はねだ55(ごぶんのご)

[a reaction from an observer]
 ぴぴぴぴぴ――――。
 鳴り響く目覚まし時計で目が覚めます。手探りで時計を探しあて、がちゃり。深い眠りにあった身体が頭ともどもゆっくりと覚醒していって、まどろみを振り切りむくりと上体を起こします。ぽりぽりと誰かさんのように頭を掻きながら、ふわあと大きなあくびを一つ。
「ま、ぬるっと起きますか……」
 ベッドから降りてカーテンをざっと引き開けます。差し込んでくる日の光。すでに小鳥さんたちが鳴いているような時刻ではないけれど、それでもねぼけた頭に朝の到来を告げるには充分すぎるほどのものでした。
 頭を揺すりつつ、フリファのポスターをうっとりと眺めてから普段着へと着替え。アッ、ちなみにこれ自慢ですけどあのポスター以外に本人たちの直筆サイン入りの色紙が最近手に入りました。日和子さんに話したらもう期待通りの反応を示してくれちゃいまして……この話聞きたい? 聞きたいでしょ? え、いい? ああ、そうすか。じゃーまあ、機会があればってことで。
 そのまま部屋を出て階下に降り、廊下の奥から聞こえてくるTVの音を背後に洗面所へと向かいます。顔を洗って、ちょっぴり髪を整えて。鏡には少しばかり眠そうな千歳鷲介が映っています。アレキサンダーに行く前にもう一眠り必要かしら、前髪吹き上げつつそんな予定を立ててみて、ようやく居間へと向かいます。
 昔ながらの引き戸を開けて、いつも通りにぬるっと挨拶。
「はーい、朝でも夜でもコンバンワ! 今日も元気にぬるっと行きましょう!」
 言いつつ片手を挙げて居間へと入れば、
「お、おはようございます。ちと……じゃなかった。えと、チィ兄ちゃん」
「おはようございます、千歳さん」
 既に食事を終えつつあった二人が、手を休めて朝の挨拶を返してくれました。
 朝起きたあとで挨拶をする家族がいるという幸福。



「え、えと、トーストでいいですか」
「あらっ、小鳩さんったら用意してくれるの? でも悪いなあ、これから学校でしょ?」
「でも、私、もう自分のぶんは食べたのでだいじょうぶです。すぐできるのでまっててください」
 別に起きる時間を伝えていたわけでもないのに、急に現れた俺に対して嫌な顔ひとつせずそう言って、とたとたと台所へと向かう小鳩さん。
 やだもうなんて健気で可愛らしいんでしょう。ホント、よくできた妹さんです。普通あの年頃だったら、むしろ親に甘えて怒られる側でしょうに。今度みんなでどこかへ連れていってあげようかなとも思います。
 アッ、別に俺、シスコンとかロリコンとかじゃないですけどね。ええ、誰かさんたちと違って。
「いやあ、でもなんかごめんねえ、これから出掛けるって時にこんなんが起きて来ちゃって」
 窓側の、ちょうど空いていた席に腰を下ろします。忙しい朝に肩身が狭い。それでも隣に座った彼には、小鳩さんと同様に微塵も気にした様子はなく。
「そんなことないですよ。千歳さんはアルバイトもあるし、ライターのお仕事まであるんですから。むしろゆっくり寝ててもいいのに規則正しい生活を送ってるなんて、偉いと思います」
「あらー、そんな褒められたもんでもないと思うけどねえ。けどそう言われちゃうと嬉しいなあ」
 たはは、と笑いながら頬を掻きます。相変わらずなのは、トーストを食べながらのタカシ君。俺から見れば、きちんと登校しているそんなタカシ君の方がよっぽど偉いと思うんですけれど……そう言ったところで彼は否定をするでしょうから、賞賛の言葉は胸の中で留めておきます。
「それでタカシ君、学園の方はどう? 卒業アルバム作ってるって聞いたけど」
「えっ、あ、はい。順調ですよ。渡来さんや針生さん、山科さんが頑張ってくれてますし……それと、ぱね田くんのリーダーシップのおかげかな。あっ、ぱね田っていうのはヨージくんのあだ名で、渡来さんがつけたんですけど」
「リーダーシップ! ヨージ君の!」
 相反する属性に思わず素で驚きます。
「いや彼、リーダーシップっていうよりは場をしっちゃかめっちゃかする方だと思うんですけど……。それとも、明日香さんや蔵人君だからこそ上手くいく、とかなのかしら」
「そうかもしれないですね。高内さんとかも、ぱね田くんの言うことは結構聞いてくれたりしますし」
「私の知らないあなたがそこにっ!?」
 というかヨージ君、学園でも傍若無人ぶりは健在なのかとむしろ感心さえしてしまえます。蔵人君たちのような個性的な面々を引っ張るにはむしろ都合がいい部分もあるんでしょうか。それを語るタカシ君の顔もどこか楽しげで、ああ、やっぱり青春っていいなあとちょっぴり年寄りくさいことも考えてしまいます。
「あれ、それでそのヨージ君は? 今日は休み?」
「ああ、ぱね田くんなら庭にいますよ。このあいだ小鳩からもらったマフラーの温かみをいっそう感じたいとかで、ご飯を食べたあとはマフラーを巻いてずっと外に居るんです。風邪ひかないといいんですけど」
「……そう。ま、大丈夫じゃないかなあ」
 テーブルから離れ、カーテンの横から庭へと目を向けます。寒さ厳しい窓の向こう、タカシ君の言うとおり制服の上にマフラーを巻いて恍惚の表情を浮かべたまま寒がっているヨージ君が居ました。
 なんとかは風邪ひかない。そんな格言が脳裏を掠めます。ぐれっす、ぐれっす。
「あ、あの、トーストやけました、どうぞっ」
 そうして居間への目を戻すと、小鳩さんが焼けた二枚のトーストをお皿に載せて持ってきてくれているところでした。
「あら早い。ありがとねー」
「いえ、このくらいなんのことはありませぬ」
「ああそうだ小鳩、今日は卒アルの作業で遅くなるかもしれないから、晩ご飯は適当にどこかで食べてくるよ」
「うん、わかった。あっ、お兄ちゃんまだ外にいるの? もう、風邪ひくよー?」
「それじゃ、いただきまーす」
 忙しなく今度は庭へと降りた小鳩さんに感謝をしつつ、トーストにバターを塗ってぱくり。さくりとした食感に、ふわっとした甘さが口の中へと広がります。もぐもぐ。たいへん美味しゅうございます。
 俺が食べ始めたころにはタカシ君の朝食も終わって、彼はいまだに湯気ののぼっている食後のお茶をずずっと一口啜ります。そのまま二人して特に興味があるわけでもないTVの内容を「また同じこと言ってる」「ネットで見たんですけど――」なんて話していると、がらがらっと玄関の開く音。席を立とうとしたタカシ君を制して、立ち上がります。忙しい朝、時間を取らせるわけには参りません。廊下から玄関へと出ます。
「はいはーい、どちらさまでしょう?」
「どちらさまでしょうじゃねえよ、こんな時間からセールスが来るかっつのブッ殺すぞコノヤロウ」
「あら隼人君。おかえり、伽楼羅君は一緒じゃないの?」
「あァ? 知らねェよ。……いや、確かヘテロで鳳がアトリエに連れてくとか何とか言ってたような……」
 隼人君が相変わらずかったるそうに思い返します。本当にそうなったかどうかは後でカケル君に聞いてみることにするにしろ、もしそうなら安心です。カケル君も俺は決して入れてくれないくせに、伽楼羅君はあっさり招待するあたりは本当よく分かりませんけど。
「隼人君は今日はこっちで? 朝はまだ手をつけてないトーストが一枚あるけど、どうする?」
「あー助かる。ハラ減って死にそうだわ。……あと鳴ンとこ、今日はお手伝いサンが来るんだと」
「へえ。ま、うちもお手伝いさんとか雇えれば、小鳩さんの負担減らせるんですけどねえ」
 ふっと髪を吹き上げて、隼人君とともに居間へと戻ります。タカシ君は鞄でも取りに行ったのでしょうか、すでにそこには居らず、かわりにヨージ君がトーストをぱくついていました。……え、トースト?
「おー、おはよう鷲介と隼人! あはは、相変わらず隼人は目つきが悪いなあ」
「うるせえブッ殺すぞコノヤロウ。俺は夜勤明けで疲れてンの、テメェのクソたけえテンションに合わせてられるか。……それで、鷲介、俺のメシは?」
「あー……うん。たぶん、ヨージ君が食べてる」
「ハァ!?」
 隼人君の目がざっとテーブルを見渡します。小鳩さんとタカシ君の食べ終わった食器、食べてる途中の俺の皿、関係ない席でトーストをはむはむしているヨージ君。ごくりと飲み込んで、あっさりと俺の座っていたところにあるコーヒーに手をつけぐびりと飲み干します。
「いやあ、やっぱり朝食はちゃんと食べないといけないからな! 実はタカシたちより先にトースト三枚は食べてたんだけど、育ち盛りにはちょっぴり少なかったからそこにあったトーストをついもりもり食べちゃったよ! いやあ、お兄ちゃんの腹具合まで分かるなんて小鳩はコバト気が利くなあ!」
「おい、おいクソガキ。テメ人が肉体労働して帰ってきたってのにメシかっさらうとか良い度胸してんじゃねェか。食うな、人のメシを勝手に食うな」
「え? いやいや、でもこれ鷲介のひとの朝食だし」
「パン泥棒確信犯!? いやどっちにしろダメでしょ、なに平然と『鷲介のならいいや』みたいな態度とってんのキミ!?」
「ええいなんだなんだ、みみっちい! 俺たちみんなで仲良く協力しあうって約束したじゃないか! それがどうした、トーストの一枚や二枚で!」
「自分のことは棚に上げ!?」
「もう、お兄ちゃんたち近所めいわくでしょ! あとチィ兄ちゃんと成田さんのぶんもいまやいてるからちょっとまってて!」
「あ、はい、ごめんなさい……」
 よくできた妹に叱られ、情けないお兄ちゃんたちは反論するすべもなくしおしおとテーブルにつきます。「いやあ登校前なのに悪いよ」なんて言える雰囲気でもありません。テレビのアナウンサーの脳天気な声が心の正座に突き刺さります。
「おいテメ、俺まで小鳩に怒られたじゃねェか」
「いやいや、でもトーストを用意してお兄ちゃんのフォローをしてくれるなんて、やっぱりうちの小鳩はコバト偉いなあ」
「あの、ヨージ君? それ君自身はすごい情けない立場にあるってこと分かって言ってる?」
「はい、二枚ずつやいたから。トーストくらいでけんかはだめです!」
 出される新しい二枚のお皿。そのうえ「めっ」と釘を刺されては、平伏する他ありません。頭を垂れてありがたきトーストをいただきます。
「あれ、成田さん帰ってたんですか。いつもお勤めごくろうさまです」
「おう、鷹志か。お前らはこれからお勤めだろ? ま、いっちょ頑張ってこい」
 鞄を取ってきたタカシ君に対し、左手にトーストを持ったまま、右手で元気づけるように目つぶしピースを放つ隼人君。けどそれに対して平然と「どうもありがとうございます」と返せるタカシ君は、やっぱり大物だと思います。あれ、どう見たってケンカ売られてるようにしか見えませんもん。
「おいおい隼人、俺だってこれからお勤めだぞう。俺のことも同じようにもりもり応援してくれたっていいんじゃないかな」
「あァ? うるせーよ、鷹志ならともかくお前に頑張れなんて言ってやる筋合いねぇよ。糞カラスと一緒に留年でもなんでもしてろっつの」
「兄弟間格差社会!? ……あヤバッ、いまの鷲介っぽくてコバト寒かった」
「また間接的バッシング!?」
 二人の会話を聞きながらひっそりとトーストを食べてただけなのに! ひどい! どのくらいひどいかっていうと、本人がいないときにぽろっと出た愚痴を、日和子さんの目の前で暴露しちゃう英里子さんくらいひどい!
「いいですよ、ふんだ。でもねえ、俺のことはさておくとしても、リアクションをけなすのはおいちゃん許さないよ。それすなわちヨッくんの魅力が分かってないってことだからね」
「ああ、なんつったっけ、あの、例のグループで一番人気ないやつだろ」
「ちょっと隼人君! 引き立て役がいてこそエースが光るって毎回言ってるでしょ! あといい加減フリファの名前覚えて!」
「あ、でもネットで見たんですけど、ホソリューは例外としても、フリファ全体として見たときにヨッくんが不可欠だって思ってるファンは結構いるみたいなんですよ」
「マーベラス! そう! そうなのよ! だっていうのにもう、日和子さんでさえホソリューホソリューって。いやいいっすよ、そりゃフリファのホソリューだっていいですけどー……」
 先日のギバラ公演だって、ホソリューが来ないって分かった時点で目に見えてテンション落ちましたからね日和子さん。恋人が凹んでしまった悲しみと、その理由がホソリュー不在で「ヨッくんいい」だったことへのもどかしさでついついヨッくんのよさを延々語ってしまったことは、今ではちょっぴり反省しています。ちょっぴり。
 あれから数日間のひよちゃんの落ち込みっぷりったらなかったなあ、なんて思い出しつつトーストをかじかじしていると、台所に食器を下げていた小鳩さんが戻ってきました。鞄を抱えて準備万端の様子です。
「あ、あの、私たちはそろそろ出かけようと思うのですが」
「え? ああそっか、もう出ないといけないころだね」
「なにっ、もうそんな時間か!? ということは――来たっ!」
 ぷるるるる、と電話の呼び出し音が鳴り響き、ヨージ君が居間を駆け足で出て行きます。電話の相手はセールスのキッカワさんだとか。本人たちも楽しそうですし、小鳩さんとタカシ君は本気で分かってなさそうなので特に野暮なことは言いません。ちなみに隼人君にとってはどうでもいいらしく、無言のまま三枚目のトーストに手を伸ばしていました。
「えと、それじゃあ行ってきまするので、出掛けるときは戸じまりよろしくおねがいします。成田さんが起きるころまでには、あの、私は帰ってくるつもりなので」
「オウ、行ってこい。んでバリバリ勉強してこい。バリ勉しろ、バリ勉」
「ええ。じゃあ成田さん、千歳さん、あとよろしくお願いしますね」
「はいはーい、まっかせなさい。あ、日和子さんに会ったらよろしく伝えておいてねー」
 それじゃあ行ってきます、と言って二人が出て行きます。電話口でちょっとばかし問答していたものの、しばらくすると玄関から三人分の足音が出ていきました。青春キャンパスライフ。ちょっぴり憧れますけれど、六時間も座りっぱなしでバイト代も出ないというのは、外から見てるとかなりの重労働な気もします。ええ、イーグルは短期集中型ですからね。
「……ゴチ、と。じゃ俺も寝るわ。昼も別に起こさなくていいから」
「りょーかい。あ、机の上ちょっと散らかってるけど放っといていいからね」
「おう。んじゃな」
 一枚でいいと言っていたわりには人のぶんまでたっぷり食べて、隼人君はあくびしながら居間を出て行きます。行き先は俺が先ほどまで寝ていた場所。きっと夕方までぐっすり眠ることでしょう。
「はー……」
 改めて注いでもらったコーヒーを飲み干して、一気に静かになった部屋でひとり息を吐きます。テレビは先ほどまでのワイドショーが終わり別の番組へ。興味もないのでリモコンで電源を落とし、それなりの満腹感とともに畳の上で寝転がります。
「楽しいなあ」
 天井を眺めながらそっと呟いて。
 アレキサンダーの午後業務に備え、騒がしかった朝の残滓の中で少しばかりの休憩をしておくことにしたのでした。


 ま、これも、とある”たとえば”の話だったということで――――


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Short Story -その他
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