また会える

[da capo U short story]
「本当に、構わないの?」

「博士。その質問は今ので二十三回目だぞ。
 むろん、美夏の答えは変わらない」

「そう……」

 水越博士はそう言うと、再びモニタ画面に向き直った。

 一月二十二日、深夜。
 美夏はおよそ一ヶ月前と同じように、そして五十年前と同じように、保管装置の中で天を見上げている。
 朽ちてきた洞穴。一ヶ月前は頭に血が上っていてそれどころではなかったが、長く伸びた鍾乳石は薄くなったテレビよりずっと年月を感じさせた。

「これも因果よね。
 桜内くんがあなたを起動しなければ、私はあなたに会うこともなかった。
 あなたの面倒を見るのは、私の次かその次の世代だと思っていたもの」

「……美夏とてそう思っていた。
 美夏が次に起きるのは、天枷博士の名がとうに消えている未来だろうとな」

 よもやそれがたった五十年で起きてしまうとは。
 天枷博士の名が消えるどころか、これでは当時生きていた人間が残っているほどに短い。

 身を沈める。久しぶりに入ったハイバネーションカプセルは、なんだか窮屈な気がした。
 まるで身体が眠るのを嫌がっているかのように。それは、一ヶ月前にはなかったもの。

「だが、この世に偶然などというものはない。
 全ては因果。美夏が五十年前ここで眠り始めたときから、この時代に目覚めることが決まっていたのだろう。
 それは時代の要請でもなんでもなく……ただ、数字の悪魔の導きで」

 悪魔でも神でもいい。この時代に美夏を目覚めさせた張本人が居るならば、美夏は言ってやりたい。
 どうだ、こうなることは予想できなかったろう、と。

 ……ああでももしかしたら。
 美夏にとってのそれは、屈んだ拍子に膝でボタンを押しただけの、あのごく普通の青年なのかもしれない。

「次に目覚めるのは、いつか分からないわよ。
 本当に、それでも――」

「くどいぞ、博士。研究者たるもの、見切りをつけるのも肝心だ。
 こだわりすぎるとロクな結果にならん」

「あ、それもしかして経験者は語る、ってやつ?」

「……」

 博士は机の方を向いたまま、軽口。
 ゆらゆらと揺れるタバコの煙は、まるで落ち着かない水面のようで。

 紫煙は地中に吹き込む微かな風にたなびき、人工の壁を撫でていく。
 年月は化学物質すら蝕み、所々はひび割れていた。

「五十年、か。長いようで、さほど長くなかったような……不思議な感じだ」

「そりゃそうでしょうよ。私だって五十年がどんな長さなのか、分からないもの。
 まして自分の姿形まで変わらないんじゃ……妖精か魔法使いにでも聞いてみるしかないわ」

 妖精か魔法使い、なんて。
 博士からそんなファンシーな単語が出てくるとは、本当は研究者に向いていないんじゃないだろうか。

 そしてだからこそ――彼女が美夏の責任者だったことに、感謝できる。
 天枷博士は、祖父であり父であった。ならば水越博士は、姉であり母である。

 まあ母なんて言ったら、「そんな年齢ではない」と怒られるだろうが。

「……ふう」

 博士が一つ大きく息を吐いた。
 カチ、というキーを叩いた音と共に、某かのプログラムが画面上で走り始める。博士はそのモニタから目を逸らさない。

「ねえ、天枷」

 姉のようで、母のようで。
 間違いなく人間的な。

「私は全うできたかしら?
 過去の偉人たちの遺産であるあなたを――充分に面倒みてあげられた?」

 それは、この一ヶ月の間ついに出ることはなかった、博士の人知れぬ不安。
 優秀であるとはいえ、博士はまだ若い。天枷博士や、その天枷博士に師事していたという沢井研究員、またその仲間達。彼らに比べれば、博士はまだまだ新米も同然だ。おそらく当時の佐伯博士よりも若かろう。

 次代へこの洞穴を守るだけの役目。それが一転、その遺産の維持管理を命じられた。
 どれだけ天才であろうと、師事した恩人の更に恩人の研究成果であり愛娘である美夏の扱いには、相当苦慮し悩んだはずだ。

 起きた当時は気付かなかった。優秀な研究員の時代に目覚めて良かったと思ったほどに。
 でもそれは博士の努力の賜物で。飄々とした風体の裏にあるその苦悩を知ったのは、美夏の正体が学校にバレてからの、つい最近のことだった。

「いや、博士はまだまだだな」

 だから、美夏は言ってやった。
 心の底からの、思った通りの言葉を。

「……そう。そうよね。
 私が天枷博士たちと肩を並べるなんて、そんな大それたこと」

「ああ。博士にはまだまだ面倒を見てもらわねばならんからな」

「……」

 博士が次のタバコに火を付けた。
 それは無言を隠す、博士の癖。

 だから美夏は続けた。

「美夏は火種だ。それは争いの火種でもあるし、消えそうになる蝋燭の灯火でもある。
 火種というのは難しい物だ。広がって欲しいときに燃え広がらず、予想だにしないときに燃え上がる。
 美夏はな、待っているのだ。美夏という火種を、うまく燃え広がらせることができる状況が来ることを」

「……」

「一ヶ月前、美夏が起きたときにはそんな予兆すら見えなかった。
 だから怒った。憎んだ。そんな状況で起こされては、天枷博士にも佐伯研究員にも申し訳が立たん。
 彼らの高潔を、ただの”偶然””興味本位”で踏みにじったヤツらを許せなかった」

 あの時のことは今でも明確に覚えている。
 「たまたま足が当たった」。その言葉を聞いた瞬間、皆殺しにしようと思ったほどだ。あれほどの怒りは後にも先にもあの瞬間のみ。

 しかし今思えば、その怒りの根源は”美夏の恩人に対する侮辱”なのだ。
 当時は気付かなかったが、一部とはいえ美夏は既に人間に気を許していたのかもしれない。それを認められなかっただけで。

「それに人類そのものが悪者ではないということにも気付いた。
 人間は立場によって、環境によって、社会によっていかようにも変化する。魔女狩り、粛清、虐殺……、そこにも正義はあったのだろう?
 今はロボットにとって混沌とした空気が流れているだけで、人間自体もそれの被害者なのかもしれない。そう思ったのだ」

 これは美夏がロボットであり、それゆえ決定論者であり、自由意志を否定しているからではない。
 完全なる自由意志が存在しようとも、ロボット迫害というものに数的に偏向しているのは事実だ。そしてまた、空気が変わればそれが変わるのも歴史の教えるところ。
 美夏は過去を断罪しようというのではない。未来が変わればいい。であればこそ、自由意志論は本当のところ、どちらでも構わないのだ。

 そのくらいには、美夏は既に人間を信頼している。

「矛盾だと思われるかも知れないが、美夏が眠ることを決心できたのは、義之と結ばれたからなんだ。
 義之や杏先輩たちと接しているうちに、微かな光が見えてきた。それは放っておくと消えてしまう光。けど、確実にそこに在る光。
 だから美夏と義之は決意した。美夏たちが、ロボットと人間の架け橋になろうと」

「へえ、そんなこと考えてたのね……」

 浮遊要塞初音島から世界征服を経て、義之とともにそこに帰着した。
 もしかしたら美夏がそこに至るということを、杏先輩は最初から分かっていたのかもしれない。あるいは微かな夢を美夏に託したか。
 今となっては、どちらでも構わない。杏先輩は分かっていたけれど、分かっていなかった。それが正解だろう。

「既に賽は投げられた。美夏という”ロボット”は稼働し、世間に知れ、初音島全域に広まっている。
 その賽は美夏たちが投げたのだ。火種があるのなら薪を集めればいい。空気を送り込めばいい。
 状況ができるのを待つのではなく、その状況を作っていく。それが美夏の選んだ道だ。橋は勝手にはかからないからな」

 やるだけのことはやった。あとのことは義之たちがいる。
 だから美夏は不用意に火種が燃え上がるのを防ぐだけ。熟成を待ち、最適な時期に最後のスイッチを押す。
 そのスイッチは、もちろん美夏自身。

「……ふとした拍子にあたった膝が、これだけのことを引き起こすなんてね。
 ほんと、未来ってのは分からないものだわ。蝶が竜巻を起こすことより遙かに想像つかないわよ、これは」

「それは美夏にだって同じことだ。投げた賽の出る目は分かっても、その後のことはカオスに飲み込まれていく。
 美夏は不用意な要素を排除して、あとは信じて待つだけだ」

 それが状況を作るということ。介入だけが全てじゃない。時には姿を消すのも必要。

 だから美夏にとってこれは、逃げるための眠りではなく、次のステップへ行くための眠りなのだ。

「いいか、博士。必ず美夏が起こされる日が来る。美夏が拒否しようとも、社会がそれを許さない日が、確実に来る。
 それはもうすぐ近くにあるんだ。だから、博士にはこれからも面倒をみてもらわなければならん。
 それが終わるまで――充分などということは、絶対に無いのだ」

 一年か二年か。はたまた五年か十年か。細かくは分からないが、それでも確実に、再び水越博士に世話になる日がやってくる。
 そこには絶対に義之が居て、杏先輩が居て、みんなが居て、最後の火種が燃え上がるはずだ。美夏がそう決めたのだ。悪魔にだって反論は許さない。

「――ッ、ありがとう、天枷……」

「礼を言われる筋合いはない。
 それでもそう言うのなら……できる限りのことをしてほしい。美夏には、信じることしかできないから」

「言われなくても……っ、当然よ……」

 ごおおおお、とカプセルへの酸素供給が始まる。

「本当に、いいんだね……?」

「二十五回目だ、博士。そんなに自問するな、責任がほしければ美夏が全て背負ってやる。
 ……それと、見送りは不要だぞ。そんな顔を、何ヶ月も反芻されたくなかろう?」

「一言、余計、よ……」

 ……カプセルの蓋が閉まっていく。外界との音が遮断されていく。聞こえるのは、スピーカーからの無言。

「安心しろ、博士。絶対に――」

 空気が薄まり、温度が下がっていく。
 次いで、頭に繋がれた回路から次々と処理が実行されていった。
 ――随意筋活動停止。
 ――ボイスサーキット停止。
 ――センサー機能、ハイバネーション状態に移行。
 ――代謝機能、ハイバネーション状態に移行。


 薄れ往く意識。憎しみに全身を支配されて眠っていったあの時とは違う、信念に満たされた安らかな眠り。
 将来の復活への希望を胸に秘め、グリッドの海から深層へと落下していく。それは、原始のスープへ落ち行く生命の根源のようで。あるいは、最後の審判を信じるキリシタンの如く。

 深い深い希望の底へ、美夏は意識を沈めていった。


「――また、会えるから」

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Short Story -D.C.U
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