Mirror

[Aiyoku no Eustia trial short story]
「――また駆け落ちか」
「本当に面目ない。これでも教育には力を入れてるつもりなんですがね」
 オズの心底恥じているようなその言葉を聞きながら、俺ははあ、と大きく溜息を吐いて見せた。
 リリウムの待合室。鼻がひん曲がるような匂いの中で、俺はオズから新しい依頼の話を聞いていた。見てくれだけは豪華なソファに腰を降ろし、机を挟んで話を進める。駆け落ちした女と男の捕まえてくれ。要約すればただそれだけの、実に見飽きた、そしてやり慣れた依頼だ。
 死にたがりが多くて困ります、とオズは言う。どうせ逃げられるわけがない。それは牢獄で暮らす人間であれば誰もが知っていることだ。そして当然、捕まればほぼ殺される。それが分かっていながら逃げるのは、だからオズの言葉を借りれば「死にたがり」に相違ない。たとえ俺がこの依頼を断ったとしても、別の誰かがその犯人をすぐさま捕まえてみせるだろう。
 この牢獄で、不触金鎖から逃げ切れるはずがない。
「なかなか気は乗らないが……断ったところで、ジークにうるさく言われるだけだしな」
 今日はヴィノレタに行く用事はない。代わりといっては何だが、以前のことで懲りた下っ端が馬鹿丁寧に持ってきた安酒を軽くあおる。味は比べるべくもない。吐き出したくなるような不味さだが、それでもこの牢獄ではかなりの価値があるほうだ。明日の食糧が分からぬ世界、嗜好品というだけで価格はべらぼうになる。
「特徴を教えろ」
 酒の追加を断りつつ、仕事の詳細に入る。この返答で俺が依頼を承諾したと受け取ったのだろう、オズは「お手数お掛けします」と言いながら、若い衆を奥の部屋から呼び出した。その手にはどこの誰かが描いたかは知れない似顔絵が。
 ――似顔絵?
「おい、どうしてわざわざそんなものを?」
「いやあ、それがですね……」
 オズがなんとも困った表情を作り、机の上に人相書きを広げながら呟く。
「駆け落ちした女ってのが、羽付きなんですよ」





       ○  ○  ○





 断っておくべきだった、そう後悔してももう遅い。俺はオズから依頼を受けて、既に日も陰り始めた牢獄の街をゆっくりと歩き始めていた。
 面倒なことになった、と溜息を吐くこと数度。街ゆく羽狩りの連中を視界に収めるごとに心の中で悪態をつきながら、俺はそのまま足をスラムの方へと運んでいく。
 ……依頼に至るまでの詳細はこうだった。先日、リリウムのある娼婦が羽化病を発症。ジークの指示ですぐさま羽狩りに連絡し、羽狩りの方も不触金鎖の本部での羽付き騒動ということですぐに到着してきたそうだ。だが「羽付きを匿っていた」「発症直後に連絡した」と押し問答をしている隙に、その場にいた男性客が当該の娼婦を攫って逃走。羽狩りと不触金鎖を巻き込んだ大捕物に発展――、という流れらしい。
「バカバカしい……」
 羽狩りが羽付きを逃したことを黙する代わり、羽付きを匿っていた嫌疑については不問とする。そんな協定がすぐさま結ばれ、羽狩りは羽付き女を、不触金鎖は駆け落ちした男をそれぞれ追うことにしたそうだ。
 けれど言うまでもなく、二人は一緒に逃げている。だからこれはお互いの組織に取って、「相手に恩を売るチャンス」でもあった。二人をまとめて捕縛すれば、片方を相手に引き渡せる。お前のところの不届き者をこちらが捕まえてやったぞ、と。それは金にもメシにもならないが、メンツとプライドで成り立つような商売をしている連中にとっては非常に重要なことでもあった。
 そう。思えば確かに、少しばかり違和感はあったのだ。単なる駆け落ち捕獲の依頼。だというのにわざわざ呼びつけて、オズは普段以上に慎重で、なぜかジークのことには一言も触れず。ああそういえば、出された安酒もいつもよりほんの少しだけ不味さを抑えたものだった気さえする。
「嵌められたか」
 生きてるんだか死んでるんだか分からない乞食の横を素通りし、更に牢獄の奥へと進む。
 こういう類の依頼であれば、不触金鎖は俺に頼まざるを得なくなる。だがきっと事情を最初から話していれば、俺は難色を示しただろう。なぜなら俺は、一度羽狩りの連中とちょっとしたいざこざを起こしている。バレてはいないだろうが、関わり合いになるのはできるだけ避けたかった。
 そしてジークはそれを知っているからこそ、後から情報を出すようなことをオズにさせたのだろう。ジークになら抗弁もできる。だが事情を知らされていないオズにそれをすることは、すなわちその事実そのものを俺に告白させることに相違ない。
 だから、嵌められた。
 ジークのしてやったりの笑い顔が脳裏をよぎって、俺は知らぬ間に強く舌打ちをしていた。
「……さっさと終わらせて帰りたいところだが」
 歩き続けていると、だんだんと道も建物も荒廃具合が強くなってくる。見捨てられた土地、スラム。牢獄とはいえリリウムのあたりはそれなりにまともな設備になっているが、ここいらは崩壊後の傷痕がいまだに残っていた。当然治安もあちらより断然悪く、牢獄に暮らす人間でさえ用が無ければそうそう近寄ることはない。用というのは、そう、例えば「羽狩りから逃げたりする」用事などだ。
 逃げるやつらが向かう先は主に二種類。一つは人混みだ。以前のスリは一番の人混みに逃げ込んだ。けれど今回は羽狩りが組織的に追いかけている以上、俺が街中で勝負を仕掛けたって敵うはずがない。だから俺はもう一つの選択肢、つまりはこのスラムに目をつけたのだが――
「ビンゴ」
 悪運の強さが嫌になる。
 暗くなり始めた視界の奥で、ある廃墟の手前、きょろきょろとあたりを注意深く見回している男の姿が目に入った。顔を見ずとも分かる。逃げている奴特有の態度。あれでは「自分を捕まえてください」と言っているようなものだ。
 ……あんなやつに逃げられたのか、と内心羽狩りを毒づくことも忘れない。どう見ても手練のようには見えなかった。
「なあ、そこのあんた」
 声は努めて平静に。びくん、と男の肩が跳ねて、ゆっくりとこちらを向いて見せた。体勢からして、得物は背中に隠し持ったナイフあたりか。あれで隠しているつもりならその間抜けさは大したものだ。
 なんだお前、と気を張っているのが丸わかりな返答。捜し物があってな、と俺。戸惑う相手を意に介さず、踏み込む。一瞬にして変わった空気。男が刃を抜き去ったときにはもう遅い。その手を蹴り上げ、代わりにこちらのナイフが男の首元を完全に抑え込んでいた。
「た、助け……」
「断る」
「――ッ!?」
 男の身体を投げ飛ばし、整地されていない瓦礫の山に頭ごと叩き付ける。抵抗する体力を吹き飛ばして、俺は馬乗りになりながら再び喉元にナイフを突きつけた。そしてその名前を問い質し、オズの依頼の男と一致することを確認する。近くで見たその人相も間違いがないようだった。
 投げた一撃が効いたのだろう、男に抵抗の素振りはない。もとより荒事に強そうにも見えなかった。力もないくせに、よくやる。男の事情に興味はなかったが、その無謀さに俺はなぜか怒りを覚えていた。
「お前、羽狩りか? それとも……不触金鎖か?」
「さてな。なんだ、羽狩りだったら『女を差し出すから助けてくれ』とでも言うつもりか?」
「……そうか。ということは、不触金鎖の差し金か。それなら――」
 男は張り付いたナイフに喉を鳴らしながら、か細い声で言葉を繋げる。
 いつもだったら恫喝して黙らせていたその言葉を聞こうと思ったのはなぜなのか、俺は自分でも分からなかった。
「それなら、頼む……俺をこのまま捕まえてくれ」
「何が言いたい?」
「……彼女を、見逃して欲しい」
「――」
 ぐっ、と意識しないままに喉元のナイフが皮膚に深く食い込んでいく。くすんだ喉元に滴り落ちていく薄汚い血液。痛みに男は顔を歪めたが、叫び出すようなことはなかった。
「なにも羽狩りから匿ってくれ、なんて言うつもりはない。でも、せめて、せめて捕まるまでのわずかな時間だけは――」
 喉に深くナイフを当てられながらも、男が俺の目を見て訥々と話を語り始める。
 曰く、彼女は可哀想なのだと。
 曰く、彼女は良い人間なのだと。
 曰く、彼女の運命は理不尽すぎるのだと。
 聞くに聞き飽きた、教会の連中と同じくらい長くてつまらない無駄話。身なりからしてもその間抜けさからしても、この男、牢獄の出ではないのだろう。下層の男が娼婦に騙されたという、耳が腐るほど聞いた話だ。
 こんな理不尽なことなどない。
 俺は彼女を助けたい。
 どうしてそんなことをするのか。
 笑えるくらい、どいつもこいつも同じことを言う。そんなものに理由などないと、どうしてこいつらは分からないのか。女を追って命がけなど、牢獄に居れば三日と保たない精神構造だ。
 だというのに男はぺらぺらと泣きそうな瞳のまま言葉をどんどんと続けていって。
「だから、頼む、せめて羽狩りに見つかるまでは――」
「カイムさん!」
 背後からの声に、はっと我に返る。
「……何を」
 なにを、していた。
 俺は一体、何をしていた……?
 なぜ、俺はこいつにこんな下らない話を喋らせ続けていた?
 どうしてこんなクソみたいな話を、黙って俺は聞いていたんだ……!
「頼む、もう、あんただけが頼りなんだ。頼むから――」
「黙れ!」
 ガン、と今度は一撃で意識を刈り取る。途端に静かになるふざけた口。喉元に突きつけていたナイフを払い、腰の鞘へ。ほどなくして俺を呼んだ声の主――オズが現れて、俺の足元に転がっている男に目をやった。
「流石です、カイムさん。しかし、羽付きの方は……?」
「俺がこいつを見つけたときには、もう別れていた。別々に逃げたとすれば、この辺りにはもう留まっていないのかもな」
「そうですか。分かりました、それでは我々はもう少し別の場所を当たってみることにします。カイムさんはどうされますか?」
「……ちょっと走りすぎた。少し休んだら、お前たちの後を追う」
「了解しました、それでは後ほど。おい!」
 オズが引き連れた部下に指示を出し、昏倒していた駆け落ち男が乱暴に運ばれていく。それを見送る前にオズと残りの部下は俺に一礼して、スラムの奥へと消えていった。
 少なくとも、不触金鎖としての捕り物はこれで終了だ。羽付き女の方は羽狩りが目を皿にしてでも見つけ出してくれることだろう。依頼としては羽付きの捜索も入っているが、もう帰って寝てしまっても誰も文句は言いはしまい。
「……」
 男を叩き付けた瓦礫から離れ、通路の奥を見やる。崩れかけの廃墟。そこは男が妙にきょろきょろと辺りを見回していた場所だ。それはそう、あたかも「中にいる誰かのために、見張りをしていた」かのように。
「……馬鹿らしい」
 吐き捨てて、踵を返す。
 あそこに誰か居るなんていうのは、単なる俺の勘にすぎない。男が間抜けで、その考えが容易に読み取れるような愚鈍で、それが見張りをしているように見えていたとしても、それらは全て俺の主観によるものだ。
 だから、帰ろう。
 あとは羽狩りと不触金鎖の、組織としての闘争だ。構成員ではない俺に関係することじゃない。愚にもつかない勘のために、例えばあの廃墟にとんでもない化け物が、あるいはとんでもない手練が、あるいはそれ以上の妙な厄介ごとがあるかもしれないリスクを踏む気には到底なれなかった。
 ああ、これはだから、非常に論理的な判断だ。
 息を吐くように独りごちて、俺はそのままスラムを後にしたのだった。



 ――ちなみに件の羽付き女は、翌日羽狩りに無事「保護」されたらしい。
 ジークは羽狩りに先んじることができなかったのを悔しがっていたが、そんなもの、俺にはまったく関係のないことだ。……だろう?

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Short Story -Fortune Arterial
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