a knight

[Eternal Fantasy short story]
 瞬間。彼は神を見た。
 秩序と法を司りし剣の神の名をオルディニス。地に住む代行者のうち最も力ある者、その命を賭した呼びかけに応じ、神はその存在を具現化した。
 ……彼は誠実であったが、信心深かったわけではない。その身が纏うはカソックではなく、真紅に彩られた鎧甲冑。仕えるべきは神ではなく己が君主。胸に秘めるは神への信仰ではなく、祖国に対する忠誠とその誇り。腕に握るのは百戦錬磨の剣の柄。そう、彼は騎士なのだ。
 その、オルディニス教徒ですらない彼が、自身の頭上に神を見た。
 それはまさに輝青。透き通る蒼は無垢が故に非情さすらも透けて見え、象るは自らを象徴せしめる無数の剣。魔法陣の前にて必殺の号砲を待つその姿は、冬花の白すら圧倒する。数は神のみが許された概念、”無限”。
 絶望と希望が交錯する。希望の為に朽ちゆく彼らと、眼前に迫る神の一撃に絶望を見る魔物達。降り注ぐ直前、死地は静謐に支配される。一瞬の空白。彼は右手に己の剣の感触を、左手に同胞との決意を確かめて、そうして最期に塔を見た。白銀のエルセリカ。そこに込める感情を己で理解する間もないまま――
「――ッ!」
 ――――無限なる煌めきグラディア・ミリアリアが辺り一面に降り注いだ。



       ○  ○  ○



「……っ!?」
 彼の断絶した意識は、再びの轟音で無理矢理死地へと引き戻された。騎士としての本能が仮死した身体すら引き揚げたのか、すぐさま二本の足で立ち上がり、事態を把握せんと試みる。その賞賛すべき冷静さは、一朝一夕の訓練で身についたものではない。
「ああ、良かった。……ようやく起きられましたか。
 オルディニスのみならずピュアドラゴンすら、……あなたの誇りに胸打たれたようです」
「……最高司祭殿っ!?」
 頭上からの声に、彼ははっとその主を見上げた。常に浮いていた魔化椅子はその底面を地へと下ろし、純白の司祭服は真紅に染め上げられている。そしてその大きな体を貫くのは、全てを無に帰す巨大すぎる神の蒼剣。
 それを見て、彼はようやく気付く。見回せば辺りは蒼い森と化していて、その無は悪寒すら感じさせる。無限なる煌めきの成果。そのあまりの威力に彼は畏怖した。
 そして思う。なぜ、自分は生きているのかと。
「さあ、目覚めたのなら戻りなさい。……グラディア・ミリアリアによって流れは我らに傾くはずです」
「し……しかし、最高司祭殿!」
 畏怖はすぐさま混乱へと変わり、彼は再び事態を理解せんと努める。
 無限なる煌めき。術者の周囲一面を無に返す究極魔法。己の命と引き換えに彼はベネウォールを敵陣の中央へと導き、そしてそれはついに発動された。そう、彼は確かに見たのだ。それが発動する瞬間を。
 であれば、とやはり彼は思う。どうして自分は死ねなかったのか、と。
「……すぐに魔物も押し寄せるでしょう。無限なる煌めきといえど、……全てを無に帰すのは我ら代行者では到底不可能。
 魔物らがここに再び来る前に、……早く……戻りなさい」
「……最高司祭殿。私はこの命、グラディア・ミリアリアの発動に賭けたのです。この身は既に最高司祭殿の剣となり楯となったのです。主を置いて逃げゆく楯がどこにおりましょう?
 私はこの蒼き剣の森にて、最期まで最高司祭殿をお守りいたします!」
 剣の雨を逃れたとはいえ、ここに来る間に彼も数多の傷を負っていた。しかしそれでも、死んではいないのだ。楯がその役目を終えるのは、敵を防ぎその身が砕けたとき。それを騎士である彼はよく分かっている。
 そしてまた、少し視線を滑らせれば、勇敢にもその身を散らせた同胞がそこに横たわっているのだ。腕を繋ぎ、共にその命を無限なる煌めきへと捧げた同胞。その死にざまを、彼は少しだけ羨ましいと思った。誇り高き死。それは騎士として最高の栄誉である。
「あなたはとても……誇り高い。そしてあなたのような方々が居るからこそ、原初の浄化の光プリムム・カレルーメンも発動したのでしょう」
「プリムム・カレルーメン……。では、私が起きたのは……?」
「はい。マガ・アグルからの一撃で、エルセリカまでの路は既にできた。”希望”はきっと、塔で花開きます。
 ……だからあなたは……戻りなさい」
「で、ですが!
 だからといって最高司祭殿を見殺しには! 死んでいった仲間たちへの申し訳も立ちません!」
 彼の真摯な訴えに、ベネウォールの瞳がますます優しげになっていく。まるで彼の言うことを心底喜ばしく思っているかのように。
「いいですか? ……死を賭す覚悟は、立派です。私もあなた方の決意に感銘を受けました。……こうしてグラディア・ミリアリアが予想以上の成果をあげたのは、あなた方のおかげです。
 しかし……しかし、『死』そのものに価値はありません。誇るべきは覚悟としての、そしてその結果としての『死』であって、決して無駄死にではないのです」
「……」
「あなたは助かった。神の必殺を受けて尚あなたは助かったのですから、そこに必ず意味はあるはずです。
 オルディニス、そしてミクマーレ。……その二つの巨大な存在によって助けられたその命、こんな老いぼれの為に無駄に散らすというのですか?」
「……それは」
 彼は知っている。死を極端に怖れる兵士も、全く死を怖れない兵士も、そのどちらもが騎士としては二流であるということを。既にその地位は司令官。死に急ぐ新兵を幾人も見てきた。
 そして仲間を失い、自棄になりかけている部下が居たらいつも言っているのだ。その助かった命を無駄にするな、と。助かったということはそこに必ず理由があるはずだから、と。
 ……そう。それは全く同じことだ。いま、ベネウォールが彼自身に告げたことと。
 彼は決意を秘め、無骨な兜に隠れた顔を再びゆっくりと持ち上げた。その視線がベネウォールへと向けられる。
「――最高司祭殿」
「……良い瞳です。
 あなたはまだ若い。そして、誠実で、強く、それでいて死の怖さを知っている。それを誇りなさい。そして、次代に伝えなさい。あなたにはその責務があり、それをこなすだけの素質を備えているのですから」
「次代へ? ということは……」
 彼は意味に気付き、顔を上げる。既に死に体となっているベネウォールが、口元を少しだけゆがめた。おそらく笑ったのだろう。
「おや、言ったでしょう? 希望は花開く、と。
 ……さあ、老いぼれの長話はどうやらここまでです。あなたはもう、お行きなさい」
 笑い顔が一転その顔を強ばらせると、ベネウォールは蒼い森の奥へと視線を飛ばした。次いで彼も見やる。ザクザクと、冬花を踏みしめる無数の足音。そしてその遥か先には、未だにその形を残すエルセリカの塔。
「――! まさか、この音……?」
「魔物も必死でしょう。これだけの攻撃を二つも食らったのです。そして希望は我々の側にある。
 ……時間がありません。さあ、早く」
「……っ」
 彼は一度踏み出し、立ち止まってベネウォールを見、再びその足を踏み出すが、しかしそれも数歩で止まってしまう。彼自身も理解できない感情。ジンとして、人として、命を救われた者として、司令官として、騎士として。逡巡するには充分すぎる理由が、そこにはある。
 それを見てもベネウォールは優しげな表情を崩すことはなく、それどころかむしろ、己で制御できない感情に翻弄されている彼に対し、すっとその手を差し出した。
「では、……誇り高きあなたに、お願いをさせてはくださいますかな?」
「……最高司祭殿?」
「この杖を……教団へ戻していただきたいのです。
 封印大戦のときはまだ若輩だった私が、今こうして強く戦い抜いた証として……どうか」
 力が抜け、握るというよりむしろ乗っかっている、と表現すべきその杖を彼はゆっくりと手に取った。ベネウォールが微かに微笑む。
 そうして彼も悟る。その意味を。
「最高司祭殿、あなたという方は……」
「お願いしますよ。あなたはここから逃げ延び、……この動乱を生き抜いて、その杖を教団の――……そうですね、エウレッタ特務隊長へと引き渡してください。
 それが、私の楯となってくれたあなたへの、……お願いであり、命令です」
「――――必ずや」
 彼はぐっとその杖の柄を握り、騎士として最敬礼をした。ベネウォールがそれに応じるようにして一つ頷くと、彼はすぐさま反転する。魔物の足音はもうすぐそこに。だからこそ、彼はその”使命”を果たすために逃げ延びる。いや、逃げ延びなければならない。使命の失敗の末の死など、誇り高きフィデリトール軍の騎士にありえようはずもない。
「彼の騎士に神のご加護のあらんことを――」
 魔物が迫る。
 その気配を知りながら、それでもその胸は希望に満たされ、百年の長きを生きた最高司祭はゆっくりとその目を閉じていった。



       ○  ○  ○



 アルタ仮神殿。本来のオルディニス教団の聖地であるオルド、つまりオルディニスの都はエルセリカの塔のふもとにあり、今までは冬花により立ち入ることすらできなかった。しかし覇王オベル――あるいはオーベルと呼ぶべきか――らにまつわる全ての事件が解決し、冬花も取り払われた今、教団は全力でその復興に当たっている。百年もの間放置されていたためその朽ち具合は並ではなく、各地のドワーフなども動員されて急ピッチで修復中とのこと。
 よってエルセリカの塔を取り戻した現在でも、しばらくは教団の本拠はこのアルタ仮神殿のままである。教団内の儀礼の多くがここで行われることも以前の通りで、「折角聖地オルドを奪還したというのに、まだ戻れないとは……」などとボヤく教徒も出始めている始末。
 そして今日この日は、エウレッタ特務神官の隊長叙任式が執り行われていたのだった。
「凄いですね、特務のそれも隊長だなんて。
 でもエウレッタさんなら当然だと思います、僕」
「隊長になったのは、前任の不祥事で私に鉢が回ってきただけだ。私が何かしたからというわけではない」
「またそんなことを……。
 エウレッタさんは凄いんですから。僕が保証しますよ」
「褒めても何も出ないぞ……」
 儀式が終わってのち、エウレッタとカロは二人して神殿の外をのんびりと散歩していた。というのも、神殿の中に居ては各方面から集まってきた貴族やら何やらがひっきりなしに挨拶に来るせいだ。もちろんエウレッタがそれを嫌って外に出てきたわけではなく――嫌っていたのは事実にせよ――、カロがその感情を汲み取って外へと連れ出したわけなのだが。
「あっ! こんなところに……」
 そうしてのんびり歩いていると、二人の背後から若い男の声。エウレッタがぴくりと眉をしかめたのを、カロは見逃さなかった。やっぱりウンザリしてたんだ、とは思ったもののその言葉は喉元で飲み込んでおく。
「エウレッタ特務隊長でありますね?」
「ああ。しかし、すまないが用事なら後でにしてくれないか。見ての通り、今は休憩中なんだ」
「はっ、承知しております。ですが……」
「ですが、何だ?
 ……いや、フィデリトールの騎士? 珍しいな。一人来ているとは聞いていたが……」
 エウレッタが振り返り、声を掛けてきた人物の姿格好を見て静かに驚きの声をあげる。少し遅れてそれを見たカロも同じ気持ちだった。なんせ、先ほどまでエウレッタに次々に声をかけてきた貴族達とは姿勢からして全く違う。その背筋は、作法ではなく訓練によって身についた、屈強な男のそれだ。鎧も重装備でないとはいえ、貴族の金だけがかかった豪華さとは違う、深い色を帯びた鋼。明らかに異色だった。
「エウレッタ特務隊長。まずはこれを」
「……オルディニス教団では、贈答物の受け取りを禁じている。個人的な贈与の品というのであれば、なおさら受け取るわけにはいかない。
 それと、聞こえなかったか? 私は休憩中なんだが」
 騎士が差し出したのは、紫色の布に包まれた細い棒状のもの。カロは首を傾げ、エウレッタは中身を推測する興味すらないらしい。
 だがそれも、騎士の次の言葉には関心を向けざるを得なかった。
「ベネウォール前最高司祭殿から直々に、貴殿へ渡すようにとお預かりし申したものなのだ。
 どうか受け取ってはくれないだろうか」
「最高司祭猊下の……っ!?」
「え、あれ、最高司祭様って……あれ?」
 カロは再び首をひねる。それはそうだ。彼もエウレッタも、ベネウォールがどこでどうその最期を迎えたかは聞き及んでいる。
 しかし、最高司祭の名を出されてはエウレッタといえども受け取らないわけにはいかず、表面上は無表情のまま差し出された布の包みを受け取った。そこで初めて、カロもエウレッタも、それが杖であることに気付く。
 そして、ベネウォールから託された杖、となれば、もうその杖の正体は一つしかない。包みを解きながら、カロとエウレッタは同時に呟いた。
「剣の杖……っ!」
「剣の杖という名なのか、それは……?」
「え? この杖のこと知らないで、預かったんですか?」
 カロの驚愕ついでの失礼な質問にも、騎士は「ああ」と律儀に返答をする。どこかで聞いた声だなと思いつつ、カロは己の質問の無礼さにすぐさま気付き、「あっ! ごめんなさい!」と謝罪して少し頭を下げた。
「そうか、ということは……。
 猊下は他に、何か仰られていたか?」
「私に『生きろ』、と。
 そして『エウレッタ特務隊長に渡して欲しい』と」
「私のことを特務”隊長”と仰っていたのか?」
「はい、そうです」
「ふむ……」
 エウレッタが愛おしげに杖を撫でる。複雑な表情。カロにも、その感情はいつにも増して読み取れそうになかった。
 しかしすぐにいつもの表情へと戻り、ゆっくりと顔をあげる。
「名は?」
「は……私の、ですか?」
「ああ。他に誰が居る?」
「はっ、失礼しました。
 フィデリトール軍ティライユル麾下、銀鎧騎士団団長エドであります!」
「ふむ……」
 エウレッタは白いローブを靡かせ、くるっと身体を翻し。
「銀鎧騎士団のエド、か。その名、覚えておこう。
 よく使命を果たしてくれた。オルディニス神官として、心より感謝する」
 言い切り、そのまますたすたと歩き去る。カロはその、ある意味ではいつも通りのエウレッタの態度に少々ひやっとしたが、しかしそれもすぐに消えた。騎士が最敬礼の態度でそれに応えたからだ。
「はっ! ありがとうございます!
 では、私はこれにて失礼します!」
「ああ」
 エウレッタの呟きが聞こえたかどうかは分からない。でもカロは、敬礼に対するそのエウレッタの態度に、彼女なりの最高級の感謝の意を感じて、どことなく嬉しくなりながらその横を並んで歩きはじめた。
「どこに行くんですか、エウレッタさん?」
「……猊下に言われた気がするんだ。確かめろ、と」
「『希望』を……ですか?」
「いや、その言葉はもう古い」
 エウレッタはまるで杖の意志を確認しているかのように二つの杖を両手でその胸に抱きつつ、ゆっくりとカロの方へ顔を向けた。そしてかつて自らがレオメトルの教会で呟いたときのような迷いは一切なく、確信を持ってはっきりと、まるで『希望』を信じ続けたことを誇っているかのように、神官たる彼女は言ったのだった。

「百年間ずっと仮初めであり続け、ついに手に入れることのできた――、
 ――この真なる『平和』を、さ」


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