ななかあふた〜のななか

[da capo U short story]
 わたしは自分に人気があることを否定しようとは思わない。向けられる視線がどういったものであれ、そしてそのことをわたしが快く思おうが思うまいが、人気は数だ。男子生徒から告白された「数」も、ミスコンでの得票「数」も、わたしがそういったポジションであることを客観的に示している。それが分からないほどわたしはバカじゃないし、無知じゃないし、自覚できないほど弱くもない。

 しかし、それでもわたしは人気者がどう扱われているかを、うまく理解できていなかったのだろう。色んな考えを持ってわたしに接してきた数多の人たち。彼らあるいは彼女らの心を読めたわたしは、わたしに向けられているその感情をある種帰納的に解釈していた。けどそれは、やはり直接的な体験からはほど遠い。わたしは今の今まで、遠巻きに人気者を見ている人たちが、どういった空気を保持しているのか知らなかったのだ。
 だって、わたしはわたしに近づいてきた人の心しか読めないのだから。きっと触れることなく人の心を読める人間が居たとすれば、そしてそれを体現しようとすれば、その人物はわたしを遙かに凌ぐアイドル――つまり、偶像――となっていることだろう。

 あらかじめ言っておくが、もちろん彼にそんな力はない。ないが、しかし、あるのだ。彼にはそう感じさせる何かがある。人の心を読んでそれを体現する偶像としてではなく、自然と、おのずから他人の願望を叶えてしまえるような何かが。度を超えた気配り上手とでも言おうか。自分に都合良く彼を解釈する人が居たら、彼はそれに適応してしまえる。そんな力、言い換えれば、そんな魅力を彼――わたしの彼、義之くんは持っていた。
 だからわたしは分かったのだ、わたしが人気者というものについて無知であったことを。わたしは羨望を受ける側にはなったことがあるが、羨望を送る人を第三者的視点から眺めたことはほとんどない。それゆえ、遠くから義之くんを眺めている人たちと一緒に居ることで、わたしは様々なことを体験した。直接的に経験した。人気があるというのはこういうことなのだ、ということを。

 そうして分かったことが二つある。
 一つは、わたしが今まで受けていた視線や言葉の理由。過去を顧みればわたしにとっては”謂れのない”ことの方が多かったくらいで、どうしてみんなそうやってわたしを見るのかずっと理解できなかった。たとえ心を読めたとて、その人物がそういう感情に至った経緯まで分かるほど、あの力は万能じゃない。わたしに変な幻想を抱く気持ちは覗けても、そうなってしまった理由は分からなかったし、わたしを恨む気持ちは覗けても、そうなった理由までは分からなかったのだから。
 もう一つは、というかこっちの方がより重要なことなのだが、義之くんに向けられる視線とそれに対するわたし自身の感情について。わざわざ考えをまとめるまでもなく分かる。嫉妬だ、この感情は。

 嫉妬という感情を、向けられたことはよくある。私の憧れの先輩の告白を断るなんて、という類。いつまでも慣れなかった黒い感情。それは受けるにしても、抱くにしても。今考えればバンドでのごたごたもわたしのこれが原因だったし、また小恋がこれを持っていたことも知っている。わたしにとってはそれほどまでに身近で、そして身近でありながら未だに制御しきれない心情。しばらくはご無沙汰だったそれを、わたしは再び強く感じている。

 理由は簡単。
 義之くんが、魅力的すぎるのだ。

 本校に上がって以降、わたしが見てもわかるくらいに、義之くんの人気は鰻登り。付属の時から結構な人気者だったのはわたしも知っていたけれど、やっぱり付属生は所詮付属生、影響範囲は狭いのだ。それが本校に上がってからは、まるで今までは我慢していたかのように爆発的に人気が出た。その一因にわたしと付き合っているという噂の広まりがあったのは否定しないものの、それを差し引いても義之くんは一気に学園レベルの人気を獲得したように思える。これで男子生徒から妬まれることもあまりないというのだから、その辺りは彼の人徳というより他にない。

 そしてまた当然のように義之くんはそれに気付いておらず、わたしがいくら言っても「そんなわけないだろ」と笑うだけ。はじめはそれでも良かったし、義之くんが誰からも好かれる人気者になっていくことにわたしはむしろ嬉しささえ感じたけれど――そしてそれと同時に”偶像”とは違う義之くんに羨望すら感じたけれど――、遠巻きに眺めている生徒たちの期待や好意を見て行くにつれて、わたしはそれに妬いている自分に気が付いた。
 いや、もっと言えば、実はそれは”妬く”というのはほんのちょっと違う。わたしは義之くんが他の子に靡いてしまうとは心底思っていないから、様々な感情を一身に受けることに対する心配はあるにせよ、義之くん自体に焼き餅を焼いているわけではない。では何に対してどう思っているのか? それは義之くんに過度の期待を寄せている、そして過剰な幻想を抱いている女子に対する、あえていえば憤懣のようなものだ。

 より平易に言うとすれば、こうなる。「義之くんのこと、何にも分かってないくせに」。しかしこれだけでは終わらない。義之くんのことを何も分かっていないくせに、義之くんに過度の期待を寄せていて、しかも義之くんはその期待に応えられるだけの働きをしてしまっているのだ。これがわたしには、端的に言って気にくわない。
 例えば、義之くんの料理上手はわりと有名だ。そして女の子はその情報だけで「じゃあ彼は掃除もできるに違いない」「それなら炊事もできる」「家庭的なら、優しいよね」「荷物とか持ってくれそう」「私が何もしなくても、全部やってくれそうじゃない?」「面倒なことは俺に任せろ、とか言ってくれそうだよね」などど、勝手気ままに理想像を構築してしまうのだ。そうした結果、女の子はその完璧な”偶像”を好きになる。当然だ、自分で組み立てた理想を好まないはずがない。

 しかし、そう、しかしながら、ここで重大な問題が起こる。義之くんがその勝手な期待を裏切って、その結果女子たちから謂れ無き誹謗中傷を受けるというのならまだ分かるが、違うのだ。そうではない。義之くんは、事実、彼らの理想を体現してしまっているのだ。わたしと違って、無意識のうちに。義之くんは実際に家事をほとんどこなせて、本当に優しくて、何でもやってくれてしまう。

 だからわたしは嫌なのだ。そのことを知っているのは、本当に優しくもらっているわたしだけのはずなのに、彼女たちは勝手に理想を組み上げて、しかもそれが事実であるということが。何も知らないくせに、何を経験したわけでもないのに、当てずっぽうで事実を言い当てて、具現した偶像を運良くも好いてしまっていることが。
 笑ってしまう。だったら、わたしにどうしろというのか。勝手気ままな理想を否定することができればいいが、それができないほどに義之くんは理想的、魅力的であってしまっている。それが本当に嬉しくて、だからこそわたしは困ってしまう。どうしていいのか分からなくなってしまう。

 そのせいで、とでも言えばいいのだろうか。
 予想できていたにもかかわらず、そうではないと必死で頭から押し退けていた現実が、実際に起こってしまって。

 有り体に言って、私はパニクった。

 体育祭の途中。校舎裏で「お願いします!」と声を揃えた女の子三人と、弱ったように頭を掻く義之くんの姿を見て、どうしていいか分からなくなった……もとい、どうすべきかの判断がつかなくなった。どうしたいのかは分かっていたのだ。そう、どうしたいのかが強すぎて、どうすべきかという理性がどこかに追いやられてしまって、私は見つかるとかどうとかってことに思考が及ぶまでもなく、足は勝手に駆けだしていて、こう叫んでいたのだ。

「だめ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

 ……後になって考えれば、相手が私をどんな目で見ていたのか、想像するのもおこがましいくらいに申し訳ないのだけれど。でもそれでも、私はそれだけ必死だったってことだから。そこまで義之くんを好きでいることくらいは、ちょっとは誇ってもいいのかな、なんて。
 まあ、義之くんにこの話をしても、きっと理解はしてくれないと思うんだけれどね。きっとあの子の思いも私も思いもうまく分かってはいないと思うし、またそれが魅力でもあるのだから。

 幸い義之くんに告白してきた子は丁寧な物腰でその身をひいてくれて、私はその鮮やかな引き下がりっぷりにやや呆然とした後、安堵から大きく息を吐いた。
 ……去り際の、付き添いで居た子の視線が、少しだけ気になってはいたけれど。

++++++++++


Short Story -D.C.U
index