一年後のファイヤーストー

[Fortune Arterial short story]
 闇夜を照らす煌々とした灯りは、見慣れた人工のそれではない。
 グラウンドの中央。放射状に拡散していく熱気と紅は白熱灯のそれとはその趣を異にしていて、ゆらめく炎の不均衡な質感がむしろ力強さを感じさせてくれていた。組み上げた薪は衰えを知らず堂々とその火柱を支えており、そこから夜空へと舞い上がっていくのは役目を終えた祭の残滓。それらは塵となってなおこの祭を彩っていく。
 文化祭の終了から一時間後。
 始まったのは、その残り火を楽しむ時間、後夜祭。
 太陽も沈んでグラウンドの照明も消えているというのに、中央の火柱――ファイヤーストームはグラウンド全体をその赤い揺らぎで照らしあげていた。視線を回せばそこに居るのは炎を遠目に見守りながら片付けを続ける者、売れ残りを飲み食いしている者、昨年に引き続き行われているマグロの解体ショーを見守る者、既にその火の周りで踊りを始めている気の早い者などなど。そんな統一性のなさは、不規則に揺れ動くファイヤーストームそのものの美しさととてもよく似ている。
 そして、そんな様子をただじっと眺めているのは、俺の隣に並んで座る瑛里華だ。
「……」
 後夜祭の会場に連れてきてからこっち、その瞳は静かにただ前方のみを見据えている。盗み見た端正な横顔は仕事時の堅いものとは異なり、別の感情をたたえているようでもあった。透き通るような色の瞳は、ほむらに照らされ吸血鬼特有の色に染まっている。であればその色の揺らめきは、彼女自身の感情の揺れ動きと連動していると思えなくもない。
 瑛里華から視線を外し、俺もまた彼女の見ている方へと目を戻す。眩しすぎるヒカリを放つ灼熱は、しかし俺たちを焦がしはしない。なぜか。炎は自然のものでありながら、いや、そうであるがゆえに、鉱物のように静謐ではありえないからだ。その二つの意味での熱さは、画一的な影を作ることすら許さない。
「……あれからもう一年ね」
 そうしてぽつりと、声。
 俺は視線を前へと向けたまま、売れ残りとして譲ってもらったラムネを一口ぐいっとあおった。……今くらいは、甘い味を感じたっていいだろうに。
「それとも、まだ一年、と言った方がいいのかしら」
 自嘲めいた呟き。
 一年。通常であれば長いと感じるであろうそれも、比較対象が無限大では、砂漠の砂一粒にもなりはしない。
「今でも時々思うわ。この結末で良かったのかって」
「後悔?」
 そこまでの呟きを受けて、俺は初めて言葉を返した。目を向けると、瑛里華の表情はなんとも言えぬ笑み。悔いているでも、かといって満足しているでもなく、敢えて言うならやはり自嘲に近いそれ。
「結局、あのとき私が下した決断とは、違う事態になっているでしょう? 孝平が望んだわけでもない。こうなる結末を望んでいたのは、やっぱり母様だけだったから。私たちの誰もが、望んで決断したわけじゃない」
「でも瑛里華は、その、血をくれたろう?」
「あんなのは決断じゃないわよ。あんな状況で孝平を死なせるなんてこと、たとえ死んでもできないわ」
 そうして瑛里華もまた、ラムネを一口。栓の開け方を知らなかったときとはえらい変わり様だ。
「だから、なんだか釈然としないのよ」
 言い切ってなお、やはりこちらに向くことはなく、その顔は紅い炎に照らされたままだった。明るさの強弱は湖面のように揺れ動き、時折吹き上がる明るさには少しばかり目を細める。その繰り返しは、きっと炎が消えるまで終わることがないのだろう。
 対して俺は、伸びをしつつゆっくりと上を向いた。広がる空に、まだ星は見えない。それでもファイヤーストームの直撃から逃れた顔はどことなく落ち着いて、肺に溜まった熱い空気を夜空に向けて放り出す。適度な冷却が心地良い。
「……瑛里華らしいな」
「どういう意味か聞いていい?」
「後悔してるわけじゃないんだろ?」
「分からないから、釈然としないのよ」
 目線の合わない、虚空に投じた言葉同士のやりとり。瑛里華は刹那の火柱を見据え、俺は永遠の夜空を見上げている。それでも通じ合えるのは、はて何が媒介しているからか。
「いいんじゃないのか、それでもさ」
「眷属のこと?」
「いや、そうじゃない。『釈然としないこと』がさ」
「……?」
 上に向けていた首を戻すと、予想通り釈然としない顔をした瑛里華が初めてこちらを向いていた。振り返る格好をしているせいで、その目に炎の紅は映り込んではいない。それでもファイヤーストームを背にしたその姿は、吸血鬼と同じ程度には幻想的。
「現実を意味づけするのは、そう簡単じゃないってことだ。未来にならなきゃ分からないことだってある。……いや、その方が多いくらいか。だったら今できるのは、それに対して確定した態度を取らないことくらいじゃないか。むしろそれこそが正解だとすら言える」
「それは詭弁でしょう? 妥協、とまでは言わないけれど」
「何言ってるんだ。さっき瑛里華が言っていたけど、望んだ未来、決断によって選び取った未来ってのも確かにある。でも、それほど不自由なものはないだろう? 考えてみろって。『そうしなければならないという未来』が嫌だから、瑛里華は結末が受け入れがたいんじゃなかったのか」
「――」
 言うと、瑛里華はしばし俺の言葉を咀嚼した後、やはりまた釈然としない表情を浮かべた。その仕草になんとも言えない心地になりながら、俺はのけぞり気味だった身体を起こしてグラウンドへと視線を投げる。夜空を見続けていた目に、炎のヒカリは少し眩しすぎるから。
 瑛里華がどう思っているのかは知らないが、俺は自分の言葉に嘘を混ぜたつもりはない。
「なんかすっきりしないわね……」
「だから言ったろ、瑛里華らしいって。突撃副会長……ああいや今は会長か、は物事を早い段階で整理したがりすぎる」
「失礼ね、性分なのよ」
「褒めてないわけじゃないさ。ただ、ゆらゆらと揺らめくような感覚の中に正解が潜むこともあるってこと」
 少しだけ不満げな態度を表した瑛里華に苦笑しつつ、ゆっくり俺は立ち上がる。正面にはなお燃えさかるファイヤーストーム。ちらりと腕時計を見れば、そろそろ後夜祭も終盤だ。瑛里華は気付いていないようだが、なんとなく人の流れが変わった気もする。
「……さて、それじゃそろそろ行こうか」
 一歩前に出て、振り返る。瑛里華はゆらゆらと揺らめくファイヤーストームに照らされたまま、少しだけぽかんとしていた。
「あれから一年なんだろ。『もう』でも『まだ』でもいいけどさ」
 そう言って右手を差し出すと、「あっ」と声を上げて瑛里華は急いで時刻を確認。そのまま右手を握り返して、すぐさま立ち上がった。そうして繋がった手、勢い余ったかのように見せかけるまでもなく俺はぐいっと引っ張りこむ。すると当然、瑛里華はつんのめって。
「え――こ、孝平?」
 真っ正面。当然瑛里華が倒れ込む先には俺が居て、だから俺は瑛里華を正面から思いっきり抱き留めた。長い髪が鼻先を掠める。良い香りに頭がくらりとして。回した手、背中は少しだけ冷えていた。
「問題を重視しすぎて、本質を見誤るのは瑛里華の悪い癖だ。やりたいことをやって、その結果起きた問題はそれから対処することだってできる。でも、そのときそれをしなかったという後悔に対しては、いくら未来があってもフォローすることができないかもしれないんだ」
 だから、もっとやりたいことをやりたいようにやってくれ。言外にそう意味を込めて、俺はその華奢な身体に力をこめた。不幸にならないように気を配ってばかりじゃ前には進めない。そんなことは、決して自分を幸せにしようとしなかった、かつての学院生活だけで充分だ。
 瑛里華はもう充分、幸せになる権利を得た。それを実感しなくちゃならない。
「……うん。ありがと、孝平」
 耳元でかすかな声。背中に回していた左手でその頭を撫でると、ふっと力を抜いていっそう瑛里華は俺へと身体を預けてきた。火照ってきたのは、背中にあたるファイヤーストームの熱による影響だけではあるまい。
 そうしてしばらく、俺たちはもしかしたらありえなかったその抱擁で曖昧な現実を確かめ合っていて。やがて、グラウンドのスピーカーから穏やかな音楽が流れ始めた。後夜祭を締める、フォークダンスの曲だ。
「さあ行こう、瑛里華。去年のぶんまで、一緒に」
「ええ」
 どちらからでもなく身体は離れ、しかし手を繋ぐと同時にぐっと寄り添いながら、俺たちはゆらゆらと揺らめくファイヤーストームの方へとその足を向けた。一歩一歩、短くない距離を着実に。
 ――きっとそこには、答えの一端があるはずだから。

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Short Story -Fortune Arterial
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