my life = f(robot)

[da capo U short story]
 ぐらり、と床が揺れる。独特の傾倒感。合わせるように、今はもう必要がない、形骸化した警笛。ぶおーと、唸るような自己主張。
 身体にかかる荷重に身を委ねながら、私は椅子に身を沈めた。ちょうど一年前も、私はこうして初音島から離れていった。あのときのような不安感も今はない。寂しさはついぞ消えないが、これはこれでいいものなのだと思う。寂しいとすら思えないのは、やはり悲しいことだろうから。

 古びたリクライニングシートの背もたれをやや下げ、視線は彼方に広がる海へ。島育ちだ。海は見慣れている。初音島からだろうと海原からだろうと、海の表情はそうは変わらない。
 頬を撫でる風は船体を右から左に。暑さの増してきたこの時分、とても気分が良くなった。ますますシートが体重を吸い取っていく。

「ロボット、か……」

 思いを馳せるは、数時間前に別れを告げた友人二人。どちらも本当に立派になって。あれだけ幼かった少女は、今やいっぱしの女のような相談事を持ってきて。サボり魔だったさわやかヤクザは、日本有数の研究拠点で最先端の仕事に従事している。分からないものだと思う、人というのは、本当に。だってそうだろう、その上私が情報工学だなんて。幾年前の私なら、死んでも進まなかった道だ。

 ロボット。つくづく私の人生を揺さぶってくれる。どん底に突き落としてみたり、あるいは進路を示してみたり。もしロボットという総体自身に意志があるのなら、それは相当偏屈で意地の悪い奴に違いない。私が困るのを見て、それでいて結局どこかで助けてくれて。それではまるで父みたいではないか。
 ……本当に、全く腹の立つことだと思う。苦笑せずにはいられない。

「お客様、お飲み物はいかがでしょう? こちらはサービスとなっております」

 ぼうっとしていると、メイド服の綺麗な”彼女”が声を掛けてきた。
 その手元。いくつかの飲み物をトレイに載せている。

「ああ、んー……。あ、ゴラップガラナ、あるかしら?」
「はい、ございます」
「じゃあそれで」
「かしこまりました」

 丁寧にお辞儀し、近くのテーブルでボトルから紙コップへそれを移す。流れるような手さばき。紙コップを両手でそっと支え、どうぞ、と言って私の方に差し出した。
 礼を言って受け取る。すると彼女――μは、次の客に飲み物を渡すためにその場を離れていった。

 ……ロボットが市民権を得た、という話は未だ幻想に過ぎないと私は思っている。
 おそらく桜内は知らないだろう。今、本島がどういった事態になっているか。あるいはそれは、天枷さんが頑なにその情報から桜内を遠ざけている、その努力の結果かもしれない。彼にはそんな薄汚い政治は似合わないから、と。
 その選択は、私も正しいと思う。

 半世紀、いや、それより遙か昔から人々は人間と変わらないロボットの存在を夢見てきた。それはあるいは、ホムンクルスの創造という太古の昔から続く理想。百年前のコンピュータ誕生をきっかけに事態は加速度的に進行し、五十年前の時点で既に「ロボットの人権」について語られ始めていたといわれている。
 AIの誕生、フレーム問題、疑似並列処理、量子コンピュータ……。哲学や倫理、あるいは法の追い付かないスピードで理論は進歩し、ロボットは人類の精神的成熟を待たずして完成に至った。現存する資料ではHM−A06型「Minatsu」がその最古の例だとされているが、それは彼女が「初めて世間一般に知られたロボットである」というだけに過ぎない。少なくともその前身である「Miharu」が存在したことは確かだし、おそらくそれより昔にも隠されつつ存在したロボットが居たことだろう。

「……このマズさがなんとも」

 ゴラップガラナ。紙コップに注がれたそれは冷たくて、いつも通り不思議な味がした。
 こういうのをやみつき、というのだろうか。あるいは文字通り味がある、というか。少しだけ口をつけて、テーブルに置いた。

 ……ロボットは宇宙産業と並び称される科学技術の理想であったと同時に、あまりに危険すぎる存在でもあった。それは軍事的な面のみならず、もっと根源的な、つまり「ヒトとは何か」を問いかけるモノとして。
 人類はそこまで進化しきれていなかった。その問いかけを許容できるほど、成熟してはいなかった。科学技術が発達しても、人々はなおも人間が特別な”ナニカ”であるという信念を崩そうとはしなかったのだ。炭素、窒素、水素、酸素、そしてその他の微量元素。もっと言えば自分たちが原子核と電子からなる、非生物たちと同じ物質体であることを絶対的に認めなかった。我々人間はその他の動植物とは一線を画している。ましてや非生物などと同じなんかではない。そしてロボットは非生物であり、物質である。人権は人間に与えられるべきものであり、彼らにそれは必要ないと。

 私は人権論者でも差別主義者でもないが。ロボットと人間は違う。それは正しいだろう。あるいは、それが違うと人間が感じることは不可避である、と言い換えるべきか。
 ただ私が疑問視するのはそこではない。ロボットと人間は違う。そしてロボットに人権は認めない。そこで思考が停止していることが不思議なのだ。ロボットにそれを認めないのが是であるならば、人間のもつそれすら疑問に思わなければいけないのは道理だ。だが私たちはそれをしなかった。なぜか。公理だからだ。

 矛盾である。いわば人間の権利についてはユークリッド幾何学で定義し、ロボットの権利については非ユークリッドで反論するような。その原因は少しばかり賢しい人間の誤謬であり、とても賢い人間の自覚的な詭弁である。自らの意志で踊っているつもりが、その実詭弁に踊らされている。皮肉じゃないか。これはまるで、決定論と自由意志の関係のように見える。人間の物質化を否定する人々が、それ自身物質と化しているとは、どんな喜劇だろう。

「すみませーん、焼きそばください!」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」

 元気な少女が、店員のμに注文している。そのコミュニケーションは円滑で、特におかしなところは見られない。
 小さな女の子。きっと生まれたときからμを目にして育ってきた世代。彼女たちが使う”ロボット”という言葉と、大人たちが使う”ロボット”という言葉の間には、きっとガラガラに崩れたバベルの塔が横たわっているに違いない。
 それでもμからその女の子に受け渡される焼きそば、それに対する認識は一緒で。あるいは橋とはそういうものなのかもしれない。

 人類とロボットの架け橋。天枷さんがよく口にする言葉だ。桜内はやはり知るまいが、天枷さんが風見学園を去ってからの数年、彼女は本島のTVネットでことあるごとにそう繰り返してきた。もちろん初音島には中継されないネットで。私がそれを知っているのは、ひとえに沢井拓馬の娘であるからというだけにすぎない。
 私がこれから戻る本島。そこでは、”天枷美夏”という名前はそこいらの芸能人以上に有名だ。そして、その名前に対する評価は完全なまでに真っ二つ。「市民権を得る」とはそういうこと。決して全員から賛成される、という意味の言葉なんかではない。
 人権団体、政治政党、ロボット産業、性風俗業界、マスコミ……あらゆるものを巻き込んで世界は揺れた。その反響はμが世に出た当時と同じくらいにまで。違うのは、擁護者の数。これを時代の流れと見るか、主張の違いと見るかは判断の分かれるところだが、とにかくその比率は私のときとは異なっていた。そしてその策謀渦巻く世界で、あの年端もいかない容姿の小柄なロボットは、ひたむきに主張を続けてきたのだ。

 ぼろぼろになった彼女がつかみ取ったのは、今日「ロボ権法」と呼ばれているロボット人権法案の審議入り。数年以内に採択される情勢との見方が主流だが、それでも内容は法とは名ばかりの努力目標にすぎない。それですら、アニミズムの根付く、そして天枷美夏の本拠地である日本だけのこと。人種差別が世界人権宣言後も何十年と続いたように、社会はそう簡単には変容しない。ましてや人種どころか生物と非生物の垣根、それは人間が総取っ替えとなる百年単位の時間が必要だろう。

「えーと、はい、これで」
「千円いただきましたので、七百円のお釣りです。ありがとうございました」

 意外かもしれないが、私はロボ権について積極的な賛成を示すつもりは今のところない。私はロボットを人間みたいに思っているし、人間みたいに扱うし、人間のように見なして接している。けどやはりそれは、何か違うのだ。私は、もし私の知る誰かが「実はわたしはロボットです」と言ってきたとしたら、それに動揺しない自信はない。全く同じように考えるというのは、それに動揺しないこと。だから私は賛成できない。自分に嘘がつけないのは、研究者譲りの頑固さがゆえだ。そしてそれゆえに、私はすぐに白黒つけるつもりもないし、そういう二元論で片付けるべき問題ではないとも思っている。
 良い意味でも悪い意味でも、特別なのだ。ロボットというものは、私にとって。

「いいなー。ねえお姉ちゃん、焼きそば買ってー」

 椅子の背後から、声。身をひねる。

「あれ、勇斗? 母さんは?」
「おじさんたちとしゃべってて……」
「ああ……。じゃあ五百円あげるから、好きなの買ってきていいわよ」
「わーい」

 五百円硬貨を渡すと、勇斗はそれを握りしめて売店へと走っていった。
 そういえば母さんは、親戚一同の相手をしているのだった。法事というのはむしろそっちがメイン行事だと、ぼやいていたのを思い出す。

 ……本島に帰れば、私たちは否応なくロボットについての話題に晒されることになる。天枷さんが初音島に戻ったのは、もちろんロボット研修生という建前もあろうが、その内情は彼女自身の疲労に限界が来たからでもある。本島は彼女にとって戦場だ。見えもしない”世論”などというものを相手に、理想を背負って駆け抜ける戦場。だから彼女が過労で倒れる前に、周りの人間が半ば強制的に初音島へ彼女を送り返したというのが事実のようだった。
 初音島というのは、そういう点で不思議な場所だと思う。孤島。海という名の断絶は、この情報化社会にあってなおあの島に独特の空気を保持させている。誰にも踊らされることなく、そしてなにものをも気にすることなく、淡々と、それでいて太母のように全てを包み込む穏やかさに満たされた場所。ロボットだろうと何であろうと、許容してしまうおおらかさがあそこにはある。それを無知無能だと罵るのは、それこそ無能のすることだろう。

 私はその初音島ではなく、本島で人工知能の勉強をすることに決めた。
 元々文系に大したこだわりはない。文系に進んだのは、単に読書が好きだったから、というだけ。大多数の学生と同じように、法曹や政治家、あるいは作家なんかになりたかったわけではない。それとももしかしたら、父が進んでいた理系を無意識のうちに忌避していたのか。今となっては分からないが。
 法曹に進むという道も無いではなかった。社会に対して研究者が持つ権威というのはあまりに弱い。ロボットを大衆に認めさせるのは、科学技術でも哲学理論でもなく立法と司法なのだ。天枷さんに同調し応援するというのなら、それも一つの手段だった。たとえ人間と外見上全く変わらぬ人工知能を生み出せたとしても、人々はロボットに対する差別をやめるとは限らない。それどころか、人間相手に奴隷制度を強いた歴史を持つ我々人類は、技術や思想では違和感を拭うことすらできないのを知っている。

 進路変更の際、私はそのことで悩んだ。そうして相談したのだ、彼に。いや、もしかしたら彼はそれを相談とすら受け取らなかったかもしれない。たまたま一緒に食事をしたときに、ふとした弾みで私の口から零れただけの質問。彼は珍しく考えるような素振りを見せたあと、いとも簡単に

「俺たちに任せろ」

 そう断言したのだ。

 ……私はもしかしたら、ロボットの権利拡大運動に参画することを、どこかで父に対する罪滅ぼしのような、そしてロボットたちを軽蔑していた私に対する義務のように感じていたのかもしれないと、そのとき思った。
 私は天枷さんのことでロボットに対する意識が急速に反転した。だからきっとその反動。今まで自分に嘘をついてきた代償をどこかで求めていて、それが天枷さんの目指す道だと思っていた。でもそれは間違いで。私はロボットの人権拡大にさほど積極的ではない。私のしたいことはそれではなく、むしろロボットの人権とは何なのかを追い求めていくことが私の使命だと直感した。
 だから進むのだ、私は人工知能の研究へと。父の目指した理想。何かを始めるのは、それを理解してからでも遅くはない。きっと桜内は分かっていたのだろう、私が生き急いでいるのを。彼は知っている。時代はすぐには動かない。ならば、来る時のために自らを研鑽しようと。それゆえ彼は天枷さんと共に政治に参加する道を捨て、天枷研究所で必死にロボット研究に打ち込んでいる。その知識は、いずれ起こる社会変革の波に乗るのに間違いなく必要になるから。天枷さんが起こした波紋を、引き受けるのに不可欠だから。

 それでも私が初音島を出たのは、ある意味ではあの二人の間を取り持つためだ。私も天枷研究所で研究をする、という選択肢もあるにはあった。でもそれじゃダメなのだ。頭でっかちの研究者は二人もいらない。社会を知っている研究者。それがあの二人に足りないもの。あの二人はどうにも世間に疎くて、見ているこっちがひやひやしてしまう。幸いにも私の父の名は研究者間・政治者間ともに有名で、私はそれを最大限使っていく決意をとうに済ませてある。だから私は戻るのだ、世論の二分された本島へと。

「お姉ちゃーん、これー。
 あとね、もうすぐ着くから座っててだってー」
「あら、ありがとう、勇斗。お姉ちゃんの隣座る?」
「うん!」

 勇斗は焼きそばとジュース二本――一本は私のらしく、渡してくれた――を持って戻ってきた。そして私の横の椅子にちょこんと座り、おまけ程度のシートベルトをつけて焼きそばの蓋を開ける。ソースの香ばしくていい匂いがした。

 ぷおーっと、再び警笛。そして船内アナウンス。もうすぐ本島に着くとのこと。
 流石に二度目だ、特に感慨らしいものはない。既に一年を過ごした土地でもある。船外へと続く窓、その向こうには本島の陸地が見えてきていた。でもやっぱり少しだけ違和感。私はこれを「行く」と表現するべきか、「戻ってきた」と表現するべきか。帰るべき場所が既に定まっている私にとっては、どうでもいいことなのかもしれない。

 航路は終着へ。私の道はその先に。懐古は島に置いてきた。前に聳えるは、いつ訪れるとも知れぬ時代の変化を待つ日常。

 ……航路が終わり、店終いの支度をするμを見ながら私は思う。
 ロボット。つくづく私の決断を左右する。降り際に買おうと思っていた私の分の焼きそばも、どうやらおあずけのようだった。

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Short Story -D.C.U
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