スカイクラッドのルパカマン

[divergence x.xxxxxx]
 小説の書き方の一つに、神の視点、というものがある。
 まるで神が語っているかのようなそれはつまり、どんな人物の心情も、どんな場所・時間での出来事も、その他描写されるありとあらゆることが、寸分の狂いなく真実として語れてしまえる視点のことだ。
 別に珍しいものではない。本屋に行けば、そう探すまでもなくその視点で書かれた小説が見つかるだろう。
 神の視点なんてあるわけない。誰もが知っていることなのに、決してありえないことなのに、本屋にはそんな神様がそこらじゅうに溢れている。
 理由は簡単。それらがどこまでいっても創作物であるからだ。メタな話をするまでもなく筆者は神みたいなものだし、視点がそうであるなら読み手だって神みたいなもの。とすれば確かに、そこには八百万を遥かに超えるほどの神がいたっておかしくない。
 何が起きても全てが分かる。
 何が起こったか理解ができる。
 世界が変動しようと重複しようと、決して”破れ”ることがない。
 ――だから俺は、そんな視点が最後まで好きになれなかったのだ。





       ○  ○  ○





「おい、そこの貴様。俺たちが見えているか?」
 俺はモニタに映るそいつに、いつかと同じ言葉を投げかけていた。
 ……とある晴れた日の昼下がり。ラボでは俺と紅莉栖だけが、のんびりとソファに座って大いに暇を持て余していた。
 まゆりは昼間からメイクイーンでバイト中。ダルはゲームのイベントがあるとかなんとかで、中央通りの方まで行っている。残りのラボメンはいつもの通り。そういうわけでラボに残されてしまった俺たちは、あまりの暇っぷりに何かないものかと暇つぶし道具を探しているうち、ラボの奥底で眠っていたアレを見つけてしまったわけである。
 そう。いま俺たちの目の前のモニタに映し出されているのは、かつて少しやっただけでしまい込んでしまった件のクソゲー「アルパカマン2」だった。
「……なぜなにも答えない。貴様に聞いているんだぞ? モニタのそっち側にいる、貴様にだ」
 ずい、と身体を前に出し、睨め上げるように顔をモニタへと近づける。薄っぺらい電子線の向こう側。安全圏からこちらを見続ける、たいそうなアルパカ顔がそこにあった。いつ見てもムカつく表情である。
 しかし臆することはない。俺はにやりと唇の端を上げる。
「ふん。間抜け面をしおって。つまら――おぉうっ!?」
 つまらんヤツだ。そう続けようとして、背後からの衝撃で危うく倒れそうになった。
 見るまでもない。乗り出している俺の背中を、紅莉栖が足先で蹴り飛ばしたのだ。
「はいはい、いいからどけ岡部。だいたい間抜け面って、それ、画面に映った自分の顔じゃないの?」
「なっ!? おい助手、誰が間抜け面だ! それに俺はこのモニタの向こうに向けてだな――」
「分かった分かった、分かったからさっさとどきなさいよ。画面見えないじゃない」
「む、ぐ……」
 全然分かってなさそうな紅莉栖に対し、俺は抗議の言葉を我慢しながら後ろのソファへと身体を戻した。どっかりと沈んでいくソファ。ぐらりと重心が傾いて、隣の紅莉栖が邪魔くさそうに俺の肩を自分の肩で押し返してくる。この二人掛けのソファ、俺と紅莉栖ではやや窮屈なのである。
 ちなみにその紅莉栖の手にはUSB接続のコントローラがあり、頭には俺にとっては(あまり思い出したくない意味で)見慣れたヘッドセットが装備されていた。柔らかい髪がちょっとだけヘッドセットに絡んでいる。かつてとの違いは、ゴテゴテとしたパーツが付いていない代わりに、口元にはマイクがあるということくらいだろうか。
「それで? これ、どう動かすの?」
 手元のコントローラーをためつすがめつしながらの紅莉栖。俺はありのままに返事をした。
「知らん」
「は?」
「いやだから、知らん。説明書もついてなかったし、何を喋っても反応しないのだ」
「なんぞそれ……」
 モニタ上には以前と同じく、草原に一匹(一人?)のアルパカマンが佇んでいる。無表情のままこちらをじーっと見つめているその姿は少し……いや、はっきり言ってかなり不気味だ。左下にアルパカマンのものと思われるステータスが表示されている他は何もなく、紅莉栖がぽちぽちとボタンを押しても「セーブ」「ロード」「タイトルに戻る」というメニューが出てくる以外の反応はない。いまどき携帯電話のアプリだってもう少し豪華なんじゃなかろうか。
 コントローラーでのプレイ方法を探すのは諦めたのか、紅莉栖はマイクに「あー」とか「えー」とか言ってマイクの反応を試し、「故障ではないのか……」と呟いてから、こほんと咳を一つ。そして。
「あ、あー、えーと……は、はろー? How are you?」」
「……」
「……こ、こんにちはー?」
「……」
「……」
「……」
 虚しく響く紅莉栖の言葉。アルパカマン、見事なまでのガン無視である。
 じとーっとこちらを見つめる無垢な(?)瞳には少しの変化も見られない。十年前の技術力、まるで「CGです!」と言わんばかりの背景も一定量の風が草木をなびかせて続けているだけで、空の模様もさっきから同じ形の雲が何度も横切っているだけだ。BGMだってありはしない。そんな中で微動だにせずアルパカマンは突っ立っていて、その姿に何らかの強い意志を感じないでも…………うん、ないな。ない。
 それからしばらく紅莉栖は「もしもしー?」とか「あるぱかー?」とか「ねえ」とか「ちょっと」とか「おい」とかマイクに吹き込んでみてはいたものの、結局アルパカマンはいつまでたっても反応を返しはしなかった。5分くらいやって、変わったことと言えば画面左下の「水分」というステータスが1減っただけである。たぶん特に意味はない。
「……おい岡部。これが暇つぶしになると思った理由を三行以内で」
「何を言う。以前まゆりがやった時は、反応もない相手にべらべらとあることないこと、楽しそうに喋りかけていたぞ」
「あー……」
 俺のその言葉だけで情景があっさりと想像できたのだろう、紅莉栖が溜息だかなんだか分からないようなうめき声を上げた。あの子ならそうかもねえ、なんて呟きつつそれから紅莉栖はぱちぱちとコントローラーをいじっていたものの、やがてそれにも限界が来たようで、
「飽きた」
 ぽいっとヘッドセットを投げ出して、ぐてーっとソファに全体重を預けてしまった。たいそうなやる気の無さである。栗ハメ波としてのウザいくらいの粘着質は、このアルパカに対しては発揮されないらしかった。
「おい助手、途中で投げ出すな。アルパカマンが寂しそうではないか」
「あー……? じゃあ岡部が相手してあげればいいでしょ。私はいいわ、まゆりが帰ってくるまで寝る」
「なん……だと……」
 紅莉栖は堂々と宣言して、さらにずりずりとソファに沈み込む。
 けれどもうだいぶガタが来ている背もたれではその重みを吸収しきることはできないようで、紅莉栖の身体がふらふらとこちらへしなだれかかってきた。肩口の辺りがちょうど紅莉栖の頭のあたりであるために、その長い髪がやけにうっとおしい。
 あまりにも自然に人を枕代わりにしようとしたその頭を肘で押し返しつつ、抗議する。
「ちょっと待て、寝るんじゃない! そうしたら俺が暇ではないか!」
「暇つぶしにってこれ持ってきたのはあんたじゃない。良かったわね、好きなだけプレイしてていいわよ」
 そういうわけではいおやすみ、と一方的に言い切って、手元にあったうーぱクッションを抱え込み紅莉栖はひらひらと手を振るジェスチャー。それ以降は何を言っても反応はなく、本気で寝入りを決め込むことにしたようだった。
「……どうしろというのだ」
 床に放り出されたヘッドセットを拾いつつ、モニタに佇むアルパカマンに愚痴を吐く。
 当然のようにアルパカマンから反応はない。相も変わらぬ無表情が淡々とこちらを見つめ続けていて、背景で広がる空もさっきと同じ雲が同じ速度で横へつつーっと滑っているだけだ。
 もちろんボタンを押しても反応しない。さっきと比べて「水分」がさらに1減っていたが、そんなことどうでもいい。とてつもなくどうでもいい。
 そうしてどうしようか考えつつだらだらといじっているうち、
「ん?」
 ロード画面。セーブデータが1つ、存在しているのが目についた。
 昔のゲームなどとは違い、中古に売り払う前の人物のデータというわけではない。おそらくは以前やったとき、まゆりがセーブをしたのだろう。
 何か進展があったようには思えないし、あったところで楽しめるのかと問われると大いに疑問ではあったが、とりあえずロードしてみることにする。
 が。
「……変わらんではないか」
 ボタンを押して、何をしているんだと文句を言いたくなるぐらい長い長いロード時間を経たあとで画面に現れたのは、どこも変わったようには見えない、さっきまでとまるっきり同じアルパカマンだった。ステータスもだいたい似たような数値で、背景の場所にも変わりはない。それっぽく声をかけてもボタンを押しても反応がないのも以前の通りで、見た目通りゲーム内容も何ら変わっちゃいなかった。とんだ容量の無駄である。
「まったく……。結局、暇つぶしにはならなかったな」
 紅莉栖と同じく俺も拾ったヘッドセットをもう一度投げ出して、ソファにその身を沈め込む。拍子に、ぐらり、と隣から紅莉栖の身体が再びこちらにもたれかかってきた。おいまたか、そう抗議したものの返事はなし。首を回して様子を見れば、どうやら本当に寝てしまったらしかった。
 ならもう、俺も寝てしまおうか。そう思い、紅莉栖を押し退けてまでモニタの電源を落とす気もせず、俺はアルパカに見つめられたまま溜息を吐きつつ目を閉じた。
 ……その直前。目に入ったアルパカマンの背景の空の様子は、やっぱりさっきまでのそれとまったく同じものだった。





       ○  ○  ○





 かすかな物音に、意識がゆっくりと持ち上がっていく。
 まどろみはそう長くはない。まぶたもだんだんと開いていき、電気が着けっぱなしのラボ、そういえば昼寝をしていたのだと思い出す。
「オカリン、起きたー? トゥットゥルー」
「まゆりか……? ああ、もう帰ったのか?」
「もうって、いつも通りだよー? オカリン、ずいぶん寝てたみたいだねー」
「うん……?」
 頭を掻きつつ、寝ぼけ眼のまま時計へと視線を移す。寝入ったのは確か昼過ぎ。だというのに、時計はすでに夕刻を指していた。
 大して眠かったわけでもない仮眠にしては、少し寝すぎである。おかげで暇つぶしにはなったけれど。
「んっ、まゆり……?」
 そうして俺に続き、もぞり、と隣で寝ていた紅莉栖も身悶えする。起きる。そう感じた俺は、俺の方に寄りかかっていたその身体をぐいっと持ち上げてやった。特に意味はない。
「クリスちゃんも起きたねー。クリスちゃんクリスちゃん、トゥットゥルー」
「うん、まゆりもおかえり……ふぁ」
 ソファから身を起こし、小さくあくび。目はまだ半分閉じていて、どうやらちょっぴりぼさついている髪の毛に気付くまでにはまだ時間がかかりそうだった。この天才少女、寝起きからの稼働に少し時間がかかるのだ。
「いいなー。まゆしぃもみんなとお昼寝したかったのです」
「したくてしたわけではない。あまりにも暇でな……」
「んー? わっ、アルパカマンー?」
 まだ覚醒しきっていない俺と紅莉栖をよそに、とてとてとモニタに走り寄って画面をのぞき込むまゆり。ヘッドセットは床に転がっているというのに、「久しぶりだねぇ〜」などと嬉しそうにアルパカマンに手を振っている。返ってくるのは当然、無表情のままのシカトだ。
 マイクがついていたって反応がないのだ、マイク無しで反応されたらそれこそホラーの域である。
「えっへへー。付けっぱなしだったってことは、二人が仲良く寝てるところ、アルパカさんに見られちゃったんだねえ」
「へっ? あ、ちょ、まゆりっ! 別に仲良くとかじゃなくて……ただそう、ほら、ちょうどいい枕がなかったから! っていうか岡部までなんで寝てんのよ!」
 紅莉栖は文句垂れながら、ぼふぼふ、とうーぱクッションを俺の鼻っ面に押し付けてくる。やはり確信犯かこの助手め……なんて思いはしたものの、けれど改めて抗議するのも面倒だ。「はいはいわるかったわるかった」と適当にあしらいつつ、俺は伸びをしながら腰を上げる。眠気覚ましも兼ねて、少しラボの換気をしようと思ったからだ。
「ムカつくくらい反省してない言葉遣いよね……。で、岡部。アルパカ付けっぱなしだけど、結局あれから進んでないんでしょ?」
「ん? ああ、セーブされてたデータをやってもみたんだが、何の変わりもなかったな。それセーブをしたの、まゆりだろう?」
「あー、これ、あのときのアルパカさんだったんだー! まゆしぃは全然気付かなかったのです」
「いや、気付いたら逆に凄いわ……どう見たって同じだし」
 おそらくはこのアルパカマン、そんなささいな違いを表現する気がきっと最初からないのだろう。アルパカの無表情だってロード前と変わらないし、空を流れる雲だっていつまでも同じだ。違うのはまゆりの思い入れくらいなものである。
 きっとこのまま放置しておいても、あるいは何かプレイ方法を探してみても、大した変化はないに違いない。寝て起きたところで、違っているのはやっぱりステータスの1つや2つ程度なものだった。
「さて、と。ではまゆりも帰ってきたし、そろそろ晩飯の準備だな」
「あー、もうそんな時間? 結局昼寝が一番の暇つぶしだったわけね……」
「このアルパカには悪いが、な」
 言いながら俺がカーテンとともに窓をがらっと開けると、夕焼け色を帯びた日の光がラボの中を一気に赤く照らし上げた。同時に、ゆるやかな風が吹き込んでくる。
「ん、良い風。じゃあ岡部、これ片付けるぞー?」
「まゆしぃはお湯沸かしまーす。アルパカさん、またねー」
 仮眠から目を覚まし、もそりもそりと動き始めるラボの中。まゆりが換気扇を回し始め、紅莉栖はヘッドセットとコントローラーのコードをくるりとまとめ始めていた。対して俺は、窓の外、少しばかり紅い空へと視線を上げて。
 ……いつかの俺が気付いたように、この空の表情には二つとして同じものはない。雲の位置も形もまるで違う。同じ世界での、少しだけ違う世界の表情。それが「あの」理論の”破れ”のせいであったのかどうかは、今となってはもう分かりはしないけれど。
「オカリンとクリスちゃんは、何食べるー?」
 流れる雲を見ていると、ラボの奥からそんなまゆりの言葉が届いてきた。聞かれているのはたぶん、カップ麺の種類の話。続いて「今日はハコダテ一番にしようかしら」なんて紅莉栖の声がして、では俺はゲンちゃんラーメンを食べるとまゆりに返答をしてやった。
「しかしまゆりめ、どうせバイト上がりに何かを食ってきたんだろうに。もう夕飯で大丈夫とは」
「ま、いいじゃない、元気な証拠よ。あと言ってたわよ、いい加減新しいレンジが欲しいって」
「ああ……」
 空から視線を外し、窓枠に寄りかかっていた身を起こす。ラボの中では、ちょうど紅莉栖がアルパカマンのモニタを見ていた。
「……結局これ、暇つぶしにはならなかったわね」
「寝るほど暇だったからな……。あれだな、こっちがアルパカの反応を楽しむというよりは、微動だにしないアルパカに俺たちが反応をさせられていたかのようだったな」
「それをアルパカが楽しんでた、ってオチ? だとしたらとんだ観測者よね」
「オカリーン、クリスちゃーん、まゆしぃはカップ麺を運ぶから、飲み物とかお願いしていいかなー?」
「はいはーい、今行くわ。ほら、岡部も」
「うむ。ドクペを頼んだぞ、助手よ」
「頼まれないわよ! いやまあ、私もどうせドクペだからいいけど……じゃあグラスお願いね」
 紅莉栖は文句を言いつつ、冷蔵庫へと近づいていく。それに対し俺は溜息を吐きつつ食器棚へと足を向け――ようとして。
「おっと、忘れるところだった」
 紅莉栖が消し忘れたアルパカマンの電源を落とし、ようやくまゆりの手伝いへと向かったのだった。

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Short Story -その他
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