危険な二人! 超生徒はねむれない
[da capo U short story]
「はあ……」
ついに来てしまったその日。わたしは学園の熱気とは裏腹に、どこか湿った気分で通学路を歩いていた。このまま歩いても歩いても学園にたどり着くことができない魔法みたいなのがいきなり起こってくれないだろうかとか、そんなことすら思ってしまう。
見慣れた並木道。道行く生徒たちは、昨日がその準備により授業が休講だったせいもあり、皆生き生きとしているように見えた。それがますますわたしを沈ませる。
……いやまあ、確かに、言うほど落ち込んでいるわけではないのだけれど。でもいいじゃない。せめて誰に会うわけでもない学園までの道のりでくらいは、己にかかる重圧に弱音を吐いてみたって。
これでもわたしは三年生、あらゆる行事が最後のものなのだ。もちろん今日だってそうで、だからこそ複雑な感情が渦巻いてしまう。
――そう。今日はわたしが風見学園で迎える最後の文化祭の日であり。
「あ、会長ー! おはようございまーす!」
……わたしは、生徒会長なんて役職を担っているのだった。
○ ○ ○
「うへあ……」
自分のクラスの準備を抜け出してきて――合法的に、だよ?――生徒会室に来たものの、どうにもやっぱり落ち着かない。いい加減お仕事モードに切り替えなくちゃ、と頭では分かっているのに、それがどうしてもできない。
あるでしょ、誰にだって。例えば宿題が山積みなのに、それに手を付けると今まで見ないようにしていたその分量を目の当たりにしてしまうだろうから、手すらつけたくない、みたいなことが。もちろんわたしにだってあるし、今がまさにその時なのだ。
「あの、会長どうかしたんですか?」
「しー、あなたたちはいいから自分の作業に戻って。会長ちょっと疲れてるのよ」
「はあ、そうですか……?」
副会長以下生徒会役員たちの遠巻きな声が聞こえてくる。
それもそうだ。文化祭当日の朝、生徒会長が机に突っ伏していたのでは。
ダメダメ、こんなんじゃ。これじゃ前代の朝倉会長や前々々代の宮代会長に顔向けができない。あの偉大な二人に並び称されようなんて傲慢不遜な考えはこれっぽっちもないけれど、せめて恥ずかしくないほどには職務を全うしなければ。
あ、でも前々代の磯鷲会長のことを考えると、わたしも結構お仕事したかな? なんて、不埒なことを考えてみたりして。
「会長、そろそろ体育館で集会が始まりますよ?」
「はいはい、今行きますよう」
どっこらせ、っと気合を入れて立ち上がった。ここからはお仕事モードだ。みんな今日の日のために色んな準備をしてきて、もはや集会なんて聞く気すらないほどに今か今かとその開幕を待っている。その気持ちに水を差すなんて、生徒会長である以前に人としてできやしない。
……そう思うと、なんだか気分が高揚してきさえした。今も伝説となっている、三年前の卒パでの磯鷲会長の超豪華賞品贈呈宣言。あれをサプライズとして用意していた先輩の気持ちも今なら分かる。どこかではっちゃけたかったのだろう。陰鬱としていたわたしでさえ、今はこんなにどきどきしているのだから。
「それじゃ、ちゃっちゃっていきますか。
えーと、確か『みなさんこんにちは、生徒会長の――』」
わたしは一週間かけて暗記した文化祭開幕の宣言を暗唱しながら、副会長たちに続いて生徒会室を後にする。クーラーを切ってから、窓の戸締まりを見るのはわたしのいつものクセだ。後輩たちのことを疑っているわけじゃないんだけど。
のんびりしてるうち、きんこんかんこんと鐘が鳴る。集会の予鈴。さっさと生徒会室を出ようとして、視線は自然と生徒会長用のロッカーへと送られていたのを我がごとながら行動の後に自覚した。
つくづくわたしも吹っ切れない。わくわく感にどきどきが上乗せされて、それでやっぱりどこかで溜息。
そう。わたしはだから溜息を吐くのだ。
なぜならそのロッカーには、わたしをこんな気分にさせてくれた昔ながらの封書が入っていて。
封書の表には、達筆な字で『果たし状 非公式新聞部代表 杉並』と書かれているのだから――。
○ ○ ○
「……というようなこともありますので、学生としての本分を越えない範囲で、今までの成果をこの文化祭にぶつけていただきたいと――」
壇上。暗唱していた内容をつらつらと喋っていく中、見えているのは落ち着きのない生徒たちの視線。
わたしだって分かってる。その目が「早くしろ」と言っていることくらい。こういう場で喋ることは多少は慣れたけれど、それでも多大なリスペクトを受けていた朝倉会長たちにはぜんぜんまったく遠く及ばない。彼女が会長だったときには、そんな視線を送る生徒はほとんどいなかったのだから。
「――以上のことを忘れずに、どうか文化祭を楽しんでください。わたしも一生徒として、存分に楽しみたいと思っております」
ざわざわ、と一段と生徒たちが騒がしくなる。流れからして、もうわたしの話が終わるのが分かったのだろう。
そしてそれは正しい。原稿通りなら、あとは「生徒会長」という役職名とわたしの名前を告げて、マイクを副会長に送り返すだけだ。そうしたらそのままわたしは最後の文化祭へと突入する。風紀を取り締まる側として。
「……」
会場を見回す。出席していないのではないかと思っていた人たちはしかし、確かに体育館に集合していた。
一部では――主に悪い意味で――「ゴールデンエイジ」と呼ばれているその学年の生徒たち。杉並くんを筆頭に、桜内くん、板橋くん、雪村さん、花咲さん。それに加えて絶大な人気を誇る白河さんまで居て、この学年の生徒たちはことあるごとに大きな騒ぎを起こしてきた。
それが去年まで均衡を保てていたのは、生徒会に居たある二人の人物の貢献によるところが大きい。だがそれも、もう居ない。
情けないことに。だから鬱屈とした気分なのだ、わたしは。
「……えーと」
でも。
この昂揚感は、きっと本物で。だからわたしは、この最後の文化祭という舞台で、一歩、踏み出す。
「今年、あるいは昨年風見学園に入学した生徒たちは知らないかもしれませんが、今から遡ること三年前、そのときの卒パは例年にない盛り上がりを見せました」
話の急激な変化に、会場が戸惑っているのが分かる。もちろんうちの役員たちも。
それはそうだ。こんなこと、原稿に書いてあったわけがない。
「当時の生徒会長は非常にきさくな方で、まさに生徒たちの意表をつくことをやってのけたのです。
それを再び、いま、わたしたちの手で行いたいと思います」
段々と生徒たちの間に理解の色が差していく。
きっと覚えているはずだ。三年前の卒業式、その予行演習でのこと。今のわたしと同じく、磯鷲会長はこの壇上に立って。その傍らには後に会長となる朝倉先輩も居て。わたしは付属最高学年として、その様子をどきどきしながら見守っていて。
ゴールデンエイジの面々がわたしを射抜くような視線を送ってくることに、わたしはどこかで優越を感じ、また羨望を抱き、燃えた。
「――よって!
今回の文化祭で最も多くの売り上げを記録したクラスに、超豪華賞品を進呈したいと思います!」
「うおおおおおおおおおおお!!!!」
怒号のような歓声が体育館を揺らす。
あーあ、高坂先輩たちにお説教をくらってた磯鷲会長の気分が、わたしには分かりすぎて怖いくらい。
だってほら、今もわたしは生徒会の役員さんたちに睨まれてるわけですから。
……うん。でも、いいと思うんだ。
こういう日は、こうでなくちゃ。
○ ○ ○
『会長! 付属二年の……』
『すみません! 本校三年が――』
『保健室が空いてません! っていうか水越先生が逃げました!』
『学園長が騒ぎを煽ってるんですがどうすれば……』
まだ開始からそう時間も経っていないというのに、わたしの携帯はさっきっからひっきりなしに鳴りまくっていた。もう取るのも嫌になるくらいに、校内に散った生徒会役員たちからの報告――悲鳴ともいう――が続々と。メールなんかは既に見る余裕すらなく、そのせいで電話が更に増えるという悪循環。さながら電話番のようだった。
「ええーいっ! みんな、これから電話は全部副会長に回して!
わたしは現場で忙しいの!」
ピッ、と電話を切る。いつまでもこれの対応でトップが止まっているわけにはいかないのだ。
きっと携帯には副会長から抗議の電話とメールがガンガン来るに決まっているので、着信音を切って制服のポケットに押し込んだ。これでばっちり。ああ、なんだかわたし、すっかり磯鷲会長みたいになってしまったかも。
「って、そこ! 会長の前を平然とそんな格好で歩かないっ!
私服は禁止!」
「ふぇっ!? え、えと、その……」
校内をうろうろしていた女子生徒。どこかで見たことある顔だし、そもそもこんな早い時間から部外者がここまで来る理由は特にない。うちの生徒だ。
ずいぶん大人しそうな女の子なんだけど、堂々と私服で歩くなんて。文化祭の魔力はこういう子にこそ及ぶのだろうか、なんて思ってみたりしていたのだが。
「あの、生徒会長さんなんですか? すみません、本校二年はこの階でいいんでしょうか……?
あとわたし、今はここの生徒じゃないので制服は、その」
「あ、うちの生徒じゃなかったんですか。すみません、生徒かと早合点してしまって」
「いえ、まあ、この学園の生徒と間違えられるのは嬉しいというか、そう部外者でもないというか」
「……?」
首を傾げる。
まあ生徒じゃないなら申し訳ないことをしてしまった。軽くお辞儀をして、早々に立ち去ることにする。のんびりしている暇は一秒たりともないのだ。
「それと、本校二年ならこの一つ下ですよ」
「あ、ありがとうございます〜」
さて。彼女のような部外者がここに居たということは、既にお客さんが結構入ってきているということだ。
うちの生徒が迷惑をかけないよう取り締まるのが生徒会のお仕事。頑張らないと。
○ ○ ○
時刻は昼前。早くも生徒会の負担は臨界点を突破しようとしていた。
「会長! 二組でお酒を出してるって話が……!」
「すみません、それより先に三組を――!」
「あーっ! 会長ー! 一組で杉並さんが妨害活動してるんですが――」
うう。わたしは十人もの人間の話を同時に聞き分けられる耳なんて持っていない。
ましてや身体は一つしかないのだし、三つの教室すべてを見に行くことなんてできるわけがないのに。
なお誰もが学年ではなくクラスだけを言っているのは、もはやそれが言う必要がないからだ。
だってそうでしょう? みんな分かってる。この三つのクラスは同じ学年――本校二年の、ゴールデンエイジの連中なのだから。
「ちょっと、わたしだけじゃなくて――」
「副会長でしたら他の学年の見回りで手一杯だそうです。
だから、あとは会長しかいなくて……」
「くっ……分かったわよ! 行けばいいんでしょ、行けば!
一番近いのは!?」
「あ、えっと……雪村さんたちのクラスですね」
「うわ……」
いきなりクラッときた。
あそこは桜内くん、雪村さん、花咲さん、白河さんと、かつての付属三年三組と対抗できるほどにイロモノが集まってしまったクラスだ。
「……で、出展内容は?」
「あの、それが。
セクシーパジャマパーティー・プラスシチュエーションだそうです」
「……」
卒倒しそうになった。
○ ○ ○
役員を分散させてからわたしはそのクラスへと赴くと、入り口には多少の列ができていた。案の定商売は繁盛しているらしい。
窓は完全に黒のカーテンで覆われていて、外から中をうかがい知ることはできない。
受付をしているのは見たことのある、そして校内で五本の指には入る問題児。
「……?
あれ、誰かと思えば」
その問題児は受付を他の生徒と交代すると、堂々とわたしの方へと歩んできた。
……男物のセーター一枚という、なんとまあ刺激的な格好で。
見たことある。見たことあるよ、この格好。
「申し訳ないですが、今年は男子一同のパジャマは用意してませんので……」
「お客として来たわけないでしょ!
生徒会権限で中を見せて貰いたいんだけど。いま、いい?」
「いいですけど……いいんですか、ウチのクラスで?」
「はい?」
雪村さんは得意の薄笑いを浮かべる。
どういう意味だろう。
「今クラスを仕切ってるのは私と茜だけですよ。どうせなら義之や白河さんが一緒のときに来た方が、効率的だと思いますけど」
「……つまり今見られるのは都合が悪い、と?」
「いえ、そうではなくて。主軸の欠けたウチのクラスを見ている余裕なんて無いのではないのかな、と」
「はあ? 雪村さん、一体何を――」
わたしが疑問の声をあげるとほぼ同時。
廊下の向こう。別の教室方向から、ドカンドカンと断続的な破裂音。
地震かと見紛うほどの振動まで伝わってきた。
「ちょ……何よこれ!?」
「ふふっ、杉並ですよ、これ。
二組の妨害をしてるんだと思います」
「そんな……」
急いで携帯を手に取る。
思った通り役員からの着信があり、内容はやはり二組で爆竹他様々な爆発物がその効果を発揮したとのこと。
考えるまでもなく杉並くんの仕業だ。こんなことができるの、彼しか居るまい。
「いいんですか、行かなくて?
それともこんな、何の変哲もないクラスを見ていきます? 杉並を放置して?」
「くっ……」
雪村さんは不適に笑う。
問題がないわけがないのだ。何が”何の変哲もない”だ。三年前、下着まで晒したと噂されているあのセクシーパジャマパーティー。雪村さんと花咲さんという核が再びそれを本校でやったということは、当時よりも過激な状態になっていることは火を見るよりも明らかだというのに。
それをみすみす見過ごすというのか。
いやしかし、杉並くんが暴れているのは”確実な推量”ではなく”事実”なのだし――。
「あ、居た! 会長! 一組の近くでトンカチ持った人が暴れてるらしいんですけど!」
思考がその悲鳴に中断される。
生徒会役員が泣きそうな顔で走ってきていた。
「こんなときに……!
誰よ、そんなことしてるの!?」
「えっと、それが、その、桜内さんらしくて……」
「――ッ!」
思わず雪村さんに視線を投げる。
「さあ? 義之が勝手にやってることですから」
そしてまたにやり、と。
だから嫌だったのだ。胃に穴が空きそう。
わたし一人で、こんなイロモノ集団であるゴールデンエイジを抑えられるわけがないのだ。朝倉会長や高坂先輩が居たならともかく。
マークすべき相手の数も、各々のぶっ飛び具合も、今の生徒会では手に負えない。放置していいわけはないが、放置せざるをえない。わたしの身体が三つ四つあっても、それでもまだ足りないだろう。
だから、思ってしまうのだ。
ああ、あの二人が居てくれたらな、なんてことを。
「ったく、開幕前にあんなこと言うからよ。
ま、あれがなくてもこうなったかもしれないけどさ」
そうそう。高坂先輩がこんな感じで呆れつつ。
「あはは。でもみんな楽しそうじゃない。
違反してる生徒は取り締まらなきゃだめだけどね」
こんな感じで朝倉会長がなだめてて――――って!?
「高坂先輩に、朝倉会長っ!?」
「やっほ、”現”会長。相変わらず手こずってるわね」
「私の後を継いだんだから、もっと厳しくいかないとダメだよ〜。
あともう会長じゃないよ、私は」
「あ、あ、あ、ああ……!」
振り返ると、笑みを浮かべたその二人が。
思わず涙ぐむ。潰れそうになっていた心を救ってくれたのは、偉大なる伝説のこの二人。
服装こそ制服ではないが、それでも放つオーラはわたしなんかとは全然違って。
「会長さんが泣いちゃダメだよ。
……まったく、弟くんたちも随分張り切っちゃって」
朝倉会長はにこにこしながらわたしの頭を撫でてくれた。
やっぱりこの人たちには到底敵わない。胸が熱くなっていくのが分かる。
わたしがそうしていると、高坂先輩が一歩、わたしの横に踏み出した。
「それで、雪村? ずいぶん面白いことやってるわねえ?」
「……ふふ、これからもっと面白くなりそうですけどね」
「ね、現会長? 手こずっているようだから協力することもやぶさかではないのだけれど、どうかしら?」
高坂先輩は雪村さんとはまた違う笑いを浮かべて、わたしを見た。
その目は燃えに燃えていて。まるでありし日を思い出しているかのような。
わたしは勿論、一も二もなく頷いた。
○ ○ ○
「生徒会です。ちょっと中見せて貰うけど、いいわね?」
「げ、会長!? ちょ、ちょっと待ってくださいよ!
うちの別に何も悪いことしてないですってば」
「じゃあ良いじゃないの」
「ああいや、それはそうなんスけどね……」
わたしは現生徒会の役員数人を連れて、二組へとやってきた。
ここは板橋くんのクラス。出店内容は「白河ななかのディナーショー・S.S.」となっている。
「だいたいどうして白河さんがこのクラスを手伝ってるのよ。
彼女、三組でしょ?」
「いや〜、それはその、何て言うんスか、俺の人徳、みたいな?」
「……ハイ、じゃあ失礼しますよっと」
「無視ですか!?」
三組同様に暗幕に閉ざされた扉を開けると、中は喫茶店のような作りになっていた。いくつかのテーブルと、その奥にはこじんまりとしたステージ。三年前と同じ小道具か。
そのテーブルについていたうち幾人かの生徒はわたしに気付いたようだった。ガサ入れだと直感したのだろう。
「いやあ〜、会長、ほら、うちのクラスなんかに来てる暇なんてないっしょ?
さっきなんか杉並に妨害されたばっかなんで、あいつのところに行ってくださいよ。
……そうだ! この際だから教えちゃいますけどね、義之のとこなんか――」
「大丈夫です。どっちもわたしより凄い人が行ってるんだから。
板橋くんはわたしだったから、まだマシだったんじゃない?」
「へ?」
板橋くんが呆けているうち、お客が入れないよう仕切られている暗幕の裏へと入る。
そこには案じたとおりアルコール類のビンがいくつも転がっていた。摘発決定。
そしてそこに居たのは。
「あれ、会長さん?」
「あ、あなた今朝の……」
「ん? 小恋、今の会長さんのこと知ってるの?」
今朝すれ違った女の子と、白河さんだった。
かくかくしかじか、と事情を話すと白河さんは理解したようで、わたしにもその小恋さんとやらを紹介してくれた。
二年前に本島へ転居した、元風見学園生だという。道理で見たことがあったわけだ。
「それで、どうして白河さんがこのクラスを?」
「それが酷いんですよ。板橋くんが『白河も月島に会いたいだろ? 月島を呼ぶ代わりに、うちのクラスに協力してくれ』って言われて……」
「え? ななかさっき、三組を勝たせるためにスパイとしてって――むご」
「あはは、な、なんでもないですよ、なんでもないです。ね、小恋?」
「むごむご」
……まあ、詳しい事情はいいとしよう。主犯が板橋くんなのは確定のようだし。
わたしは役員たちに指示して、アルコール類の回収と出店規模縮小の手続きをとらせた。これでもう悪さはできまい。
そして待つこと数分後。
「会長、来ました!」
「よし、じゃあ後は任せたわよ!?」
役員たちの頷きを見て、わたしは二組の教室を飛び出した。
○ ○ ○
疾風迅雷か、あるいは電光石火か。
決して敵わないと思っていたそのスピードに、わたしの脚はついていけていた。
「おい、杉並、どうするんだよ……?」
「はーっはっは! 案ずるなMy同志桜内!
今更ロートルが出しゃばったところで、今の俺たちに敵うべくもないわ!」
「……杉並、あんたよっぽど死にたいらしいわね」
廊下の掲示物が次々と背後へと流れていく。手と足は寸分の狂いもなく的確なリズムを刻み、身体はわたしの前を走る伝説に引っ張られるかのように軽い。
わたしは二組を出た直後、廊下を駆け抜けていた高坂先輩と合流した。その更に前方には二つの暗い学生服。この学園で、もっとも危険な二人組。
「分かってるわね? 勝負所は次の突き当たりよ」
「……はい!」
全力疾走しながら後ろを振り返るという荒技を平然とこなしながら、高坂先輩はわたしにそう言ってきた。
あらかじめ決めてあった作戦。手筈通りに行けばいいのだが。
学園生徒、あるいは部外者たちの何ごとかという驚きの視線を一心に受けつつ、わたしたち四人は校内を疾駆していく。長い長い、去年まではいつも校内を騒がせていた追い駆けっこ。杉並くんをネズミのすばしっこさに例えるなら、高坂先輩には獅子の如き力強さが垣間見える。ただその背中に、どこか喜びが見えている気がして。
「次、どっち行く?」
「……ふむ。
俺は左から中庭へと出る。外に出てしまえばこちらのものだ」
「んじゃ俺は右から食堂側に行く。……合流するまで休戦だぞ? 勝手に三組を妨害なんてしないでくれな」
「さあて、それはどうだか」
杉並くんたちの声が聞こえてくる。T字路はもう目の前だ。
「観念しなさい、杉並! 弟くん!」
壁を前にして、高坂先輩がフルスロットルの加速をかけ。
「来たぞ、桜内!」
「分かってる!」
二人は弾けるように左右へと別れ跳び。
「ヘマしないでよっ、”会長”!」
「はい! 高坂先輩、お願いします!」
「誰に言ってんのっ!」
高坂先輩は左へ、わたしは右へと廊下を曲がった。
○ ○ ○
「――はい、弟くんはここまでっ!」
「っうぃ!? 音姉!?」
廊下を右に曲がった先。
作戦通り、朝倉会長が廊下を通せんぼしていた。
「ど、どうして音姉がここに……」
「ふふーん、弟くんのことは何だって分かるんだから。
どうせ食堂の方に逃げようと思ったんでしょ? 伊達に生徒会長さんを務めてたわけじゃないよ」
「むう……」
朝倉会長がむんっ、と胸を張ると、対照的に桜内くんは肩を落とした。観念したらしい。
ほんと、朝倉会長は凄い。仕草だけで桜内くんを封じ込める。それがどれだけ難しいことか。
個人的に仲が良いということを置いておいても、わたしにそれはできはしない。もし廊下に立ちふさがっていたのがわたしだったら、もしかしたら桜内くんはその横をすり抜けていったかもしれない。いや、きっとそうなっていただろう。
「それじゃ、頑張ってね、会長さん」
「は、はい!」
桜内くんの前に立つ朝倉会長、その横を通り抜けわたしは廊下の奥へと疾駆する。
遥か前方、そこにあるのは階段だ。
「頑張ってって……杉並は逆方向だよ、音姉?」
「ふふ、すぐに分かるよ、弟くん」
「……?」
二人の声を聞きながら、わたしは校舎の端へと全力で走る。なりふり構う暇はない。人とすれ違うたびに「すみません、すみません」と声をあげながら、それでも身体は遠慮することなく前へ。
そして、階段。
「……っ」
手すりをぐっと掴む。
……あとはわたしに懸かっている。
高坂先輩は絶対に失敗なんてしない。朝倉会長だってそうだった。そして二人はわたしを信じてくれて、だからわたしは頑張らなくちゃいけない。全てを出し切って、あの二人の足だけは引っ張らないよう。
宮代会長に、磯鷲会長。そして今や伝説となった朝倉会長と高坂先輩。彼女たちに追い付こうなどとは思わないけれど、せめて、せめて恥じない結果だけは。
なぜなら。
わたしだって、風見学園の生徒会長なのだから――!
「――ッ、せいっ!」
その腕にぎゅっと力を込めて。
跳躍。膝を曲げ、身体は丸く縮こまって滞空する。足の下を、手すりがゆったりと通過していく。
ふわりとした独特の感覚。揃えた足は慣性でゆっくりと回り、身体は腕を支点に弧を描く。
そうして。
最上空で一瞬停止した身体は、直後、今までが嘘だったかのように急な加速を開始する。
支えるのはただ右腕のみ。伸ばす足に地面はつかず、その腕すらも手放して。わたしはリンゴのように、重力に引かれ落ちていき。
「……っと!」
落下時間は何秒か。刹那の後、わたしは両手両足をついて一階へと着地していた。
びたん、と響き渡るのはわたしと地面の衝突音。ひりひりと手が痛むのがその証拠。
それでも足は健在だ。成功。胸が熱くなるのを、わたしは自覚した。
すぐさま下駄箱の方へと移動する。
「杉並、待てえええい!」
「はーっはっは! それだけの気力、今の会長にも分け与えてやってはどうだ!?」
廊下の曲がり角、その奥から声が響いてきた。予想通りの、その声が。
やっぱり高坂先輩も、杉並くんも凄くって、だからわたしは少しだけ笑みを漏らしてしまった。嬉しかったし、誇らしかった。
「そこまでよ、杉並! 今日はあんたの負けね!」
「は、そんなハッタリが今更――――ぬおっ!?」
廊下を曲がってきたのは杉並くん。その足はぴたりと停止し、その瞳にはきっと予想外のものが映っている。端正な顔が面白いようにうろたえた。
杉並くんのこんな顔、わたしは始めてみた。そして、だからやっぱり嬉しかった。
遅れて曲がってきた高坂先輩。わたしの姿を認めると、やっぱり杉並くんの手前で足を止め、ぐっと親指を立ててきた。そんな仕草も格好良い。わたしも同じように返したけれど、慣れないその仕草はきっと不格好だったろう。
「ぬう……高坂まゆき”ごとき”相手に熱くなってしまったのが敗因か……」
「何いってんの。あんたの敗因はあたしじゃなくて、今の会長を甘く見てたことよ。
この作戦を立てたのは紛う事なきこの子なんだから。風見学園の生徒会をナメんじゃないわよ」
そうして高坂先輩は再び親指を立て、今度はウィンクまでしてくれた。
○ ○ ○
日の暮れなずむ時刻。文化祭はとうに終わり、わたしは生徒会の仕事を一通り終わらせて、ようやく生徒会室を後にした。
まだやることはあるけれど、それは明日の午前中だっていいだろう。明日の授業は、文化祭の後片付けがあるおかげで午後からとなっている。その時間、有効に使わせてもらおう。
わたしは急いでいるのだ。後片付けは明日でもできるけど、これからのことは今日しかできない。
生徒会室の鍵を職員室の壁に返して――通い慣れているせいで、先生達にことわる必要もなくなっている――、小走りで正門へ。
そこには約束通りに。
「あ、来た来た。早かったわね、”会長”さん」
「あはは、あれだけの大手柄だもん。今日くらいは早く帰りたいよね」
私服姿の二人が居た。
わたしと同じく正門から帰って行く生徒たち。その視線が二人に向けられ、あるいは何人もが挨拶をしていく。それほどまでに印象の残る二人。そして同時に、わたし自身も見られていた。
……なんだか心地良い気分。
「それじゃ、行こうか?」
「はい!」
二人に一歩遅れて歩き出す。
事態が収拾したあと。二人から夕食を一緒しないかと誘われたときは、正直我が耳を疑ったものだ。それも高坂先輩が奢ってくれるのだという。
わたしは半ばパニック状態になりながらも、結局朝倉会長のにこにこ顔に諭されて、恥ずかしさを押し殺してそのお誘いに頷いた。
心底嬉しかった。大げさかも知れないけど、この二人と一緒に過ごせるなんて、わたしにとってはそのくらいに大変なことなのだ。
でもどこかで罪悪感。
なんでかって? だって、あれから色々考えたら、なんだか見えてないものが見えてきて。
「あの、高坂先輩」
「ん?」
だからわたしは聞いたんだ。
「えっと、わたしの気のせいかもしれないんですけど。
杉並くん、もしかしてわざ――」
「はい、そこまで」
「と――って、へ?」
わたしの言葉を遮って、朝倉会長がわたしの口の前に腕を出した。それ以上は言わないように、という仕草。
思わず見上げる。そこには朝倉会長と高坂先輩の笑い顔。どっちも優しげな、それでいて嬉しそうな笑み。
「あいつはそういう奴なのよ。
いつだって本気でバカやって、マジで何かをすることはない。あたしたちを振り回して遊んでるの。癪だけどね」
「え? ってことは……」
「違う違う。あいつは、情けとかそういうものとは無縁の奴よ。
勝負事である以上、やることはマジでなくても、本気で勝ちには来る。だから面白くもあるし、癪なのよ」
高坂先輩は肩をすくめて、息を吐いた。でもそこに見えるのは微かな懐古と満足感。
「あいつは人のために負けるなんてことは、絶対にしない。いつだって自分のために勝ちに行く。
そして、あんたはそれに勝ったんだから。もっと胸を張りなさい?」
「でも、それは先輩たちの協力があったからで……」
「な〜に言ってんの。あれは作戦勝ちよ。間違いなく、あんたの考えた作戦の、ね」
そしてまた笑った。
杉並くんはきっと、わたしたちを振り切る手段はいくつもあったんだと思う。彼ならわたしたちに見つからずに文化祭を過ごすこともできたはずだ。
でも、そうはしなかった。なんでか? そんなの、分かりきってる。ゴールデンエイジ風に言えば、それは「その方が面白いから」だ。
彼らはいつもわたしたちを振り回して、そして必ずギリギリのところで逃げ延びる。それが彼らの勝ち。勝負をしない安全策なんて、きっと彼らにとっては負けたに等しい。
そして今回。彼らは高坂先輩たちとのギリギリの勝負に熱中しすぎて、わたしの策にハマった。
そして、それを敗北だと認めたからこそ、彼らは純粋に負けたのだ。それはつまり、今まで彼らに肉薄すら許されなかったわたしが好敵手として認められたということ。
……癪だけど、嬉しい。その気持ちがよく分かる。
「ほら、今日は祝勝会よ! 好きなだけ食べて飲んでちょうだい!
……っていうか、無理にでも飲ませるわ、うん」
「こらこら、まゆき。そう張り切らないの。
もう、勝負事になるとすぐこれなんだから」
立ち止まっていた二人が、一歩遅れて歩くわたしを迎え入れるようにして振り返った。
夕焼けを背にする二人は、やっぱりとっても格好良くて。
「さ、のんびりしてると時間がなくなるわよ、”会長”さん?」
「――はい!」
二人の間に開けられた場所。
わたしはそこに駆け寄って、今度こそ肩を並べて夕陽の方へと歩き出した。
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