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[da capo U short story]
「気でも狂ったか、由夢」
「……のっけから随分なご挨拶ですね、兄さん?」
「いやしかし」

 そう言いたくもなる。

 だってほら、由夢といえば猫かぶりだろ、それで料理が下手で、成績はわりと良くて、料理が下手で、素直で可愛いとこもあって、料理が下手で、学園でも結構人気があって、料理が下手で、家事全般苦手なんだが、特に料理が下手で、甘いものに目がなくて、料理が下手な奴なんだぜ?

 そんな由夢にこんなセリフを聞かされれば、誰だって俺のような気持ちになるに違いない。そう、こんな、

「お料理で勝負しましょう!」

 ……こんなセリフを聞かされればな。



       ○  ○  ○



 料理。現代でいうそれは、少なくとも食べられないものを食べられるものに変えることで食糧を増やすという目的のもと行われているわけではない。
 つまりその目的対象は、味覚。より旨く、より美味に。食糧事情あるいは食文化が共通であるという枠組みの中、つまりその限定された範囲内でより普遍的な美(味)を追及せんという、常に矛盾を孕んだその試み。

 そもそもからして感覚などというものは曖昧なもので、物理化学的にまったく同一のものを食したとしても、それに対応するクオリアがただ一通りに定まっているわけではないのは周知の事実。それは味覚が複数の感覚器を基礎としていることだけが理由なのではなく――であれば複雑ではあるが結果は一対一対応だ――、受容する側の状態変化というものが一つの大きな要因となっている。

 しかし、そこにはやはりいつ食べても美味しい料理というものと、いつ食べても不味い料理というものという区別は厳然として存在しており、それを説明するには要素の多様性からくる結果――感覚を数値化できれば、の話だが――の標準正規分布への近似とその平均あるいは偏差の算出という計算が必要になるわけで、とすれば料理の優劣というのは兎角曖昧な概念を基にする確率論的な問題に帰結される。

「――つまり、由夢の料理が不味くない、否、不味く感じない可能性もlim(x→∞)の場合は有り得るんだよ!
 分かるか、小恋!?」
「え? えっと……あは、あはは」

 笑って誤魔化すな。

「天枷は分かったろ? 今の話」
「え、ええと……と、当然だとも!
 美夏をバカにするな!」

 そんなこと言うからバカにされるんだと思うが。

 ……とまあ、そんな感じで俺と小恋、天枷の三人は芳乃邸の居間に座って、当事者たちの帰りを待っていた。
 今日は休日、時刻は昼前。良い感じに腹も減り、”普通の料理なら”なんでも美味しく食べられそうな気分だ。本来なら音姉がなんか作ってくれていてもいい時間帯。それがなぜ、この二人と今でじっと座っているかというと、そりゃもう言うまでもない、由夢の創作――cookでなくcreateが正しかろう――に付き合わされる予定だからである。

 事の発端は至極単純。
 先日のことだ。μとともに帰宅した俺を待っていたのは、家賃の長期滞納者をついに追い出すことに決めた家主のような表情をした由夢だった。不満の原因はμだろうに、怒りの矛先はしっかりと俺へ。まあ、これが我が家のヒエラルキーである。
 話してみると、要するに「μと俺が一緒に暮らすことが気に入らない」らしかった。まさかそこいらに放り出すわけにもいかず、μが家事をしてくれることを話したら、その結果として

「お料理で勝負しましょう!」

 なんて台詞が出てきた、というわけだ。
 その時、俺だけではなく音姉の表情まで固まってしまっていたのは、ある意味笑えたといえば笑えたけれど。

 そして、明けた今日。俺たち三人は、当の由夢たちが買い物から帰ってくるのを待っている。
 ……階段で言えば十一段目くらい?

「朝倉先輩はともかく、桜内すら料理は上手かったからな。
 きっと由夢も上手いのだろう? 今から楽しみだ」
「……」
「……」
「ん? どうかしたのか?」

 天枷の無垢な瞳が俺と小恋を不思議げに眺める。
 小恋も小恋で困ったような顔を俺に向けてきて、さてどうしたもんかと腕組みして天枷から視線を外したその時。

「ただいまー。うー疲れたー」
「ごめーん、ちょっと八百屋さんが混んでて……」
「ただいま戻りました」

 エクスキューショナー+ほか二名がとうとう帰ってきた。



       ○  ○  ○



「しかし暇だな……」
「だねえ」

 勢い勇んで台所へ突入していった由夢、それにつられて後を追ったμを見送り、居間は再び静けさを取り戻していた。
 聞こえてくる音と言えば台所から聞こえてくる包丁のトントンという小気味良いリズム、擦れるようなガスコンロの音、それに加えて「あっ!」とか「わっ!」とか「え゛っ!?」とかいう声くらいのものだ。誰がどの音を立てているかは、三角形の内角の和が百八十度であるくらいに自明なことだろう。証明のしようもない。

「うー、美夏はハラペコで死にそうだ」
「んじゃ電源切っとけば?」
「……」
「オーケー、冗談だ」

 天枷は俺をきっと一睨みすると、そのまま顎をテーブルの上に載せた。ぐへり、と効果音を付けたくなるような見事なぐーたれ具合。たれ美夏、とか名前付けて売り出したらどうだろう。……あーでも、色がかぶってるな、帽子の。

 小恋はと見ると、やはりお腹は減っているのか、天枷ほどではないにせよ背中を丸めて元気なさげにしていた。
 いやまあ、元気がなさそうな理由は他にもあるというかそっちの要因の方がでかいというか。

「はあ、杏たちが断ったって理由、今ごろ分かったよ。
 もう、こういうことは義之一人でどうにかしてよね」
「なんだよ、頼んだときはあんなやる気あったのに」
「そ、それは義之が『困ってて、どうしても助けが必要だ』なんて言うからでしょ〜!?
 義之がそんな風に頼み事するなんて珍しいし、杏も茜も手伝えないっていうから何ごとかと思ったのに……」
「じゃあ何だ、小恋は俺に寂しく一人で死ねと、そう言いたいわけだな?
 妻には先立たれ、息子や娘からは邪魔者扱いされ、ようやく引き取ってくれた長男の家では嫁に人権をズタズタにされるような仕打ちを受けて、結局老人ホームに詰め込まれたと思えばそこではベッドに両手両足を縛られ、人生の終盤は闇に沈みながら孤独死する老人のように死ねと言うんだな?」
「そうは言ってないけど……。
 でもこれじゃ助けじゃなくて、単なる道連れじゃない」
「そこまで言うか」

 あってるけどさ。

「だいたいそんなこと言うなら、由夢に料理教えてやってくれよ。
 あいつ、俺には意地でも教わろうとしないし。小恋の話なら聞くだろ?」
「わたしよりもっと適任の人が、すぐ身近に居るじゃない。
 音姫先輩が教えてダメなのに、もっと説明の下手なわたしじゃどうしようもないよ……」
「何気に結構ひどいこと言ってるな」

 小恋はそうしてはあ、と一つ溜息を吐いた後、台所の方へ目をやった。
 見られたくないという理由でその障子は閉められているが、相も変わらずリズミカルな包丁の音と、悲鳴のような声が混じって聞こえてくる。μも手加減してやれよと思わないでもない。

「あ゛あ゛〜、まだか由夢〜。美夏は腹が減って身体に力が入らん……」
「安心しろ天枷。そんなに腹が減ってるなら、由夢の作った分は丸ごとお前にくれてやる」

 ぽんぽん、とその白黒帽を叩く。それに批難の声がくることはなく、天枷は顎をテーブルに載せたまま唸るだけだった。帽子にのせた手でそのでかい頭を動かすと、左右にゆらゆら、顎を軸にしてやじろべーのように揺れた。相も変わらず出てくるのは、形容しがたい唸り声のみ。

 ちなみにここに居ない音姉には、自宅で待機してもらっている。別に一人だけ逃げたわけではなく、俺が逃がしたのだ。由夢が壊滅的なのは周知の――そしてある意味羞恥の――事実だが、μは未知数だ。どちらも食べられなかった場合に備え、軽めの食事をいつでも作れるように頼んでおいてある。
 ……まあ、音を聞く限り、その考えは杞憂に終わりそうだったが。

「できたー!
 兄さーん、お皿運んでーっ!」
「へいへい、っと……」

 由夢の弾けるような声に引かれ、俺は自分をかけるギロチンの準備を始めた。



       ○  ○  ○



「諸君!
 我々は劣勢に立たされている! だがしかし、敵がいかな強大であろうと、物量で優れようと、敗北するのは我々の敵である! 我々の持つ精神は、貴く、尊く、そしていつ如何なる時も揺るがぬものである! 窮地に立たされたときこそその精神は発揮され、我々に勝利という二文字をもたらしてくれることを、私はいま断言しよう! 敗北を喫するのは、尊き理想の理解できぬ敵である! あらねばならぬ! 我々こそが勝利を手にすべき存在であるということを、諸君は肝に銘じなければならない! 皇国の興廃この一戦に――」
「はい、じゃあ天枷さん、お箸はこれを使って……」
「――って、スルーッ!?」

 小恋の白い目に耐えつつ声を張り上げたというのに、俺のアドル……は不味いな、なんたら・ザビばりの演説は由夢にあっさりとシカトされた。
 「あえて言おう、カスであると!」と言わなかっただけ褒めていただきたい。

 次々並べられていく料理。その彩りを見て、流石の天枷も唖然としている。
 ああ、気持ちはよく分かる。並べられていく料理は、あたかもオセロの盤のように白いのと黒いのが配置されていったのだから。
 もちろん”白”というのは比喩だ。ただ、”黒”が比喩じゃない。マジで黒い。そして相対的に、それら以外は白く見えてしまうマジック。

 しかも付け加えるならば、俺と小恋はこれでも由夢の努力の跡をそこに見ているのだ。
 黒々とした料理、その中にも焦げてない部分があるじゃがいも――と推測される物質――とか、身が残っている魚――と推(ry――とかがあるにはある。これは、今まで一から百まで炭化していた由夢にとっては、大いなる進歩ではなかろうか。
 他人にとっては小さな一歩でも、由夢にとっては大きな一歩のはずだ。……というか、そうであって欲しい。

「ま、まあμならこの程度だろうな。こ、これなら美夏の腕と比べるべくもないわ」
「あは、あはは……」
「えーっと、その、兄さんにはちょっと及ばないかもしれませんけど……」

 天枷の呟きが虚しく響き、小恋の顔がその言葉にぴたりと停止する。
 由夢が料理上手であると信じてやまない天枷にしてみれば、卓上に乗った二種類の物体――食べ物とそうでないもの――、その区別をそう付けるのも無理はなかった。炭化した黒い物体はμがヘマしたのだ、と思ったのだ。
 ……いや、もとい、そう思いたかったのだろう。

「さ、兄さん食べてください。卵焼きは特に自信がありますから」
「卵焼き、ねえ……」

 その前に卵焼きがどの皿に盛りつけてあるかを教えてくれないと、兄さん食べてあげられないんですが。
 ああ、物質の種類は数あれど、どの物質も可視光を吸収しちゃってて兄さんの目では区別がつきません。すまん由夢。

「というわけで、それじゃあ食うぞ! 天枷! 小恋!
 全員別々の物食えよ!?」
「あっ! 義之ずるいっ!」
「兄さん、それわたしのじゃないし!」

 卓上に広がる地雷原。それを制するのは、もはや速さしかない。
 先手必勝。より安全な食べ物で腹を満たすしか、この地獄を乗り越える術はないのだ。天枷と小恋がうまく由夢の料理を消化してくれれば、俺の被害も最小限で済む。

 電光石火で走る箸。向かう先は綺麗に盛りつけられた肉じゃが。
 焦げていない部分があるとかないとかではなく、見た感じ焦げている部分など見受けられない、とても美味しそうな料理。

「――げっとッ!」

 色合い、完璧。
 箸で掴んだ感触、上々。
 さすがはμだ。これだけの見た目と固さで、不味かろうはずがないと断言できるだけのデキだ。伊達にメイド姿をしてはいないらしい。

「くっ、それを取られたか……」
「うう〜、どうしよう」

 天枷と小恋の批難を耳にしつつ、俺はその肉じゃがの具を口へと運ぶ。
 その瞬間。

「兄さん、お味はどうですか?」

 なぜか、μがそんな台詞を吐いていた。



       ○  ○  ○



 気絶、というのは自己防衛の手段の一つでもあるらしい。
 もちろん脳内の血流量の低下という場合が多いが、例えば格闘技のノックアウトなんかは、頭がいくら起き上がろうとしても身体がその活動を強制的に停止してしまう。
 これはより動くことで、更なる生命の危機へ再び舞い戻ることを回避しているのだそうだ。

 だとすれば、食べながら気絶というのは、「それを味わい続けることによる生命危機からの回避」という大義名分が存在するわけだ。
 「俺はもっと食べたかったんだけど、身体が(命の危機を感じて)勝手に気絶したんだよ!」。うん、言い訳はこれで行こう。カッコ内はもちろん言わない。

 そんなことを考えつつ。

「弟くん、弟くん……?」

 その呼びかけに、俺の意識は浮上していった。

「……」

 目を開く。見えるのは居間の天井と、心配そうな音姉の顔。
 それを見て、ああやっぱり俺はヤバいもん食って倒れたんだなと、強く自覚した。

 次いで、まわりを見回す。
 料理はどれもこれもがほぼ完全な状態で残っていた。新鮮さは失われているが、それ以外に目立って変わっているところはない。
 そしてその料理を載せたテーブル、その回りを囲むように座っていた天枷と小恋の二人は、そのまま卓に突っ伏し見事に撃沈中。まあ由夢の料理を食った人間の典型的症状だ。心配はない。

「弟くん?」
「ああいや、えっと。
 そうだ、由夢は?」

 身体を起こす。目眩が多少もしたが、気絶から起き上がったということを考えれば軽い方だ。

「由夢ちゃん、自分で自分の料理を食べて、その、今はうちに居るよ」
「…………」
「あ、でもでも、由夢ちゃんだって頑張ってたんだからね!
 あとでちゃんとフォローしておかないとダメだよ?」
「いや、まあ、するけどさあ」

 やっぱり釈然としないものが。味見、もとい毒味くらいしておいていただきたい。
 どうして下手な人間に限って、色々工夫を凝らそうとするくせに味見をしないのか。不思議でしょうがない。

 まあ愚痴ってもどうなるわけでもなく。
 仕方なしに俺は視線を回し、そこに居るべきやつが居ないことに気がついた。

「μは?」
「えっと、それが……」

 言い淀む音姉。
 すると、あたかも話を聞いていたかのように図ったタイミングで襖が開き、

「義之様。お目覚めになりましたか?」

 捜し物が姿を現した。

「ああ、まあなんとか。
 ……ん?」
「どうかいたしましたか?」
「いや、んー……っと」

 座った体勢から、ぐっと伸びをし立ち上がる。
 うん、特に身体に異常はない。……いやまあ、身体に異常があったら、それこそそれなんて毒物って感じだが。

 二、三歩歩いてμの元へ。その顔をまじまじと見てみる。

「あの、義之様?」
「弟くん? どうかしたの?」

 不思議そうな二つの声。
 でも、俺には分かる。隠そうとしたって。誰あろう、俺はこの娘の主人なのだから。

 平静を装うそのμの頭に、ぽん、と手を乗っける。μがきょとんとこちらを見つめ返した。
 気付かないとでも思っているのだろうか。お生憎様、気丈に振る舞う人の嘘を見抜くのは慣れている。

「キミの勝ちだ。別に追い出すわけじゃないんだから、泣かなくたっていいだろう?」
「――え?」

 虚を突かれたようなμの表情。背後からは、音姉が息を呑む気配も感じられた。
 二人して俺をナメすぎだと思う。

「ですが、料理は……」
「何言ってるんだよ。審判は俺だろ?
 ちなみに何も贔屓したつもりはない。由夢の料理は見た目もヘンテコで味もまずい。一方キミのはたとえ味は変でも見た目は綺麗だった。
 ほら、公平なジャッジをするっていうのなら、キミの勝ちになるのは道理じゃないか。だろ?」
「え……あ……」

 表面上はいつもと変わらぬ無表情。まるで傍観者のような佇まい。
 でも、それでも。その奥、固い表情の裏側で何かが崩れたのを、俺はしっかりと感じ取った。

 ロボットには感情がないとか、他人の感情は確認できないとか、そんなのは嘘だ。
 だって今、俺はこんなにも彼女と理解を共有している。気持ちを感じ取っている。

 だから彼女が一番言ってほしい言葉を、俺はかけてあげられる。
 もちろんそこにあるのは打算じゃなくて、純粋な気持ち。安心してほしいという、ただそれだけの。

「これからもよろしくな」

 腕を差し出す。

 でも、どこかできっと甘く見ていたのだろう。
 それはあるいは、俺が鈍感鈍感と罵られる由縁か。どちらにせよ、俺は彼女の次の行動を予測することはできず、

「義之様!」

 ――それでも、胸に飛び込んできたその娘の身体を抱き留めてあげることくらいは、してあげられたのだった。





       ○  ○  ○





 地震・雷・火事・親父、というのは怖いものを並べた言葉である。一説には親父は台風のことを指すとも言われるが、まあそれは今はどうでもいい。

 地震は確かに怖かろう。日本は地震大国だ。
 雷も分かる。あの腹の底を潰すようなゴロゴロという音と、突如現われる稲光は本能に刻まれた恐怖だ。打たれて死ぬことも決して少なくない。
 火事も大変だ。積み上げた財産が一瞬で消失してしまう。まるでフィクションのように。
 親父あるいは台風も、分からなくはない。俺に親父はいないが、怒ったさくらさんは別の意味で恐怖せざるを得ない。

 しかし俺は問いたい。
 なぜ、と。

 なぜ――――「妹」が入っていないのかと。

「……兄さん? 随分と良いご身分ですね?」

 なんというジャストミート。
 ベーブルースも真っ青なタイミングで芳乃邸に戻ってきた由夢。彼女が居間で見たものはといえば、打ち負かした――と由夢は思っているであろう――メイド少女を腕に抱く兄の姿なわけで。

「いや、べ、別にやましい気持ちがあったとか、そういうわけじゃなくてだな……」
「あれ、わたしはまだ何も言ってませんよ? ダメですよ兄さん、その思っていることをそのまま口に出すクセ、直さないと」

 墓穴。英語風に言うとグレイブ。
 火葬を経る仏教圏ならともかく、英語圏ならそのまま穴に直行生き埋めエンドだ。

 だいたい、ほんとのほんとのほんとーにやましい気持ちなんか無かったのに、由夢が妙なことを言ったせいで変に意識してしまう。
 綺麗に梳かれた髪、華奢な肩、柔らかい感触、温かい身体……作られたからとかそんな理由はともかく、その造型はもうカンペキなのだし。

「ほ、ほら、音姉からも何か言ってやってよ!」

 μを腕に抱いたまま、音姉の方を振り返る……って、アレ?
 音姉は音姉でちょっとうつむき加減で、前髪で目元が隠れてる。なんかとっても嫌な予感。

「『キミの勝ちだ。別に追い出すわけじゃないんだから、泣かなくたっていいだろう?』」
「へ?」
「『ちなみに何も贔屓したつもりはない。由夢の料理は見た目もヘンテコで味もまずい。一方キミのはたとえ味は変でも見た目は綺麗だった。
 ほら、公平なジャッジをするっていうのなら――』」
「あ、あの、音姉?」
「――ん? どうしたの?」
「いや……今の」
「だって弟くん、格好良かったんだもん。
 私が居るのに目の前でμちゃんの頭撫でてあげて、優しい言葉かけて、ぎゅって抱きしめてあげて」

 ふーんだ、と言った感じでそっぽ向く音姉。
 どこの子供ですか。

「あの、義之様……?」
「ああいや、キミが悪いわけじゃないんだ。
 ただちょっと、聞き分けの悪い妹が居るっていうか――――はっ!?」

 カチ、と身体が固まる。

 ああ、なんてバカなんだ俺は。今さっき「思っていることを口に出すな」って言われたばかりなのに。
 μの無垢な瞳に対して、思わず本音がぽろっと。ぽろっとね。
 ほ、ほら、子供相手というか、素直な相手に対してはこっちも素直に接さなくちゃいけないとか、ほら、思うだろ? なあ?

「………………………………」
「あー、その」
「…………………………………………………………」
「えっと……」
「…………………………………………………………………………………………クローゼットの下」
「へ?」

 絶対零度の瞳をたたえた由夢。
 何を言うかとびくびくしてれば、発せられたのはそんな単語。

「クローゼットの、下?」

 はて何のことだろう。クローゼットというと、この家では俺の部屋くらいにしかないはずだが。
 由夢の部屋にもあったと思うから、そこから何か取ってこいということか?
 そんなことを思いつつ首を傾げていると、由夢は続けた。

「ベッドの下、洋服ダンスの下から二段目」
「えっと……由夢?」

 これはまさか。

「階段下の隠し戸、二階廊下の天井裏、ゲームの棚のDVDケースの――」
「わーわーわーわーわーわー!」

 なんてことを!
 由夢が口にしているのは、いやほらなんだ、分かるだろう!? アレだよアレ!
 しかも何だよ! なんで隠し場所のローテーションを知ってるかなこの愚妹はっ!?

「弟くん? ベッドの下って、まさか……ねえ?」
「いやいやいやいや、そんな音姉まで!
 ほ、ほら、由夢もバカなこと言ってないで、さっさとあそこに置いてあるモノを処理しなさい。自分で出したごみは自分で片付ける!」
「………………ッ」

 ピキッ、と何かが鳴った。

「ごみ……ですか」

 不思議そうな由夢の声。
 でも、俺には分かる。隠そうとしたって。誰あろう、俺はコイツの兄なのだから。
 気付かないとでも思っているのだろうか。お生憎様、気丈に振る舞う人の嘘を見抜くのは慣れている。

 表面上はいつもと変わらぬ笑顔。まるで死刑執行人のような佇まい。
 でも、それでも。その奥、緩む表情の裏側で何かが崩れたのを、俺はしっかりと感じ取った。

 他人の感情は確認できないとか、そんなのは嘘だ。
 だって今、俺はこんなにも由夢と理解を共有している。気持ちを感じ取っている。

 だから由夢が一番言ってほしい言葉を、俺はかけてあげられる。
 もちろんそこにあるのは打算じゃなくて、純粋な気持ち。安心してほしいという、ただそれだけの。

「由夢、落ち着いて聞くんだ。いいな?
 実はな、今のは全部じょうだ――」
「ねえ、μさん。
 兄さんのお部屋を掃除するの、手伝ってくれませんか?」
「あ……はいっ! よろしくお願いします!」
「――って、なんですとっ!?」

 悪魔の化身がニヤリと微笑む。

 ああそうだ。端から見れば、いがみあっていたμと由夢の和解に見えなくもない。
 料理という戦いの結果、そこに友情が芽生える。実に少年漫画チックな王道っぷりだ。
 ……そこに由夢の暗い策略がなければ、の話だが。

「ほら、お姉ちゃんも」
「あ、うん、そうだね。みんなで一緒にお掃除すれば楽しいよね。
 ね? 弟くん」
「え……あ、その……」

 俺が止めるまでもなく、姉妹揃って階段へと歩いていく。
 二人とも笑顔なのは、その、なんだ、うん、良いことじゃないかな? あは、あははは。

「お二人とも仲良くやっていけそうで、良かったです。
 今日は本当にありがとうございました、義之様。それでは義之様のお部屋の清掃のお手伝いに行ってきます」
「あ、うん、……いってらっしゃい」

 どこか以前より朗らかな表情を浮かべ、μもまた二人の後を追っていった。

 ……まったく。μ――あるいはμにインストールされた”誰か”、か――も随分な状況をcreateしてくれたものだなんて、そんなことを思いつつ。
 当初の予定とはちょっと違うものの結局十三階段を昇り終えてしまった俺は、エクスキューショナーから呼び声がかかるまで居間でじっとしていたのだった。

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Short Story -D.C.U
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