弔いの

[divergence x.xxxxxx]
「その有り様は、やっぱり歪にすぎたと思う」
 暗くなり始めた街並みを俯瞰しながらそう言うと、”父さん”はむぅ、となんとも言いようのないうめき声で応えてくれた。
 オペレーション・スクルド、つまりは二度目のタイムトラベルへ飛ぼうとするまでのわずかな時間。話には聞いていたものの実際には初めて見る秋葉原電気街、さらにそのラジオ会館の屋上で、あたしは父さんと二人、タイムマシンを背にして残る二人の到着を待っていた。
 現代に存在する未来ガジェット研究所に道具を取りに行ったまゆ姉さんと、準備するといってこれまた出て行ったオカリンおじさん。格好からして姿を見られるわけにはいかないあたしとともに、とても若くて、でも想像してたのとはだいぶ違う父さんは、この屋上で再びの時を待ちわびる。
「でもあのオカリンがなあ……いや牧瀬紅莉栖と面識あるどころか、そんな関係っていうのも驚きだけど」
「タイムマシンが存在することに比べれば、そう驚くことでもないんじゃない?」
「あー、どうだろ……僕にとってはどっちも同じくらい信じられんレベル」
 言いながら、ぺしぺしとその太い腕で父さんがタイムマシンの外壁を撫でる。精密機械の繊細さを知っている優しい手つきで、けれど技術者らしく好奇心を持って深々と。壁面には触るものの人工衛星で言う太陽光発電部分には触らない辺り、やっぱりよく分かっていると思う。……まあ、将来的にはこれを作る張本人なわけだけど。
 話していたのは、ついさっきオカリンおじさんの携帯で見ることのできたあの内容に関してだ。あたしにとっても初見のそのムービーは、未来ではあるもののあたしが飛んでくる前のそれとは少しばかり違う時間から送られたもの。
 2025年。つまり、オカリンおじさんが亡くなる年だ。あたしが飛んできたそれよりも11年も昔のことで、いまこの世界より15年も後のこと。まゆ姉さんの頭が若干こんがらがっていたのを思い出す。
「まゆ氏も褒めてたけど、惚れた女に生涯を捧げるとかもうほんと、美談すなあ。聞くだけなら美談すぎて一大感動巨編になっててもおかしくないお」
「……聞くだけなら、っていうと?」
 含みのある言い方に、思わず言葉を返していた。父さんはタイムマシンを触る手を止めて、見た目はだいぶ違うけれど、でもあたしにはずいぶん馴染みの太い声で話を続ける。
「んー、そっちも言ったじゃん? 歪だって。まゆ氏とか、あとその牧瀬氏かな、とかから見れば、そりゃあ白馬の王子様みたいに格好良く見えるだろうけど……うーん、けど、なんていうのかな……現実としてはどうなんかな、って。ああいや、否定するつもりはないんだけど」
 ぽりぽりと頭を掻きながら、渋い顔で言葉を探す。その顔つきは、やっぱりあたしの知っている父さんのものだった。
「うん、けど、やっぱり有る意味狂ってるんだと思うんだよね。しかも善悪はともかく、やろうとしてることはただ一人のために世界を変える、ってことっしょ? 格好いいし、美しいし、映画ならサイコーに萌えるシチュエーションだけど、リアルだとするとそのオカリン、もう色々おかしくなってたんじゃないのかなって」
 しかも自分自身は救われるつもりはなかったんっしょ、と続けた父さんの言葉で、こくりと頷きを返しながらも、あたしはその理解力に内心舌を巻く。
 やはり父さんは父さんだ。あたしはあの”執念”を抱えたオカリンおじさん自身が救われることがない、ということまでは説明していない。世界線変動の話だってついさっきしたばかりだ。だというのにこの若い父さんはそこまですぐに理解して、あまつさえオカリンおじさんの心情までも見抜いて見せた。親友、というのは時を経てなお分かり合えるものらしい。もっと彫りの深くなった後年の父さんが、似たような調子であたしにおじさんのことを話してくれたのを期せずして思い出す。
「おじさんは、その辺り自覚はしていたみたいだね」
「みたい? ……ああそっか、あのムービーのときは」
「うん。あたしはまだまだ小さかったから」
 だからあたしの持っているおじさんのイメージ像は、実際に会ったというよりも、以後に聞かされたものが大半だ。けれど話してもらえるのはどうしてもこの2010年より前のオカリンおじさんについてで、それ以降の話になるとまゆ姉さんも父さんもぱたりと口を閉ざしてしまった。それくらい、牧瀬紅莉栖の以前以後であの人は変わってしまったのだ。
 それは、ただひとつのことに生涯を捧げるという狂った決意をしてしまえるほどに。
「……一人のために世界を変える、というのは確かに美談かもしれない。この世界のまゆ姉さんが――椎名まゆりがそう考えてしまうのも、無理からぬことだと思う。でも、あたしたちはそれに協力しているわけじゃない」
「うん? それ、どういう意味?」
「あたしたちには大義がある。第三次世界大戦を食い止めるっていう究極の正義が。それは時を支配するこのタイムマシンを有る意味我欲で使ったとしても、結果として世界を救えるのだという自負に繋がって、だからあたしたちは立っていられた。……けど、おじさんにはそれがない」
「でも目指すところは同じっしょ? ……ああでも、そっか」
「うん。一緒なのは結果であって、目指すものは違うんだ。あたしたちは大義に尽くして死ねるけど、おじさんにはそういう拠り所さえ有り得なかった。大義もなく、それが自分自身だけの傲慢な欲求であると知りながら、それでもなお遥か昔の失敗を悔いることだけにその生涯を費やした。それは到底格好いいものじゃなかったと、いまなら自信を持って断言できる」
 だからとうに狂っていたのだ。脳裏に残る窶れきった白衣のイメージは、きっと間違いなく当のおじさんのものだろう。その有り様はとうに人から離れすぎていて、だからやっぱり歪にすぎた。世界の歪みと身体ひとつで張り合おうとした、その末路だった。
 もちろん父さんのように理解者が居なかったわけでもない。その有り様に、まるでフィクションを見るかのように魅せられた人だってたくさんいた。カリスマという点では組織を束ねるのにおおいに役立ったことだろうとも思う。
 でも、それはやっぱり賛美するべき対象ではないのだ。崇め奉り褒めそやすよりは、道半ば、人知れず地に伏せたその姿に対し、そのまま土をかけて埋葬とするくらいがきっとふさわしい。
「知らない人じゃなし、助けてあげたい気持ちはある。あたしより父さんたちはもっとその気持ちが強かったとも思う。でも当の本人がそれを望んじゃいなくて、それも理屈としては正しかった。……分かるよね、父さんなら。彼は、執念を抱えたオカリンおじさんは、正しく”否定されるべき”人間なんだ」
 己の欲で世界を変えるという大罪を自覚している人間には、断罪こそが救済だ。その存在を否定し消滅させることこそが本人の望みを叶えることにつながる――その点で、いまこの時代からシュタインズゲートに飛ぼうとしているあたしと未来のおじさんは、似たようなものであると言えた。
 散々けなしてはいるが、あたしだっていまは大義ではなく、父さんの遺言にこそその後生を捧げている。同じ穴の狢なのだ、結局は。
「だから父さんたちは――いまこの世界を生きる君たちには、完膚無きまでに”あの”おじさんを否定してあげてほしい。踏み台にしてあげてほしい。自信をもって切り捨てて、その先にある幸せをつかみ取ってほしい」
 言いながら立ち上がって、暗くなった空へぐぐっと右手を伸ばす。軍事用手袋のその先に、瞬き始めたわずかばかりの星々があった。
 それはかつて、いつか誰かがしていた仕草。
「あれはきっと、省みられることすら望まない。救おうなんて思っちゃいけない。その愚かさを鼻で笑って、その悲しさを遠ざけて――それでもなお何かしたいと言うのなら、ゲートをくぐるその瞬間に、同情もなく、感謝もなく、ただ一度だけ回顧してくれればそれでいい」
 言い切って、父さんの――橋田至の顔つきを窺う。けれど彼はなぜだか顔を逸らしていて、帽子をぐっと被り直していた。そうして目線を合わせぬままぽつりと呟く。
「……それ、どうして僕に言ったん?」
「だって、君なら覚えていないから」
 笑いながら答えを返すと、橋田至が何かを言い返すより先にがたんと屋上のドアが開いた。どうやら椎名まゆりか、あるいは岡部倫太郎のどちらかが帰ってきたらしい。その一瞬の隙をいいことに、あたしは調整をするフリをしてタイムマシンへと乗り込む。すると外からは、ちょっぴり暢気っぽく振る舞っている岡部倫太郎の声が聞こえてきて。
「……さ、それじゃ正しく”消えに行く”ために、と」
 あたしはわざわざ声に出して、きっと”あたし”の最後になるであろう、タイムマシンの計器チェックを再び始めたのだった。
 願わくば、あたし自身が、そして”あの”オカリンおじさんが、次にここに戻ってきたときにはひとしく消滅していますように――

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Short Story -その他
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