二つ

[Rui tomo short story]
 今年の夏は、暑かった。

 見上げればいつだって、そこには日に日に透き通っていくブルースカイ。温暖化とエルニーニョと梅雨明け宣言がお互い見事に喧嘩し合って、蒸し風呂みたいな日がここのところ続いていた。
 やあやあ太陽さん、少しぐらいはお休みしてはいかがでしょうか。そんな僕らの切なる願いも、1億キロ以上遠くの核融合炉には届かない。燦々と輝く太陽光、見ているぶんには気分も良いけれど、直下を歩くとなればまた話は別だった。

「もうちょっと涼しくなってからでも良かったかな」

 学園帰り。一日で最も暑い昼時は過ぎたものの、まだまだ熱気の残る時間帯。太陽は未だ地平線には接しておらず、じりじりと僕らを焼け焦がしていく。南聡学園の黒っぽい制服は照りつける日光を吸収していて地味に暑苦しくもあった。
 薄着は僕にとっての一大事。夏でもしっかり上着のボタンを留めて、優等生チックな演出もでき一石二鳥。とっても暑いけど、スカートなのが不幸中の幸い。でもやっぱり、ブルマはちょっと減点かなとも思ったり。

 そんなこんなで木陰での休憩などを挟みつつ、僕は学園から出た足そのまま、とある目的地へと向かっていた。旧市街へと続く道。舗装されてないそんな道路はアスファルトよりは涼しげで、廃墟を縫うように穏やかな風が吹き抜けている。ヒートアイランドな街中とは少しばかり様相の違う風景。こちら側だけ切り取られているようだと、そんなことをふと思う。

 汗をぎりぎりかかない程度で歩き続け、前の休憩からはや十数分。ぽっかりと空いた敷地を守る、堅牢な塀が見えてきた。ただでさえスカスカな旧市街の中でも、不自然に開けたスカイブルー。そこはかつて、中世からタイムスリップでもしたのではないかと思わせる大きな屋敷が存在していた場所。

 そうしてかつての役割を未だにしっかりと果たしている塀、それをぐるっと回った先、施錠された正門前。僕は肩に提げた鞄を開こうとして、僕より先にその場に居た人物に気付く。かつてと違い、白い肌をお日様の下に露出させている彼女はつまり、

「央輝、来てたんだ」
「……」

 僕の声に、その目が不機嫌そうに応えてくれる。
 それに何となく満足して、央輝が先ほどまで見ていた足元に僕も視線を移す。地面に突き刺さる、屋敷の焼けた木材で僕らが作った無骨な十字架。塀の陰、雨露から身を隠すようにひっそりと佇むそれに向け、僕は努めて何でもないことのように言った。

「久しぶり、惠」





       ○  ○  ○





 ここに来る途中の専門店で買ってきた花を鞄から取り出し、墓前に献げる。今はまだ瑞々しい花束。白い花弁はいつかの詰め襟を想起させて、すぐに枯れゆく運命もまた何かを喩えているかのよう。風に揺れる。特別香りはしない。
 また、見れば僕の献花以外にも同じように花がそこには添えられていて、そのどれもがまだまだ生気を失っていなかった。隣には定番のお酒に代わり未開封のサプリメントの箱が置いてあり、これは茜子かな、なんてことを思う。

 つまり、みんなとっくに来ていたのだ。数からしてきっと全員。誰も僕に連絡しなかったのと同様、誰もが連絡を取り合わず、それでもみんなが自発的にここへ来た。あれから一か月の節目。考えることはみんな同じということらしい。

「こんなことならみんなで来た方が、浜江さんたちに苦労をかけずに済んだかも。ね、央輝?」
「知るか。あたしは他の奴らのことなんて知らん。今日はたまたまだ」

 だから尚更良いんだよ、そんな返答は飲み込んで、惠に手を合わせかつての時間を回顧する。長くしていると泣き出しそうだった。

「でも央輝も来てくれたって分かって、良かった。惠もきっと喜んでると思うよ」
「はん、お前が嬉しがることでもないだろうが」
「ううん、僕だって嬉しいよ。来るとは思ってたけど、実際こうして見るとね」

 言うと、返ってきたのはチッという舌打ち。よりによってどうしてお前と被るんだ、なんて愚痴が聞こえた気もしたけれど、そんな言葉は僕の耳には届かない。だって央輝は僕より早くこっちに気付いていたろうに、隠れるようなことはしなかったのだから。

「央輝の方は最近どう? 元気でやってる?」
「……」

 軽いようで、それでいて僕としては色んな意味を込めた質問。央輝は何を返答するでもなく目を閉じて、その体重を塀へと預けた。着崩したワイシャツ、ミニスカートから伸びるチェーン。片膝曲げて塀を背に立つその姿はどこぞのモデルのようでもあるけれど、別に央輝はそんなことを見せたいわけではないだろう。表情は溌剌としているわけでもなく、かといって作り物めいた演技でもなく、言うなれば嘆息や不機嫌に近いそれ。
 それはつまり、見ての通りだというジェスチャーみたいなものだ。答えるまでもないのか、あるいは単純な返答をするには複雑すぎる状況なのか。五体満足の健康体ではあるが、元気だと言えるかどうかは分からない。そんな微妙なニュアンスを感じ取る。

「ダメだよ、しっかりしないと。それが――」
「こいつの望みでもある、って言いたいんだろ。……はっ、まるで呪いだな」

 大きく口を歪めて吐かれるそんな言葉。皮肉か、嫌味か、はたまた本心か。あるいは日の光を浴びている央輝にとって、それはもしかしたら全部同じことなのかもしれない。

「殺し殺されなんて今更だ。あたしがネズミを食ったせいで、その日餓死した奴がいる。こっちの世界であたしがのし上がるために、存在を抹消された奴がいる。名前も顔も覚えちゃいない。殺したこと自体を忘れてる奴だって何人も居る」
「でも、そういう人のお墓参りをしたことはないでしょ?」
「責任を感じることすらないな」

 強い口調でそう言い切って、ポケットからライターを取り出す央輝。そのまま手首だけでひょいと放ると、それはそのまま土の上をすっと滑ってサプリメントの箱にぶつかり停止した。
 供え物がまた一つ。惠はタバコを吸いはしないだろうけど。

「言い切れるのは、央輝の凄いところだと思う」
「ああ? どういう意味だ」
「うん。実のところ、まだ僕は割り切れていないんだ。僕の家族のこと」

 惠のお墓から一歩離れて、正門の隙間から敷地内を見通す。
 放置されたままの焼け跡。焼け残った部分もそのことごとくが自重に押し潰されてしまった。更に屋敷だけでなく庭に広がる草木も含め、そこには未だに灰が積もっている。炎の爪痕はずっと奥まで続いていて、雑木林の一部も黒く変色していた。
 あの日の晩、あの人が放った火の手の強さを物語る。

「肉親か。あたしは生まれた時から奴らをクズだと認識していたからな、死んだと知っても何の感慨もなかったが……」
「父さん母さん、それに姉さん。父さんは最低で、母さんは殺されていて、姉さんはまさか生きてて、でも狂ってしまっていて。その誰もに対して僕はどういう感情を持てばいいのか、正直さっぱり分からなくなってる」
「生真面目な奴だ。そういう奴は早死にするぞ」
「それは困るかな」

 惠の墓を見つつの央輝の言葉に、苦笑混じりに返答して。
 僕はそう易々と死んじゃうわけにはいかなくなった。僕のために犠牲になってくれた人たちみんなのためにも。そして、僕を信頼してくれている仲間たちのためにも。

 責任を感じることすらない、と央輝は言った。それはきっと強さだ。
 この世界は一分の隙無く呪われている。僕らに呪いがなくなったとしても、それは決して変わらない。これは呪いの話。僕らはみんな、呪われている。
 始めから、これはそういう物語。

 ……敷地の奥に視線を送り、姉さんが居た離れの方へと目を移す。ここからでは雑木林に隠されている、外界から隔離されたこの敷地の中でも更に隠蔽された場所。幽閉ともとれるそれは、僕の呪いを肩代わりしてくれていたせいもあった。

「探すのはやめたのか」

 ぽつりと漏らされた声。央輝は僕がどこを見ているのか、あるいは何を考えていたのか、おおよそ察しがついたらしい。

「はじめのうちは必死だったけどね。最近はもう、見つからないんじゃないかというか……なんか、そんな気持ちになってるかな」
「お前にしては随分諦めが良いんじゃないか?」

 普段は諦めが悪いくせに、と言外に皮肉を含めて、央輝が真面目な顔をして言ってくる。僕自身もそう思うけど、なんて他人事のように頷いて。

「だから分からないんだ。僕は姉さんに大きな負い目がある。憐憫とすら言える感情だってある。けどそれと同時、軽蔑や諦念の感情も多分にあるんだ。焦点の合わない瞳で茜子たちの死んでいくさまを呟いた姉さん、亡霊みたいな手で僕を抱きしめ狂ったように泣き叫ぶ姉さん。今でも思い出すだけで身震いするようなそんな印象は、余計に僕を混乱させる。だからもしかしたら僕は、心のどこかで既に姉さんに見切りをつけてるのかもしれない」

 全てが終わった後、僕は泣きに泣いた。
 惠の死もある。けれどそのほかに、僕の父さんがそんな人間だったこと、母さんが殺されていたこと、姉さんがあんなになってしまっていたこと、そのどれもが等しく悲しかったのだ。特に姉さんに関しては、僕の無力さを嘆きもした。今まで苦しみを押しつけていた自責の念に駆られもした。
 ――けれどそこに、姉さんが失踪したことに対する悲しみは、今考えると無かったように思えてならない。

「確かに僕は姉さんを捜していた。でもそれは居なくなった肉親を捜すっていう、ある意味では当然のことをしただけなんだ。困っていたら助けたい。そのくらいの感情は僕にもあるし、一緒に居るのを嫌がるほどに姉さんを憎むように、嫌うようになったわけでも断じてない。罪滅ぼしの念ももちろんある。でもそれらは、今の幸せな生活を削ってまで一心不乱になるほどのものでも、もう無いんだ」

 口に出してみて、それがきっと今の僕の姉さんに対する率直な感情なのだろうと改めて思う。
 そしてそれが仕方のないことだと断じることができるほど、僕はやっぱり強くない。

「非道いかな、やっぱり」

 惠の墓を前にしてのそんな告白。
 懺悔のようですらあるそれを、惠はどんな気持ちで聞いてくれているだろう。もしそこに居たら、どんな答えを寄越すだろう。いつものアルカイックスマイルをたたえたまま、相変わらず回りくどい言葉で僕を慰めてくれるだろうか。それとも時折見せる強い口調で僕を窘めてくれるだろうか。

 ……風を感じる。さざめく枝葉が一瞬だけ僕らに影を落とし、合わせたように央輝が塀からその身を持ち上げた。わずかな時間遮られた太陽光。央輝は影になった木の葉を見上げる。表情から、その感情は窺い知れない。

「生きてる連中すら裏切る奴に、死人の枷を説いてどうする」
「姉さんはまだ、死んだと決まったわけじゃないけど」
「ハッ、言ったろう。強いヤツが、生きてるヤツが正しいと。相手がどうであれ、裏切るのなら胸を張って裏切っていけ。お前は知っているはずだ、ここはそういう世界だってことをな」

 央輝には容赦がない。甘えは死だから。
 その割り切り方に、反発と尊敬を同時に覚える。

 姉さんを裏切れと、そして裏切ったならそれを受け入れろと、央輝はそう言っている。それは慰めでも叱責でもない、単なる事実の提示。

 るいやこよりだったら、それでも姉さんを探すべきだと言ったろう。僕の唯一の肉親なのだから、探すのは当然だと。
 花鶏や茜子だったら、僕の考えを肯定してくれたかもしれない。肉親だからといって、繋がっているとは限らないのだからと。
 伊代だったら、どっちつかずの僕と一緒に悩んでくれたと思う。何が正しくて何が間違っているのかなんて、結局分からないのだからと。

 けれど央輝は、そのどれでもない道を僕に要求してきていた。

「相変わらず手厳しいや」
「慰めなら他をあたれ。あたしは専門外だ」
「うん、知ってる。央輝がそうやって強いことも、世界が呪われてることも」

 呆れるくらいに一分の隙も無く呪われている世界。
 広がる空はこんなにも綺麗なのに、その下で起きているのはいつだって命のやりとりだ。サバンナの大自然だって、コンクリートのジャングルだって、僕らはいつも呪われている。

「それでも――」

 だから、敢えて口にする。

 ――それでも。
 そう。たとえそうであったとしても、それでも僕は、僕だけは、姉さんを切り捨ててはいけないんじゃないかと、そんな迷いがあることを。

 弱さは死だと、央輝は言った。
 確かにそうだろう。けど、僕は僕自身に対する弱さがあったからこそ、こうして呪いを解くことができたというのもまた事実なのだ。僕が完全無欠に孤独であり続けられるだけの強さがあったなら、るいたちの善意を突っぱねることができていたのなら、僕は今ここにこうして居ないはずだ。

 一人で生きると言った央輝。
 でも彼女もまた、運命共同体という名の”群れ”に身を託して、そしてだからこそ。

「……そうだな」

 ざくりとブーツで土を踏み、央輝が二、三歩前へと歩み出る。
 上を向いたままの表情は一気に眩しげに。それはつまり、風のいたずらで出来ていた小さな影から出た証。白い肌で陽光を弾きながら、央輝は自嘲するように口を開く。

「それでも割り切れないのなら、狂う以前の姉に誓って生きてみろ。自身が狂うと知ったなら、自分を切り捨ててでもお前に幸せになって欲しいと願うはず。そのくらいの免罪符、世界と折り合いをつけられるならあってもいいんじゃないのか」
「なんだかとっても身勝手な気がするけれど」
「嘘つきよりはいいだろう?」

 冗談とも本気とも取れるそんな予想外の言葉に、僕は一瞬思考を忘れた。まるで炎天下、立ちくらみでも起こしたよう。
 相変わらず咄嗟の事態に弱い僕。再起動を果たす頃には、央輝は既に僕の眼前から消えていて。振り返る。彼女はとっくに塀から離れ、新市街の方へと歩き始めていた。

「長居しすぎた。あたしはもう帰るぞ」

 こよりより短いミニスカートをはためかせ、央輝が荒れ果てた道を歩き去っていく。荷物はない。結い上げた髪がふらふら揺れるさまはるいのそれに似ているようでもあって、コートも帽子もないその姿、かつての孤高は微塵もなかった。

 央輝の言葉に、頭は混乱したままだ。それでも央輝が先に帰ってしまうのが何だかとても名残惜しくて、急いでその背に声をかける。

「うん、じゃあ僕もそろそろ」

 地面に置いた鞄を手に取る。そのまま足元に目をやって。

「またね、惠」

 物言わぬ十字架に再会を約束。
 今度は僕たちみんな揃ってお参りに来よう、なんてことを思いつつ。サプリメントの箱や花束は、きっと浜江さんか佐知子さんがどうにかしておいてくれるだろう。だから僕は賑やかになったお墓に手を加えることなく、その場を離れる。

 そうして、一歩離れたところから今度は塀のずっと奥、雑木林の方を見上げて。

「……」

 さよならか、あるいはありがとうか。
 今の僕には分からない。分かるのは、「ごめんなさい」と言えなくなったことだけだ。

 ぽつりと置かれた、それでいて賑やかな惠のお墓。そしてその真後ろにある塀の向こう、赤くなり始めた高い空。
 広がる雑木林の奥に言うべき言葉は今はない。無言のまま視線を切り、僕は央輝を追って屋敷のあったその場所を後にしたのだった――。

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