まゆきルート! プログレッブ -12/24 

[Mayuki route! progressive]
「……ということなので、冬休みに入っても学生らしい態度で――」

 十二月二十四日、午後一時半。二時から始まるクリパ二日目を前に、体育館では終業式が行われている。スピーカーを通して聞こえてくる声は、さくらさんのお話だ。

 しかし二日目と言えど開始前というのはどこも忙しく、加えて火の維持をしなければいけない出し物などもあるため、各クラスごとに数人は終業式に出ることを免除されていた。
 そもそもさくらさんの話自体は昨日の開会式でも聞いているのだし。

「ほれ、そこー。遊ぶくらいなら今からでも終業式出てもらうわよ?」
「え? あ、すいません、高坂先輩」

 隣を歩くまゆき先輩がそう声を掛けると、あわてて作業へ戻る付属の生徒。校内放送ではさくらさんがなおもしゃべり続けている。

 まあ要するに、俺も終業式には出ず、こうしてまゆき先輩と校内を見回っているのだ。教師たちはそのほとんどが終業式に出ているので、残った生徒たちは好き放題している場合が多い。それを注意するため、生徒会の生徒たちもまた出席を免除されている。俺のぶんはまゆき先輩が手配してくれたらしい。

「そういえば、まゆき先輩は今日も見回りですか?」
「あー、うん、そうなるでしょうねえ。二日目が一番大変だし。
 それにほら、昨日はちょっと気を抜きすぎたというか……あとで音姫に怒られちゃったわよ」

 珍しく赤くなった頬を掻きながら、「あはは」と恥ずかしげに笑う。同意を求められているようで、こっちまで恥ずかしくなってしまった。そんなこと、今言わなくてもいいだろうに。

 こほん、と一つ間をおいて。

「俺、今日はどうします?
 まゆき先輩と見回ってもいいですし、うちのクラスを見張っておけっていうならそうしますし。あ、杉並は見つかるかどうか分かりませんけど」
「うーん、そうね、とりあえずは校内をぶらぶらと見回ってもらって、杉並関連で何か分かったら報告ちょうだい。あと音姫にも話はしておくから、あたしか音姫から連絡があったら、協力してくれれば。
 杉並のやつ、今日は絶対何かしでかす気だもの」
「言ってましたもんね、昨日の去り際。
 ……まあ、分かりました。何かあったら連絡しますし、そっちからも何かあれば」
「りょーかい。じゃ、そういうことで。
 ――あ、そういえばさあ」

 まゆき先輩は何かに思い当たるようで、それでいてわざとらしく、顔をちょっとだけにやっとゆがめて、

「弟くん、せっかくのクリスマスなのに一緒に回る人とか居ないわけ?
 寂しいわねえ、まったく。候補はいっぱい居るでしょうに」
「何言ってるんですか、候補なんて全然居ませんよ。
 それに――」
「いや、あたしは仕事が恋人ーみたいな感じだしさあ」
「いえ、そうではなくて」

 まゆき先輩の言葉を遮って、言ってやる。
 ちょっとした仕返し。

「昨日、まゆき先輩と回ったじゃないですか」
「んなっ……」

 面白いようにまゆき先輩が固まる。目をぱちくりさせるその表情は、うん、そう滅多におがめるものじゃない。

 しばらく呆けたものの、はっと意識を取り戻し、

「お、弟くん――」
「……では、これにて終業式を終わります。各自、クラスに戻ってクリパの準備を開始してください」

 そうしてきんこんかんこんとチャイムの音。かきけされるような形でまゆき先輩は言葉を止めて。

「それじゃまゆき先輩、また後ほど!」
「え? ……あっ!」

 どさくさ紛れに、俺はまゆき先輩の元から走り去った。



       ○  ○  ○



 ――で。

「あの、やっぱりやめた方が良いと思うんですけど」
「なに言ってるの! このディスク一枚で、クリスマスなんかを楽しんでる連中に正義の鉄槌が下るのよ!?
 散っていった同胞のためにも、ここで出し抜くしかないわ……」
「はあ、そうですか」

 校舎裏。焼却炉のある場所とは別のその場所で、俺と磯鷲前会長は身をかがめて作戦会議をしていた。花壇の草木で外からは死角、中からは廊下の縁まで出てこないと見えない絶好の隠れ場所だ。少なくとも誰かに見つかっているという様子はない。

 何でこんなことをしているのかといえば、それはもう磯鷲前会長が持っているCD1枚のせいである。

「これ、何が入ってるんでしたっけ?」
「クリスマスの雰囲気をぶち壊す必殺の歌よ。
 ……たしか『If 〜I wish〜 杉並バージョン』と『盆踊りメドレー』の二本ね。これを流せば、クリスマスだからっていちゃいちゃしてる奴らのムードは崩壊、我々の完全勝利となるわ」
「……」
「だいたいね、クリスマスなんて私たちには必要ないのよ。
 なにが聖夜よ、字が間違ってるんじゃないの? どいつもこいつも彼氏カレシって……はっ、カラシだかワサビだか知らないけど、年末はおせち作りながら年賀状書いてろってのよ」

 前会長はCDをかざしつつ、そう息巻いた。

 つまり、これが杉並たちが考えていた作戦の全容だった。放送室を占拠し、ムードをぶち壊す音楽を流して、同時にマイクで勝利宣言をする。だからよそで起きている爆発物などは、その真の狙いを悟らせぬためのカモフラージュにすぎないということらしい。

「しかし焼却炉の部隊が全滅したのは痛かったわね。あれでミスコン会場をかき回せば、更に生徒会の戦力を分散できたのだけれど。
 どっから漏れたのかしらね?」
「いや、俺に言われても」
「……それもそうか」

 すみません、その情報を生徒会に流したの俺です。

「でもだったら、磯鷲先輩がミスコンの会場行けばよかったじゃないですか。
 人気はともかく知名度はあるんですから、注目は集められると思いますけど」
「その『人気はともかく』っていうのが気になるけど……まあいいわ。
 私だって行ったわよ。そしたら『男子は入場フリー、女子は着飾ったうえでミスコン参加登録をしていただかないと入場できません』って言われて。ゴネたんだけど結局ダメで、ムカついたから受付蹴っ飛ばして帰ってきたわ」

 最後の部分には突っ込まない。
 この人はこういう人なのだ。短い付き合いながらよく分かった。音姉やまゆき先輩が苦労するわけである。

 磯鷲前会長は自分の腕時計に視線を落とし、

「あと三十秒くらいしたら杉並が仕掛けた爆竹が近くで鳴るから、それに合わせて突入よ。
 杉並は外敵を引き寄せる囮になるって言ってたから、放送部を占拠するのは私とあんたの役割ね」
「あの、やっぱり止めては……くれないですよね?」
「当然じゃないの。朝倉と高坂に一泡吹かすチャンスなんだから。
 見てなさいよ、風見学園で一番大事なのはノリであるということを私が――っと、三、二、一……行くわよ!」

 前会長は立ち上がり、窓をがらっと開けて校舎の中へと飛び込んだ。華麗な跳躍。続けて俺もその窓縁によじ登り、それとほぼ同時にぱぱぱぱぱっと断続的な破裂音。四方から聞こえてくるあたり、かなりの量をまき散らしていたらしい。

 周りからは「なんだなんだ」などと困惑の声が発せられているが、それすら爆竹に飲み込まれて全てを聞き取ることはできない。そうした中、磯鷲前会長は目の前にある放送部のドアの前に立ち。

「はーっはっはっはっは! 私たちの勝ちね、朝倉! 高坂!
 ……ていっ!」

 思いっきり蹴り開けた。まんま強盗だ。

「――は?」

 ……そうして、ぴたっと止まる前会長の背中。
 内心「あーあ」と溜息を吐く。だから言ったのに、やめた方がいいと。

「な、な、なんで……」

 前会長はカクカクになりつつも、思いっきり人差し指を室内に突きつけて。

「なんで高坂が居るのよ――――っ!?」

 己の敗北を宣言した。



       ○  ○  ○



「あのねえ会長、ほんっといい加減にしてくださいよ。放送部占拠って、本気ですか?」
「くー、覚えてなさいよ高坂! 卒業するまでに絶対仕返ししてやるんだから!」
「それは分かりましたってば」

 放送室室内。いまや磯鷲前会長は椅子に強制的に座らされ、後ろ手に紐で縛られていた。その前に立って呆れたような表情を見せているのはまゆき先輩。前会長の怒声を涼しい顔で受け流している。

「ま、会長のことはとりあえずこれでいいとして。
 杉並は? まだ放送室狙ってるんですか?」
「……は? 杉並なら、朝倉と追い駆けっこでもしてるんじゃないの?
 囮になるって言ってたから、あんたじゃないなら朝倉しか居ないでしょう?」

 前会長の言葉に、まゆき先輩が眉をしかめた。不愉快というより、むしろ不可解といった感じ。

「弟くんは? 何か聞いてない?」
「いえ、何も。磯鷲先輩から『杉並が囮になってる』ってさっき聞いたばっかりです」
「おかしいわね……。
 爆竹の音はあったけど、杉並の姿は確認なんてされてない。それに音姫は生徒会の通常業務で生徒会室から離れられないし、ここに来ることはありえないわ」
「な、なんですって!?
 図ったのね、杉並の奴……!」

 いきり立つ前会長をよそに、俺とまゆき先輩は首を傾げる。

 杉並が味方を欺くのはいつものことだが、今回はその必然性がない。第一、俺と前会長が隠れていたのは放送室のほぼ真ん前で、爆竹で注意を拡散させるのはともかく、杉並自身が囮になるほどではない……というか、囮になるも何も、放送室など普通警戒されてはいない。
 警備員が居ないのに、警備員を引き寄せる囮にはなれないということだ。

 だからおかしい。
 磯鷲前会長に託された、このミッション内容そのものが。

「まゆき先輩。杉並はたぶん……」
「ええ、『達成すれば儲けもの』くらいにしか考えてなかったってわけね。
 けど、だとすると会長と弟くんの二人を使う理由が……」
「いや、杉並は分かっていたんだと思います。
 結果として、俺は知らないうちにまた利用された」
「――うわ、信じたくないけど、それしかないか」
「ん? え? ちょ、ちょっと高坂! 説明しなさいよ!」

 ようやく理解できた。そして、ここまで分かればこのミッションの意図が見えてくる。
 さらに意図が分かったということは、杉並の本当の狙いに予測がつくということで。

「行きましょう、まゆき先輩」
「え? 行くって……杉並はここを囮にして、どこに行ったっていうのよ?」
「あるでしょう? もう一カ所だけ、校内放送が可能な場所が」

 先輩は少しだけ考えて、はっと息を呑んだ。

「そっか、体育館!」
「ええ。おそらくあいつ、ミスコンで騒いでいるのを逆手にとって放送機材に近づく気です。
 ミスコンは生徒会にとってすら治外法権。だから見回り範囲からも外れている。そうでしょう?」
「くっ、やられた……!
 もうミスコン始まってるわね。急がないと完全に放送機材を押さえられるわ」

 まゆき先輩が急いで放送室を飛び出そうとする。それを、今まで首を傾げながら話を聞いていた磯鷲前会長が呼び止めて。

「いま、体育館入れないわよ?
 そこの子飼いくんならともかく、少なくとも高坂はね。私ですら断られたんだから」
「え? な、なんでですか?」

 驚く先輩に、先ほど自分が入場拒否された場面を腹立たしげに話す前会長。

 ……俺は一計を案じることにした。



       ○  ○  ○



 できれば現行犯で押さえたい、というのがまゆき先輩の意見だった。
 勿論俺もそれに同意。何も起きない間に放送機材を接収すれば校内放送ジャックは防げるが、クリパが終わるまでまだ一時間ちょっとある。となれば、その間に杉並が何をしでかすか分からない。だから狙いが分かっているこの作戦中に取り押さえたいのだ。

 体育館内は熱気に充ち満ちていた。既にミスコンは始まっていて、壇上では見知らぬ女子生徒が綺麗な衣装に身を包み、自己PRに励んでいる。ナレーターとの一問一答、その度に会場が沸くのは見慣れた光景だ。

「あれ、義之じゃん。
 なんだ、やっぱりお前も……そうかそうか、うんうん、みなまで言うな」
「まだ何も言ってないけどな」

 声を掛けてきたのは、当然のようにミスコン会場に居た渉。その顔は「分かってるって」って感じなのだが、悪いが全然サッパリ分かってない。俺に分かるのは、渉が意中の相手に誘いを断られたのだろうってことだけだ。

「それより渉、お前杉並がどこに居るか知らないか?
 この会場には居ると思うんだけど」
「は? 義之、お前何言ってんの?
 杉並ならほれ、あそこにさっきから」
「ん……?」

 渉が指差した先は、ステージの上。視線を送る。まさか。

「はい、ありがとうございました!
 では続きまして、今回は優勝を狙っているという――」

 シルクハットにタキシードというエセ外国人の出で立ちでマイクを握っているのは、間違いなく杉並だった。
 ……いくら生徒会の役員が来ないからって、壇上に居るとは流石に思わなかった。

 しかしそれなら話が早い。あとは放送機材を管理している場所に行って、杉並が来るのを待てばいいだけだ。来ればよし、来なくともよし。これで校内一斉盆踊りは回避されるだろう。

「……あ、まゆき先輩に連絡しないと」
「高坂さんがどうかしたのか?」
「え、あ、いや、杉並が居るの知らないのかなって。
 知ってたら飛んできそうじゃないか」
「そりゃあなあ。でもここはミスコン参加者以外は女人禁制だしな。
 ……お、次は本命じゃねえか」

 渉はそう言って、壇上へと視線を戻した。
 丁度いい。さっさと電話してしまおう。

 つい先日に入力された、まゆき先輩の携帯番号を呼び出してエンター。数回の呼び出し音のあと、声が返ってくる。

『もしもし、弟くん? どうかした?』
「あ、まゆき先輩。杉並ですけどね、ミスコンの司会をやってるみたいなんです。というかやってます、壇上で。
 ですのであとは、俺が放送部屋に行くので――」
『え、ちょっと待って、杉並が司会って……当然マイク持って、よね? 拡声器なわけないものね?』
「そりゃそうですけど……何かマズいですか?」

 深刻さを隠そうともせず、言葉に詰まるまゆき先輩。だがその理由が俺にはサッパリ分からなかった。
 だって、杉並はいま俺の視界に居るのだ。変な動きをすればすぐ分かるし、いざとなれば取り押さえて被害を最小限にすることだってできる。それのどこが問題というのか?

 疑問に思っていると、会場が再び何かに沸いたようだった。見れば、どうやらラストの一人らしい。

『……弟くん、今のなに?』
「今の……? ああ、最後の一人みたいです。ミスコンが。
 どうします? 最前列まで行くのきつそうですけど……必要ならやりますが」
『違うのよ。
 弟くん、落ち着いて聞いて。杉並はマイクを持っていて、それが体育館のスピーカーから聞こえてくる。間違いない?』
「え、ええ、間違いないです」

 そこで、再び「はあ」と溜息。
 そうして電話の奥で、がちゃがちゃと音がして。

『ごめん、助かったわ。ありがと、花咲、雪村。急がなくちゃいけないみたいだから……うん、うん。ええ、分かった。それじゃまた後で!』
「……まゆき先輩?」
『あ、ええと、今ね、イベントや集会用のシステムになっているはずなのよ。
 普段であれば放送部屋で本体のスイッチを切り替えなくちゃいけないんだけど、昨日今日と学園長の話があったし、明日もあるでしょう? だから今は、マイクについてるスイッチで体育館内放送と校内放送の切り替えができるの』
「え……それってマズいんじゃあ……?」
『だからマズいのよ!
 なんとか平和的に、マイク取り戻せない?』
「そんな無茶な……」

 ただでさえ会場は最高潮。壇上に近づくだけでも数多の人間を押し退けねばならないというのに、その上壇上に駆け上がって杉並からマイクを奪取するなど。杉並は逃げ足が速いし、マイクが狙いだと悟られればいきなり校内放送に切り替えかねないし、なによりどちらにしても平和的になど無理だ。おおごとになるのは目に見えている。

「さて、これにて今回の出場者全員の自己アピールが終了した!
 これより投票に移るが、なに、その前に一つ面白いことをしようじゃないか。なあみんな!」
「おおおおーっ!」

 会場が沸く。

「先輩! 杉並、何かやらかす気です!
 止めますよ!?」
『……はあ、はあ、……弟くん、叫んで!』
「え……? 叫ぶ?」
『……っ、何でもいいから早く! 時間を稼げればいいから……!』
「あ、は、はい!」

 まゆき先輩の怒声に思わず頷いてしまった。
 しかしやるしかあるまい。きっと何か策があってのこと。

 だから俺は。

「ちょっと待ったあ――――!!」

 あらんかぎりの声を、壇上の方へと響かせた。

 杉並の司会で盛り上がっていた会場に、一つの大きな声が響く。放射状に広がっていった俺の叫びは、ようやく杉並まで届いて。
 一時的にシンと静まりかえった会場。気にせず、壇上から。

「ほう、誰かと思えば。
 どうかしたのか同志桜内? 他の奴だったら容赦はしないが、なに、他ならぬ桜内の話なら聞くだけ聞いてやらんでもない。
 会場の皆様はしばしお待ちを。もしかしたらとんだサプライズもあるやもしれんぞ?」

 言外に「誰か女子生徒を連れてきたのかも知れない」と会場に通告して、杉並がにやりと笑う。静かだった会場は一転、にわかに色めき立った。
 ……誰だ、いま「ラブルジョアだから有り得るかも」とか言った奴。

 携帯をしまい、前を向く。

「で、どうした? ほら、壇上まで来ないと聞こえまい?」

 そう言って、杉並はマイクを揺らしながらこっちを見た。
 間違いない。気付かれている。

 けど、それならそれでこっちにも好都合だ。どちらにせよ、マイクに近づかなければ俺にできることなど何もないのだから。
 壇上で杉並の隣に立てば、マイクを奪う機会もあるだろう。

 そう思い直し、男子生徒の様々な期待の視線を集めつつ、俺は体育館を一番後ろから壇上の方へ歩いていく。そうして壇上に着こうかというところで。

「はあ、はあっ、……。
 ま、間に合った……!」

 声は俺の更に背後から。
 聞き慣れたその声は、間違いなく。

「ほう、これはこれは。
 いや、今回はなかなか参加者が集まらず苦労したが、最後の最後で大物が一人来るとは。
 しかも、うん? 似合っているではないか、高坂まゆき?」
「よく言うわ。今行くからちょっと待ってなさい!」

 息を切らせて体育館の扉を開けたのは、まゆき先輩その人だった。もちろん制服ではない。その格好は色とりどりの布を重ねた、そう、”あの”十二単だ。

 重いそれを着ようとも足取りが鈍ることはなく、それどころか走ってここまでやってきたまゆき先輩は、ゆっくりと壇上の方へ、そしてまた俺の方へと歩いてきた。引き摺っている背後の流しさえ邪魔そうには見えない。
 加えて和服にその黒髪はとっても似合っていて、これを着こなせるのは風見学園中を探してもまゆき先輩しかいないと俺には断言できる。

「弟くん、ありがと。ちょっと壇上まで付き合ってくれる?」
「あ、はい」

 そうしてその手をとる。袖の重みか、ずしっと俺の腕にきた。
 ……こんな重いものを着て動いているのか。

 杉並は一つ笑った後、いまのやりとり中は落としていたのか、マイクの電源を入れ直す仕草を見せて、

「さあ、会場が盛り上がってまいりました!
 風見学園伝統のミスコン、ラストのラストであの堅物、高坂まゆきの登場だ! しかも連れ添うはかつての三馬鹿、桜内義之!
 投票はしばし延期して、自己アピールを存分にしてもらおうじゃないか。なあみんな!」
「おおおおーっ!!」

 会場が沸き返る。それにびっくりしたのは、俺ではなく隣のまゆき先輩だった。きっと自分の人気を過小評価していたに違いない。握る手のひら、ぎゅっとその力が強まったことに、俺は少しだけ笑ってしまった。強めに握り返しておく。

 そうしているうちに、壇上。杉並に止められることはなく、結局俺も一緒に上がってしまった。

「さて、ではたった今参加表明したエントリーナンバー十三番、言わずとしれた高坂まゆき!
 ふふん、十二単とは随分なものを選んだな? 大和撫子からはほど遠いように思えるが?」
「うるっさいわね。これしかなかったのよ。
 だいたい何よ、女子は着飾らないと入れないって。あんたら全員しょっぴくわよ!?」
「おお怖い怖い。
 しかしまあ何だ、会場の皆様はご安心を。当イベントは学園長の許可を得ている。問題はない」

 マイクパフォーマンス。杉並はマイクを向けこそするものの、その手から離すことはない。まゆき先輩が露骨に「渡しなさい」と手を出しているにもかかわらず、だ。

「ふむ、まあ思えば自己アピールをせずともどういう人物かは皆知っているな。というわけでここは恒例の質問といこう!
 誰が好きだ?」
「居たとしても言うわけないでしょ……。
 だいたいストレートすぎるわ。ふつう、もっと婉曲的に聞かない?」
「むう、単刀直入が副会長殿の好みだと思ったのだがな。
 ちなみに現生徒会長とデキてる、なんて噂も一部であるが、これについてはどうだ?」
「はあっ!?」

 まゆき先輩が素っ頓狂な声をあげる。
 いや、俺もそういう噂があるのは知ってたけど、本人に直接聞かないだろ、普通。まあ杉並のことだ、分かってやっているのだろうけど。

「そんなわけないでしょ。あたしは至ってノーマルよ。
 そりゃ、音姫とは付き合い長いけど」
「そうか? しかし副会長殿の人気はこんなにあるというのに、誰にもなびかないというあたり、実は……」
「あんたね、それ以上言うとぶっ飛ばすわよ……?」
「いやいや、俺は会場の皆様の声を代弁しているにすぎん。
 しかもここで意中の男の名を挙げさえすれば、そんな疑念も払拭できると思うのだが」

 少しいらいらし始めたまゆき先輩と、何処吹く風の杉並。俺はまゆき先輩の手を握ったまま、居心地悪く立ちっぱなしだ。

 当然、杉並もそれに気が付いて。

「ではどうかな、高坂まゆきをここに連れてきた桜内――っと、おお! おおおお!
 諸君! なんと、この二人、その大きな袖に隠れて今まで見えなかったが、手を繋いでいるではないか!」
「んなっ!?」

 わざとらしく、今ようやく気付いたかのように叫びあげる杉並。俺とまゆき先輩はさっと手を離したが時既に遅く、むしろその離れた仕草こそが恥ずかしさの証であるかのように受け取られ、会場は逆に沸いてしまった。
 いや、他意はなかったのだ、本当に。ただエスコートするために手を繋いでいただけのこと。それをわざわざ、杉並がそっち方向にでっち上げた。脚色しやがったのだ。気付いていたくせに。

「いやー、これは、ふむふむ、なに、俺もそう無粋ではない。
 野暮なことを聞くほどにおちぶれちゃいないが……しかし、この身は大衆の興味を満たすことを使命としている。だからこそ、敢えて聞こう!」
「おおおおーっ!」

 杉並のかけ声に、会場がまたも沸く。完全に場の興味はそこへと移ってしまっていた。

「ねえ、弟くん。確か付き合ってる人、居ないって言ってたわよね?」

 騒がしい会場。ひそひそと耳元でまゆき先輩はそう声をかけてきた。
 袖で口元を隠すその仕草、なんだか江戸時代みたい。……ああ、十二単は平安か?

「ええ、居ないですよ。でもなんで?」
「その、ね。音姫には悪いけど、弟くんの名前で答えてもいいかな?
 あ、もちろん弟くんに好きな人が居て、その人に知られたくないっていうのがあるならやめるけど」
「……好きな人どうこうはともかく、俺の名前を出されてもそう困りはしませんよ。
 それで事が済むなら。どうせここに居る連中にしか知られませんし」

 そうして耳元からまゆき先輩が離れる。

 会場が沈静化するのを待って、杉並がくるっとマイクを回転させ、

「ズバリ! 高坂まゆき!
 桜内義之と付き合って……?」
「ええ、そういうこと」
「おおおおーっ!?」

 地鳴りのような声、とはこのことか。
 会場は他に何も聞こえないくらいに、歓声だけに包まれた。まるで花火のような、心臓を跳ね上げるような大音響。もちろん、ドキドキしているのはそのせいだけではあるまいが、それゆえ普段以上にその大きな音が身を揺らす。

「それは事実か? 事実なんだな?」
「嘘言ってどうするのよ」
「ふうむ」

 杉並は俺たちの意図を見抜いたか、少しばかり感心したかのような表情になったあと、すぐさま何かを思いついたかのように口元をゆがめて、言った。
 ……もとい、言いやがった。

「ということは、ここは接吻の一つでもしてもらわんとな」
「ちょ、杉並っ!?」
「定番だろう? 古来より、恋人同士の証明には第三者の前での接吻と決まっている。
 それができたら、先ほどから物欲しげに手を出しているこのマイクの一つや二つ、くれてやるぞ?
 できなければ自らの保身のために一般生徒を売った悪の副会長、ということになるが」
「くっ、卑怯な……」
「褒めるなよ」

 全部お見通しのようだ。何もかも分かっていて、それでいてそれをするよう迫っている。
 理由は明快。「面白いから」だ。

 俺が逡巡していると、まゆき先輩は少しだけ俯いて、くるっと身体をこっちに向けてきた。ぐっと寄り添ってきて。

 ……え?

「弟くん、じっとしてて」
「え、あ、いや、先輩?」
「いいから!」

 ぐっと後頭部が掴まれ、首を少しだけ捻られる。まゆき先輩は俺に身体を預けてきて、巻き込むようにしてその顔は俺の顔の真っ正面へ。
 そのままぐぐぐっとまさに肉薄といったくらいに近づいて。

「おおおおーっ!」

 歓声。瞬間、ふっと預けられていた身体の重みが離れた。それと同時、ぱっと顔が離される。
 ……唇は、接していない。

「どう、杉並? キスしたわよ」
「……ふむ」

 まゆき先輩は杉並へと向き直り、堂々と言い張る。

 ああ、そういうことかと、今更ながら理解した。そりゃそうだ、確かに、考えてみれば。
 ……なんかドキドキしてたのがバカみたい。

 首を捻ったのは、杉並と会場、そのどちらからも真相が分からない向きにするためだったのだろう。
 それで騙される杉並ではないとも思えるのだが、いかんせん会場はすっかりその気になってしまっている。そして杉並は観衆の代弁者なのだ。

 だから、杉並はマイクを持って、

「これは参った! 接吻を確認した以上、認めぬわけにはいくまい!
 会場のみなさん、この二人に今一度大きな拍手を!」

 杉並が再び会場を盛り上げ、マイクの電源をぶちっと落とす。
 そうしてぽいっとそれを放り投げてきた。

「持ち運びのきくマイクはそれだけだ。演説台に埋め込まれているマイクは放送部屋の方に置かれている。
 ……しかし、俺の美声を妨害するためだけにここまでするとはな。正直な話、呆れたぞ」
「あんたが言うか!
 でもマイクが手に入った以上、もうあんたを見逃しておく必要はないわよ?」
「はっ、その格好で俺を追えるわけがなかろう」
「む……でもまあいいわ。今回はあたしの勝ちだものね、杉並?」
「さあて、そうだといいがな」

 負け惜しみを言って、杉並は壇上を降りていく。きっと追っても間に合わないだろう。俺もまゆき先輩も、壇上からその姿を見送って。

「弟くん、どうしようか?」
「あー、あとは渉に任せましょう。このままここに居るとどうなるか分かりませんし。
 えっと、体育館内放送になってるから……」

 そうして壇上から渉を呼び出し、俺とまゆき先輩はマイクを持ったまま、逃げるようにして体育館を後にしたのだった。



       ○  ○  ○



 ……さて。
 俺は先ほど、杉並の言葉を『負け惜しみ』と言ったが。少々訂正する必要があると分かったのは、体育館から出てからしばらくしてのことだった。

 十二単の下に制服を着込んでいたまゆき先輩は、放送部でそれを脱いでまずは身軽に。そうして俺と一緒に生徒会室へと戻ろうとするその道中、廊下。

「……あの、まゆき先輩。
 なんか見られてません?」
「弟くんもそう思う?
 もう情報が伝わったとは思いづらいんだけど……」

 混雑している廊下、その道行く生徒の誰もがどことなーく俺たち二人を見ているような気がしてならなかった。というか、見ている。確実に。
 ある人は噂の種に、ある人は笑いつつ、ある人は微笑ましく、あるいは悔しげに、いらだたしげに、恥ずかしげに。それは男女とも見境なく、だった。

 確かに、会場でのことが公になれば多少こう見られるのも分かる。だがミスコンは終わったばかりどころかまだ投票中だし、こうも一気に情報が伝播するとは考えられない。
 首を傾げつつも俺たちは生徒会室へとたどり着いて、ようやく一息つける、と思いその中へ。

 と、そこには。

「おかえり、弟くん。まゆき」

 笑顔の般若が居た。

「え、ちょ、音姫? どうしたのよ、そんな」
「どうしたって、どうもしないよ?
 私は二人を待ってただけだもん。”恋人同士でキスまでした”二人を」
「お、音姉、それどこで――」
「しーっ!」

 慌ててまゆき先輩に口を塞がれるが、もう遅い。
 音姉はゆっくりと立ち上がって。

「どこで?
 ふーん、あれだけやっておいて、私が聞いてないとでも思った?」
「いや、だから、えっと……音姫、誤解があるよ。うん、誤解が――」
「校内放送であんなの流して、いいわけないでしょー!?
 二人とも、ちょっとそこに正座しなさーいっ!!」
「に、逃げましょう、先輩!」
「ちょ、弟くんっ!?」

 まゆき先輩の手をぎゅっと握って、すぐさま反転し走り出す。引っ張られるような形になったまゆき先輩もすぐ足を合わせてくれた。
 音姉の「こらーっ!」という声は背後から。もちろん聞こえないふりをしておく。

 廊下を駆ける。アテはない。
 どこへ行っても、道行く人から見られてしまって。

「……ねえ、弟くん。まさかと思うんだけど」
「ええ、完璧にハメられましたね、杉並に」

 走りつつ、繋いだ方とは逆の手で奪ったマイクを取り出す。
 そのマイクに、電源のオンオフをするスイッチなどついてはいなかった。あるのは体育館内と校内の切り替えのみ。

 今となって思えば、どこか杉並の口調が説明的だった。それは何もあの会場の観衆のためだけではなかったのだ。見ていれば分かることまでわざわざ口で言っていた。その理由が、今ようやく。

「キスのふりをしたのがアダになりましたね。
 あいつ、本当はしてないの分かってたろうに、何でだろうと思ったんですけど。こういうことだったみたいですね」
「ってことは、校内に居る生徒はみんな、その、あたしたちがその、キスしたって……」
「ええ、思ってるでしょうね」

 思い出すだけで顔が熱くなる。
 ……でも、役得すらないのにそう思われて、なんか色々な目で見られるのはとってもとっても損した気分。

 音姉に始まり、由夢や小恋など、いちいち説明せねばならないやつらも数多い。
 杏や茜あたりは、事情を理解してなお煽ってきそうだし。

 そんな風に思考を巡らせていると、ふいに。

「ね、弟くん」
「はい? なん――――」

 ……。

 いきなりだった。
 ぐいっと引っ張られて、気付いたときにはそうなっていた。
 頭は真っ白にも関わらず、どこか事態を冷静に把握している自分が居て。

 ……ああ、キスしてるんだなと、どこか呆けた頭で理解した。

「……ん」

 数秒して、ゆっくりと顔が離される。
 表情を確認する間もなく、まゆき先輩は顔をさっと背け、そのまま俺に先だって歩き始めた。でも手は繋がっていて、俺はよろこんで後に続く。

「誤解されたままっていうのも、なんか癪だから」
「それ、どっちの意味でですか?」
「……よく言うわ」

 振り返ったその顔は、頬は赤く染まっていたものの、でもやっぱり普段のように微笑んでいて。きっと俺も、同じような表情をしているに違いない。

 誤解じゃなくて、本当だから。
 それゆえに、今度は周りの視線も噂も気にする必要はなくなって。

「今日はもう、帰りましょうか。色々あって疲れたでしょう?」
「……そうね、どうせ生徒会室には帰れないし」

 笑って、頷き合う。

 十二月二十四日、クリスマスイヴ。
 外で小雪舞う中、俺とまゆき先輩はそうして一緒に帰宅の途へとついたのだった。

 ……この進んでいくプログレッシブな関係は、どんな道筋ルートを描いていくのかな、なんてことに期待を寄せながら。

<了>

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Short Story -D.C.U
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