bless you!

[Fortune Arterial short story]
「先日はなかなか大変だったようだな」
 冬特有の寒さと乾いた空気が支配する、ここのところはずっと同じような気候の白い朝。いつものように二人だけの食卓へお茶を運んでくると、やけに嬉しそうに伽耶がそんなことを言ってきた。閉じた扇を口元につけ、浮かべているのは意地の悪い笑み。私は意識するより早く出ていた自らの溜息に感心しつつ、入れたてのお茶を伽耶の食膳へと置いた。わざと手を滑らせてやろうかと一瞬でも思ったあたり、あの生徒会の人たちに毒されていることを自覚する。
「差し向けたのは貴女でしょう?」
 私も自身の膳に自分のぶんのお茶を置き、伽耶に対面する形で座り込む。和室、畳の上での正座。吸血鬼だ眷属だと西洋かぶれしている割にはこちらの方が落ち着くあたり、不思議なものだと自嘲めいたことを思う。ほう、と息を吐くと、一仕事終えた身体がふっと安らいだ。
「あたしがけしかけんでも、どうせ支倉あたりがやったろうよ。征一郎や瑛里華はやはり誕生日そのものに対する執着が薄いからな、気付かなんだかもしれんが」
「この歳になって年が一つ回ったことを祝われてもね」
「さて、人の誕生日に蝋燭ケーキを振る舞ったのはどこの連中だったか」
「……」
 くくく、と伽耶が愉快げに口を歪める。半年前の出来事の回顧。多分な自嘲とわずかな羞恥、といったところか。それが私に向けられているのだからたまったものではない。
「嬉しくないなら、翌年以降は祝わぬようにと支倉あたりに言ったらどうだ?」
 無関心を装ってみたのだが、どうやら伽耶には私の感情を見抜かれていたようだ。意地の悪さは変わっていない。
「言ったらどうなるかしらね」
「そうだな、まず呆気にとられ、昨日のことを謝罪し、それでいて誕生日の大切さを力説するだろうな」
「……目に浮かぶわ」
 相変わらず口から息が漏れ出る。それを見てか伽耶はやはり面白げに笑って、私は釈然としない気持ちになりながら茶を喉へと流す。寒くなってきたこの季節、茶の熱さは味よりずっと身に染みた。飲んだ後に口から出る息は、さて溜息か単なる吐息か。
「お節介な人ね、本当に」
「支倉か? まあ、そうだろう。他人どころか、人ならざるもの同士の不和に首を突っ込むくらいだからな。よほどの胆力があるか、あるいは単なるバカか」
「どっちだと思う?」
「バカは息子一人で充分だ」
 言って、今度は不満そうに伽耶がお茶を啜る。対して、私が逆に笑う立場に。伽耶はそれを見て一層不満げに眉をひそめた後、「ふん」と鼻を鳴らして佇まいを直した。
「奴は分かっていながらこっちが望まぬことをやってくるのが気に入らん。二十回転校したと言っていたか、確か? 同列に扱うのは癪だが、だからこそ奴もまた異端であり、ああいうような性格になったんだろうよ」
「そうね。誕生日を祝う風習こそあれ、普通は単なる一行事にすぎないわ。それでも彼がわざわざあそこまで拘るのは、貴女や私が嫌がるのが分かっていたんでしょう、きっと」
「理解はしておらんだろうがな。本能と嗅覚か」
 そうしてお互い、茶を一口。熱さに慣れたか、今度は良い香りが鼻孔をくすぐってきた。詳しくは私も、おそらく伽耶自身も知りはしないが、ずいぶんと価値の良いものが変わらず供給されているのだろう。ただそこに込められた意味を探るほど私は東儀家に精通してはいないし、また向こうもそれを望んではいまい。香りだけ素直に楽しむことにした。
「しかし、誕生日か。妙な風習もあったものだ。誕生したことを祝う……あまりに愚かだとは思わんか?」
「面白い考え方だとは思うわ」
 答えを濁して、お茶を口に含む。私の返答では不満だったか、伽耶は表情を変えずに言葉を継いだ。
「この世に生を受けたことを、ただそうであるという理由だけで祝福し賛美する。存在自体の全肯定。……はん、下らん。この世には、幼子が井戸から落ちるのを平然と見続けられる奴も居るというのに」
 誕生日。
 生まれたことを、今在ることを、ただそれゆえに肯定するための儀式。
「でも、そういう人は存在を肯定された経験がないだけで、肯定されれば変わりうる。彼らはそれを示したかったんじゃないかしら」
「肯定したところで落ちた幼子は生き返らんよ。出来るのは、自らについていた傷を今更ながらに自覚することだけだ」
「自覚しないよりマシでしょう?」
「……あたしには分からんよ」
 笑いもせず、不満そうな顔でもなく、何の感情も見せずにそうして伽耶は淡々とお茶に口をつけた。そういう態度を取れるだけで充分変化した証だと思うのだが、おそらくそこまで伽耶は自覚できてはいまい。あるいは、自覚できていない態度だからこそこれでいいのだとも思う。私も無表情で応えた。
「でも、だったらどうして私の誕生日を祝うようけしかけたりしたのかしら?」
「さてな。……嫌がらせだと言ったら?」
「それはありがたいことね」
「く、――」
 返すと、伽耶は無表情が一転、これ以上ないくらいに楽しそうに吹き出した。手にしていた扇を開いて口元に持って行き、「くくく」と呻きながら笑うのを必死でこらえ始める。私も自分で言ったからこそ平静を保っていられるが、気分としては同じようなものだった。
 自己肯定のために嫌がらせを与えてやる。どこかで聞いた言葉ではないか。その嫌がらせがあったからこそ、私は四半世紀もの間、自分の存在意義を疑う必要がなかったのだから。
「……やっぱりあなたたち、似ているわ」
 笑っている伽耶に聞こえぬよう、ひっそり目を閉じ独りごちる。
 祝われる。肯定される。それは確かに、当人にとってとても重要なことだ。でも、それはただ独りだけでは完成しえない。そこには絶対的に、祝うあるいは肯定するという他者が必要となる。
 誰かを祝うこと。誰かを肯定すること。彼も伽耶も意義を自覚していないその行為は、誰かに肯定されることと同じくらいに大切なことだ。他者を認める。相手がどんな存在であろうともその存在を是認することは、そっくりそのまま自分自身にも跳ね返る。つまり、存在を肯定する、ということを肯定している自分に対する揺るぎなき肯定として。
 伽耶は祝われた。認められた。だから自己の存在を肯定して、だから私の誕生日を祝おうとした。それは祝われた経験から。
 でも、彼女にはなかった。誰かを祝うという経験が。だからまだ気付いていない。でもすぐ、近いうちに気付くだろう。伽耶の誕生日を祝った私が、後になって誰かを祝うことの大切さに気付いたように。
 認めること。認められること。相互依存のようなそれはしかし傷の舐め合いとは大きく質を異にしていて、存在の肯定はそれがゆえに自分自身をも認めていくことになる。
 伽耶たちが祝ってくれた、私の誕生日。
 それはだから、私だけのものではない。
「伽耶」
 ようやく笑いがおさまりかけ、お茶を飲んで落ち着こうとしていた伽耶に声をかける。茶を飲み干し、伽耶はこちらに意識を向けた。
「誕生日、祝ってくれてありがとう。嬉しかったわ」
 意識的に演劇めいた口調で、ありえぬくらいに直球の言葉を投げる。肯定されて嬉しかった。認めてくれてありがとう、と。真っ直ぐな感謝は、だからこそ最大の変化球として伽耶へと届く。
「――」
 一瞬呆気にとられた伽耶は、しかしすぐさま表情を元へと戻し、なんと表現しようか、笑うでも眉を顰めるでもなく、色んな感情がないまぜになった顔をこちらへと向けて。ある種の威厳を感じさせるその態度は、やはり子供のそれでなく。
「そうか。良かったな」
 厳かに告げる。
 私に対して発せられたその言葉は、だから私にとっても嬉しくて。
 同じ言葉を心で呟き、私は余ったお茶をしっかり飲み干して、今日の朝のお茶会はこうして終了したのだった――。


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Short Story -Fortune Arterial
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