おとぎ話にさよなら

[comu short story]
 静かだった。
 自分の住む、無駄に広いあの14階からの景色とは、またちょっと違った窓の外。そこに特別な緊張は感じられず、空は青いまま、人々は忙しないままに、かつてと同じ日常がのんびりと繰り返されていた。
 街は平穏そのものだ。切り裂きジャックその他の爪痕は確かに残ってはいるものの、めまぐるしい情報の中で生きている(接続者以外の)現代人の記憶からは、それらの事件はやや風化されつつある。
 平和、という言葉が適切かどうかは分からないけれど。
 集団死や奇妙な事故のニュースは、ほとんど聞こえなくなっていた。

「紅茶でいいですか?」

 そんな都心の街並みを見下ろすここは、最近はよく入り浸るようになった真雪の部屋。一回ずつという当初の口約束、最近はあまり守っていない。その時々、気分次第でどっちか決める。
 もちろん姑のいない分、俺としてはこっちの方が気は楽だ。きっと真雪もそうだろう。

「俺はいいんだけど。……それだけの量、飲み続けてよく飽きないな」
「箱で入ってると多そうですが、見た目ほどの本数じゃありません。それにお茶の類は抗菌作用がありますから、ペットボトルでも2〜3年くらいは保つんですよ」
「え、マジで? それならうちも1箱くらい買っておくか」
「まあ、嘘なんですけどね」
「……」

 コミュネットがどうなっているかは、今となってはもう分からない。ラウンドが弱体化したとか、カエサルの王国が完成しつつあるとか、そんな噂も耳にはする。ソースは本スレ。信憑性はあんまりない。けど、王様のふざけた自信を思い返せば、それも事実のような気がした。
 舞台裏はいつだって忙しい。穏やかな街の情景とは裏腹に、今もなおすぐ近くで鋼の幻想種が闊歩しているという現実は厳然として存在する。今日もきっとどこかで、小競り合いやら椅子の取り合いやらが起こっているに違いない。それは物理的な意味合いだけでなく、政治的な色合いのものまでも含めての話だ。

 バビロン・コミュについては、ネット上ではたまにちらちらとその名を見かけるものの、表だっての活動はほぼなくなったと言っていい。週2回あった会合も、今ではその頻度を半分ほどに減らしている。以前はちょくちょくあった起動信号――もちろん全て伊沢の単独起動だ――もほとんどなくなり、毎週末の会合にはもはや緊張感の欠片もない(元々あったかどうかも怪しいが)。伊沢や紅緒あたりは不満そうではあるけれど、にも関わらず会合には必ず顔を見せるので、律儀な奴らだとつくづく思う。

「どうぞ」

 大した動きのない窓の外、眺めつつコミュの面々の顔を思い出していると、キッチンから真雪が既に戻って来ていた。グラスに入った紅茶をテーブルにことりと置く。ペットボトルの紅茶だというのに、移し替えて氷を追加するだけで高級品に見えてくるから不思議なものだ。

「ん、サンキュ……って、おい」
「まあまあ」

 有無を言わせず、そのままあぐらを掻いた俺の上に平然と腰を降ろしてくる真雪。その手には自分のぶんのグラスもしっかり持っていて、もうくつろぐ気満々だ。俺は座椅子か。
 とはいえこういう時は異論を唱えても始まらないので、好きなようにさせることにしている。こっちとしても暖かいぬいぐるみ代わり。あるいはまた、そんな自由気ままな可愛さは猫のような小動物を連想させもする。無駄に賢しいところとかもそっくりかもしれない。

「いやー、それにしても大変ですよ。アクセプター、お仕事するにあたって一応プレイしたことにはなってるんですけど、スタッフその他にアクセプターの何たるかが分かってない人が多すぎて」

 座椅子に座った途端に吐き出されるお仕事の愚痴。むー、と唇を尖らせて真雪が不満そうな表情をつくる。メガネのないその顔は確かに結奈のそれなのだが、形作られるその態度はアイドルのそれからは程遠い。素顔の真雪、独り占めしているという喜びが全くないと言えば嘘になる。
 そして俺のそんな気持ちを知ってか知らずか、最近、真雪は屋内でほとんど眼鏡をしなくなっていた。外出時は気分次第。万が一、という意味を込めて眼鏡をかけて出掛けたときも、その素顔を知っているからか、俺から見れば以前よりもレンズの反射が薄くなっている気すらした。これでよく今まで気付かなかったもんだと思う。

「ま、アクセプターの製作者から見ちゃうとなあ」
「こないだの芸能雑誌のインタビューとかなんて、質問が最初からとんちんかんです。途中で席を立とうと何度思ったことか。それに比べ、オタ向け雑誌の質問の的確なことといったらもう。あっちはあっちで、私の知識に驚いていたみたいですが」
「”ユキ”としてはどうなんだ、そういう状況について」
「スレはスレ、商業は商業と割り切ってますから。流石に『ユキさんに何かメッセージなどはありますか』って聞かれたときは吹きかけましたけど」
「壮大な自作自演だな」

 向こうも本人に聞いていたとは思わないでしょうねー、なんて言って真雪が愉快げに笑う。
 その表情を見る限り、商業化に躊躇していた頃の心のもやもやはとうに割り切れていたらしい。相変わらず妙なところで図太いちみっこだ。

「ああ、そうだ。脅迫状の類は、あれ以来届いてないか?」
「ないですよ。変なやっかみの手紙とかはマネージャーが勝手に処理してるんですが、前のことがあった手前、似たようなものが来た場合は知らせるように言ってありますから」
「んじゃ、Kのコミュから情報が漏れたりはしてないみたいだな。気にしてたんだけど」

 真雪、結奈、そしてバビロン。その3つの繋がりを知っているのは俺たちと押し掛けーズ、そしてあのKのコミュだけだ。いくら地元とはいえ有名人である手前、正体を明かされてしまえば安穏と暮らしてはいられない。Kのコミュをラウンドに引き渡して以来、ずっと気にしていたことだった。
 ネットの方も最近は色んなスレを追っかけている。それでもアクセプターや結奈にバビロンの名前を関連づけている書き込みは今のところ無い。コミュネットの方では、「【ロリコン】もしもコミュ内に結奈が居たら【万歳】」なんてネタスレも立っていたけれど(ちなみに速攻dat落ちしてた)。

「元が結奈のファンでしたし、そもそもBKに襲われた恐怖心から極端な秘密主義に走っていたわけでしょう? そうじゃないコミュもあると知らせた上、伊沢さんの脅しがかかっていれば、そう安易なことはしないと思いますが」
「狙われたっていうのに、ずいぶん肩持つのな?」
「いやまあ、彼らの結奈っていう偶像に対する想いを砕いてしまったのは事実ですし、見えない悪意に対する恐怖心、同情できないわけでもないですから。殺されてたなら恨みもしますが、そうでないなら別にいいかなと」

 そう言って、冷えた紅茶に口をつける。つられて俺も自分のそれを手にとって。
 吐かれた言葉は、いつもの息をするように出てくる嘘のたぐいではないようだった。

「同情ねえ」

 疑心暗鬼はいつだってこの世の中を駆け巡っている。ただでさえそうなのに、幻想種が闊歩する世界への参入の仕方を間違えたのなら尚のこと。スタート直後にBKと遭遇したという点では、バビロンと境遇は確かに似ているものがある。
 それでも違ったのは、敢えて言うのならそのアバターの能力と、メンバーそれぞれの考え方だろう。Kのアバターはバビロンと違い機動性がなかった。戦ってみた限り、バビロンの炎のような強力なEXもなかったように見える。ただ襲われ、ひたすら籠城するだけのアバター。警戒心が強くもなる。
 加えて、伊沢のような熱意もなかった。あいつならたとえアバターが竜ではなく城であったとしても、気に入らない連中の所に乗り込んでいったことだろう。ビギナー時代、一応は優しく接してきたラウンドに対してすら噛みついたくらいなのだから。

「女の人に『だけ』優しい暁人さんには、男の人への同情はできませんか」
「それだけ聞くと、俺がとんでもなくひどい人間に聞こえるんだが」
「冗談です。最近はフェミニストっぷりも若干緩和されてきたと思いますよ。いえ嘘ではなく。HermさんもReclusさんも男の方だったわけですし。いやまあ緩和はほんとーに若干、ほんのちょぴっとですけれど」
「嬉しくねー」

 ふてくされたように声を出すと、腕の中では可愛らしい笑い声。
 カゴメとは違った意味で、こいつにはやっぱり敵わないなと思ってしまう。

「というか、始めにBKに襲われたら首を引っ込めるのが普通ですよ。なのにうちのコミュと言ったら……」
「文句なら伊沢に言ってくれ。あとラウンドに噛みついたどこぞのチビガエルとか」
「そのチビに惚れたロリコンさんが言いますか」
「よく言うわ」
「んにゅ」

 ぎゅう、と愛らしいその背を抱く腕に力を込める。真雪の方もその体重をぐっとこちらに預けてきた。「ロリコン」「うるせー」なんて、もはや慣れてしまったやりとりを交わし合って。
 それがまたなんとも心地よいのだがら、我ながら手に負えないことこの上ない。

「ちなみに暁人さんだって、やられたからって黙ってるタイプではないじゃないですか。すぐ厄介事に首突っ込んでたわけですし」
「いや……まあ……」

 否定は出来ず、言葉を濁して紅茶をあおる。

「だから彼らは、私たちとはまた別の回答をしていたにすぎないんじゃないかと思うんです。ネットに潜む悪意と同じように、人混みに紛れたBKに対する恐怖心。突然襲いかかってくるそんな理不尽に、Kはひたすら自衛に徹し、暁人さんは馬鹿みたいに首を突っ込み続けた。優劣の問題ではないと思います。というかむしろ、死ぬ確率は首を突っ込む方が高かったくらいなわけで」
「反省してます」
「本当に?」

 もちろん、と答えようとして再び言い淀む。
 反省はしている。でもまた同じような状況になったら、以前と同じ選択をしないとは言い切れなかった。

「……」

 ――赤い色を想い出す。
 それは呪いだ。今の俺を縛る、清算し得ない過去の重責。
 困っている女を放っておけないのが、あの出来事に由来するのは自覚している。何度繰り返してもきっと満ちることのない代替案。穴の空いたコップに水をいくら流し込んだところで、水を運ぶことはいつまでたってもできやしない。

 俺が返答に窮するのをきっと分かっていたのだろう、腕の中で真雪はかつてのように、意地の悪い笑みを俺の方へと向けてきて。

「それが暁人さんですよね……と言いたいところですが」

 顔をこちらに向けたまま、髪止めをぱちんと弾く。長い髪がふわりと舞って、目蓋を閉じて頭を振る様は演技をしている俳優がごとく。

「気付いてましたか。あなたが最近、昔ほど厄介に首を突っ込まなくなったこと」
「え? ……いや、そんなことは」
「そんなことあります。以前の暁人さんなら、いくら静かになったとはいえ、ラウンドやカエサルのごたごたに首突っ込まないはずがありません。紅緒さんや伊沢さんはフラストレーション溜まってるんですから、言えばすぐ動いたでしょうに」

 言われて、確かにそうかもしれないな、とどこか他人事のように思う。
 でもそれは、そんなことよりむしろ真雪と一緒に居たいからで――

「――ああ、つまり」

 それはそう、あたかも空いていたコップの穴が、ようやく埋まったということを意味しているかのよう。

 この認識をどう言葉にするべきか。
 考えあぐねていると、遮るように髪を解いた真雪、くいっと身体を捻って俺の顔をのぞき込んできた。俺が疑問を挟むより先にその小さな口が開く。

「ところで覚えてますか、暁人さん。アクセプター、礼道要の決め台詞」
「ん? いやに唐突だな。そりゃ、覚えてはいるけど」

 ”俺はこの運命を受け入れる”。
 改造人間にされて、自らの同類を討つという使命を課せられた主人公の言葉だ。だからこそのAccepter。受け入れる者の意。

「私はきっと、そういうことなんだと思いますよ。何があったのかは、まだ聞かされていないですけれど」
「――」

 禅問答めいた、回りくどい言葉のやりとり。
 それでも意味するところ、俺にはしっかり届いた気がした。絶句する俺を尻目に、真雪は今度こそしてやったりという笑みを浮かべて。

「これでも恋する乙女ですからね。暁人さんのことは、本人以上によく分かっているつもりです」

 俺の膝の上に乗っかったまま、そんなことをのたまったのだった。





       ○  ○  ○





 都心。一度しか来たことのないビルの屋上から、流れてゆく小さな風を全身で感じつつ眼下を眺める。空は青いまま、街行く人々は忙しないままに。右腕には、長い髪のちっちゃなアイドルが一匹。

「ここからだと、確かにステージは確認できますね。絶好ポイントです」
「ま、だからこそカゴメにあっさりバレたんだけどな」

 ここはあのKのコミュと対決をした屋上だ。あの日もこんな天気だった。借りたモバイルから流れていた「こころのプリズム」は、今ではそらで歌えるようになっている。

「一歩間違えば彼らのようになってしまう。そんな危機感は、きっと誰にでもあるんだと思います。誰もがアクセプターになれるわけではないし、なってはいけない時だってあるんですから」
「紅緒なんかは、もしかしたらそこから一番遠いかもしれないな」
「正義が寛容から一番遠いっていうのも、なんとも皮肉な話ですけれどね」

 言いつつ真雪が一歩踏み出して、正面から風を受ける。浮かび上がる綺麗な髪。私服であるにも関わらず、その威容は確かに結奈のそれだった。

「”過ちだとか 後悔だとか 戦う事が『運命』だと ――♪”。暁人さんは今でも、そんな風に思っていますか?」

 結奈がこころのプリズムの歌詞を口ずさむ。
 なんだか俺には勿体ない気すらした。

「……前からそんな風には思ってないよ」
「残念。嘘つきに、嘘は通用しませんから」

 結奈は嬉しそうにそう言って、そのまま歌を続けていき。

「嘘、ねえ」

 対して俺は、BGMを聞きながら青い空を仰ぎ見る。

 全てを押し流す優しい王国。理不尽な略奪が許せなかった。理由さえ与えられず、ただありのままに流れていく世界の全てを拒絶したかった。
 だから唱え続けた魔法の言葉は”それでも”と。抗うためのそのわずかなフレーズは、今なら確かに理解できる。

 ――それでも。
 それはきっと、世界に押し潰された、優しい王国に押し流されたマイノリティの慟哭だ。
 紅緒のように正義がないと糾弾したいわけでもない。
 伊沢のように世界の全てに牙を剥きたいわけでもない。
 それはただ世間に声高に叫んでいるにすぎない。俺たちみたいなのが、ここにこうして居るのだということを。

 けれどそれは、世界にとっては単なるノイズだ。覇王に石を投げつけるのがせいぜいの、自分が可愛い道化の理屈。きっとあの鉄面皮は、そんなこと歯牙にもかけぬに違いない。

「”消えない過去を もう責めないで ――――♪”」

 真雪の言うように、俺がこの優しい王国を受け入れられたかどうかは分からない。けれど確かなことは、あの赤い色の夢を最近は全く見なくなったということ。そして、何か事件に首を突っ込むよりも、数少ない休日、真雪と一緒の時間を過ごしたくなってきているということだけだ。

「”世界の果てで 君が無くした 大切なもの 取り返すの ――――♪”」

 拒絶をやめ、受け入れるという選択肢になぜか嫌悪や敗北感はない。それが”希望という名のプリズム”によるものかどうかは分からないが、命がけで貫いてきた信念、容易に曲げてしまったのは真雪であるということに自分としても異論はなかった。それを逃避だと笑うのなら、勝手に笑ってくれればいい。

 ……いやもうまったく。
 我ながら、ほんとにどうかしていると思うのだが。
 それほどまでに、瑞和暁人は柚花真雪に惚れていた。

「♪――」

 歌が終わる。
 人気上昇中アイドルの生公演。聞いていたのは俺だけだ。優越感に浸らないはずがない。

「どういう気分だ?」
「少女Aにでもなった気分です。ま、アバターが出てこられても困りますが」
「そりゃそうだ」

 眼下に広がる街並みに、どれだけのアバターが隠れているか知れたものじゃない。世界は変わっていく。今は平穏でも、嵐の日は必ず来る。首を突っ込まなくなったとしても、既に名前の売れてるバビロン、巻き込まれないはずがない。

「暁人さん」
「ん」

 何の脈絡もなく引かれた腕で、真雪がせがんでいることを悟る。
 まだまだ大きい身長差。腰をかがめて、いつも通りにキスをする。唇の離れた後、迎えてくれるのは満面の笑み。そのままぐっと身を寄せて。

 嵐の間の、凪のような時間。日常がおとぎ話だと、誰かが言った。
 でもそんなのはまやかしだ。それは”戦う事が『運命』だと”信じている連中の話。俺たちはもう、そこから一歩踏み出している。

 優しい王国は変わらない。けど、俺たちは変わることができる。
 救いも希望もないと割り切るのは簡単だ。それでも、と抗い続けることはきっと道化にしかできない。
 けれど最も難しいのは、その全てを受け入れること。運命を受け入れる。それのなんと、困難なことか。

 アクセプターにはまだまだなれそうもない。過去を乗り越えられたかどうかの確証すらないのだ、いわんや未来に起こることをや。
 でも、ただ一つだけ言えることがある。

「それじゃそろそろ行くか」
「そうですね。戻ったらこの間投下した素材の反応でも見てみましょう」

 それは、真雪となら何だって乗り越えていけるに違いないってこと。
 彼女を守り、彼女に守られ。そうすれば、嵐にだって迷わない。

 おとぎ話は世界の果てへと投げ捨てて。
 未来に繋がる現実は、運命を受け入れる決断を下した俺たちの前にこそ続いている。

 なぜなら、その先にはきっと。
 例えここと同じではなくても、ここと同じ穏やかさのある場所が待ってるに決まっているのだから――。

++++++++++


Short Story -その他
index