Snatcher

[divergence x.xxxxxx]
「あれ……ちょ、オカリン、誰か居るお?」
 それはちょうど、俺とダルが買い物を終えてラボへと帰ってくるときのことだった。
 真夏の昼下がり。コンビニで買ったドクペとコーラの袋を揺らしながらラボへの交差点を曲がり、ダルの言葉でそちらに目を向けると、なんとブラウン管工房の前に人が居るのが目に入った。
 体格からして、おそらく男。たまたま通りがかったというわけではなさそうで、そいつはいかにも用があるかのようにブラウン管工房の中をのぞき込んでいた。隠す気のないその態度、おそらくミスターブラウンは外出中なのだろう。つくづくやる気のない店だった。
「いや、というかブラウン管工房に客……だと……? はっ、これはまさか”天変地異”の始まる予兆か!?」
「まあ驚きっちゃ驚きだけどさあ。でもそんな驚き方したら、オカリンまたブラウン氏にぶん殴られるよね」
「またとかいうな! くそっ、ついこの間殴られた記憶が蘇ってきてしまったではないか……」
「自業自得乙」
 ずきずきと、思い出してしまった痛みに頭をさすりつつ歩を進める。ほどなくして、ブラウン管工房の前にいる人物の姿が鮮明に見えてきた。
 どうやら俺たちは勘違いしていたらしい。よく見ると俺と同じくらいの年の男は確かに居るのだが、そこにもう一人、ベンチに座る小さな女の子が居ることに気が付いたのだ。
「というか、あのちっこい方は小動物ではないか?」
「お、ほんとだ。じゃあ……えっ、まさか幼女誘拐犯キタコレ?」
「お前はどうしてそう短絡的なのだ」
 天王寺綯はベンチに座っているが、特に男と会話をしているという様子はない。そもそもあの小動物、確か俺たちが買い物に出るときはここに居なかったはずで、まさかミスターブラウンが彼女を置いていったとも考えづらかった。とすれば綯は外出先から戻ってきたということになるのだが、そうするとあの黒づくめの男は何なんだということになる。
 ……と、いうか。
 ちょっと待て、黒づくめって……?
「あっ、オカリンおじさん!」
 更に近づいたところで、綯がこちらへと気付く。その喜びつつもなんだよよりによってお前かよまゆりお姉ちゃんがよかったなという微妙な気持ちを表わした声とともに、黒づくめの男がこちらへと向き直った。
 そして、目があう。
「テ、テメエは……!」
「なっ……、やはり貴様か! よんどしー!」
 お互いに指を突きつけ合う最中、とたとたと逃げるように綯が俺の足元へとしがみついてくる。珍しいこともあったものだ。普段であれば俺が逃げられる側だというのに。
 ちなみによんどしーが「4℃だと何度言えば」「雷ネット界の黒い流星が」とか言っているが、そんなものもう無視である。
 というか孔雀だとか貴公子だとか言ってなかったか。黒ければなんでもいいのか。ゴ○ブリか。
「ちょ、ヴァイラルアタッカーズのやつがなんでこんなところに居るん? っていうか綯たんの怯えように僕の怒りが有頂天なわけだが」
「あ? 怯える? そりゃ当然だろう。そのキティは俺の黒いオーラをセンシティブに感じちまってるからな」
「貴様、この小動物に何をした? 返答次第では大変なことになるぞ!」
 主にお前がな!
 今は席を外しているブラウン管工房店主の姿を思い浮かべながら、俺は平然と言ってやった。下手をすればその真っ黒な衣装が真っ赤に染まることも覚悟せねばならないだろう。
 ミスターブラウンならやる。確実に殺る。よんどしーのヒョロい体躯など一撃で沈むに決まっていた。
「あァん? 俺はな、この深淵なる時の廻廊で進む道も分からず、彷徨っていたプシィキャットの道標となってやっただけだ。それが、ハッ、どんなインテリジェンスを持っているか知らねえが、ファンキーなミスリードは己のリミットを曝け出すぜ?」
「……ダル、日本語訳を頼む」
「それをオカリンが言うん? ってか、綯氏に直接聞けばいいと思われ」
 それもそうである。まだぺらぺらと語っている4℃は放っておいて、俺の白衣になかば隠れるようにしている綯に事情を聞けば一発ではないか。幸い外傷はない。怯えているようにも見えるのも、うむ、確かに、あれほどの厨二病を目の当たりにしては仕方のないことでもあろう。
 まったく、この小動物を怯えさせるほどの厨二病とは! なんて痛々しい!
「で、どうなのだ?」
「ひっ!? え、えっと、あの、私、今日は友達とゲームセンターに行ったんです」
「ゲーセンに? まだちょっと早い気もするがな……」
 そうして、綯は事情を話し始めた。
 綯は前々から興味があったという秋葉原のゲームセンターに、仲の良い友達と一緒に行ったのだそうだ。当然父親には内緒で。俺だってまだこの小動物に保護者なしでのゲームセンターは早いと思うのだから、ミスターブラウンに言えば禁止されるに決まっていた。この小動物もそう思ったのだろうと思う。
 ちなみにこの綯、見た目からは想像もつかないほどゲームが強いことを俺は知っている。去年の年末にあった出来事。あの日、綯は初めて連れていってもらったゲーセンで、ダルを含む格ゲー猛者をぼっこぼこにしてしまうほどの実力者なのだ。
 ……というわけで、話は俺の予想通りに進んだ。
「……それで、えと、20連勝くらいしたらかな? 怖いお兄さんが睨んだりしてきたから、すぐに逃げたんです」
「ちょ、ゲーセンで幼女にボコられたからってガン飛ばすとか! ヴァイラルアタッカーズちっちぇー! 人としての器どころか男の風上にも置けんレベル!」
「はァ? 何言ってんだ、テメエ。ウチの連中はナチュラルボーン・雷ネッターだ、ゲーセンなんてピンジャリの遊戯場で俺たちの漆黒のテクニカルを披露するものかよ」
 今度は日本語訳できた。
 つまり、「貴方は何を言っているのでしょうか。私たちは生粋の雷ネット好きであり、ゲームセンターでゲームをすることはありません」だ。配点は完答で10点というところか。4℃語検定2級レベルの問題。
「じゃあさ、その睨んで来た連中は追ってきたん? それがあいつらってことじゃないん?」
「えと、そうじゃなくて、追ってはこなかったんですけど、急いで走ってたら道に迷っちゃって……」
「そう、俺たちが新たなストリートシーンで次なるレジェンドを創っていたら、いつぞやあのシャム猫が探してたキティが目の前に現れたんだ。そしたら囁いたぜ、俺のガイアが。こいつが彷徨う人生の迷路には、この俺のブリリアントなウィスダムが必要不可欠だってな」
「ダル、次の未来ガジェットは翻訳はんぺんとかどうだ?」
「こんにゃくのパクりですね、分かります。牧瀬氏ならマジで自動翻訳機を脳に差し込みそうだけど」
 冗談を言いつつも、まあともかく、当人らの話が事実であるというのであれば事情は飲み込めた。
 つまり、綯がこの秋葉原で迷子になっているところを、例の年末騒動のときに綯のことを知っていた4℃がここまで送り届けてくれた……ということに……なるよな?
「え、マジで?」
「あァ? まだ何かあるのか?」
「いや、お前いつからそんな善人キャラに……というか、だったら小動物はなんでこんな」
 綯は相変わらず俺のズボンをひっつかみ、4℃から隠れるように俺の白衣の下で怯えている。顔を覗かせてはいるが、反応はまんま敵を怖がるハムスターだ。
「えと、お礼は言ったんです。でも、その、保護者に引き渡すまでは面倒見るって言われて、それでなんか色々変な話を聞かされて、けどその、なんか怖くて」
「チッ、俺の数々のレジェンドに畏怖を覚えるにはまだソー・アーリーみたいでな。まあ黒き五月雨と呼ばれた俺の伝説には、いついかなるシーンでもぶるっちまう奴は出るもんだが」
「ああ、つまり厨二病が怖かったんですね、分かります。ってか昔のオカリンのときと反応同じじゃん」
「なっ、おいこらダル!」
 こいつと同じにするんじゃない、と叱りとばしてやりたかったが、足にしがみついた小動物が「ひっ」と声をあげたので自重した。
 というかこの綯、俺の足にしがみついているのは4℃がうざったいからにしても、白衣で顔を隠しているのはもしかして俺が怖いからとか……いや、ないと思いたいが。……ないよな?
「ま、まああれだ、そういうことなら安心しろよんどしー。俺たちはこの小動物と顔なじみだ、もう大丈夫だぞ」
「だから4℃だって言ってるだろうが! それ以上この俺を侮辱すると、テメエらもどうなるか分からねえぜ……?」
「へえ、どうなるってんだよ?」
 その声に、俺はゲッ、と声をあげそうになった。
 迂闊にも、まったく気付かなかったのだ。ダルにしても似たようなもので、明らかに「うわあ」って顔で4℃を同情した目で見つめている。けれどそんな俺たちの態度の変化を、気分良くぺらぺらと喋っている4℃はまったく気付かなかったようだった。
「そりゃあ分からねえな。この俺の黒いオーラは、たとえ相手がプリティキャットでも容赦はしねえ。あまりにエキセントリックな俺のスピリットは、時に身も心もズタズタに引き裂いちまう。だが悪く思うな、俺はガイアの囁くとおりにレジェンドを作るだけさ」
「そうかい。じゃ、話は店の中でゆっくり聞かせてもらおうじゃねえか」
「あァ……?」
 そうしてようやく、4℃がその声が俺たちではなく、自分の背後からくることに気付いたようだった。振り向くよりも早く丸太のような腕がガシッとその黒づくめの服ごと4℃を捕えていて、その姿を見た小動物の顔がぱあっと明るくなる。
「おとうさん!」
「綯、お父さんはちょっとお仕事の話するからな、ちょーっとだけ待っててな。おい岡部、しょうがねえからここはお前に綯をほんの少しだけ預けるが、変なことしたらただじゃすまさねえぞ?」
「は、はひっ! ミスターブラウンにつきましては、安心してお仕事の話などしていただけると!」
「ようし。じゃ、お前はちょっと来てもらおうか」
「なっ、テ、テメエ! この俺様が誰だか、ちょ、待っ、あ、いや、その――」
 抵抗虚しく、ずりずりと4℃がブラウン管工房へと引き摺られていく。
「よんどしー……無茶しやがって」
「あっ、フェイリスたんにメール送っておこ。面白いものが見れるかもって」
「ダル、お前も相当鬼畜だな」
 ほろり、とよんどしーの悲しすぎる結末に涙がこぼれる。
 たまに善行をしてみて結果がこれとか。まあ、日頃の来ないといえばそれまでなんだろうけども。
「まゆりおねえちゃん、今日はこないのかなー?」
 父親が帰ってきて調子を取り戻した綯の脳天気な言葉に、俺は「もうすぐ来るんじゃないか」と返して。
 それに遅れて、少しくぐもったよんどしーの漆黒のシャウトが、ブラウン管工房に響き渡ったのだった――。

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Short Story -その他
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