描くシュプールは模様

[da capo U short story]
 十二月二十四日。人形劇は予想以上の大成功に終わり、まるで熱に浮かされたかのようなハイテンションのままなだれ込んだ打ち上げ。
 もとより騒ぎ好きが多いせいかそのはっちゃけ具合は並ではなく、貸し切りということも相まってそれはもう歌え踊れの大騒ぎ。店員さんもうんざりするかのようなそのらんちき騒ぎは結局深夜未明ごろまで続いた。

 一応の収束を見たのは既に日付が変わろうかという時間帯。
 二次会をするという生徒の誘いを断り、私はいつものメンバーと一緒に帰宅の途につくことに。

「でもホワイトクリスマスだなんて、ほんとロマンチックだよね〜。
 人形劇を成功させたわたしたちに、神様がくれたご褒美かな?」
「しかも夜になってからだもんな。
 昼間降ってたら、客足遠のいちまってただろうし」
「うっわ、義之くん、その感想はちょっと現実的すぎるよ……」

 小雪の舞う中、私、小恋、茜、義之の四人はどこもシャッターに閉ざされた商店街を歩いていく。
 広くはない歩道。時折流れていく自動車を避けるように、私たちは縦にも並んで。

 つまり、私と義之が横に並んで。
 その後ろに、茜と小恋が横に並んだ四人隊列。

 別に意図したわけじゃない。私は打ち上げの終わり頃から義之と同じテーブルについていて、その流れでそのまま隣に居るだけ。
 だから私はいつものように、その場所を小恋に譲ろうとして――――やめた。

 理由はいまいちよく分からない。
 あえて言うなら、なんとなく。そう、「なんとなく」、そのままでいたかっただけ。他意はないと、思うんだけど。

「しかし、うちのクラスも寂しい者揃いよね。
 普通イヴの夜に打ち上げなんて言ったら、辞退者続出でままならないはずじゃない」
「ん? どうしてイヴの夜だと辞退者続出なんだ?」
「……義之くん、それ本気で言ってる?」

 茜のツッコミにも、いまいち要領を得ない様子で首を傾げる義之。
 ほんと、ニブさにおいては超一流。これで頭が悪いわけではないのだから、その希少さはもはや天然記念物級だろう。
 もちろんそれこそが義之の魅力であり、小恋らから好かれる理由でもあるのだが。

 とすれば彼を好きになった人は、否が応でもその矛盾に直面することになる。
 なんと難儀な。だから小恋の不憫さは、きっとその性格からだけではあるまい。

「それでも義之は、家に帰れば音姫先輩と由夢ちゃんが居るもんねえ?」

 ぐっと身を乗り出し、私と義之の合間から声をかけてきた小恋。
 でも私は横にずれることはなく、そのまま義之と近い距離を維持していた。特に理由はない。

「そりゃ居るけど……ああ、クリスマスは家族で約束してるとか、そういうこと?」
「……うわあ」
「あちゃー、ダメだこりゃ」
「音姫先輩と由夢さんも不憫だわ……」
「なんだよ、お前ら揃いも揃って溜息なんて」

 義之の不満そうな声。それを聞き流し、私たち三人は目で合図して再び大きく溜息を合わせた。義之の首がますます捻られる。
 それでもバカにされていることは分かったのだろう、「ま、いいけどさ」なんてぶっきらぼうに呟いて、後ろに傾けていた視線を道の先へと向け直し。
 そしてそうした後もなお、歩調を早めることは決してない。無愛想なその背中、それが私たちのことを考えてゆっくりと歩いていることを、私たちはよく知っている。

 けれど、私はそれに気付かなくて。
 だから義之と歩調を合わせた結果、私は無意識のうち、小恋の勇み足を退けたのだ。
 ……無意識に、退けたのだ。

 そうこうするうち、商店街はとうに終わって、住宅街の分かれ道。
 そこは図ったように十字路で。もしT字路だったなら、私は家に帰れなかったかもしれない。

「さて、それじゃしばらくお別れだな。
 つってもたった二週間くらいだけど。どうして冬休みってこんなに短いかね?」
「もー、義之はどうせ一日中寝て過ごす気でしょ?」
「冬眠ね、冬眠。変温動物なのかしら」
「やかましいわ!」

 別れ際の、何とも言いようのない寂しさ。それは私だけでなく、茜も、小恋も、そしてきっと義之も感じていることだろう。その質は多少異なるにしろ、ためらいがあるのはおそらく間違いないと思う。
 でも、道の真ん中で五分かそこら立ち話をしたところで、まったく何ら意味はない。そして義之と茜には関係ないだろうが、私と小恋がここで身を引けたのは、やっぱりここが十字路だったからで。

 つまり、義之はこのまま真っ直ぐ。
 小恋は右に曲がって住宅街に。
 私と茜は、左に曲がってバス停へ行くのだ。

「じゃあまた、年明けにな」
「ふふーん、そうだといいけどねえ?」
「どした、茜。予定でもあるのか?」
「さあ? でも義之くん、どうせ暇でしょ?」
「なんだその『どうせ』ってのは……」
「はいはい、二人ともそのくらいにして」

 小恋が呆れながら仲裁に入る。それはそうだ、今の私はそんな気分ではないが、茜が義之をいじくり出すとぐだぐだと長引くのは目に見えている。そして小恋もいっしょくたにして遊ばれるだろうし、ああ、それなら小恋はそっちを避けるために仲裁に入ったのかとも思える。
 まあどちらにせよ、茜はぺろっと舌を出して「怒られちゃった」と笑いつつ、義之は呆れたように息を吐きつつ、それぞれはお互いの進むべき道へ。

「じゃあ、また今度な」

 義之が手を挙げ、歩を進めたのを皮切りに。
 あるいはまた、示し合わせたわけでもなく、伸びきった糸が不意に途切れて弾かれるように。

「またねー、義之、茜、杏ー」

 小恋が踵を返し。

「じゃあねー、二人ともー!」
「おつかれさま」

 私と茜は、二人が見えなくなってから、一緒にバス停へと歩いていった。



       ○  ○  ○



『台詞をしゃべってエトになりきっているときの俺は、多分、この世で一番、お前の心に近づいてたと思うぜ』

「……いくら何でもクサすぎるわ」

 つい先ほどのことを思い返し、思わず溜息を吐く。
 義之の言葉だ。どこの芝居の口説き文句だと、愚痴を言わずにはいられない。きっと私じゃ書けないくらい、クサくて二流でリアルな脚本だ。それを真顔でいうのだから、義之は大根もいいところ。
 そしてだからこそ、私は悔しいのだ。そのクサすぎて愚にもつかないくそまじめな発言に、胸がどきりと高鳴ったのが。

 本当、困る。
 義之はああいうことを真顔で言う人間なのだ。杉並も渉も、他の誰だって言いやしない。義之だからこそ言うのだし、だからこそ私は動揺したのだ。私じゃなくたってどきりとするに違いない。

「どうかした、杏ちゃん?」
「え? ああ、何でもないわ」
「ふ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん?」
「……何よ?」

 声を掛けてきた茜は何を思ったか、ぐっと腰をかがめて私の顔をのぞき込んできた。思わず足を止める。
 その顔は、いつもは小恋や義之に向けられているもはや定番のニヤニヤ顔。よもや私に向く日が来ようとは。

「何でもないの?」
「ええ、何でもないわよ」
「ほー、へえー、ふーん」

 にやけた顔はそのままに、つんつんと人の頬をつついてくる。何だというのだ、一体。
 眉を顰める間もなく、茜は自分の唇に手を当て、まるで分かりきった問題の解答をさらっと解くかのように。

「……義之くんでしょ?」

 にやけ顔の目尻が一層垂れ下がった。

「――っ。
 義之が、どうかした?」
「んーん、別に義之くん自体はどうもしないけどぉー、ねえ?」
「……はあっ」

 江戸時代の悪代官も真っ青なにやにやっぷりを見せられて、私は目を閉じ嘆息する。
 降参ととったか、茜は軽く笑いながら私の頬をなおもぷにぷに。まるで小恋をからかっているかのように。

 すなわちつまり。
 やはりというか何というか、茜には気付かれていたらしい。
 ということは多かれ少なかれ、小恋も意識的に感じ取ってはいるのだろう。うまくやれていると思っていたのだが。普段の私なら、もっと上手にさりげなく行動できたろうに。

 それもこれも、全部義之が悪い。
 義之があんなクサい台詞を言っちゃってくれるから、私はどこかで冷静さを失ってしまったのだ、きっと。

「……そんなのじゃないわよ」
「そんなの? そんなのって、どんなのぉ?
 ほらほら杏ちゃん、その小さな胸に秘めた思いを全部吐き出しちゃいなさい」

 からかう声音。目は相変わらず、面白い玩具を見つけた子どものような。口に手をあて、まるで悪巧みをしているかのごとく。

 でも、その心の奥。
 ほんのりとそこが真面目な色を帯び始めたのを私はしっかりと感じ取って、だから私は軽く笑った。
 それはいつもの私の表情。茜のにやけ顔に合わせるように。まるで誰かをからかうような。

 そしてそれは言うまでもなく、見通されていることが分かっているのにも関わらず、本心を隠そうとするパフォーマンス。
 だからあたかも、それは演劇。舞台での出来事、それが今実際に起きている事実ではないと分かっているのに、役者も観客もそれに酔う。それはお互いがそれを演技と分かっているからで、だから私は茜に言うのだ。

「分からないのよ、これが本当にそうなのか。
 私は小恋と違って、単純にできていないもの」

 唇の吊り上げ具合はいつもの私と全く一緒。それは雪村流暗記術が保証している。
 そしてまた、暗記術は以下のことをも保証する。つまり、茜には分かっただろうということだ。それが作り物であることが。

 しかしそれでも、例えば演劇の役者に向かって台詞の真意を問う観客は居ない。
 ましてや私たちは演劇役者。私の冗談に、茜はちょっとだけ目を丸くした後、すぐさま新しい好奇心に包まれたかのような表情でにやけ顔を取り戻し。

「あはは、でも相手がその単純さに気付かないくらい、もっと単純だからねぇ。
 でもでも、理屈じゃないんだから、杏ちゃんももっと単純にならないと」
「それは理屈が苦手な人の話よ。論理ほど単純で、簡潔で、明快で分かりやすいものはないわ。
 それとも何? 茜は私に小恋みたいになれって言うわけ?」
「そうは言ってないけどぉ。
 っていうか、やっぱり杏ちゃんの説明難しいよぅ。もっとこう、ほら、直感きゅぴーん! みたいな感じでいいと思うよ?」
「そんな、茜じゃあるまいし」
「うっわ、杏ちゃん、それ絶対褒めてないよね……」

 私が呆れたように溜息を吐くと、思った通り、茜はよよよと泣き崩れるジェスチャー。でもそれでも、茜が笑いをこらえていることが、今にも笑い出しそうな私にはよく分かっている。
 言うなれば、私たちは呆れているのだ。お互いのその不毛さに。そしてだからこそ、私は目を閉じ溜息を吐く。茜の大仰でしかも一瞬後にはぺろりと舌を出すようなその仕草に対しても、そして自分自身に対しても。

 果たして茜は泣き真似から一転何ごともなかったかのようにけろりとした顔を持ち上げて、今度こそ本当に、心の底から何かを企んでいる笑みをたたえて私を見てきた。この切り替え、天性だ。

「ふっふーん、でもでも、それなら……うん、やっぱり、そうだなあ」
「……茜。それは独り言なの? 私に話しかけてるの?」
「え? いやいや、まあ杏ちゃんには言ってもいいんだけどぉ、あーでもどうしようかなあ、やっぱり確実になってからの方がいいよねえ」
「……ま、好きにしなさい」

 そして私も、今度こそ本当に、心の底からの溜息。
 茜が何かを企むなんていつものこと。そしてそれが杉並同様に下らないことなのも地球に重力があるくらいに自明なことだ。気に病んでも仕方がない、放っておくのが得策だろう。そう思い、いかにも私を試すような表情をつくっている茜の視線を振り切り、止めていた足をさっさとバス停の方へと進ませる。茜は「ふっふーん?」なんて意味ありげに――そしてそれに意味がないのもいつものこと――鼻を鳴らして、とたとたと私の横に駆け寄ってきた。

 さくりさくりと、雪が覆い始めた土が鳴る。
 今夜はホワイトクリスマス。私は雪は嫌いだけれど、でも今日くらいはいいかななんて。

「……今日の雪、積もるかな?」
「さあ? 私は積もらない雪の方が好きだけどね」

 暗い夜道。でも吐く息と降り積もる雪は真っ白く。
 私の心もこれだけ白黒ハッキリつけられればいいのになと、どこか呆けた頭で考えながら。
 まるで先の展開を知らない観客のような心持ちのまま、私は茜と一緒に道を歩いていったのだった。



       ○  ○  ○



 四日後。
 私は茜に言われたことを実行に移すべく、テーブルに置いた携帯電話をそっと持ち上げた。

 目の前には、先日と同じく意地悪い笑みを浮かべている、そして私によからぬことを吹き込んだ当の茜。その目はいたずらの成功を確信している子どものよう。
 きっと私の心境などお見通しなのだろう。でなければ、この役目を私に譲る意味がない。

 ……自問する。いや、自問は飽くほどしたのだ。この三日間、私はかつてないほどの堂々巡りを体験した。
 本来、私にそういった概念は存在しないはずだった。私は一度考えたことは、そして一度出た結果はその記憶に永久に刻み込めるため、再度の考察というものは私にとっては無価値に等しい。もとい、等しいはずだった。

 だから私にとって、ぐるぐる巡る、止め処ないダ・カーポのような思考というのは初めての経験だった。
 なんせ答えが出ない。あるいは、出ているにもかかわらず、それを私は正確に認識できない。だから幾度となくリスタートを繰り返し、そしてその度私は不安に陥って、毎回毎回違う解が出る。

 それはあたかも、二重スリットの電子がごとく。
 私にとって一番分からないものは、結局のところ「私」自身であったのだ。

「ほらほら、杏ちゃん。はやくはやく」
「分かってるわよ……」

 汗ばんでいるのを自覚する。冬の風はその汗を吹き飛ばすくらいには冷たく、その寒さはまるで私の不安が具現化したかのよう。

 だが立ち止まっていても仕方がない。繰り返す円環はもう飽きた。
 だから私はその先へ。かちかちと携帯を操作し、電話帳を選んでエンター。耳に当てる。コール音が鳴り響き始めるまでの、わずかな時間。

「……」

 無音。その異質さは、逆にそこに意識を集める結果に繋がる。
 だから私はどきどきしていて、その鼓動を収めるための深呼吸すら思考の外。頬が火照っているのも分かっている。けど、それを見て茜がにやにやしていることに回す思考の余裕はなかった。

 しばらくして、ぴんぽんぱんと電子音。

「おかけになった電話は、現在電波の届かない場所にいるか――」
「……はあ」

 首ががくっと落ちる。私はいつからコントの役者になったのか。ここまで気持ちを昂ぶらせておいて、これは流石にないだろう? 私は誰にでもなく、心の中でそっと愚痴。
 茜が「どうかした?」と首を傾げる。

「電源切ってたわ、携帯の。どうせ、まだ寝てるんでしょ」
「ありゃりゃ。どうしよっか?」
「この時間ならいいでしょ。むしろ、起こしてやるくらいで丁度良いわ」
「わぁお、杏ちゃん積極的だねぇ」

 茜がからかうように言う。でもそれは私の本心とはちょっとだけ違って、きっと私はもっと単純。
 だって、これだけ私を緊張させたくせに、本人がぐーすか昼まで寝ているだなんて。その惰眠を奪いさる罰くらい、与えてやりたいというものだ。

 再びかちかちっと携帯を操作し、今度は携帯ではなく家の番号を呼び出す。
 同じくエンターを押して耳元へ。しばしの無音、その後からはコール音が聞こえ始めて。

 ああ、きっとこのコール音は長く続くだろう。なんせ相手は寝てるのだ。それを起こし、電話を取る気にさせて、階段を駆け降ろさせ、廊下を走らせ、受話器を手にするそのときまで鳴らし続けなければならないのだから。

 ぷるるるる、と鳴り続ける電子音。
 鳴っている間、私はどうやって相手を――義之を呼び出そうかと考え続けて。
 たっぷり分単位、その繰り返しを耳にして。

 ガチャリ、と。
 コールが途切れ、相手の声が聞こえてくる。私は深く息を吸い。


 そうして私は告げるのだ。
 見えない波動のように波打つ感情、それが恋なのか確かめるために。
 明後日から三日間、一緒にスキーに行きませんか、とね。

++++++++++


Short Story -D.C.U
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