まゆきルート! プログレッシブ -12/19
[Mayuki route! progressive]
ぴんぽーん、とチャイムの音。それはまるで、俺がこたつに入るのを待っていたかのような絶妙なタイミングで鳴り響いた。
「折角座ったのになあ……。
なあ、由――」
「や、わたしのお客さんなわけないし。
それに新聞の勧誘とかだったら、男の兄さんの方が断りやすいでしょ?」
「まだ何も言ってねえじゃねえか!」
とはいえそのぐーたらな妹はきっちりと俺の意志を受け取っており、その上で断固としてこたつから立つつもりはないようだ。背中を丸め、あろうことか「早く追い払って、さっさとかれー食べようよ、かれー」などとのたまっている。
「分かった分かった、しょうがない、俺が出るよ」
「ごめんね、弟くん。私も勧誘とかは、できればちょっと……」
こたつから立ち上がり、音姉の声を背にしながら廊下へと出る。瞬間、ひんやりとした空気に身が固くなる。
予想以上だ。超さみー。
「ちょっと兄さん、いつまで開けてるの!
さっさと戸閉めてよー」
「お前な……だったらいつものジャージでも羽織ってればいいじゃねえかよ」
「や、取りに行くのかったるいし」
「……」
昼間に商店街へ出掛けたときの私服のまま、こたつにもぐりつつ言う。
どこまでぐーたらなんだ、この妹君は。
とにかく相手にしていても始まらないので、癪ながらも一応戸は閉めて、氷のような板張りの廊下を歩いていく。
靴下がなかったら一歩歩くごとにダメージを受けかねない冷たさだ。和風建築は兎角隙間が多い。居間が暖かいだけまだマシというものだろう。
そんなことを考えてるうち、再びぴんぽーん、と催促のチャイム。
「はいはい、今開けますよ……って、あれ?」
玄関へ手を伸ばしたところで気が付いた。
ガラス張りのその向こう、大きさから言っても珍しい長い金髪から言っても、それは確かに。
かちゃっと鍵を開ける。
「も〜、義之くんおーそーいー!
寒くて死ぬところだったよ」
「あれ、さくらさん、鍵持ってなかったんですか?」
「ううん、持ってるよ。
でもほら、こういうときって誰かに迎え入れて欲しいとか思わない?」
にこにこと悪びれた様子もなく、笑顔で同意を求めてきたのはやはりさくらさんだった。
ほんとこの人は、子どもというかなんていうか。
そして視線をあげると、そこにはさくらさん以外にももう二人。
「ただいまー、っと。
あ、この匂いはカレーかな? 丁度よかった。
ねえ義之くん、カレーちょっと余ってない? 二人分くらい」
「へ? ええまあ、そのくらいなら充分ありますけど。
えーっと……」
「あはは、じゃあ二人ともあがってよ。一緒に晩ご飯食べよう!
お、由夢ちゃんと音姫ちゃんも居るんだ? 賑やかになって良きかな良きかな」
そう言って、さっさと靴を脱ぎ転がりこんでくるさくらさん。「おお寒い寒い」と呟きながら、とっとと廊下を歩いていってしまう。
そうして残った二人、どちらからでもなく敷居を跨いで。
「えっと、いいんだよ……ね、弟くん?
それじゃおじゃましま〜す」
「お邪魔しますー、っと。
朝倉の家には行ったことあったけど、こっちは初めてね〜」
本校の制服を着た二人が、揃って靴を脱ぎ廊下へと上がった。
○ ○ ○
「あ、さくらさん、おかえりなさいー。
って、あれ、まゆき? それに……わ、磯鷲会長まで」
「お邪魔するわよ、音姫、妹くん」
「お邪魔しますよー、って、今の会長はあんたでしょうが、朝倉。私は”前”会長よ。
あ、朝倉だと妹さんとかぶるわね。でもまあ分かるか」
「えーっと、こんばんはです、先輩方」
部屋にはいると、がやがやとお互いに挨拶が交わされていた。
その中心に居るのは、今や会長職を音姉に譲った磯鷲”前”会長。生徒会で一緒だった音姉やまゆき先輩はともかく、俺と由夢はちょっと驚きだ。というか、接点ほとんどないし。
「っていうか、まゆき先輩、何しに来たんですか?」
「え? ああ、クリパのことで遅くまで作業してたら、たまたま学園長に掴まってね。一緒に夕飯食べないか、って言われて。
音姫も居るし、ついでに当日の対策も練ろうと思って」
「ああ、そういうことですか」
「ほらー、まゆきちゃんも涼芽ちゃんも座ってー」
さくらさんはさっさといつもの場所に座ると、二人にもこたつに入るように促した。
音姉と由夢、それにさくらさんで三面は支配されている。よってまゆき先輩は残る一面――俺がいつも座ってる場所――に座り、磯鷲会長は音姉の隣に潜り込んだ。
「義之くーん、カレー六人前、よろしく〜!」
「はいはい、それじゃよそってくるからちょっと待っててください。
由夢も手伝ってくれ」
「あ、うん」
俺の呼びかけに由夢はあっさりとこたつから立ち上がり、台所へと歩く俺にひょこひょことついてきた。
やっぱり肩身が狭いのだろう、このメンバーでは。特に他人が居ると猫をかぶらなきゃいけないし。
「本当に一緒に暮らしてるのも驚いたけど、朝倉が料理してるんじゃないんだ?」
「ええ、まあ。交代で作ってます。弟くん、料理うまいんですよ?」
「いや、音姫、その話は会長にももう耳にタコができるほどしてるから」
「あはは、でも美味しいのはほんとだよ〜」
そんな会話が聞こえてくる中、暖かい居間とお別れして極寒の台所へ。
たった一枚の襖でこうも違うのかと、毎度のことながら思ってしまう。それでも火を使っている分、廊下よりはマシなのだけれど。
由夢には皿を用意するように言って、俺はカレーの火をかけ直し。温める程度でいいだろう。
残念ながら換気扇も回して、くるくるとカレーをかき混ぜる。
「兄さん、お皿出したよー」
「ああ、じゃあご飯盛ってくれ。その間にカレーも温まるだろうから」
「えー、寒いしかったるい。兄さんがやってよ」
「……分かった、そんなにカレーを食べたくないなら食べなくてもいいぞ?」
「や、冗談だよ、冗談。やるよ、やる」
なんだかんだいいつつ、六人分のカレーをよそって居間へ。
ちなみにカレーはあと数皿分あるが、明日一日ずっと楽をしよう計画はちょっと無理っぽいなー、なんて思いつつ。
○ ○ ○
「ほらー、義之くん、はやくはやく」
「いや、さくらさん、カレーは逃げないですからちょっと待ってくださいって。
……っと、これで最後かな。はい、まゆき先輩」
「さんきゅー、弟くん」
まゆき先輩の前に皿を置く。これで全員にカレーが行き渡った。
スプーンと水は結局音姉が用意してくれて、由夢はさっさとこたつに入ってしまっている。客が居なければ首までこたつに入っているところだ。
「じゃあ俺はデザートでも切ってきますから、みんなで先に食べてて――」
「もー、だめだよ、義之くん。いただきますはみんなでするんだから。
ほらほら、はやく座った座った」
「……はあ、まあいいですけど。
じゃあまゆき先輩、ちょっと寄ってもらっていいですか?」
「へ?」
よく分からない、といった顔のまま腰を浮かせて少しずれたまゆき先輩。その隣の空いた空間に、俺は自分のカレーを持ったままよっこらせと腰を降ろした。
肩だけでなく、こたつに入っている足もくっつくくらいに密着する狭さ。まゆき先輩は足を更に崩して、もう少しだけ奥に寄ってくれた。
「うーん、ちょっと狭かったかな……?
大丈夫ですか、まゆき先輩?」
「あ、えと、うん。
ここ、弟くんの席だったんだ?」
「ええ、まあ」
満員電車の座席ですらこうはくっつかない、ってくらいの距離。こたつの暖かさのまぎれて、まゆき先輩の体温も少しばかり伝わってくる。
それは何か突拍子もないことをやらかして組み伏せられたときとは違う、あえて言えば音姉がひっついてくるときのような感じととてもよく似ていて。
ああ、そういえばまゆき先輩も女性なんだよなあと、当たり前のことを思ったりもしてみた。
……っていうか今ここに居るの、男は俺だけじゃないか。
渉だったらなんだかんだとわめきそうなシチュエーション。しかし視線を回すと、なぜか音姉と由夢のちょっと不機嫌そうな顔も目に入り。
「う〜……」
「あ、あはは……。
ねえ音姫、場所変わろうか?」
「いいじゃない、高坂。そのままで。そっちの方が面白いわよ。
……はっ! よもや杉並に気があると思わせておいて、その本来の目的は杉並の親友と会うための口実なんて音姫チック――じゃなかった、乙女チックな思考回路をしてないでしょうね!?」
「ちょ、会長! 何言い出すと思えば!」
身を乗り出して何かを言いかけたまゆき先輩と、それを見てにやにやと笑う磯鷲前会長。
音姉は変わらずつーんと口をつまらなそうにとがらせたままで、由夢にいたってはなぜか俺を睨んでいた。……いや、俺なにもしてないだろ?
そしてそのまままゆき先輩と前会長の応酬が始まると思いきや、それを制したのはぱんぱん、という二度の手拍子。
「ほらほらー、とりあえずいただきますしようよー。
ボクもうお腹減っちゃったよ」
その声に、結局みんなは賛成の意を示して、
「いただきまーす!」
ようやっとカレーを食べ始めたのだった。
○ ○ ○
カレーはすこぶる好評だった。磯鷲前会長とまゆき先輩はおかわりまでして、鍋はもうほとんど空っぽ。
明日から楽をできなくなったとはいえ、そうまで美味しく思ってくれるなら作った甲斐があったというものだ。
そうして夕飯後はテーブルの上を片付けて、大きめの紙を広げクリパの作戦会議。もちろん風紀取り締まり的な意味でだ。
というかそもそもまゆき先輩と磯鷲前会長はこれが目的でもあったはず。カレーですっかり忘れていたが。
ちなみに由夢は食べ終わると同時に家へと帰り、さくらさんは二階に上がっていってしまっている。
「でも意外です、磯鷲先輩もちゃんとこういう会議やるんですね?」
「……あのねえ、あんたたちが私のことどう見てたかは知らないけど、これでも一応会長職にいた人間よ?
飼い主の手を噛むような犬が二人も居たせいで、かなり苦労したけどね」
「ありゃ会長が悪かったんですってば……」
磯鷲前会長の皮肉混じりの言葉にも、まゆき先輩は溜息で答えた。俺の隣で吐かれたそれは、まるで聞こえよがしに言う愚痴のようにも思える。
この具合だと卒パ以外にも相当色々あったんだろう。磯鷲前会長は風紀を取り締まる側というより、むしろ杉並や杏の方にシンパシーを感じそうだし。
というか、実際感じているに違いない。
……もしかしたら裏で内通してたりして? 本当にありそうだから怖い。
「ほら、先輩もまゆきも脱線しない。
ここまでが当日の予定だけど、何か質問は?」
「うわ、さっそく噛まれたわよ……」
「えへへ、今は私が会長ですから。
質問がないなら、今日はこれくらいにしましょう。もう遅いですしね」
音姉が地図やら行程表やらがぐだぐだと書き込まれた紙を畳みつつ、そう言ってくる。
見ると時刻は二人が来てから三時間近くが経とうとしていて、これにはちょっと予想外。まゆき先輩も驚いた様子で「そうね、そうしましょうか」と応じた。
磯鷲前会長も特に異論はないようで、今あった会議の内容を反芻するかのように口に手をあてつつ立ち上がる。その顔は会長と呼ばれてもおかしくないくらいの真面目さだったものの、しかしどこかに杉並や杏のもつ「真面目にバカやる態度」も見えて、なんだかちょっぴり不安な感じ。
「……ねえ、弟くん」
と。
耳にかかる微かな息。顎は俺の肩口で、ぐぐっと身体を寄せたまゆき先輩のひそひそ声。
……うん。この吐息を初めて「甘い」と表現した奴は、天才だと思う。
「本当に”あの”件、音姫や会長に話さなくていいの?」
まゆき先輩は俺のそんなどきどきなぞ知る由無く、色気もへったくれもない話を振ってきた。ひそひそと。
「そもそも『杉並にアホなことをさせないためなら』って条件で引き受けた話でしょう?
二人を信頼してないわけじゃないですけど、どこから情報漏れるか分からないんですから。杉並どころか杏たちに知られたら、俺がクラスで袋だたきに遭いかねません」
「うーん、そっか。じゃあ当日まで秘密ってこと?」
「そうなりますね。
というか、当日も何ごともなく無事に終わってくれればそれでいいんですけど……」
「あはは。
――それはないわね」
きっぱり断言して、まゆき先輩はふっと耳元から離れた。
そしてにこっと微笑むそれは、つまり笑顔の前払い。「当日は大変だろうけど、よろしく頼んだわよ」とか、そんな感じだ。
「ほれー、高坂。帰るわよ」
「あ、はいはいっと。
それじゃ弟くん、音姫、またねー」
「うん。またいつでもどうぞ。
今度は私が夕飯を作って待ってるから」
まゆき先輩はぴょんと飛び跳ねるようにして立ち上がり、居間を出て行く磯鷲前会長の後を追うようにして廊下に出た。二人して「うっわ、寒!」「っていうか死ぬ!」などと叫んでいるのはご愛嬌。
続いて俺と音姉も廊下へ。寒いには寒いが、これから外を歩いて帰る二人に対して俺たちがそれを言うわけにもいかない。
そうして。
「お邪魔しましたーっと」
「そしてごちそうさまでしたー。また明日、学園でねー」
玄関で二人を見送って、賑やかなカレーの晩餐会はようやく終了したのだった。
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