我が輩ははりまおで

[da capo U short story]
 我が輩ははりまおである。名前ははりまおである。
 イヌかどうかと聞かれることも多々あるが、我が輩には分からぬ。「貴方はホモ・サピエンスか否か?」と訊かれ、しっかりと確信を持って是と答える人間がどれだけおろうか。
 所詮分類学など、外からの強制なのである。我が輩は我が輩である。親譲りの無鉄砲で、子どものころから損ばかり……いや、これは別の話であったか。

 ともかく、はりまおである。
 話し方が古風なのは勘弁願いたい。我が主の趣味嗜好が反映されているだけである。年がら年中時代劇を見せられていればこうもなろう。
 「〜ござる」調や「〜候」調でないだけマシであると思っていただきたい。乞われれば「Hello〜、Nice to meet you、お兄ちゃん♪」という真似も容易ではあるが、我が事ながら寒気しか起こらぬ。

 さて。
 いつも通りのんべんだらりと過ごしていると、こんこんと扉がノックされた。

「失礼しま〜す……って、あれ、はりまおだけか? さくらさんは?」

 学舎の最高司令部であるここを尋ねてきたのは、見るに見飽きた男である。
 凡庸で平凡、要するに取り柄がないことが取り柄のような男。まるで何かの主人公のようである。何かはあえてはいうまい。
 ちなみに我が主は外出中ゆえ、こうして我が輩がその留守を預かっているのである。

「あんあん!」
「まあ、はりまおに聞いたところで分かるわけないか……」

 失礼な奴である。答えているのに分からないのは、貴様が我が輩の言葉を解せぬからに他ならないというのに。
 それを棚に上げて我が輩を愚弄するとは。つくづく愚かな奴である。

 しかし何がどうしてそうなったか、こやつは我が主の養子として暮らしているのである。
 我が輩が渋々ながらこの男と接点を持ち続けているのも、我が主の唯一の親類であるからという理由に他ならない。そうでなければ、誰がこんな平凡な男と。

「ほれ、どら焼き」
「あんあん!」

 ……決してこやつが常に和菓子を持ち歩いているからだとか、そんな理由ではないのである。


       ○  ○  ○


 ”けいたいでんわ”なるもので我が主と連絡を取ったこやつは、

「さくらさん、しばらくかかるみたいだから、はりまおの世話よろしくってさ。
 学園長室は鍵締めておくから、どうする? 一緒に来るか?」

 などとのたまった。
 そうであるなら仕方あるまい。我が輩には”けいたいでんわ”なるもので我が主と連絡を取る術がない。留守を預かるという大役は果たされたと見える。

「あんあん!」
「ん? ああ、俺はクリパの準備がてら校内ぶらぶらしようかと思ってさ」

 校内を散策することに異論はないが、こやつと一緒に行動するのは御免である。
 我が輩の経験則から言って、一日に二度和菓子をもらったことはない。もはやこの男に用はないのである。
 こういうとき帰納法は便利なのである。確かハムだかソーセージだかいう名前の男が主張したのである。偉いのである。

「なんだ、一人で行くのか? さくらさんは夕飯までには戻ってくるって言ってたぞ」
「あお!」

 男に別れを告げ、廊下を逆方向へ進む。
 特に目的地があるわけではない。が、ホモ・ルーデンスなんぞより1000倍は良いとされる我が鼻が香ばしい匂いをキャッチしたのである。
 流石クリパの準備期間である。食べ物に困ることはないのである。

 と。

「お! おーい! ジロ!」

 廊下の突き当たりを曲がった途端、キンキンカンカンな金切り声。
 勘弁して欲しいのである。我が輩の耳はデリケートなのである。

「あんあん!」
「おー、よしよし」

 我が輩の名称変更要求に対し、何やら納得顔で頭を撫でてくる牛帽娘。
 べらんめえ、イヌだからってとりあえず頭撫でればいいとか思ってるんじゃねえだろうなあ!? 気持ちいいぜこの野郎!

「そうだ、余った材料で焼いたクッキーがあるぞ。食べるか?」
「あおー!」

 至福である。
 牛帽などというダサいセンスをしてる割に、この娘は割と気が利くのである。以前も弁当を分けて貰ったことを委細はっきり覚えている。
 イヌに好かれるのも分かろうというものである。桜公園のイヌ仲間であるタロもこの娘を大層気に入っておった。
 ジロと呼ばれたことは不問に付そう。ささ、近う寄れ。

「なにかと材料が余るらしくてな。なぜか美夏がもらったのだ。食うといい。
 そら!」
「あんあん!」

 放り投げられたそれを、うまく空中でキャッチ。これくらいお手の物である。

 ……そうして、我が輩は。
 そのクッキーをしっかり確認しなかったことを、すぐに後悔することになったのである。

「あ……あおっ!?」

 覚えている。
 この脳髄に刻み込まれた絶望の記憶。
 生命として、野生を生き抜くための警鐘がフルスロットルで鳴り響くこの危機感。
 ――これは!

「ジ、ジロ! どうしたのだ、ジロー!?」

 遠ざかっていく視界の中。
 我が輩は、この牛帽娘があの”食材を毒物へと変貌させる”お団子娘と同級生であることを思い出していた――。


       ○  ○  ○


「……貴重なサンプルだから、とりあえず解体は慎重に……。
 いや、DNAさえ取れればあとはイースタンブロット法で……?」

 意識を焼いたのは、網膜を焦がすような強光であった。
 白む視界が徐々にその輪郭を帯びていく。

 まず感じたのは、ひんやりとした空気の冷たさ。
 そして我が目を照らす、四つの白熱灯。

「器官配置が違った場合、致命的な損傷が……。
 ああいやでも、どうせ生きたまま培養は望めないのだし……」

 カチャカチャと鳴る耳触りな金属音は、白衣の向こうから聞こえてくる。
 我が輩は仰向けで、その腹は電球へと向けられていた。それはあたかも、診察台に寝そべる患者のようであった。

 ――というか。
 我が輩は、診察台に仰向けに寝そべっていた。

「あ、あお……?」
「ちっ……。
 あ、起きた? ちゃお、はりまお」

 振り向いたのはこの学園に巣くうマッドドクター。
 ちゃお、などと言ってはいるが、その目は飢えた肉食獣にも劣らないのである。そもそも、舌打ちをしたのをしかと聞き届けた。

「あお……あおっ! あおっ!」

 逃げだそうと試みるものの、診察台と胸元が紐でくくりつけてあった。
 動こうにも手足が無惨に動くだけである。殺られる。

「大丈夫、大丈夫。案外痛くないから。血もそんな出ないわよ?
 ね、楽にしてれば永遠に楽になるから」
「あおーっ!」

 どうしてこうもこうなのか!
 聞けばこの学舎のマッドドクター伝説は、五十年もの昔から続いているそうである。いつの時代も畜生にとっては苦難の世だということである。
 嗚呼、南無阿弥陀仏。一切衆生悉有仏性、我が来世はどうかより良き生であらんことを。

 ドクター・オブ・ザ・マッドが迫る。きらーんと怪しく光るのはマッドの代名詞、メス。
 ガスバーナーで無菌状態にする辺りが、あまりにリアルで泣きそうなのである。

「あおっ! あおあお!」
「だー、大人しくしなさい! 死にたいの!?」
「あおーっ!」

 どうせ殺す気満々のくせに、死にたいのとは何事であろう!
 我が輩は古めかしくはあるが、武士ではないのである。尊厳よりも命が惜しいのである。

「あおー!」
「あっ、こら!」

 ぱちん、と弾ける音。手足を振り回した拍子、メスが地面へと落ちていったのである。
 その途中、我が身を縛る縄を焼き切って。

 まるでB級映画のような展開だが、我が輩は一向に構わないのである。
 なんせ何千回と同じ展開を繰り返すドラマを見ているのであるから(印籠が出るのは45分ごろである)。

 我が輩は日頃鍛えている体躯を存分に発揮させ、まるで野生の如き俊敏さで死地を脱したのである。
 伊達に畜生のカタチをしていないのである。もやし培養のさいえんちすとには負けないのである。


       ○  ○  ○


「あれ? はりまお?」
「あん! あんあん!」

 助かったのである。
 階段を駆け上がっていたところで鉢合わせたのは、我が輩の敵ではなかったのである。

「あおー!」
「わ、わ、どうしたの? そんなに慌てて。
 学園長先生とはぐれたとか? おー、よしよし」
「あおあお」

 両腕に抱えられ、頭を撫でられたのである。とても安心できるのである。

 我が輩を助けてくれたのは、この学舎では数少ない常識人なのである。
 髪の毛の一部があらぬ方向へ飛び出ているのが気になるが、それ以外は容姿も普通である。多少ドジな所を除いて。
 これであの男に対する恋愛感情が無ければ、我が輩はこのドジ娘を敬えるのだが。世の中そううまくはいかないものである。

「あ、お弁当の残りがあるけど、食べる?」
「あおー!」
「あはは、お腹減ってたんだねえ」

 至れり尽くせり、である。ドジ娘は我が輩を床へと下ろすと、プラスチック容器をそっと差し出した。
 ウィンナー・ザ・オクトバス、である。肉である。我が輩は和菓子好きな肉食獣なのである。

「残りだから、好きなだけ食べちゃっていいよ」
「あおあお!」

 申し訳ないくらいである。このはりまお、御恩は三歩歩くまで忘れないのである。
 封建制度は刹那的なのである。無情である。

 そして、我が輩はブタの腸詰めに気を取られていて、最大の懸念をすっかりと忘れてしまっていたのである。
 不覚であったと言わざるを得ない。世が世ならば打ち取られているでござる。殿中でござる。

「あ、小恋ちゃんどうしたの? 義之くんは……って、あれ? この子……」
「園長先生のところのイヌね。もっとも、コレが分類学的にイヌ科イヌ属に入るかどうかは知らないけれど」
「はおっ!?」

 そうなのである。
 このドジ娘、あの凡庸男を好くだけでは飽きたらず、友人の選び方も間違っているのである。
 あの印籠じじいがどうしてはちべえなどという役立たずをずっと連れているのかと同じくらい不思議なのである。

 最後のオクトーバーを口内に放り込み、すぐさま反転するのである。
 ドジ娘よ、すまぬ。我が輩は恩返しより自らの命を優先するのである。情けは人の為ならぬのである。意味は調べちゃいけないのである。

 が、しかし。

「ふふ、逃げられると思って?
 ……人の顔を見るなり逃げだそうとは、良い根性してるわね」
「あ、あお! あおあおあおっ!」

 宙ぶらりん。
 我が眼前には、逆さまになった毒舌ロリ娘。無論逆さまになっているのは我が輩の方である。
 尻尾を掴むとは卑怯なり! 我が輩のこの羽の如き聖なる尻尾を掴むとは! もっと撫でて!

「あら、いっちょまえに感じてるの?
 ふー……っ」
「あお! あお!」

 これだから嫌なのである。
 こやつほどに破廉恥な女は知らないのである。男なら知っている。板チョコだか八つ橋だかいう名前の男である。あれはキモいのである。

 ともかく一大事である。一刻も早く逃げなければ。
 だが電気ネズミも真っ青な針金入りの尻尾が掴まれていてはどうしようもないのである。尻尾を掴まれると力が抜けるのは七十年くらい前からの伝統なのである。

「私も混ざるー!
 えーい、こちょこちょ〜」
「あおあお! あお!」
「ふふ、義之の知り合いだけあるわ。小恋並にエロいわね」
「ちょっと杏! どさくさに紛れて変なこと言わないでよ〜!」

 やばい、やばいのである。
 髪の長い方の娘の白魚のような指が、我が輩の全身をまさぐるのである。ちなみに白魚を見たことはないのである。食べたいのである。

「ええのんか? ええのんか〜?」
「あおあおー!」

 絶体絶命である。
 我が輩、尻尾を掴まれると力は抜けるが、月を見ても巨大化はできないのである。ましてやスーパーはりまおになど変身できるわけがないのである。

 それでも天は正義に味方するのである。
 魔法少女のおまけである小動物は、誰もが魔法の力を扱えると相場は決まっているのである。我が輩も多少なりとも心得はあるのである。

 ……もっとも、我が主が少女であるかどうかはああああああああああおあおあおあおあおあおっ!!?




       ○  ○  ○




 ……酷い目にあったのである。
 どうやら禁則事項に触れてしまったようなのである。世界の修正がかかったのである。世界内存在のなんと無力なことか! である。
 まあ、世の中には二十歳を目前にして魔法「少女」と言い張る人間もいるのであるからして、別に問題はないのである。No problem.

 しこうして。
 どさくさにまぎれて花鳥風月だか風光明媚だかから逃れた我が輩は、ほうほうの体で学舎の副司令部へと辿り着いたのである。

「あれ、はりまお? 今日はさくらさんと一緒じゃないだ?」
「あおあお……」
「って、どーしたの? ずいぶん元気ないね……?」
「あお……」

 副司令部。そこには、頭より大きなリボンを後頭部にくくりつけた娘がいた。アタリである。
 ちなみに野性味溢れる方はハズレである。単独でアレと鉢合わせると、我が輩は追われる草食獣の立場になってしまうのである。
 あの娘の前世は我が輩のようなか弱い動物を狩る豹だったに相違ない。輪廻も格差社会である。泣けるのである。

「あお、あおあお、あおあおあお!」
「ふーん、さくらさんが出掛けてるんだ。
 なんならここにいる? 私は休憩が終わったらお仕事に戻るけど、鍵は開けておくから」
「あおー!」

 慈悲である。阿弥陀仏なぞに縋らずとも、女神はここにいたのである。
 我が輩は生粋の江戸っ子であるからして、宗教にはこだわらないのである。助けてもらえればなんだっていいのである。

 手招きをする女神の腕の中へ、我が輩は飛び込んだ。優しく抱き留めてくれるこの抱擁は、今まで会った俗世の凡人にはできない芸当である。
 安らかな気持ちになれるのである。

「あおあお……」
「うふふ、よしよし。
 はりまお、暖かくて気持ちいいなあ。少しだけお昼寝しちゃおうかな……」
「あおあお」

 女神は我が輩を膝にのせたまま、机へと伏せったのである。
 包み込まれるように、我が輩はそのまな板の感触を感じながらああああああああおあおっ!?

「……はりまお、何か言ったかな?」
「あお! あおあお!」

 間違ったのである。本当である。嘘ではないのである。だから締め上げるのはやめてほしいのである。

 言い直すのである。まな板は言い過ぎなのである。
 我が輩はその洗濯板のおおおおおおあおあおあおおおおおっ!?

「……水越先生に実験用として渡されるのと、舞佳さんに鍋として食べられるの、はりまおはどっちがいいかな?」
「あおあお! あおあおあおあお!」

 冗談である。茶目っ気である。だから、だから首を掴むのはやめてほしいのである。そっちは冗談では済まないのである。
 神とはかくも恐ろしきものである。信じないものは殺されるのである。我が輩は十戒をもらってないのである。世も末である。

 嵐が過ぎ去るのを待つ船人が如く、我が輩は身を縮こませた。長いものには巻かれるタチなのである。野生の知恵である。
 嗚呼、素晴らしきかな服従生活! 所詮我が輩は畜生なのである。

「それじゃ、ちょっとだけお昼寝、と。
 携帯でアラームをセットして……おやすみ、はりまお」
「あおあお」

 今度こそ娘は自らの腕を枕とし、机に伏せったのである。
 我が輩はその膝の上で丸くなる。暖かくて良い気分なのである。

 こうして、我が輩は少しばかりの休息を手に入れたのである。
 ……我が輩の原子時計より正確な腹時計によると、日没はまだまだ遠い。恒久的な安息を得るまでは、まだまだ苦難が続きそうなのである。

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Short Story -D.C.U
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