Aを探せ!

[da capo U short story]
「ふははははははははは!」

「あははははははははは!」

 閑静な朝の住宅街に響く、高低二つの大きな笑い声。肌を切る冷たい空気、その鋭敏さがぶしつけに増している気がする。

 どうしてこんなことになったんだろうか。
 儚い疑問は誰にも漏れることなく、二つの声を吸収するその青い空へと消えた。





「さくら――」

「断る」

 六時間目も終わり、生徒会室でも行こうかと腰を上げたそのとき。背後から上がった声を聞くなり反射的に拒絶した俺を、自分で褒めたくなった。

「そうか、そうまで言うなら仕方ない。
 いや、さすがは桜内だ。では明日の午前八時、桜公園で待ってるぞ」

「いや、わけわからん」

 相も変わらず話が繋がらない。もっとも杉並は俺が理解していようがいまいが、あまり反応は変わらない。

「とぼけるな。きっと桜内なら分かっている。言葉なぞ、我々の前には不要だと思わんか?」

「そうね。杉並の言うとおり、諦めなさい、義之」

 横から声を挟んできたのは杏だ。
 いや、杉並は諦めろとは言ってない。意味は同じだが。

「諦めろって、お前なあ。他人事だと思って」

「他人事だもの」

 平然と言ってのける。後ろでは茜が「デートぉ? 土曜の朝から公園で禁断の……きゃ〜! 小恋ちゃん、杉並君に先越されちゃったよ〜!」なんて言ってる。言ってろ。

「ふふん、どうやら世間は我々の関係を正しく認識しているようだな」

 杉並にしか分からない論理で、こいつはこいつで何やら頷いている。今の会話から何をどう汲み取ったのだろう。こいつと付き合って長いが、未だに1%も理解できない。
 それをどう取ったのか、向かい側の席では杏が変わらずにやにやしてるし、後ろの茜はきゃーきゃー騒いでるし、話を振られた小恋はあたふたしている。
 うん、雪月花はいつも通りだ。そして、杉並も、おそらく俺もいつも通り。

「はあ……。
 ま、行かないぞ? 一応言っておかないと、どんな曲解されるか分かったもんじゃないし」

 そうなのだ。以前、返事をしなかったら、「無言は黙認と判断する!」なんて言われて、焼却炉に集合させられたことがあった。あのときは「弟くんが主犯かー!」なんて言われて、散々な目に遭ったことをことをここに記述しておく。まゆき先輩とまたあの追いかけっこをするのは、できれば勘弁願いたい。

「そう照れるな。なに、高坂まゆきの許可は取ってある」

「へ?」

「あら、珍しいこともあるのね」

 俺の気持ちを代弁するように、こちらも珍しく感情を露わにして杏が疑問を呈す。

 それはそうだろう。あのまゆき先輩が杉並を黙認なんて。
 ありえない。由夢が早起きして弁当を作って、あまつさえそれが食べても大丈夫なものであるくらいに有り得ない! もはやそれは天文学的数字の個数だけ0を並べて、小数第百万位くらいにやっと1がつくような、そんな確率に違いない」

「……ふっ」

「……あらまあ」

 0が5個で1万分の1、10個で100億分の1。由夢の弁当が食べられる確率だったら100億だって生ぬるい。もはや100%食べられないと断言できる! つまり0が無限個付くということで……?」

「ここまで来ると、もはや狙ってるのかとすら疑うわね」

「桜内の親友を自負するこの杉並、こいつは本気で気付いていないことを代弁しよう」

「貴方でなくとも分かるわよ」

 杉並はいつも通り、杏はひねた表情でこちらを見ているのに気がついた。そのどちらもが、俺を哀れむように。茜が舌を出して「あちゃー」なんて言ってるのが聞こえる。その割に、顔は何やら面白いものを見つけた子供のよう。小恋があわあわしながら、何か指でジェスチャーしている。

「どうした、後ろに――」

「……何がありえないんですって、兄さん?」

 …………。
 顔がひきつっているのを自覚しているのに、それを元に戻すことが今の俺にはどうしてもできなかった。顔はひきつったまま、身体は言うことを聞かない。目の前に居る杏と目が合い、かろうじて声を絞り出した。

「なあ杏。俺、まさか……」

「ええ、バッチリね。再生してあげるわ」

「へ? 再生?」

「『あのまゆき先輩が杉並を黙認?
 ありえない。由夢が早起きして弁当を作って、あまつさえそれが食べても大丈夫なものであ――』」

「わーわーわーわーわー!!
 聞ーこーえーなーいー!!」

「……ヘタレね」

 ふっ、となおさげすんだ目で見つめてくる。なんとでも言え。例え背後で死神が構えていようと、最後まであがくのが人間の務めだ。
 振り返ろうとした首が、石化したように動かない。たまたま漏れた本音が、たまたま本人に聞かれただけ。うん、きっと俺は悪くない。

「……。
 それでは先輩方、私は兄さんと一緒に帰りますので、これにて失礼しますね」

 頭の後ろから周りにかかる、裏モード全開の丁寧口調と、その更に裏に隠された怒気。

「というか、隠れてない。隠れてないぞ」

 そして最初の『……。』の部分、『ここまで来てまだ無視するとは良い度胸ですね、兄さん』って聞こえたのは俺の空耳だろう。
 もとい、空耳であってほしい。

「生きていればまた会おう」

「……自業自得ね。南無」

 爽やかに別離の挨拶投げかけてくる二人。しかも楽しそうに。ちくしょう、由夢が教室に入ってくるところから見えていたに違いない。
 制服の襟元をむんずと掴まれ、床をぞうきんのように引きずられて、俺は裏切りの友たちに最後の挨拶を爽やかに告げた。もとい、告げようとした。

「I’ll be ba――ンガッ!?」

 ぐいっ、と強くなる襟の締め付け。

「なんだよ、俺は――。
 ……って、いや、首がっ! 痛いっ! 締まる! 締まるって!」

「ふんだ、どうせ寝ぼすけでご飯も作ってあげられない、可愛くない妹ですよーだ」

 ずりずりと廊下まで俺を引っ張って、砕けた口調で批難し始める由夢。

「そこまで言ってねー!!」

 弁解虚しく、全校生徒の注目の的になりながら、その日、一つのぼろ雑巾は帰宅したのだった。





「ん? どうしたの、義之くん」

「いや、嫌なもん思い出したなと……」

「?」

 杉並の言葉だけ思い出せばいいものを、その後の惨事まで思い出してしまった。おかげで制服はクリーニング。まあ土日があるから、どうにかなると思うけど。

 それで結局、まゆき先輩が黙認した杉並の計画、ってのに興味を抱いて、指定時間に集合場所に来てしまった、と。
 散らない桜のせいで季節感が無いが、まだまだ夏の盛りには遠い晩春の節。快晴なことも相まって、普段の服装では少し肌寒いくらい。普段なら気持ちの良い朝の冷ややかな空気も、その空気を振動させる大きな音が気持ちを真っ逆さまに揺り落としている。

「ふははははははははは!」

「あははははははははは!」

 目の前には、公園からこっち、延々と笑い続けている二人。片方は言うまでもなく杉並だ。もう一人は――

「えっと……杉並君に乗ってる娘、ゆずちゃん、だっけ? すごい元気のある子だよね。
 あは、あはは……」

 二人の様子に呆気にとられていた音姉が、やっと声を上げた。さすがの音姉もちょっとだけ疲れるようだ。目を逸らして、頭には大きな汗マークでも貼り付けてそうな表情をしている。ちなみに乗ってる、というのは言葉通りで、杉並がゆずちゃんを肩車している。杉並の上にゆずちゃんの頭が乗ってる感じだ。声の発生源が近いせいで、余計やかましい。

 それでも音姉だから、この相乗効果で三倍も四倍もやかましくなった二人に対して平静でいられるんだろう。その隣に居る人は、さっきから言葉を発していない。

「……ぽかーん」

 目が点になって、機械のように音姉の隣を歩いているのはまゆき先輩。杉並たちが来る前は「どお? そういえば私服で会うのって初めてだよね? 惚れ直したかにゃー?」なんて巫山戯てたのが、二つの高笑いで完全に思考停止。ゆずちゃんの手前、杉並をいつものようにどやすこともできないのだろうけれど、ゆずちゃんパワーとその相乗効果の前に呆然としているようだった。中途半端に常識人だから、その分苦労も大きそうだ。

「っていうか音姉、どうしてまゆき先輩がこんなものに参加したのさ?」

「んー、まゆきは『杉並の行動を監視するため』って言ってたよ。
 わざわざ探し出してとっちめるくらいなら、一緒に行動して現行犯を取るって」

「予防じゃなくて、現行犯なのか……」

 それって事件が起こること前提じゃないか。防げないのは百も承知とは、まゆき先輩も何かと色々悟ったのかもしれない。

「ふははははははははは!」

「あははははははははは!」

 空中に「は」という文字を貼り付けたいほどに、断続的に響く笑い声。その声を聞きながら、呆けているまゆき先輩が通常モードに戻るには今しばらくの時間が必要だろうと、そんなことを思った。





「ふむ、では点呼を取るぞ」

 町中の交差路に差し掛かったとき、杉並が頭に乗せたゆずちゃんと共に急に振り返ってそう告げた。ちなみにゆずちゃんにいじくられて、その柔らかい髪はくちゃくちゃだ。

「はあ? 杉並、何言ってるのよ。点呼って、あたしたち別に何かの集団じゃないんだし」

 まゆき先輩はようやく落ち着きを取り戻したところ。調子のバロメータが杉並に対するツッコミ、ってのはどうかと思う。口に出してから気付いたのだろう、自己嫌悪のような表情でため息を一つ吐いた。当然、そんなものを気にする杉並ではない。

「ふふん、甘い、甘いぞ高坂まゆき!
 本日は君たちを非公式新聞部特別出張班として集めたのだ。たとえ先輩だろうと生徒会だろうと、今日は俺に従ってもらう。いいかな、まゆきクン?」

「いいかな、あおきクン!?」

 復唱はゆずちゃんだ。杉並の頭にしがみつくその腕には「非公式新聞部特別招待記者」とかわいらしく手書きで記されたワッペンをつけている。

(というか杉並、いつの間に……。あの字、杉並の字か?)

 そんなどうでもいいことを思っている俺を余所に、まゆき先輩は困ったように言葉を吐いた。苦労人の顔が板に付いている。

「どうしてあたしがあんたなんかの下に付かないといけないのよ! はあ、来るんじゃなかったかしら……」

「ま、まあまあ、まゆき。いいじゃないの、今日くらいは。
 そうじゃないと杉並君だって、目的は話さないよ、きっと」

「さすがは朝倉姉。どこぞの高坂まゆきと違って話が早い。
 我々が何をするのか、今から他の手段で調べるのは骨が折れると思うが?」

 勝ち誇った笑みでまゆき先輩を見る杉並。まゆき先輩のカンに障るのが分かっててああいう表情をするんだから、人が悪いというか。今更杉並にそんなこと言っても、ほんと今更だけど。

「わかった、わかったわよ。新聞部だろうが文芸部だろうがなんでもいいから、さっさと初めてちょうだい」

 もうどーにでもなれな口調でまゆき先輩が告げる。このあたりの対応は、まゆき先輩の方が委員長より長けている。委員長はなんだかんだで頭を痛めるからなあ。
 そんなことは露知らず(知ってるかもしれないが)、杉並は満足そうに頷いて、懐からメモ帳を取り出した。本当に点呼を取るつもりらしい。

「では――行くぞ! 一番、小日向ゆず!」

 いや、気合い入れすぎだし。

「おー!」

 んで、当然のようにこっちも気合い漲ってる、と。何かが通じ合っているのかもしれない。

「彼女は我々非公式新聞部の新鋭だ。みな、心してかかれ!」

「こころしてかかれ!」

 白熱した点呼を交わした二人。ゆずちゃんが大人びてるのか、はたまた杉並がアレなのか。まず間違いなく後者だろう。
 というか。

「……どうして二人は知り合いなんだ?」

「私にも分からないんだよ……」

 小声でななかがそう応えた。ななかも知らぬ内にゆずちゃんと知り合っていたとは……。まあテンションからして、ものすごく波長が合いそうな二人ではあるが。

「ゆずちゃん、大丈夫なのかな?」

「うん、慎さんに聞いたら、『体調も良くなってきたから、リハビリがてらよろしく頼みます』だって」

「そっか。お父さんの許可があるのなら、大丈夫なのかな」

 結局杉並が、どこで接点を持ったのかは謎だけれど。ゆずちゃんの好奇心の強さが、非公式新聞部を引き寄せたのかもしれないな、なんて。

「どうした、三番、桜内義之! 居ないのか!」

 はっと顔を上げると、杉並が真面目くさった顔でこっちを見ている。

「うみうし! いないのか!」

「あ、ああ、居る。居るよ」

 ひらひらと手を振る。「居るのなら早く返事をせんか」とブツクサ言って、杉並がメモ帳に何やら書き込んだ。いや、居るのなんて見れば分かるというか、そもそもなんで点呼なんか取ってるんだ。


 晴天の寒空の下、その後粛々と点呼が行われ、五番、高坂まゆきまでの五人と杉並を含めた計六名の「非公式新聞部特別出張班」がここにめでたく誕生した。
 ……めでたくねぇよ。



「ひい、ふう、みい……うむ、全員揃っているな」

 わざわざ芝居がかった仕草で、メモ帳を見つつ人数を指折り数える。結局数えるって、何のための点呼なんだか。組織の団結力を高めるためだとか、そういったお題目があるのかもしれない。

「で、何する気なんだ?」

 やっとできた、根本的な質問。この質問をするまで、どうしてこんなに時間がかかったのだろう。そんな自問さえしてしまう。集合場所だった桜公園は遙か遠く、五人(+ゆずちゃん)が朝の町中を歩いて早十数分。交差路の往来で点呼を取る光景を、ジョギング中の大学生とおぼしき彼はどう思ったろう。俺に知る術はない。そんなことを思っていると、

「発言は挙手にて受け付ける」

 なんて言葉が返ってきた。

「……なにそれ?」

 まゆき先輩だ。反発ではなく、純粋に疑問に感じたらしい。
 俺は音姉とななかも含めて、杉並がお化け屋敷の進行をしたこと、その際に使ったこのフレーズを杉並がいたく気に入ったらしいことを説明した。「それはまあ……災難ね」なんて他人事のようにまゆき先輩が感想を漏らす。その呆れっぷりがあまりにも委員長に似ていて、つくづく不憫に感じてしまった。

「うみうしー、きょしゅしろー!」

「はいはい……」

「『はい』は一回だ!」

 ……。

「すまん音姉、あとは頼んだ」

「え、ええ〜? どうして私に振るの〜?」

「なんかもう、疲れたし……」

 えーと、なんて困惑しつつも、結局やってしまうのが音姉の悪いところだ。いや、今は良いところか。

「しょうがないなあ、弟くんは。
 ええっと……、はい、杉並君」

「うむ、なんだね、朝倉クンかっこ姉」

「えっと、今日は何をするのかな?」

 音姉がそう聞くと、杉並は待ってましたと言わんばかりに、

「良い質問だ。流石は生徒会長、そこいらの凡人や副会長とはワケが違う!」

 といって腰に手を当てた。
 ついでにふふん、と鼻を鳴らして「副会長」を一瞥する。

「……ねえ弟くん。杉並の奴、殴って良いかしら?」

「まゆき先輩、気持ちは分かりますけど、勘弁してください。ゆずちゃん落ちちゃいそうですし」

 先輩、声が本気です。
 その様子を察したワケでもなかろうが、杉並は音姉他に視線を戻した。伊達眼鏡が朝日を反射して、危ないインテリっぽさを醸し出している。加えて頭に乗せたゆずちゃんが、その雰囲気を調和するどころが見事に混沌と化させている。

「今日集まってもらったのは他でもない、非公式新聞部が捕捉した怪生物を調査、あわよくば発見かつ拿捕するためだ!」

「だほするぞ!」

 ゆずちゃんが元気よく復唱する。多分意味はわかってない。

「怪生物って、もしかしてこの間言ってた奴か? あの、手足のない白いネコ、とかって」

「よく覚えていたな、My同志桜内。
 あの後も俺は独自に調査を続行した。雨にも負けず、風にも負けず、『ヌー』を読みつつ公園に張り込んだあの夜も今は昔。そうしてその怪生物についてのレポートをまとめ、非公式新聞部本部に本格調査を提言し、こうして出張班の認可を得たわけだ」

 得意げに杉並はその経過を説明する。ゆずちゃんだけが納得顔でうんうん唸っているが、他の誰も聞いていない。最近よく公園で杉並らしき影を見ると思ったら、そういうことだったのか。杉並っぽい影を見次第Uターンで家路に着いていたので、話を聞くのは初めてだった。

「なに、その手足のないネコって?」

「杉並がこの辺りで見かけたらしいんだよ。目が顔の半分以上あって、そのかわりに鼻と口がない。手足もなくて、体毛もない白いネコのような生物」

「想像もつかないよ……」

 ななかもあきれ顔だ。普通、そうだろう。まゆき先輩が黙認したっていうからどんなことだろうと思ったら、UMA探しの続きかよ。
 あれ? ってことは。

「まゆき先輩、知ってて来たんですか?」

「知っててって、何を?」

「いやだから、今日の杉並の目的がUMA探しだってこと」

「ゆーま……?」

「……?」

 まゆき先輩が音姉と顔を見合わせる。どうやら二人とも知らないらしい。ななかが「UFOの生き物版みたいなものですよ」と助け船を出す。いや、その説明も相当分かりづらいと思うぞ。
 それでもなんとかかんとか分かったようで、

「なによソレ、分かってたら来ないわよ……。生徒会だって暇じゃないんだから」

 なんて、予想通りの言葉をいただいた。





 杉並の説明も大方終わり、誰もがこの謎の集会から逃げ出すタイミングを逸した頃、班分けが行われた。それもそうだろう、捜し物をするのに六人全員で行動する必要はない。

「じゃあ、どうやって分かれよっか?」

「肝試しのときと同じでいいんじゃないか」

 なんて会話があって、俺と杉並、ななかと音姉、まゆき先輩とゆずちゃんがグーパーすることになった。こうすればゆずちゃんは俺と杉並のどちらかとは組むことになるし、ななかと同じ班になれる可能性もあるからだ。

「ふっ、桜内か。相手にとって不足はない!」

 いや、相手も何もグーパーだろ。

「いくぞ! グッパで……」

「ホーホーホー、っと」

 俺はグー。杉並はパー。一回で決まった。

「ふっ」

 杉並がにやりと笑った。ゆずちゃんのいなくなったその頭は、髪の毛が飛び跳ねてる。

「甘いな、桜内。貴様が86%の確率でグーを出すことは承知済みだ」

「いや、勝ち負けとかないし」

「何を言おうと負け犬の遠吠えよ」

 何やら満足げな杉並は放っておいて、残る二組を見た。

「え〜、弟くん、やっぱりグーだったのー!?
 うー、白河さんの熱意に負けてパーを出すなんて……」

 音姉が何やら呻いてる。この二人、やたらとあいこが続くと思ったら二人してグーを出し続けていたらしい。

「まゆき先輩の方はどうなりました?」

 いつの間にかゆずちゃんのお守りをしていたまゆき先輩に聞いた。

「あたしはグー。弟くんと一緒だね。それで……」

「おー! すぎなみと一緒かー!
 あーでも、ななかや兄ちゃんとは違うのか。むむむ……」

 これで綺麗に分かれた。俺・ななか・まゆき先輩の組と、杉並・音姉・ゆずちゃんの組だ。

「えーん、まゆき〜。交換してよ〜」

 約一名、大いにご不満な様子の人が居たけれど。



       ○  ○  ○



「さて、どうしようか」

 杉並とゆずちゃんが先陣を切り、苦笑いをした音姉がその後ろをついていく、そんな隊列を成しているあちらの組は公園を西側から出て行った。手を振っていたゆずちゃん、その姿が見えなくなったところで、これから何をすべきか、全く思いつかないことに気がついた。

「杉並が居ないんだから、どっかで時間潰せばいいんじゃない?」

 ため息混じりにまゆき先輩がつぶやく。確かにそうだろうし、そうあるべきだとも思うのだけれど、

「えー、義之くんもそう思うの?」

なんて、杉並の話を聞いて以来、妙に乗り気のななかを説き伏せるほどそうしたい訳でもなかった。俺も怪生物に興味がないといえば嘘になるけれど、このクソ寒い休日の朝っぱらから――しかも平日の登校時間より早く!――街中を巡るほどの興味ではない。まあ、ななかが行きたいなら、それを拒否するほどでもないのだけれど。

「そう? じゃあ商店街の方行こうよ。折角の休日だもん、楽しまなきゃ!」

「あ、ああ、そうだな」

 ななかが腕に張り付いて、目を爛々と輝かせている。こういう表情には弱る。断れるはずがない。これが打算か自然かなんて、どっちだって良いと思う。その二つに区別はきっとないし、どっちにしたってななかはななかだからだ。

「ふーん、義之くん、結構難しいことも考えるんだね」

「へ? 何が?」

「あ、ううん、なんでもない。
 それで、えっと、副会長さんもそれで良いですか?」

「……」

 ななかの問いかけに応じる様子もなく、ぽけっとした表情をしているまゆき先輩。朝もそうだが、今日はどうも魂が抜けている場面が多い。

「まゆき先輩? 調子でも悪いんですか?」

「へ? あ、ああ、なに、弟くん、何か言った?」

「だから、ななかが商店街に行こうって。まゆき先輩もそれでいいですか?」

「んー……」

 軽い調子で承諾すると思ったが、意外にもまゆき先輩は渋い表情を作る。場所の目処をつけていたんだろうか。

「副会長さん、どこか他に場所を考えてたなら――」

「あ、いや、そういうわけじゃないんだけどね。そうね、まあいいわ、行きましょう。
 ……ただ、その呼び方はちょっとなあ。学園ならまだしも」

「あ、そうですね。それじゃあ、えっと……えいっ!」

 ななかが一旦俺から離れてまゆき先輩の手を握る。ななかの癖だと思うのだが……まゆき先輩は勝手が分からずきょとんとしている。

「それじゃ……うん、まゆきさんって呼んでもいいですか? 『音姫さん』って呼ぶのと同じ風に」

「え、ええ、いいわよ、それで」

「それではこれは、仲良しの握手ということで」

 ぶんぶんと二度三度、握った手を振って、ぱっと話した。そのまま公園の東側の出口の方へと駆けていく。

「それじゃあ出発しましょー、義之くん、まゆきさん!」

 フォローミー、といった感じを身体全体で表している。制服と変わらず、私服でもスカートは短いものなので動きやすいのだろう。寒そうだが。

「あれが噂の白河マジックなのね……」

「白河マジック?」

「いや、マジックってわけじゃないんだけどさ。いきなりフレンドリーになったから。
 あたしはそれでもいいけど、そこかしこで色んな話も聞くからねえ。ちょっぴり納得」

「ああ……」

 まゆき先輩が、付属の有名人であるななかを知らないわけもない。その良い評判と同じくらい、生徒会という立場からして、悪い噂も聞くに及んでいるのだろう。ななかの人の良さと同時に、その危うさも今のことから体感したのだ。

「ところでさ」

 深刻な表情から一転、まゆき先輩がにやりと不適な笑みを浮かべる。すすす、と身体を寄せてきた。

「な、なんですか?」

「これも噂に聞いてるけど、いやあ、始めて見たわ。いつもこんな感じで歩いてるらしいじゃない」

 言うと同時、まゆき先輩が腕に絡んできた。恥ずかしいくらいに心臓が跳ねる。慣れてきたななかでさえどきどきするのに、いきなりは反則だ。まゆき先輩は「案外腕太いのね〜」なんて言いながらぎゅっとしてくる。

「まゆき先輩、勘弁してください……」

「そうね、このくらいにしときましょうか。白河さんにしろ音姫にしろ、見られたら後が怖いし」

 まゆき先輩が存外にあっさりと離れてくれた。ちょっぴり勿体ないと思ったりもする。まゆき先輩はにこにこ顔だ。こういうところを見ると、弟扱いされているのだとつくづく思う。悪いことではないのだけれど。

「義之くーん、まゆきさーん、はーやーくー!」

 公園出口の植木の向こう、背伸びするようにして顔を覗かせながらななかが手を振っている。自慢の帽子もゆらゆらと揺れた。

「あ、ああ、今行く!」

 ななかからまゆき先輩に視線を戻して、ふと思った。きっとまだ寝ぼけていたに違いない。思ったことを、検閲せず、そのまま口に出してしまったのだから。いつぞやの首相を上回る失言だったといっていい。

「まゆき先輩って」

「ん?」

「案外胸小さ――」

 最後の記憶は、迫ってくる拳だった。





 見慣れた商店街も休日の朝となると、放課後とはまた勝手が違った。人が少ない。そりゃそうだろう、店も半分くらいしか開いてない上、なにより寒い。すれ違うのは休日のデートを朝から楽しんでいるカップルらしき組くらいだ。

「こりゃ別行動しなくて良かったわ……」

 まゆき先輩の言葉だ。どうやら俺とななかに気を遣って、一人で別行動をしようとしていたらしい。ななかがどさくさに紛れて一緒に連れてきたから別れはしなかったのだが、確かになるほど、この雰囲気の中、女一人で歩くというのは恥ずかしいかもしれない。なんせ周りはカップルだけなのだ。

「私たちはどういう風に見られてるんだろうね、義之くん?」

 腕にくっついているななかがいじわるげに問いかけてくる。俺とななかだけならまだしも、ななかと逆側には、腕を絡めていないとはいえまゆき先輩が歩いている。ななかは言うまでもなく人目を惹く容姿だし、まゆき先輩も学園では浮いた話こそ聞かないものの、綺麗な部類であるのは間違いがない。特に今日は二人とも私服で着飾っているので、平凡一直線の俺は肩身が狭いというかなんというか。

「そこで『鼻が高い』って言えないあたりが、義之くんらしいよね」

「ななか、それ、褒めてないでしょ」

「えへへ……」


 ……そんなこんなで、既に店を開けている所を冷やかしながら時間を潰していた。杉並たちとの集合時間が八時だったので、時間を潰しているうちに段々と店が開いていき、商店街をあっちに行ったりこっちに行ったりと、なかなかに忙しく動き回る羽目になった。
洋服屋で暇を潰していると、会計で二人がそれなりに買い込んでいたので、

「まだ時間あるでしょうに、そんなに買ってどうするんですか?」

なんて聞いたら、案の定、

「え? 弟くんが持つに決まってるでしょ?」

などとまゆき先輩に言われ、こうして両手に紙袋を提げて、ついでに片腕にななかもひっさげて、もう何度目になるか分からない商店街の往復中なわけだ。


「そろそろ休憩したいんだけど……まゆき先輩、今何時ですか?」

「ん? んー……まだお昼には早いわね。疲れたなら何か飲んで休憩しましょうか」

「義之くん、だらしなーい」

「なんとでも言ってくれ、俺は休めればそれでいい」

 手近なベンチに紙袋を置き、その横に腰を落ち着ける。一時的に疲労が地面に吸われた気がした。

「義之くんのこんじょなしー、もやしっこー」

「悪いな、俺はプライドより実利を取るんだ」

「うわ、義之くんがなんか悟っちゃった」

 ベンチに体重を全て預ける。いっそこのまま沈んでしまいたい。動いて多少火照った身体に、この陽気は気持ちが良かった。汗が冷える中、春光の日差しが心地よくもある。

「ありゃ、こりゃ本気で疲れたみたいね……。
 飲み物買ってくるわ、何が良い?」

「あ、私が行きますよ」

「いいっていいって。ちょっとは先輩らしくさせてちょうだいな。
 それで、どうする?」

「俺は何でも。先輩と同じでいいです」

「じゃあ私も同じので」

「はい、了解。なんだかあたし、責任重大だなあ」

 笑いながらまゆき先輩は近くの喫茶店に入っていった。持ち帰りのできることで有名な、なんとかっていうコーヒーチェーンだ。俺はそういうのに縁がないせいで、よくみる看板であることは分かるのだが、店名までは思い出せない。
 まゆき先輩が店の中に消えてから、しばらく無言で待っていたのだが、

「まゆき先輩っていい人だね」

ふと、ななかが真剣な顔でそんなことを呟いた。

「そうだな、ちょっと厳しい所もあるけど、逆に砕けた所も多いし。うちの委員長と違って」

「委員長って、沢井さんだよね? そんなこと言っちゃだめだよ。沢井さんだっていい人だもん。ちょっと、トラウマっぽいことがあるだけで」

 そのトラウマが何なのかは聞かないでおくことにした。俺が軽々しく首を突っ込んでいい話じゃないだろう。ななかは交友関係が広いせいで、そういう相談もよく聞くのかもしれない。

「本当にそう思う?」

「そう思うって?」

「私が色んな人から相談を受ける、ってこと」

「ああ、思うよ。最近もよく話してるじゃないか、小恋と。負けるだの負けないだの」

「え!? ち、ちが、義之くん、あれは違――」

「はーい、お待ちどー。なんかよく分からなかったから、日替わりコーヒー頼んできたわ」

 まゆき先輩が戻ってきた。両手で器用に三つのカップを持っている。白い紙製のコップにブランドのロゴ。テーブルに置かれたそれに触れると、温かかった。それもそうか。この寒さの中、ホットでないはずがない。
 ななかを見ると、いつの間にか真面目な表情は消えている。いつものようにころころと笑って、まゆき先輩に礼を告げていた。





 結局30分も経たないうちにコーヒーは空になってしまった。朝から歩きづめだったのと、この寒さが助長したのだろう。

「それで、この間出来た駅前の――」

「あそこはあたしも行ったけど――」

 空になった容器をべこぼことへこませて遊びつつ、妙に話の弾んでいるまゆき先輩とななかの会話からは一歩引いたところから街の様子を眺めていた。時刻は昼時。商店も活気付いて、人も増えてきた。朝からずっと居ると、街の変遷を見ているようで面白い。

「……ん?」

 と、視界にぬいぐるみのようなものが入った。ちゃりんちゃりんと、鈴の音。人混みの死角、蹴飛ばされそうになる足下。きっと椅子に座っているから見えたのだろう。遠目なので分かりづらいが、足がよく見えない。尻尾らしきもので歩行しているようにすら見える。

「馬鹿馬鹿しい。足のないぬいぐるみが動くわけ――」

『白い毛の生物を見たのだ』
『しかし、手足が見当たらないんだ』
『非常に強いてだが、ネコに似ているといえなくはない』

 脳裏を掠めるその言葉。すっかり忘れていたが、今日はその怪生物を探しに来たのではなかったか。目を凝らす。色は白。手は分からないが、少なくとも足はない。ネコ……ネコ……。

「あのさ、二人とも、ちょっと会話の途中で悪いんだけど」

 声をかけると、案外すぐに二人はこっちに注意を寄せてくれた。

「ネコから手足を取って、背筋を立たせて、飛び跳ねるように動かして、しかも白い毛だったら、それってネコに似てるかな?」

「は?」

「ごめん義之くん、意味が分からないよ……」

 うん。俺も意味が分からない。けどそれ以外に形容しがたい何物かが、確かにそこに居るのだからしようがない。

「いやほら、あそこにさ……。あれが多分、杉並が言ってたやつだと思うんだけど」

「ん〜……?」

 二人が目を凝らす。少し見にくい場所に居るが、色が色だ。割とすぐに見つけられたらしい。

「ありゃ確かに見たことないわ……どうする、捕まえてみる?」

「立ち上がりながら言う台詞じゃありませんよ」

「う、うるさいわね! 別にちょっと可愛いから捕まえてみようと思っただけで――!」

「まあまあ、今日はそのために出てきたんだし、やってみよう。ね、義之くん?」

 二人はどうもやる気みたいだ。杉並のために動くとなると指一本動かしたくないが、二人のためなら多少は動いてもいいと思える。既に怪生物から視線を逸らさない二人に苦笑いを浮かべつつ、空になったコップを手に席を立った。





「弟くん、何してるの! 遅い! 出口を塞いで!」

「義之くん、左! 柵を越えるつもりだよ!」

 運動部も真っ青な運動量と叱咤激励。「身軽になりたいから」という理由でまゆき先輩とななかの荷物を持たされた俺は、それにも関わらず二人の指示を受けて真っ昼間の桜公園を右往左往させられていた。それでも文句を挟めないのは、二人が俺以上に走り回っているからにすぎない。

「弟くん、後ろ!」

 出口から怪生物の脱出を阻止せんと張っていた俺の視界から、その生物が消失する。まゆき先輩の声に振り向いたときには既に遅く、白い似非猫が大通りへと駆け抜けていた。残像が俺の背後で霞んでいる。

「あー、義之くーん、何してるのー! せっかく公園に追い込んだのにー!」

 ななかの凜とした批難が響いてきた。どこにそんな元気があるのか、颯爽と駆けてくる。俺はこの陽気の中でも汗だくだというのに、二人は息一つ切らせていない。まゆき先輩は「日頃の運動量の違いだよ」なんて言っていたけれど、まゆき先輩だって運動部でなく生徒会だし、ななかにいたっては俺と同じ軽音部の手伝いみたいなもんだ。俺が運動不足であることは認めるが二人はどうして動けるのだろう。

「あっちは大通り……学園の方向ね。追うわよ!」

 まゆき先輩が車両通行止め用の柵を一足で跳び越え駆けていった。それにななかが続く。かなり綺麗な跳躍なのにスカートを押さえているのは流石というべきか。卒パのときは押さえてなかったのに。

「こらー、義之くんも早くー!」

「あ、ああ……」

 へとへとになりながら両肩の荷物を抱え直し、ななかの後を追う。というかどうしてそんなやる気が出ているのか。まゆき先輩は既に後ろ姿が見えない。

「――っと、電話だ。杉並かな?」

 後ろポケットのバイブレーションだ。ちなみにまゆき先輩の携帯電話はさっきから震えっぱなしだが、「無視していいよ」との先輩の言葉通り、全て無視している。

「もしも――」

「桜内! 現状を教えろ! それとああいった情報は電話でせんか! メールでは情報伝達密度と速度に劣る!
 今どこに居る!? 相手のスペックは!? 動きはどうだ、手足がないのにどうやって動いている! 相手の生態は――ああー! 離せ朝倉姉! 桜内ではない! 断じて桜内ではない! 高坂まゆきの電話を待ってれば良か――」

 親指でボタンを押す。ぷち、という音の後、「杉並 18秒」という表示が携帯の画面に表示された。メール画面に移動し、「学校」とだけ打って送信。蓋を閉じてななかの後ろ姿を追いかけた。





 桜公園から学園へ行くには、長い桜並木を通る必要がある。登下校でいつも使っている道というのは、昼間その姿をみることは滅多にない。煌々と桜を照らす日の光とその風景に目新しさを感じる余裕もなく、

「高坂まゆき! 学園へ追い込め! 敷地内ならば地の利を生かせる!」

「言われなくても分かってるわよ! 弟くんは杉並に続いて、白河さんはあたしの後に!」

その長い道を有り得ない速度で駆け抜ける二人を一生懸命に追っていた。杉並とはこの桜並木で合流。っつーか、二人とも速すぎ。部活動か何かで道を歩いている学生たちは何事かと目を留め、「ああ、杉並か」と納得して視線を外している。学生服ならまだしも、私服で走っているのだから目立ちもする。

「わ、わ、由夢、なんだあれは!?」

「杉並先輩ですよ……って、ちょ、兄さん!? 何やってるんですか!」

 その他大勢のモブに紛れて聞こえてきたバナナが嫌いそうなホルスタイン帽の一年生と、その隣を歩いていた誰かさんを無視して杉並を追いかける。いや、無視したわけではない。そちらに意識を回せるほど体力が残ってないだけだ。

「そういえば、音姫さんはどうしたの?」

「音姉は……はあ、ゆずちゃんと……歩きながら、来るって……はあ、言ってた……」

 まゆき先輩のスピードについていきながら、そんな質問をななかが投げてくる。多少疲労が見える。公園からこっち、普段は通学で十数分かける距離を駆け抜けているのだから疲れもする。校舎が見えてきた。

「そろそろ学園だな……高坂まゆき、あの生物を校舎内に誘導する。姿は見えなくなるが、校舎を西側玄関から入って中央へ追い詰めろ! いいな!」

「誘導って、どうやってよ! それができるんなら苦労は――」

「桜内はそのままあの生物を追いかけろ! 中央口から校舎へ入るはずだ。白河嬢は東側から。俺は階段詰める! いいな!」

 杉並が振り返って怒号を飛ばす。結構な距離が離れているもんだから、並木を歩く生徒全てに聞こえているはずだ。聞いてるこっちが恥ずかしい。

「だーかーらー、どうやって誘導するのかって……」

「こうするのだ!」

 杉並がポケットに手を入れた。制止の声をあげる間もなく爆竹のような破裂音が辺り一体、特に学園の方から聞こえてくる。
 ぱぱぱぱぱぱという火薬独特の炸裂音。見ると校舎の手前、校庭は煙に包まれており状況はまったく見えない。極めつけとばかりに其所此所で粉塵が高く舞っている。

「ちょっと杉並! あんた何やらかしたの!?」

「姿が見えなくなると言ったろう! あの生物が中央口へのコースから外れようとすると火薬が炸裂する仕組みだ。あの似非猫は必ず中央口に逃げ込む!」

「アホかー!」

 言いつつ、まゆき先輩が学園の門をくぐり粉塵の中へと姿を消す。杉並はそれを見送り立ち止まった。俺とななかがすぐに追い付く。

「杉並、お前なあ……これ、どうすんだよ」

「ふ、朝倉姉を置いてきたのは正解だったな。高坂まゆきが黙認するのは予測済みだ」

「いや、そうじゃなくてさ」

 噴煙感知器が作動したのか、校舎では警報が鳴り始めていた。校舎が煙巻かれているせいで中の生徒の動揺は計り知れない。

「えっと……あははは、まあ、いいんじゃないかな、たまには。
 私は東側だよね、杉並くん?」

「ああ、頼んだぞ。それと帽子は深く被れ。教師に顔が知れると厄介だ」

「はーい。絶対捕まえようね!」

 髪の毛から絶対バレると思うんだが、ななかは杉並の言うとおり帽子を目が隠れるくらいまで深くかぶった。うーん、なんだか愛らしい。まゆき先輩に続いて、煙の中へと消えていった。

「じゃあ俺は中央口からアレを追い込むとして……杉並、お前はどうする気なんだ? 階段がどうとか言ってたけど」

「ああ、俺は二階の階段から追い込む」

「あ、そ」

「さあ、行くぞ!」

「はあ、なんで休日に学校来て、こんなことになってんだか……」

 杉並と同時に粉塵の舞う校庭へと突入した。爆竹のような音は散発的になっている。どうやら杉並の思惑通り、あの怪生物は中央口へ動いているようだった。

「見えた……行け、桜内!」

「俺かよ!」

 スピードを緩めた杉並を追い抜きざま、白い生物が必死に走っているのが見える。これだけの爆音だ。似非猫とはいえ耳はでかい。たまらないだろう、きっと。

「杉並は……って、杉並!?」

「いいか、階段方向に追い込め! 決して脱出を許すな!」

 隣に居たはずの杉並は忽然と姿を消していた。声は上から降ってくる。煙の中目を凝らすと、杉並は中央口の天井に上っていた。手には登山で使うロープ。いつの間に、とかいうのは聞かない方がいいんだろうな、きっと。そのまま杉並は窓から二階の教室へと飛び込んだ。

「アホかあいつは……と、居た居た」

 汗をとばしながら小さな身体で必死に校舎へと入っていく怪生物。可愛いと言えなくもないような言えないような。ぴょこぴょこと跳ねているのだが、速度は異常だ。杉並やまゆき先輩の全力疾走を振り切ったというのだからこればっかりは動物的というよりほかない。
 速度を緩めずプレッシャーをかける。狙い通り、似非猫は校舎へと入った。それに続く。校庭は粉塵まみれだが、校舎の中まで煙が入っているわけではないらしい。視界は良好。下駄箱の上を伝って飛び跳ねていく白い怪生物を見失わないようにしながら追い込んでいく。

「さあ、来なさい! つかまえたげるわ!」

「こっちにはいかせないよ!」

 校舎の両側から走ってきたまゆき先輩とななかが、中央口に繋がる廊下の二つを塞ぐ。当然怪生物は正面階段へ逃げるが、

「甘ぁぁぁぁぁぁぁい!」

その行く手を阻むように杉並が飛び降りてきた。螺旋階段の真ん中をまさに飛び降りたのだ。似非猫は反転する。しかし道はない。

「うにゃ〜ん……」

 首をうなだれて、降参の姿勢をとった。というか、こんな鳴き声だったのか。声までネコっぽい。

「えへへ〜、勝負あったね。よしよし」

 ななかがにこにこしながらその白似非猫に近づく。そのときだった。
 ピンポンパンポーン、と校内放送の音。

「いいから! ちょっとこれは……え? もう音源入ってる?
 えー、こほん。杉並くん、まゆき、白河さん、弟くんの四人は今すぐ生徒会室に来なさい! いい、今すぐだからね!」

 聞き馴染んだ声がスピーカから発せられた。そうだった、音姉が歩いてきているのを失念していた。当然この校庭の惨事を見て何事かと思い、しかも通学路には俺たちの姿をきっかりと捉えた由夢が居る。失態だった。お説教は確実だ。
 まゆき先輩は落胆したような、ななかは驚いたような表情。唯一無関心な杉並だけが状況を把握できたというべきか。

「白河嬢、気を抜くな!」

「へ? ――あ!」

 カールルイスも吃驚の超加速で、うなだれていた怪生物がななかの足下をくぐり抜けた。なんというタイミング。一瞬の隙を逃さなかったその判断力は大したものだ。……などと言っている場合ではなく。

「追いかけるぞ!」

「言われなくても!」

 まゆき先輩と杉並が廊下を駆ける。廊下の先々で響く炸裂音は杉並が「こういうこともあろうかと」設置しておいたものだ。こういうことて、ねーだろ、普通。

「う〜、ごめんね、義之くん……」

「いいって、別に。あとは二人に任せておこう。それよりこれからの、音姉の説教のが憂鬱だ……」

「あ、あはは……」

 ななかの笑顔は、どこか硬い。わーわー騒ぎ立てながら廊下を疾駆するする二人の背を見送って、鬱々とした気分で生徒会室へと向かった。



       ○  ○  ○



「はあ、まゆきが居るのにこんなことになってるなんて、思わなかったよ……」

「うー、面目ない。けどまさか、校庭全体に爆薬仕込んでるなんてね。しかも猫の大きさを感知する機械付きよ? どうしろっていうのよ……」

「それはそうだけど……」

 生徒会室。長机のいつもの席にまゆき先輩と音姉、対面に俺とななかが座り、一通りお説教が終わって微妙に陰鬱とした空気が漂っていた。ちなみに杉並が居るはずがない。

「ねーちゃん、これ食べて良いのか!?」

「ええ、どうぞ、ゆずちゃん。あ、弟くんたちはだめだからね」

「ゆずちゃんのを取ろうなんて思わないけどさ……」

 椅子に座る音姉の膝にかかえられるようにゆずちゃんが座っている。机に出された来客用の菓子折や飴を爛々と目を輝かせて頬張っていた。どうやらこの二人、午前中に仲良くなったらしい。音姉はどこか母性を感じさせるから、もしかしたら良い組み合わせなのかもしれない。

「はあ、私が来たから良かったけど、大変だったんだからね? 消防署の人たちに謝ったりして」

「だから悪かったって。
 ……これで捕まえられたならまだしも、結局逃げられたんだから世話ないよなあ」

「うーん、もうちょっとだったんだけれど」

 まゆき先輩は心底悔しそうな表情をする。あの生物の生態解明がどうこう、ということより、勝負事で負けたのが余程気に入らないらしい。

「まゆきはこういうことになると、周りが見えなくなるのが玉に瑕よねえ」

「音姫はあたしのそれ以上に、盲目になることがあるでしょうが」

「え? そんなのないよ〜、ねえ弟くん?」

 俺に振るのはわざとなんだろうかとも思うが、断言しよう、天然だ。まゆき先輩はにこにこ笑っている。

「ま、結局あれが何なのか分からなかったことは心残りだけど――って、ごめん、電話だ」

「ちょっと弟くん、校内での携帯電話の使用は――」

「あ? 杉並?」

『桜内。西側校舎の階段を使って、校長室の前に来てくれないか』

「西側限定って……おいおい、もしかしてまだ追い駆けっこしてたのか?」

 俺の言葉にまゆき先輩がぴくりと反応した。

『喜べ桜内。あの生物を校長室に追い込むことに成功した。扉を封鎖しているから逃げられることもない。突入時に万全の対策さえしておけば、今度こそ捕まえられるはずだ』

「いいけど……校長室って、さくらさんは?」

『知らん。中に居るかもしれんし、居ないかもしれん』

「お前なあ……」

 一度電話から口を離して周りを見た。だいたいの内容は把握してくれたらしい。

「わかった。今すぐ行く。んじゃな」

「ちょっと弟くん、今すぐって、まだ話はねえ……」

「あれ? じゃあ音姉はあの猫見たくないんだ?」

 音姉が見せた微妙な表情。これはいける。

「ねえ、まゆき先輩。あの猫すごい可愛かったのに、音姉は見る気なんてないんですって」

「……へえ〜、あの猫、音姫なんかす〜〜〜〜〜〜っごい好きそうだったのになあ。興味ないんだ? ふ〜〜〜〜〜〜〜ん?」

「え、えっと、そんなに可愛いの?」

「ああ、もうすっっっっっっごく可愛いって。な、ななか?」

「うん、もう、あんっっっっっな可愛い生き物見たことないなあ」

 基本的に優等生で通ってるななかだ。そしてななかの言葉は、音姉が抱えているその人物にも影響がある。

「なんだ、そんな可愛いのか!?
 ねーちゃん、見に行くぞ! 見に行くぞ!」

「うう〜……」

 散々苦悩の表情を浮かべた音姉だったが、やがて

「ゆずちゃんのためだからね、今回だけだよ」

なんて、やけに嬉しそうな表情で頷いた。





「さて、この奥でついにUMAの捕獲が為されるわけだが」

「面倒なのはいいわ、さっさと拝みましょう。失礼しまーす!」

「こ、こら、高坂まゆき! こういうのは前口上が大切なのだと……!」

 校長室の扉を百八十度囲むように包囲した後、杉並の訓辞を無視してまゆき先輩が扉に手をかけた。緊張の瞬間。怪生物は扉が開いた瞬間を狙って飛び出てくるかもしれない。
 だがその危惧は全くの杞憂に終わり、まゆき先輩が開いたその扉の奥には

「あ、兄さんだ」

 音姉に状況を報告した由夢と

「あ、義之くんと杉並くんと……珍しいメンバーだね〜。何かあったのかな?」

 いつもの笑顔でのんびりと出迎えてくれたさくらさんと

「あんあん!」

 俺に和菓子をねだっていると思われるはりまおと

「うにゃ〜ん」

 さくらさんの頭の上で居心地良さそうに座ってる(?)、目的の似非猫が居た。

「さ、さくらさん、その、似非猫は……?」

 六人分の疑問を代弁し、俺はさくらさんに問うた。似非猫は逃げる素振りすらなく、むしろここが自分の居場所だと言わんばかりに、さくらさんの頭の上から離れる気配がない。

「ん? ああ、紹介しようか。ボクの大切な、旧くからの友達だよ」

 そんなことを言って、さくらさんは頭の上の似非猫を両手で抱え上げた。とても大切そうに、ガラス細工を扱うようで、それでいて相手を信頼しているような力強い抱え方。俺の足下のはりまおが、ちょっとだけ嫉妬深そうな視線を送っている。ように見えた。

「でも似非はひどいなあ〜。どっからどうみても猫だよ。お兄ちゃんは今でも納得してくれそうにないけど」

 そんなことを言いながらも不快そうな表情は見えない。むしろ懐かしむような、愛おしむような目をその猫(?)に送る。猫の方も先ほどの追い駆けっことは打って変わって、穏やかな表情を見せていた。ように見える。さくらさんは猫を両手で抱えて自分の顔の高さまで持ち上げて、微笑みながら言った。


「ね、うたまる?」

「うにゃ〜ん」

 同意するように、その白いUMAはさくらさんに答えた。

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Short Story -D.C.U
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