平穏日々

[Rui tomo FD short story]
 作った料理を食べてくれる人がいる、というのはとても幸福なことだと思う。
 材料を集めて、筋道を立てて、完成品を提供する。自分だけではちょっぴり物足りないそれも、大好きな相手が美味しそうに食べてくれるだけで至福の時に早変わりだ。手間暇は面倒どころかモチベーションへと変わっていって、それがまた楽しくて仕方がない。料理が得意で良かったと、そのときばかりは思ってしまう。
 ……うん、まあ、オトコノコとしてのアイデンティティに危機感を抱かないわけではないんだけど。
「ふんふんふ〜ん♪ ――っと。だっていうのに、これはまた」
 るんるん気分でお料理中。手近な棚に手を伸ばすと、現れたのは空っぽの調味料の瓶だった。塩もしょうゆもみりんもない。だっていうのにタバスコやらオリーブオイルはたっぷりあって、ああ、そういえば最近和食作ってなかったしなあ、なんてことに思い至る。
 お料理は佳境。もう少し早く気付いていれば路線変更もできたけれど、ここまで来てしまってはどうすることもできやしない。
「仕方ない。買ってくるか」
 コンロの火を止めて、一時料理を中断する。ここのところ転居が多いせいでこの辺りの地理には詳しくないが、まあ、そんなことはぜんぜん大した問題じゃない。僕は昔から勘が良いほうなんだ。
 エプロンを外して財布を取って、スリッパでぱたぱたと玄関先へ移動。鏡の前でちょっぴり身だしなみを整えて、朝ご飯のために調味料を買いに出る。
 ――惠はまだ、僕の用意した別の”お膳立て”を消化中のようだった。





       ○  ○  ○





 便利な世の中になったと思う。
 深夜も過ぎた頃だというのに、今の住居から徒歩10分の駅前はまだまだ光に溢れていた。あれでも地方都市の中心だった田松市のそれとはさすがに比較はできないけれど、それでも駅の規模の割にはここは発展している方だと思う。コンビニもあればそれに対抗し続けているスーパーマーケットもあるし、居酒屋や銀行、あるいは僕らは用がないけれど病院や学校施設だって揃っている。都会生まれの人間でも不便なく暮らすには充分な水準だ。
 僕は頭に浮かんだ道順の通り歩を進め、大して場所も覚えていないスーパーマーケットへ足を運ぶ。とたとた。ちょっぴり早歩き。曲がり角、暗いせいもありドンッ、と人とぶつかって。
「あ、すいません」
「いえ、こちらこそ」
 難癖つけられたらヤだな、と思ったのも束の間、謝罪の言葉が相手からもあって正直ホッとする。うん、やっぱり人付き合いっていうのはこうでなくちゃ。僕は人間には優しいんだ。お互い道を譲り合って、僕はそのままスーパーマーケットへと急ぐ。
 24時間営業のスーパーマーケットで目的の調味料と、ついでにこれから帰ってくる惠のためにタオルと洗剤を買ってさっさと店を出る。さすがにお客さんが少なくて、あんまり長居する気になれなかったのだ。料理中でもあることだし。
 帰り際、ちょっぴり減ってきたお金を補充するために、ついでに駅前の銀行で数字を6つ記入していく。これで来週には目立たぬ程度のお金が口座に振り込まれるはずだ。もちろんカムフラージュにハズレ券を購入することも忘れずに。
「さて、それじゃ急ごうっと」
 ちょっぴり重い買い物袋をちょっぴり重そうに両手で持って、とんとんと人通りのない暗い夜道を歩いていく。危険な感じはどこからもしない。僕は勘が良いほうなんだ。だから既に頭のことは料理の続きのことで占められていて、フッと路地から通りで出てきたその影に気付けたのはただの偶然だった。
「――尹、央輝?」
「……ああ?」
 じろり、と不機嫌そうな瞳が帽子の長いつばの下で滑る。黒い帽子に黒コート。かつて見たままの姿のそれは、この街に居るはずのない彼女に間違いなかった。
「なっ……お前、どうしてこんな所に?」
「どうしてって、それはこっちのセリフなんだけど……尹央輝こそ、どうして?」
 図らずも訪れた偶然の再会に、お互い沸くのは疑問の念だ。
 今僕らがいるのは、田松市から遥かに離れた遠い土地。国こそ同じであれ、全国的な知名度など全くない地方の一都市の外れにすぎない。そんな場所にどうして彼女がいるのか。理由を求めてしまうのはごく自然なことだった。
「あたしは特に理由はない。……元から好んであそこに居たわけじゃないからな」
「あ、そうなんだ?」
 大陸出身だと言う尹央輝。キタの吸血鬼と怖れられた彼女は、何らかの目的を持ってあの場に居たということらしい。たぶん、視ようと思えば視えたし、それにはいま尹央輝がしている少しばかり影のある表情も関係しているんだとは思ったけれど、僕にとってそれは別にどうでも良かった。僕らを追ってきたわけじゃないっていうのならそれでいい。
「お前は才野原の奴と一緒なんだろう? ぎゃあぎゃあと心配してたぜ、あのゴリラどもが」
 ニヤリと笑って、心底愉快そうに挑発してくる。
「ふうん。まあ、心配するだろうね」
「……なんだ、拍子抜けだな。とっくに切り捨てたのか?」
「ううん、そういうわけじゃないけど。ただ、あの状況ならみんな心配する行動を取るのが自然だなって」
「……?」
 僕の率直な感想に、けれど央輝は意外と整っているその眉をぐっと顰めて見せた。そうしてそこに至ってようやく、彼女は視線をあげて僕の顔をじっと見る。<力>を使う素振りはない。
「どうかした?」
 尹央輝が見ているのは、僕の顔というより――そう、目だ。彼女は僕の目を見てる。今にも掴みかからんとする勢いで、僕の瞳をのぞいている。
 時間にすればそれは数秒のこと。そのまま彼女は「ク、」と喉を鳴らして。
「クッ、ハ、ハハハハッ! おい、最初から面白い奴だとは思ってたが、ハ! その目、その態度、ついにやったか!」
「やったって、何を?」
「いいぜ、才野原やあたしと同じ目だ。それは一線を越えたことがある奴の――それも一度や二度、偶発的にやっちまったのとは明らかに違う奴の目だ」
「……目だけでそういうのが分かるのって、ファンタジーの世界じゃないのかな」
 ずいぶんと失礼な言いがかりをつけてくる尹央輝に、形ばかりの抗議をしてみる。口を尖らせて可愛らしく。大方の一般人なら見た目に騙されてしまうそれを、尹央輝は気にかけてもくれなかった。ぶう。
「ナメるなよ。だったら嗅覚と言ってやってもいい。ドブネズミや野良犬は鼻が利くんだ。お前からはその臭いが出てる」
 重ねて失礼な。これでも女の子からだって良い匂いと言われたくらいなのに。
 ……ああでもそれは、僕が”生まれる”まえの話か。
「そんなナリしてそれだけの臭い。もともと素質はあったのか……はン、パルクールで手に入れられなかったのがつくづく惜しいな」
「それで? 尹央輝は僕のことをそう決めつけて、どうにかするの?」
「そうだな、公表すると言ったらどうする?」
 ククッ、と笑って尹央輝は視線を外す。何をするのかと思えば懐からタバコを取り出して、そのまま吸い始めた。彼女のライターがその本来の役目を果たすのを初めて見たかも知れない。
 ライターはそのまましまわず、手元でカチカチ。吐いた紫煙は夜空に紛れてすぐに分からなくなった。
「……冗談だ。それが脅しに使える相手がどうかなんてのは、見れば分かる。こっち側の奴らに官憲なんて脅しにもなりはしない」
 そしてお前はとうにこっち側だろう? 嘲笑めいたその表情は言葉でなくともそう語っていた。
 尹央輝。ずっと暗がりを歩いてきた彼女は、僕のことを同じ穴の狢だと言いたいらしい。
 けれど彼女ほど”悪いこと”をしていないと思っている僕は、それに反論しようとして――彼女に肩を掴まれた。帽子の下にはかつてないほど魅力的な笑みが見えて、僕はぞくりと背筋が震える。久しく感じなかった感覚。でもそれは恐怖ではなく、あるいは先生に褒められて喜ぶ生徒のような。
 人を操ると噂された魔眼を持って、尹央輝は僕を射抜きながらついに言う。
 それはきっと、一分の隙なく呪われたこの世界で、唯一有り得る”類友”としての歓迎の言葉。
「ようこそ、和久津智。――誇るといい。それは、この腐れ切った世界で圧倒的に”正しい”選択だ」
 ……そのとき、自分がどんな表情をしていたのかは分からない。
 ただ、「ああ、やっぱりそうだよね」と思っただけだった。





       ○  ○  ○





「やあ。相変わらず良い匂いだと思わないか、智。これは久しぶりの和食かな?」
「おかえりなさい、惠。うん、その通り。あともう少しで終わるから、ちょっと待っててね」
 尹央輝と別れ、いま借りている部屋に戻って料理を進めていると、ほどなくして僕のお膳立てを消化した惠が帰ってきた。相変わらずの格好。コートとお面を外し、ブーツも脱いで部屋へと上がる。
「あ、いま洗っちゃうからそこ置いておいていいよ。ご飯もできるまでもう少しあるし、シャワーでも浴びる?」
「ふむ……そうだね、そういう気分になっていることもあるかもしれない」
「うん。じゃあ、ごゆっくりどうぞ」
「ああ」
 惠がお風呂場へと消えていく。僕は煮物の火加減を調整し、サラダを冷蔵庫にしまったあとで洗面所へと赴いた。黒いコートにブーツ。今日は絞殺ではなくて刺殺だっただけに、ちょっぴり返り血が多かった。凶器のナイフは川の中。見つかることは永遠にない。
「ふんふんふ〜ん♪」
 洗濯機に入れる前に、どす黒い痕跡だけは手洗濯。ちょっぴり特殊な洗剤とタオルとドライヤーがあれば、血痕を落とすのなんて他愛ない。血液落としっていうそれそのものな商品も世の中にはあるけれど、よほどのことでなければ購入することはしなかった。
 料理と同じく、るんるん気分でお洗濯。水で濡らして洗剤つけて、さっき買ってきた新しいタオルにぽんぽんと赤い染みを移していく。物証は被害者の声なき声、だなんて言葉もあるけれど、どうせ誰にも真実は伝わらないのだから、人間以外な方々はいちいちこんな面倒なことを僕にさせないで欲しいといつも思う。
「――よしっ」
 おおむね色を抜いたところで、惠の私服とともにコートやら何やらを洗濯機へと放り込む。転居が多いせいで全自動なんて高級なものは望めない。それでも最低限の機能はあって、ぽちっとボタンを押すとほどなくしてガコンガコンと洗濯槽が回り始めた。
「それじゃ、お料理に戻ろうっと」
 きっちり手を洗ってから台所へと戻り、お料理を再開。冷蔵庫から下処理を終えておいた生魚を出してきて、一度包丁を洗ってから再びそれに刃を入れる。意識せずともできるようになった行動。レシピも頭に入っていて、だから頭は料理ではなくそれとはまったく別の思考へ。
 慣れたもの。頭に広がるイメージに、今はそれほど辛さはない。そろそろ捕まる未来も増えてきたし、引っ越しどきなのかな、なんてことを魚を揉みながら考える。ああけど、銀行での引き換えは今日と同じ所の方が良いかもしれない。それじゃあ来週までにあと二人くらい*しておこうか、コンロに火を入れながらそんなことを考えて、あっさりと二人分の**方法と街からの引っ越しのタイミングを思いつく。僕は昔から勘は良いほうなんだ。
 ほどなく料理が完成し、はかったように惠がお風呂場から着替えて顔を出してくる。良い香りだ、惠が再び言って、ありがとう、と僕は配膳しながら答える。お箸と飲み物を惠が出してくれて、いざ、深夜の朝ご飯の始まりだ。
「さ、惠。僕の”料理”を、どうぞ召し上がれ――――」

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