抱かれたくない伽祭1.5日目

[Fortune Arterial short story]
 文化祭の一日目が終わり、部屋で明日の段取りを確認していたときのこと。既に就寝間際となっていたそんな時間に突然、ベランダの窓からコンコンとノックの音が響いてきた。
「……寝てたらどうするつもりだったんだろう」
 時計を見ながら溜息混じりに呟いて、カーテンへと手を掛ける。
 まさか文化祭の合間の夜、お茶会はさすがに無いだろうと思いながらカーテンを一気に引き開ければ、しかしそこに思った相手の顔はなく。
「――、――」
「……え」
 ベランダに立ちながら、こちらに向かって何ごとかを言っているその姿。俺は完全に思考を停止し、けれどすぐさま再起動して窓をガチャリと開けてあげた。夏の夜、生温い風とともに現れたその人はかなでさんではなく、つい先ほどに校門前まで送ってあげた――
「まったく。客人をこんな場所にこうも待たせるとはな。呼びつけたらすぐに開かんか」
 ――ぶすっと不機嫌そうな表情を貼り付けた、いつも通りの伽耶さんがそこに居た。





       ○  ○  ○





「それでどうしたんですか、こんな時間に。しかもあんなところから来るなんて」
 いつの間にやら常備されることになっていた緑茶をテーブルにことりと置いて、聞かざるを得ない疑問を伽耶さんへと投げかける。
 今日の文化祭で、俺は伽耶さんに学園を案内していた。伽耶さんにとっては珍しさもあったのだろう、昼間はずいぶんと楽しんでくれていたようで、そのことについて俺や瑛里華も結構喜んだものだった。閉会時間まで一日目を満喫したあと、明日も来るよう約束を取り付けて校門まで伽耶さんを送り届けたのが数時間前のこと。それだけに、伽耶さんがこうしてベランダから俺の部屋を尋ねてきたこと自体が、俺にとっては不可解だった。
 いやっていうか誰だって、送ったばかりの客人が夜中にベランダから来れば不思議がるに決まってる。だというのに伽耶さんは俺の言葉なんて耳に届いていないかのように、ずずっとお茶を吸って、一言。
「ふむ、まあ桐葉のように不味くはないが……やはり東儀の奴か、いつもの奴が淹れたほうが美味いな」
「あの、別にお茶の感想はいいんで」
 ちなみに「いつもの奴」は、お茶会でいつもお茶を淹れている陽菜のことだ。こんな言い方でも伝えてあげれば陽菜は喜ぶだろうが、さて。
「で、どうしたんですか?」
 再び問いかける。伽耶さんは湯飲みから口を離し、ほうと息をついてこちらを向いた。けれどその目はこちらを見据えるいつものそれとは少し違って、その大きな瞳、どことなく泳いでいるという表現があてはまる。「あー」とか「うー」とか言いづらそうにしているさまに、ついついこちらが口を先に開いてしまった。
「ええと、瑛里華か紅瀬さんでも呼んできましょうか? 時間が時間ですけど、携帯に連絡すれば大丈夫だと思いますし」
「なっ! い、いや、いい、構わん、構わん。連絡もしなくていい。そうだほら、心配されて明日の準備に差し障りがあっては困ろう?」
「はあ……」
 だったら俺はいいんだろうか、なんて言葉は口にするまでもなく飲み込んだ。
「あー、ううむ、だからつまりだな。昼間はずいぶんと賑やかに過ごせただろう?」
「ええ、まあ、そうですね。結構な賑わいだったと思います」
「うむ。しかしそれだけに、合間に訪れる静寂というのは普段以上に人の心を締め付ける。ほら、お前も昼間の熱気に比べればこの夜の落ち着きぶり、寂しさの一つも感じよう?」
「確かに、ギャップみたいのはありますよね。祭のあと寂しさ、みたいな」
 お茶を手に、肯定の意を返す。伽耶さんは俺の返事に「そうだろうそうだろう」となぜか嬉しそうに大げさに頷いて見せてから、更に言葉を続けた。
「そう、だから祭を案内された礼がてら、あたしはお前を心配してこうして来てやったというわけだ。一人では寂しいお前のために今日は一晩、ここで世話になってやろうと、そういうわけだ。分かるな?」
「ああ、そういう――え?」
 思わずノリツッコミみたいになってしまったが、素で混乱した。あまりの自然な仕草と論理展開。うんうんと納得しようとして、俺の脳のどこかにある常識がその自然さに歯止めを掛ける。……え? いや伽耶さん、いまなんて言いました?
「勘違いしてもらっては困るが、瑛里華や桐葉の心配をしていないというわけではない。ただな、お前が一番精神的に弱そうだから、こうして来たまでのことだ。別にあいつらのところに出向けば笑われるに違いないとか、そういうことを思ったからというわけでは断じてない。断じてないからな」
「ああ……」
 それは、つまり。
「寂しいから、泊まりに来たと?」
「――っ、な、何を聞いていたんだお前は! 返礼がてら、お前が寂しかろうと思って来たと言ったろうが!」
 ばんばん、と閉じた扇でテーブルを叩きながらいきりたつ伽耶さん。まあまあ、とその肩をなだめつつ。
「ま、伽耶さんが泊まるっていうのなら、そう断る理由もないですけどね。ええ、寂しいときっていうのは誰だってありますよ」
「……気にかかる納得の仕方だが」
「他意はないですよ」
 睨め付けるような視線を流しつつ、気付いていないふりのままお茶を飲む。伽耶さんが言う通り、やっぱり白ちゃんや陽菜のそれには敵わないと自分でも思った。
「ふん、まあよい。そういうことなら明日に備えて早々に寝るとしよう。着替えるのに水場を借りるぞ」
 伽耶さんは結局俺の承諾の返事を聞く素振りすら見せず、そのまま荷物を抱えてお風呂のほうへとひっこんでしまった。泊まりの了承を受けられた安堵ゆえかその足取りは少なからず軽そうで、残された俺はその背中に苦笑するより他にない。
 言うまでもなく、伽耶さんの言った理屈はその実自分自身の感情そのものだ。かわいらしい、子どもっぽい、そんな感想も抱く反面、そうまで文化祭を楽しんでくれたこと、そしてあの森の中に隠された屋敷で一人で居ることの寂しさを自覚できるまでになったことは、俺には喜ばしくもあった。話してやれば、きっと瑛里華もそう思うだろう。紅瀬さんはいつものように笑ってくるに違いない。
 それはきっと、明日を迎えるうえでもとても大事なことだ。
「伽耶さんはああ言ってたけど……」
 心の中でちょっぴり謝って、机の上に置きっぱなしの携帯を開く。紅瀬さんは言えば明日絶対にからかってくるだろうから、とりあえず口の硬そうな瑛里華から。アドレス帳から001を呼び出して、俺はメールを打ち始めたのだった。










 思ったよりも身体は疲れていたらしい。
 電気を消して、ベッドの中から天井を見上げる。吸われていくような身体の重み。対して少なからず緊張すると思った意識は、素直に落ち着いてくれていた。
「……、……」
 加えていつもは聞こえるはずのない俺以外の寝息は、床に敷いた布団の中からだ。カーテンの合間から差し込む薄明かりで目を凝らして見れば、掛け布団がゆっくりと上下している様子が見て取れる。小さな身体は予備の布団にすっぽりと収まっていて、その安眠しているさま、紅瀬さんならずとも笑ってしまいたくなるものだ。それと同時、その小ささに似合わぬ背負った十字架の大きさに、見ているこちらが胸を締め付けられもしてしまう。
 寝ている姿は、まんま小さな子どもだ。それが普段は、あの大きな屋敷の寝室で、ぽつんと置かれた布団に寝ているのだ。その姿を想像して、寂しささもありなん、と思ってしまうのは当然のことだと思う。むしろ今までが異常すぎたのだ。
「――、……」
 寝言。誰かを呼ぶ声。父様、と聞こえた気がした。寝入り始めた身体を無理矢理に起こし、俺はベッドから足を移す。伽耶さんの枕元、暗闇の中で腰を降ろして頭を軽く撫でてあげると、すうっと表情が和らいでいった。
 瑛里華か紅瀬さんを呼ぶべきか、なんてことをちらりと思う。
「……ベッドのがいいよな」
 床に敷かれた布団。それはどうしたってあの屋敷の畳を連想させてしまっていて、少なくとも今の伽耶さんにはそぐわなかった。せめて俺の部屋でくらい。伽耶さんが寝入っていることを確認し、失礼します、と断りをいれて掛け布団ごとその身体を持ち上げた。あっさりと持ち上がることに少なくないもの悲しさを覚えつつ、ベッドへゆっくりと運び込む。ベッドのスプリングが軽い伽耶さんを迎え入れる音。幸い目を覚ますことはなかった。
「せめて朝までは、どうぞゆっくり」
 カーテンの隙間を閉じて、目覚まし代わりの携帯を耳元から離す。ベッドから俺の分の布団をとって、再び伽耶さんが寝息を立てているのを確認してから、俺は伽耶さんが寝ていた予備の布団へと身体を横たえた。残っている体温は、もしかしたら伽耶さんも感じているものかもしれない。不快なはずがなかった。何かを考える間もなく目を閉じて。
 疲れた身体に引っ張られるかのように、俺の意識もすぐに落ちたのだった。











 ピピピピピ――――
 アラームの音で目を覚ます。いつもより暖かく感じられる朝の布団の中。心地よいまどろみに別れを告げるのにいくばくかの時間を要した。そのままぼんやりとした意識の中で音を止めて、疲労が抜けきっていないことに溜息をひとつ。それでも今日が集大成だ、ぐっと気合を入れ直し、ずいぶんと重い身体をゆっくりと起こす。
「ん……もう朝か?」
「ええ、俺ももうちょっと寝ていたかったんですが――……え?」
 眼前。俺の腹の上でむくりと起き上がり、目をこすっている寝間着の女の子。やや大きめのその服は色気よりも幼さを強調させていて、長い髪が四方八方に飛び跳ねているさまはなんともまあかわいらしい。普段はツリ目の瞳がいまは寝ぼけ眼になっていて、うろうろと視線を彷徨わせている。こすりこすり。ぱちくりとしばし目を瞬かせて、くいっと顔がこちらを向いた。
「……」
「え、えーと……お、おはようございます?」
「……な、な、なな」
「あーいやそうそう、今日も晴れてて良かったデスネ?」
「ななななんでお前がここで寝ている! ええい、離せ! このっ、この不埒者!」
「あだっ!? いやちが、いてっ、痛いっ! 痛いですって!」
「知るか馬鹿者! 夜這いなどと昂ぶりおって! あたしを抱こうなど、百年早いわ!」
 胸元を突き飛ばされたのに続き、顔から胸から足から全てを狙った殴打乱舞。見た目相応のそれであれば殴られたところで痛くなんてなかろうが、言うまでもなく伽耶さんはそんなんじゃあない。腹に風穴を開けられかねない勢いで殴られ、ほうほうの体で部屋の端まで体を動かす。
「いやだから誤解ですって! だいたい恋人の母親を抱こうなんて思うわけないでしょう!?」
「ええいやかましい! それが真実だったとて、あたしが起きるまで同衾していた事実に変わりはあるまい! こんなっ、屈辱がっ、あるかっ!」
「痛い! 別に何もしてな、いたっ、してないですって!」
「当たり前だ! していたらその首はとうに繋がっていないわ!」
「げふっ……」
 これでも手加減はしていたのか――。
 伽耶さんのあまりの優しさに涙しながら、俺はちょっぴり二度寝を楽しむことになった。

 ……で。
「まったく。今日の祭に影響が出てはあたしとていい気はせんが、相応の報いだと思えよ。世が世なら打ち首でも足らぬわ」
「いやほんと申し訳ないです。あたた……」
 俺が二度寝を楽しんでいる間に着替えを終えていた伽耶さんを前に、正座したまま頭を垂れる。蹴られた箇所が痛みを訴えていたものの、伽耶さんの言うとおりだから仕方のない面もあった。どんな事情があれ、ああいうことがあっては悪いのはこっちの方だろう。いや、報いが相応かどうかは別に考えていただきたいと切に願うところだけれども。
「だいたい、なぜ寝ているときに場所を変えたりなどした? 夜中に起きて寝ぼけたあたしにも非はあろうが、お前がベッドで寝ていたままなら間違えようもなかったろうに」
 ひとしきりお説教を終えて、伽耶さんがベッドのふちに腰掛けながら聞いてくる。ちなみに「くだらんことを言ってみろ。痣のひとつやふたつ増えることになるぞ」とその赤い眼が言っていた。
「いや、なんというかですね……」
「くだらんことを言ってみろ。痣のひとつやふたつ増えることになるぞ」
 眼どころか口でも言っていた。
 嘘を言ってもしょうがないと判断し、思ったことを正直に話す。
「なんというかですね、布団で寝てるのを見て、あの屋敷で寝てるところを想像しちゃったんですよ」
「ほう? それはあたしのあの家のことか?」
「ええ。それでなんか、伽耶さんが寝る前に言ってたことを実感しちゃって。その、寂しいなあって」
「……お前はあたしを挑発してるのか?」
 ぱちり、と扇を閉じて、こちらを見据える。威嚇に俺は首を振った。
「そうではないです。ただ、あの広い家で一人で寝てるのを想像して、ああ、寂しいって感じるのも当然だよなあって」
「あたしはあれを寂しいと言った覚えはないが」
「俺が思っただけですから」
「……ふん」
 俺の弁解に、伽耶さんが鼻を鳴らして立ち上がる。そのままベッドを踏み越え、荷物を持ったまま窓を開けた。まだ暑くなる前の時間帯。澄んだ風が雪崩れ込む。鮮やかな着物と、綺麗なコントラストを描く長髪がふわりと待った。
「正直に話したことに免じて、今朝のことは不問にしてやる」
 窓枠に足を掛け、ベランダへ。昇り始めた朝日、それに照らされた森のほうへと踵を返す直前、伽耶さんは俺を見据えて言葉を継いだ。
「代わりに、今日の祭もしっかりと案内せよ」
「……ええ、もちろんです」
 その返答に、伽耶さんは眼を閉じて口元を歪ませるように薄く笑う。かつてと似ているようで、決定的に違う表情。彼女は満足そうにひとつ頷いて、身体を翻しベランダから遥か彼方へと跳躍した。
「また、後ほど」
 伽耶さんはきっと、何食わぬ顔で数時間後の開会時間に校門から現れるのだろう。
 きちっと準備して、しっかり案内しなければ。約束せずとも決めていたその行動に改めて気を引き締め直し、文化祭二日目の朝はゆっくりと過ぎていったのだった――。


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Short Story -Fortune Arterial
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