[Farewell to the Divergence]
epilogue


「あっ、オカリーン、クリスちゃーん」
 早朝の秋葉原駅。静寂の中で元気の良い声が響き渡り、少なくない恥ずかしさを感じながら手を振るまゆりの元へと駆け寄っていく。俺の手には大きな旅行鞄。隣で走る紅莉栖も同様にスーツケースを引き摺っていて、地面の凹凸にがたがたとやかましい音を立てながら改札前へと駆け込んだ。
「はあっ、ごめん、……はあ、もう、岡部が、ふう……いちいち、うっさくて……」
「いやいや、お前な……、最後まで、はあ、持ち物を迷ってたのは、お前だろう。人のせいに、ひぃ、するんじゃない……っ」
「ラボから走ってきたのー? そんなに急がなくてもいいのにねー?」
 はあはあと息を切らせて膝に手をつき、ゆっくり呼吸を整えていく。なんとか予定時間には間に合った。人を集めておいて、俺と紅莉栖が遅れたんじゃさすがに申し訳が立たない。
 けれど俺と紅莉栖がこうまで急いだのは、それ以外の理由もあったからなのだが――
「朝から二人揃って遅刻とか、もう本当爆発しろって言いたくなるお」
「ニャフフ……、秋葉原駅集合なのに、凶真とクーニャン、ラボから来たニャン? 仲が良さそうで羨ましいニャー」
 それ以外の理由、つまりは揃って遅刻して、それをからかわれるのだけは避けよう、という意図は、HENTAI脳と猫娘によりあっさりと崩壊してしまっていたようだった。
 いや、断じて言っておくが、別に紅莉栖とラボに泊まっていたとかそういうことではまったくない。ただ出発前に忘れ物とラボの戸締まりを確認しようとしたら、どうやら同じ考えだったらしい紅莉栖とたまたま鉢合わせしてしまったというだけだ。時間の余裕はあったはずなのだがそこからしばし話し込んでしまい、こうして走る羽目になったというわけである。
 ちなみに何をどう話し込んだのかは質問されても答えない。ご了承下さい。
「でも、遅刻したわけじゃ、ない、から」
「おお、指圧師! ミスターブラウンには言ってきたか?」
 問いに対し、こくりと萌郁が答えてみせる。ならばよし。相変わらず無表情というかなんとも感情の分かりにくい表情をしているが、少しばかり楽しそうに見えるのも、まあ、目の錯覚というわけでもないんだろうと思う。最近なんとなく分かってきた。
「あの……岡部さん、牧瀬さん、今日は誘ってもらってありがとうございます。ボク、みんなと旅行って聞いて、楽しみで……」
「フッ、ルカ子よ。これはラボメンでの遠征強化合宿だ。せいぜい気を抜かずに――」
「気にしないで、漆原さん。むしろ私の方こそ、あなたたちに来てもらえて嬉しいくらいだから」
「こら助手! 人の言葉を勝手に遮るな!」
「無駄話を削っただけですが何か! あと助手じゃないと何度言えば!」
 ……と、まあ、ぎゃんぎゃんやかましい紅莉栖はとりあえず置いておくとして。
 なんだ、つまり、俺たちはこれから青森に旅行へ行こうというのである。
 もちろん最初は紅莉栖と二人で行くつもりだった。約束にしてもそういうつもりでしたものだったし、他のラボメンにはそもそも青森である理由さえ話していなかったのだから当然だ。
 けれど俺と紅莉栖が急に親しくなった(ように見えたらしい)上に、ふとした拍子に二人でどこか行こうとしているのが勘の良いまゆりにバレて、ならばとどうせだからラボメン全員で旅行してしまうことにしたのだ。
 きっとまゆりのことだ、事情を話せば伏せておいてはくれたろう。けれどそれは紅莉栖が許さなかったし、俺にとってもそうだった。だから一緒に行こうと言ったときにまゆりはたいそう喜んでくれて、そのままの勢いでラボメン全員に声を掛けたのだ。
「さて、それでは全員揃ったようだし、そろそろ向かうことにするぞ」
「一番遅れたのに、オカリンなんでそんなに偉そうなん……」
「それはねー、オカリンだからだよー」
「ええい、いいから行くぞ! 準備はいいか!」
 言って、肩にかかった鞄をしっくりくるよう持ち直す。
 ダルやルカ子は俺と同じく鞄を肩へと掛けて、まゆりたちはスーツケースの取っ手をぐいっと伸ばしてみせた。コミマ連中は手際がいい。やや遅れて萌郁が他の人間より小さめな鞄を抱え直して、移動準備は完了だ。
「よし、それでは作戦を開始する! 各自、時計合わせ! 43,44,45……」
「お、そろそろ各駅来るみたいだお。あっ、フェイリスたん、その荷物は僕が持ってあげるよ(キリッ」
「ありがとニャン。でも電車だから大丈夫ニャン。ほらほら、みんなも行くニャー」
「だーっ! あいつらはもう!」
 人の言うことを聞かず、ダル、フェイリス、それにこくりと頷いて萌郁、最初から時計合わせの意味がよく分かってないまゆりがぞろぞろと改札口を通っていってしまう。残ったのは俺の指示を待っておろおろしているルカ子と、いつもどおり冷めた目線を向けてくる紅莉栖だけだ。
「くっ、56,57……」
「あ、漆原さんも行っていいわよ。こいつは私が引き摺っていくから」
「そう、なんですか……? じゃ、じゃあお先に……」
「おおいっ、ルカ子まで!」
 ちらちらとこちらを見ながら申し訳なさそうにしていたルカ子だったが、やがてまゆりに呼ばれて改札を抜けていってしまった。クッ、時として弟子の独り立ちを見ねばならぬのも師匠の定めか……。
「馬鹿言っていないでさっさと私たちも行くわよ。また何言われるか分かったもんじゃない」
「誰が馬鹿だ、誰が。……フッ、しかしそこまで言うくせにわざわざ待っている辺り、さすがはツンデレの@ちゃんねらーではないか」
「もうツッコむのも面倒くさい……。ただ一つ言っておくと、私はあんたが動かないと通れないのよ。私の切符、あんたが持ってるでしょ」
「ぬ? そういえば……」
 懐から封筒を取り出し、そこから切符を出す。期間内乗り放題の特殊な切符。最初は人数ぶんあったそれも、事前に配っていたため残りは三枚となっていた。
 そうだ。紅莉栖にはどうせだから当日渡そうと思って、忘れていたのだった。
「って、なんで三枚――……ああ、そういうこと。いいの、橋田に二枚渡さなくて?」
「渡すさ。何年か後にな」
「へえ。見た目に似合わず、変にロマンチックなこと言うじゃない」
「相対性理論がロマンチックだと言ったのはお前だろう?」
 切符を渡しながら言ってやる。「それをここで言うな馬鹿!」とか何とか言って、ぷいっとそっぽを向いてしまった。自分の台詞に照れていれば世話ないな。
「しかし……良かったのか? みんなで行くことになってしまったが」
 改札の向こうでこちらの様子をうかがい、紅莉栖の態度に囃し立てるような仕草を見せてくる連中を見ながら呟く。
 それは、今になってみればいまさらな質問ではあった。青森へ、一緒に。特にやましい考えもなく、純粋に二人で行くものだと思っていただけに、俺にとっては紅莉栖が気にしていないかどうかが心配ではあった。自由時間も制限される。みんなが居ては吐けない弱音もあるだろう。紅莉栖が嫌がるなら旅行は旅行、青森は青森、でそれぞれ別々に向かうという考えも俺の中に少しはあった。
 けれど、俺の言葉に紅莉栖はゆっくりと首を振って。
「いいのよ。それにむしろ、みんなで行くことになって良かったとすら思う。約束をしたときとは、事情が少し変わっちゃったから」
「そうか。お前が良いというなら、俺は構わんがな」
 約束をしたときの紅莉栖は、純粋に父親との和解に希望を持っていた。不安な中で俺と一緒に青森へ向かい、うまくいけば関係を改善できるという期待を確かに持っていたのだ。
 けれど、今は違う。溝はより深くなって、ドクター中鉢は青森にすら居ない。だというのに紅莉栖はそれをおくびにも出さず、こうしてみんなと青森に向かおうとしている。
 どうしてだ? そう問いかけると、紅莉栖は滅多に見せない優しい笑みを浮かべて。
「目的が変わったのかもしれないって、自分では思ってる。最初に約束したときはパパに会うためだったけど……今は、違う。岡部と約束した、私がとっても嬉しかった青森行きの約束を、どうしても果たしたかったから。そしてそれにみんなが一緒に行ってくれるなんて、すごく楽しそうだと思ったから」
「……そうか」
 手段と目的が入れ替わっちゃうなんて研究者失格かもね、なんて冗談も交ぜて、紅莉栖が恥ずかしそうに笑ってみせる。
 けれど、ああ確かに、もしかしたらそれは今の俺たちができる唯一のことでもあるのかもしれない。
 父親の暮らした地、青森。どうしたって肉親を思い出さざるを得ないそこでさえ、その当人のことを忘れて仲間と旅行を楽しめたのなら。過去は過去だと割り切って、居なくなった父親の残り香に縋り付くような行為をせずに済むようになったのなら。そのときこそ、俺は紅莉栖と父親の問題を解決できたと、『紅莉栖』に胸を張って言えるようになるのではないか。
 阿万音鈴羽はこの地に仲間を見出した。
 秋葉留未穂は父親との過去に別れを告げた。
 漆原るかは外側ではなく自分の内側を変えてみせた。
 桐生萌郁は自らの居場所を見つけた。
 椎名まゆりはあるがままそこに在り続けた。
 だから、牧瀬紅莉栖も――
「岡部、ほら、行きましょ。みんな待ってるから」
「あ、ああ、そうだな。……なあ、紅莉栖」
「ん? どうかした?」
「楽しい旅行になるといいな」
 鈴羽のぶんの切符を懐に戻して足を進める。紅莉栖は俺の言葉にちょっとばかり驚いて見せた後、最近はよく見せるようになった柔らかい笑顔をこちらに向けてきて。
 さあ、出発だ。
 門出の言葉は紅莉栖の口から。やいのやいのと騒ぎ立てるラボメンどもに見せつけるように、あるいは半歩遅れた俺を引っ張るように、こちらの手をぎゅっと握りしめながら、言った。
「なるに決まってるでしょ。――それが、Steins;Gateの選択よ!」



(「世界線変動率にさよならを」   了)

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