[An episode after true story]
2.伝統とお好み焼きと


 開会宣言終了と同時に、特設ステージの周りに居た生徒たちはまるで蜘蛛の子どころか散弾のように四方八方へと飛び出していった。そうして熱気は伝播拡散していき、気付けばいつの間にか学院中が祭の活気に包まれている。その証拠に、徹夜で準備したことの鬱憤を晴らすかのような叫び声が間断なくあちらこちらからもう聞こえてきた。
 普段の真面目さとは異なる、来客たちを圧倒するかのような威勢と盛り上がり。学生である、しかも生徒会役員である俺ですらその激しさに一瞬我を忘れてしまうくらいなのだから、当然のごとく、
「…………」
 ぽかん、と伽耶さんはその様子にただただ呆けていた。
 軽く肩を叩いても意識が戻ってこないので、丁度俺の肘の高さにあるその頭をぽんぽんと叩いてみる。
「…………」
「もしもーし? 伽耶さん?」
「…………」
 二百五十年クラスの閉じこもりにはちょっと刺激が強すぎたらしい。
 こうなってはもう仕方ないので(と言い訳しつつ)、人差し指をぴんと伸ばし、
「ていっ」
「うひゃあっ!?」
 気付いた。
「な、な、ななな……」
「開会式だけでびっくりされちゃ、これから出し物見回れないですよ?」
「だからっていきなり人の頬をつつく奴が居るか!」
 ぱこん、と再び神速の扇打ち。紅珠を飲んだ俺ですらさっぱり見えないのだから、これを避けられるのは眷属か吸血鬼くらいしか居ないんじゃなかろうか。それでもあまり痛くはないのは、伽耶さんなりの手加減なのか、俺の頭が(伽耶さんから見て)高い位置にあるせいなのか。おそらく後者だと思う。
 ともかくも意識を取り戻した伽耶さん、生徒の波がひいていることにようやく気付き、「ええい、いい加減離せっ」と叫びつつ未だ繋いでいた手をぱっと離した。迷子にならないことを祈る。
「それじゃ開会式も終わりましたし、副会長のところ行きますか」
「最初からそうせい。場所は分かるのか?」
「ええ。運営テントに居るはずです」
「ふむ」
 頷き、懐からおもむろに招待者用のパンフレットを取り出す。つい先日配られたばかりなのに随分とその形状はやつれていて、しかしながら折り目などはついていない、つまりは「ああ、そういうことか」と少しだけ顔が綻んでしまいそうなその真相がそのパンフレットから見て取れた。要するに、大事に扱いながらも、楽しみで仕方なかったという感じだろう。
 それだけ楽しみにしていてくれたのなら、存分に楽しんでもらいたいと思うのは人として当然のことだ。そしてまた、その欲求を満足させることがこの文化祭ならできると、文化祭実行委員でもある俺は自負している。
「運営テント……あった、これか。どうやら教室棟の向こうのようだな」
 パンフレットに顔を埋めたまま、すたすたと歩き出す。心配するまでもなく、そこはやっぱり吸血鬼、バランス感覚は抜群らしい。からんころんと下駄を鳴らし、何ごともなく石畳を歩いていって。
「ほれ、どうした。ついて来んか」
「あ、はい」
 運営テントの位置くらいは知ってるんだけどなあ、と思いつつ、しかしどことなく誇らしげな伽耶さんの気分を害するつもりもなくて、俺はちょっとだけ胸を張り直して先導していくその背中に合わせるようにして目的地へと向かったのだった。


「あ、母様! 支倉くん!」
 運営テント前。こちらがテント下から副会長を見つけるより先、向こうから声を掛けてきた。幸いテント内で休憩中だったようだ。
「おお、居たか瑛里華。伊織のやつはまだ戻ってはおらんのか?」
「兄さんは学院外の人へ挨拶に行ったりしてるわ。まあ、後で戻ってくるとは思うけど。それより母様、征一郎さんからも聞いたけど随分早かったわね? 昼ごろ迎えに行くって言ったのに」
「ああ、まあなんだ、家に居てもやることもないからな。それに子どもの仕事ぶりを見てやるというのも母の務めだろう?」
「ええ、じゃあまあ、そういうことにしておきましょうか」
 副会長が微笑む。それに対し少しだけ伽耶さんは口をとがらせたものの、特に文句を言うことはなかった。ここら辺りが俺と副会長に対するときの違いか。
「で、副会長は何やってるんだ? まさかもう昼飯?」
 訊ねると、ハッと我に返ったかのように副会長はパイプ椅子から立ち上がって、
「ああ、そうそう! それよそれ!」
 どれだよ。
「まったく、支倉くんが居なくて大変だったんだから。征一郎さんは監督生室に居るからいいけど、支倉くんは当日そこら辺に居ると思ったから、キャパシティ用意してなかったのよ」
「だから何の話だ?」
「それは――あ、たぶんあれ、そうよ」
「うん?」
 副会長は俺と伽耶さんの間、更にその先を目線で指し示した。疑問に思い振り返れば、そこにはこの運営テントに向かって小走りで来る女子二人組。既に両手にたこ焼きや焼きそばを持っていて、随分楽しんでるなあとしみじみと思ってしまった。
 しかし。彼女らはそのまま運営テント前、そして俺の眼前へと駆け寄ってきて。
「あ、あの、支倉先輩!」
 二人組のうちの片方の子が、何か妙に切羽詰まった感じでそう声を掛けてきた。また問題でも起きたのだろうか、さてどうしようかなどと思考を巡らせたのも束の間、
「どうぞ! これ、召し上がってください!」
「へ? あ、ありがと?」
「し、失礼しますっ!」
 思わず受け取ったのは、その手に持っていたたこ焼きと焼きそばの二つとも。俺の手にそれらが渡った瞬間、彼女は一礼して脱兎の如くに走り去っていった。超早い。付き添いだったであろうもう一人の子は「あっ! す、すいませんほんと。良かったら食べてくださいね」と言ってやっぱり会釈し、そのまま逃げていった女の子を追いかけていって。
 手元に残る、二つのパック。これは、つまり?
「ほう? あたしの娘と恋仲であると知りながら贈り物をするとは、ずいぶん根性がある女だな」
「いや、ドスの利いた声で怖いこと言わないでくださいよ。でもやっぱそういうことなのか、副会長?」
「はい、ありがとねー。……ん? 何か言った、支倉くん?」
 副会長へと振り返ると、走り去っていく他の女子生徒へ笑顔で手を振っているところだった。その手にはお好み焼き。
 ……うん。聞くまでもないということらしい。
 そうして副会長は腰をかがめ、足下のダンボールへそのお好み焼きをしまった。既にダンボール箱は二箱あって、更に副会長の背後の机の上にもダンボールが数個ほど置いてある。
 まさか。
「なあ、もしかして。これ、全部そうなのか?」
「ええ、多分支倉くんの思っている通りのものよ。これとこれとこれが兄さんへの分で、あっちの二つが間違えてここに持ってきた征一郎さんへの、あとこれとこれが私宛てで、そっちのが紅瀬さんに対して、そしてそこにあるのが支倉くんの。だから言ったでしょう、キャパが不足してるって。本当は支倉くんの置き場所、なかったんだから」
「……いやすごいな、しかし」
 ということはつまり、副会長は今までこの受け取り業務に忙殺されていたということだ。ほんと、どれだけ人気なんだうちの生徒会は。俺はともかく、紅瀬さんまで入ったものだからその人気は男女問わず不動のものになってしまったということか。
 俺はその自分用だと言われたダンボールへたこ焼きと焼きそばを入れてもらいつつ、
「ちょっと手伝って行こうと思うんですけど、伽耶さん、どうします?」
「え?」
 副会長が驚きの表情。
「ちょっと支倉くん、別にこのくらい私一人で――」
「殊勝だな。よし、あたしもここにしばらく居ることにしよう」
「母様まで!」
 口ではそう言うものの、副会長はそれ以上に反論はしてこなかった。肯定とみなし、中に居た顔見知りの実行委員に挨拶しつつ、伽耶さんともども長机を迂回しテントの中へと入る。予備のパイプ椅子を副会長の隣に二つ用意すればこれで準備万端だ。
 伽耶さんはそれぞれのダン箱をのぞきつつ「ふむ」だの「ほう」だの言っている。なんだかんだで気になるのだろう、五人の人気順位とかそんなようなものが。会長の箱を除いたときにちょっとだけしかめっ面をしたということは、まあ、そういうことだ。
「ありがと、支倉くん」
 そうして伽耶さんがうろちょろしているうち。
 そっちへ聞こえないような小声で、副会長が囁いてきた。
「いや、いいって。たぶん伽耶さんも見たかったんじゃないかな、副会長の働きぶり」
「だといいけど。それと支倉くん、『アレ』、うまくいくかしら?」
 やっぱり。
 伽耶さんに聞こえないように会話するとなれば、もう内容はこれしかあるまい。明日の閉会間際に予定されている、伽耶さんへ見せる予定の『アレ』のことだ。この日の為に資料を集めて練習を重ねてきた『アレ』。今のところ大丈夫だと言おうとして、
「おい、瑛里華。生徒が訪ねてきておるぞ」
「へっ? あ、ご、ごめんなさい。ありがとね、うん、うん」
 伽耶さんの指摘で気付いた瑛里華が、謝りつつ後輩の女子たちの対応に回った。その隣で伽耶さんはちょんとパイプ椅子へと腰掛ける。和装であることとその長髪のせいで若干座りにくそうだったが、そればっかりは仕方ない。畳の上で正座というわけにはいかないものだ。
 しかしまあ、立っている間からそうだったが、こうして座っているのを見ると(ちなみに足が地面に届いていない)ますますもっていわゆる「お人形さん」チックに見えてくる。和装を着こなし下駄を履き、しかし顔立ちは異国風の幼子。シュールだ。だが、可愛らしい。
 そしてまた、可愛らしいものに反応するのが女子というもので。
「わっ、可愛い〜! 副会長、こちらは? 妹さんですか?」
「え、嘘! ほんとだ、似てるー! かわいー!」
「む? ん? な、何す――」
 副会長にプレゼント――彼女たちはドーナツだったようだ――を渡した後、何食わぬ顔で副会長の隣に座ったそれに気付いた後輩の女の子たち。制する間もなく髪やら頬やらを撫で始め、伽耶さんは突然のことで対応することもできず、されるがままになってしまった。
 思わず笑いそうになるのを何とか堪える。見れば副会長も似たような表情をしていて、しかしどこか嬉しそうな感情も見え隠れ。微笑ましい、といったところか。
「こら! 瑛里華、支倉! 笑ってないでどうにかせんか!」
 頭を撫で撫でされつつ、伽耶さんが威厳もへったくれもない声でそんなことを言う。かつてのそれとはおおいに異なる、不機嫌さを形作るかのような口調。でもそれも、俺たちに危機感を与えることはなく。それどころか俺も、おそらくは副会長も、手を出してきている女の子たちに対して文句を言わなくなったその成長ぶりに心暖かくなってしまうくらいだ。
 とはいえ、あんまり好き勝手され続けるのも可哀想だろう。見てる分には面白いけど。
「すみません、あの、一応こちら、外部からのお客様なので……」
「えっ? あ、ご、ごめんなさい。可愛かったから、つい」
 照れつつ、女子生徒たちが伽耶さんからようやく手を離す。解放された形になった伽耶さんは、「ふー」と疲れたように息を吐きつつ、再びすとんとパイプ椅子へと腰を戻した。
「それじゃ瑛里華先輩、ドーナツ、食べてくださいね!」
「あ、そちらの可愛いお客様にも是非分けてあげてください!」
「ええ、ありがとう。後で一緒にいただくわ」
 そうして立ち去っていく二人組。それを見送りつつ、伽耶さんはもう一度大きく溜息を吐いて。
「ええい、どいつもこいつも礼儀がなっとらん。人を人形か何かのように扱いおって……」
「まあいいじゃない、母様。怖がられるよりはずっと良いことだと思うけど?」
「ぬ、むう、しかし」
 もごもごと言葉に詰まる伽耶さん。
 分かってはいるのだ、本人だって。ああされることが、穏やかさと優しさの表れだなんてことは。でもそれがまだまだむず痒く、どこかで少し痛いだけ。
 そしてそれの克服に、この二日間はこれ以上ないくらいに適している。
「『可愛い』『妹』ですからね、遊ばれるのも無理なからんごッ――!?」
 再びの扇打ち。あやうく舌を噛みそうになる。
 ……っていうかちょっと噛んだ。叩かれた頭とともに、けっこー痛い。
「ふん。人の母親を『一応』の客などという役員に、そんなことを言われたくはないわ」
「あはは……。でも母様、『可愛い』って言われてちょっと嬉しかったんじゃない?」
「瑛里華も阿呆なことを言うでない。あの年頃の娘は、何でも可愛い可愛いと囃し立てるものだ。そのくらい分かっておるよ」
 腕組みしつつ、まるで大人の余裕を見せつけるようにそう言い放つ。しかしまだ、余裕を見せたいという心理自体が大人でないことまでは、どうやら分かっていないらしい。この分では母親業が安定するのはいつになることやらと、舌の痛みを耐えつつ心の中でちょっと微笑ましく思ってみたりもする。
「さて、それで瑛里華」
「どうかした?」
 伽耶さんは余裕しゃくしゃくな態度から一転、そわそわした感じで副会長の手元を指差して。
「そのドーナツとやら、今すぐ食ってみたいとは思わんか?」
 まるで甘いものを目の前にした子どものように、伽耶さんは真面目ぶった顔で自分の意見をそっと提案したのだった。



 昼過ぎまでその運営テント内で副会長の手伝いをし、贈られてくる物品が減り始めた頃合いを見計らって俺と伽耶さんはテントを出た。副会長曰く、「贈り物はほとんどがお昼の代わりのようなものだから、昼を過ぎるとガクッと減るのよ」とのこと。さすが、贈られ慣れている人は言うことが違う。
 そうして俺はちょっとだけ不機嫌そうに髪を撫で付けている伽耶さんを連れ――どこで噂が広まったか、女子生徒が来る度に遊ばれていたせいだ――、両手には贈られた食い物の山を持って、監督生室へと向かった。ゆっくり昼食を取ろうという考えからである。
 伽耶さんは和装に下駄という歩きづらかろう格好でありながら階段を登る足取りは軽く、やっぱり吸血鬼は伊達じゃないなあと感心しつつ監督生室に着けば、そこに居たのはただ一人。
「む、支倉か。それに伽耶様。申し訳ありません、お迎えも出来ずに」
 東儀先輩が直通電話がある机、その向こう側で立ち上がりながら、俺、というか伽耶さんを迎えてくれた。おそらく心情的には伽耶さん7に対し俺3くらい。これが白ちゃんと俺だと9対1くらいにはなる。白ちゃんと会長の組なら100と0だ。
 まあともかく。
「よい。今まで瑛里華と一緒に居てな。どのくらい忙しかったかは察しがつく。それより支倉、さっさと茶くらい出さんか。これから昼を取るのだろう?」
「あ、はい。じゃあ今すぐに。でも、白ちゃんみたいにはできませんよ?」
「期待しておらん」
 大荷物をようやくテーブルに載せた俺に茶を要求しておいて、平然と言い放つ。そうまで言われると逆にじゃあ美味くいれてやろうと気合を入れてしまう辺り、紅瀬さんに俺がまだまだ子どもであると言われるのも無理らしからぬことかもしれないなあなんて思えてしまった。泣ける。
 伽耶さんがさっさとテーブルについてがさごそと贈り物を物色し始めたのを尻目に、俺は腕をまくって給湯室へ。その途中。
「支倉。『アレ』は大丈夫なのか?」
「ああ、はい。今のところ特に問題はありません」
「そうか。……すまんな、手伝えずに」
「いえ。たとえ舞台には出なくとも、東儀先輩たちの協力がなければあのシナリオは完成しませんでしたから。恥じないように頑張りますよ」
「そう言ってもらえると助かる」
 東儀先輩は言って、まるで図っていたかのようなタイミングで鳴り始めた直通電話に手を伸ばした。俺はそのまま給湯室へ。
 給湯室を俺が使う機会は、実は結構あったりする。理由は単純だ。
 考えてみて欲しい、今の生徒会のメンバーを。会長、副会長、東儀先輩、紅瀬さん、白ちゃん、俺。会長が自分でお茶をいれることはそれこそ天地がひっくり返っても有り得ないし、紅瀬さんは自分でいれるくらいなら飲まないという感じだろう。東儀先輩も(白ちゃんが絡まない限り)進んでお茶を飲もうとはしないし、副会長はお茶をいれるくらいなら例のクソ甘い紅茶を自分用に作ってしまう。結果として、白ちゃんが居ないときにお茶を出すとなれば、その役割は俺に回ってくるということだ。あとはまあ、面子から考えて、更に俺が居ない場合は副会長辺りが出しているとは思う。俺が初めて監督生室に連れてこられたときもそうだったし。
 そんな風に無駄に思考を回している間にお茶の用意は終了し、盆に茶を注いだ湯飲みを三つほど載せて給湯室から出る。一つは電話中の東儀先輩の手元へと置き、二つを持って伽耶さんが待つテーブルへ。
「とりあえず焼きそばでも食べます?」
「ふむ、そうだな」
 頷きつつ、既にチェック済みだったのだろう、伽耶さんは贈り物の山から難なく焼きそばを2パック取り出した。ちなみに名誉のために言っておくが、伽耶さんが2パック取り出したのは既にここに来るまでの間に贈り物を分けることを俺が進言していたためであり、彼女が何も言わぬままに人の食い物をふんだくろうとしているわけでは断じてない。その証拠に、伽耶さんの目は焼きそばではなく未だにダンボール箱を見つめていて。
 笑うのをこらえつつ、
「伽耶さん、同じものを食べるのもなんですし、他のにしてはどうですか?」
「そ、そうか? いや、お前がそう言うのなら仕方あるまい。あたしは他のにするとしよう」
 口ぶりとは裏腹に俊敏な動作で焼きそばを箱へと戻し、同様のパックに入ったお好み焼きを出してくる。両手で抱え、大事そうにテーブルの上へ。先ほどと違って目線はそれに釘付けだ。
「東儀先輩は? 一緒にどうですか?」
「いや、俺はいい。午後になれば向こうで嫌でも食べさせられるからな」
「向こう? ……ああ」
 思い出す。東儀先輩は今日の午後から珠津島神社で例大祭の準備があり、昼過ぎには抜けるようなことを言っていた。ちなみに白ちゃんもその関係で明日は一日居ない。だから東儀先輩の言う「向こう」とは珠津島神社のことで、東儀家当主である以上、断れない飲み食いの付き合いが多々あるということなのだろう。
 なお例大祭の時間は確か午後五時ごろからで、これは文化祭の閉会時間と一致する。しかし文化祭はその一時間後から後夜祭が始まるため、生徒たちにとってはどっちに顔を出すかは毎年悩みの種なのだそうだ。会長が言うにはカップルは例大祭、独り身は後夜祭という棲み分けがなされているらしいが。
「伽耶さんはどうしましょうか」
「何がだ? 昼なら食べるが」
「いえ、そうではなくて。明日の夕方、後夜祭に出るか例大祭に出るかです。ああでも、せっかくですし例大祭に――」
「……あたしは神社には行かんよ」
 否定の声は、むしろ拒絶のそれに近く。その目はお好み焼きから外れ、東儀先輩の方へと向けられていた。
 分からない。どうしたというのだ、一体?
「でも、例大祭ってそもそも稀仁さんの伝説が元になったお祭りで――あっ」
 そうだ。
 あのお祭りが「あの」疫病に端を発する鎮守の祭であるとしたら、伽耶さんにとっては謂れ無き批難としか言いようがないではないか。何もしていないのに災厄の原因であると貶められ、しかもその退治を祝う祭となれば、出たくないのも当然だろう。
 浅慮だった。そう思って慌てて言葉を止めたものの、しかし目の前に座る伽耶さんは首を振って。
「そうではない。だいたいお前は勘違いをしている。そうだろう、征一郎?」
「はい。……支倉。稀仁の記憶を見たというのなら思い出してみろ。東儀家は稀仁がこの島に流れ着いた時点で、既に神職の役割を担っていたはずだ。例大祭はそのときから続く神事であって、伝説と直接の関わりはない。むしろ伝説自体よりも古くから続くものだとすら言えるな」
「あ、そういえばそうですね……。じゃあ何でです?」
 東儀先輩の言うとおり、確かに稀仁さんは当時既に神職だった東儀家の姉妹と懇意にしていた。伝説で鬼を退治したのは東儀家となっているが、鬼を退治したから東儀家が神職についたわけではなく、神職である東儀家が鬼を退治した、というのが正確であるということだ。
 とすれば当然疑問が残る。伽耶さんが例大祭に出ない理由にはならないからだ。当の伽耶さんに話を向けると、本人は既に割っていた割り箸を置きつつ一つ溜息。
「征一郎。説明してやれ」
 どこか不機嫌そうな表情で、そう言う伽耶さん。
 しかし。
「――分かりません」
「なに?」
「伽耶様。それでは、分かりません。御自身の口から説明なさるべきです。言葉が足りないせいで誤解を招くのは、もうこりごりだと思いますが」
「……桐葉のみならず、お前も随分と言うようになったな」
 東儀先輩は応えない。伽耶さんはそれに「ふん」と鼻を鳴らしたものの、しかしそこにかつてのような不機嫌さは見られず、あえていうなら微かな嬉しさを隠しているような、そんな態度だ。副会長を見るときの表情に似ているな、なんてことを思う。
「まあよい。あたしはな、そもそも歴史だとか伝統だというものに興味がない。もっといえば嫌悪さえ抱いている。なぜか分かるか?」
 真剣な瞳でそう問うてくる。
 歴史や伝統。通常、かなり大事とされるものだ。殊に古い家であればあるほどそれは顕著で、現に東儀家ではつい最近までしきたりがその家を縛り続けてきていた。……いや、「縛る」という見方は一面的だが、まあ、ある種の規制をかけていたことは疑い得ない。
 そしてまた、そのしきたり、あるいは鬼退治の伝説も含めて、それらは流れゆく時間の中で様々な変化を受ける。原因は人為的であったり、偶然であったり。一貫性を重視しながら、その教え自体が揺れ動く。数十年やそこらなら実感することはまずないが、二百五十年ともなるとその振れ幅は目に見えるくらいになるだろう。
 だから、つまり。
「改変されたりするものだから、ですか?」
 言うと、伽耶さんは「むう」と唸った後、
「やや具体的すぎるが、まあいいだろう。そういうようなことだ。あたしにとって東儀家の歴史なんぞ、そう長いものではない。せいぜいあたしの歳と同じかそこいらの長さだ。お前とて、十数年前、自分が生まれた年前後に起きたことを『歴史的』などと呼ぶまい?」
「まあ、そうですね」
「なのにあそこに集まる連中は、その程度のことをやれ歴史だやれ伝統だと、まるで非現実的な何かのように崇め奉る。ときには己の生まで懸けてな」
 そこでちらりと東儀先輩を見る伽耶さん。見られた側のその人は、いつものように目を瞑って特に気にした様子もなかった。
 伽耶さんは続ける。
「勿論それ自体を否定するつもりはない。なぜなら、こやつらは数十そこそこ、長くて百年程度しか生きていられないからだ。その愚かさに気付けようはずもないし、その不可能性を憐れんだところでどうにもなるまい。
 神社に集まり、祭を構成することになる参加者らも同様だ。支倉のように、島の歴史を勘違いしたまま参加する奴も居ろう。だいたいこの時代だ、豊作を祈る新嘗祭をやる理由などない時点で、あの例大祭に普遍的な意味なぞそもそもない。あるのは祭が祭であること、その『伝統』が行われることそのものだ。
 だから、あたしは行かない。そんな茶番めいたことに付き合ってはいられん。そしてお前の言う改変というのは、伝統とやらのそのくだらなさを表した具体的な一例にすぎんよ」
 言い切り、視線をお好み焼きへと戻して伽耶さんは割り箸を手にする。話は終わりだ、これ以上聞かれても何も答えん、とでも言いたげな仕草。仕方なく俺は了解の返事をし、「じゃあ明日は後夜祭ですね」なんて当たり障りのないことを言っておいた。
 そして、今までテーブルの上で放置され続けていた焼きそばの蓋を開けて。
「さてそれじゃ、食べましょうか。いただきます、と」
 箸を割り、ようやく焼きそばへかぶりつく。
 幸いまだまだ温かく、うん、舌触りとソースの風味はまず合格だな、なんて思いつつ咀嚼し始めると同時、目の前。
「はふはふ……ふむ、ひほふほひひへはなはなはふはいは」
「……」
 さっきまでの威厳はどこへやら、爛々とした瞳でお好み焼きを見つめながらもぐついているさまはどうみても子どもというかなんというか。もうちょっと優雅に食事をすると思っていたのだが、どうも好奇心に勝てなかったらしい。
 手を止めしばらく見つめていると、自らの痴態(というのも酷いが)に気付いたか、急に居住まいを正して、慌てたように。
「い、いや、別にお好み焼きというものが食べたかったわけではなくてだな……」
「いいじゃないですか。美味しいんでしょう?」
「……引っ掛かる言い方だが、まあいい」
 ソースを口につけたままじゃ、いかに背筋を伸ばして取り繕ってもダメだろう。
 それでも伽耶さんは冷静になろうとしたか、手元の湯飲みを手にとって口へと運び、
「あちっ」
「……」
「きょ、今日はたまたまだ!」
 聞いてもいないのに、言い訳まで娘と一緒かよ。



 食べ始めが遅かったせいか、食事が終了するころにはもう結構な時間帯になっていた。それからどうしようか考えていた俺と伽耶さんに対し、東儀先輩の「できれば白の様子を見に行ってくれないか」との言葉がかかって、次の目的地は礼拝堂へとあっさり決定。しばらく後に紅瀬さんと交代予定だという東儀先輩を残して監督室を去ったのだが、去り際、東儀先輩が俺だけに声を掛けてきて。
「ああは言っていたが、伽耶様にとって実際にはまだ納得し切れていない部分があるんだろう。二百五十年だ、無理もない。分かってやってくれ。伽耶様がそれを受け入れるには、いましばらくの時間が必要だということを。何年先になるかは分からないが、いつか伽耶様が神社へ顔をお出しになってくれると俺は信じている。……それと明日の演劇、期待している。後で出来を聞かせてもらおう」
 そう言って俺たちを送り出してくれた。
 ……東儀先輩のいうように、伽耶さんにとって東儀家というものはそう簡単なものじゃない。この二百五十年、東儀家は伽耶さんにそれこそ命を賭して尽くしてきた。そしてまた伽耶さんもそれを当然のように受け入れてきた。理由は東儀家にとってはしきたりであり、伽耶さんにとっては千堂家という隔離処置への対価である。
 いや、あっ『た』、が正しい。
 だがその関係が狂ってしまった。東儀家のしきたりは稀仁さんの遺言であることが分かったからだ。さらに稀仁さんの死亡原因も東儀家が直接関与したわけではなく、そうなるともう伽耶さんが東儀家から尋常でない――当主全員の命だ――施しを受ける理由もなくなってしまう。
 だから伽耶さんは、未だに心の底から全てを受け入れることができていない。なぜなら、受け入れるということはすなわち今までの施しに対して感謝の意を表するということで、つまりそれは彼女にとって当主たちを殺した罪の責任を負うことに他ならないからだ。二百五十年の長きに渡る罪を受け入れるにはたった数ヶ月という月日では短すぎるし、また、その短さで受け入れてしまっていいものではない。
 ……とはいえ、その決意を確かめること、そして決意しているのなら助けたいと思うことは、「家族」としては当然のことだとも思う。
「おい、どこへ行く。礼拝堂はこっちだろう?」
「あ、すいません」
「まったく……」
 考えに耽っていたせいで、あやうく本敷地から離れていきそうだった足をなんとか翻す。そのままパンフ片手の伽耶さんに続く形で、俺は礼拝堂へと向かった。……いや、場所は勿論知っているんだが。
 ちなみにこの本敷地、噴水周りはかなりの数の屋台がひしめいてはいるものの、礼拝堂はわりと奥まった場所にあるせいか、その近くに出し物はほとんど出ていない。禁止しているわけではなくてそもそも出店申請自体が来ていないのだ。正門付近が混みすぎるとの理由で礼拝堂近辺へ移転を提案したときなど、出店代表者に断られることもしばしばあった。それくらい人気がないスペース。
 それでも礼拝堂自体に集客力があるせいか、人通りは思ったほど減っているわけでもなく、俺と伽耶さんはそうした人の流れに乗っているとすぐに礼拝堂が見えてきて。
 そうして、声。
「ゆきまるー!」
 またかよ! ……と心の中でツッコミ。
 雪丸の自由民権運動はまだ続いていたらしい。
「今のは東儀のチビの声ではないか?」
「誰のことを言ってるかは分かりますけど、その言い方はどうかと」
 見る。
 ああ、白ちゃんは確かに小さい。あのかなでさんよりも小さい。東儀先輩含め、俺や会長の背が軒並み高めであることも、白ちゃんの小ささを強調してしまっている。紅瀬さんや副会長の身長が高めなことも一因だろう。
 しかし、しかしだ。
 白ちゃんのことを「チビ」と言い切ったこの張本人だって、見るに白ちゃんとそう変わらないどころか、下手したら白ちゃんより小さ――
「おい!」
「――って、痛ッ!?」
 ばしん、と何度目かの神速扇打ち。相変わらず見えやしない。
 抗議の視線を向ければ、「お前、いま何か失礼なことを考えていただろう?」とまるで人の心を覗いたかのような言葉をぶつけてくる伽耶さん。吸血鬼の特殊能力か、はたまた年の功というやつか。そんなことを考えていたら、もう一度ばこんと扇でぶっ叩かれて。
「しかし、雪丸とは随分と情緒のある名だな。東儀の分家か?」
「むちゃくちゃハズレです。……あ、来ましたよ」
「む?」
 礼拝堂の方向、すたこらと走ってくる雪丸。
 しかしまあ、どうしてこいつはこう、ようやく手に入れたフリーダム、毎回毎回俺に献上してくるのか。どうせ掴まるなら白ちゃんに素直に掴まればいいのに、と思う。シスターに掴まるのが怖いというなら、それはそれでまあ、分からなくもないが。
 結局いつものように雪丸は俺の足下へと寄ってきて、俺もまた普段通りにひょいっとそいつを捕まえる。白ちゃんに教えてもらったおかげで、抱き方もちゃんとうさぎ専用だ。
「というわけで、こいつがその雪丸です。ほら雪丸、あいさつ」
 そう言って雪丸を伽耶さんへと向けるも、やっぱり挨拶なんぞはせず、雪丸は心地よさそうに顔を洗いはじめた。対する伽耶さんは目の前のそのうさぎを同じ赤い瞳でじーっと見つめた後、右手を伸ばしそっと背中を撫でて。
「ふむ、柔らかそうだな」
「そういうのは触る前に言っ――は!」
 デジャビュ。掠めた記憶は、既視感というかむしろ確実に経験済みの言葉と仕草で。
 かつて誰かさんが言った言葉をなぞるかのように、伽耶さんは口を開き。
「美味いんだぞ、ウサギ汁」
 ……途端。顔を洗っていた雪丸がガタガタと震え始めたのは、もはや言うまでもないだろう。

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