから、それに罪を感じるのはあまり意味がないことだと思うけど?」
「桐葉、お前」
「そして東儀先輩たちもです。あの人は先祖を殺されつつも、それでも自分もしきたりに殉じるつもりで生きてきた。息子が言っているんです、父たちはあれで良かったのだと。加害の自覚は必要ですが、そこに必要以上に罪を感じなければならない謂れはありません。先祖、特に先代は自分の意志でああなったのだと、本人が言っていたそうです。……加えて言うなら、副会長や俺も今ではどうとも思ってませんしね」
「お前ら……」
 耳元。肩に抱き寄せたその声は、いつの間にか震えの質を異にしていた。顔を見ぬまま、落ち着かせるように、それでいて全てを吐き出させるように俺はその髪を撫で続けて。
「お前ら、馬鹿だ。それもとびっきりの、ありえんくらいの大馬鹿者だ……!」
 それだけをようやく言って、彼女の声は嗚咽へと消える。
 確かに馬鹿だ。紅瀬さんも、東儀先輩も、副会長も、あるいは俺だって。自分の人生を狂わせた相手を許そうというのだから。罰を与えようとするどころか、その相手すら救おうというのだから。
 でも、そんなのは他人が決めることじゃない。普遍性や善悪なんてものは、この二百五十年の間に勝手に自己矛盾を起こしてる。今という尺度でしか物事を図れない第三者に、副会長や東儀先輩の決断をとやかく言う筋合いはないのだ。馬鹿な結論に見えようが、愚かな選択に見えようが、そこに妥当性なんてものは必要ない。あるのは伽耶さんとの関係というただ一点。その点において、今までは誰もが優しすぎ、我慢強すぎ、そしてあまりに賢すぎた。
 考えてみれば分かる。紅瀬さんが数十年に一度の再会、そのときですら伽耶さんに対し強い憤りを持ち続けたなら。あるいは東儀家の先祖のうち、誰かが伽耶さんを救おうとする意志を忘れ、恨みを持って接していたのなら。はたまた会長やその弟が、輸血用血液という呪縛から逃れんために生き血を吸い、更に伽耶さんに刃向かっていたのなら。
 それをしなかったということは、つまり逆に言えば、誰もがこうなることを望んでいたに違いないのだ。しかしそれには情報が足りなくて、互いの連携も足りなくて、そして何よりみんな聡明すぎて、そんなことは今の自分たちにはできはしないと決めつけていた。それゆえ持ち前の我慢強さを発揮して、自分を犠牲にし続けるという延命を選択して。
 だから、俺たちは空前絶後の馬鹿なのだ。今までの人たちは、前代未聞の馬鹿レベル。俺たちはその更に上を行った。最初は伽耶さんを許そうだなんて優しさも持てず、その拘束に我慢もできず、そして馬鹿だからこの問題を解決できないことだと見抜くことすらできなかった。そんな二百五十年中随一の馬鹿ばかり。
 しかし俺は、そんな自分たちを誇りに思う。
『……「家族」にこうまで泣かれては、無視できる者もおるまいな』
 御簾の奥から、劇をまとめにかかる声。陽菜が舞台の上を移動して、その御簾をさっと引き上げる。
「おおおお……っ!」
 さざめきの声は会場から。
 表れたのは、かつての伽耶さんのように着物を羽織り、頭飾りをつけた格好の副会長だ。まるで誰かの真似がごとくに、ぱちん、と扇を一つ弾き。
「さあ、胸を張りましょう、母様」
「瑛里華……?」
 学院にある講堂、その文字通り「ステージ」の上で。
 まるで初めて会ったときのように、しかし過去とは違い、確実に自分をその舞台へと含んでいる笑顔とともに。
「今はもう、私たちは主役なんだから」
 長い髪を靡かせながら伽耶さんへと歩み寄り、誘うようにその手をすっと差し出したのだった。

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