Interval of Skuld

[divergence x.xxxxxx]
「少し、不思議な気分かな」
 タイムマシンを背に、阿万音鈴羽は広がる景色を眺めながらそう言った。
 ――8月21日。ダイバージェンスは……さて、いくつなのか。俺とダル、そして”この”鈴羽は三人で、ラボへと走ったまゆりの到着をただひたすらに待っていた。少しばかり湿り気を帯びたぬるい風。地平線へと太陽が隠れたにもかかわらず、未だにほのかに明るい空。つい三十分ほど前までは、夏休みのうちの単なる一日でしかなかった日だ。
「そりゃあ不思議っしょ。26年も過去に来ればさ」
 鈴羽の呟きに、ダルが答える。
 オペレーション・スクルド。自嘲したくなるほどに相変わらずのネーミングセンスによるそれは、つい今し方工程の半分を終了したところだ。つまりは泣きたくなるような作戦失敗。丁寧に拭き取り、着替えも済ませはしたものの、それでも俺の頭にはいまだに血の臭いがこびりついていた。刃物から伝わった肉を裂くあの感触だって、忘れようにも忘れられない。
 あんな経験は、絶対にもう二度とごめんだった。
「未来では、秋葉原はこうして存在していないんだ。オカリンおじさんにも父さんにも、よく話は聞かせてもらった。過去の資料で写真も見た。でもそんな『昔話』だった場所に自分が居るのって、そしてそこで君たち二人と会うなんて……想像はしてたけど、実感とはだいぶ違う」
 2000年ではこうして会わなかったしね、と続けて、鈴羽が屋上の端に歩み寄る。吹き込む風にもその結ばれたお下げが揺れることはなく、遥か彼方を見据える視線はかつての”それ”とは大きく異なっていた。
 変わった未来。SERNによるディストピアは構築されず、鈴羽もレジスタンスに所属することはなくなった。かわりに起きたのはタイムマシンを巡る大戦らしい。鈴羽の格好は何よりもそれを物語る。
 でも、それでも鈴羽は鈴羽だった。このぶんでは母親もきっと同一人物なのだろう。あのつかみ所のない笑みは鳴りを潜めていたが、けれどそれはあのα世界線での鈴羽が厳しい環境で育たなかったことを意味しない。従軍とレジスタンス。どちらが厳しいのかなんて知らない。でも、どちらも甘くないことだけは確かだった。
 では、この表情の違いはどこから――?
 それを意識して鈴羽を観察しているうち、「ああ、そうか」と。俺はここに至ってようやくそれに気が付いた。
「安心しろ、鈴羽。作戦は必ず成功する」
「……オカリンおじさん?」
「お前は一度、俺たちの指令を忠実に実行してみせたのだからな」
 立って外を眺める鈴羽。対して俺は手すりを背にして座り込んだまま、薄く雲のかかる遥かな空を仰ぎ見た。
「自信を持て、ジョン・タイター。α世界線でのお前はもっと飄々としていたぞ」
 阿万音鈴羽はタイムトラベラーだ。俺の主観ではあいつは何日も前に秋葉原に来ていたし、失敗も含めて何度もタイムトラベルをしているように見えている。
 けれど、それはリーディング・シュタイナーによる錯覚だ。今目の前にいる”この”鈴羽は2010年には来たばかり。2000年を経由したといえどタイムトラベルをそう頻繁に繰り返したはずはなく、だからそのきつい表情は育ちの違い以上のものがあって当然ですらあった。
 その重責に緊張している。
 鈴羽を信頼しきっていたからこそ分からなかったそのことに、俺はようやく気が付いた。
「お前はよくやったよ。ブラウン管工房でバイトをしながら、あちらの世界線では死に別れていて正体の分からない父親を探す日々。結局は見つかったもののタイムトラベルに失敗、過去改変によってそれらの記憶を消失させてでもオペレーションをやり遂げた」
 ジャージにスパッツ、仮面のようにへらへらと笑いながらもここ一番では十全に働いてくれて、あいつがいなければ俺たちは最初のラウンダー襲撃時に死んでいてもおかしくはなかった。言葉の端々から漏れるディストピアでの悲惨な生活と、父親に対する一途な想い。それらは確かに鈴羽が持っていたもので、だから俺は自然と言葉を続けていた。
「だから自信を持て。お前は確かに、立派に責務を果たせたんだ」
 ちょっと抜けているところもあったけどな、と付け加えて、俺は鈴羽へと目を向ける。ドラマでしか見ないようなミリタリー装備。腰に携えた拳銃もレプリカということはないのだろう。第三次世界大戦とか言っていたか。けれどそれがどのようなものであれ、少なくとも俺の目からは彼女もまた「阿万音鈴羽」にしか見えなかった。
「そうなんだ……。別の世界線でも、あたしはこうして」
「そうだ。わずかな時間だった。世界線も変わってしまった。けどこの世界線にこうして戻ってこれたのは鈴羽の――お前の努力によるもので、だから俺は忘れない。戻って来れないと知りながら、父親とも会えずに過去へと飛んだ”お前”のことを」
 鈴羽に告げて、さっきから俺たちのやりとりを黙って聞いているダルへと目をやる。気を使っているのか、ダルは少し遠くで興味深そうにタイムマシンを眺めてみているだけだった。あるいはこのタイムマシンもどうせダルによるものだろうし、何か思うところがあるのかもしれない。たぶん変形はしないと思うが。
「そっか……じゃあ、お礼を言わなきゃね。ありがとう、オカリンおじさん」
「なっ――」
 だからダルの様子に気を取られていた俺にとって、その感謝の言葉には自分でもびっくりするほど驚いてしまった。
 ――君ってさ、いいヤツだよね――
 かつて言われたその台詞が脳裏をかすめる。あれは確か、蒸発したと思われた父親にDメールを送ってやる、とか言ったときのことだったと思う。事実を知っていれば確かに笑い話でしかないが、それでもあいつは今と同じ調子であっさりと感謝の言葉を口にしたのだ。
 ありがとう、だなんて。感謝を言うべきなのは間違いなく俺たちの方だろう。未来で俺やダルが何をしたかは知らないが、今この時点での俺やダル、そしてまゆりにとっては、自分を犠牲にしてまで未来からやってきてくれた二人の”鈴羽”に感謝をしない理由がない。
 鈴羽は椎名まゆりも、牧瀬紅莉栖も、そしてきっと物心ついてからは岡部倫太郎のことも詳しく知ってはいないのだろう。だというのにこいつは俺たちに協力してくれて、だから俺も感謝の言葉を述べずにはいられなかった。
「こちらこそありがとう、鈴羽。お前のためにも、俺たちのためにも――作戦は必ず成功させる」
 そして、すまない。α世界線では、お前の思い出を踏みにじってしまって。言葉にせずにそう続けて、俺はゆっくりと立ち上がった。足を踏みしめ意識はクリアに。作戦の失敗で一気に抜け出てしまっていた気力は、再挑戦を前にとっくに充填されていた。
「オカリンおじさん。まだ時間はあるし、ゆっくり思い出してた方がいいんじゃ?」
「分かっている。油断をしているわけじゃない。他の誰より、俺が一番紅莉栖を助け出したいんだからな」
「……ごめん、愚問だった」
「気にするな」
 携帯を取り出し、再び”Dメール”を開いて未来の俺の注意事項を一字一句再確認し始める。
 鈴羽のみならず、タオルと服を持ってきてくれたダルや今も秋葉原を走ってくれているまゆりも精一杯手を尽くしてくれている。少なくともいま現在は紅莉栖のことを知らないあいつらまで、妄言めいた説明を信じて力を貸してくれている。
 ――だから、絶対に助かる。
 感傷に耽る暇はない。絶対に失敗しないために、俺はできる限りあのときの様子を克明に思い出し、俺のすべきことをシミュレーションしなければならない。
 だけど、その前に。
「おい、ダル!」
「おっ? なんぞ?」
 少し離れたところに移っていたダルが、俺の手招きに対しだるそうにこちらへと歩み寄ってくる。
「なあ鈴羽。少しくらい話したいこと、あるだろう?」
「えっ? それはあたしと……父さんで? でも今は――」
「気にするな。あとは俺が色々と考えるだけだ。作戦が終わればお前に礼をする暇もなくなるし、リラックスも必要だろう?」
「けどっ」
「……それが、α世界線でのお前の望みだったんだ。頼む」
 俺の言葉に、鈴羽が驚いたような顔を見せる。けれどそれも一瞬のこと。硬い表情はすぐさまかつてのように柔らかい笑みに変わって、
「そういうことなら……うん、わかった。ありがとう、岡部倫太郎。君って本当に――」
 ダルにも軽く話をして、俺は少しだけ離れた位置に座り込む。ダルと鈴羽ははじめこそややぎこちなさがあったけれど、すぐに打ち解けられたようだった。そのあたりも消えてしまった過去と似ている。そしてまた苦しい世界で生きてきたこの”鈴羽”も消えてしまう運命にあることが、今の俺には皮肉のようにも救いのようにも感じられて。
「七年後に、また」
 目を閉じ鈴羽に感謝を述べて、ゆっくり頭を切り換えていく。
 そうして俺は鈴羽とダルのそこそこ弾んでいる会話の様子を聞きながら、オペレーション・スクルドのためのシミュレーションに再度没頭し始めたのだった。

++++++++++


Short Story -その他
index