SG世界線ばかぁ

[divergence x.xxxxxx]
 差し出されたものは、一見すると腕時計や血圧計の類かと思われるようなものだった。ピンク色のリストバンドに、いくつかのメーターが搭載された盤面。というかおそらくは、実際腕時計か何かをもとにして改造したものなのだろう。
 そして、それが2つ。まったく同一のそれが、2つ一組でテーブルの上に置かれていた。そのうちの一つを助手が持ち上げて、白衣の上からつけてみせる。
「見て分かると思うけど、お互いがこうやって腕時計と同じように装着するの。それで心拍数や血圧なんかを計測して、感情の高まりや1m以上の距離を認識すると――」
「電撃が流れる、というわけか。ふむ、なかなかよくできているではないか」
 放置されていたもう一方をこちらは俺の右手首に嵌めて、色々とためつすがめつしてみる。やや重みを感じるのは致し方のないところか。そのまま見ていると、特にボタンを押さずともメーターは上下をはじめていて、早速俺のデータを取り始めているということが理解できた。
「これでもう、動くのか?」
「いいえ、計測は始まってるけど、肝心の電流機能はスイッチをONにしないと動かない。でもちょっと待って、まだその辺には問題があって――」
「ふむ、スイッチとは……これか?」
「あ――っ!」
 俺が横の出っ張りを押すと、ピッ、という電子音とともに少しだけリストバンドの締め付けが強くなった。血圧計なんかと似たような感覚。どうやらこれが本格的な作動スイッチということらしい。
 さてでは、少し怖いが1m以上離れて電流の具合を――と思ったら。
「ちょっと岡部、何してんのよ!」
「うん?」
 なぜか、紅莉栖が怒ってた。
「何って、この俺自らが試作品の性能テストをやってやろうと……」
「そうじゃない! ああもう……人の話は最後まで聞け! これ、まだスイッチOFFの機能をつけてないのよ!」
「ふむ……?」
 ばんばん、と自分の手首についたそれを示しながらこちらを睨み付けてくる紅莉栖。言われて俺はもう一度横の出っ張りを押してみたが、機械から特に反応が返ってくることはない。
 まあ、それはそうだ。作り手のあずかり知らぬところでの新機能なんていうのは、俺はもう御免被りたい。
 だが。
「別にスイッチOFFできないくらい、構わんだろう。OFFにできないなら機械を外せばいいじゃない」
「だから! それが簡単にできるなら私だってこんなにきつく言ったり……は………?」
「おい、取ったぞ? だからそう怒るな、いくらOFFにできんといっても、電池を外せばそれまでだろう」
「あ、あれ……? あ、ほんとだ……」
 俺が外して見せたあと、紅莉栖もまた自らの白衣に巻き付けたそれを取り外して、そっとテーブルへと戻す。紅莉栖はそれをしきりに不思議そうに眺めているが、はて、何がそんなに不思議なのだろうか。むしろ俺の方が疑問を覚えていると。
「そんな、外す条件は間違ってないはず……だから……――ッ!」
 ぶつぶつ何かを呟いていたかと思うと、突然、かーっ、と紅莉栖の顔がいきなり紅潮し始めて。
「おい、どうした? 何か問題が――」
「岡部の……ばかぁ!」
「お、おいっ!?」
 紅莉栖はそれだけ叫ぶと2つの試作品を引っ掴み、開発室へもの凄い勢いで引っ込んでいってしまった。驚くほどの慌てっぷり。俺が止める暇もなく、シャッ、とカーテンが勢いよく閉められる。
「なんだと言うのだ……?」
 残された俺は、ただ呆然と立ち尽くして。
 ――これが、このSG世界線1.048596における未来ガジェット12号機誕生の瞬間だった。





       ○  ○  ○





 未来ガジェットの開発。
 それは、あの電話レンジ(仮)から始まる一連の事件を受けるまで、俺たちが行っていたものだった。ラボの正式名称からして、それが主眼だったといってもいい。
 けれどあのレンジとそれにまつわる物語――それはある意味ではあまり思い返したくないものだ――があり、しばしの間それは中断させていた。セレンディピティ。予期せぬ発明は、以前俺が求めていたものであり、今の俺が最も怖れているものだったから。
 けれどいつまでもそうしているわけにもいかなかった。未来ガジェットを発明し、世界を混沌に導く――のはもうやめたが、それ以上に緊急の課題がラボへと持ち上がったのだ。
 それはそう、金欠である。
 ラボの資金も無尽蔵ではない。というか、ここのところかなり困窮していた。そのため「新たな未来ガジェットを作って、それを売りお金にしよう」という話になり、俺がアイディアを出した9号機、10号機、11号機を経て、紅莉栖試作の12号機がついに開発されたというわけである。
 今日はそのお披露目ということだった。
「ふーん、これがこの前言ってた『だーりんのおばかさん』かー。なんか可愛い時計みたいだねえ」
 ソファに座る紅莉栖の腕を取って、つい先ほどラボに来たまゆりがじーっとその未来ガジェット12号機を見つめている。
 ……あれからしばらくして立ち直ったらしい紅莉栖は、結局試作品のテストにGOサインを出してきた。ちなみに言い出すときにも顔を再び赤くしていたのだが、理由はやっぱりよく分からない。
 ともかく、当ガジェットの仕様はこうだ。まずこの未来ガジェット12号機『だーりんのばかぁ』は2つ一組で動作する。本来のコンセプトはカップルの浮気防止用というものだったため、一定の条件を満たしてしまうと電流が流れる仕組みだ。ただ、紅莉栖の意向で今は浮気防止という目的はなくなっている。だから今はまあ、お互いの感情の高まりが分かる、そしてそれに応じて電流が流れる機械、というくらいのものか。
 ちなみに一度ONにしたこれを外すには何か条件が必要だったそうなのだが、結局それは教えてもらっていない。聞いても「外れるんだからいいじゃない」と取り合ってくれなかったのだ。しかもなぜか俺が怒られるおまけつきで。たいそう理不尽である。
「まゆりは付けちゃだめよ。痛い思いをさせたくないし、なにより外れなくなると困るから」
「そっかー、ちょっぴり残念だなー」
 言って、今度は俺の手首を見つめるまゆり。どうせこいつのことだ、感情としては人の遊んでいるおもちゃで自分も遊んでみたいとか、そんなところだろう。別に仲間はずれにしてるわけではないんだがな。
「でもそれ、カップル用って牧瀬氏自分で言っといてさあ、真っ先にオカリンと試用するとか……」
 と、こちらはダル。こっちもなんだか羨むような視線だが、まゆりのそれとは違ってその理由なんぞ分からない。知りたくもない。ご了承下さい。
「ちょっ、違う、違うから! 私じゃなくて、岡部が勝手につけたの!」
「はいはいツンデレツンデレ。sneg?」
「エロゲじゃな……あ、いえ、ちょっとその略語は分からないわねー、あはは」
 紅莉栖の白々しい言葉にダルは盛大に息を吐き出し、コーラを持って開発室の方へと行ってしまった。紅莉栖が占有していたためにできなかったガジェット開発を再開するためだと思うが……まあ、なんというか、その背中にかける言葉は見当たらない。大きな巨体がちょっぴり小さく見えたのは、気のせいじゃないと思いたいが。
「しかしクリスティーナよ。性能テストとは言うが、これ、さっきから全然動いていないではないか」
 ダルが開発室へ消えたのを確認して、俺は右手を持ち上げた。
 俺の発言には少し語弊がある。12号機は動いていないわけではない。メーターは心拍数にあわせて上下しているし、リストバントのちょっぴり強めの締め付けも健在だ。だから機械が壊れているとか、スイッチがOFFになっているという話ではない。
「そうね。痛いのはゴメンだけど、ここまで流れないっていうのも……手を繋ぐと流れないっていう性能の試験もできないし」
 そう。問題は、さっきテストのために一度1m以上離れたときを除いて、一向に電流が流れてこないのだ。兆候すらないと言っていい。
 いや、俺たちだって色々試しはした。感情が高まれば……とのことだったので言い争いらしきこともしてみたし、さまざまなことに議論を重ねても見た。ヒートアップもした。バカだのHENTAIだの言い合ってもみた。
 だが、流れないのだ。これはもう機械がおかしいのではないかと思ってみるより他にない。
「……な、なによ? 言っておくけど、数値上のシミュレーションでは間違いなく電流は流れたわよ? 条件の閾値だって、それほどシビアにはしてない」
「ではなぜ電流が流れんのだ、助手よ」
「ほんと、なんでかしら……こんなHENTAIと1m以上離れられない、ってだけでイライラして電流が流れそうなものなのに」
「おい」
「冗談よ」
 メーターを眺めていた紅莉栖が、諦めたようにソファに身を沈める。ちなみに俺たちはいま、並んでソファに座っていた。お互い近い方の手に12号機をはめているので、どう間違ってもこれなら1m以上離れることはない。
 と。
「えっへへー。まゆしぃはね、電流が流れない理由が分かっちゃったのです」
「ほう?」
 俺と紅莉栖がああでもないこうでもないと考えている横で、意外すぎるところから意外すぎる意見が上がる。先ほどから興味深そうにガジェットを眺めていたまゆりだった。
 こいつの勘は、わりと無視できないものがある。紅莉栖もそう思ったのだろう、「聞かせてくれる?」とまゆりに発言を促していた。俺も手元のドクペを飲みながら頷きを返し、その発言を認めてやる。
 するとまゆりは何が楽しいんだか、たいそう嬉しそうに笑って、
「その『だーりんのおばかさん』って、1m以上離れちゃいけないんでしょー?」
「うむ、そうだ」
「それでそれで、怒ったりいらいらしたりすると、びびびびびって来ちゃうんだよね?」
「まあ、そういうことになるわね」
「だったら、なるわけないよー。だってね、1m以内で、のんびりーって楽しそうにしてて。それって、オカリンとクリスちゃんにとっては、いつも通りのことだもん」
「……?」
「……?」
 思わず、紅莉栖と顔を見合わせる。
 お、おい待て。それではまるで、俺と紅莉栖が、普段からくっついている仲良しさんみたいでないか……!
「ちょっ、ちょっと待ってまゆり! で、でもほら、さっきから岡部とは、色々口論してみたりもしたのよ!」
「そ、そうだ! ほ、ほらその……セレセブだからな、こいつは!」
「なによ、あんただって……あー、そう、この、厨二病! HENTAI!」
「やかましい! この@ちゃんねらーが!」
「それはあんたもだろうが!」
 やいのやいのと、先ほど試したときと同様にあらん限りの文句を紅莉栖へとぶつけてやる。
 けれど一向に、手首から電流の流れてくる気配はなく。
「ほ、ほら、これだけ言っても電流など流れんではないか! この自称天才科学者め!」
「私はそんな自称一度もしとらんわ!」
「しかしこのガジェットには不具合がある! 電流を流すという、最も重要な機能にバグを出すとはな!」
「うっ、それは……その……」
 紅莉栖がひるむ。本当に原因が分からない、といった表情だ。
 俺だってこいつの作った機械を信用していないわけではないが、プログラムにバグはつきものだ。これだけヒートアップしてるのに電流が流れないのは何らかのミスであることは確定的に明らかだ……と言ってやろうとして、テーブルの対面でまゆりがにこにこと笑いながら俺たちのことを眺めているのが見えた。まるで「思った通りだ」とでも言いたげな表情だ。
「おいまゆり、どうした?」
「えーだって、そんなんじゃ電流が流れるわけないよー」
「まゆり? どういうこと?」
「んーとね」
 まゆりは今度こそ満面の笑みで、言った。
「だって、二人とも、とっても楽しそうだもん」
「……」
「……」
 再び、俺と紅莉栖は顔を見合わせて。
 しばしの沈黙。
 まゆりの発言の、反芻。
「――っ!」
「――っ!」
 そうしてそこに至ってようやく、俺たちは手首から強烈な電流を浴びることになったのだった。





       ○  ○  ○





 結局、図らずも性能試験という目的は果たせることになってしまった。
「べ、別にあんたと手をつなぎたくてつないでるんじゃないんだからな! ただ、離すと電流が流れるからで……」
「おい、分かった、分かったからそれ以上言うな。いつまでも離せなくなるぞ」
「う、うるさい! 分かってるわよ!」
 ぷいっと顔を背けて、お互いにソファの外側へと視線を逸らす。無論、手はつないだままだ。
 ……というわけでまあ、まゆりの狡猾なる一言で精神攻撃を受けた俺たちは、電流の洗礼を綺麗に浴びてしまったというわけである。しかもその電流が一向に収まる気配がなかったので、仕方なく、もう一度言うが仕方なく、お互いの手を握ることにしたというわけである。別に紅莉栖の手が白くて細くて、ついでに言うと意外と柔らかくて温かいというのはまったくもって無関係である。
 そ、そう、これも試験の一環だからな! 手を繋ぐと電流が止まるという機能はしっかりと発揮できているようだ! わざわざ仕方なく実験して、それが成功しているのだから間違いない!
「いいなー、まゆしぃもやっぱりつけてみたくなったのです」
「まゆり! お前の目は節穴か!?」
 電流が痛いからと、人が苦肉の策を実行している最中だというのに!
「えー、だって、ねえ、ダルくんもそう思うよねー?」
「もうほんとそのまま爆発したらいいんじゃないかなマジで」
 まゆりの問いかけに、ダルは開発室から顔も見せずにそう言ってきた。なんだその、「見なくてもだいたい分かりますはいはいワロスワロス」とでも言いたげな態度は! それでも俺の右腕か!
 あ、いや、まあ俺のリアル右手は紅莉栖と繋いでいるわけだけども。
「な、なあ助手よ、そろそろ離しても大丈夫だとは思わんか?」
 もう心拍数やら何やら落ち着いたろうと思い、そっぽを向いている紅莉栖にそろりそろりと切り出してみる。二重の意味で刺激してはまずい状況だ。
 が、しかし。
「だめ。もうちょっと、性能、見たいから」
 言いながら、ぎゅっ、と握った手にちょっと力が込められる。離すな、ということらしい。
 少しだけ、俺の手首のメーターが跳ねた気がした。
「そ、そうか?」
「うん、そう。まだ、その、性能とかね、データとか、取りたいから」
「ま、まあ、そういうことなら、構わんが……」
「か、勘違いしないでよ! 別にあんたと手をつないでいたいわけじゃなくて――」
「分かったからそれ以上言うなと!」
 紅莉栖の言葉を遮って大声を出すも、しかし少しばかり遅かったらしい。
 まゆりのずいぶんと愉快そうな笑顔と、開発室からぼそぼそと聞こえてくるダルの怨嗟まみれの声。
 それに対して「あー、今離したら確実に電流流れるだろうなあ」と意図せず現実となってしまった紅莉栖の言動に対し少しばかりの皮肉を覚えつつ、俺は笑いながら握るその手にちょっぴり力を込めたのだった。





       ○  ○  ○





 夕方になり、ひとまず俺たちは『だーりんのばかぁ』の性能試験を保留とすることにした。
 現時点での結論は「要改良」。さらに今までのガジェットと違い少々危険すぎるので、完成品ができるまでは俺と紅莉栖以外は使わないようにと厳命しておいた。それに対し開発者の紅莉栖からは賛同が得られたものの、まゆりとダルからはなんとも……こう、なんとも言えない表情で見られてしまったのははたしてどういうことなのだろうか。考えても分からない。ご了承下さい。
「と、いうわけで一次試験はこれにて終了だ。まったく、助手と一日手を繋ぐハメになるとはな……」
「こっちこそ。性能試験じゃなければ、こんな、岡部と手を繋ぎっぱなしだなんて……」
 手を離しながら、文句を言いつつガジェットを外そうとして――
「えっへへー。でもでも、そうやって言い合ってても、電流は流れないんだよねー?」
「おいっ!」
「まゆり!」
 二人で抗議しながら、急いでお互いの手を掴む。
「あ……」
「ええと……」
 ……今のは、自分でも笑えるくらいに息が合っていたと思う。きっと紅莉栖も同じ感想だったのだろう、手を繋いだまま逆の手で頭を抱え、「はあ」と大きな溜息を吐いてみせた。俺だってそうしたい。まゆりの笑みを見れば尚更だ。
 ちなみにダルはとっくに帰ってしまっている。色々言っていたようだったが、全て聞き流してやったわ!
「クッ、しかし、やはりこのガジェットは危険だ。まゆりにこうも行動を掌握されてしまうとは……!」
「そ、そうね! だから、ええ、さっさと外しちゃいましょう! うん、それがいいわ」
「あ、あ、そうだな! それがいいな!」
 落ち着いたのを見計らって、ぱっと手を離し、『だーりんのばかぁ』へと手を掛ける。さっきも一度外したのだ、この凹みを引っ張れば簡単に――
「……うん?」
 簡単に――
「……おい?」
 かちゃかちゃと、いくら引っ張っても先ほどと同じようには外れてくれない。押しても引いても手応え無し。そして見れば、どうやら紅莉栖も外すのに手こずっているようだった。
「おい助手、外れんのだが……?」
「見れば分かるわよ! ちょ、え、なんで、さっきは外れたのに……!」
 そうだ。さっきはあっさりと外してしまえたのだ。それに紅莉栖は驚いていて……いや、待てよ?
「おいクリスティーナ。これ、外すのに何か条件があるとか言っていたな?」
「ええ、あるわよ。でも、さっきは――」
 言いかけて、紅莉栖が動きをぴたりと止める。
 また何かやらかしたのか……? そう思ったものの、俺の予想に反し紅莉栖は顔を再びかーっと赤らめ始めて、
「お、思ってないから! 外さなくてもいいなんて、私は思ってない!」
「は……?」
 何を言っているんだろうか、こいつは。
 外さなくてもいいというのは、まあ、なんだ、その、意味が分からないわけでもないが……しかし、このままでは晒し者もいいところだ。これをつけて一晩明かした、なんてことになればダルやまゆりに何を言われるか分かったものではない。そんなことは紅莉栖にだって分かるだろう。
「ああもう! さては岡部、あんたでしょ! このHENTAI!」
「俺のせいにするな! というか、俺は外す条件すら知らないんだぞ!? いったいその条件ってのはなんなのだ!」
「それは……その……ああもう、いいでしょ、そんなことは!」
「いいわけ――ッ!」
 あるか、と続けようとして言葉が止まる。久々の電流が、右手首から痛烈に流れてきたのだ。咄嗟に紅莉栖と手を繋ぎ、叫ぶ。
「なんでここで電流が流れる!?」
「知らないわよ! あんたがHENTAIだからでしょ!」
「意味が分からん!」
「分からなくていい! むしろ分かるな!」
「なんだそれは!?」
 ますますもって意味が分からない。紅莉栖が顔を真っ赤にしている理由も、なんだか支離滅裂に叫んでいる理由も、外そうとしながら外す条件を言わない理由もだ。まさかこれも何らかのバグだとでも言うつもりじゃないだろうな……!
 しかし、このままでは埒があかない。俺は助言を求めることにした。
「おい、まゆりは分かるか!?」
「んー? 分かるって、何をー?」
「このセレセブがさっきから意味不明な理由だ!」
「誰がセレセブだ! というか意味不明とか言うな!」
 紅莉栖の反論は無視する。
 すると、まゆりは「んー」と口に手をあててから、ぱっと笑って、
「んーとね、『外れぬなら 外れるまで待とう だーりんのおばかさん』だよー」
「は?」
「だからね、しばらく付けっぱなしにしてたら、そのうち勝手に外れるんじゃないかなって、まゆしぃは思うのです」
「そんな無茶な!? それまで岡部と一緒に寝泊まりしろってこと!?」
「そんなに無茶かなー? クリスちゃんここのところ結構泊まってるし、昼間だって何の問題もなかったよねー?」
「ま、まあ、そうだが……」
「それにね、そんなに時間はかからないと思うなー。たぶん、一晩くらいだと思うよ」
 さっきから、まゆりはなんだかずいぶんと自信ありげだ。もしかしたら「外す条件」とやらにも見当がついているのかもしれない。だったらそれを直接教えて欲しいものなのだが。
 しかし、どうして昼間は外せて、いまは外せないのだろうか? 俺にはそこがよく分からなかった。
「はあ……もういいわ。まゆりの言うとおり、このまま外れなかったら、今日はここで泊まろうかしら」
 俺がいまだに外す条件とやらを考えていると、作った張本人はそんなことを言いつつソファにどさりとその身を落ち着けてそんなことをのたまった。さっきまで飲んでいたドクペに再び口を付け、完全にリラックスモードに入る気である。
「なんだ、助手よ。ずいぶんと諦めが早いな」
「まゆりの言うことも一理あるかなって。……まあ、岡部がどうしても嫌っていうなら、それなりに考えるけど」
「あ、いや……そんなことはないが」
「そう。なら、いいじゃない」
 さっきまでの支離滅裂っぷりとは一転、ずいぶんと聞き分けのいいことだ。むしろ機嫌が良くなったようにさえ見えるんだが……さすがにそれは錯覚だろう。俺も疲れているのかもしれない。
「さて、と。もうちょっと居ようかとも思ったけど……うん、まゆしぃはそろそろ帰ります」
「ん? そうか、もうそんな時間か」
 時計を見ると、まゆりがいつも帰宅する時間になっていた。12号機を外すことに夢中で失念していた。
「ふむ。では、また明日だな。気を付けて帰るんだぞ?」
「えへへ、分かってるよー。クリスちゃんもまたねー」
「ええ、また明日」
「っと、そうだ。なあまゆり。助手が答えてくれないから聞くんだが――」
 もう出て行くところだったまゆりを呼び止め、『だーりんのばかぁ』を見せながら尋ねる。
「結局これが外れる条件って、なんなんだ?」
「ちょっ、岡部!」
「んー、んっとね、外す条件は、まゆしぃには分からないのです」
 まゆりの返答に、大きく安堵の息を吐く紅莉栖。
 しかしでは、なぜあんなにも自信ありげだったのか。そう尋ねると、まゆりは珍しくちょっとだけ胸を張りながら、
「うん。外す条件は分からないけど、外れない理由ならなんとなく分かったんだー」
「外れない理由?」
 それはつまり、外す条件ではないのか?
 口を挟もうと思ったが、まゆりの気分に水を差すのも忍びない。続きを促す。
「それは、なんだ?」
「それはねー」
 まゆりはにこにこと笑ったまま紅莉栖を見て、
「クリスちゃん、ここのところ『だーりんのおばかさん』の開発で忙しかったでしょ? だからねー、寂しかったんだと思うんだー」
「……は?」
 俺があんぐりと口を開けて、呆然としたまま間抜けな声を出したのとほぼ同時。
 今度こそ特大の強烈な電流が、俺の右手首から全身へと放たれたのだった――。





       ○  ○  ○





 翌日。朝になって、まゆりの言うとおり12号機を外すことに成功した俺と紅莉栖は、身支度を整えてから朝食の買い出しへと向かった。といっても近くのコンビニだ、買えるものなどたかが知れている。
 カップ麺にしなかったのは……まあ、気分だ。
「まったく、一時はどうなることかと思ったわ……」
 その帰り道。お互いに自分の弁当とドクペが入った袋をぶら下げながら、俺たちはまだほとんど人通りのない秋葉原を、ラボへ向けてのんびりと並んで歩いていた。手首には今も残る違和感。まだ付けっぱなしのような気がして、時折触れて確かめてしまう。
「お前が最初からOFF機能をつけておけば、ああならずに済んだのにな」
「それを言うなら、あんたがその機能を実装するまで試験を待てば良かったのよ」
 昨日の夜、なんども交わした口論をまた繰り返す。どっちが悪いと言いたいわけじゃもちろんない。手を離していたって、この口論で電流が流れたことなど結局ただの一度もなかった。
 だからきっと、まゆりが見ればまた笑われることだろう。俺だって自嘲したくもなる。
「ちょっと、何笑ってるのよ。それにああなる可能性が出た以上、あのガジェットの試験は――」
「もう、外れなくなることはないと思うがな。ほれ」
「それってどういう――」
 俺の行動に、紅莉栖の言葉が止まる。
 昨日、幾度となく繰り返した行為だ。けれどただそれだけで、紅莉栖はぱたりと沈黙した。
「別にあのガジェットがなくたって、そうだな、お前がどうしてもと言うのなら、このくらい別にどうということはない。まゆりやダルがいなければなおさらだ」
「……何よ。だから別に、私は自分の意志であれを外さなかったんじゃなくて」
「分かった、分かった。だが道具に頼らずともいいとなれば、いつだって外す気になるだろう」
「ぜんっぜん、分かってない気がするんですけど」
「気のせいだ」
 今度こそ苦笑し、俺は歩く速度を速める。
 すると当然、俺の行動に紅莉栖はつんのめりながらもついてくるより他になく。
 なぜかって? 当然だろう。
「おい助手、さっさと戻るぞ! そして試作品の改良だ!」
「ちょ、ちょっと! 待て、行く、行くからそんなに走るな!」
 ――だって、俺と紅莉栖の手はしっかり繋がっているのだから。
 昨日、幾度となく繰り返した行為だ。だから何の問題もない。そうだろう?
「ほれ、はやくせんとドクペがぬるくなるだろう!」
「それが本音かー!」
「そうだ、それが――」
 紅莉栖の手の温もりを感じながら、俺は高らかに宣言してやった。
「それが、運命石の扉の選択だ!」

++++++++++


Short Story -その他
index