escape or extinct

[da capo U short story]
 西階段は封鎖されている。中央階段には先ほど交戦したμタイプが三機。東階段は天枷が網を張っているだろう。窓から下の階に移ろうにも、水越先生の指揮で室内から蜂の巣にされる可能性が高い。一気に地上に降りるという手段も無くはないが、足を痛めればそのままジ・エンドだ。

「……」

 息を殺す。気配を殺す。意識の糸で世界を飲み込む。あらゆる異常を敵より先に感知する。
 だがいつまでも潜んでいるわけにもいかない。この階に残る教室は既に残り三つ。次の瞬間、俺の目の前のドアが開けられると思うとぞっとしない。腰の愛刀を握る。対峙したなら、相手の人差し指が動くより早く敵を両断せねばならない。対銃弾障壁は編み込んであるが、相手がそれを見込んでライフリングの無い拳銃を選択していたらアウトだ。あるいはHM−09型のこと、重火器の類である可能性も充分あり得る。ロケットランチャーのようなものならまだしも、アサルトで面制圧なんぞされた日には外道だと罵る他に術はない。

 窓の外へ視線を向ける。白いカーテンの向こうは、透き通る月夜。イカレたように美しい半円が眩しいくらいに光を放っていた。
 そのコントラストが芯に来る。太古の昔、あれに魔力を感じた人間の気持ちが今なら分かる。荒い鼓動は静まり、空の静謐さが乗り移ったかのよう。それは死地で感じる昂揚にも似ていて。

 カタン、と音が鳴った。それは俺の意識を現実に引き戻すのに、充分すぎる合図。

「三年三組、突入シマス」

 ドアを挟んだ廊下から声。量産型の耳障りな、独特の合成音声。人間性を極限まで排した人型ロボット。なんという皮肉だろうか。外道、という言葉はあの博士にとっては褒め言葉にしかなるまい。

 気配が動く。
 同時、全ての感覚を反転させる。中腰のまま停止。視線は固定。まばたきはなく。呼吸も止める。リズムを刻むものはダメだ。あらゆる刹那のタイミングにおいて、その波は致命的な誤差を生む。心の臓以外のあらゆる動きを停止。脳はその働きを放棄し、全ては脊髄に帰結する。

 相手の指が取っ手に触れる音。身を捻る。抜刀。ドアが開く。いや、開くより早くその身を間隙に滑り込ませる――!

「――!」

 チッ、と不意に舌打ちが漏れた。完璧な手応え。渾身の一撃はしかし、首を跳ね飛ばすには至らない。相変わらず固い図体。めりこんだ刀。引き戻す。相手の反撃をすぐさまいなす。
 第二撃を構えて。弱点は分かっている。左手を大きく外へ。ミスディレクション。μの視線が逸れた隙、その眉間に鋼の打突を叩き込んだ。

「……ピ……ガ――」

 電子音と共に活動停止。

 刀を引き抜き、廊下。東階段へ走る。天枷と言えど、一対一なら勝機はある。生身で三体一を挑むなど正気の沙汰ではない。現実はヒーローごっこではないのだ。たった一人の剣豪は、たかだか数人の凡人に屈するのが常。俺は愚か者ではない。
 だから生きるのだ、俺は。

 走る。モノクロームの地平を蹴る。呼吸は鎮め、足音は殺し。スニーカーを極限まで捻りあげ、俺は最後の曲がり角へそのまま突進する。遠心力すら無意味。曲がってからが時間との闘いになる。天枷が俺に気付き、対処するより先に接近する。長距離では敵わない。猶予は三秒か。心で時間の算段をしつつ、身体を直角に捻ったその瞬間。

「――ッ!」

 出会い頭。判断より直感で動いた刀は、相手の刃を寸での所で食い止めていた。キチキチとイカレた刃音が骨身に染みる。
 見る。押し返されるような異常な腕力。その源は女のような細腕で、服装は相手をバカにしているようなメイド服。しかし性能はμタイプの比ではない。

「ξかっ!」

 鍔迫り合いから一気に身体を突き飛ばす。火器使用に特化したμに対し、近接戦闘型の新型「ξ」が開発されていることは聞いていたが。よもやこうも早くまみえるとは思わなかった。
 離れた間合い、左足を摺り下げる。左肩を開き、半身の構え。正眼では間に合うまい。

 顔を上げる。そこには既に、振り下ろされていたξの刃。
 ……冗談にも程がある。突き飛ばした直後に反撃を受けるなど。そんな状況、如何な教本にも書かれてはない。

「クソッタレ……!」
「――」

 血反吐とともに愚痴を吐き出し、迎撃しつつ後ろへ下がる。右肩をやられた。傷を確認する暇はない。一撃必殺の刃をいなすので精一杯。
 三回、四回……、剣戟が続く。優劣は明らか。ジリ貧という言葉がこれほど似合う状況もあるまい。そしてそれは、斬りつけているξの側も分かっていること。

 耳障りな音が狭い廊下に反響する。危うく音に意識を取られそうになる。身体は相手の一刀一刀に渾身の力で反抗し、それでもギリギリと削られていく。
 刀が擦れる度に刃は零れ、関節は軋み、肩は外れ、足は動かなくなっていく。集中力が切れても身体の動きが鈍っても、どちらにせよその次の瞬間に俺はこの世から消滅するだろう。それは確実に狭まっていく、予定調和のような運命。

 だが俺は死にたくない。当然だ、死にたい人間なんて居るものか。死ぬのが怖くない、なんてうそぶくつもりも毛頭無い。俺は生きる。だから闘っている。俺にだって、生き抜く権利くらいはある。

「――!」

 業を煮やしたξが僅かに軌道を変化させた。俺の刀を振り払おうという魂胆の、一撃で決めるという意志の大振り。感情は機械では到達できない地平を見せるが、それ故機械では有り得ないマチガイも犯す。
 あるいはそれこそが人間性というもので、予定調和を嫌うが故に進歩の基盤となる根源。だがそれは、今この時点では単なる「マチガイ」でしかなかった。

「遅い!」

 相手が大きく振り上げた隙、右足を更に一歩、深く踏み込む。肉薄する身体。ξの刀は振り下ろされて、とうとう左肩が完全に沈黙した。その激痛は右肩の比ではない。
 それでも。己が懐中の敵を斬るには、そのかぶりは大きすぎて。

「――」
「……」

 視線が交錯する。感情があるロボット。死への恐怖は如何ほどか。端正な顔、その黒い瞳の奥に怯えがあることを明確に確認しながらも――

「桜内、貴様ッ!」
「っ!」

 瞬間。
 刀を捨て、俺は窓を破って校舎を落ちた。


       ○  ○  ○


 着地の際に足をかばったせいで、右腕まで使い物にならなくなった。肩から手首に行くまでに、俺の腕はメビウスの環のように捻れている。そうまでして守るだけの価値が、足にはあったのだ。刀はもうない。腕は既に用済みでもある。

「……」

 耳を澄ます。足音はない。花壇の茂み。真上からすら死角になる場所。鈴虫の音を聞きながら、俺は大きく息を吐いた。熱い息だった。

 心臓の鼓動は収まらない。頭を掻こうとして、やめた。ガラスの破片がそこら中にこびりついている。血まみれになるのがオチだ。
 足をさする。怪我は落下の衝撃ではなく、ξとの交戦中に現われた天枷による銃撃。窓ガラスを割る瞬間、銃弾が数発太腿を掠めていった。

 だが走れる。迷っている暇はない。

「……よしっ」

 土を蹴り上げ、俺は校庭へと飛び出した。真一文字に横切る。塀は高い。脱出するなら正門を通るしかなかった。
 暗闇には黒の学ランがよく似合う。発砲音が聞こえてきたが、当てずっぽうもいいとこだ。流石の天枷にも――あるいは天枷だからこそか――サーモグラフィーや暗視スコープは搭載されていないらしかった。

「はあ……、はっ……!」

 風が涼しい。思ったよりも汗を掻いていたようだ。足が地面に着くたび、振動で肩に痛みが走る。それでも構っている暇はない。冷たい空気が頭痛すら緩和した。
 地を蹴り飛ばし、短くない校庭を走り抜ける。脱出してからどうするかなど、それを為してから考えればいい。今はただ、それだけを。

 だが。

「……信じられない。まだ生きていたなんて」
「――……!」
「本当、ゴキブリ並とはよく言ったものです」

 その希望すら打ち砕く、俺にとって最悪の敵が。

「なんでお前が、ここで待ち伏せしてるんだ――」

 閉ざされた風見学園正門、その手前に悠然と佇んでいた。

「――アイシア」

 擦れた声が出た。だが、目前の敵は名を告げても眉一つ動かさない。

 黒いコートが闇に溶けている。異国の血を引く証左であるそのブロンドの髪は夜風に靡き、緑のリボンはその流れすら支配する荘厳さを秘めていた。
 彼女とは一度会っている。そして、決裂している。それはそうだ。死ねと言われ、誰がそれを引き受けよう?

「流石は”あの”頑固者の二人の息子だけありますね。その頭の悪さは遺伝ですか?
 ――あなたは死ぬべき存在です。あなたが死なないと、みんなが不幸になる。それはあなたも分かっているでしょう、義之?」
「……」
「魔法はみんなを幸せにするもの、しなければならないものです。魔法使いの血を引くあなたが、なぜそれに反することをするんですか。
 あなたのせいで初音島は今大変なことになっている。だからこそ、あなたは消滅せねばならない。違いますか?」
「……」
「沈黙は異論無しと見なします」

 こいつは、ダメだ。まるっきり、何もかもダメだ。
 前回も話が全く噛み合わなかった。異国人だからというより、もっと根源的な何かがズレている。

 もはや言うべきこともなくなったか、アイシアは目で俺を牽制しながらゆっくりと腕を頭上へと掲げていった。その口は異界の言葉を紡いでいく。お菓子を出すなどという巫山戯たものとは比較にもならない、完璧なまでに殺意の籠もった破壊魔法の詠唱。その余分は憎しみか焦りか、俺という個体を吹き飛ばすにはあまりに大きなエネルギーが凝縮していくのが分かる。
 上昇気流がアイシアの髪やコートを巻き上げていく。右巻きに唸りを上げる、竜巻のような具象物。正義という名とはほど遠い、悪魔の化身の如き威圧感。

「……力が強ければ正義なのか?」
「違います。正義だから強いんです。そこを間違えてはダメです」

 説得力の欠片もない。今どき決闘裁判など、と吐き捨ててはみるものの、状況を左右するだけの力も策も残っていなかった。
 論理を駆逐する絶対の破壊が、その鎌首をもたげる。

 なんと他愛ない。これは正義と悪の関係などではなく、力の優劣による強制だ。
 俺は自分が正義であるなんて傲慢なことは言えないし、言わない。客観的な正義なんて、そんなものあるはずがない。だから結局帰結するのは個々人のエゴのぶつかり合い。俺は生きたくて、彼女は俺を殺したい。ただそれだけ。そこには高尚な哲学も高度な論理学も必要ない。

「間違った者は淘汰される。魔法はそれの選別者。みんなをより幸せにすることが正義でないなんて、そんなことあるはずがありません。
 だから私は正義を貫くんです。みんなが平等に幸せを享受できるように」

 お喋りだな、と思う。多弁な理由はきっと本人さえ知り得ない、あるいは本人だからこそ覆い隠す大きな欠陥。
 その欠陥を埋めるのが、饒舌な話と強大な魔法。五十年も少女であるその理由は、さくらさんのそれよりずっと大人げない。

「さようなら、さくらの遺産。
 ……そうですね。個人的には、可哀想だと思わなくもありません。さくらを憎む権利くらいはあるんじゃないでしょうか」

 突き出された右腕。そこから放たれるは、俺という存在を無に帰す”正義”の蹂躙。

 足が跳ねるが、遅すぎる。極光の如き光の渦に身体が飲み込まれていく。
 瞳を閉じる。呪われた運命。死ぬべき定めを背負って生まれてきたことを、俺はさくらさんに感謝し、神を憎んで。

「――弟くんっ!」

 聞こえるはずのない、今の俺とは敵対関係にある”正義の魔法使い”の声の幻聴を聞きながら。
 俺の意識は、闇夜より暗い深淵へと沈んでいった。

++++++++++


Short Story -D.C.U
index