エロゲ棚に全年齢ギャルゲが一緒に並んでたの違和感みたいな話

[divergence x.xxxxxx]
「まったく、よくできたものだな……」
 野球ボールより少し大きい程度の『それ』を日の光にかざしながら、俺は大きく溜息を吐く。
 真っ昼間のラジ館屋上。既に閉鎖が決まっているこのビルは、かつての賑やかさとは比べるべくもなくなっていた。立ち入り禁止の立て札に、空っぽのテナント、ついには埃の溜まり始めた廊下。内装も軒並み剥がされて、コンクリートの外壁が剥き出しになっている。そんな昼間だというのにあまりに暗い室内の様子に、かつて、まだ閉鎖が決まっていなかったにもかかわらず、営業停止になっていた頃のことを思い出さないと言えば嘘になる。
 もっともそれは、今では「なかったこと」になってはいるわけではあるけれど。
 ――いま俺の足元にあるビルに、大穴が空いていたりはしないのだ。
「スケールは……1/144、といったところか?」
 引き続き、俺はご丁寧にも金属部品を使って作られた『それ』をためつすがめつする。翼を広げた円筒のようなもの。色塗りはハンパな出来なままのこれは、かつて無遠慮にもこのラジ館の外壁に思いっきりめり込んだあの物体、その忠実すぎる模型だ。いくつパーツを使ったのやら、想像するだけで溜息を吐きそうになる。最近妙に熱心に何か作っているなと珍しく感心していれば、自慢げに渡されたものがこれだ。
 もちろん、作ったのはダルである。
「人工衛星、か」
 きちんと両翼まで可動式。無駄な凝り性は相変わらずだ。
 ぱちっと翼を織り込んでから、俺は白衣のポケットに結構な重みのあるその模型を押し込んだ。次いで、遥か空を仰ぎ見る。雲一つ無い、突き抜けるような青い空。どうしたって思い出さざるをえないあの雨の日が頭をかすめたところで。
 きい、と。
 背後から蝶番のこすれる音。
「やばっ……」
 咄嗟に物陰へと移動する。
 当然のように無断侵入である俺は、警備員に見つかれば説教の一つや二つ、もらってしまうことは確実だった。それだけならまだしも、一度見つかってしまえば俺はもう二度とここに来ることはできなくなってしまうだろう。それはできれば避けたい。だから、取り壊し予定のビルに昼間から巡回など、と甘く見ていた自分を反省しようとした――の、だが。
「……白衣の裾、見えてるわよ」
「む……?」
 呆れたような口振りで聞こえてきたのは、ラジ館警備員の声などではなく。
「助手か……。まったく、驚かすな」
 あまりに見慣れた姿に、大きく大きく溜息を吐く。助かった。
「だから助手じゃないって言っとろうが。それに驚かせたんじゃなくて、あんたが勝手に驚いたんでしょ。立ち入り禁止のテープを乗り越えたのは自分のくせに、ずいぶんビビリじゃない」
「やかましい」
 ふん、と鼻を鳴らす。俺の態度をどう取ったのか紅莉栖は笑いながら近づいてきて、勢いよく「ほら」と何かを投げつけてきた。
 受け取る。ドクペのペットボトルだった。それもずいぶん冷えている。
「下で買ってきた。あんたが外出てから、ずいぶん時間経ってたから」
「ほほう? 流石は助手だ、なかなか気が利くようになったではないか」
「はいはいどうも。それに私の気が利くんじゃなくて、単にあんたが単純なだけよ」
 ぱきっとフタを開けて、密封された炭酸の音がぷしゅっと吹き出る。紅莉栖の言葉通り買ってからそう時間は経っていないようで、口を付けると身体の中に冷たさと爽快感が一気に広がった。
 炎天下で飲むドクペはやはり格別だった。喉が渇いていればなおさらだ。
「で、こんなところでなにしてた?」
 一方紅莉栖は俺の飲みっぷりを尻目に、ラジ館の柵に手を掛けながら遥か地上を見下ろしていた。視線を追えば、そこでは相変わらず多くの人が行き交っている。
 誰も空など見上げないままの、見慣れた世界、見慣れた光景。それを紅莉栖とともに眺めていることに、俺は妙な感慨を覚えてしまって――。
 ああ、だからまだ、俺は慣れてはいないのだ。
 心配しているわけではないと、自分では思っているのだけれど。
「……特に意味はない。お前こそ、どうして俺がここに居ると?」
「さあね。特に理由はないわ」
 あてつけじみたその言い草に、俺は少しだけ笑ってしまう。それでは俺が意味もなく立ち入り禁止の立て札を無視したように、こいつも理由なくそれをシカトしたということになる。
 それは確かに、笑える話だった。
「まあいい。……おい、助手」
「だから助手じゃないと――っと。ん、なに、これ?」
「ダルが作ったんだと」
 振り向きざまに文句を言おうとした紅莉栖に向けて、例の模型を放り投げる。ゆったりとした放物線。バランスを崩しながらも紅莉栖はしっかり両手でキャッチして、すぐさまくるくると四方八方から眺め始めた。
 観察、という言葉がよく似合う。こいつが好奇心の赴くまま夢中になっているさまは、俺は結構好きだった。まるでえさを前にしたハムスターのような集中っぷり。もちろん、決して本人に直接言ったりはしないけれど。
 そして当然、紅莉栖はすぐに気付く。
「ねえ、これってまさか……」
「新しい未来ガジェットにしたらどうか、だとさ。模型にガジェットもクソもあるかと言ったら、機能はこれから考える、などと言いおって」
「……そう。本末転倒もいいところね」
「直感で形が思い浮かんだらしい。……まったく、妄想も大概にしろというのだ」
「はいっ、お前が言うな」
 笑いながら、ぽん、と突っ込みを入れるように紅莉栖が俺の肩を叩く。貴様こそダルをも認める妄想力の持ち主ではないか、と応じると、妄想なんてしとらんわ、と返された。
 その嘘があまりに自信満々だったので、少しだけからかってやることにする。
「ほう? では、昼寝をしながらにやにやと寝言を垂れ流すのは妄想ではないと、お前はそう言うのだな?」
「なっ――!?」ぼん、と音を立てたように紅莉栖が顔を真っ赤にして、「え、ちょ、嘘、寝言……言ってた? いつ? いつよ!?」
「知らん。まゆりからそういうこともあったと聞かされただけだ、安心しろ」
「くうっ……! 不覚すぎる……」
 俯いて、膝を折る。実際のところ俺自身も紅莉栖と一緒に昼寝をすることも多く、何度となくこいつの寝言を聞いていたりもするのだが、それを指摘するだけの勇気も度胸も俺にはありはしなかった。
 だってその……なんだ、なあ? こいつの寝言の内容は、到底俺が言えるようなもんじゃない。HENTAI的ではないからまだしも、なぜだか頻繁に俺の苗字を幸せそうに呼んでいて、それを俺が本人に言うというのは……その、どうしたって自惚れみたいで憚られるではないか。
「とにかく、だ。俺はここでそれを見ていただけだ。もう用は済んだし、戻るぞ」
「へっ? ええと、まあ、いいけど……」
 突然すぎたろうか。俺の宣言に、紅莉栖は驚いたように顔を上げる。それから数刻言葉を止めて、何かを考えるような仕草。すると、紅莉栖はいきなり申し訳なさそうな顔をした。
「もしかして、邪魔、だった?」
「は? なにがだ?」
「いやその……考え事の邪魔、しちゃったかなって」
 邪魔されたくなくてここに来たんでしょ、と続けて、紅莉栖が俺の表情を窺ってくる。
 ……本当に。こいつは何を言っているのだろう。
「馬鹿を言うな。お前は確かに助手ではあるが、そういう変な気の使い方をする必要はない。お前のことを邪魔だなんて、俺が思うものか」
 言い切りその手から模型を取りあげて、出入り口へと踵を返す。早足。少しばかりの空白の後、紅莉栖はきゃいのきゃいのと喚きながらついてきた。やれ岡部のくせに、やれかっこつけんな、やれそもそも助手じゃない、うんぬんかんぬん。はいはい分かった分かったと流していると、わざわざ俺に見えるよう地団駄踏み始める始末である。子どもか。
「いいから、行くぞ。それとその……悪かった。次からここに来るときは、一言言ってからにするから」
「へ……っ?」
 紅莉栖の方を見ないようにしながら、肩を引っかけないよう気を付けて、俺は屋上から踊り場へと繋がる扉をくぐる。
 すぐにはついてこない紅莉栖。
 理由が分かっているだけに俺は早足のまま階段を降りていくと、遅れて俺を呼び止める叫び声、続いて「ごつん」という、焦ったんだか慌てたんだか動揺したんだか知らないが、紅莉栖が豪快に扉に頭をぶつける音が階段じゅうに響き渡った。
 はあ、と溜息。同時に、次の踊り場で足を止める。紅莉栖はすぐに追い付いてきた。
「何をやってるんだ、お前は……」
「う、うっさい! あんたのせいでしょバカ岡部!」
「否定したいところなんだが……まったく。ドジッ子アピールはしなくていいと言ったろう」
「しとらんわ! うぅ……」
 涙目で額を抑えている紅莉栖の手をのけて、かわりにさすさすと撫でてやる。よっぽど痛いのか、目では文句を言っていたもののそれを口に出すことはなかった。
「……どうせ誰も来やしない。痛みが引くまで、ちょっと待ってから戻るか」
「うん……すぐ、引くと思うから」
 合間合間にドクペで冷やしつつ、暗い中、階段に座り込み紅莉栖の頭を撫で続ける。
 ……結局その場を去るまで、かなりの時間を要することになってしまった。きっと、ものすごく強く打ち付けたんだと思う。なんせいつまで経っても、紅莉栖は自分からはラボに戻ろうと言い出さなかったのだから。





       ○  ○  ○





 翌日。
「おい橋田! あれほどエロゲはするなと言ったでしょ! せめて夜やれ、一人でやれ!」
「夜に一人でやれとか! 牧瀬氏エロすぎだろ常考! いくら僕でもラボでそこまではしないお!」
「そう……よーく分かった。橋田、あんた脳科学的に去勢するしかないみたいね。食欲なんかも落ちるしお腹も凹んで一石二鳥よ」
「ちょ! スプラッタすぐるwww」
 いつものように騒がしいラボの中。紅莉栖とダルの言い合いはさっきからずっと続いていて、矛先がエロゲに向いたのもこれで三度目だ。最初は心情的に紅莉栖の味方だったまゆりも、今はあははと笑いながらちくちくと裁縫作業をしているだけ。思い出したように、ときおり「もーダルくんダメだよー」なんて大してやる気もなく口を挟む程度となっていた。
 だからそろそろまた俺に火の粉が飛んでくるかな、と思った矢先、ぱっと紅莉栖と目があった。そして案の定、話が俺に向けられる。
「岡部も何か言ってやんなさいよ! せめて私たちがいるときは見えないところでさせるとか……!」
「見えないところでする! なんという背徳感!」
「……まあ控えろとは思うが、こいつに言っても無駄なのは分かってることだしな……」
「さすがオカリン! っていうか僕、これでもヘッドフォンとかつけて気を使ってるんだお。ここまでくると牧瀬氏が画面をガン見してんじゃないかって疑うレベル」
「しとらんわ! なんで私が悪いみたいなってるのよ!」
 ぎゃいぎゃい、わあわあ。どうせ話は平行線だろうなと思い、俺は苦笑しながら紅莉栖へと振り向く前と同じく、窓の外へと目をやった。
 今日はゴミ回収の日だ。見ればちょうど、ぶろろろろろ、とゴミ収集車がいつもの音を響かせて、俺たちも利用しているゴミ置き場のゴミを根こそぎ車内へぶち込みに来たところだった。朝も早くからご苦労様、とてきとうに感謝の念を送ってみる。
「……って、あれ? なあオカリン、僕が作ったアレ、知らん?」
 と、ダルの声で意識をラボへと戻してみれば、どうやら口論は一時休戦したらしい。ダルはPCの画面を消して、何やら机の片付けを始めていた。おそらく話の矛先が今度はエロフィギュアにでも向いたんだろう、と予測をつける。紅莉栖はソファの上で、どうどうとまゆりになだめられていた。
「アレって……ああ、あの模型か」
「そうそう。オカリンこないだ持ち出したじゃん。あの後どしたん?」
「ああ、アレな。悪い、失くした」
「ちょっ!?」
 ダルの目がその身体と同じように丸くなる。ごめんなてへぺろ、と誠心誠意謝ると、ダルは「うええ」と言葉にならない呪詛を投げてきた。
「あー、だからか……。まあおかしいと思ったんだよ。昨日、オカリンがあんなにコーラだのお菓子だのくれるなんてさ。全部平らげた僕も僕だけど」
「フゥーハハハ! よく分かっているではないかダルよ! だが本当にすまん、これもシュタインズゲートの選択なのだよ……」
 眉間を押さえて、うう、と悲しみに暮れる態度を作る。イメージは戦友の死を前にしたエースパイロットだ。あくまでイメージ。実状はお察し下さい。
 ……とまあ、冗談はほどほどにしても、あれだけ力を入れていたのだ、それなりに怒らせてしまうであろうことは覚悟していた。場合によっては、フェイリスに土下座するのも辞さないくらいのつもりではいたのだ。
 だが、ダルは俺の予想とはちょっと違った反応を見せてきた。
「そっかー、失くしたんか。まあアレ、実際作っててなんか違うなーとは思ってたから、あんま気にせんでいいよオカリン」
「な……っ。違う、とは?」
「いやなんかしっくりこないっつーか。なんつーの、ここにあっちゃいけないもんなんじゃね的な感じをすごい受けてさ。エロゲ棚に全年齢ギャルゲが一緒に並んでた時の違和感みたいな感じ?」
 悪いがその喩えは分からない。
「多分、言うほど出来に満足してなかったんじゃないかなって自分では思ってるんだけどさ。だからまあ、失くしたなら失くしたでいいよ。大して金もかかってないし」
 そう言って、ふたたび机の片付けを再開するダル。「これはここに飾ってていいっしょ? 丸見えじゃないし」「いいわけあるか氏ね!」なんてやりとりがまた始まって、思わぬ肩すかしに俺は思わず頬を掻く。
 そういうもの、なんだろうか。
「オカリン、どうかしたのー?」
「ん? いや……なに、相変わらずダルは平常運転だと思ってな」
「そうだねー。えへへ、まゆしぃも、もうちょっと控えてもらいたいなーとは思うんだけどねー」
 苦笑い。あわせて俺も笑ってやると、「ちょっと岡部、笑ってる場合じゃないでしょ!」なんてなぜか俺にだけ紅莉栖から突っ込みが入ってしまった。すかさずの「流石、僕との口論中でもオカリンのことはちゃんと見てるんですね、分かります」なんて野次に、すぱこーんと空になったドクペのペットボトルが炸裂する。
 まあ、いつも通りの騒がしさだった。
「ったく……」
「もう、そろそろ静かにしないとだめだよー。また店長さんに怒られるよー?」
 とうとうまゆりが仲裁を始めだしたのを機に、二人もようやく沈静化。と同時、聞こえてくるのはさっきも聞いたエンジン音。またもや外に目をやれば、ゴミを満載した収集車がちょうど去っていくところだった。
 ぶろろろろ、と低い唸りがドップラーのお遊びとともにゆっくりと遠ざかっていく。
 それを俺は、ただじっと見送って。
「……エル・プサイ・コングルゥ」
 久しく口にしていなかった合い言葉を小さく呟き、窓から離れる。
 今日もまた、天気の良い日になりそうだった――。

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Short Story -その他
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