from zero to Eternal
[Eternal Fantasy short story]
百年祭。
封印大戦で人類が魔族を退けてからちょうど百年目の今年、このフィデリトールの王都・レオメトルでは、長きに渡る平和を祝う祭が盛大に執り行われていた。
その規模がいつもの朝賀や建国祭と違うことは、私でさえ分かったくらい。
なぜなら、どんな行事であってもある種の無機質さが感じられたこの城内にあってさえ、楽しさ、嬉しさ、喜び、といった感情が漂っているから。
城内を哨戒する兵士達の足取りも心なしか軽いし、こんなことを言ったら怒られるかもしれないけど、それもたまにはいいことだと思う。
だって、だからこそ私もこうしてどきどきできているのだから。
「それで、そのテクテクっていうのはどんな味なのかしら?
鶏肉を焼いたということは、この前食べたソテーみたいなもの? 私も食べてみたいわ」
「いけません、殿下。あんな粗野な味付けのものは、殿下のお口には合いません」
「そう? 話を聞く限りではとてもおいしそうなのに……」
なんだか落ち着かない私はねえやを呼んで、こうしてお祭りの話をしてもらっていた。
ねえやは小さい頃に何度もお祭り――百年祭ほどのものではないにしろ――に行ったことがあるらしくて、それは私にとってはとっても羨ましくて、少しでもその体験を分けてもらうために、その話に必要以上に集中してしまう。しかもねえやは私のおそらく露骨であろう好奇から来る数々の質問に対しても、そのことごとくを答えてみせてくれた。
なんだか興奮してくるのを自覚する。
だってそれは、たった一枚の城壁の向こうに広がる、決して届かない異世界だから。
「いいなあ、私も行ってみたくなっちゃった」
「いけません! 高貴なその御身を、お祭りなどという俗事の極みのような場に浸されては、先代に申し訳が立ちません。
それにお祭りですから、その浮ついた気分を利用する輩も居ります。そんな奴らに狙われてはたまりません」
「それは許せないわね。せっかくのお祭りなのに」
「お祭りだからこそ、です。
そのほとんどは賤しい小悪党でしょうから、庶民の自警団で対処しているようですが、それでもです」
「小悪党?」
「ええ。小悪党というのはですね――」
ねえやは私をたしなめるときにいつもそうするようにぴんと人差し指を立てて、「小悪党」について教えてくれた。
だいたいは下っ端二人と人使いの荒いボスの三人組からなっていて、しかも下っ端二人は太くて小さいのと細長いのでなくてはならないらしい。
考えてることは誰もが思いつく、いかにもな「悪事」で、義賊は小悪党には含めないんだとか。
そして結局は「正義」に対峙されるというお約束もあるという。
「でも、結局対峙されるならいいじゃない?」
「それはお話の中だからです。実際に居たら、もし何かあってからでは遅いのですよ?」
「うーん、小悪党と、正義の自警団かあ。
お祭りが鶏肉だとしたら、小悪党はスパイスみたいなものね? ぴりっと辛いけど、なくちゃ寂しいみたいな」
「全然違います。
そもそも、”小”悪党だとはいえ治安を乱すものであるのは間違いがなく――」
あ、またやっちゃった、と思ったときにはもう遅い。
ねえやは再びぴんと指を立てていつものお説教モードへと突入。怒鳴りこそしないにせよ、ちくちくとした言葉が執拗に責めてくるさまはやっぱりどうにも堅苦しい。
でもこれは、私にとっては必要なことだから。
”常識”というものが欠如している私にとって、ねえやの話はとってもためになる。
今回だって、ねえやは私を怒っているのではない。私に小悪党とは何か、どういう存在なのか、どうしてスパイスに例えちゃいけなかったのかを、実感として語ってくれている。
「……というわけですから、いくら小悪党とて――」
そうして話が終わろうかというそのとき。
「取り込み中失礼。
殿下、よろしいですか?」
「エフメル?」
私室の扉からそう言って入ってきたのは、今日は朝から姿を見かけずにいたエフメルだった。
その姿を確認し、すぐさまねえやは一礼して部屋を出て行く。……うーん、もうちょっと話を聞いていたかったけど、これじゃ仕方ない。
ねえやが出て行ったことを確認して、エフメルが私の元へ。
「ねえエフメル。エフメルは『小悪党』について、どう思う?」
「え? ええと、小悪党、というのはその、あの『小悪党』ですか?
悪党に小さいと書く?」
「うん。それ。いまね、ねえやにその話を聞いていたの」
「はあ、そうですか……」
エフメルは私の質問が予想外だったか、その端正な顔をおおいに歪ませた。
珍しい。よっぽど予想していなかったことのようだ。いつもなら大概の質問にも、まるで今日の朝食のメニューを答えるかのように答えてくれるのに。
しばらくエフメルは考え込んでいたものの、何とも言いようがないのか特に何を言うことはなく。
私が「うん、まあ、気にしないで。それで?」と話を促すと、エフメルは安心したように息を吐いた後、いつものように畏まって。
「殿下。本日は百年祭でも最も盛り上がる日です。
その盛り上がりは殿下のお姿のお披露目まで続くことでしょう」
「ええ、そうみたいね」
「……見たくはありませんか?」
「え? えーと、私が、私の姿を?」
「いえ、そうではなく」
エフメルは一度明確に溜めを作り。
「城下の様子を、見たくはありませんか?」
私は耳を疑った。
○ ○ ○
「……これでよいでしょう。城内でも殿下のお姿を知っているのは数えるほどの者だけです。
町娘には見えませんが、貴族の流れを汲む旅人、くらいには見えると思います」
そう言って、エフメルは背後から私の正面へと戻ってきた。
後ろ手に結び目を確かめてみる。うん、やっぱり問題ない。
「ありがと、エフメル。
でも、エフメルに着付けをしてもらったのなんて、いったい何年ぶりかしら?」
「申し訳ありません、殿下。こういったことには不慣れなもので。
彼女には見劣りするかもしれませんが、手伝ってもらうわけにもいきません。どうかご辛抱を」
「何言ってるの、全然違和感ないわよ。
ジュスティアとリベルテは……ちょっと目立ちすぎるかな?」
フィデリトール建国の祖、レオパルディンから受け継がれている二振りの剣。
先日はあのデジロンから一本取ったほどに手慣れてきた愛剣だが、さすがに街中では目立つに違いない。そのくらいは、私でも分かる。
エフメルは私の予想通り、首を縦に振って、
「剣を持っている者はそう珍しくはありませんが、あれほどの業物、見る者が見ればすぐに正体が知れてしまうでしょう。
しかし……そうですね、珍しさでいえばこちらも相当珍しいですが、そこから正体を看破されることはないでしょうし、彼らを連れて行くといいでしょう」
「クポ?」
「グモ?」
エフメルの視線の先。
さっきからずっと窓際でひなたぼっこをしていたスゥとカクが、視線を受けて「なにごと?」みたいに首を傾げた。
あ、えーと、首はないから、仕草がそんな感じ、ってだけだけど。
「おいで、スゥ、カク」
「クポー!」
「グモー!」
スゥはふわふわと、カクはとことこと私のもとまでやってくる。
ついでにエフメルの周りもくるくるっと回ってみたりして。スゥとカクがこうまで懐くのは、私のほかではエフメルだけだ。
どことなくエフメルも嬉しそうに見える。顔では鬱陶しがっているものの。
「でも本当なの、エフメル? 私のお披露目が狙われてるって。
ああえっと、エフメルのことを疑っているわけじゃなくてね。でもだったら尚のこと、私は警戒のため城内に居た方が――」
「いえ、今のところ城内も安全では――あ、いえ、城内は我々も警戒していますが、警戒しているがゆえの欠点というのもあります。
その点、よもや狙っている何者かも殿下が城下に居るとは思わないでしょうから、あの人混みが天然の隠れ蓑になってくれるはずです」
「そっかあ。流石はエフメルね。
こういうの、ええと……そうそう、『敵を欺くには味方から』っていうやつでしょ? 城内の人にすら秘密なんだもの」
「はい。……デジロン宰相閣下が味方であれば、の話ですが」
「ん? デジロンが何か?」
「いえ、何でもありません。お気になさらず」
小悪党について訊ねたときとは逆に、今度はぴくりとも表情を変化させずエフメルが煙に巻く。
こうなると彼女は手強い。まあ、私もその何かしらの秘密が、真に私を思ってのことだと知っているから、問い詰めたりはしない。
きっと理由があって、私が知ってはいけないことなのだろうから。エフメルは、そういう人だ。
だから例えばエフメルが何かで私に嘘をついたとしても、その嘘はきっと私のためなのだろう。
今まで嘘をつかれたことはないから分からないけど、そのとき私は、おそらくエフメルに騙される。
それは私がそれまでだったということだし、エフメルの嘘なら私は喜んで騙されよう。
……もちろん、エフメルが自己犠牲でそんなことをしたりしたら、私はエフメルを正座させて一晩中お説教してやっちゃうけれど。
「では、いかがなさいますか。今すぐにでも?」
「え? 私はその方がいいけど、今すぐでもいいの?」
「はい。むしろそうしていただけるとありがたく思います。
殿下がお出になった後、敵を探らねばなりませんから」
「……? どうして敵を探るのに、私が出て行く必要があるの?」
「それは――」
エフメルは無表情のまま、しかしどう見ても「しまった」とでも言いたげな戸惑いを見せて、
「――敵が城内に紛れていたとすれば、殿下への警護を兵に任せてはおけぬからです。
これは兵を信頼していないという意味ではなく、敵が兵に扮装しているという観点からの考えゆえですので、ご容赦を」
少しばかり早口になって、そう言った。
たぶん、嘘はついていない。
でもきっと、それが全てじゃないと思う。
それでも、というよりむしろそうであるならいっそう、私はエフメルに全てを任せることにした。
エフメルは隠密行動に関してはプロフェッショナルだ。エフメルが私のことを考えてくれているのが分かっている以上、私が口出しするものではない。
「じゃあ早速、行こうかな。
まさかこの百年祭の日に城下に出られるなんて……ああ、やりたいことが多すぎて考えがうまくまとまらないわ」
「殿下、この外出の意味をどうかお忘れ無きよう。
危険を察知したら迷わず助けを求めて下さい。私もすぐに駆けつけます」
「うん。でも、いくらお祭りだからって、そうそう危険はないでしょう?
”小悪党”は”正義の自警団”が対峙してくれるみたいだし」
エフメルはちょっと困ったような表情をする。ねえやにとっては得意分野でも、エフメルにとっては話題にしづらいものだったみたい。
でもまあ間違ってるときはすぱっと「間違っています」なんて言ってくるから、あながち間違いでもないみたいだけれど。
「……こちらでも手は打っておくか」
「ん?」
「あ、いえ。”小悪党”程度なら、無抵抗にしていれば比較的安全です。
もし相手がプロではなく”小悪党”だと思ったら、特に助けを求める必要もないでしょう。様子を窺い、特に手出しをしてこなかったならそのまま指示に従ってください。
手出しをする悪党だったら話は別ですが」
「うーん?」
よく分からない。ねえやと言ってることがちょっと違う気がする。
正義の自警団はどこへ行っちゃったんだろう。
まあスゥにもカクにも――じゃなかった、とにもかくにも、行ってみないことには始まらない。
これだけ人が居るのだ、悪い人だって居るし、いい人だって居る。
私だってもう子どもじゃないのだから、相手の判別くらいはつくし、その対応だってちゃんとできる。……きっと。…………たぶん。
「それでは行きましょう、殿下。念のため憩いの園経由で東門から出ます。
集合は……そうですね、お披露目の時間の一刻ほど前に中央広場でお願いします」
「一刻前? それで間に合うかしら?」
「ええ、大丈夫です。
では私が先導しますので、ついてきてください。準備はよろしいですか?」
エフメルは部屋の扉に手をついて、そう言ってくる。
……どきどきする。
百年祭の日に、城下へ。普段そこで暮らしている人たちですら楽しいその光景、私が楽しめないはずがない。
そしてまた、感じるのだ。
なんだかとっても運命めいたものを。
「行きましょう、エフメル」
「はっ」
エフメルがゆっくりと扉を開け、外を確認しつつ出て行く。
「なんだか、大冒険のお話の冒頭みたい。
さあ、行くわよ! スゥ! カク!
……あ、でもお城の中では静かにね?」
「プポー」
「グモ」
いつの間にかベッドでごろんとしてたスゥとカクと共に、私は王女の私室を出て行く。
目指すは己が統治するレオメトル、その城下。
――大冒険が、始まった。
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