成田工務店アレキサンダー

[a reaction from an observer]
 成田工務店。
 いや工務店といっても別に工務に勤しんでるわけでもなくて、まあそりゃ向き不向きから言えば工務っぽいことのが多いっつーかそりゃオメ現役バリなハードボイルドの俺が笑顔で「いらっしゃいませー」なんて言えるわけねーんだけど、ともかくホラ、分かんだろ、何でも屋なんてやってる以上、そりゃ嫌だけど金のために俺だって我慢の一つや二つ、ガキじゃねえんだからすることもあるんだけどさ。
 逆に言えばカネにもメシにもなんねーことは一切合切荷物全部纏めてお引き取り願うわけだが、今回はあのへらへら顔のせいでそういうわけにもいかなくなったっつー話なわけ。
 ……は? チャリ探しはタダで手伝ってるだろうって?
 うるせーあれはいいんだよあれは。どうせ本気で探してるわけじゃねーっつーかいやまあ探してないわけでもないけどってうるせーよブッ殺すぞコノヤロウ。

 ともかく。
 まあこれも、とある”たとえば”の話なんだがな――――






       ○  ○  ○






「ん……?」
 虚ろな意識、霞んだ視界が徐々に晴れやかになっていく。慣れたっちゃあ慣れたような、そうでもないっちゃそうでもないような、毎日起こる俺にとっての一大イベント。どっかのルーズな野郎のせいで不本意にも寝坊することは多々あるが、俺自身の目覚めはそう悪いもんじゃない。
 戻りつつある現実感の中、動く神経を総動員して周りを見回す。クソみたいに豪華な便所。鷲介の奴は気に入ってるようだったが、クソまみれの場所がクソみたいにどうであろうと俺に取っちゃどうでもいい。ああもちろん、目覚めの場所がグローヴ街の路地裏だったりするよりは、そりゃあこっちのが幾分マシではあろうけど。
 言うまでもない、ここはいつも俺たちが≪コックピット≫を交代する、アレキサンダーの便所だ。
 あいつがバイトなんぞを始めたせいでここ最近の目覚めは大抵ここからとなっていた。それまでは駅前のベンチだったり、ファストフード店の椅子だったり。なかなか自宅以外で、しばらくぼうっとしていても大丈夫な場所というのはないものだ。≪取り決め≫で座りながらもしくは横になりながら、という条件があるから、鷲介のこと、一度めぼしい場所を見つけたらその場所からのスタートになることがよくある。その点俺は自宅でタカシのベッドで寝ればいいだけだから、そういう心配はないのだけれど。
 ともかく、さてそれじゃ今日も出勤と行きますか。よっこらせ、と声に出しそうになりながら立ち上がろうとすると。
「あ?」
 右手。いつかのように、その手がメモを握っていることに気が付いた。
「また何かたりい厄介事だったりしたらブッ殺すぞコノヤロウ」
 いまは≪待機室≫に居るだろうヤツに心の底から悪態ついて、仕方なくメモを広げる。捨て去って知らぬフリをするという選択肢は残念ながら出なかった。
 目に入る鷲介の柔らかい文字。男の癖に女々しい筆跡で書きやがって、とその字を見る度いつも思う。
「……あァ?」
 そうして開いてみればその内容、見えてきたのは全てが漢字。コブンだのカンゴなんてのは過去を振り返らないハードボイルドには必要あらず、さてゴミ箱直行かと思いきや、よくよく見れば並んでいるのはどうにも人名らしかった。一応目を通してみる。
『玉泉 日和子』
『望月 紀奈子』
『日野 英里子』
 以上三行。だから五行以下ならいいってもんじゃねーぞコラ。用件がさっぱり書いちゃいねえ。しかもどいつもこいつも似たような名前だし、揃いも揃って○○子って。昭和かよ。
「っつか、意味わからん。一人もしらねーぞ。人捜しなら興信所にお頼みくださいっつーの」
 あのニワトリやその妹のことがあるから、一応名字のみでも頭の中で思い当たる節を探してみたものの、どのみち知り合いにそんな名前の奴はいなかった。かすかに引っ掛かったのはAV女優の多摩いづみだけだ。まさか関係はないだろう。
 そもそも尋ね人かどうかすら分からない。謎かけの遊びだったらお仲間相手にでもやっててくれ、と心の中で愚痴を吐き、メモを尻ポケットに丸めて突っ込み腰を上げる。
「ん?」
 立ち上がりざま、ふと身体が感じたかすかな窮屈。まだ慣れきっていなかったか。
 まあそれでも構わないと思い直し、そうしてようやく時計を見る。長身の針は文字盤の3の位置、つまりは時刻は10時15分。約束の時間より15分早い。
「なんだ、やればできるじゃねーかあのヤロウ」
 それとも肝っ玉の小さい鷲介のこと、詫びも兼ねて早めたのだろうか。まあどうであれ早く交代できたのは事実、余った時間はパルクレープで時間を潰すことにしよう。
 ……あ? 別に誰かが早めに来てるのを期待してるとか、そんなんじゃねーよ。ねーっつってんだろブッ殺すぞコノヤロウ。
「って、オイ、人が折角褒めてやったっつーのに」
 そのまま便所から出ようとして気付く。いつもここまで持ち込まれているスポーツバッグが便所内にない。
 まさか無くしたりはしてないだろうが、ここにアレがないということは鷲介の格好のまま外に出ないといけないことになる。誰もいなくなっていればまたスポーツバッグを取りに行った後便所に戻って着替えればいいが、そうでなければ厄介だ。まあ、どっかのファストフード店で今度は便所だけ借りれば済むことなんだが。
「めんどくせえ」
 言いつつ、かといって折角の15分、無駄にすることもないと思い、さっさとみんな帰ってろ、でも施錠はしねーかんな、と念じながら便所のドアを開けてみれば。
「……あン?」
 目に飛び込んできたのは、普段とは違ってまばゆいばかりに明るい店内。流れるのんびりとした曲調のBGMに包まれたそこではそこかしこのテーブルに客と思われる人間が思い思いに座っていて、その合間を駆け巡るのは同じ制服を着た従業員たち。
 え、意味わかんね、なにこれどう見ても営業中だろ、なんて独り言を吐く余裕もなく呆然と突っ立っていると、すぐさま目まぐるしく動いている従業員のうちの一人と目があった。キツそうな目元が一気にきりりとつり上がる。
「千歳さん、どこに行ったかと思えばまたトイレですか! ああもう、さっさと3番テーブル片付けてきてください! あっ、少々お待ちくださいお客様、ご注文ただいまうかがいます!」
「…………あァ?」
 理解が追い付かぬまま視線を落とせば、来ている服は鷲介の私服ではなくアレキサンダーの男性用給仕服だった。どうりできつい感じがしたわけだ、なんて納得する余裕もなく。
 アレキサンダーの閉店時刻は10時だったはずだ。延長したのか、だとしてもこの状況はなんなんだ、巡る疑問を抑えてアレキサンダー店内の時計へ目を走らせる。指し示していたのは便所のそれと同じ、長針が3の文字盤の上。しかしよくよく見れば、短針が10よりむしろ9の方へと寄っていた。
「9時……15分」
 バカみたく現在時刻を読み上げる。
 唖然。きっと今の俺の口は、あの小娘みたくぽけらっと開かれていることだろう。
「千歳さん! 早くしてください!」
「……」
 再びの叱咤に、呆けた頭がようやく回転し始める。
 テーブル二つ向こうのキツい女に文句を垂れるより先に俺は口を開いてこう言った。
 勿論、へらへらしたあの超絶早退野郎に向かって。
「ブッ殺すぞコノヤロウ」






       ○  ○  ○






 迷うはずがなかった。
 兄貴たちが困っているなら手を貸すことはもちろん条件次第ではアリだが、それでも≪取り決め≫を大きく逸脱してる奴の体裁を保つためにどうこうするつもりは更々ない。しかもタカシの≪スクランブル≫ならともかく、相手はあの鷲介だ。最近多い延長ともども、ちょっと痛い目見せて反省させるくらいが丁度いいというものだろう。
 ましてやあれだ、ハッ、接客業? ハードボイルドが凡人相手にへこへこしてられるかよブッ殺すぞコノヤロウ。
「千歳ー、3番お願い!」
「うっす、了解っす」
 ……。
 いやオメちょ違うんだって、こう、ほら、なんつーの、集団圧力? いやちげーよ、あれだ、ハードボイルドとしては? 困ってる奴を無言のまま助けてやるのも美学っつーか? ほらへこへこするっつってもカネもらって仕事する以上は俺だってあのプリン頭に敬語使うし、それと一緒って考えればまあやってもいいかって思ったわけよ。いやマジで。
 ってかそもそも時間がエグすぎるだろ、なんだよ45分前って。1時間以上あれば余裕でブッチしてララバイ鷲介な気分にもなるし、あと10分とかなら急ぎの用事とかで抜けられたりもするはずだ。ダメもとで便所から出た後にあの無精髭にそれとなく進言してみたりもしたものの、「いやあ今日は鷲介が居て助かったな!」なんて笑顔で言われてあっさり断念。ああいう手合いはやっぱりダメだ俺。
 というわけで首都高下を思い返しつつ、がしがしと頭を掻きながら、残った手で服のポケットに入っていた機械を取り出して注文を取るフリをする。ったりめーだ、こんなでっかい携帯電話みたいのなんか使えるかボケ。
 45分。それだけなんとか誤魔化し通せばいいんだ。頑張れ俺。
「えーと、じゃあ、はい。ご注文は何にしましょうかコンチクショウ?」
「はい……?」
 間違えた。
 よく分からないが、ここは一丁、接客業の知り合いの真似で乗り切ることにしよう。
「あー、えー……あいよ! 注文どーんと言っとくれ!」
「あらあら、面白いウェイターくんね。ええと、じゃあこのトマトとモッツァレラチーズのサラダと――」
 目の前のおばちゃんは俺の気前良い接客態度にたいへん満足したようで、そのまま注文を読み上げていった。もっつぁ……あンだって?
「ま、いいか」
「え?」
「あ、いや、こっちの話。……ッス」
 注文を聞き終え、軽く一礼して席を離れる。店内を一瞥し、厨房らしき方へと店内を遡り。さてどうすればオーダーが通るのだろう? 迷ったものの、まあ、正規の手順である必要もあるまいと思い、ちょうどそこに居た男スタッフに注文を言うことにした。エプロンをしているから厨房のスタッフには違いない。
「あ、おい、注文だと。えーっと3番テーブル。モッツァなんとかのサラダと、デミグラスうんたらスパゲティ一丁」
 言うと、そいつは目を丸くして。
「え? いやいやちょっと、注文はちゃんとしてくれないとさ、千歳君」
「あァ? んだ黒ブチメガネ、モッツァレラだか胃もたれだか知らねーが、テメエはそんな細かいメニューにまで対応すんのか? デミグラなんたらの後がどうなってるかでつゆだくになったりネギ抜いたりすんのか? あ?」
「あ、と、いや、そんなわけじゃないけど……」
「じゃいいじゃねェか。ってわけで二つよろな」
「ちょ、千歳君!?」
 ボロを出す前にさっさと切り上げ、さも忙しそうにフロアへと戻る。
 ……なんだ、つまりはこの程度の繰り返しだろう? 別に個人商店の営業主じゃねえんだ、マニュアルこなすロボットみたく対応すりゃ何の問題もない。そりゃ普段の鷲介に比べりゃ愛想なんてのはなかろうが、ラスト45分、全労働時間から見れば誤差だ誤差。そもそもあいつの≪スクランブル≫のせいだしな。
「あ、店員さん、お会計お願いできます?」
 そうしてフロアをうろうろしていると、今度はレジ近くで声をかけられた。うぜぇ。
「うぜぇ」
「え?」
「ああいや、ちょっと本音が漏れただけだ。伝票はーっと」
 レジくらい、俺だってコンビニやその他色んな場所で見慣れてる。入力なんてのはやはりできやしないが、金もらって釣り銭払うくらいの頭はあるつもりだ。
「あー、んじゃ1408円になります。レシートはよろしいな?」
 いえ要りますとか言ったらどうなるか分かってンなコノヤロウ、と念のためガン飛ばしつつ。
「へ? は、はい、よろしいです」
「んー、2008円のお預かりで、あー500? いや600か、600円のお返しだコノヤロウ。……ああいや、600円のお返し、です。あい、毎度ー」
 500円玉と100円玉1つずつをレジから取り出して、お釣り受けに転がす。男性客はそれを受け取り、不思議そうに首を捻りながらもあっさりと外へ出て行った。それを見送ってレジ対応完了。いや人間、やればできるってもんだ。
 と思いきや。
「ちょ、おい千歳!」
「うおっ!? なんだオイ、びびらせんなってマジで」
 いきなりでかい声で名前(鷲介のだけど)を呼ばれ、ガラにもなく驚きつつ振り返る。
 さっき俺を3番テーブルに向かわせた、勝ち気な従業員の女がそこに居た。そういえば鷲介から≪コックピット≫を代わったあと、何度か見かけた気もする。客として来ていた頃からの知り合いということだろう。
「ビビるもビビらねーもこっちがビビったっつーの。おまえなにやってんだよ、出店の屋台じゃねーんだから金もらってハイ終わりでいいわけないだろーが」
「あァ? いいだろ別に。なんだ、客にガムでも配ンのか?」
「どこの焼き肉屋だっつーの。ってかなんだその言い方、寝ぼけてんのか私にケンカ売ってんのかどっちだよ、え?」
「っだてめ、ナメくさってっと――」
 その付け睫毛むしり取ンぞコノヤロウ、と続けようとして言葉を止める。普段であればここで退くことはありえないが、丁度良い、調子の悪いということにしてしまおう。
「――っつーわけで調子悪いんだわ、レジ代わりにやってくれる? ああ、皿下げたりはできるから」
「いやいや意味分からんし。あーでも、そっか、さっきから便所行ってたのはそのせいだったりすんの?」
「おォ? おーおー、そんな感じそんな感じ。なんだ、馬鹿っぽいナリして頭ァそこそこ回るじゃねえか。んじゃそういうことで頼むわ。あー……」
 三択。胸をちらりと見るが、あいにくそこに名札はなかった。
 直感に従って切り抜けるしかない。幸い、俺の勘はよく当たる方だ。
「あー、玉泉?」
「ん? たまひよがどうかした?」
「あ、違ったか。まいいや。じゃあタマヒヨじゃないどっちかのひと、レジ頼むわ。調子の悪い鷲介のひとはテーブルの片付けに精を出すからよ。も、無機物相手の片付けなら超慣れてっから、マジで」
「はあ? ま、いいけどね。っつか調子が悪いならもっと早く言えっつーのもう。あ、客来たからどいたどいた」
「お、おう」
 しっし、と手の甲で振り払われるままにその場から退く。すぐさま「はい、お会計承ります」なんてマニュアル声が響いてきて、カタカタッとタマヒヨじゃないどっちかのひとは慣れた手つきでレジを操り始めた。これなら心配いらないだろう。
「んじゃ、片付けに勤しみますかね」
 あとボロを出しづらいのは食い物を出しに行く係か。本格的に運搬仕事になってきたな、なんて思いつつテーブルを縫って、俺は食い散らかしが残った席へと移動していった。






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 黙々と作業をこなしてはや幾分。なるべく物欲しそうなテーブルを避け、レジ近くを避け、入ってくる客を避け、厨房とテーブルの間を行き来していると、それでも途中、やや遠い席から大きな声でお呼びがかかった。
「ちょーちょー、千歳くーん。さっきから息抜きに来てる受験生を素通りしまくりはどうなのかなー?」
「んだよ、知り合いかよ……」
 顔が広すぎるのもどうなんだよ、と自分のことを棚に上げつつ鷲介に愚痴る。かといって狭い店内、完全にシカトこくわけにもいかず、さっきから一応視界には入っていた、ノートの一冊すら広げていないその受験生とやらのもとへ。……随分歳いってんな、浪人か?
「随分歳いってんな、浪人か?」
「千歳、言葉つつしめよ」
「えあ?」
 ……え、なんか今俺、パルさん相手みたいななんかすごいこと言われた気がするけど。気のせい?
「もー、受験せまっでんだからあんまいじめんないっでよー」
「お、おォ、悪りい」
 俺の疑問をよそに、目の前のいかにも人の良さそうな(そしてちょっと服が歳にあってない)女が話を続ける。このどことなくふわふわした雰囲気は、さてどっかの小娘に近いものを連想させるが。
「そういえばえりちゃんが千歳くん調子悪いみたいなこと言ってたね。それなのにさっきから忙しそうだったけど、大丈夫?」
「いや、じゃあそんな忙しい中で俺を呼びつけたあんたは何なんだよ」
「何って、お客さん」
「んだコノ浪人、とんちなら鷲介とやってろっつーの」
「だからやってるよ?」
「そうでした」
 ってかとんちの部分は否定しないのかよ受験に落ちるよう天の神様に祈っちまうぞコノヤロウ。
 そんなことを考えてると、女は「んー」と首を捻って俺を眺めた後、「うん」と笑みを浮かべながら頷いて。
「なんかちょっといつもと違う感じがするけど、そう辛そうなわけでもないならいいかな。ほら、ならサボってないで仕事さっさとする。もうちょっとなんだから」
「え、なにその理不尽。票田持ってるからってめんどくせーことグチグチ抜かす政治家のじじいかてめえは」
「ん? お客様は神様だもん、政治家より偉いと思うよ。んぐんぐ……、っというわけでコーヒーおかわり」
「あー、まあ、そのくらいならやらねェこともねえけど」
 言って、たった今その底を見せたカップを一度下げる。このカップを持って歩いている間は他の仕事をしなくて済む。安いものだ。
「違うでしょ、そこは『かしこまりました』じゃないと、ひよちゃんにまた怒られるよ」
「ひよちゃん? じゃああんたは――」
 タマヒヨじゃない方の、さっきのやつの片割れか。
 さっきの話を「えりちゃん」から聞いたということは、つまり。
「あー、望月紀奈子?」
「はいはいなんでしょ? ってかなにさー、いきなりそんなフルネームなんて他人行儀な」
 ってか望月紀奈子て。餅つききな粉? ホーメイとタメ張るくらいには変な名前だなオイ。いやそりゃドラキュラのドラよりはいいだろうけど……ってうるせーよブッ殺すぞコノヤロウ。
「ん? どうかした?」
「いんや、こっちの話。別に餅つききな粉なんて妙な名前だなとか思ってねーよ」
「空港+トリ頭が調子こくな?」
「頭はどこにもねーだろ、頭は!」
 思わず本気で反論。いやなんか、鷲介に向けられたはずなんだけど、どうも癪だったっつーか。いやいいけどね、千歳鷲介への悪口だし。千歳鷲介への悪口だし。いやだから千歳鷲介への悪口だって言ってるだろテメ俺の方見んなブッ殺すぞコノヤロウ。
「まいいや。んだらはやいとこコーヒーよろすくー」
 話はこれで終わりだとばかりに、片手をあげて元気よくそう言ってくる(年甲斐もなくふりふりな服を着た)浪人生。へいへい、と短く返事をして、少しばかり長居したそのテーブルを後にする。
「って、もう閉店近いじゃねーか」
 空になったカップ。別に俺の懐が痛むわけじゃないから、意地の悪い客がどれだけ店に負担かけようとそりゃ知ったこっちゃない。が、おそらくは常連客のあの女、無理におかわりなんてする必要があるとは思えなかった。
 呼びつけられ、体調を心配され、雑談させられ、軽い仕事をやらされる。こっちとすれば休憩にとも言える(俺が鷲介ならな)そんなことを思い返して、だから俺はようやく気付いた。
「……チッ」
 自然と漏れる舌打ち。脳裏には、あのお節介なババアが鳴に見せる笑み。他人の心配をする世話好きは、どこにだって居るものだ。
 ハードボイルドにンなもん必要ありゃしねーよ、心の中でそう毒づいて、俺は少し軽くなった足でカップを厨房へとゆっくり運んでいったのだった。






       ○  ○  ○






「ありがとうございましたー!」
 ラストオーダーを承って、15分後。ようやく最後の客が件の付け睫毛に見送られ、アレキサンダーを後にした。同時、俺でも分かるほどに一気に弛緩する店内の空気。客とともにいつの間にやら従業員の数も減っていて、フロアに居るのはレジ睫毛の他、俺と、片付けをしている女従業員(なぜかこいつだけ制服が違った)と、マスターだけとなっていた。最後の客の皿は俺が厨房まで引っ込めて、とりあえずの業務終了(たぶん)。
「おーし、ご苦労だった。それじゃあがっていいぞ」
 意味もなく手をはたきながらのマスター。
「お疲れさまでした、店長」
「おつかれーっす」
 対するは、ほっと息を吐く女従業員二人。レジやってた付け睫毛はそのまま「お先ー」と言って、素早く階段を駆け上がっていった。おそらく更衣室だかなんだかは2階にあるのだろう。
 4人中3人が挨拶を交わしたとなれば、俺も黙っているわけにはいくまい。
「お疲れさまっす、マスター」
「うむ」
「あれ、千歳さん、今日は早いんですか?」
「え?」
 さてこれで着替えて終了だ、と思いきや、かけられたのはそんな声。残っている方の従業員、おそらくタマヒヨ(仮)だ。思わず首を傾げると、今度はマスターがフォローしてきた。
「ああ、どうもこいつ今日は用事があるらしい。昨日そう言ってきたんでな、クローズ作業は他の奴にまわしてある」
「は、マジで? ンだよあのタコ介、やっぱりバリ確信犯だったんじゃねーか畜生」
「え、あの、千歳さん?」
「ああいや、こっちの話」
 どのみち頼まれたって残業なんぞする気はなかったが、あらかじめ先手を打たれていたと言うことだ。いくら穏便さで一目置かれてる俺でも流石にブッ殺すぞコノヤロウ。
「まったく、何の用事だか……はっ!? まさかぬる女で予約を取っているんではあるまいな!?」
「それはねーよ」
 っていうかいいトシこいてなんで知ってンだよ、なんでわざわざぬる女なんだよこの無精髭。良いセンスしてるじゃねーか。
「今日も様子がヘンでしたし……身体の具合でも悪いんですか?」
「いや、おまえら心配しすぎだろ。鷲介どんだけよえーンだよ普段」
「ええと、千歳さんが弱いのは今に始まったことではないと思いますけど」
「おォー、言ったれ言ったれ」
「なっ、ずるいぞ鷲介! 玉泉君に腐った魚の目で見られながら罵られる役を独り占めするんじゃない!」
「……」
 俺の態度のせいか、あるいはオッサンの横やりのせいか、はあ、と呆れたように溜息を吐いて見せるタマヒヨ(確)。初めて接したにもかかわらず、この女が随分と苦労性なのは火を見るよりも明らかだった。いつか髭が言っていた鷲介の「板挟み」とやらの、片一方はこのタマヒヨでおそらく間違いないだろう。
 バカの相手をしていると疲れるのはよく分かる。俺はまるで普段の俺を見るかのように、この女に同情してしまった。
 ……あァ? いやあってンだろどう考えても。マジ苦労性だっつーの俺。普段俺がどんだけ変わり者に囲まれてると思ってんだブッ殺すぞコノヤロウ。
「それより調子がよくないのでしたら、そうですね、折角ですし、駅まで送っていきましょうか?」
「……は?」
 そうしてぼけっと普段のバカヤロウどもを思い浮かべていると、聞こえてきたのは目の前の女の突然の申し入れ。どことなく逸らし気味の視線に、いつぞやの小娘の姿が重なる。
「ほほう? 珍しいな、玉泉君からそういう申し出をするとは。駅前なら良いホテルを知ってるぞ、ん?」
「茶化さないでください! 駅までに倒れたら大変じゃないですか!」
「だからそういうときのためにホテルを紹介しようかと言ってるんだ。それともじゃあなにか、玉泉君は他の想像をしたというのか? ふふん、では想像したことを懇切丁寧に詳細に実体験も交えつつ説明してはくれまいか」
「――っ! もういいです、お先に失礼します!」
 柳眉を吊り上げてマスターと俺を睨み付けた後、怒りを隠さないまま乱暴に礼をして踵を返すタマヒヨ。いや俺全然悪くねーだろ。
「あ、待て待て、ちょい待て」
 しかし気になったのは、怒る前までのその表情。鷲介であれば声をかけられず見逃すような状況でも、俺にとっちゃそんなもんは関係がない。藪をつついて蛇を引っ張り出す。
 なんだかんだで、タマヒヨはあっさりこちらへ向き直った。無論、表情は不機嫌なままだったが。俺の知り合い(知り合いだぞ、仲間でも友達でもねーからな)連中とは相性が悪そうだな、となんとなく思う。
「なんですか。用があるのでしたら手短にお願いします」
「あーまァその、なんつーか」
 気の強い、年下のくせに生意気な女。その態度はメモに書かれていた他の二人のそれとは明らかに異なっていて、それが性格の違い以上のものであることは、一応は第三者である俺からはわりと容易に見て取れた。先ほどとは違い、まったく似ていないというのにあの蘊蓄ボケが得意の小娘を思い出したことには、なんとなく遺憾に思ったりもする。
「今日はちょっと都合があるから無理なんだが、あれだ、また今度誘ってやってくれや。そのときは喜んでお送りされてもらうだろうからよ」
「はあ……? まあ、そうですね、そういうこともあるかもしれません」
 目を逸らし、「それでは失礼します」と続けて、タマヒヨが2階への階段に消えていく。その様子を眺めて、俺は後ろ頭をがしがしと掻いた。頭の片隅でパルさんが楽しそうに笑っている。ンだよブッ殺すぞコノヤロウ。
 そうして俺はそのまましばらくフロアで時間を潰し、付け睫毛と入れ替わりに更衣室に入って(タマヒヨはいつの間にやら外階段で帰ったそうだ)、さっさと自分の服に着替えて俺はアレキサンダーを後にしたのだった。






       ○  ○  ○






 結局、俺がグローヴ街をうろつく頃にはいつもの時間帯となっていた。肩にかけたスポーツバッグはいつも以上に重く感じられ、慣れない昂揚感が未だに俺を包みこんでいる。うぜぇ。
「うぜぇ」
 声に出しても消えることはなく。
 見慣れた町並みを通り過ぎながら、俺は考えた。近いうちに――いや、今日の夜にでも≪面談≫の必要があるだろうと。問いただす必要はない。あいつの小賢しい考えは既に看破されている。相変わらずムカツク野郎だし、それになんとも言えぬ感想を抱いている俺自身もまたクソだせえ。
「あーチクショウ、ブッ殺すぞコノヤロウ。ブッ殺すぞコノヤロウ」
 息吐きながら人の波をすり抜けて歩を進める。
 あいつがこの≪スクランブル≫を、いやあるいは故意だからそうとすら呼べないような、こんな事態をどうしてしでかしたのかは容易に想像が付いている。あのクソガキのこと、俺がぽろっと漏らした言葉をいつまでも気にしていたに違いない。
 だいたいなんだァ、別にいいっつったじゃねェか、青春なんて知らなくたって。ハードボイルドにはそんな軟弱なモンはいらねーっつーの。ちょっとばかしテメエが羨ましいかも、なんて褒めたせいでこの状況だ。あのクソガキ、てめえはあのババアかっての。余計な世話焼きやがって。
「クソだせえ」
 後ろ頭をがしがし掻きながら、落ち着かない感情を吐き捨てるように言葉を出す。俺の45分の無償労働は、しかしそれで無に還ってしまうことはなかった。ま、当然っちゃ当然だけど。
 そのまま足を動かしていって、特に考えていたわけでもないのに向かった先にはやはり見慣れたクレープ屋。ここまで来ると、自嘲したくもなってくる。……ああいやちげーよ、ここに来たのはパルさんに仕事をもらうためだって。マジで。たとえ今日、これから工事現場に行く予定があったとしてもだ、割の良い仕事がほかにあるかもしれないだろう?
「あっ」
 そうして近づくと、声をあげたのは店主ではなく紺色のブレザーを着た客の方。それに俺は片手をあげて応じてやった。
「あー、そうだな」
 ……笑みを浮かべる小娘と、それとはまた質の違う笑みを浮かべる店主に歩み寄りながら思う。鷲介のやった、≪取り決め≫ブッチの今日の出来事。それはもしかしたら、俺を心配したのと同時に、あいつはあのマーベラスハウスを自慢したかったのかもしれない。
 だったら俺も、このクソったれな世界をあいつに紹介するべきだろうか。それはもちろん、半分は嫌がらせで、半分は心配するなという意味を込めて。あるいはまた、環境を壊すリスクを負ってまで紹介してくれやがった、あのクソガキへの感謝の念もあるのかもしれない。
「ま、機会があればってことで」
 らしくないことを考えているのを自覚しつつ。
 俺は前髪を吹き上げながら、浮かんだ笑みを隠すつもりもなくそう呟いて、ピンクの屋台にその身を進めていったのだった。



 ま、これもとある”たとえば”の話だったということで――――

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Short Story -その他
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