ここでまさかの磯鷲

[da capo U short story]
 界門綱目科属種。カール・フォン・リンネによる提唱が礎となったこれらは、つまりは生物を分類する上で非常に重要な役割を担っている。
 人間で言えば 動物界 脊椎動物門 哺乳綱 サル目 ヒト科 ヒト属 サピエンス だ。どこに住んでいようが障害を抱えようが職業がなんだろうがここまでは全く共通の枠組み。

 ……だが。
 リンネの枠も輪廻の枠もぶっ飛び越えてそうなこの男には、特別の場所を用意せねばなるまい。

「はーっはっは!
 ボ○バーマンとゴールデン○イで爆弾の配置を研究し尽くした俺にとって、たかだか教室一つのトラップを除去することなど造作もないことよ!」

 ――そう。
 例えば、スギナミ属 スギナミ とかな。



       ○  ○  ○



 さて。
 杉並が無意味にいきり立つのに理由は必要ないだろうが、どうして俺までその片棒を担いでいるのかは、説明する必要があるだろう。

 六月に入ったばかりのこの時期、いくら桜が咲き乱れているこの初音島にも雨季というのはやってくるもので、俺たちは鬱々とした気分でそのじめじめした気候の中頑張って生きていた。
 教室を見渡せば机に伏せっている茜の背中が見え、疲労の色が濃い弱々しくなったポーカーフェイスの杏の横顔が見え、妙に猫背になってぐったりしている小恋の肩口が見え、あまつさえ机に肘をついて頭を抱えている委員長の姿まで見える。

 みな疲れていたのだ。それは肉体的にも、精神的にも。どんよりとした天候が続く空、水の中に居るのではないかと錯覚しかねない湿気、カーボンダイオキシドの影響によるかもしれない猛暑、そして、先週終わったばかりの体育祭。
 そこに「六月」という、楽しみも何もない日付が重なれば、こうも陰鬱な空気になるのも分からないことではなかった。ましてやこのクラスは楽しいことが大好きなのだ。翻せば楽しいことがなければ、こうもなる。

 そしてまあ。
 こういう空気を吹き飛ばす、ある意味一番「らしい」ヤツっていうのは、結局。

「元気がなさそうだな、諸君! 若いのは元気がなくちゃいかんぞ!?
 ……というわけで同志桜内、板橋。どうせ暇ならその時間、有意義に使いたいと思わんか?」

 学名Suginamin Suginamiの、コイツなわけだ。



       ○  ○  ○



「で、どうやって入るわけ?」

 杉並に連れられてきた先は、生徒会室だった。
 放課後といえど生徒会室は基本的に施錠されている。もっとも杉並なら開けるのは造作もないことかもしれないが、それをみすみすさせるまゆき先輩ではない。以前は警報機が設置されていたこともあったし。

 ちなみにそのまゆき先輩は渉の命が懸かった鬼ごっこを現在進行形で敢行中のご様子。「善良な一般生徒」の情報により、渉が女子更衣室へ潜入しようとしたことがリークされたのだそうだ。
 もちろん渉の名誉の為に言っておくが、本当のことではない……………………と、思う。たぶん。おそらく。きっと。もしかしたから。

「なあに、鍵を開ける方法というのはそう難しいものではない。
 ときに桜内、ソーシャル・エンジニアリングという言葉を知っているか?」
「知らん。
 ソーシャル……社会、技術?」
「鍵を破る方法はその鍵を『突破する』ことだけではない、ということだ。
 なに、まあ待っていろ。じきに分かる」
「……?」

 腕組みをし、廊下の壁にもたれかかる杉並。こいつの図太い神経はどうやら自然現象にも有効なようで、クソ暑い中学ランを着ているというのに汗の一つもかいていない。その上体調を崩すこともないのだから、やはりこいつをホモサピエンスに分類するのは間違いだろう。あるいはこいつこそが真のホモルーデンスか。

 廊下に漂うこれでもか、というくらいにどんよりした空気。北風と太陽が居るなら俺はまっさきに北風に投票したい気分だ。しかし窓を開けたところで入ってくるのは生温い風で、もはや我慢ならん、俺はクーラーガンガンに効いた学園長室に行くぞ、と杉並に告げようとしたとき。
 杉並が身体を起こし、廊下の奥へ視線を促した。見る。見たことのある女子の先輩が、暑さに背を曲げながら歩いてきていた。

 ――って。いやいやいやいやいや!

「あれ? なんだ、助っ人って朝倉の腰巾着じゃん」
「いや、ただの腰巾着ではない。これでもなかなか見所がある男だ。
 朝倉姉を無効化するとっておきの切り札でもあるしな」
「話には聞くけどねえ」

 すると俺を「腰巾着」と言ってのけたその本校の女子生徒は、俺に手を差し出して。

「ほんと、耳にタコができるほど聞いてるわよ、君のことは。
 ま、せいぜい頑張ってちょうだい」
「は、はあ……」

 その細くて白い手に、握手を返した。
 音姉ともまゆき先輩とも違うタイプだが、綺麗な人だとは思う。快活、というか。どことなくさくらさんに似ているような部分も多い。ただ、そこに杉並や杏のような「面白いこと好き」というハタ迷惑な属性が備わってはいるものの。

 先輩は握手を離して「それにしてもあついわねー」なんて言いながら、スカートのポケットからぶっきらぼうにカギの束を取り出した。
 女っ気の欠片もありゃしない。黙っていればお淑やかに見えないこともないだろうに。

「はい、じゃあ入ってー。冷えるまで時間かかるから、それまでは我慢してちょうだい。
 ったく、手芸部辺りの予算削ってクーラー買い換えようかしら……」

 かちゃかちゃと生徒会室の施錠を解き、先輩が俺と杉並を中へと促す。
 これがソーシャルうんたらというやつなのだろうか。杉並を見ると、自慢げにアイコンタクトを返してきた。何の事やら。

 杉並に続いて俺も見慣れた生徒会室の中へ。いつ見ても綺麗な部屋だ。
 そして生徒会室の端にあるクーラーの端末を「最高風速、十八度でいいわよね」なんて言いながらいじっているのは、この部屋の施錠を解いた、

 ――現生徒会長の磯鷲涼芽、その人だった。



       ○  ○  ○



 ノリがいい人というのは、気さくで提案に快く賛同してくれる反面、物事をあまり深く考えない。
 俺の周りで言えば渉や茜といった辺りがそうか。基準は「面白ければ何でもいい」というもので、いつも迷惑を被るのは俺のような成績優秀品行方正スポーツ万能将来有望で善良な一般生徒なわけだ。……ごめん、ちょっと嘘ついた。
 ともかくそんな人間が二人も居て、更に権力まで加わっているとすれば、俺にかかる負担は計り知れない。

「ったく、高坂の奴どこに隠したってのよ……。
 杉並ぃ、ほんとにそんな大金をあの二人が没収したんでしょうね?」
「ああ、間違いない。取られたという生徒から直接聞いたからな」
「カタブツのあの二人のこと、生徒会室の外に持ち出すはずはないだろうし……。
 あ、腰巾着くん、もうちょっと左寄って」

 ……。
 要するに、そういうことのようだった。
 こういうどうでもいいことには、杉並の頭はすぐに回る。そしておそらく磯鷲会長もその類の人だ。
 だってそうだろう、杉並なんかの言を易々と信じているのだから。それだけ音姉とまゆき先輩の信頼が薄い――むしろ篤い?――ともいえるが。

「ちょっとー、聞いてる? もうちょっと左」
「あ、はい、すいません」

 頭をぺしぺしと叩かれ、慌ててカニ歩きで一歩左へと動く。
 ちなみに磯鷲会長の声は当然のように俺の頭上から降ってきていて、俺の双肩にはその体重がモロにかかっていた。精神的な負担はともかく、物理的な負荷まで担うことになろうとは。この年になって年上を肩車するとは思わなんだ。
 あと体重を崩すたびに人の頭を腿でおもっくそ挟むのは、正直勘弁して欲しい。色んな意味で。目線の真横にスカートの裾があるとか、俺は精神修行者か何かなのだろうか。

「そういえばさー」
「はい?」
「卒パのときは悪かったわね。商品あげられなくて。
 ったく、あの野暮な二人さえ居なければ……」
「ああ……。まあ、過ぎたことですし」

 ゆらゆらと身体が揺れる。それというのも、会長が人に跨っているというのを忘れたかのように捜し物に熱中しているせいだ。落ちる可能性など考えずに身を乗り出して、ロッカーの上のダンボールを片っ端から漁っている。
 当然俺としてはその脚を強く押さえつけねばならず、更に首も曲げなきゃならないしで大変なことになっていた。いやほら、首をあげたら当たるんだもん。

 杉並はといえば、視線を回すと会長の白い肌の向こう、わりと真面目に件のお金を探していた。もとい、探しているようにみえた。
 だってそうだろう? 杉並が真面目にそんなことをするわけがないし、捜し物をするのにカメラもメモ帳も必要はあるまい。

 と。その杉並が携帯を手に。何かあったらしい。

「……ふむ。板橋からメールが来たぞ」
「死んだ?」
「死んだらしい」
「あー、死んじゃったか」

 三人して頷く。渉のポジションなんてこんなもんだ。
 会って間もない会長にまでそう扱われるとは、きっと渉はそういう星の下の生まれなのだろう。

 ちなみに死んだ、というのはもちろんまゆき先輩のお縄にかかったということで、そうなると渉の口はもはや水素ガスより軽くなる。
 それすなわち。

「腰巾着くん、こっち!」
「う、うわっ!?」
「こらー、杉並ぃっ! 全部板橋に聞いたわよ、洗いざらい白状しなさいっ!」

 俺の肩から飛び降りた会長に暗所へ放り込まれると同時、まゆき先輩が生徒会室へと突入してきた。



       ○  ○  ○



「ふふ、どうやって生徒会室に侵入できたかは知らないけれど、もはや退路はないわよ、杉並。
 隠し通路も隠し扉も全て塞いでおいたわ。バックドアだか何だか知らないけど、これでチェックメイトね」
「何を言うか。
 虎穴に入らずんば虎子を得ず。自然界ならまだしも、今ここで俺を捕らえたところで事実はあの会長とやらに伝わるぞ?
 虎子を得ればつまりは勝利だ。そして俺は既にそれを得ている。俺の勝ちは揺るがん」
「そんなハッタリ――」
「だと思うか?」
「ちっ……」

 杉並とまゆき先輩の声が聞こえる。状況からすればどう見ても杉並は劣勢なのだが、相も変わらずブラフまみれの話術でのらりくらりと追及をかわしていた。
 まあ、杉並自体デタラメの塊みたいなもんだしな。嘘の塊が嘘ついて何が悪いんだ、って感じだ。
 むしろ杉並が本当のことを言ったら、それこそ嘘じゃね? ほら、なんかあったろ、嘘つきのナントカが「私は嘘です」ってつくとパラドックスになるやつ。あんな感じ。

「あれ? 確か、弟くんも居るって話だったけど」
「ふん。板橋の話を易々と信じるとは、程度が知れるぞ高坂まゆき。
 それは奴が吐いたブラフだ」
「……板橋がそんな頭を回せると思えないけど」
「……今のは失言だったかもしれん」

 声だけがそのまま続く。そう、声だけが。

 なぜか。そんなもの、決まってる。

「――かーっ、高坂のやつ、ホント空気読めないわね。
 さっさと出て行かないかしら……」
「あの、すいません、会長。できればもうちょっと……」
「え? んー、そんなこと言ってもねえ」

 放り込まれた暗所。そこには会長も滑り込んできて。
 ……要するに、掃除用具入れに二人揃って入っているわけだ。

 そもそも掃除用具入れというのは、人が入るように想定はされていない。それも一人ならまだしも、二人なんて。
 小さな窓の向こうからは微かに外の様子がうかがえるが、それにしたってうまく立つことができないこの体勢では視点すら固定されてしまっている。頭を動かそうものなら、即俺の頭は会長の身体のどこかに当たってしまうだろう。
 体育祭で小恋の胸に頭を突っ込まされた――あくまで受動態な――が、面識のない会長にそんなことをするほどの度胸もスケベ根性もありはしない。渉ならチャンスとばかりに暴れ回りそうだが、まあともかく。

「だいたい勝手に入ってるくせに、どうしてそんな横柄なのよ。
 あたし、ちゃんとカギ閉めたはずなんだけど」
「そんなもの俺が知るか。俺が来たときには開いていたのだ。それ以外のことなど知らん」
「……はあ、いっつもあれだけ口酸っぱくして言ってるのに、まだ戸締まり忘れる役員が居るのかしらね。
 体育祭ボケもいい加減にしてほしいわ」

 はあ、と溜息まで聞こえてきそうな口調でまゆき先輩が言う。
 そして当然。

「高坂のやつ〜!」

 小声で憤る人が一人、出るわけで。

「ちょ、会長、落ち着いて! 見つかりますよ!」
「だー! だいたい、なんで私が隠れなきゃならないのよ!
 会長なのよ、か・い・ちょ・う! それが下っ端の没収したお金を探して何が悪いのよ!?」
「また隠されたらマズいでしょう!?」
「キーッ!」

 今にも飛び出ていきそうな会長の身体をどうにかこうにか押さえつける。ただで狭いっていうのに。
 い、いや、決してやましい気持ちは。いやその。ま、まあ、会長は綺麗な方だと思いますよ?

「……ん?」
「……ぬ?」

 そしてすぐに。

「へ?」
「ほ?」

 空気が回転。ハイテンションだった会長は固まり、同時にまゆき先輩たちと俺たちの声がハモった。

 微妙な停滞感。会長はごそごそと動き始め。しばらくして、外から声。

「あ、やっぱり杉並くんかー。
 ねえまゆき、会長どこに居るかしらない? さっき杉並くんたちと話をしてるのを見たって生徒が居て、それ以来……」
「ぶっ……!」

 いやいやいやいやいや?

 聞こえてきたのは、もはや言うまでもない音姉その人の声だった。微妙に生徒会モード。どうしてこう勘が良いのだろう。
 すると急にまゆき先輩まで小声になりだして、外はほぼ無音に。かたかたとモノが動く音だけが耳に響く。

「ちょっと君、もう少し――」
「あ、会長、今しゃべると……」
「いいからっ! ああもうじれったい!
 ちょっと我慢しなさい?」
「はい? ――うわっ!?」

 何かと思えば。
 磯鷲会長は何を思ったか唐突に体重を俺の方へと預け、強烈にその身体を押しつけてきた。俺より少しだけ低い位置にある頭は首筋に丁度すっぽりと収まり、腕は俺の脇の下を通って背後へと回されている。

 いや、いやいやいやいやその!
 ほら、こういうのは段階が大切っていうか、掃除用具入れで嬉し恥ずかしだなんてそんなベタな!? 
 音姉にもこういうことはしょっちゅう――ほんとにしょっちゅう――されるけれど、それとはなんだ、ある特定部位においてふにゃらかさが違うっていうかほら、やっぱり十センチくらいは違うと色々となんだ、まあほら?

「ちょ、会長……」
「しっ! もう少しなんだから」
「もう少しって……」

 色んな意味で俺ももう少しでヤバいんですがっ。

 そんな俺の大脳皮質と脳下垂体の葛藤を知る由もなく、会長はなおもぐいぐいとひっついてきた。どうも、俺の背後に落ちている何かを取ろうとしているらしい。言ってくれれば反転してしゃがめたものを。こんな体勢になってしまってはもはやどうにもできない。

 時は夏。クーラーの風は掃除用具入れの中まで吹き込むことはなく、なんとなく汗ばんできたのを文字通り肌で感じる。むろん、会長がくっついているせいでもあるが。

「君、もうちょっと……っ!」
「これ以上はキツいです――わっ!?」
「っ、取れたッ!」

 会長が叫ぶと同時、ガゴン、と大きな音。俺が脚を滑らせてロッカーの壁に蹴りを入れたせいだ。そのまま頭まで打って大怪我する事態は免れたが、それでも急激に背筋が冷めていくのが分かる。

 なぜなら。ふう、と疲れたように息を吐いて俺に体重を預けてくる会長の頭越し、掃除用具入れの小さな小さな窓。
 そこから注がれる、氷のように冷たいその蒼い瞳は間違いなく。

 いやまあ、確かに見ようによってはいかがわしい感じに見えなくもないというか、そもそも俺自身がやばいとすら思ってしまう状態なわけで。

「ふ、ふふふ……あーっはっは! 私の勝ちね、高坂! 朝倉!
 ブツは掴んだわよ! あんたたちなんかに学園のノリを邪魔されてたまるもんですかっ!」
「か、会長っ!? そんなところに隠れてたんですか!?」

 しかし会長はそんなことを露ほどに気にすることもなく身を起こすと、右手に今し方拾ったと思われる封筒を思って生徒会室の中へと意気揚々と出て行った。
 即座に扉を閉めてくれたのは、今となってはもう意味のない、会長なりの隠蔽作業なのだろう。あるいは本能かもしれない。

「ふふん、そのガンコさがアダになったわね。あんたたちが没収金を律儀にここに保管していることくらい、この私には分かるのよ!
 ……って、あれ? 杉並は?」
「杉並ならとっくに逃げましたよ。はあ、みすみす窓から逃げられるなんて、あたしも大概ですけど……。
 ちなみに会長、その封筒、どこで見つけたんですか?」

 まゆき先輩と磯鷲会長の言い合いが聞こえる中、こん、という小さな音と共に掃除用具入れの扉に誰かが寄りかかってきた。
 窓から見える、見慣れた茶色がかった長髪。音姉だ。

「どこって、そこに決まってるじゃない。机もロッカーも探したのにないから不思議に思ってたんだけど、掃除用具入れとはなかなか考えたわね。
 ま、それでも見つかるあたりまだまだね。宮代前会長だったら天井裏に隠すくらいはするわよ」
「……あの、会長。それ、中身確認しました?」
「見なくても分かるわよ。二十万円近い現金でしょ? まったく、私に無断でこんな面白――じゃなかった、大事なものを隠すなんて」
「……」

 カチャカチャと金属音が響く。
 それ以外に聞こえるのは二人の声。音姉は事態を見守っているようだった。

 分かってる。もうオチは分かってるんだよ、音姉。
 ほら、あれだろ? 二人が退室してからゆっくりと掃除用具入れから不埒な不届きモノを引きずり出して、そのまま三時間お説教フルコースへご案内だろ? ああもういいさ、俺はそういう立場には慣れっこなんだ。ついでに由夢まで呼んだりして俺はボロ雑巾と化すんだろうさ。

「さあ高坂! 言い逃れはできないわよ!
 次回の文化祭、このお金で好き放題やらせてもらうんだからね!」
「……会長、二十万円って結構な束ですよ?
 その封筒、軽いと思わないんですか?」
「――――ッ!?」

 カチン、とピタリと何かがはまる。それは磯鷲会長の脳みそが発した音のようにも聞こえて。

 杉並が絡むと結局こういうオチになるんだよなあと、俺は暗い暗い箱の中でそっと溜息を吐いた。

「す、す、す、スカーッ!?
 ちょっと高坂! これ入れたのあんたでしょ、どういうことよ!?」
「やだなあ会長、物を隠すならダミーの一つや二つ、用意するに決まってるじゃないですか」
「あーもう! どうしてあんたたちはそう!
 文化祭までには絶対見つけてやるんだからね……! 覚悟してなさいよ!?」
「はいはい。
 ともかく、そろそろ杉並が悪さをしでかす頃合いでしょうから、さっさと巡回行きましょう。
 ほら、音姫も」
「あ、うん。そうだね」
「きーっ!」

 そう言って、ぞろぞろと三人分の足音が生徒会室の外へと消えていった。かちゃかちゃと、生徒会室のカギを閉める音まで聞こえる。……あれ?

 てっきりお説教モードに入るかとガクガクしていた俺は思わず掃除用具入れの窓から外をのぞいた。そこにはさっきまで居た音姉はおらず、当然のようにまゆき先輩も磯鷲会長も居ない。

 首を傾げる。なんでだろう。音姉とは思わず目があったかと思ったのだが、気のせいだったのだろうか。あるいは暗くてよく見えなかったとか?
 まあ何にせよ危機は脱した。どうにも騒動の終着としてはオチがつかないあっけなさが残るが、そういうのもまあいいだろう。とっととこの蒸し暑い箱とはおさらばすることにする。

 ――ガチガチ。

「……?」

 おさらばすることにする。

 ――ガチャガチャ。ガコガコ。

「ああ、老朽化してるしね、うん」

 ……おさらばすることにする。

 ――ガンガン! ドンドン!

「錆って言うのは結構……」

 おさらばすることにする!

 ――ゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴン!

「………………おい」

 待て待て待て待て、きっと俺は一時的な健忘に陥っただけだ。
 ロッカーを開けるには、内側の取っ手を掴んで、外に押し出す。そうだ、その順序だ。そう難しいことじゃない。ゆっくりやればきっとできる。

 そっと右手で取っ手を掴み、ぐっっっっっと体重をのせればほら、こんな扉は簡単に――――

「開かないし! マジかよっ!?」

 ……右手で叩こうが左手で押そうが両足で蹴ろうが扉は1mmたりとも開こうとはしなかった。
 それどころかガンガンゴンゴンとうるさい音が箱の中で反響しまくる始末。殺す気か。

「……」

 ああそうかと、そこではたと気がついた。
 音姉がこの掃除用具入れに寄っかかってた理由。カチャカチャと鳴っていた音。カチンとハマったのは磯鷲会長の脳みそなんかじゃ決してなくて。

「……まあさ、説教オチもいい加減飽きる頃とはいえさあ」

 真理に気付き、ぽつねんと蒸し風呂状態の箱の中で体育座り。尻に敷かれた雑巾が座布団代わりで。
 ああ、頬が湿っているのは湿気か涙かぼくもう分からないや。

 嵐が去り、しんと静まりかえった箱庭。
 漆黒のサウナの中、俺は「俺なんか悪いことしたっけ?」なんていつも通りのことを頭の中で反芻しつつ、修羅となった音姉が再び助けに現われるまでずっとそうしていたのだった――。

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Short Story -D.C.U
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