[An episode after true story]
5.さあ始めよう、あの物語を


 昼食後。一旦みんなと別れ、俺と伽耶さんはぶらぶらと他クラスの出し物を見て回った。お腹は膨れたため喫茶店のたぐいは除外したものの、お化け屋敷や射的、果ては研究発表のようなものまであちこちを探索し、パンフを持って先導していた伽耶さんはとても満足そうだった。
 昼食自体が遅かったせいもあり、学年展示会場と文化部展示会場を回り終わるころには時刻はもう午後五時近く。昨日は教室棟以外を見ていたわけだから、この二日、時間は有効に使えた方だろうと思う。
「ふむ、そろそろ終わりか」
「遊び足りないですか?」
 教室棟の外。夕焼け色の空の下、パンフを見ながら呟く伽耶さんに、少しからかい混じりにそう言うと。
「祭の終わりとはえてしてこういうものだ。昔は物足りなさを感じもしたが、一年に一度の行事、その終わりを惜しいと感じるには、あたしは少し長く生き過ぎている」
「……」
 言葉がない。
 軽々しく同意することも、しかし否定することもできない。そのことに意見するには、俺の生きた時間は短すぎるから。
「しかしな」
 伽耶さんはパンフから視線を外して。
「少なくとも瑛里華やお前の執り行う文化祭は、今回を含めて二度だけだ。そのうちの一回がもうすぐ終わることについては、あたしは寂しさを感じているよ」
「……副会長も喜んでくれますよ」
「親が寂しさを感じて喜ぶというのも、妙な話だがな」
 笑う。それは皮肉に対してだけでなく、おそらくはあと二度になるまでそれに気付けなかった自分自身に対しても。だからその表情は愉快げで、しかし自嘲気味に、それでいて物悲しくもある。十数年やそこらの若造では決してできない、深い過去が作り出した笑み。
 でも、それで良いとも思う。全てを清算できないからこそ、伽耶さんは許されている。全てを許すことができないからこそ、伽耶さんはこうしていられる。複雑な笑みはきっとこの問題の本質で、だからこそ俺たちがこうして側に居るのだ。
 そしてそれを、再び確かめさせるために。
「伽耶さん」
「うん?」
 俺は伽耶さんのパンフを借り、該当のページを見せつつ、
「実はですね、これから講堂で閉会式の代わりに、ちょっとした出し物があるんですよ。副会長も参加する予定なんですが、一緒に見に行きません?」
「ほう? いいだろう。何をするんだ?」
「それは到着してのお楽しみってことで」
「ふむ」
 パンフを自らの手に戻し、ぺらぺらとめくった先は巻頭の地図。なぜかと思えば、どうやら講堂の位置を確認したようで。
「講堂は……ああ、あの建物か。よし、行くぞ」
 からころと下駄を鳴らしつつ、伽耶さんが先だって歩き始める。
 そうして俺が頬の緩むのを自覚しながらその背を追い始めた時、ぴんぽんぱんぽんと放送が入って、文化祭の閉会と講堂でのイベント連絡が学院中に通達されたのだった。



 始業式や入学式でも使われることから分かるように、この講堂は一学年をまるまる収容することができる。体育館や旧図書館を含めてもこれに匹敵する収容人数を誇る施設は他になく、むしろ空席が目立って盛り上がりに欠けてしまうことを怖れていたのだが。
「ふむ、凄い人数だな。もっと早く来るべきではなかったか?」
 始業式ですら前の方から埋まっていくこの講堂だ、いわんやイベントをやといったところ。それでなお、生徒たちは最後列の方の椅子までそのほとんどを埋め尽くしていた。つまり、見えないが、前列の方は当然のように隙間無く埋まっているに違いない。大きめのグループなんかは、おそらく並んだ空席がないのだろう、合間合間の通路で立ち往生しつつスペースを探してもいた。
 危なかった。これで貸し切り場所を体育館なんぞに変更していたら、立ち見どころか観客が溢れに溢れて不満だらけの出し物になってしまっていたに違いない。決めるときに一悶着あったものの、やはり会長のイベントに対する嗅覚は伊達じゃなかったということだ。
「おい、さっさと座らんか。後ろの方というのも不本意だが、立ち見だけは断るぞ」
 伽耶さんがくいくいと俺の右袖を引っ張りつつ、不満げに言う。どうしてもっと早く来なかったんだ、これでは遠すぎる、と文句満載の表情だ。吸血鬼だから遠くからでも見づらいことはなかろうが、しかし、その背の高さだけはどうすることもできやしない。立ち見ではきっと舞台上が見えなくなってしまうがゆえの心配だろう。
 だが、それは無用の心配だ。
「大丈夫です。俺と伽耶さんの分の席は先に取っておいてもらっているはずですから」
「なに、そうなのか? それならそうとさっさと言わんか。どこだ? 見やすい場所なのだろうな?」
 不満が一転、嬉々として尋ねてくる。このあたり、無邪気というかなんというか。本人としては落ち着き払っているつもりなのだろうが、無意識に表れる好奇心だけは隠せていない。
「こっちです。ついて来てください」
 右手で伽耶さんの手のひらをぎゅっと握り、幕が下りている舞台の方へと通路を進む。繋いだ手はとっても小さくて、油断をすればその細い指がするっと抜け落ちてしまいそう。伽耶さん自身も自覚してはいるのか、握り返してくる力はわりと強めで。講堂の大混雑、狭い通路を何人もの生徒とすれ違いながら、しかしその手は離さずに、一歩一歩前へと歩き進んでいけば、そこには。
 最前列、左端の席。
「あ、居た居た。紅瀬さん。場所、大丈夫?」
「ええ、もちろん。伽耶。今日はこのイベントでおしまいだけど、どう? 楽しめたかしら?」
「これで口の中が辛くなければな」
 伽耶さんの返答に、紅瀬さんが微笑む。まるでどっちが保護者なんだか分からなくなるようなその暖かみある表情は、ここ最近は見る機会も増えた。良いことだと思う。フリーズドライなんて言われているよりは、ずっと。
「……む? おい、桐葉。席は二つだけか? それだと、こやつが座る場所がなくなるが」
 扇で空席を示しながら、伽耶さん。見れば確かに、紅瀬さんの隣の席は「生徒会予約席」という張り紙がなされているものの、その更に隣には特に見たことはない女子生徒が座っていた。俺たちとは逆方向を向いていて、友達と談笑している。それが副会長の変装とかで無い限り、そこは生徒会の席ではない。
 あとどうでもいいのだが、やっぱり伽耶さん的には、空席が二つの場合の優先順位は俺が一番最後になってしまうらしい。泣ける。
「これだけ混んでるんだから、席はできるだけ生徒たちに回すべきって言われたのよ。千堂さんに」
「それはまあ、分からぬでもないが。ではどうする? こやつとて、さすがに地べたというわけにはいくまい?」
「いや、紅瀬さんは――」
「大丈夫よ、伽耶」
 俺が説明しようとすると、紅瀬さんが被せるように言葉を挟んできて。
「席なんて、二つもあれば充分だから」
 そう言って、自分はさっさと女子生徒の隣へと座った。



 鼻をくすぐる、瑛里華のそれに似た心地よい香り。
 頬を掠める、柔らかくてしっとりとした長い髪。
 身体の前面にかかる、独特の柔らかみと小柄な重み。
 脛にあたるのは、地に届かずにぶらぶらと宙に揺れる下駄。
 つまり。
「ええい、やはりどうにも落ち着かんな」
「あの、できればあんまり動かないで欲しいんですけど……」
 もぞもぞと動く伽耶さんは、俺の膝上に座っている。それでも頭の位置は俺より若干下にあって、油断するとその後頭部、長い髪に顔を突っ込みそうになってしまう。つまりはそういう位置関係。膝上に座っているというか、まあ、抱っこしていると形容できなくもない格好だ。
「そうしていると、親子みたいね」
「自分でさせておいて何を言うか、桐葉。それにまあ、親子というのも強ち間違いでもあるまい? まだまだ頼りないが、なに、伊織より幾分かマシだ」
「……」
 伽耶さんの言葉。「たぶん親子関係が逆ですよ」というツッコミは、なんとか喉元で止めておいた。無論、隣で紅瀬さんがにやにやとそれを待っているからである。言えば、返ってくるだろう。「あら? 支倉君、私はそういうつもりで言ったんじゃないんだけど?」なんて言葉がさ。
「でも良かったじゃない、伽耶。そうされるの、好きだったでしょう?」
「……ふん。あたしはもう子どもじゃないぞ」
「何言ってるんですか、伽耶さんはまだまダッ――!?」
 激痛。右足の脛。身体全体が跳ね上がるような、まるで下駄のかかとの角のような堅い物で蹴られた痛み。
 弁慶でさえ泣くのだ。いわんや俺をや。
「だいたい父様とこんな奴を一緒くたにするでない。比べるのもおこがましいわ」
 言いながら、伽耶さんは更に細かくもぞりもぞりと尻を動かし、しばらくしてベストポジションを見つけたか、ふっと身体の力を抜いた。そのまま何を躊躇うこともなく、すとんとその背を俺に預けてくる。腕を回して支えても、特に不快そうな様子はなく。
「とはいえ、まあ、椅子の役目くらいはさせてやる。それで? 講堂と言うことは、瑛里華が漫談でもするのか? そろそろか?」
 伽耶さんは首を大きく曲げて、俺の方を向きつつそう問うてきた。それはまるで娘の授業参観を見る母親の緊張感で、更にそこへ発表されるものそれ自体への好奇心が上乗せされているものだから、その目は爛々と輝いて。なんとも言えぬ心地になる。
「伽耶。これからやるのは漫談ではなくて、お芝居よ。お昼のとき一緒だった悠木さんたちも出るわ」
「それと、副会長はメインの役どころです。時間的にもそろそろかと」
「ほう。それはなかなか、楽しみだな」
 言い終え、伽耶さんが舞台の方へ向き直るとほぼ同時、開演直前を知らせるブザーがスピーカーから鳴り始める。会場はそれに一瞬ざわついたものの、一転、先ほどまでより一気に静かになって。
 ぶつり、とマイクの電源音。それとともに段々と照明が落ちていき。
「ただいまより、修智館学院生徒会主催、四年生有志協力の演劇が始まります。上演中、他のお客様の鑑賞の妨げになりますので、携帯のアラームなどはお切りくださいますようお願い申し上げます。それではもう一度ブザーが鳴った後、上演開始です。タイトルは――」
 マイクの向こう、ナレーターは一度溜めを作って、言った。
「――『FORTUNE ARTERIAL』」

back / next

++++++++++


index