そんなこんなで委

[da capo U short story]
「行ってらっしゃい、お姉ちゃん」
「はい、行ってきます。いい子にしてるのよ?」
「うん!」

 私は弟の満面の笑みと大きな頷きを見て、朗らかな気分になりながら自宅を出発した。
 今日は四月七日。特に支障もなく付属の三年に進級した私は――といっても支障がある方が珍しいのだが――、既に夏を予感させる色彩を帯びた風を感じながら、一月ぶりの通学路へと足を向けた。
 見飽きるほどに当たり前となっている桜もこの時期だけはいつ見ても新鮮さが感じられる。桜本来の季節。今まで読んだどんな小説でも伝記でも桜というのはこの季節だけ咲くことになっており、そしてその限定感こそが桜の魅力であるとされていた。物語の中に出てくる人たちとその感触を共有できるのは、初音島に住む私にとってこの僅かな期間だけ。だから私はこの春の空気が好きなのだ。

 しばらく歩くと道は桜一色に染まった。学園に通う誰もが通る桜並木。新たな一年の始まりを迎えるこの日、誰もがそわそわとしていた。そんな空気が容易に見て取れる。
 私も知人が居ないかとちらと視線を走らせたが、前方にそのような人影は見えなかった。特に感想もなく息を吐く。と、逆に背後から声をかけられた。

「おはよ、委員長」
「あ、月島さん、おはよう。久しぶり。
 ……って、何よその呼び方は」
「え? あ、そっか。つい……」

 恥ずかしそうに苦笑いをする彼女。その笑みはとっても人懐こくて、私には到底真似できそうにない。例の騒がしい二人が加虐心をそそられるというのも、まあ、分からなくはない。……もっとも、私はそんなことはしないが。

「今年も一緒のクラスになれるといいね」
「ええ、そうね。
 ま、月島さんはすぐに私の名前を確認することになるでしょうけど」
「???」

 一緒のクラスになれるといいね、なんていうのは去年同じクラスだった同級生と交わす、万国共通の社交辞令。月島さんはそれを心の底から言っているだろうけれど、私は正直なところどっちでもよかった。そりゃ確かに見知った顔が居れば安心するけれど、かといって取り立てて違うクラスになったからと言って落ち込むわけでもない。
 ちなみに。私が言った台詞の後半は、すぐに分かる。加虐的なことはしない、と言った側からこれでは。私もあの悪い空気に中てられたか。

「ほう、新学期早々先の二年一組が誇る美少女二人組と会えるとは」
「あ」
「げ」

 次いで声をかけてきたのは、新学期早々どころか年中無休で顔をあわせたくない奴だった。

「げ、とは挨拶だな委員長?」
「誰が委員長よ、誰が」

 月島さんに続いて杉並までも。まだクラスも分からないのに、委員長も何もあったものかと思う。別に私自身、そんな所謂「委員長キャラ」ではないはずだし……多分。口うるさいという自覚はあるが、それにしたって去年はやかましい連中がクラスメイトだったからだ。私でなくたって気が立つに決まっている。

「はっはっは、そうがなるな。
 だいたい、今年のクラス分けは――」
「しゃらっぷ杉並! せっかく楽しみにしてるのに、ここで言ったら月島さんががっかりするでしょ」
「ふぇ、わ、わたし?」

 危なかった。
 うん、そうだ。月島さんはクラス替えを――ある意味では不安と隣り合わせで――楽しみにしているのだから、ここで杉並に真相を告げられてはもし外れたときに可哀想だ。そのくらい分からないのかこの男は……。
 いやまあ、分かってるんだろうけど。それを分かった上でやっているのだから尚タチが悪いというか。そもそも人の気持ちを慮れと杉並に言うこと自体、馬の耳に念仏かもしれない。

「わたしは別に、どうせ後で見るなら今杉並くんに教えられても一緒かなって……」
「ダメよ月島さん。こいつは隙を見せたら容赦なくそこを突いてくるわ。断固拒否すべきよ」

 少しでも「聞いても良いかな」なんて表情を見せたら最後、聞いてもいない根も葉もついた情報が流されるに決まっている。
 私がそう月島さんを説得していると。

「ほうほう、ほほう?」
「な、何よ?」
「いやいや別に。いやいや何も?」
「何かムカツクわね……」

 私が睨み付けても杉並の涼しげな顔が曇ることは一切無く、それどころかむしろ一際晴れやかな表情になって、「はーっはっは! ではまたいずれ会おう!」と大声で叫びながら桜並木を駆け抜けていった。学園とは反対側に。
 並木道を逆行して知り合いに声をかけまくっているのかと思ったが、前方から上がる土煙を見る限り、私の予想は外れたらしい。

「はあ、杉並くん、新学期早々……」
「バカやらかしたわけね、まったく」

 私と月島さんは、「杉並ぃ、待てええええい!」と軍勢を引き連れて学生服を追走する次期副会長候補を見ながら、溜息を重ねた。


       ○  ○  ○


 さて。そのまま平穏無事に学園までたどり着いた私たちは、クラス分けの表を見るために正面入り口へと向かった。
 人だかりができているのは予想通りといったところ。受験の時ほどではないものの、悲喜こもごもが入り乱れている。
 もっともウチの学年はかなり上方にて張り出されていたため、その人だかりを奥まで突き進む必要はないようだ。幸運といえる。

「う〜……?」
「少しは落ち着きなさい、月島さん。みっともないわよ」
「だってぇ〜……うぅ」

 見ているこっちがハラハラするくらい、月島さんはそわそわしていた。
 分からなくもない。押しが弱いというか、奥手な月島さんにとって、クラス分けは学園生活を左右する一大事なのだろう。本人が思っている以上にその人懐こさを好いている――無論恋愛的な意味でも、そうでない意味でも――人は多いのだからそれほど壊滅的な結果になるはずはないと思うのだが、知らぬは本人――プラスもう一人の鈍感君――ばかりなり。そういった点では保守的になるようで、やはり私と同じクラスが良いというのも世辞でも何でもないのだと分かる。

「さて、と。一組から見ていきますか」

 先ほどから委員長委員長と連呼されている私だが、正直自分の苗字に良い思い出はあまりない。それは無論、父の悪名の高さ故だ。逝去した後に苗字を変えてくれれば、私もこうまで悩むことはなかったろうに。
 それはともかく、その「沢井」という苗字にも、少なからず良い思い出はある。そのうちの一つがこのクラス分けだ。

「うーん、ないなあ」

 沢井麻耶。名前はともかく、この「サ」「ワ」の順序が実に微妙な位置で良い。
 なぜかと言えば。これは月島さんに「すぐに私の名前を確認することになる」と言ったのと関係が深いのだけれど。

「あっ! あった!
 む、むむむ……」

 月島さんがようやく自分の名前を見つけたらしい。
 ちなみに私はといえば、とうに自分の名前を見つけ出していて、月島さんは喜ぶだろうなと思いつつ、自身については相当に落胆していた。

「あ、あ、あ、あ……!
 あった! 良かったぁ〜! ふぇえええ……」
「今年もよろしく、月島さん」
「え? あ、うん、よろしくね委員長」
「だから委員長じゃないってば」

 私の苗字。
 その前後には、アノ二人の苗字があるのだ。

 ――……
 ――桜内
 ――沢井
 ――杉並
 ――……

 男女混合名簿などというのが始まったのは半世紀前頃かららしいが、そのおかげで私は真っ先にこの問題児二人と同じクラスになってしまったかどうかを確認できるのだ。
 どちらも違う名前であれば最高だったのだが。皮肉なことに、私の名前はバッチリと挟まれていた。そう、昨年の今日と同じように。
 まあ、昨年はあの二人のことを遠巻きにしか知らず、「学内有数の不良と同じクラスとは」と絶望のどん底にたたき落とされていたのだが。今ではあの二人もそんなに悪い奴じゃないと思――っと、何を言っているのか。問題児であることは変わりない。

 はあ、と溜息をついた。結局あの二人からは離れられなかったか、と。

「あれ、委員長、どうしたの? 何だか嬉しそうだけど」
「ぶっ……!
 ちょ、ちょっと月島さん、どこをどうしたら今の私の顔が嬉しそうに…………見えるわね」

 頬をぺたぺたと触りつつ、玄関先のガラスに顔を近づけて自身を見てみた。月島さんなんかより遙かに容姿で劣る顔だが、その表情が緩んでいるように見える。というか、そうとしか見えない。
 きっと月島さんと一緒だからだろう。彼女のような人が居れば、クラス運営もしやすい。いやもちろん、委員長になると決まったわけではないのだけれど。

「お、小恋に委員長。どうだった、クラス? 俺のクラスとか知ってる?」
「あ、義之〜! えへへ」

 振り返ると、そこには見慣れたさわやかヤクザ。遅刻ギリギリ上等の彼も今日ばかりは早めに来たらしい。私たちより頭一つ分高い視線から、クラス分けの表を見通している。

「義之、今年もよろしくね」
「ん? ああ、また一緒になったのか?
 ったく、小恋とは腐れ縁だなあ」
「だねえ」

 二人して苦笑する。
 桜内は知らないだろう。月島さんが、この苦笑いをどれだけ嬉々としてしているのかを。その健気さは本人たちより、むしろ第三者の気持ちを切なくさせてしまうほどだ。

「あ、じゃあ委員長もか?」
「何が『じゃあ』なのか知らないけど、そうよ。
 杉並も一緒だなんて……はあ、今年こそは問題起こさないでよ?」
「杉並も一緒かよ!
 ……って、その割には嬉しそうだな、委員長。誰か目当ての奴でも居たのか?」
「バ――バッカじゃないの!?
 べ、別にアンタと一緒になっても嬉しくないんだからねっ」
「誰も俺だなんて言ってないだろ……」

 そんなぐだぐだと会話をしながら、表面的にツンケンした態度を取り戻して、私たちは表に書かれた「三年三組」へと向かった。


       ○  ○  ○


 ――そうして。
 最大のオチが待っていた。

 どことなく浮ついた気分のまま、教室の後ろのドアを開けはなった私が見たのは。

「あら、随分遅かったじゃない」
 自称ロリ担当。セクシーパジャマパーティーでは下着まで晒したという毒舌少女と。

「あ、小恋ちゃんやっほー。沢井さんと義之くんも。
 ねえねえ、なんか凄くない?」
 学年にその名を轟かせる雪月花の残る一人、先の卒パではやはり同様に失格を食らった発育の良い身体を持て余している女子生徒と。

「お、義之に月島じゃねえか! 委員長まで!
 はっはーん、さては委員長も何かやらかしたのか?」
 さりげなく失礼なことを言ってくる――そして私は委員長ではない――、三バカの一翼を担う軟派な軽音部部員と。

「はーっはっは! これは良い、これだけの戦力が揃えば来月の体育祭までに何をするのも造作もない!
 ふふふ、高坂まゆきめ、これが失態であることを思い知らせてくれる」
 いつの間に私たちを追い越していたのかは知らないが、本校含めた全生徒の中でも最大級の問題児が居た。

「……うわあ、これはまた」

 月島さんが何とも言えない感想を漏らす。
 狂おしいほどに同意せざるをえない。先ほどまでは多少――あくまで比較的――安堵感もあったが、ここまでくると頭痛がするとかそういうレベルではない。作為的すぎて涙が出る。

「まゆき先輩のアレ、通ったのか……。
 ま、こういうのもアリだろ。しょうがない。なあ?」
「どーして桜内に慰められなくちゃいけないのよっ!
 うう、メンツを見ただけで胃に穴が……」
「ほう、腕の良い医者を紹介してやろうか、委員長?」
「だから委員長じゃないと何度も!
 っていうか! そんな医者が居るなら、まずアンタの頭を何とかして欲しいわよ!」
「なんだ、元気じゃないか」

 うう。初っ端から怒鳴ることになるとは。そしてこうした日々が今年一年、毎日続くかと思うと。

 ほんと、溜息をつかずにはいられない。

「まあ、なんだ。とりあえず今年もよろしく、ってことで」

 桜内がそう口にすると、各々から「いえーい!」「よろしくー!」「ひゃっほーう!」と声が上がった。それが引き金となって、がやがやと教室中が祭の如くに騒がしく。
 時刻はとうに始業直前。こんな雰囲気でいい時間ではない。

 身体が疼く。

「あちゃー、なるとは思ったけど……。
 ほら委員長、出番だぞ?」
「う、うるさいわね。茶化さないでよ。
 だいたい、知らない生徒にそれやったらただの嫌な奴じゃない」
「だったら知り合い連中に向かってだけでいいからさ。どうせ委員決めを進める司会役も必要だし、一石二鳥だろ?」

 そう言って桜内は私の腕をひっつかみ、クラスの壇上へと引っ張った。

「きゃ……! ちょ、ちょっとちょっと!」
「いいからいいから。はい」
「……はあ、結局私の役どころはここなわけね」

 私は桜内から手渡された出席簿を手に取り、すうっと息を大きく吸った。
 いいだろう。ここらで一発締めておかないと、このクラスはどこへ向かうか分かったものではない。割れ窓理論にしろ見た目が九割にしろ、最初が肝心だ。私は顔を知っている生徒幾人かに目星をつけ、彼ら彼女らに言うつもりで思いっきり声を荒げた。

「静かに――しなさあああああい!!!」

 同時。ドガン、と出席簿が机にぶち当たり、さざめきのような私語雑談を一挙に飲み込んだ。
 静寂に間に、一息吐く。隣では桜内が苦笑しながらこちらを見ていた。

 ――まあ、仕方がない。
 こうして私の、苦渋と困難に埋め尽くされた付属三年としての一年間が始まったのだった。

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Short Story -D.C.U
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