Paradoxical Paranoia

[divergence x.xxxxxx]
 JR秋葉原駅、総武線ホーム。
 冷房の効いた電車内から降りた途端、めまいがするくらいの暑さが肌にまとわりついてきた。雨を遮る程度の屋根があるだけの屋外ホーム。鉄板めいたコンクリまみれのその場所は、今の今まで涼んでいた身には蒸し風呂のようにも感じられる。
 そしてそんな暑さにもかかわらず、さらに平日の昼間だというのに数多の人が自分と同じく電車を降りて、慣れた調子で目的の出口、あるいは乗り換え口へと歩き出していた。繰り返されるルーチンワーク。旅行者のような私がそれに及ぶべくもない。けれど立ち止まる訳にも行かずに人の流れに乗りながら案内板を探しているうち、乗ってきた電車は生温い風と甲高い音に包まれて視界の外へと消えていった。
 ……久しぶりの日本。懐かしさも感じるそこは夏真っ盛りといった風で、爛々と輝く太陽と特有の湿気に早くも辟易し始めていた。少々無理を言って、そして研究を我慢して取得した夏休み。二つの目的を抱えて、私はこうして降り立った。
「相変わらず、時間に正確なことで」
 ドップラーの悪戯が一転、静寂が降りたホームで独りごちる。遠くから聞こえてくるじぃじぃというセミの声。沸き上がるような蒸し暑さが一層鬱陶しく感じられて、いつも羽織っている白衣――ではなくパーカーのソデを折ろうかな、どうしようかな、とわずかに迷い、やっぱり我慢した。
 いまだ預けていないスーツケースを引き摺り、電気街口の案内を示す下りエスカレーターへ足を伸ばす。これを預けるべきホテルは御茶ノ水駅の近くに予約してある。けれどチェックインより先に、私はここに用があった。エスカレーターの左側、申し訳ないが2段使ってスーツケースとともに長い道のりを下りていく。
「ん……?」
 異変を感じたのはエスカレーターからその下の光景が見渡せるようになった頃。何と表現するべきか、とにかく利用客たちの様子がおかしいのが目に入った。人の流れに澱みができていて、考えられないような人数が改札内に滞っている。携帯で連絡をとる人、途方に暮れたように壁際に座り込む人、困った顔で電光掲示板を見上げている人。視線を追ってそれを仰ぎ見れば、右から左に流れていく「電気街口はご利用できません」の文字。
 ――電気街口で何かがあった?
 ざわついた空気。エスカレーターを降りて歩を進めると、電気街口の改札手前に大きな人だかりができていた。加えてちらちらと見えるのは制服姿の警官に立ち入り禁止のビニールテープ。漠然とした緊張は物々しさにとってかわられ、あちらこちらで「どうなってるんだ!」「いつまで入れないんだ!」「これが”機関”のやり方か!」という声が挙がっている。駅員たちはその対応で四苦八苦という感じだった。
 ――なんだろう?
 背伸びをしたところで、私の身長ではその奥を見通すことなどできやしない。あたりを見回しても駅員や警備員はそのすべてが利用客の相手に大わらわで、まともな返答は期待できそうになかった。
 あいにく今の私に、こういったときに連絡を取るべき相手などいない。利用客の間でも情報が錯綜しているようで、この混乱がしばらく収まりそうにないということ以外、私に分かることなどなかった。歩いて三分もかからない場所が私の目的地なのだけど、だからといって通してくれそうな気配なんてのもあるはずもなく。
 駅からの案内は特にない。漏れ聞こえてくる声には「事故」だの「落下」だのという単語が混じっていて、災害だかテロだかが起きたことを感じさせた。
「これは……出直すしか、ないのかな」
 近くの壁に背を預け、大きく大きく息を吐く。よりにもよって、なんで今日なの――。そんな言葉は口に出す前に胸へと沈んだ。
 日本を発って以来の、奇跡のようにも思えた再会の機会。自分への講義依頼の同日、すぐ近くでドクター中鉢の――パパの発表会が予定されているなんて運命だとすら思えたくらいだった。普段は断る依頼を二つ返事で引き受けてこうして日本へ飛んだというのに、その結果がなぜこれなのか。膝が折れそうになって、自分が思った以上にショックを受けているのを自覚する。
 この騒ぎでは発表会も中止だろう。パパが用もなくここに留まるとは思えない。電話をしたって会うのを断られるどころか、居場所すら教えてもらえるか怪しいものだ。
 ――ようやく、会えると思ったのに。
 滞在予定は1カ月。それだけあれば、きっとまた会う機会も巡ってくるに違いない。そう思わなければやってられなかった。研究の合間を縫って、徹夜までして形作ったレポートはスーツケースの中、大判の封筒に収められている。せめてそれだけでも、見てもらえたらと思ったのだけれど。
 呆然としたまま、狂乱の続く人垣を何をするでもなく眺め続ける。
 ……頭の中では、すでに飛行機の予約のことを考えていた。





       ○  ○  ○





 人工衛星が落ちたらしい、という話は、ホテルに着いてからニュースで知った。
 そんな馬鹿なというのが第一印象。人工衛星は普通、大気圏で燃え尽きるように落とされる。更に落とす先は海上が一般的だ。少し前に自国の古い衛星をミサイルで破壊した国もあったけれど、他国を威嚇したくなければ取るべきではない方法だろう。
 加えてたとえ不慮の事故で落ちたのだとしても、”アレ”は――つまりニュース映像で見たとおりのあの状況はあり得ない。
 原型を留めている人工衛星。少し潰れただけで、強度を保っているラジオ会館。もし人工衛星が空から落ちてきたのなら、どちらも残っているはずのないものだ。
「鉄筋コンクリートってレベルじゃねーぞ……」
 ホテルの部屋のテレビでザッピングをしつつ、携帯で@ちゃんねるを見ながら誰に向けるでもなく文句を言う。リアルもネットもこのニュースが駆け巡っていて、掲示板では相変わらず低次元の妄言が渦巻いていた。中にはあの人工衛星めいたものはタイムマシンである、なんて論調もあって、論破するまでもなく鼻で笑ってやった。
 しばらく情報を集めていて分かったのは、結局のところ事実は誰も分かっていないようであること、いま現在秋葉原のあの周辺が立ち入り禁止区域となっていること、そして少なくとも怪我人は出ていないということくらいなものだった。場所が場所だっただけに最後の情報には少しは安堵したけれど、だからといってそれが私の鬱々とした感情を吸い取ってくれるわけでもない。
「あとは自分で行って見てみないと分からない、ってことか……」
 携帯を投げ出して、備え付けのベッドへと身を投げる。恨みがましい気持ちはあるものの、やる気が出ないというのが本音だ。好奇心は確かにある。でもいまはそれ以上にショックの方が大きかった。気を抜くと泣きそうになって、つくづく自分に笑ってしまえる。
 秋葉原。来る前は興味津々だったこの街が、自分の中で急に色褪せていくのを感じる。
「……でも、仕事は仕事」
 その言葉は自分に向けて。
 これから予定されているのは学生や教授相手の初講義だ。アメリカでプレゼンの類は散々やらされたものの、専門外の教養話での講義というのは今回が初めてだった。題材はタイムマシンについて。これまた運命めいていると感じたそんな提案も、いまとなっては馬鹿げているとしか思えない。
 脳科学者にタイムマシンの話なんて。ミクロ経済学者に源氏物語を語れと言うくらいには無茶苦茶だ。
「……肯定的な話はできそうにないな」
 理論的にも、気分的にも。
 ゆっくりと身体を起こし、時計へと目をやる。講義まで時間にそれほど余裕はない。原稿の最終チェックをする前に、ホテルにある食堂で昼食をすませることにした。原稿の大半はすでに頭に叩き込んである……というよりも、どれも図書館で調べれば分かるような既存のお話の総集編だ。話がSFチックなだけに、質疑の予想も立てやすい。チェックそのものにそれほど時間はかからないだろうし、それから会場に向かえば丁度良い頃合いだろう。
 予定が立ったせいか、ようやく身体にちょっとばかしのやる気が舞い戻ってくる。そうなればあとは早い。携帯をしまい、テレビの電源を消して。日本だから鍵をかけなくても大丈夫かも、なんて冗談を思い浮かべながら、鍵を手にして部屋を出る。
 右手で鍵を閉めて、足は一路食堂へ。和食もいいけど箸はちょっと、なんてことを思いつつ。
 その間、左手でお腹を押さえていることには、自分でもついぞ気付くことはなかった。





       ○  ○  ○





 再び総武線を利用し、御茶ノ水駅から秋葉原へ。相変わらずラジオ会館側の出口は封鎖されていたため、中央口から大ビルへと向かう。ちらほらと見かけるのはマスコミ関係者らしき人たちと、午前中よりもずっと増えている警官たち。この辺りには思っているほど野次馬は多くないらしく、中央通りから追い出されたらしき人々がそこかしこの喫茶店で休んでいるのが目についた。
 そのまま視線を上へと移せば、UPXの巨大スクリーンによる秋葉原実況生中継。しばらく見ていたものの、事態に進展はないようだった。どれもこれもホテルのテレビや@ちゃんねるで何度も見た映像のまま。”人工衛星墜落か!?”なんてテロップに、はいはいワロスワロスと心の中で蔑んでおく。
 それでも聞こえた”犠牲者なし”というアナウンサーの言葉には、やっぱり少しは安堵してみたり。場所がどんぴしゃではそりゃあそういう心配もする。なぜだか脳裏に沸いてきた血のイメージは、暑さとともに振り払い。
「……ここか」
 しばし歩いた後、ようやくたどりついたガラス張り高層ビルの入り口。中へと入るとひやりとした空気が流れてきて、自然と口から溜息が漏れる。予定表にATFが書かれているのを確認してから奥へと進み、ちょうどきていたエレベーターでほどなくして5階に到着。学生達に混じって小会議室へと入り、私は聞いていた通りの控え室へと足を向けた。
「本日はどうも――」
 大学側の係員へと先手で挨拶。いえこちらこそ、なんて常套句を向こうが返してきて、同時に、それを見て近寄ってきた教授陣にも一通りの挨拶を済ませる。こういうことにももう慣れた。すぐに促されるまま、私は控え室の中へと入る。そこでようやく荷物を置いて、今日の予定を再確認。
 講演時間はそう長くはない。ペース配分の練習もした。それでもやっぱり初講演、まったく緊張するなという方が無茶な話だ。
 自らの研究成果をアピールをするプレゼンとは違う。考察や感想までをも含めたタイムマシンについての話。朝まではやる気だったけれど、妄言めいた12番目の理論を少しだけ話してみるという思惑は、大判の封筒とともにゴミ箱へと捨て去ってきた。タイムマシンなんて不可能。異議なし。きっとそれが正しいんだ、今のこんな私には。
「まだ時間はあるか……。飲み物でも買ってこようかな」
 時計を見る。開始まではまだ15分ほど。控え室を出て、1つ下の階に自販機があるという話を聞いてエレベーターホールへと再び向かう。ドクペがあれば最高だけれど、まあ別にお茶の類でも構うまい。
 小会議室に向かう人の流れに逆らって、おそらくは講義を聞きに来た学生を運んでくるエレベーターの到着を待つ。1,2,3……とエレベーターは順調に上がってきて。
 ――ああ、そういえばエレベーターを使うまでもないのかも。
 講義の開始間近、エレベーターは学生を運ぶので忙しいだろう。そんな中を、わざわざ1つ下の階に移動するために1ライン占領するのもばからしい。やはり階段にしよう、そう切り替えて足を踏み出した瞬間、まったく気にかけていなかった隣のエレベーターがぽーんと音を鳴らした。
 やばっ、と思うも既に遅い。エレベーターの扉は開かれ、学生たちがぞろぞろと出てくる。けれど階段へと踏み出した足は止まらずに。
「きゃっ」
「――っと」
 ぶつかる。
 倒れそうになる身体は、ぶつかった相手が肩を掴んで支えてくれて――

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