mineral terminal

[Fortune Arterial short story]
 渡り鳥に似ている。
 流れる景色を眺めながら、思った。

 数えるのも億劫になってきた年月。
 日本中を、北へ南へと渡り歩いてきた。

 渡り鳥と違うところなどありはしない。
 私も彼ら同様、本能により住み家を変えているだけ。

 ――広がる海原、その上空を飛翔していく海鳥の群れを目におさめた後、私は心地よい振動にその身を委ねて目蓋を下ろした。





       ○  ○  ○





 なぜ生きているのか、と問われて即答できる人間はそう多くはないだろう。
 その理由がポジティブなものである人間は、おそらくさらに少ないに違いない。

 生きる意味。哲学者気取りのそんな問いかけに、自然と唇が歪んでいくのを自覚する。
 笑いたくもなる。哲学とはその出自からして暇を持て余した理性による究極の非生産的行為だ。だとすれば、私ほどそれに適している者も居るまい。主観というものが存在していることそれ自体が空虚であるこの身には、飽くなき堂々巡りこそが相応しいではないか。

 そして、だから私はここに居る。

 空転させていた頭が、ようやく自身の体勢を思い出す。固い座席に沈めた身体、窓枠についた肘で頭を支えて。視界は暗黒。当然だ、目を閉じているのだから。車窓から差し込む日差しがその戸を叩いているような気配も感じられたが、しかし、私は心地よかった睡魔の名残にしばしの間耽溺し続けることを選択した。

 ……冬も終わり、これから世の中が春を迎えようかという時分。流動的な社会の動きに久しぶりに乗っかって、私もまたその所在を変更するためこうして列車の座席に身を沈めていた。新しい生活に対する期待と不安を胸に――――なんてことは感じているはずもない。ただ私の行動原理通り、思うがままの行動。何に期待し、何に不安を覚えろというのか。そんなものを感じることができるのであればそもそもこんなことをしているはずがない、というのはとても皮肉なことだと思う。

 ――カタン、カタン……。

 私の鼓膜を、そして身体全体を揺する振動は、私の考えなど意にも介さず規則正しいリズムを刻んでいく。鼓動のようなそれは、まさしくいまこの列車が正しく動いている証と言えよう。単調でありながらも小刻みなそれは退屈と焦燥を同時に抱えているかのようで、終着駅へと一心不乱に駆けていくだけのその宿命、どこぞの誰かに似ているではないかと独りごちてみる。

「本日は当列車をご利用いただき、誠にありがとうございます。この列車は――」

 もう乗ってから幾度目かになる車内アナウンスは、結局同じことの繰り返しだった。既に敷かれたこのレール、終着駅が変更されようはずもない。たとえ誰が望もうと、線路を外れて別の目的地にたどり着くこと、いやそれどころか不要な軌跡を描くことすら有り得はしないのだ。

 高速で駆け抜ける特急列車。それは言うなれば、真っ直ぐ、気まぐれすらなく走り続ける愚直な無機物。その元凶である敷かれたレールをこの主体が認識することはこの先ずっとないのだろう。その事実に対し憧れにも似た感情を抱くのを少なからず自覚してはいるが、しかし、その方が幸せかどうかは結局のところ私に分かろうはずもなかった。

 自己言及に対する矛盾。そもそも意識を持つことそのものに対する決定的な非論理性。それは例えばこの昂揚感ひとつとっても分かることだ。このレールの先に待っているであろう私の目的に対し、どんどん近づいているというこの歓喜。たとえ目的が単一であるという共通項があろうとも、これこそが私と無機物を隔てる絶対の壁であると考えているし、またそう考えていることこそが私が私であるということなのだろうとも思う。
 だから私は憧れるし、憧れるから私はそれ足りえることができない。面倒なものだ、本当に。

 ……――――。

 列車の振動音に、空調の音が混ざり始める。単調なリズムに加わるもう一つの旋律。それと同時に列車の連結部の扉が開いた音がして、私の首は即座にそちらへと回転した。一歩遅れて視線が定まり、それが車内販売の係員だと分かって溜息が口から漏れ出でる。

「すいませーん、飲み物って何がありますー?」
「あ、それでしたら――――」

 始まる客と係員との会話。私はノイズを意識から追い出して、己の行動にもう一度溜息を重ねる。気休めにすらならなかった。

 ……癖、というべきか。自ら律しきれない行動をそう呼ぶのなら、きっとそうなのだろう。あるいは本能とまで呼べるかもしれない。私が生きる――もっと言えば”動く”ことの最も本質的な理由。
 それはつまり、その現れた人間が私の求める「誰か」かどうかの確認だ。

 未知の土地では、まず人混みに視線が動く。
 既知の土地では、時間の限り人の往来に立ち尽くす。

 その”癖”は、きっとこの先の島に着いてからは一層その頻度を増すに違いない。なんせ、居るはずなのだ、私のひとまずの終着が。私の感覚がそう言っているし、あるいはまたこれこそがその「誰か」の声でもあるに違いない。

 所与の動機。所与の生き方。圧倒的な実存は本質をそこに求め、だから私は生きている。生きていられる。あるいは、生きていられてしまっている。
 繰り返すが、その是非を判断する術を今の私は持ってはいない。

「お客様、何かお求めでしょうか?」

 そうして突然の声は、視界の中央から。それもすぐ近く。知らぬ間に係員は私の所まで通路を移動していて、その営業的な笑みを私へと向けていた。
 ……気付かなかった。それは係員の接近にも、そしてその様子を私がずっと眺め続けていたであろうことにも。注視してくる客がいれば、係員が寄っていくのは間違いではあるまい。

 煩わしい、と心の中で愚痴る。それでも私が自身の失念を反省している間ですら係員はそのままの姿勢で待機していて、商品を選んでいるとでも思ったのか、台車から頼んでも居ないのに物品を手に取り私へと見せつけてきた。左上に「今売れてます!」なんてシールが貼られている、土産物屋にずらっと並べられているようなその商品。営業スマイルが口を開いた。

「お土産でしたら、こちらの珠津島マスコット『パル子ちゃん』携帯ストラップなどいかがでしょう? ただいま新春キャンペーン中でして、お値段なんと――」
「必要ないわ」

 遮りつつ即座に言って、雑音と視線を窓の外へと放り投げる。
 その先に広がっているのは、水平線まで見渡せるほどの大海原。この列車に乗ってからこっち、間違い探しができるほどにしか変わっていないその光景。寝ていたせいで時間の進みは分からなかったが、窓枠についた肘、ひねり返して腕時計を見るのも億劫だった。

「……――――」

 係員が何ごとかを告げて、台車を押す音が遠ざかっていく。
 私は耳だけでそれを確認して、そのまま再び目を閉じた。外に開いていた感覚は、またもや自己の内へと埋没していき。

「……必要ないわ」

 漠然とした何かに対し苛立ちとともにそう呟いて、私は意識を沈めたのだった。





       ○  ○  ○





「次は終点、珠津島海岸通り。どなた様も、お忘れ物のないようお降り下さい」

 ……――――。
 車内アナウンスが目的地への到着を告げ、私もまた他の乗客に紛れ列車を降りた。多くはない人の流れ。それでも私はいつもの癖を発揮して、結局改札を通ったのは私が最後だった。

 駅舎を出て、再度辺りを見回す。一気に開けた空間。視界を遮るアーケードもなく、駅前は透き通る様な青空の下、田舎らしからぬ賑わいを見せていた。私が意識するまでもなく、道行く人々に視線が次々と移ってゆく。とはいえ、あいにく心を捉えるほどの何かを感じ入ることはなく、そう簡単にいくはずもない、と私はすぐに小さく溜息を吐いた。

「……」

 ようやく辿り着いた島。すぐにでも島中を駆けずり回りたいという欲求と、長旅の疲れをさっさと癒したいという欲求がせめぎ合う。私の乗ってきた列車は考える間もなく折り返し運転に入ったのだろうな、とどこかで自嘲しながら、ひとまずの休息にと近くにあった自販機へ硬貨を投入してやった。

 味など分かりはしない。まさか辛い飲み物なんてないだろう。それでも少しでも香りが良さそうなものを、なんて考えて、結局無難なお茶を選択。ガコン、と音がして、どうせアルミ缶の臭いがこびりついているであろう冷たいお茶が取り出し口に落ちてきた。

「……ふう」

 自分に呆れつつ缶を取り出し、何の躊躇もなく中身を喉へと放り込む。身体を癒す冷却水。それでも味を感じたように思えたのは、結局私の半端さゆえか。半分ほど飲み込んだところで視線を戻し、冴えた頭で再びそこにある街並みを見た。

 期待をしていなかった分、落胆もない。思い出すことなど何一つありはしないのだ、結局は。私がここに何度か来ていたとしても、私は忘却しているからこそここにこうして居るのだし、そも街並みが大きく変わっている可能性だって充分ある。見るからに新しいビルも、駅前の再開発に抵抗し続けているような古びた建築物も、道の入り組み方やそれに加えてそこを歩く人々も、当然のように私の記憶にあるわけがなかった。

 だから、私はやっていけている。

「さて、と。さっさと行こうかしら」

 なかなか動き出さない身体に言い聞かせるようにそう呟いて、残りのお茶を一気に飲み干す。ああ、やっぱり香りも味もなかったが、それでも快感を覚えるのはやはり私が半端な心持ちだからだろうか。飲食の嗜好など、まったくもって必要の無いものなのに。

 食欲に加えて、電車の中での睡眠。悠久の前にあっても、短期的であれ私に行動原理を与えるこれらは、主を捜すためだけに”生きている”私にとって貴重で不合理な例外だった。ままならない。それはそれそのものも、これらがままならないこと自体に対しても。
 そしてこれらが人間としての三大欲求に起因しているとすれば、いつかは異性との関係が私を動かすことも?

「……っ」

 らしくない考えに、思わず自分で吹き出しかける。それではまるで、単なる人間みたいではないか。そんなこと、有り得ようはずもない。私は記憶を消され続けるのだし、そも相手もまた眷属だので無い限り、生きる時間が決定的に違うではないか。

「まあ、そうでなくともないでしょうけれど」

 どこか言い訳がましいと理解しながら、意地を張りつつ空き缶をくずかごへと放り込む。からんと響く、無機質な音。
 そうしてようやく短い休憩を終え、この島での住居となる寮、ひいてはそれを所有する学院へと意識を向ける。地図はすでに確認済み。駅前のここからも見える、あの山の斜面にある白い建物群がそれだ。

「――……」

 顔を上げる。そう高くはないビル群の向こう、広がる青空を笠とする新緑の山々。吹き降りてくる風、混じる土の匂いにどこか懐かしいものを感じたのは、きっと錯覚か何かだろう。
 脳裏によぎった草原の風景。気のせいだろうと頭を切り換え、私は歩を進めていく。新生活、なんて洒落た言葉は似合わない。渡り鳥が住み家を変えるように、列車が駅に次々停車していくように、私にとってはルーチンワーク。何かが変わると期待しているわけでもないし、変わったところでそれが無意味だということも分かっている。

「……必要、ないでしょう」

 疑問とも断定ともつかぬ調子のそんな言葉は、その曖昧さもろとも虚空へと消えて。
 送られてくる山風に髪が流れるのを心地よく感じながら、昂揚のままに足を学院へと向ける。普段は真っ直ぐなその歩みに、もしふらりふらりと不必要で気まぐれな軌跡が混じったとしても、さほど気にするほどのことでもないだろう。

 履き慣れた靴が、歩き慣れない駅前の舗道へと一歩、踏みだし。

 ――――どこかでみゃあと、黒猫が鳴いたような気がした。

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Short Story -Fortune Arterial
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