巫女由夢あるいは誕

[da capo U short story]
 一月一日、元旦。一年のうちで初めての、そして多くの人のとっては最後となる神社・仏閣詣り、初詣。本来は製菓会社のでっちあげたチョコレートをどうこうする日と同じくらいうさんくさい代物だが、一週間前にクリスマスを済ませた我が民族にとってはそんなことはどうでもいいことらしかった。
 今日から三日間、その存続を左右するほど膨大な売り上げを見込む神社側にとっても重大な催しとなっており、年々増えていくお守りの種類や色鮮やかな土産物などはそれでいいのかと問いたくなることすらある。

 もちろん俺はそんな資本主義の犬などではなく、最初で最後のお詣りをするにわか参拝客とはひと味もふた味も違う。
 去年は中間期末のたびに百度参りをしていたから、うん、きっと五百回ぶんくらいお詣りしているはずだ。しめて五百円也。

「で、どこに居るんだ……?」

 胡ノ宮神社。いくら俺がベテラン参拝客とはいえ、元旦のこの人だかりの中、知り合いを見つけるというのは困難なように思われた。
 あちらを見れば家族連れ、そちらを見れば巫女姉妹、向こうを見れば着物のカップル。拝殿まではそれに沿うように並んだ出店のせいもあり、見渡す限りの人、人、人。黒山の人だかりとはこういうことを言うのだろう。まるで首都近郊の海岸近くで年二回行われる――――と、それはともかく。

 俺はいま、一人だった。
 朝起きたら芳乃邸に泊まっていた二人の姿は既に無く、あったのはテーブルに置かれた弁当箱と置き書きのみ。俺はありがたくその弁当箱の中から音姉が作ったと思われるものだけ厳選して食べ、眠い目をこすってこうして神社まで出てきたのだ。
 ……いや、弁当は音姉が作ったものだった、ってだけだぞ? うん。きっと。たぶん。

「アルバイトったって、どこに……。
 ああでも見に来てくれ、って書くくらいだから掃除とかなわけ――」
「だーれだ?」

 きょろきょろと首を回していると、その視界が一瞬にして遮られた。
 少しだけ冷たくて、細く滑らかな手。背伸びでもしているのか、背中にぽふっと身体ごと張り付いてくる。

 だーれだ、って。こんなことをしてくる人は一人しか居るまいに。聞き慣れた声も聞き間違えはありえない。
 でもそうだな、明確な証拠をあげるとすれば……。

「73センチ?」
「?」
「あー、いやいやいやいや! だ、誰だろな! 茜かな!?」
「ぶー、正解は私でしたー」

 手を外し、ぴょんと軽く飛び跳ねて音姉が俺の目の前に躍り出た。髪と同じように、その白い袖と赤い袴がふわりと揺れる。
 その場でくるっと一回転。どうかな、なんて微笑んでくる。良いに決まってるじゃないですかこんちくしょう。デジカメ持ってくれば良かった。

「でもひどいなあ、弟くん。私だって分からないなんて」
「いやあ、音姉忙しいと思ったから、まさかそうだとは思わなくて。アッハッハッハ」
「――本当は分かってたくせに」
「うひょいっ!?」

 背後の声。思わず後ずさりつつ身体を反転させると、そこにはいつもの呆れ顔が。
 ただ違うのはその服装。これまた音姉と同様に紅白の装束で、多少袖が余っているのはもはや反則だった。レッドカード三枚。
 音姉よりも身長差があるせいで――身長差があるせいで!――胸元の白い肌にも目がいってしまう。装束の白とはまた違った白さで、なんとも艶かしい。

「で、兄さん。何か言うことはないの?」
「あ、ああ、音姉、よく似合ってるよ。
 ……あと由夢も」
「って、なんでわたしはおまけなの!」
「あはは、とりあえずありがとね、弟くん」

 音姉は苦笑いをしながら、由夢は怒ってるんだか恥ずかしいんだかは知らないが顔を赤くしながら二人して並んだ。
 身内という贔屓目を抜きにしても、二人ともとてもよく似合っている。そもそもからして顔立ちが整っているこの姉妹、よっぽどセンスの悪い服でなければ何を着ても映えるのは重々分かっていたことだ。俺も本人たちには決して言わないが。特に由夢。つけあがるのは目に見えている。

 その後本堂への道から少し脇に逸れたところに出て、よくよく話を聞いてみたところ、音姉のバイトは決定事項だったそうだ。驚かせるために秘密にしていたとのこと。
 由夢はどうやら音姉をバイトに誘った本人が風邪でダウンしたのでその代理、ということらしかった。であるからこそサイズの合わない装束を着せられているのだろう。袴も上げられるだけ上に上げているにも関わらず、その裾は地面スレスレを揺れている。油断したら速攻で転ぶ長さだ。

「あ、そういやカイロ持ってきたんだった。
 和服って寒いでしょ? はい音姉、それと由夢」
「わ、ありがと〜、弟くん。装束だと厚着ってできないからねえ。和服で皮ジャンとか着るわけにもいかないし」

 どこのナイフ少女ですかそれは。
 由夢は「それと」が気に入らなかったのか、無言でカイロを受け取った。それでもいそいそと封を開けて服に入れるあたり、やはり寒かったらしい。

 しかし珍しいと思う。由夢がこんなの手伝うなんて。しかも正月の朝っぱらから。
 こりゃ明日は大雪だろう。

「……兄さん、何か言った?」
「空耳だ」
「あはは、由夢ちゃんは弟くんに巫女服見せたかったんだよね〜?」
「ちょ、お姉ちゃんっ!」
「ほお?」

 それは良いことを聞いた。

「い、いや、別に兄さんに見せるとかじゃなくてね、その」
「ほほお?」
「えと、お姉ちゃんのお友達の代理で、困ってそうだから、だから、でもわたししか居ないし」
「ほほほお?」
「そりゃ眠かったけど、折角の機会というか、だから別に兄さんに見せたかったとかそういうわけじゃ微塵もなくて」
「ほほほほほほほお?」
「だから、その――――えいっ!」
「ふゴっ!?」

 揺れた。視界というか、身体全体というか、命そのものが。衝撃で膝をつく。
 目にも留まらぬ神速の抜刀術……ではなく裏拳。その証拠に音姉は「どしたの? 大丈夫?」なんて不思議そうに声をかけてきている。
 っていうか痛い、痛いよ。冷や汗出てきた。

「兄さん、どうしたんですか? お腹が痛いなら帰った方がいいですよ?」
「この……!」
「まあ兄さんは鈍いから、お腹の痛みにも強いんでしょうけど」
「当たり前だ。由夢の料理で鍛えられたからな」
「……」

 やべ、と思ったときにはもう遅い。
 だって仕方ないじゃないか。そういう言葉が滑らかに出るように調整済みなのだ、俺は。そして自分の置かれた立場を考慮しない。杏や杉並が居たら鼻で笑われているだろう。

 そうして俺がガードする間もなく。
 二度目の裏拳が、再び俺の腹部に叩き込まれた――。


       ○  ○  ○


 それから「時間だから」という音姉と別れ、なぜだか由夢と境内を見て回ることに。
 由夢はバイトの時間じゃないのか? とも思ったが、まあ、音姉が変に気を回したというのが実状だろう。あるいは由夢は代理だから、仕事の効率は音姉のが良いとか。

 理由はともかくとして、俺の隣ではその由夢がとことこと俺に歩調を合わせて歩いている。たまに見える裾の隙間から見えるのは草履。少しだけ歩きづらそうだった。
 俺の目線より少し下にあるお団子頭は割合きょろきょろと周りと見回していて、指摘すれば怒るだろうが、どこからどうみても楽しんでいるように見える。そういえば由夢とこうして二人でぶらぶらするのって久しぶりだな、なんてどうでもいいことを思いつつ。

「なんかやってみたいのとか、あるか?」
「っ! べ、別に、わたしだってもう子どもじゃないんだから、そんな」
「誰もケチつけてねーだろ……。
 だいたい子ども子どもって、姉があれならいくら楽しんでても子ども扱いはされないだろ?」
「お姉ちゃんはまあ、なんというか……」

 由夢が少しだけ溜息。
 分かる気がする。例えばいま隣に居るのがもし音姉だったら、そのはしゃぎっぷりは容易に想像できた。頭にお面、右手にヨーヨーと金魚、左手に射的の景品とスーパーボールとわたあめ、なんてことになっているに相違ない。

 それと比べ、由夢は別段何も持っていないし、歩き方が外向きのぴしっとした体勢のせいか、清純な巫女さんに見えないこともない。詐欺だ。
 実際歩いているとちらちらと見られている視線も感じる。まあ、そういう輩も多いのだろう。音姉が変に絡まれてなければいいが。

「ねえ兄さん、明日の午後って空いてる?」

 ぶらぶらと由夢より一つ高い視線から屋台を見通してると、不意にそんな声がかかった。

「明日? 悪いな、午後は『新年あけましておめでとうございます、今年もよろしく歌謡ヒット曲集今年もやりますオールスターものまね大バトル黄白なんて目じゃないぜスペシャル』を見なくちゃいけないという重要案件があるんだ」
「そう。じゃあ、六時までには家に戻ってきて?」
「ばっか、六時って言ったら『新年あけまして以下略』の途中に入るニュースタイムだろうが!
 その時間はトイレタイムと決まっている」
「……六時までには――」
「オーケー分かった、だからその拳は仕舞え、な?」

 巫女装束の袖から見える白い細腕。由夢は渋々とそれを引っ込めた。
 っていうか番組名を丸暗記していたことに対するツッコミは無しなのな。少し寂しい。

 由夢は俺が承諾したにも関わらず、相変わらず不機嫌そうな表情。まあむしろこれがデフォルトなので気にしないことにする。
 やっぱり忘れてるし、とか言われても何のことやらさっぱりだ。

「じゃあ明日の約束もできたし、そろそろわたし着替えて来ようかな」
「ん? だってまだ昼前だぞ?」
「や、ちょっと商店街に用があるから。兄さんは屋台でも見ててよ。お姉ちゃんは忙しいだろうけど」
「ふーん、まあ、用があるなら仕方ないが。
 しかし勿体ないなあ」

 折角の巫女装束だというのに。

「由夢、あんまりおしゃれってしないからな。わりと新鮮で似合ってたぞ」
「へ?」
「もうちょい身長があれば凛々しく映えるんだが……まあ可愛らしくていいのかもしれん」

 ぽん、とその小さい身長の頭に手を置く。百五十三センチ。丁度肩口で、手を乗せやすい高さだ。髪も柔らかいし。
 あんまり触らせてはくれないが、俺は由夢の髪を触るのは結構好きだった。他に頭を撫でるような知り合いもいないし。さくらさんは流石にちょっと。

 いつもなら文句の一つも出るのだが、今日はなんだか何も言われず、由夢はぽーっと俺の方を眺めているだけだった。
 普段から嫌がっているわけではないとは、思うのだけど。まあよしとする。

 そうして由夢が意識を取り戻して慌てふためくまで、俺は存分にその巫女の小さな頭を撫でてやったのだった。


       ○  ○  ○


 時計はぐるぐるっと回って、翌日。
 甘酒で酔っぱらうという快挙を成し遂げた二人がどうなっているか心配だったが、起きてみれば特にアルコールは残っていないようだった。まあ残られても困るのだが。俺が。
 ちなみに二人とも昨日の夜の事は詳しくは覚えておらず、仕方なく昨日の時代劇は最新科学を取り入れたSF冒険活劇の感動巨編だったと吹き込んでおいた。さくらさんと話を合わせるために必要らしい。
 さくらさんも驚くだろうな。江戸時代の町人が重力場がどうとかって話をしている時代劇なんて聞いたら。

「よし、じゃあこれでどう?」
「……弟くん、ほんっとに真面目に選ぶ気あるの?」
「ありますともさ」

 ちなみに俺が持ち上げたのはパーティー用の鼻メガネ。いやいや、なかなか似合うと思うんだが……由夢に。

 というわけで、俺と音姉は商店街に来ていた。由夢の誕生日プレゼントを買うのだそうだ。悪いがすっぱり忘れていた。
 俺が選んだものなら何でもいい、とか言っていた音姉は先ほどからそのことごとくを却下している。なにゆえ。

「そんなのもらって、由夢ちゃんが喜ぶと思う?」
「いやいや音姉、誕生日プレゼントは喜ぶか喜ばないかじゃない。面白いか面白くないかなん――でもありません、ハイ」
「……もう。だいたいそういう冗談、由夢ちゃんが嫌いなの知ってるでしょ?」

 だから良いんじゃないか。
 例えば杏や茜にネタプレゼントを贈ったところで、次の俺の祝い日にもっとえげつないプレゼントが返ってくるだけだ。
 これが由夢ならいたずらできて俺がはっぴーになれる。……ま、裏拳三発は確定だろうが。

「でもさあ、なんていうか、あんまり真面目に選ぶのも恥ずかしいというか」
「あはは、由夢ちゃんは弟くんの選んだものなら邪険にするはずないじゃない。喜んでくれるよ」

 さっきっから却下しまくりの人がそんなことをのたまう。
 というか、それが恥ずかしさの原因だろうに。真面目に選んだものを真面目に大切にしてくれるなんて、その、なんというか、なあ?

 なお音姉も音姉で自分から贈るものを色々と品定めしていた。主に服飾品。女の子同士だ、感性が合うのだろう。
 これで身体の体型も近ければ試着してみることもできたろうに。ウェストは同じようなもんだが、身長が六センチ、あと某部分が同じくらい違ったはずだ。どことは言わないが。音姉の名誉と、俺の生命の安全にかけて。

 ……結局、音姉はなんか新色のリボンを、俺はバスグッズのセットを買った。バスグッズは贈り物だと言ったらメッセージカードまで渡されて少々困ったが。「誕生日おめでとう」くらいしか書かなかったが、音姉が言うにはそれで充分とのこと。何がそんなに嬉しいのやら。

 音姉の体調? 別に何の問題もなく、普通にしゃきしゃき歩いてるけど?
 昨日は「寒かったけどカイロがあって助かった」とか言ってたから、無かったら風邪のひとつでもひいてたかもしれないけどな。


       ○  ○  ○


「由夢ちゃん、ただいま〜」
「帰ったぞー」

 芳乃邸に着く頃には、既に日も暮れていた。由夢による脅迫――もとい約束をかろうじて覚えていた俺は音姉と共に時間通りに帰宅。
 もっとも、思い出したのは帰りの道中で、「そんな約束してたなら間に合わないと!」という音姉の一喝のもと、全力疾走してきたというのが正しい真相ではあるのだけれど。

「おかえりー。
 もう、こんなときまで時間ギリギリじゃなくても」
「悪い悪い、選ぶのに時間かかってさ」
「選ぶのって……。
 まあ、お姉ちゃんの買い物に兄さんがどれだけ付き合おうと、わたしは別にいいですけど」

 ぷいっと由夢がそっぽを向く。その仕草にどことなく優越感。

「あはは、違うよ。今日はほんとは洋服のお買い物じゃなかったの」
「え、だって朝は冬服を見に行くって……」
「お前に知られたくなかったんだよ。ほれ」

 首を傾げている由夢に、綺麗にラッピングされたその箱を差し出した。
 横から「もう、そんなぶっきらぼうに渡さないの」なんて小言が聞こえたが、気にしない。頬が熱い感じがするのは今まで寒い中、外を歩いていたせいなのだし。

 由夢は由夢で大きな目を真ん丸に見開いて、その箱をまじまじと眺めてから両手でそっと受け取った。まるでそれが神聖なものであるかのように。
 ただのバスグッズだぞ? 俺がわりと真面目に選んだだけの、ただの。

「……開けていい?」
「好きにしてくれ」

 驚きが一転、ぽーっとした表情のまま包みを解いていく。めんどくさいだろうに、テープを一枚一枚丁寧に剥がしながら。
 隣では音姉が嬉しそうに微笑んでいた。

 ぺり、ぺり、とテープが剥がされ、徐々に包装紙が薄くなっていく。
 しかし最後の最後までその内容が現われることはない。包装ってのはそういうものだ。

 そうして最後の一枚が剥がされ、ぽろっと落ちたのはメッセージカード。
 普通は包装紙の外に貼り付けておくらしいのだが、まあ、なんだ、それだと面白みがないじゃないか?

「……」

 無言。由夢は相変わらずのぼせたような表情のまま、メッセージカードの封を開け中身を読んだ。
 瞬間。

「……、っ……」

 え? と思った。呆気にとられるとはまさにこのこと。
 それを解釈するより先に、隣でにこにこしていた音姉が俺の横を通り抜けて。

「はい、じゃあ弟くんは十分経ったら居間に来てね。
 それまで襖を開けちゃダメだよ? あ、部屋には戻っててもいいけど」
「はい?」

 音姉は俺にそう言うと、由夢の肩を持って居間へと消えていった。ぱたん、と戸が閉められる。

「……はい?」

 もう一度声に出してみるものの、俺の疑問に答えてくれる人はどこにも居らず。
 そうして俺はしばらく呆けていたのだった。

 ……だって、まさか泣くなんて思わなかったから。


       ○  ○  ○


 一旦自室に戻り、ベッドでごろごろしつつ時間潰して十分後。
 音姉の「もういいよー」とのかけ声で居間へと降りていった。妙に恥ずかしいのは気にしないことにする。

 閉まっている襖に手をかけ、特に勢いをつけるでもなく、かといって音を立てないように気遣うでもなく、なるべく平静を装ってそれを開いた。
 と。

「おおっ?」

 装っていた平静は思ったより容易に崩れて。
 それは目の前に広がる、色鮮やかな食卓のせい。

 ポタージュやサラダもいつもとは違う容器に入れられて、あまつさえ鶏肉のワイン煮なんてものまで人数分揃えてある。
 普段から食事は質素ではない方だが、それでもその彩りの良さというか、いかにもイベント風な献立には感嘆の声をあげざるを得ない。
 どの料理もできたてらしく、ポタージュなどは湯気まで上げていた。とても食欲をそそられる。

 そして極めつけは。

「……これ、もしかして?」

 そうして二人に視線を振った。

 由夢は真っ赤な顔をして顔を背けてしまった。鼻先が赤いのは、恥ずかしいからだというせいにしておこう。
 音姉はその様子を見て、俺の方を向いてこくん、と頷いた。

 そう。俺が指差した、テーブルのど真ん中に鎮座する”それ”。
 売り物にするには不格好で、でも俺にとってはどんな売り物よりも驚いた、その裏にどれだけの努力があったか想像するだに難しい、

 由夢の作ったケーキが、そこにあった。

「ほー……」

 馬鹿にするのも躊躇われた。それほどに進歩を見せたその腕前と、その結果。
 まじまじと見つめながら俺のために空けられたと思われる場所に腰を降ろす。

「うまそうだな、ケーキ」

 言うと。

「ほら、やっぱり褒めてくれたじゃない」
「――っ! べ、べつに兄さんのために作ったわけじゃないし、褒められたってべつにその……」

 その慌てっぷりに、思わず苦笑する。つられてか、音姉も微笑んだ。
 それを見て由夢が今度はむすーっとした表情を形作るけれど、それだって照れ隠しなのを俺も音姉も充分に知っている。

 由夢がまた言い訳を始めそうだったので、俺は音姉に目で先を促した。この辺りは流石音姉といったところ。
 パチン、と照明が落とされる。

「ま、誕生日って言ったらこうだよな?」

 ぽっ、ぽっ、と灯されていく蝋燭。その数は由夢の歳と同じだけ。

「わ、綺麗……」
「ケーキに立ちきるか、音姉? 穴だらけになるぞ」
「もう、そんなこと言わないの!」

 ゆらゆらと揺れる。日頃見る機会なんて滅多にないせいか。火の明かりが、とても幻想的に見えてしまう。

 その明かりが照らす横顔。由夢は俺の冗談も耳に入っていないかのように、その火をじっと眺めていた。
 やがて。

「ね、兄さん」
「ん?」
「さっきの、ありがと。お礼言ってなかったよね?」
「ああ、いいって。ありがたく受け取っておいてくれ」
「あはは、なにそれ」

 無邪気に笑う。
 照れ隠しですらない、喜びに満ちたその表情。これだけの反応をしてくれるのだったら、もっと高価なものを贈っても良かったな、なんて思ってみたりして。

 蝋燭を挟んだ向こう側、音姉が点火を終える。それと同時に俺が手拍子を始め、「はっぴばーすでーとぅーゆー♪」と歌い始め。
 つられて音姉と合唱に。由夢は最初こそ「恥ずかしいからいいよ」と手をわたわたと振っていたものの、結局最後まで歌い終えてしまった。
 こんな歌、今まで学校の合唱で強制的に歌わされたか、仲間内で冗談で歌うくらいの経験しかなかったのに。真に心から贈るとなると、その短い歌詞が胸に来る。
 特にDEARなんて言葉とか。恥ずかしいけど、誇らしかった。

 そして由夢がふうっと一息……では足らず、二息三息ふいて蝋燭を消火。
 いえーい、と拍手してから電気をつけ、音姉が三人分にそれを切り分ける。手作りのため板チョコなどはのっておらず、それを切る切らないでモメることもなかった。

「はい、これが弟くん」
「ん。
 ……って、大きくない?」
「それでこれが由夢ちゃんで、これが私、っと」

 スルーですか。
 ま、わざとだろう。頂戴しておくことにする。

 そして各々に飲み物が行き渡り、準備完了。
 ちなみにアルコールは諸々の事情で却下。甘酒で酔う人にワインは百年早い。

「じゃ、かんぱーい!」
「かんぱい!」
「かんぱいっ」

 かこん、とグラスの良い音色。食器といいこのグラスといい、とっておきを引っ張り出してきたらしい。
 見たこともないものもあるから、あるいは買ってきたか。由夢がそんなことするはずないから、音姉が年末に買い置きしていたに違いない。さすが。

 ぐいっとジュースを飲んで、フォークを手に取る。
 だってしょうがないだろう。主に俺の右手方向から、強烈なまでの視線を感じるのだから。しかも本人は気付いてないっぽいし。

「……」

 なるべく気にしないようにして、多少形の崩れているそのケーキにフォークを差し込んだ。
 世の中には見た目は綺麗だが味は最悪、という料理を作る人も居るらしいが。由夢の場合は味と見た目が連動しているので、このケーキはまず間違いなく美味しいだろうと確信できた。
 形の崩れをのぞけば、材料なんかも新鮮なものを使っているのが一発で分かる。丁寧さも見て取れた。

「泣くなよ?」
「だ、誰がそんな――」

 ぱくっと一口。
 無意味な形容は不必要。
 だってこんなにも努力して作られたケーキが、美味くないわけないじゃないか。

「うん、美味いぞ。大したもんだ」
「――、」
「あはは、やったね、由夢ちゃん」

 由夢の方を向かず、そのままケーキにぱくついた。
 音姉も「あ、おいし〜」なんて言っていて、由夢が相槌を打つ気配もある。だったらそれで良いだろう? 何もその表情を確認するなんて、野暮なことをしなくてもさ。

 ……こうして誕生会は始まった。
 俺が由夢の作った料理を食べて、音姉が笑って、由夢は喜んで、笑って、時には照れてむすっとして。
 そんななんでもない、普通の暖かい誕生会。座っているだけで、由夢がどれだけ楽しみにしていたのかを俺は肌で実感できた。

 だから俺は、心の中でもう一度呟いた。面と向かってじゃ、俺も由夢も恥ずかしいから。
 きっと由夢も分かってくれる、そんな確信をどこかに抱いて。


 ――ハッピーバースデー、由夢。

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Short Story -D.C.U
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