It`s me!

[divergence x.xxxxxx]
 8月12日、朝。俺は起き抜けのやや不明瞭な意識のまま、ずずっとカップ麺を啜っていた。
 ラボでの朝食。けれどそれは俺だけが摂っているわけではなく、隣では紅莉栖が、そしてテーブルの向かい側では鈴羽が、俺と同じく「ハコダテ一番」をもぐりもぐりと食べ進めている。珍しい光景。「すごい美味しいねコレ」「でしょ?」なんて会話は、つい先日まではありえなかったはずのものだ。
 鈴羽の二度目の未来人告白を受けたのが、昨日の晩のこと。タイムリープで手に入れた二日間の猶予を一刻も逃すまいと、鈴羽は朝も早くからこうしてラボに来てくれていた。ちなみにその鈴羽がわざわざ持ってきた、未来で俺が作ったという「ダイバージェンスメーター」なるガジェットは、紹介を受けた後テーブルの端に無造作に置かれている。数値は0.337187。ドクペをこぼして壊してしまった、なんてオチだけは避けたいところだ。
「やっぱり、インスタントっていいよね。栄養と値段がネックだけど、簡便さと保存性は未来でも重宝されてるよ」
「未来でもあるの? カップ麺って」
「ちょっと形態は違うし、希少性も上がってるけど、あるにはあるよ。父さんもたまに食べてたみたい」
 言って、鈴羽はぐいっとコーラをあおる。冷蔵庫に保管してあったダル用の在庫品。ドクペと並べて見せたら、鈴羽は躊躇いなくコーラのペットボトルを選んだのだ。
 ……この暗黒飲料派め、と心の中で罵倒だかなんだか自分でもよくわからない恨み節を吐いておく。マイノリティはいつだって理解されないものだ。
「でも、フォークは使わなかったなあ。牧瀬紅莉栖って箸使えないの?」
「つ、使えるわよ! ただね……そうっ、この時代ではこういう食べ方もわりと一般的なの! ね、そうよね岡部!」
「ん……まあ、フォークで麺を食べるやつも居ないわけではないと思うが」
 ほらね、と息巻いて堂々と胸を張る紅莉栖。対して鈴羽は、「ふーん」とあまり興味がなさそうな返事をしていた。嘘だとか言い繕いだとかを疑っているわけではなく、心底どうでもいいらしい。そりゃそうだ。
 紅莉栖の食器なんぞより関心は食い物それ自体に大きく向いているようで、まるでご飯をかきこむように鈴羽はカップ麺を流し込んでいく。ほどなくして。
「ぷはーっ! うっし、ごちそうさまっ」
「おお、早いなバイト戦士。ふむ、やはり箸のが効率的ということか」
「……岡部、なんでこっち見ながら言ってんのよ」
「まあまあ、いいじゃん。あたしはさ、ゆっくり食事をできる時代じゃなかったってだけだから。急がなくていいなら、それに越したことはないと思うな」
 鈴羽が未来を語る間に、俺もおおむね食べ終える。けれどちらりと見れば紅莉栖はまだ食べている途中のようで、だから俺はさも箸休めのような振りをしてドクペを開けた。熱いラーメン、冷たいドクペ。最高である。
 熱いラーメン、冷たいドクペ。最高である。大切なことだから二回言った。
 ちなみに紅莉栖は別に、極端に食事が遅いわけではない。むしろ「研究中はいつも忙しかったから」とかなんとかで、ラボでの食事はことさらのんびり食べているフシがある。
 このあたり、いつも大食らいのまゆりと一緒に食事をしているということも大きいのだろう。あいつは量はべらぼうなくせに、あのぽけぽけっぷりそのままに食べるのはそう早くない。それに合わせていたらこのスピードになるのも頷ける。
「ねえ、牧瀬紅莉栖」
 そうして紅莉栖がもくもくと食べているのを見ていると、暑くなったのか、窓を開けるために立ち上がった鈴羽がそう声をかけた。「うん?」と、ラーメンを少し頬張りながら顔をあげる紅莉栖。失礼ながらその態度、ちょっとだけまゆりと被って見えたりもした。
「あたしはさ、これでもちょっとは悪いと思ってるんだ。”いまここにいる”牧瀬紅莉栖にはさ」
 窓を開けて、ゆるい風に心地よく眼を細めながら鈴羽が言葉を続ける。視線の先には晴れ渡っている青い空。いつもの仮面めいた飄々とした表情はいつの間にか鳴りを潜めていて、当人がいつも言っている通り、それは「子ども」と扱えるような顔つきでは断じてなかった。
 戦士。冗談めいたそんな自称が頭をよぎる。
「これ、見て」
「ん? なんだ?」
 ジャージのポケットをまさぐって、鈴羽が何かを俺に放り投げてくる。一瞬ピンバッジかと思ったそれはしかし、俺の予想とは違って少し重く、細長い金属製のものだった。イメージとしてはよくあるUSBメモリに近い。けれど側面にある突起を押すと、出てきたのはUSB端子ではなく―――
「ほう。飛び出しナイフとは、なかなか物騒なものを持っているではないか。アキバの職質は伊達ではないぞ」
「……あたし、それで牧瀬紅莉栖を刺そうとしたんだ」
「ちょ―――えほっ、けほっ! なに、刺すって何ぞ!?」
 俺より先に紅莉栖が素早く反応した。ラーメンを啜っている途中だったようで盛大にむせかえっていたが、どこか気怠げだった瞳が一気に見開いて鈴羽と俺の手元のナイフを交互に見つめる。睨む、というより、驚きで視線が彷徨っているという方が正しい。
 そりゃそうだ。いきなり目の前で「あなたのこと殺しそうとしてました、テヘッ☆」と告白されれば誰だってそうなるに決まっている。俺は手元のメモ帳から紙を一枚取ってナイフを使ってみたが、見事にさくりと切り裂くことができた。おもちゃというわけでもないらしい。
「言ったでしょ、未来では牧瀬紅莉栖はSERNの中心人物だったって。だからこの時代に来て、目の前に牧瀬紅莉栖、君が居たときは心底驚いた。それでこのナイフで今の内に殺しちゃえ、と思ったんだ」
「ま、まあ、あなたの心情を慮ればそうでしょうけど……いやあの睨み方は殺気立ってるとは思ったけど、まさか本当に殺そうとしてたなんて。ドッキリってレベルじゃねーぞ……」
「しかし、殺せなかったのだな?」
「そういうこと。世界線の収束。いまこの時点で、牧瀬紅莉栖は殺せない」
「そう……。岡部には悪いけど、世界に助けられたってわけね……」
 はあ、と溜息吐いて、フォークを置きドクペに口をつける紅莉栖。いきなりの仰天告白をまだ受け止め切れていないのか、ドクペを飲んだ後で再びはあ、と溜息を重ねていた。
 まゆりは世界に殺され、紅莉栖は世界に助けられた。
 そういう皮肉は、好きじゃない。
「ああちなみに、あたし、未来でも牧瀬紅莉栖殺そうとしたことあるんだ。狙撃で」
「なに、なんなの? 阿万音さん、私になにか恨みでも―――ああ、あるのか……」
「そういうこと。”ここにいる”牧瀬紅莉栖ではないけどね」
 笑いながら言って、鈴羽はぐいぐいっと風を浴びつつ身体を伸ばす。気持ちよさそうな表情は話の内容と見事に相反していて、だから俺は笑い飛ばすことなどできはしなかった。
「おい、バイト戦士。返すぞ」
「うん」
 飛び出しナイフの刃を納めて投げ返す。鈴羽は深刻さなどどこにもない顔でぱしっと受け取り、何度か刃の出し入れを確認したあとジャージへとしまった。
「でも、知っちゃったからさ。牧瀬紅莉栖。君は、本当はこんなにいい人だったんだって」
「ぶ―――げほっ、えほっ! ちょ、だから何よさっきから!?」
 ラーメンに続き、今度はドクペを吹き出しそうになる紅莉栖。いいリアクションである。鈴羽も「あはは」と面白そうに笑っていた。対して紅莉栖は、恥ずかしいんだか怒っているんだかよく分からない睨み目をこちらへと向けていて(いやなぜ俺を睨む?)。
「あたしの中でも、まだ整理はついてないんだ。だから、この時代に来てからの牧瀬紅莉栖への態度を謝ることはできない。でも、あたしが今はこういう気持ちでいるってこと、”ここにいる”牧瀬紅莉栖には話しておきたかったから」
 窓を開けたまま、鈴羽がテーブルに再び腰を落ち着ける。見事なまでに似合っているあぐら座り。そのままコーラをあおる姿には、どこかダルに似ている空気が垣間見えた気がした。……いや、そんなこと言ったら怒られると思うから言わないけれど。
 でも、そうだ。鈴羽がこうして穏やかな表情のまま、紅莉栖と対峙しているということ。それ自体がかつてはありえなかったわけで、だからテーブルを一緒に囲んだこの食事には鈴羽なりの大きな意味があったんだろうと俺は思う。
 二日間の猶予。タイムトラベルによる”再会”と、タイムリープによって実現した”和解”、さらにIBN5100を手に入れるための再びのタイムトラベルによる”別れ”。どれもこれもイレギュラーすぎる複雑怪奇な関係が、阿万音鈴羽と牧瀬紅莉栖の間にはすでに構築されていた。
「私も最初は『なんだこいつ』とか思ってたけど、昨日の話を聞いて納得したのは確かだから、そこまで気にしなくて良いわ。それに自分のことだから言うけれど、SERNに協力してる私なんて、どんな事情があったにしろ非難されてしかるべきだと思うし」
「そっか。……うん、本人がそう言うのなら、そうなのかもね」
「だから阿万音さんが謝る必要はないわ。だって、悪いのは”私”でしょう?」
 紅莉栖が片眼を閉じて、おどけながらそう言ってみせる。
 鈴羽はその言葉に一瞬ぽかんとした後、
「あはは。確かにそうだね。悪いのは”牧瀬紅莉栖”だよ」
 これ以上ない笑みを見せながら、紅莉栖のジョークに賞賛の言葉を送ったのだった。



「あれー? スズさんだー?」
「おっ、椎名まゆり、ちわーっす」
 朝食からしばらくして、いつも通りの時間にまゆりがラボへふらりと現れた。手にはいつも通りに食料品を抱えている。説明するまでもないが、あれは朝食でも昼食でもなく、まゆりのおやつである。ときたま実験の道具にもされる名誉ある食い物類だ。
「……さて、それでは俺は少し散歩でもしてくるかな」
 まゆりがラボのドアを閉めるのとほぼ同時、携帯を閉じてソファから立ち上がる。まゆりが何か言ってくると思ったが、そんな俺に反応してきたのはまゆりではなく紅莉栖の方だった。
「もう少しゆっくりしていけばいいのに。せっかくまゆりが来たんだし、どうせ暇なんだろうから」
 いつも通りの軽口。
 けれどその実、そこに裏の意味が込められているのは明らかだ。今の俺たちが暇なわけがない。猶予は二日。タイムマシンの修理も、鈴羽の父親探しもどちらも悔しいくらいに時間がない。
 だから、紅莉栖の言葉の意味はすぐに分かった。「まゆりと一緒に居ればいいのに」。二日後に死んでしまうという話をしたからこその、紅莉栖なりの気遣いだったのだろうと思う。
 だが。
「ダメだよ、クリスちゃん。オカリンはねー、理由もないのに散歩に出たりしないのです。オカリンが『散歩』っていうときは、理由があるときなんだよー」
「……へ? そうなの、岡部?」
「いや……」
 本当に暇なときはいつもの『なんとか作戦開始だー』って言うからすぐわかるんだー、と聞いてもいない話を続けるまゆりを見て、俺はなんとも言えずに頬を掻いた。「へー」と鈴羽が感心したような声を上げる。紅莉栖は笑おうか笑うまいか迷っているような表情で、まゆりはいつものにこにこ顔だ。
 普段であれば顔を真っ赤にして膝を折りかねないまゆりの言葉。けれど今回ばかりは、言いようのない感情がわき上がってくるのを自覚した。
 いや、恥ずかしさももちろんある。なんだか母親に自分の知らない癖を指摘されているような恥ずかしさが。けれどそれ以上に、なんとも言い難い、焦燥感のようなものがわき上がってきてもいたのだ。
 二日。
 たったそれだけの時間のうちに、まゆりを救わねばならない。当然のように決意していたそれを、まゆりの脳天気な言葉でより強く、より深く意識してしまったのだ。まったくもって、理由は俺にもよく分からないのだけれど。
 でも、急いだところでしょうがない。拙速よりは堅実さを。時間がないというのであれば、であればこそむしろこいつらにはこの平穏さを享受できるうちに味わっておいて欲しかった。世界線の変動を待つまでもなく、鈴羽とて二日後にはいなくなってしまうのだから。
「……紅莉栖、それに鈴羽。まゆりのお守りは任せたぞ」
 携帯をポケットにしまい、財布を手に取りラボを出る。まゆりの「オカリン、お昼までには帰ってきてねー」という見送りの言葉を背に、扉を閉めて階段へ。
 そうして狭く古びたビルの階段を降りていけば、ほどなくしてラボから聞こえ始めるのは、女子三人の仲睦まじい話し声だ。
「ねえねえ、二人はどうして―――」
「それは阿万音さんが―――」
「いやいや、あたしは岡部倫太郎に誘われて―――」
 まゆりはともかく、事情があるとはいえラボメンナンバー004と008がずいぶんと仲良さげになったことは俺にとっても嬉しかった。おそらくまゆりにしてもそうだろう。普段は静かな連中がこうも賑やかに話しているのは、話が弾んでいるからに違いない。今日ばかりは、俺に対する愚痴の一つや二つも許してやろうと思う。
「よし。それでは、行くか」
 バッジを扱う専門店のリスト。それを液晶画面に呼び出して。
 さて、どこからあたってみるべきか。開けっ放しの窓から聞こえてくる笑い声に俺まで笑いそうになりながら、俺は中央通りへとその足を向けたのだった。

++++++++++


Short Story -その他
index